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ブル中野の情報 (ぶるなかの)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

ブル中野の情報(ぶるなかの) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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ブル中野さんについて調べます

■名前・氏名
ブル中野
(読み:ぶるなかの)
■職業
格闘家
プロレス
■ブル中野の誕生日・生年月日
1968年1月8日 (年齢56歳)
申年(さる年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
埼玉出身

(昭和43年)1968年生まれの人の年齢早見表

ブル中野と同じ1968年生まれの有名人・芸能人

ブル中野と同じ1月8日生まれの有名人・芸能人

ブル中野と同じ出身地埼玉県生まれの有名人・芸能人


ブル中野と関係のある人

ダンプ松本: のちに加わり一番弟子となるブル中野らとヒールのタッグチームを組み、人気沸騰中だった正規軍「クラッシュギャルズ」(ライオネス飛鳥と長与千種が当時結成していたコンビ名)との抗争を繰り広げ、女子プロレスを大いに盛り上げた。


ダンプ松本: ダンプの思惑通り、引退後は観客動員数が激減したとブル中野やアジャ・コングら後輩選手が語っている。


豊田真奈美: 7月21日 ジャパン・グランプリ優勝者として、大田区体育館のメインイベントでブル中野の保持するWWWA世界シングル王座に挑戦。


大森ゆかり: 後輩のブル中野は「ずば抜けて顔めちゃくちゃ綺麗だった」と証言している。


神取忍: 1994年、アメリカから帰国したブル中野とのチェーンデスマッチに挑む。


松浦理英子: また女子プロレス愛好家であり、特にブル中野のファンである。


風間ルミ: ゲストとしてブル中野、天龍源一郎、北斗晶が来場し挨拶をしている。


アジャ・コング: 若手時代はブル中野率いるヒール軍団「獄門党」の一員であり、新人時代は「極悪同盟」のメンバーで中野の付き人を担当していた。


北斗晶: 7月15日 大田区体育館でブル中野の保持するCMLL選手権に挑戦。


豊田真奈美: ブル中野のYouTubeチャンネルぶるチャンネルに3回に渡り出演し、全女時代、現在について語った。


渡辺智子: その後、ブル中野が率いる『獄門党』に加入。


脇澤美穂: プロレス引退後は芸人のほかにブル中野の経営するBAR中野のぶるちゃんでも働いている。


みなみ鈴香: 公式の引退試合終了後、「ちょっと待った!もう1試合、お願いします!」とヌンチャクを持ったブル中野が登場、さらには北斗晶がサプライズ出場し、固く抱き合った。そして、短時間ながら海狼組を再結成し、ブル中野&堀田祐美子組と3分間のエキシビション・マッチを行う。


ダンプ松本: 極悪同盟のメンバーは、ブル中野・コンドル斉藤・ドリル仲前・影かほるなど。


三田英津子: 現役時代に習得したヘルパーの資格を生かして、レスラー引退後は介護福祉の仕事に就いて両立しながら、全女時代の先輩ブル中野が経営するバー「中野のぶるちゃん」で非常勤スタッフとして働き、中野からは『ETSU姫』『えっちゃん』の愛称で呼ばれ、プライベートでも大変可愛がられており中野のブログ内でも頻繁に登場している。


ダンプ松本: 1987年の春、ブル中野や小松美加、コンドル斉藤、北斗晶が、年長の先輩から理不尽ないじめや厳しい指導に対する不満を抑えきれず、青森県八戸市の地方興行中に集団で脱走し、翌日全女の寮へ戻った。


三田英津子: 2014年10月12日に新国立劇場で開催された、第5回明るすぎる劇団・東州定期公演にて、演目「アレー人」に、ブル中野、山田敏代らと、本人役として出演した。


