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林家たい平の情報 (はやしやたいへい)
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林家 たい平さんについて調べます

■名前・氏名
林家 たい平
(はやしや たいへい)
■職業
落語家
■林家たい平の誕生日・生年月日
1964年12月6日(年齢59歳)
■出身地・都道府県
埼玉出身

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林家たい平

林家 たい平(はやしや たいへい)さんの誕生日は1964年12月6日です。埼玉出身の落語家のようです。

人物、芸歴などについてまとめました。テレビ、趣味、卒業、現在、ドラマ、家族、結婚に関する情報もありますね。

林家 たい平(はやしや たいへい、1964年〈昭和39年〉12月6日 - )は、日本の落語家、タレント。埼玉県秩父市出身。落語協会所属、所属事務所は株式会社オフィスビーワン。武蔵野美術大学客員教授。本名は田鹿 明(たじか あきら)。

演芸番組『笑点』(日本テレビ系列)の大喜利メンバー。出囃子は『ぎっちょ』(「ドラ落語」の際は『夢をかなえてドラえもん』)。定紋は『花菱』(「ドラ落語」の際は『鈴』)。趣味はゴルフ。

埼玉県秩父市出身。姉と兄が居る末っ子。実家はかつてテイラーメイドの洋服店を営んでおり、かつては実母が駄菓子店「駄菓子屋たい平」を、実兄がうどん店「うどん亭たじか」を経営していた。洋服店時代は店内において落語の寄席が催されたことがある。

秩父市立花の木小学校、秩父市立秩父第二中学校、埼玉県立秩父高等学校を経て、1987年に武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。大学の先輩に六代目柳家つば女がいる。大学2年の時には石川英輔に学んだ。

1988年8月に林家こん平に入門。高座名の「たい平」の名付け親は師匠のこん平であり、当初の読みは「たいぺい」だった。こん平曰く「外国人にも語呂的に伝わりやすい」という理由だったが、大師匠初代三平の妻である海老名香葉子から「"たいへい"の方が良いのでは」という意見があり、これを経て「たいへい」に決まった。なお、こん平は弟子入りをすぐに認めたわけではなく、海老名家で1年間の住み込み修行をさせた上で、正式に弟子入りを認めている。また、弟子入り後も海老名家での修行は続き、合計6年半にも及んだ。

1992年5月、三代目横目家助平、古今亭菊若と共に二ツ目に昇進。1993年、北区若手落語家競演会で優勝・NHK新人演芸大賞で優秀賞を受賞。1999年、花形演芸賞で銀賞受賞・彩の国落語大賞を受賞。

2000年3月、柳家喬太郎と共に抜擢で真打昇進。実際には前年にも真打昇進の話があったが、こん平から「飛び越してしまう先輩の人数が多く、後々あまりいいことがない。みんなに祝福されて真打になったほうがいい。あと1年待って、もっと実力をつけてからなったらどうだ?」と言われたことを受けて、その1年間を落語の稽古に充てた。結果的に言葉通り、その翌年に真打に昇進できた為、たい平は「師匠の言う通りにして本当によかったなと思います。やっぱり師匠の見抜く力というのはすごいなあと思いました」と述懐している。

2004年12月26日放送分よりこん平の代役として『笑点』の大喜利に出演。三遊亭小遊三以来21年ぶりの新顔で、若手大喜利出身メンバーでは古今亭朝次以来24年ぶりの新顔である。2006年、こん平の降板に伴い5月21日放送分より『笑点』大喜利のレギュラーメンバーに昇格。2008年、平成19年度芸術選奨大衆芸能部門文部科学大臣新人賞を受賞。2010年、武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科客員教授就任。2014年6月、落語協会理事に就任。2016年5月29日放送の『笑点』にて、同年の『24時間テレビ39「愛は地球を救う」』(日本テレビ系)のチャリティーマラソンランナーを務めることが発表され、同年8月28日には3か月前に『笑点』の司会から勇退した桂歌丸の本名「椎名巌」にかけて設定された100.5キロメートル(いわおGO)の道のりを完走した。放送直後の『行列のできる法律相談所』に生出演した際には、マラソンに備えて体重を10kg落としたことなど裏話を語ったほか、自身が大ファンという女子プロテニス選手の伊達公子や特撮テレビヒーローのミラーマンがご褒美ゲストとして駆けつけ、たい平へのプレゼントをそれぞれ手渡した。これ以降はマラソンを新たに趣味としており、地方で行われるマラソン大会にも何度か出場している。

