南俊夫(みなみとしお) |Wiki【もしもし辞書】
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南俊夫
南 俊夫(みなみ としお、1912年〈明治45年〉1月31日 - 不詳)は、香川県綾歌郡出身の実業家、政治運動家。 1912年 香川県綾歌郡綾上町(現・綾川町)で出生。 1929年 単身上京。酒屋の丁稚奉公を手始めに数多の職業を経験。苦学を重ね、早稲田大学に進学する。 1937年 同学政治経済学部卒業、中外製薬に就職、後に三共に転職。 復員数年後に独立し、東京都台東区上野において医薬品卸と旅館を営む。 上野広小路駅近くのサンワールドビル、黒川ビル(雑居ビル)内、後に田原町駅界隈に事務所を構え、上野ホテル旅館組合の理事長なども務めていた。 1959年 世界連邦運動に賛同。世界連邦建設同盟(現:世界連邦運動協会)とは無関係に、勝手に世界連邦を名乗って政治活動を始める。 『大日本独立青年党』の清水亘が、岸内閣の反共工作資金を得て立ち上げた『議会主義政治擁護国民同盟(議擁同)』に、有田正憲(国民政治連合)、小田俊与(人道主義政治連盟)、深作清次郎(反ソ決死隊)、杉本一夫、岸本力男(後の稲川会越路家一家三代目、全愛会議理事長)、福田進(防共挺身隊)、山陰探月、別城遺一らと加入。革新勢力への選挙妨害や減票工作を事とする議擁同の公認、或いは推薦で直接立候補する機会は無かったが、概ね清水と同一選挙・同一選挙区で共闘していた。 『世界連邦推進委員会書記長』『世界政府創設委員会書記長』『世界連邦推進全国協議会事務局長』『世界連邦創始者』『世界人類仲よし会代表』等と称し、国政選挙や東京都知事選挙に30余年挑戦。それらの総てで下位落選し、供託金を没収された。 1983年の第13回参議院議員通常選挙では、確認団体になった『日本国民政治連合』の公認候補に、杉本一夫と福田拓泉の仲介で応集。深作清次郎、石川八郎らと東京都選挙区から集団出馬している。 世界連邦推進、反戦・平和、核廃絶、軍拡反対、政界浄化、公明選挙、税制改革、福祉の充実、国民生活の安定等、穏健かつリベラルな政策を掲げていたものの、街宣右翼や総会屋に政治活動の面倒を見させるなど、清濁併せ呑む一面もあった。これは『日本世直し党』の重松九州男も同様であった。 選挙公報は終生自筆で綴られ、「丁稚の小僧を振出しに…」で始まる略歴に、若き日の苦労を忍ばせた。 南が最後に出馬した選挙の翌1992年4月1日をもって、政治資金規正法第17条第2項(収支報告書の未提出)により、『世界連邦推進委員会』は政治活動のための寄附の支出または受領が認められなくなった。 ^ 『参議院議員選挙の記録』東京都選挙管理委員会、1968年、145頁。 ^ 『官報』第97号、大蔵省印刷局、1992年7月3日、号外、55面。 清水亘 有田正憲 杉本一夫 福田拓泉 重松九州男 泡沫候補 20世紀日本の実業家 日本の政治運動家 衆議院議員総選挙の立候補経験者 参議院議員通常選挙の立候補経験者 東京都知事選挙の立候補経験者 第一三共の人物 早稲田大学出身の人物 香川県出身の人物 1912年生 没年不明 書きかけの節のある項目 すべてのスタブ記事 人物関連のスタブ項目 政治関連のスタブ項目
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