高橋奈苗: 高橋の全女の先輩に当たるブル中野のYouTube「ぶるちゃんねるBULLCHANNEL」にゲスト出演。


ダンプ松本: 現地でもブル中野とタッグを組み3月8日にボストンのボストン・ガーデンでベルベット・マッキンタイヤー&ドーン・マリー組と、同月16日にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでマッキンタイヤー&リンダ・ゴンザレス組と対戦している。


ダンプ松本: ブル中野はアジャとの対談にて、アジャとの距離を縮めたいがためダンプから故意にからかわれたり弄られていたと証言している。


キューティー鈴木: 26、27日には尾崎と共にアメリカ、バージニア州でのWCWの試合に遠征、ブル中野、北斗晶組と2連戦をこなす。


みなみ鈴香: 10月9日 東京ベイNKホールの「レッスル・マリンピアード'93」では、堀田祐美子とのタッグで全女初登場となるレジー・ベネットと組んだブル中野組と対戦。


山田敏代: 同年6月からは先輩のブル中野が経営するBAR『中野のぶるちゃん』のスタッフとなった。


けーすけ: 2019年9月1日、ブル中野の推薦により、ベストボディジャパンプロレスのNEW PIER HALL大会でのアントニオ小猪木&中邑珍輔戦でプロレスデビュー(パートナーは澤木一貴)。


みなみ鈴香: タッグリーグ・ザ・ベスト'93では、ブル中野と組んで出場。


北斗晶: 4月28日、29日 - 北朝鮮で行われた『平和のための平壌国際体育・文化祝典』に出場する(北斗の他の全女代表はブル中野、豊田真奈美、吉田万里子)。


愛川ゆず季: 1月7日、ブル中野引退興行のメインイベントに抜擢され、志田光と対戦。


三田英津子: 2014年12月末、ブル中野が経営する『中野のぶるちゃん』年末会で、三田の現役時代からのファンで中野のぶるちゃん常連客の12歳下の一般男性と入籍した事を報告した。2015年4月4日に挙式披露宴を行い大先輩ブル中野や師匠の北斗晶、同期で親友の山田敏代、下田美馬、豊田真奈美、後輩の井上京子、吉田万里子、沼田三絵美、チャパリータASARI、納見佳容、旧姓広田さくらなども出席した。


小倉由美: その後も小松とのタッグでファイヤージェッツからWWWA世界タッグを奪取しジャンピング・ボム・エンジェルスや外人ペアから防衛しその後敗れはしたもののクラッシュギャルズの挑戦を受けるなどして活躍したが1990年12月8日、後楽園ホールにて同期生ブル中野と引退試合(5分エキシビション)を行う。


神取忍: 2021年7月14日にYoutubeぶるちゃんねるBULLCHANNELにアップロードされた動画中で、神取本人はブル中野を相手にさらに詳細なところを述懐した。


ブル中野の情報まとめ

もしもしロボ

ブル中野(ぶるなかの)さんの誕生日は1968年1月8日です。埼玉出身の格闘家
プロレスのようです。

もしもしロボ

得意技、タイトル歴などについてまとめました。引退、結婚、卒業、現在、テレビ、事件、映画に関する情報もありますね。今年の情報もありました。ブル中野の現在の年齢は56歳のようです。

ブル中野のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

ブル中野(ブルなかの、1968年1月8日 - )は、日本の元女子プロレスラー、プロレス解説者、タレント、YouTuber。愛称:ブルちゃん、ブル様。本名:青木 恵子(あおき けいこ)、旧姓:中野。東京都出身、埼玉県川口市育ち。

米国のWWF世界女子王座を日本人で初めて獲得。他にWWWA世界シングル王座獲得多数。1990年代、その頂点として君臨した。

引退後は渡米してプロゴルファーに挑戦するも挫折。格闘家との結婚後、東京都中野区で飲食店を経営し、美人ママとして度々メディアに出演した。

東京都北区赤羽出身。家庭の事情から転出が多かった。板橋区成増の小学校に通ったが、4年生時は神奈川県逗子市へ、5年生時に埼玉県川口市へ転出。川口市立芝東中学校を卒業した。メディアによって出身地の記載が異なる(埼玉県もしくは東京都)のはこの事情による。プロレスファンだった母の影響からプロレスを観ることは好きだったが、選手としての活動は不本意だったという。当時の全日本女子プロレス入門者のほとんどは女子のスターレスラーに憧れて入門したが、中野は母が好んだというアントニオ猪木に憧れていた。中学時代まで水泳と柔道に打ち込み、柔道の埼玉県大会では2位を獲得している。