2017年11月29日、自身が『木久蔵ラーメン』に対抗して制作した『秩父たい平カレー』が発売された。2018年12月2日から3日に開催された秩父夜祭にて、屋台の上に乗り曳き手を鼓舞する囃子手を務めた。

2019年3月、長男・咲太朗 がたい平の二番弟子として入門(前座名は「さく平」)。2020年4月 - 自身のYouTubeチャンネルを開設。8月には落語協会理事から、落語協会常任理事に昇格。

2022年1月23日、新型コロナウイルスに感染したことを公式ブログで発表。

2022年7月22日、実家をリフォームして1階を「だがしやたい平」と兄が営む整体院、2Fを「たい平美術館」(予約制)としてオープンさせた。

人物

言霊群団「夢吽空」団員。「駄句駄句会」同人、俳号は「中瀞ちゅうとろ」。血液型はB型。本名は田鹿明(たじか あきら)。

芸名にちなみ、手ぬぐいや色紙・著書などに鯛の絵柄をよく用いる。愛称は「たいちゃん」。これは、たい平の師匠であるこん平の愛称「こんちゃん」に由来する。

生まれ故郷の秩父に愛郷心を抱いている。『笑点』(日本テレビ)でも時々挨拶の際に、秩父でのイベント情報などを盛り込んで秩父のことを紹介しており、毎年11月下旬には翌月開催の秩父夜祭を大々的にPRしており、参加の様子は派生番組の『笑点 特大号』で放送されている。2009年に俳優の藤原竜也、演歌歌手の冠二郎、THE ALFEEの桜井賢と共に秩父市の観光大使に任命された。『笑点』の大喜利では大月秩父代理戦争ネタを三遊亭小遊三と展開していたが、2010年6月6日に大月市で行われた独演会では、秩父市長・久喜邦康と小遊三と同窓の大月市長・石井由己雄も交えてトークバトルが行われた。さらに、同年10月24日には、「第2弾」として、秩父市で両市長も交えたトークバトルが行われた。

落語家を志すきっかけは、大学に入学した際に立ち寄った落研サークルが当時は廃部寸前だったため、何とかしなければと友人数名を集めて廃部を撤回させたことにある。落研サークルでの高座名は「遊々亭迷々丸(ゆうゆうてい めめまる)」。その当時は落語を観たことも聴いたこともなかったために漫才やコントをやっていたが、ある時たまたまラジオで流れていた人間国宝・五代目柳家小さんの『粗忽長屋』を聴いて感動し、真剣に落語を始めた。その後、大学4年生の時に宮城県石巻市の高齢者介護施設で落語を披露し、聞いていた老人たちの笑顔に励まされ、日和山の桜の木の下で落語家になることを決意した。

武蔵野美大出身という学歴を活かし、著書や自身のCDの挿絵を自ら担当するなど画才でも知られる。また、同じく絵を描くことで知られている林家木久扇の絵のアシスタントをしていたことがある。

日本テレビ系列の長寿番組『笑点』に、2004年12月26日放送分から病気療養のために休演した師匠こん平の代役として出演。後にこん平司会者だった五代目三遊亭圓楽の勇退と同時に正式メンバーとなり、現在も出演を続けている。

