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野沢雅子の情報 (のざわまさこ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

野沢雅子の情報(のざわまさこ) 声優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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野沢 雅子さんについて調べます

■名前・氏名
野沢 雅子
(読み:のざわ まさこ)
■職業
声優
■野沢雅子の誕生日・生年月日
1936年10月25日 (年齢87歳)
子年(ねずみ年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和11年)1936年生まれの人の年齢早見表

野沢雅子と同じ1936年生まれの有名人・芸能人

野沢雅子と同じ10月25日生まれの有名人・芸能人

野沢雅子と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


野沢雅子と関係のある人

尾崎淳: 尊敬する人物はジェイソン・ステイサム、ドウェイン・ジョンソン、ジェラルド・バトラー、マ・ドンソク、役所広司、窪田等、古谷徹、千葉繁、山路和弘、諏訪部順一、松岡禎丞、木村昴、野沢雅子、榊原良子、沢城みゆき。


見浦彰彦: 演じるキャラクターが明らかに悟空であってもあくまで扮するのは野沢雅子というスタンスを貫いていたが、2023年の5月9日(悟空の日)に孫悟空そのものに扮した姿を披露した。


田島直弥: 田島は野沢雅子のものまねネタを持ち、ものまねを交えたコントや漫才も時折行う。


入江麻衣子: 審査員は剛力彩芽、菊川怜、野沢雅子、古谷徹。


羽佐間道夫: また話題に昇った人物には兄の羽佐間正雄や声優の山寺宏一、富山敬、安原義人、野沢雅子、若山弦蔵、大平透など


たてかべ和也: たてかべの通夜は6月23日に青山葬儀所で営まれ、木村や水田のほかに小原乃梨子・野村道子・肝付兼太・よこざわけい子・野沢雅子・かないみか・山寺宏一・戸田恵子ら約900人が参列。


吉田喜昭: 『ど根性ガエル』 : 原作吉沢やすみ、声の主演野沢雅子、製作東京ムービー、1972年10月7日 - 1974年9月28日放映(連続テレビアニメ映画・全103回・全206話)


見浦彰彦: 田島は野沢雅子のものまねネタを持ち、ものまねを交えたコントや漫才も時折行う。


戸田恵子: 第1作・第2作で鬼太郎を演じた野沢雅子を尊敬しており、役に抜擢された際は驚いたといい、プレッシャーもあったが「マコさんの鬼太郎に追いつこうとは決して思わない、同じように演じることなんてできるわけない」と開き直れたという。


田中美海: 審査員には声優の野沢雅子、森田成一、徳井青空が参加していた。


水沢史絵: その後、野沢雅子主宰の劇団ムーンライトに所属し舞台で活動するが、2000年代前半頃から声優業も始める。


きしはやと: 番組ゲストに声優の野沢雅子が来ており「おめぇホントにクリリンか?」と振ってもらったが、ガチファンの緊張とクリリン2回目だったため何も返せなかったことを後悔している。


田の中勇: 1985年の第3期シリーズでは鬼太郎役が野沢雅子から戸田恵子に変更され、第1・2期シリーズとは声優の一新が図られ、目玉おやじも新キャストのオーディションが行われていたが結局ふさわしい後任が見つからず、田の中が続投になった。


荒井健一: ドラゴンボールが好きで、孫悟空役の野沢雅子と一緒に写真を撮ったことがある。


内海賢二: かつて野沢雅子らと共に、アニメがビデオ・DVD化された際の使用料の支払いを求める訴訟を起こし、勝訴している。


千葉繁: 野沢雅子が退団してから劇団東芸に入っており、直接接点はないが劇団の後輩にあたる。


松本保典: その現場には野沢雅子、キートン山田を初め、錚々たるベテランが数多くおり、彼らの姿は松本からは「超人に見えた」と語っている。


田島直弥: キャラクターではなく素の野沢雅子自身のものまねもする。


山本耕史: 野沢雅子が孫悟空の声で吹き込んだ目覚し時計を使用し、ベジータや孫悟空のイラストを書くのが得意だという。


山寺宏一: また、山寺より年上である神谷明や、野沢雅子、羽佐間道夫とも仲が良い。


阪田智靖: 声優野沢雅子主宰の劇団ムーンライトに2002年から所属(2017年に退団)2019年11月から声優、俳優の傍ら合同会社シーラカンス・ファクトリーの代表を務めている。


小山茉美: 『ドラゴンボール』第55話〜第57話並びに『ドラゴンボール超』第43話、69話でもアラレを担当し、野沢雅子との対談で「準備が大変で、ボイストレーニングをした」と語っている。


吉田理保子: 2006年より野沢雅子が独立して設立したオフィス野沢に移籍し、野沢のマネージャーを務めていた。


中尾隆聖: フリーザを嫌いなキャラクターとして挙げている孫悟空役の野沢雅子は「フリーザの悪役ぶりがいいだけに頭に来る」とコメントしている 一方、「大人になりきれない部分が残っていてカワイイところがある」と好意に評しており、2018年のインタビューでは「フリーザは妙な子供っぽさがあるから好き」とも語っている。


小林亜星: 『怪物くん』(第2作) オープニング「ユカイツーカイ怪物くん」/怪物くん(野沢雅子


三ツ矢雄二: 同じく先輩の野沢雅子とは家が同じ方向だったため仕事終わりに車で送ってもらい、その道中口頭で丁寧に演技指導をしてくれたという。


吉田喜昭: 『いなかっぺ大将』 : 企画鳥海尽三・平谷寿敏、監督高橋資祐・笹川ひろし・高橋唯貴雄・案納正美・富野喜幸・西牧秀雄・鹿島昇、原作川崎のぼる、声の主演野沢雅子、製作タツノコプロダクション、1970年10月4日 - 1972年9月24日放映(連続テレビアニメ映画・全104回) - 鳥海尽三・牧野和夫・城山昇・武末勝・陣野修・柳川茂・森忠明・三宅直子・伊東恒久・平谷寿敏・太田イサム・布川侑司・小山高男とともに脚本