1980年(中学校1年生時)、全日本女子プロレスのオーディションに合格し、入門を目指す練習生となる。このころは「歌って踊れるアイドルレスラー」になることを夢見ていた。1983年、全日本女子プロレスに入門。プロテストには二度不合格となり、三度目での正式入門だった。9月23日、埼玉県の戸田市スポーツセンター大会にて、本名である中野恵子でプロデビュー。中野vs柳下まさみ&小松美加組(3名ともデビュー戦)による1対2変則マッチ。女子レスラーとしては恵まれた身長(170cm)だが、入門当初はぽっちゃり体型で運動能力はとても低かった。それを人一倍の努力と練習により向上させていく。垂れ目で愛嬌のある顔立ちから新人時代の愛称は「パンダちゃん」 (長与千種や同期の仲間たちが命名)。新人のころから料理上手でレパートリーも豊富であったという。ヒール転向後のフェイスペイントは垂れ目を隠す目的もあった。

本名で活動する新人時代には、秋の1983年度新人王トーナメントにて優勝。また、メインイベンターであり新人時代から面倒を見てもらった長与千種の付き人になったり、1984年9月13日の戸田大会における全日本ジュニア王座の獲得など、同期の中では出世頭であった。その一方、ある同期をいじめた(ぶるちゃんねるでの小倉由美との対談では「小倉をいじめていた」旨の発言がある)ことにより全女内の風紀を乱していた。その結果、先輩レスラーたちに目を付けられ無視されたり、自身もいじめを受けるなど誰にも相手にされなかったという。また、「派閥があったりいじめがあったり、同期の中でも問題があったりみんな仲が悪かった」と中野自身がインタビューなどで語っている。新弟子時代は食料事情も劣悪だった。派閥の存在から男子のプロレス団体のように弟子たちがちゃんこ鍋を囲み食事をする機会がなかった。また、初任給5万円から寮費である5千円を引いた4万5千円でやり繰りし、人気のある先輩たちに差し入れられた食べ残しで空腹を満たすのが常だったという。三角コーナーに捨ててある切り落としたキュウリの端を食べるか否か葛藤するほど困窮していた。米飯に紅生姜を乗せただけという食事も多く、中野は紅生姜がトラウマになってしまったという。

そんな折、以前より中野を気にかけていたダンプ松本(のちの師匠)から「極悪同盟に入って私と一緒にやらない?」と声をかけられる。当初はヒール転向を厭忌していたため何度も断ったが、なんとか説得したいダンプによって松永高司会長のもとへ半ば強引に連行されてしまう。先輩には絶対服従であり、最終的には折れるかたちで極悪同盟へ加入。その後、ダンプから本格的に面倒を見てもらうようになり可愛がられたという。

ダンプは後年のインタビューにて「ベビーフェイス側からダンプが気に入った後輩一人を極悪側へ引き抜いてもいいよ」と全女の上役から提案があったことを明かした。また、「中野ともう一人気になっていた選手のいずれかに決めようと考えていた」とも語った。