2006年2月18日に放送された、深夜番組『歌スタ!!』(日本テレビ)のスペシャル版『ハンター全員出席! 各界うたいびとガチガチデビューSP』に出演。BEGINの『恋しくて』を歌い、ウタイビトハンターが合格を意味する“よろしく”の札を上げた。その後『笑点』の大喜利で、挨拶や答えの機会を利用して『歌スタ!!』での合格や出演、歌手デビューについて宣伝した。古典落語の『芝浜』にヒントを得た『芝浜ゆらゆら』(作曲・編曲:マシコタツロウ)でCDデビュー(2006年10月18日にコロムビアミュージックエンタテインメントから発売)。2006年10月14日・21日(再放送)放送の『BS笑点』(BS日テレ)では、たい平司会のコーナー「使ってみよう! 落語ことば」の時間を利用して1コーラス披露した。『笑点』の司会者(当時)・桂歌丸からはそれをネタにされ、「あのね、歌のCDなんか出さずに落語のCD出しなよ」と言われているが、落語のCDはすでに複数リリースしている。

『芝浜』の舞台設定などを現代風にアレンジした『SHIBAHAMA』という自作もあり、文化放送で『芝浜』のラジオドラマが制作された際にはアドバイザーを務めている。

2006年10月に登場した日本テレビのマスコットキャラクター「日テレちん」の声を担当していた。

2007年4月から尚美学園大学総合政策学部ライフマネジメント学科の非常勤講師を、2010年4月から母校である武蔵野美術大学(本人曰く「ムサビ」)の客員教授を務めている。

デビュー当時からのサザンオールスターズのファンであり、中学生の頃から桑田佳祐の物真似をしていた。桑田の60回目の誕生日にあたる2016年2月26日には、日経トレンディネットの企画で『林家たい平が選ぶ「カラオケで、車のなかで、桑田佳祐と一緒に歌いたい」20曲』を発表した。夏樹陽子のディナーショーにゲスト出演し『いとしのエリー』を歌唱した際には、パーカッションの野沢秀行が客席におり、たい平の桑田の物真似を「デビュー当時の歌い方に似ているよ!」と評価していたことが後日談として語られている。

家族は同年齢である妻の田鹿千華と2男1女。長男の咲太朗は2019年3月にたい平の元に弟子入りし、「林家さく平」の高座名を授け2020年9月に落語協会前座となった(後述)。

『笑点』でも東日本大震災から半年後の2011年9月11日に「笑点がやってきた!」という宮城県石巻市の復興特集を行ったことがあり、石巻市立大街道小学校での収録をたい平自身も木久扇・春風亭昇太・山田隆夫とともに参加した。

2008年夏には子供を連れて靖国神社のみたままつりを訪れたことを自身のブログで報告している。

たい平は自身の私邸を新築する時に自ら希望して囲炉裏部屋を拵えた。その囲炉裏を囲んで子供たちと会話する時間を大切にしているという。

著書『笑点絵日記』でも記されている通り、たい平は子供の頃から『笑点』の大ファンだった。その中での"林家こん平"が強烈に印象に残っていたこともあり、こん平に弟子入りしたとのことである。

演芸コーナーで若手大喜利が行われた時代から出演していたメンバーでもある。1998年7月に山田隆夫が4週間休んだ際、大喜利下克上(若手大喜利)にてMVPに選ばれ、1週のみ(第1623回の7月12日)山田の代わりに座布団運びを務め、師匠のこん平と師弟での共演を果たした。その後1999年の正月特番で行われた師弟大喜利でも、師弟での共演が実現。『笑点Jr.』にも、『BS笑点』時代から出演していた。

先述通り、2004年12月26日放送分よりこん平の代役として、若手大喜利から選抜されて大喜利に出演。初出演の挨拶では緊張のあまり、「たい平で〜す」と言うべきところを「こん平で〜す」と言ってしまった。当初は「復帰まで師匠の座席を死守しなければ」という思いで臨んでいたが、後にこん平が治療に専念するために番組を降板することとなり、2006年5月21日放送分からこん平の後任として正式なメンバーに昇格した。