高木均: それを見た野沢雅子が「何を意地悪しているのか」と思い注意しようとしたところ、高木はその新人2人を見ながら「しっかりと精進していれば、パンなんかいくらでも食べられるようになる。


見浦彰彦: 演じているのは野沢の役の中でもほとんど『ドラゴンボール』の孫悟空風の声であり、R藤本に悟空の別名である「カカロット」と呼ばれていたりと、ロケやイベントにおいても野沢雅子ではなくほぼ悟空として扱われ、自身も仮装中は大半は悟空として振る舞う。


池田昌子: 共演した野沢雅子とは親交が深く、『999』放送終了後も互いを「メーテル」、「鉄郎ちゃん」と呼び合っている。


野沢雅子の情報まとめ

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野沢 雅子(のざわ まさこ)さんの誕生日は1936年10月25日です。東京出身の声優のようです。

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人物、役柄などについてまとめました。子役、映画、引退、ドラマ、卒業、テレビ、現在、母親、結婚、再婚、事故、趣味、父親に関する情報もありますね。去年の情報もありました。野沢雅子の現在の年齢は87歳のようです。

野沢雅子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

野沢 雅子(のざわ まさこ、1936年〈昭和11年〉10月25日 - )は、日本の声優、女優、歌手。東京都荒川区日暮里出身。青二プロダクション所属。劇団ムーンライト主宰。日本俳優連合副理事長。

声優としての代表作に『ゲゲゲの鬼太郎』(鬼太郎)、『いなかっぺ大将』(風 大左衛門)、『ど根性ガエル』(ひろし)、『銀河鉄道999』(星野鉄郎)、『ドラゴンボール』シリーズ(孫悟空、孫悟飯、孫悟天)など。

東京府東京市荒川区日暮里で生まれる。叔母の佐々木清野が松竹の女優だった縁で、3歳の時に子役として映画デビュー。元々はやりたくてやっていたわけではなく、野沢が物心付く頃には佐々木は引退しており、映画界で野沢に自分の跡を継がせたかったらしいという。最初に出演していた映画は題名も覚えておらず、母子の愛情を描いた「母もの」が多かったという。当時は児童劇団には所属していなかったという。小さい時から、踊りなどのわりと芸事が好きだった。父が後述の通り、画家だったことから、三味線など、そういうもの習わせたという。演じる面白さに気が付いたのは小学1年生の学芸会で、拍手をもらうことが嬉しかったという。仕事をしているという意識はなかったが、父母が歌舞伎、新派の芝居が好きで連れていかれたためか、子供の頃から、「将来は女優になるんだ」と心に決めていた。映画、ラジオドラマに出演したりと、芸能活動は続けていた。しかし、女優の仕事は父の意向で学校が休みの時限定だった。アレルギー体質もあり、体が弱く、父が尾瀬を描いた作品で日展に入選、その縁で、1944年、戦時中の空襲を避けるため、群馬県利根郡(現・沼田市)に移り住み小学3年生から高校卒業までを過ごす。ある日、家に姿見があり、その鏡で野沢の姿を見ており、その時に初めて、「役者になりたい」と思ったのは小学3年生の時だったという。しかし小学校高学年になった時に、医者になりたくなったという。高校時代の頃、父に医者になりたいことを話したという。当時は外科医になりたかったという。中学の時に劇団に入り、学校が休みになると東京で女優の仕事を行うという日々を送る。

高校は群馬県立沼田女子高等学校に在学。高校生時代は、バスケットボール、陸上競技、ソフトボールなどのスポーツに励む生徒だったという。高校1年生の時に映画界入りさせたかった叔母が諦めて、NHKのプロデューサーを紹介したことで劇団東芸に入団し、研究生となる。前々からNHKのドラマ「おいらの町」に出演したりとテレビの仕事をしており、そのプロデューサーの紹介で特別に劇団に入れてもらった(本来は入団試験があるが、プロデューサーが「夏休みや日曜日しか参加できないけど、芝居が好きでやりたいらしい。とにかく卒業したら本格的にやりたいというので、なんとか入れてくれないか」と話してくれて、劇団の社長も入団をOKしてくれたという)。父は「もう学業はちゃんとしなくちゃいけない、休んではいけない」ということで、内緒で入団したという。初舞台は菊田一夫作『堕胎医』。

高校在学中は、父のいいつけを守り、学業優先で学業に励むかたわら、時間を作っては劇団の稽古場へも通っていたという。公演の際にも、「舞台に立ちたい」という逸る心を抑えて、小道具作り、効果音作りなどの裏方の手伝いとして参加していた。

高校3年生になり、大学進学か、女優の道か進路の選択を追られていた。父が、花嫁修業を兼ねて大学の家政科に進んでほしいと思っているのは、うすうす気づいていたが、野沢は女優の道、舞台の世界へ足を踏みだす決心をしていた。女優の世界へ導いていた叔母も、「舞台女優は収入が得られないから」と、猛反対していた。しかし野沢は知人に紹介してもらった劇団にこっそりと何度か顔を出しており、舞台の魅力に取りつかれ、意志は揺らがなかったという。