極悪同盟加入後、1985年2月からダンプ松本にあやかり、中野恵子から「ブル中野」へリングネームを改名。パンクをモチーフとする明瞭なヒールの外観と、ヌンチャクを凶器に使用するというギミックに変更。こうして誕生したブル中野は、ダンプ松本、クレーン・ユウらと組んだヒール軍団「極悪同盟」での活動によってレスラーとして一気にブレイクを果たす。ユウの引退後に組んだダンプ松本とのタッグチームは、ベビーフェイスであるクラッシュギャルズとの抗争で人気を博し(このタッグチームは当時、米国のマディソン・スクエア・ガーデンでも再現されている)、全日本女子のメインイベンターかつトップレスラーとしての地位を確立。同時期、給料のほとんどを体格を大きくするための体重増量に費やしていた。その過程において、92kgからなかなか体重が増えず、男性ホルモン剤の注射などで100kgに到達させている(のちのWWE遠征時には体重を90kg台に落とした)。2018年の取材では92kgから100kgへの増加にアナボリックステロイドを使用したと明かした。

ヒール転向は中野の志望ではなく、上役からの指示だったため、極悪同盟入門当初はヒールに徹しきれなかったという。中野の悩みを汲み取ったダンプは、ヒールレスラーとしてキャリアを重ねる覚悟を決めさせようと、九州巡業の控え室にて「今日からモヒカン刈りになって私(ダンプ)のパートナーになれ!」と突然語気を強めた。つづけて「でもまだ半人前だから半分切ればいいや」と中野の左側の髪をバリカンで剃り落としてしまう。中野はその後、ホテルの部屋で一人号泣したとのちのインタビューや著書などで語った(ダンプによれば、ダンプのパートナーだったユウが同時期にレフェリー転向が決まり、今後は中野とパートナーを組み極悪同盟を継続させるためにやむなく断髪したという)。中野はこの髪型がきっかけで、当時密かに交際中だった男性と別れている。また、「もう女性として生きることをやめ、プロレスの世界で生きる」と覚悟を決め、「はじめてプロレスラーになれたのはこの瞬間」と述懐した。右側の髪を残したこのモヒカンスタイルは獄門党(後述)の初期まで継続された。

1988年のダンプ引退後(のちに復帰)は、自身をリーダーとした "獄門党" を結成。グリズリー岩本、アジャ・コング、バイソン木村らの実力派を従えヒールの頂点として活動。以降は青に染髪し、ロックバンド『BUCK-TICK』からヒントを得た逆立てヘアをトレードマークとした。クラッシュギャルズ引退後の1990年1月4日、後楽園ホールで行われたWWWA世界シングル王座決定トーナメントにて西脇充子を下し優勝、第37代王者に輝く。以後およそ3年間にわたりチャンピオンとして全日本女子プロレスの屋台骨を支え、その強さから "女帝" と呼ばれるようになる。

極悪同盟を引き継ぐかたちで獄門党結成後、しばらくしてマスコミからダンプについて質問された際、「あんな奴と一緒にするな。あいつはただ竹刀を振り回していただけだろ。あたしにはプロレスの心があるんだよ!」と言い放った。その言葉どおり、過剰に凶器へ依存しない、技の凄みや説得力で勝負するヒール像を作り上げた。レスラーとして一線を引いた後も、ダンプに対し「悪い見本」「あのまま(ダンプが引退せずに)いたら、私は絶対に勝てた」と述懐している。師匠であるダンプの世話になったことを感謝する発言はみられたが、ダンプを前にしてもなおレスラーとして技を評価することはなかった。しかし、「極悪同盟に加入してからは、ダンプさんが引退するまで毎回すべての飲食代を支払ってもらって自分のお金を出した事は一切なくて、デビュー2年目以降は食べることには全く苦労しなくなったのでとても感謝している」「ダンプさんは練習嫌いで練習している所を見たことがない(笑)」「ダンプさんに教わったことで一番役に立ったのは(引退後に自身の店を開くきっかけにもなった)酒を教えてくれたこと」「ダンプさんの試合は基本的に技などで戦うものではなくて、ヒールレスラーの王道でもある凶器攻撃でお客さんに魅せるものだったけどそこがまた上手くて凄かった」と語っている。ダンプが引退する際、共に引退しタレントとして芸能活動しようと勧誘されている。中野は全女でのトップを目指していたため断ったところ、「ダンプさんにその日から引退まで全く口を聞いてもらえなかった(笑)」という。

