しばたはつみの情報(しばたはつみ) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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しばた はつみさんについて調べます
■名前・氏名 |
しばたはつみと関係のある人
ちあき哲也: しばたはつみ 木森敏之: アルバムでは加藤登紀子の『いく時代かがありまして』(1975年)、森田童子の『グッド・バイ』(1975年)、ツイストの『ツイストII』編曲(1979年)、中村雅俊のLP編曲(1980年、ロスアンゼルス録音)、しばたはつみのLP編曲(1981年、ロスアンゼルス録音)、ニコ・ラムズデンのアルバムプロデュースおよび編曲(1981年、ロスアンゼルス録音)、ジミー・オズモンドの日本制作アルバムプロデュースおよび編曲(1981年、演奏はロックバンドのSHŌGUN)、中原めいこの『ココナッツハウス』(1982年)、渡辺徹の『Talking』(1983年)、田中健 の『Amazing』(1983年)などがある。 五木寛之: 凍った河(作曲・編曲:都倉俊一/歌:しばたはつみ 1976年 ) 五木の同名小説が原作のNHK銀河テレビ小説『凍河』(放映1976年2月16日-3月5日)の主題歌。 山川啓介: しばたはつみ 木森敏之: しばたはつみ「Show Me The Way」「最終夜行列車」(作曲・編曲) 深町純: しばたはつみ「ブルー・ジョーク」(1979年) 来生たかお: そんな中、しばたはつみに提供した「マイ・ラグジュアリー・ナイト」(1977年7月10日リリース)がヒットする。この曲は、小林亜星、筒美京平等のベテラン作家陣が参加した東洋工業(現:マツダ)のCM楽曲コンペのために書かれたもので、来生姉弟は、無名の自分達の作品が選ばれることはないだろうと思っていたものの、参加14曲中、最後の2曲に残り、最終的にしばたはつみ自身が選んだことにより、栄冠を勝ち取った。 大野雄二: しばたはつみ:「シンガー・レディ」 大野雄二: 1975年には、しばたはつみの「シンガー・レディ」を作曲した。 来生えつこ: しばたはつみ 三木たかし: しばたはつみ 白船睦洋: しばたはつみ 荒木とよひさ: しばたはつみ「TWILIGHT たそがれ」 松木恒秀: しばたはつみ「シンガー・レディ」 白船睦洋: しばたはつみサポートバンドのオーディション合格を機に東京での活動を開始する。 山木幸三郎: しばたはつみ 江美早苗: しばたはつみ やまがたすみこ: 同シリーズからは他に松原みき、しばたはつみ、佐藤奈々子、当山ひとみ、尾崎亜美などの音源がリリースされている。 林哲司: しばたはつみ 松本伊代: 「マイ・ラグジュアリー・ナイト」のヒットで知られる歌手のしばたはつみははとこで、遠縁にあたる。 川口真: しばたはつみ「サイレント・トーク」 クニ河内: しばたはつみ「ブルースを唄う女」(曲・編曲) 来生たかお: 歌手活動と同時に、姉・来生えつことのコンビを主軸に作曲家としても活動しており、「セーラー服と機関銃」(歌唱:薬師丸ひろ子)、「スローモーション」「セカンド・ラブ」(歌唱:共に中森明菜)、「シルエット・ロマンス」(歌唱:大橋純子)、「マイ・ラグジュアリー・ナイト」(歌唱:しばたはつみ)など、日本ポピュラー音楽史上に残るスタンダードナンバーを数多く送り出している。 |
しばたはつみの情報まとめ
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しばた はつみ(しばた はつみ)さんの誕生日は1952年4月11日です。東京出身の歌手のようです。
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賞歴、ディスコグラフィなどについてまとめました。姉妹、卒業、テレビ、ドラマ、映画に関する情報もありますね。57歳で亡くなられているようです。
しばたはつみのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)しばた はつみ(しばた はつみ、1952年〈昭和27年〉4月11日 - 2010年〈平成22年〉3月27日)は、日本の歌手。旧芸名ははつみかんな、麻まにか。父はジャズピアニストの柴田泰。身長157cm。 東京都新宿区出身。一人っ子。父はピアニスト、母はヴォーカリストという音楽的に恵まれた環境に育った。松本伊代とは再従姉妹(はとこ)同士である。9歳のころから米軍キャンプの将校クラブで歌い始め「スマイリー小原とスカイライナーズ」の専属歌手になった。67年、15歳のときにはファッション・メーカーのCMソングを歌う。また、丸善石油(現・コスモ石油)のCM『OH! モーレツ』(出演は小川ローザ)のCMソングも彼女が歌っている。1968年に「はつみかんな」として「乙女の季節/B面:恋と海と太陽と」でビクターからデビュー。 数曲リリースの後はヒットに恵まれなかったが、立正学園高等部卒業後、両親の許可がようやく下りた20歳から2年間アメリカで暮らす。 帰国後、1974年に日本コロムビアから「しばたはつみ」としてシングル「合鍵」で再デビュー。その後、ジャズ、ソウル/R&B、ロック、ポップとあらゆるジャンルの歌を歌いこなすようになる。 70年代にはジャズピアニストの世良譲に師事。アルバム「ブルースを唄う女」(1975)も好評を博した。洗練された歌番組『サウンド・イン"S"』(TBS)にはサブ司会としてレギュラー出演。同番組の司会を務めた伊東ゆかりも小学生のころから歌手として歌っており、しばたはつみと境遇が似ていた。1977年、「マイ・ラグジュアリー・ナイト」がオリコンチャート17位のヒットとなり注目される。同年、第28回NHK紅白歌合戦に初出場。 以後、テレビ出演のほか、ジャズヴォーカリストとしてライブ・コンサートを中心に活動する。日本だけでなく、アメリカほかの国々も含め、年間100ステージもこなす活発な歌手活動を展開した。 2010年3月27日、急性心筋梗塞で死去。57歳没。 賞歴1968年 - 第1回新宿音楽祭 金賞(はつみかんな) 1975年 - 第1回スペイン・マジョルカ音楽祭 準優勝・シンパティコ賞 1975年 - 第4回中野サンプラザ音楽祭 審査員奨励賞 1975年 - 第4回東京音楽祭国内大会 ゴールデンカナリー賞 1975年 - 第4回東京音楽祭世界大会 銅賞・外国人審査員団賞 1977年 - 第9回テレビ大賞 特別賞『サウンド・イン"S"』 1981年 - 第10回東京音楽祭世界大会 最優秀歌唱賞 1996年 - 第12回日本ジャズヴォーカル賞 大賞 ディスコグラフィシングル※すべて7インチレコードにて発売。 ※しばたはつみ名義のシングルは、MEG-CD でも発売されている。
アルバム
※ すべて日本コロムビアより発売。
※ すべて日本コロムビアより発売。 マイ・ラグジュアリー・ナイト ベスト16(1977年、PX-7038) ベスト・アルバム 夜はドラマチック(1978年、PX-7066) ベスト・ヒット(1979年10月、PX-7090) ベスト・アルバム 1974-1981(1981年、AX-7334) バラード(1982年、AF-7158) オール・ソングス(1984年) ベスト・コレクション(1985年、AX-7431) Wデラックス(1987年) アンコール・ベストシリーズ アンコール!!ヒットグラフティ(1991年) ベスト・セレクション(1993年) コロムビア音得盤シリーズ(2003年) しばたはつみ・しんぐるこれくしょん(2006年5月3日) しばたはつみ ゴールデン☆ベスト~マイ・ラグジュアリー・ナイト~(2010年8月18日) しばたはつみ ゴールデン☆ベスト~ジャズをうたう~(2010年8月18日、COCP-36297) Light Mellow しばたはつみ(2014年10月29日) しばたはつみ ゴールデン☆ベスト 〜シングル・コレクション〜(2017年7月26日、COCP-40056)- 高音質CD「UHQCD」採用。ボーナス・トラック「小さな瞳」収録。 その他ムッシュ神戸(1981年3月30日)作詞:藤田恵子、補作詞:山口洋子、作曲:小曽根実、編曲:前田憲男
タイアップ
2024/06/14 22:26更新
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shibata hatsumi
しばたはつみと同じ誕生日4月11日生まれ、同じ東京出身の人
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