夏休み、休日を中心の活動だったが、高校卒業と同時に、父の許しを得て、上京し本格的に芝居に打ち込むようになる。早稲田大学の演劇科へ行こうという気持ちもあったが、父から「早稲田に行くんだったら劇団に入るのはやめなさい。学校生活では学校のことをやりなさい」と言われ、大学に行く4年間を劇団活動に費やした方がいいと決めた。劇団に入ってから「10年たっても生活できなかったら、そこでまた考えて、すぱっと辞めるか、そのまま続けるか決める」と父と約束し(もっとも、当時から仕事をしており、かなり収入があった)、「10年も役者をやり抜くとはたいしたもんだ。10年間劇団の生活は見よう。自分に何かあったら母に言えば大丈夫なようにしておこう」と言ってもらえた。若い頃から交流のあった白石冬美の談話によると、元々は演出家志望だった。

また、劇団の経営を支えるため、10代の終わり頃には声優業も始める。その時の洋画は少年が多く、プロデューサーが「女性の声帯が少年に近いのでは」と言っており、そのオーディションに合格し、職業としての声優に足を踏み入れたという。当時は声の吹き替えは録音ではなく生放送だったため、初仕事が洋画の吹き替えであるのは覚えているが、正確な声優業デビュー作品は本人も覚えておらず不明である。

アニメデビュー作は、『鉄腕アトム (アニメ第1作)』のゲスト出演。レギュラーではないが、毎回、少年役などを担当していたという。レギュラーでは『宇宙パトロールホッパ』のプー役。初主演作は『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)』(鬼太郎役)となる。

アニメのレギュラーが増え舞台への出演が減った頃富田耕生に呼ばれ、後の青二プロダクションの社長である久保進から「独立して事務所を作りたい。マコにも来てほしい」と誘われる。当初は「劇団で過保護に育ってるしプロダクションの生活はしたことないため不安、それに舞台もやめられない」と答えたが「面倒は自分たちで見るし、舞台も続けてくれて構わない」と言われ劇団と相談し東芸と新事務所の青二の両方に所属し始めた。しかし、声の仕事が忙しくなったため舞台ができなくなり、結果的に劇団を辞めた。

1979年、青二プロダクションの分裂騒動の際には、創設メンバーの一人でありながらぷろだくしょんバオバブの設立に関わった。青二プロダクションからバオバブへ移ったのは、当時野沢は青二の株主で株主総会が夜遅くかかり、娘や母のためになるべく早く帰りたかったためである。青二の株は社長の久保が引き取ってくれたが、「マコにやめられるっていうのは、夫婦で夜、一つの布団にいっしょに寝て、朝目が覚めたら女房にいなくなられたような感じなんだよ」と言われ、申し訳ないことをしたなと思ったという。

1981年、バオバブが軌道に乗った頃、イベント企画部門として作られた81プロデュースが独立、当時マネージャーだった南沢道義が責任者となりバオバブを辞める。一方野沢はバオバブでは養成所を作る手伝いをしていたが、ゴタゴタがあり仕事を降りる。しかし、仕事を降りたことが「喧嘩している」と噂になってしまい、青二の久保から「俺が南沢に話をしとくから、南沢のところへ行きなさい」と言われ、1年半後に81プロデュースに移籍。長きに亘って在籍したが、2006年4月1日に「オフィス野沢」を設立し独立した。この際、声優活動をしていた当時は野沢との共演も多かった吉田理保子がマネージャーを担当していた。

2004年にはアニメがビデオ・DVD化された際に音声制作会社に声の使用料の支払いを求め、野沢は声優361人を代表して原告団長として訴訟を起こし勝訴している。

2012年4月1日より青二プロダクションに復帰、同年4月30日にオフィス野沢を廃業した。

2013年、第7回声優アワード「功労賞」を受賞。

2014年、東久邇宮文化褒賞を受賞。

2017年1月31日、バンダイナムコエンターテインメントの『ドラゴンボール』関連のゲームで主人公・孫悟空の声優として「ひとつのビデオゲームのキャラクターを最も長い期間演じた声優」「ビデオゲームの声優として活動した最も長い期間」の2項目でギネス世界記録に認定されたことが明らかになった。また、同年5月16日には、前年に短編アニメ映画『風のように』で主人公・三平役を演じたことから、第26回日本映画批評家大賞のアニメーション部門声優賞を受賞。

2018年、長年の声優活動を通じて児童文化の向上や普及に努め健全育成に貢献してきた実績が認められ、「平成30年度 児童福祉文化賞 特別部門」を受賞。

2023年、第71回菊池寛賞を受賞。

人物

声優業の創生期から活躍しており、青二プロダクション創設メンバーのひとりでもある。現在は劇団ムーンライトの主宰・演出も手がけている。

父は画家の野沢蓼洲(のざわ りょうしゅう)。母は野沢鶴。両親とも江戸っ子だった。叔母は松竹の女優である佐々木清野。両親からは「まあちゃん」と呼ばれていた。

母親とは戸籍上では血が繋がっておらず、母が最初に結婚した際に流産してしまい、父と再婚しても子供ができなかっため、「野沢の血を絶えてしまってはいけない」ということで、他の女性と子供を作ったという。野沢は高校生くらいの思春期の頃、戸籍謄本を見て「養女」となっておりショックを受けたが、父からは「母は近所で有名なおしゃれできれいな人で家事をしなかったが、あなたを連れてきてからなりふりかまわずみんなが驚いたくらい夢中になって育てたんだよ」と言われ、母からも「あなたを産む時にお腹を痛めなかったけど、私が産んだ娘だとずっと思っている」と言われて野沢は「この人以外に私の母はいない」と強く思った。母や父は産みの親を大切にしており、家にもよく泊まりに来ていたという。

25歳の時に娘を出産。『週刊TVガイド』1969年4月4日号でのインタビューで、当時幼稚園児だった娘に対しての子育てについて「ものの良し悪しは自分で覚えるものと思うので、自分は干渉せず、何事も自分でやらせようという方針」と語り、“アンチ教育ママ”を自称していた。