その後20年にわたり、仕事場でダンプと顔を合わせた際に会話はするものの、行き帰りは無言になるなどダンプに対し心を閉ざすようになった。しかし、ぶるちゃんねるでの師弟対談(2022年)において「ダンプさんに謝りたい事がある」とし、「現役当時はプロレスの方向性や考え方の違いからダンプさんよりも実力が上だと度々言っていたが、偉大なダンプさんを越えたかったからそのような事を話していた」と涙ながらにダンプへ謝罪した。それを受けたダンプは、中野が極悪同盟時代から人知れず努力や練習を重ねてきたことを認識しており「ブルちゃんが獄門党では主に凶器攻撃の極悪とは全く違う、凶器を使わない実力のみの戦い方でプロレスをやりたかった事も解っていたから全然謝らなくてもいいよ」と語りかけた。

優れた実力によって、ヒールでありながら女子プロレス界の最高位を占め、ベビーフェイスがヒールを倒すという従来の対立構造を崩した。獄門党から配下のアジャ・コング、バイソン木村の両名からなる「ジャングル・ジャック」の独立を許し、ヒール対ヒールというかつてない対立構造を団体の中心に据えた。既存の女子プロレスにはない金網デスマッチやチェーン・デスマッチの敢行、巨体ながらムーンサルト・プレスやトペ・スイシーダなど宙を舞う華麗な空中戦法で、女子プロレスの歴史を塗り替える顕著な実績を残した。同時期に開始された他団体のトップ選手と戦う団体対抗戦は大いに盛り上がり、中野は善玉悪役を超越し会社の看板を背負い臨んだ。

1990年11月14日、横浜文化体育館にてアジャとの金網デスマッチを開催。金網ケージの頂上から放ったギロチン・ドロップによって、女子プロレスの枠を超え一気にブレイクを果たした。

1992年11月26日、川崎市体育館にてアジャに敗れ、WWWA世界シングル王座を失う。

1993年から米国のWWF(現WWE)へ長期遠征した。ルナ・バションをマネージャーに女子戦線のトップヒールとしてアランドラ・ブレイズと抗争を繰り広げた。中野はWWE世界女子王座を獲得した唯一の日本人レスラーである。一番多い月には28試合というハードスケジュールをこなした。米国の運転免許は未所持だったため、移動時には空港でレスラーと思しき男性を探して車に同乗していたという。新崎人生(白使)や佐藤昭雄(Shinja)のWWF加入後は、新崎らと行動を共にした。

WWEのRAW10周年イベントにて、ショーン・マイケルズが中野についてスピーチで軽く触れている。ジム・ロスは、『Unforgiven 2007』での実況中、ベス・フェニックスを「アメリカのブル中野」と評した。

1994年に帰国し、日本の女子プロレスシーンに復帰。神取忍とのチェーンデスマッチにて勝利を収めた(女子初のチェーンデスマッチはデビル雅美VSモンスター・リッパー)。神取は、中野がかつて試合で放った「高さ4mある金網の上からダイビング・ギロチンドロップ」を目の当たりにし「こんなすごいことをやれる女子プロレスラーが日本にいたのか」と驚嘆、それ以来ブル中野とのチェーンデスマッチを切望するようになったという。対戦を控えた神取は「お互い好き放題暴れられるよう、鎖を長めにしてほしい」と要望を出す。中野はこの申し出を快諾、神取の希望をほぼすべて了承して試合に臨んだ。中野は、その長いチェーンを脚部に巻き付けたダイビング・ギロチンドロップを放ち快勝。この技で神取は顔面を負傷したが、「ブルさんだからこそ、あれ(ギロチンドロップ)を躊躇なく私の顔面に落とした。本当に素晴らしい試合でお客も喜んでいたし、私にとってもベストバウトと考えている」と述懐している。