2005年6月12日放送分で5代目圓楽に自分の名前を忘れられたことがあり、その後このネタがたい平の冒頭の挨拶や大喜利のネタなどで使われるようになった。5代目圓楽はたい平の「外国人パブ」「モノマネ」など『BS笑点』時代からの持ちネタを試行錯誤の末に確立させたことについて、「独自の芸風を確立してよくなってますね」と評価していた(笑点の40周年記念ムック本)。

4代目司会者の5代目三遊亭圓楽が療養のため休演した際、大喜利メンバーが週交代で代理司会を担当していた(2005年11月27日放送分以降は歌丸で固定)が、「自分は、(当時は)あくまで師匠・こん平の代理として出演していており、師匠を差し置いて司会を務めることは出来ない」という本人の意向により、当時の大喜利メンバーの中でたい平のみが司会を務めなかった。レギュラーメンバー昇格後の2008年6月29日放送分で歌丸が一時休演した際に、初めて大喜利の代理司会を務めた。本人はこの時、「ターボが回転しすぎて、収録後に鼻血が出た」と語っている(笑点オフィシャル本より)。後に歌丸が休演した2015年2月1日と同年8月16日放送分においても代理司会を担当した。

2010年の正月特番では、「親子大喜利」コーナーで次男とペアを組んだ。また11月に行われた甥の結婚披露宴では、新郎新婦を祝福する挨拶をシャレを交えて行っている。

歌丸が正式な司会に就任後「(回答形式で必要な物以外の)歌・ものまね禁止」と述べているが、その発端は大概たい平である。

以前は師匠のこん平の流れで「山田降ろしネタ」などが多く、5代目圓楽司会時には山田に突き飛ばされたり、座布団をすべて没収されていたが、歌丸・昇太が司会を務めてからは、報復こそされるものの山田が没収した分+1枚(時には2枚以上)を獲得することが多い。最近は三遊亭小遊三との地元罵倒合戦(大月秩父代理戦争)や恐妻家ネタ、「秩父○○祭り」、6代目三遊亭円楽とのブラック団ネタ(お互い自分の師匠に対して毒を盛って現在の笑点の利権を得た)、など他のメンバーとの絡みも多くなっている。ほか、「花火」のものまねのような、アクションの派手なギャグも得意としている が、たいていこれらのネタを披露すると座布団を2枚以上から全部、時には他のメンバーまでも巻き込んで剥奪されるのが定番となっている。『秩父たい平カレー』を発売(発表)してからは、木久扇(『木久蔵ラーメン』や『木久扇ナポリタン』など)と互いの商品を罵倒し合うことが多くなっている。また、その時々の流行 や政治・経済を取り上げる社会派ネタも行っている 司会者である春風亭昇太が未婚時代の時は未婚ネタを使っていたが、2019年に昇太が結婚してからは「何かあったのか劇場」で離婚秒読みなどをネタにしている。昇太の言う事を聞かない「学級崩壊」でリーダー的存在で、座布団運びの山田を分回ししたり、舞台の袖に行って大量の座布団を持ってきて「10枚獲得なりました!」(無論司会の昇太が許すはずがなく全座布団はく奪)になっている。

2004年にこん平の代理としてメンバー入りしてから、こん平が座っていた一番右端の6枠に18年の長きに渡って座っていたが、2022年に桂宮治が加入したのに伴い、既存メンバーの席替えも30年振りに行われ、林家木久扇が座っていた3枠に移動した。

林家木久扇最後の大喜利で、前座修行を終えて仕事がなかった時に当時の林家木久蔵から「(私の)家に来て絵の手伝いをしたらどうか?」と言ってもらう。また三食付きだったが、三食共木久蔵ラーメンだった事を語る。

芸歴

1988年8月 - 林家こん平に入門。

1992年5月 - 二ツ目昇進。

2000年3月 - 真打昇進。

2004年12月 - こん平の代役として『笑点』の大喜利に出演開始。

2006年 - こん平の正式降板に伴い、5月21日放送分より代役から『笑点』大喜利のレギュラーメンバーに昇格。

2024/05/10 02:34更新

hayashiya taihei


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