独身時に劇団仲間と車で移動中にバイク事故を目撃する。全員が「あのバイクに乗っていた人は死んだ」と思う程の激しい事故だったが、その当該者が後に夫になる塚田正昭だった。

一人っ子である。

子供の頃は原っぱで男の子の中に一人混じってチャンバラをしているような下町っ子であり、いじめっ子の男の子をこらしめたりなど男勝りな性格だったという。田の中勇からは「男の僕からしても男らしかった」「感覚が下町っていうか、本当に男の子だった」と言われていた(野沢は田の中を「タノ子」と呼んでおり、田の中も野沢を「雅男」と呼んでいたという)。

影響を受けた役者はいないが、ただ好きで尊敬する女優である杉村春子、山岡久乃、奈良岡朋子たちの芝居はよく見に行っていたという。

趣味は計画無しのドライブ旅行、スポーツ観戦。

好きな言葉は「自由、夢、ハプニング」。

姿勢

新人時代、当時のアフレコ環境はまだ録音機材が充実しておらず、収録中のNGは全て最初からの録り直しとなった。そのため、NGを出すと「(申し訳なさで)気を失いそうになった」と回想しており、簡単にNGを出す最近の若手声優に対し「緊張感が足りない」「『NG大賞』なんて、当時の感覚からしたら信じられない」との考えを持っている。

「声優以前に俳優である」という考えから、デビュー間もない頃は“声優”と呼ばれることには抵抗があり、インタビューのたびに「舞台女優です」と訂正を求めていた。現在は「“声優”と呼ばれることには抵抗がなく、むしろ誇りに思っている」と語っている。元々声優志望ではなくテレビアニメは仕事のひとつという意識だったが、アニメの仕事が増えていき、『宇宙パトロールホッパ』などレギュラーの仕事を持つようになってからは楽しいという気持ちが大きくなっていった。洋画の吹き替えは生身の人間の芝居から極端に外れることはできないがアニメは無から有を作れるため自由自在にすごく楽しく演じられるといい、この頃から「私は声優です」と言えるようになってきたのだという。また、「キャラクターのイメージを壊す」という理由で、テレビの顔出し出演を拒む声優が多い中、アニメ関連に限らず、バラエティ番組などにも本人登場で出演することがある。

「役に入り込むこと」と「役を演じ分けること」に必要なのは自分の引き出しを増やすことだといい、日常生活のウォッチングとリスニングが大事だという。声優を目指す者に対しては読書を通じて想像力を養ってほしいと語っており、上品な言い回しが苦手な若手声優も目立つため日頃から読書や人間観察を続けることで解決できるとアドバイスを送っている。また「他人の評価を気にせず、見栄を張らないこと」、「こうしたら上手に聴こえるかな?などと考えてはダメ。大切なのはハートです。上手な言葉ではなく生きた言葉を発してほしい。技術なんてものは、後からいくらでも成長します。だからこそ、ハートのこもったセリフを心掛けてください」とも語っている。

『タイガーマスク』に出演していた頃、貰い火で自宅が半焼した際には「仕事に穴を開けるわけにはいかない」と、近所から服を借りてスタジオに行き、火事のことはスタッフ・共演者の誰にも告げずにアフレコに臨んだことがある。また、草尾毅は「体調が悪くても、一言も弱音を口にしない方」と語っている。

『いなかっぺ大将』では愛川欽也と二人でアドリブを多く入れていた。ただし、「生きたお芝居をするのと、私が好き勝手するというのは違う。私の勝手な解釈で勝手な流れを作ったら原作者の方にも失礼」という考えから、アドリブは時々はするがあまりやらないようにしているという。

「今までやった役でどの役が好きですか?」という質問には、「自分が演じた役はどれもかわいい」としつつも、「しいてあげるなら『ゲゲゲの鬼太郎』(第1・2作、墓場鬼太郎)の鬼太郎、『銀河鉄道999』の星野鉄郎、そして『ドラゴンボール』の孫悟空の三つ」と語っている。この3作は全て原作者によって選ばれた役である。

2012年時点では「今はどこまで続けたい、何歳までやりたいという目標はなくて、私はいつもギネスブックに載るまで続ける」と語っていたが、2019年には最低でも100歳まで現役でいたいと発言している。

役柄

声種はアルト。

少年役

洋画を生アフレコでテレビ放送することになったが、当時の吹き替えは録音ではなく生本番でプレッシャーのかかる仕事なため子役を使えず、解決策として「女性の声帯が子供に近いのではないか」という番組プロデューサーの意見でオーディションが行われた結果、野沢が選ばれた。以降、少年キャラの吹き込み、吹き替えは女性が担当する風潮が定着し、少年役の依頼が多くなった(後に出てきた神谷明が『荒野の少年イサム』『バビル2世』と2度も主役の少年役を務め、今でも神谷とはこの話になると苦笑し話題が絶えないという)。

アニメ『ドラゴンボールZ』では孫親子3役をはじめ劇場版・TVスペシャルを含めると計6役を、アニメ『もーれつア太郎』では一人13役、後にOVA作品『戦ー少女イクセリオン』においては1人4役を演じており、役により声の抑揚、高低、強弱などを全て使い分けている。

少年役を演じる時は、役者は着ているもので気持ちも、歩き方も心構えも変わることからスカートをはいて行っておらず、常に動けるように必ずズボンという。

女性・老女役

少年役以外では中年女性や老婆役を演じることが多い。

アニメで唯一の美女役に『愛少女ポリアンナ物語』のバレー役をあげており、オーディションで受かってとても嬉しかったという。

洋画吹き替えでは、『普通の人々』(テレビ朝日版)のメアリー・タイラー・ムーアや『ミッシング』(日本テレビ版)のシシー・スペイセク、『ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記』のヘレン・ミレンなど母親役や中性的な雰囲気の女性を担当している。野沢が思い入れ深い映画はフェイ・ダナウェイを吹き替えた『ネットワーク』(機内上映版)であり、「息遣いが自分と全く一緒でとてもやりやすかった」という。また、ベッドシーンもいやらしくなく演じており、本当に素敵な芝居をする女優だと評していた。