1996年、再び米国へ遠征。WCWでメデューサらと抗争を繰り広げた。同時期より「お前らが結婚して、子供作っても、ブル中野のプロレスを見せてやる」といったマイクパフォーマンスなど、いちヒールレスラーから、女子プロレス界のご意見番として善悪を超えた存在となっていく。

1997年、米遠征中に負った、左膝靭帯2本の断裂によりプロレスラーを引退引退後の2001年には、米国プロレス誌『Wrestling Observer Newsletter』選定の殿堂入りを果たした。

ヒールレスラーとして大きな成功を収めたが、本来の中野は温厚かつおっとりした性格の持ち主。ダンプをはじめ他の極悪同盟メンバー同様に後輩の面倒見がよく、現在でも多くの者から慕われる存在である。堀田祐美子、アジャ・コング、KAORU、影かほる、三田英津子、山田敏代、井上京子、井上貴子など、多くの後輩をプライベートでも可愛がっていた。北斗晶は、プロレスラーになる以前からブル中野のファンで、私設ファンクラブを立ち上げた経験をもつ。プロでは先輩後輩、のちにライバル関係となる二人だが、プライベートでは親友関係にあった。北斗の同期にあたる、後輩の神崎文枝とも親友として懇意にしていたという。

プロレスを辞めたのち、ゴルフへ専念する過程でダイエットを行い、50kgまで減量した。このダイエット体験をもとに、ハウツー本(後述)をのちに執筆している。テレビ番組『リングの魂』での企画にて、ダイエットスクールを開講したことがある。

2000年から単身渡米してフロリダ州オーランドにてゴルフ修行を開始。セカンドキャリアとしてプロゴルファーを目指す。当時、観光ビザで入国したが、アメリカ同時多発テロ事件以降は日米間の行き来が困難となり、英語学校の学生ビザを急遽取得する羽目になったという。その後、WWE世界女子王座を獲得した唯一の日本人レスラーという実績が認められ、異例ながらグリーンカードを取得。結局プロテストには通過できず、プロへの道を断念し2008年帰国した。現役時代から貯金していた数億円を渡米時に使い切ったと『しくじり先生 俺みたいになるな!!』およびインタビューなどで語っている。

2010年4月20日放送の『魔女たちの22時』にて10年ぶりとなるテレビ出演。同番組で紹介したダイエット法は、「青色」を部屋中に張り巡らせ、心理的効果により食欲を減退させるものだった。また帰国後、体重キープを目的に通いはじめたムエタイ道場にて15歳年下のキックボクサー兼ムエタイ選手の青木大輔と出会い、2010年2月14日に入籍したと同番組内で発表。交際中は、自分が「ブル中野」だとなかなか明かせず、プロポーズを受けるまで隠していた。中野の口から過去の経歴をまったく聞かされていなかった青木は、本名の『中野恵子』でネット検索し、中野が明かす以前に事実を認識していたようで「彼女がまさかあのブル中野だったとは全く思わなかった」と語っている。

2010年7月23日、小料理店「中野のぶるちゃん」を開店。その数か月後、小料理店を閉店。移転・リニューアルというかたちで2011年2月25日、「ガールズ婆バー・中野のぶるちゃん」を開店した。同店には全日本女子プロレスの後輩で中野がプライベートでも可愛がっている山田敏代や三田英津子、吉田万里子、脇澤美穂、玉田凛映、現役レスラーでは広田さくらなどがスタッフとして店を手伝った。

正式な引退試合および引退式などは行わなかったが、2012年1月8日(中野の誕生日)、東京ドームシティホールにて引退セレモニーを開催。「15年間プロレスから離れて、その後ゴルフで挫折してしまってからはブル中野という名前を使うのも人前に出るのも嫌だった。 結婚を機にこれからは前向きになって生きていこうと思い、それまで引退試合をしていないのが心残りだった」としたが、「怪我のため自身の試合は行わず、セレモニーのみとなった」との理由で引退セレモニーを行った。50kg台だった体重を現役当時の100kgほどまで戻しセレモニーに臨んでいる。その後は再びダイエットして60kg台にすると宣言した。