少女役

インタビューなどで「お姫様の役をやってみたい」と度々発言しているが吹き替え・アニメを通し、『オズの魔法使い』のオズマ姫が、主要キャラクターでは唯一のお姫様役である。しかし、オズマ姫は少年の姿で登場し、最後に元の少女の姿に戻るという役どころであり、実質的には少年役とも言える。

数少ない少女役として、他には、人形劇『ざわざわ森のがんこちゃん』では、カエルの女の子のケロちゃんを、『あしたのジョー』第69話では、牧場の娘・桧山ユリを、『アタックNo.1』では、卑怯で気が強い女子高生・飛垣を演じた。また飛垣の他にもサブキャラクターで女子高生役を演じている。また、ラジオ番組『野沢雅子がよむこどもの詩 きのう・きょう・ずーっとあした』では少年役のほか、少女役も演じている。

ゲゲゲの鬼太郎

『ゲゲゲの鬼太郎』は何度も音声・映像化されているが、テレビまんが版を含めて初めて鬼太郎の声を担当し、また野沢にとっては初めての主演であった。放映当時、原作者の水木しげるの趣味の「墓場の散歩」に触れ、「私もお墓を散歩するのが好きなんです」とコメントしている。後に出演した『オールナイトニッポン』でも非常に思い入れの深い役として、時には鬼太郎になりきりながら軽快に語っていた。目玉おやじ役の田の中勇、ねずみ男役の大塚周夫とは元々同じ劇団であり、同じ舞台を何度も超えてきた仲間だったため最初から息はピッタリだったという。

記憶に残っているエピソードに第1作31話「もうりょう」と第1作7話「幽霊電車」、また印象に残っている妖怪にたんたん坊を上げていた。また鬼太郎の世界は断然第1作が好きだといい、「モノクロの方が鬼太郎の世界の非常に大切な要素である怖さやおどろおどろしさが生かされると思う」と語っている。

鬼太郎以外で好きなキャラクターにはねずみ男を上げており「調子よくて生き方が楽ですよね。人間ちょっとかっこつけたい部分があるじゃないですか、あの人にはない。思いっきり全部出しちゃいますよね。だから好きなんです」とのこと。大塚周夫のねずみ男の演技は灰汁が強いため、鬼太郎以外ではねずみ男を演じてみたいと語ったこともある。

第3作以降においては、キャストが一新され、鬼太郎役はその度新キャストとなっている。キャスト変更を当初はがっかりしたが、その後『ドラゴンボール』で孫悟空役に決定した際、当時は「同じ局系列で2作品の主役はできない」という不文律があり、この件がなければ孫悟空を演じることができなかったため、「結果として野沢雅子のアニメ史に『ドラゴンボール』という作品が一つ増えた」「巡り合わせや出会いは何が幸運になるか分かりませんね」と振り返っている。新作の『鬼太郎』が放映されると、必ず第1話を見るという。なお、第3作で鬼太郎役を演じた戸田恵子は大先輩の役を引き継ぐということでプレッシャーを感じていたといい、40周年映画で歴代のキャストが勢揃いした際は「野沢さんが来るからオファーを受けた」と冗談めかして語っている。

2007年8月にNHKにて放送された『鬼太郎が見た玉砕 〜水木しげるの戦争〜』では、短いシーンの登場であるが数年ぶりに鬼太郎の声を演じ、2008年放送の『墓場鬼太郎』で再び主役を担当した。この際、デザインも性格も以前のものと違う貸本時代の不気味な鬼太郎を見て、最初は驚いたがすぐに入っていくことができ、「可愛い」と思ったという。『墓場鬼太郎』の鬼太郎を「原点なので、ネジが何本か抜けている鬼太郎」と評していた。本来の鬼太郎に関しては「ガキ大将の優等生」、「正義感が強く、普通の可愛い男の子」と考えているという。

2017年12月公開の映画映画 妖怪ウォッチ シャドウサイド 鬼王の復活』では、コラボ企画として作品にゲスト登場する鬼太郎の声を演じた。

「もし6期のオファーが来たら引き受けたい」と語っていたが、2018年4月開始の第6作では、これまでテレビシリーズでは田の中勇が担当して来た目玉おやじの声を担当する。オーディションで役に決まったことについて野沢は「親子をできるなんて最高に幸せ。背伸びせず気張らず私なりの父親を演じていこうと思っています」と語っている。

銀河鉄道999

アニメ化の際、キャストのオーディション選考で居合わせていた原作者の松本零士が野沢の声を聞いて「この声だ」と、星野鉄郎役に決定した。

原作のコミックはオーディションの前は読んでおらず、役柄はいつも出会った時の第一印象を大切にしていたという。それがよかったのかどうかは分からないが、合格したという。

本作が放送された3年間は平日にレギュラーの仕事をこなし、土曜日から月曜日までは地方のイベントに出席、そして急いで戻り、また月曜日から金曜日までレギュラーの仕事という、最も多忙だった時期だと振り返っている。

オーディション前に鉄郎の見た目を初めて見た当初、おせじにもかわいいと言えないと思っていたが、最初の録音の時までに自分の分身のように思えてきたという。また、劇場版で15歳になり、テレビシリーズとは見た目が大きく変わった鉄郎を見た際はかっこよすぎると思ったが、動き始めた鉄郎を見てやっぱり鉄郎だと思ったという。

劇場版のラストの鉄郎とメーテルが別れるシーンは収録の際、野沢は泣き出してしまい、一緒に居合わせていた共演者の井上真樹夫や他のスタッフ、松本零士も涙ぐんでいてなかなか進まなかったという。メーテル役の池田昌子もこのシーンを演じている野沢は辛かったろうなと思い、一緒にいた自分も辛かったというが、「でもあの演技は彼女だからできた演技だと思います」と語っている。池田とはプライベートでも仲良い。『銀河鉄道999』で意気投合して、「メーテル」「鉄郎ちゃん」と2004年時点でも呼び合っているという。

ドラゴンボール関連

アニメ化の際、メインキャラクターのキャスティングはほとんどが指名だったため、オーディションで決まったのは野沢とブルマ役の鶴ひろみだけだった。選考は役者の名前シールを外したテープを聞いて行われ、当時、声優に詳しくなかった原作者・鳥山明が野沢の演技を聞いて「絶対にこの人!」と感じたことで決まったという。後に鳥山はプロデューサーに野沢の演じた役を教えてもらい「ボクですら知ってるような有名なキャラクターばかり」と驚いたという。また「他にも何人か聞かせてもらったがもうこの声以外には考えられない」と思ったと語っている。

鳥山に選ばれたことを知った野沢は、作品の世界を描いている原作者に認められたことがとても嬉しく、悟空役は「宝物だ」と思ったという。それから25年以上経て、映画『ドラゴンボールZ 神と神』の時に野沢は初めて鳥山本人に確認する。鳥山は「すぐに決めた」と言い、次に「ギャラ高いでしょ」と聞かれる。鳥山は、野沢に決めた後も制作陣から他の声優を何人も薦められていたのだという。「その話は初耳だった」と野沢は語っている。なお、野沢は前々から『Dr.スランプ』を見ており「発想がすごく翔んでる」と思っており、鳥山作品には一度出たかったという。最初に悟空を見たときは「尻尾が生えているのがかわいい」「決して二枚目ではないけど自分の分身のような気がした」とオーディションに臨んだという。

その時点での役柄になりきるため、事前に原作を読まずにアフレコに挑んでいた。スタジオにいるスタッフや共演者が、原作の先の展開を話そうとすると「野沢さんは読んでいないから」と止めが入っていたという。また、出演者には、野沢に同調する形で、原作を読まずにアフレコに挑むメンバーも多かった。

悟空たちの代表的な必殺技かめはめ波を放つシーンの収録では、野沢自身もポーズを取りながらの演技で「スカートだと足が開けなくて気合が入れられないため、いつもパンツスタイルで臨んでいる」とのことである。

フランスでも同作が大ヒットし、現地テレビ局にゲストで招かれ、フランス版の声優と共演する企画があった。その際、コンマ秒単位でセリフを合わせるアフレコ技術を披露した。また、復活の「F」のアメリカプレミアの際、インタビューに答え、着ぐるみの孫悟空と北米版の孫悟空役の声優であるショーン・シュメルと3人でかめはめ波のポーズを披露した。

同シリーズで次回予告の前フリである「オッス、オラ悟空!」というセリフは、野沢のアドリブによるものである。

1989年頃、野沢の小学生の姪が、友達に「伯母が悟空の声を担当している」と言ったが、なかなか信じてもらえず声を聞かせてとなったため、野沢に電話を掛け「友達に悟空の声で自己紹介をして欲しい」と頼み込んできた。普段は仕事以外で悟空の台詞を喋ることは断っていたが、可愛い姪の頼みとあってこれに承諾し、電話に出た友達に「オッス!オラ悟空!よろしくな」と言った。姪は本当だと証明できて大喜びだったが、野沢にアニメのキャラクターの台詞を頼んではいけないのは親戚内では暗黙の了解となっており、姪はこれを知った母親にひどく叱られたため、以後は同様の出来事はなかったという。バラエティ番組『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』でこの出来事を取り上げた際に「野沢雅子はドラゴンボールがなくても願いを叶えていた」と形容された。

林原めぐみは『ドラゴンボール』放映時、作品の大ファンだった甥の偏食を見かねて、野沢に頼んで孫親子3人から甥へ「野菜を食べて強くなろう」と語りかけるメッセージテープを作成したが、甥は「ヤダ!」と拒否し、林原は「あんたは悟天君が言っても食べないの!?」と叱ったという。

また、共演者だった内海賢二の逝去の際、孫悟空の口調で「オッス、オラ悟空。おめぇ、どうしたんだよ。神龍だろ? こっちの世界に来いよ。頼むぜ、みんなを見守ってくれよな。」と涙ながらに語りかけた。また、鶴ひろみのお別れ会での発起人としても務めた際、孫悟空の口調で「オッス、オラ悟空だ。ブルマ、いっぺぇいっぺぇそっちで、楽しんでくれよな。」とメッセージを寄せた。

悟空の息子の悟飯も演じることを『ドラゴンボールZ』第1話のアフレコ収録当日に知らされ、更には悟天までとは全く考えてもいなかったため非常に驚いたという。スタッフは「悟空の子供だから野沢さんで」と決めたとのこと。

「3人は一見似ているようだけど育った環境が違うので、そんなに大変ではないし、絵を見るとすっと役に入れる。悟空と悟天はやや似ている部分があるが、悟天には親がいることで違いを出している」とのことである。悟飯が大きくなってきた時は悟空と似すぎないよう気をつけたという。また成長した悟空に関しては「生々しい大人の男性じゃなくて、世間のことを知らない年齢不詳の感じでやっています」とのこと。