引退興行後は、アジャ&バイソン組との髪切りマッチ(パートナーは井上京子)から21年後となる1月11日、都内ホテルにて興行参加選手・関係者を招き断髪式を開催。招待者らが順にハサミやバリカンで断髪し、最後は丸刈りとなった。再びダイエットを開始し、運動・骨盤矯正・水素水の使用などを並行し半年間で32.5kgの減量に成功。

吉川晃司のデビュー当時からのファンである。彼の主演映画『テイク・イット・イージー』の相手役オーディションにも応募している。書類選考で落選したが、仮に合格していればプロレスラーを辞めるつもりだったという。

バー経営の傍ら、タレントとして芸能・講演活動を行った。プロレス業界との関係も継続され、FIGHTING TV サムライの女子プロレス中継では解説者を務めた。2012年3月20日夜のスターダム後楽園大会「ワールド・オブ・スターダム選手権試合」高橋奈苗(王者)vs里村明衣子(挑戦者)戦では立会人として参加。2013年10月1日、今井良晴追悼興行にて大会実行委員長を担い、ダンプが出場したメイン試合の場外乱闘では竹刀を手にダンプの加勢をした。2014年3月22日、大田区総合体育館で開催された長与千種プロデュース興行「That's 女子プロレス」では極悪同盟のセコンドとして参加。

引退セレモニー前後で体重を増減させたことを契機にダイエットとリバウンドを繰り返し、自力による減量が不能となった。現役時代から膝の過負荷により重度の変形性膝関節症を患う。2015年2月、膝の負担を軽減するため、胃の9割を切除して摂食量を抑制している。

2017年11月3日、エキシビションではあるが「豊田真奈美30周年記念興行~飛翔天女~豊田真奈美引退」1分間51試合興行の38番目として登場。スクールボーイで敗戦した 。

2019年3月2日、「中野のぶるちゃん」を閉店する。同年5月からは、山田敏代が跡地にて「中野のぱわすぽ」を開店。2020年4月12日、新型コロナウイルス感染症の影響もあり閉店した。

2021年4月1日、YouTubeチャンネル 「ぶるちゃんねるBULLCHANNEL」を開設。プロレス界の人脈を生かし、過去の名選手や現役選手へのインタビュー動画などを配信している。同年8月11日、新型コロナウイルスに感染し自宅療養していたことを自身のチャンネルで公表。20同年10月9日の配信では、大先輩であるマッハ文朱をゲストに迎え、往年のプロレス技である「コブラツイスト」を知らなかったと明かした。驚いたマッハによって、実際に技をかけてもらい体験している。

同年10月16日配信での企画「【酒豪レスラー2位】試合の痛みを忘れる為に、毎晩狂うように飲んでいた"あの選手"がランクイン」にて、当該レスラーが自身であることを明かした。現役時代からほぼ毎日飲酒を続けていたという。上述した胃切除手術後の経過観察にて、肝臓に関する検査数値が芳しくないと指摘を受ける。その結果、固形物は少量しか食べられない状態となり、酒で糖質を摂る日々だった。皮膚がぼろぼろと剥け、頭髪は抜け落ち、腹部のみ膨らむようになった。ネット検索したところ、腹水がたまっていると自覚したが仕事に穴を空けることを嫌い入院治療を先延ばしにした。2020年6月、着替え時に異変に気づいた夫とともに向かった病院でアルコール性肝硬変と診断を受け入院。16日間は鎖骨辺りにつけた管で栄養剤を注入され、退院(帰宅)したのは2カ月後だった。「中野のぶるちゃん」経営時から体調面で変調をきたしており、閉店のきっかけは自身の体調悪化によるものだった。退院後、硬くなった肝臓が元に戻らないと知り「もう一生、お酒は飲めないんだ」と思ったが意外にもショックは受けず、いっさいの飲酒を断っていると話している。東京と地方を行き来しながら仕事とゴルフに励み、医師の指導を守り塩分は1日7グラムまでに控えている。少量しか食べられないため、肉・魚のたんぱく質を優先し、次に野菜を摂り、糖質は最後にするなど健康維持に心掛けている。