一人が複数のキャラクターを演じる場合、二人目は別録りするのが基本であるが、野沢は台詞が重複する場面以外は、瞬時に切り替えながら通したという(この野沢のテクニックには、当時のスタッフも驚いたという)。なお、「1度も代役は入れずに、3人を演じきれたことを誇りだ」と語っている。思い入れが一番強いのは悟空で、特に尻尾が生えているときが好きであり、「悟飯・悟天は父親の悟空の血を継いでいて可愛らしい」と語っている。

劇場版『ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦』では、悟空、悟飯、ターレスの一人三役を演じた。脚本家の小山高生は「野沢を困らせてやろうと、故意に3人の会話を増やしたが、まったく動じることない演技に驚いた」と述べている。共演者からも「凄かった」「見どころ」と評され、野沢も「役者として最高に幸せです」と述べている。ただし、近年は共演した後輩から「マコさんがやっちゃうとみんなもできると思われるから、やめてください」と言われ別々で撮っているという。

2人の声優が同時に声を発する合体キャラクターを演じた時も同時収録だった。トランクス役の草尾毅やベジータ役の堀川りょうがそれぞれ画面を見て喋り、野沢が相手の口の動きに合わせて喋っていた。本人曰く「そういうのは得意」であり、2014年に収録されたアートネイチャーのCMでは中尾隆聖と同時発声で演じた。

野沢自身が印象に残っているシーンは『ドラゴンボール』1作目のアニメオリジナルシーンにて、悟空がスノの家でトイレに行った時、レッドリボン軍にドア越しに銃で撃たれ「いててて!」と言って出てくる場面を挙げている。後年でも好きなシーンとして挙げている。アフレコで特に思い入れがあったシーンとしてクリリンがフリーザに殺され、悟空が激怒する場面を挙げている。

悟飯のエピソードで好きな話は、アニメオリジナルストーリーである、悟飯とロボットの交流を描いた『ドラゴンボールZ』の9話「ゴメンねロボットさん 砂漠に消えた涙」だという。キャストが野沢と、ロボット役の塩屋浩三と、ナレーションの八奈見乗児の3人のみという回は初で、制作サイドでは反対意見も出たが、視聴者からは「感動した」という手紙が多く来たという。塩屋も印象に残っている話として同じく『ドラゴンボールZ』第9話を挙げている。

悟空以外で好きなキャラクターにピッコロを挙げている。印象については「最初は大魔王と違い、すごく憎たらしくてキザで、なんて嫌な奴だと思っていたが、段々と良い人になっていた」と語っている。幼い悟飯をピッコロが指導する際に、初代チチ役の荘真由美と共にピッコロ役の古川登志夫に対して「あまり悟飯ちゃんを苛めないでね」と注意して苦笑させていたが、時にはアフレコでそのシーンを見ていく内に腹が立ち「いい加減にしてくれない!?子供相手に」と叱責して困らせてしまうこともあった。また、荘が出産と育児休業でチチ役を降板を余儀なくされた時は残念がっていたが、プーアル役で世界観を熟知していた渡辺菜生子が、代役から後任につながったことで安堵したといわれている。

一方、嫌いなキャラクターは、悪役に徹した初代ピッコロ大魔王およびフリーザだと語っている。また、ベジータが幼い悟飯を痛めつけた場面では「子供になんてことするんだ!」と、本気で腹を立てたという。フリーザとセルについては「大人になりきれない部分が残っていて、憎らしいけどカワイイみたいなところがある」とも語っている。2018年のインタビューでは嫌いなキャラクターは「しいて言えばセル」であり、フリーザは「妙な子供っぽさがあるから好き」と語っている。

他のエピソード

1999年時点では自分の声はあまり好きではないため、女性らしいきれいな声に憧れるという。しかし一生付き合っていくのだから好きにならなくては気の毒であり、いかに自分の声を活かしてあげるかが、役目と語る。

『ドラえもん』(日本テレビ版)では降板した富田耕生に代わり主人公ドラえもんの声優を務めたが、2013年3月放送『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』のインタビューでは同作を白黒作品だったと勘違いしている。同番組ではアニメ好きの外国人と中川翔子の前で「ぼくドラえもん」とドラえもんの声を演じた。

『あらいぐまラスカル』では、どうしてもラスカルを演じたいとオーディションに参加。役に決まりアライグマを良く理解するため、時間を見つけては上野動物園に行き観察した。10日間ほど通い詰めてもアライグマの鳴き声を聞くことはできなかったが、直後約に当時放映していたテレビドキュメンタリー番組『野生の王国』で、偶然にもアライグマが登場して鳴き声を知り、それを参考にしたことを、GyaO『溜池Now』での「野沢 雅子特集」の際に語っている。また、ラスカルの収録は他の声優陣と別録りだったが、鳴き声を演じる上で他の人の演技を確認するために、初めから収録風景を確認していた(他の声優陣と同じ時刻に集合していた)。一時期は動物役が多く、雑誌に「アニマル声優・野沢雅子」と書かれたこともあった。

『いなかっぺ大将』の風大左衛門の声をノイローゼだったゴリラに聞かせ、治したことがある。また、私生活において当時劇団のあった高田馬場までの切符を買う際に「高田の馬場だス」と大左衛門の口調で喋ってしまったり、子供の学校のPTAで他の子の親と会話している時に途中で喋り方に気を付けたにもかかわらず「そうだス」と言ってしまい、悩んだ末に田舎言葉を混ぜることで地方出身だと思い込ませようとしたなど、『いなかっぺ大将』では役が抜けずに苦労したそうである。

「歌は苦手」とのことだが、主演作の『怪物くん』や『ビリ犬』、『はたらキッズ マイハム組』では主題歌を担当しており、『ドラゴンボール』『デジモンテイマーズ』でもキャラクターソングを歌っている。

「私生活ではかなりおっちょこちょい」とのこと。『徹子の部屋』の出演時には、内線電話と間違えて館内放送のマイクに向かって話してしまった話、リモコンから送信される赤外線を身体に有害なレーザー光線と勘違いしていた話などを披露した。

迷惑電話がかかってきたときは、子供の声で「パパ、ママ今いないから分かんない」や、家政婦のふりをして「今、誰もいねぇから分かんねぇんだ」と言うと諦めてくれると言う(2008年3月27日にゲスト出演した『うたばん』より)。

映画『ONE PIECE』の主題歌『またね featuring ルフィ、ナミ、ゾロ、ウソップ、サンジ、チョッパー、ロビン、フランキー、ヒルルク、くれは』でくれはの声で出演したためゲスト参加している。その曲のオリコンチャート最高位が8位だったため、71歳4ヶ月としてオリコンチャート10位以内の女性最年長記録(当時)であった。

小さい頃からの習慣で外から帰宅したときには必ずうがいと手洗いをしている。「人より声帯が丈夫」とのこと。ある夏の日に環状7号線を車で移動中大渋滞に遭遇し、退屈なため運転席で歌を歌っていたが、窓を全開にしていたため排ガスによって声帯が傷つき、翌日から声がまったく出なくなってしまったことがある。病院で「声を出せるようになるまでは10日以上、話せるようになるまでは1か月かかる」との診断をされたが、すぐに声が出るようになり、病院の先生からも「国宝(級の声帯)だ!」と驚かれたという。声優に憧れる人は発声よりもセリフの練習を好む傾向があるため、発声練習をおろそかにしてはいけないとも語っている。のどと鼻のうがいの他、入浴中に50音を言うトレーニングも365日欠かさずやっているという。

他声優関連

仲の良い声優仲間としては、田の中勇、愛川欽也、池田昌子、永井一郎、富山敬、肝付兼太、千々松幸子、八奈見乗児、吉田理保子、内海賢二・野村道子夫妻、神谷明、古谷徹、三ツ矢雄二、中尾隆聖、鶴ひろみ、草尾毅らの名が挙げられている。

著作で「可愛い後輩」の1人として戸田恵子の名前を挙げている。『ゲゲゲの鬼太郎』の第3作で戸田が鬼太郎役に決まった際、当時の雑誌では「カムバック野沢さん」と書かれてしまい、野沢は気の毒に思ったという。イベントでは「私の鬼太郎はみんなも知っていて、みんなの中に生きてると思う。でも、今度は戸田恵子さんという後輩がやっているから、応援してあげてね」と必ず言っていたという。

野沢自身も『怪物くん』で怪物くん役を白石冬美に代わって演じることになった際に白石から「新人にやられたら悔しかったけどマコちゃんなら納得がいく」と言われたことがあり、「替えられることも、替わることもどちらもとてもつらいものがありますね」と思ったという。

後輩の井上和彦は若手の頃から野沢に可愛がってもらっているといい、一緒のイベントに出る時などは送り迎えしてくれたという。

鶴ひろみは業界の師匠に野沢をあげており、「人間的にも仕事の上でも。可愛い方で大好き」と語っている。

千葉繁は野沢が劇団東芸を辞めてから入ってきた後輩である。千葉の芝居はいつも体当たりで大好きだと語っている。

養成所時代に野沢から指導を受けた三石琴乃は「役者としても女性としても尊敬している」と発言している。

神谷浩史は、まだレギュラー役を持っていない新人時代、アシスタントを務めていたラジオ番組に松本零士を伴いゲスト出演してくれたなど、現在でも野沢の気配りや親切に恩義を感じている。

『ドラゴンボール』シリーズの収録現場は、キャスト陣やスタッフの雰囲気が非常に和やかで和気藹々としていたことが、多くの人物から語られている。このことに対しベジータ役の堀川りょうは「主演の野沢さんが新人や中堅たちに目を配り、雰囲気作りに努めていたことも要因ではないか」と語っている。また少年期に『ゲゲゲの鬼太郎』など野沢が出演していた作品を多数見ていたといい、「業界で最も尊敬している人物の一人」であるとも発言している。

森川智之は野沢の自宅の近所に住んでおり、勝田声優教室(後の勝田声優学院)で野沢が講師をしていた時代からお世話になっているという。野沢の授業は課題として与えられた台詞に合った演技をして合格をもらう「即応力」を鍛える内容で、当時森川はその課題を毎回一発で合格する優等生だったが、最後の授業での総評で「森川はこのクラスの中で、いちばん成長しなかった」と雷を落とされる。森川はその時初めて「現状に甘んじて成長しようとしていない自分」に気づき、それ以来どんな仕事でも成長を意識しているという。「自分の将来を真剣に考えて叱ってくれた気持ちが伝わってきてとてもうれしかった」といい、「あのとき怒ってもらえなかったら今の僕はいないですね」と語っている。

少年トランクスを演じた草尾毅は子供役に不安を感じていたが、大人の悟空から子供の悟天を演じる野沢の演技を見て勉強になったという。また、ゴテンクスで野沢と声を合わせたことは「何ものにも代えがたい価値があった」と語っている。野沢は草尾のことを「親子ほどの年齢差だけど、弟のように可愛い」と発言している。

野沢と同じく親子二役を演じることになった皆口裕子は、野沢の三役を見て気合を入れていたという。

メルセデス・ベンツのEクラスを20年近く乗り継いでるが、切っ掛けは矢尾一樹に「まこさんは僕らの大切な人だから、丈夫な車に乗らないといけないよ」と言われたことである。

吉田理保子は声優業を引退した後も交流を続け、2012年4月30日にオフィス野沢を廃業するまで野沢のチーフマネージャーとして仕事を共にしていた。

2024/06/17 11:37更新

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