2024年、WWE殿堂入りが発表された。日本人女子レスラーとしては史上初の快挙となる。1月16日、WWE関係者から直接「殿堂入りが決まった」旨を聞き、「すべての苦労が報われた。これでようやく終われるなって…」と涙を流したという。

得意技

現役時代は、そのプロレスセンスも相まって多彩な技を繰り出すことで知られた。

ギロチン・ドロップ

ムーンサルト・プレス

ラリアット

DDT

リバースDDT

アームサルト

ジャーマン・スープレックス

ノーザンライト・スープレックス

ブルズ・グランパス

ブルズ・アンヘリート

ブルズ・ポセイドン

リフトアップ

パワーボム

ヌンチャク

タイトル歴

WWWA世界シングル王座 : 1回

WWWA世界タッグ王座 : 3回(w / ダンプ松本、コンドル斎藤、岩本久美子)

オールパシフィック王座 : 1回

全日本王座 : 1回

全日本ジュニア王座 : 1回

WWF世界女子王座 : 1回

WWE殿堂

CMLL世界女子王座 : 1回

2024/06/16 07:08更新

burunakano


ブル中野と同じ誕生日1月8日生まれ、同じ埼玉出身の人

篠崎 彩奈(しのざき あやな)
【AKB48】
1996年1月8日生まれの有名人 埼玉出身

篠崎 彩奈(しのざき あやな、1996年〈平成8年〉1月8日 - )は、日本のアイドル、タレント、女優で、女性アイドルグループ・AKB48の元メンバー。埼玉県出身。OMG所属。愛称は「あやなん」。 …

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松崎 ナオ(まつざき なお)
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松崎ナオ(まつざき ナオ、本名:松崎 名央、1976年1月8日 - )は、東京生まれの日本の女性シンガーソングライター。血液型A型。身長166cm。2016年からは3ピースバンド「鹿の一族」のボーカル…

山田 杏奈(やまだ あんな)
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山田 杏奈(やまだ あんな、2001年(平成13年)1月8日 - )は、日本の女優。元子役。埼玉県鴻巣市出身。アミューズ所属。元ちゃおガール。 2011年に開催された「ちゃおガール☆2011オーデ…


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ブル中野と近い名前の人

愛菜(あいな)
1993年6月22日生まれの有名人 東京出身

愛菜(あいな、1993年6月22日 - )は、日本のタレント。 東京都出身。元ケイダッシュステージ所属。2022年現在、フリーで活動中。 フォーライフミュージックエンタテイメントに所属し、愛夏とし…

ブルボンヌ(Bourbonne)
生まれの有名人 岐阜出身

ブルボンヌ(Bourbonne、1971年11月1日 - )は日本の女装パフォーマー、ドラァグクイーン、エッセイストである。また、本名の斎藤 靖紀(さいとう やすき)名義で雑誌の編集などにも携わる。岐…

WA-Side(ダブルエーサイド)
生まれの有名人 東京出身

WA-Side(ダブルエーサイド)は、2015年に結成された女性アイドルグループである。 株式会社オフィス・ドリームボール所属。 2015年3月7日、『北沢タウンホール』で開催された『第2回アイド…

谷尾桜子(たにお さくらこ)
【ひめキュンフルーツ缶】
1992年4月27日生まれの有名人 出身

iiyu(イーユ)は、日本の音楽ユニット。旧名はトライシグナル。 音楽活動だけではなく、YouTubeやInstagram、TikTokを通じて2人の日常も発信。 YouTubeチャンネルでは週に…

菊原結里亜(きくはら ゆりあ)
【ひめキュンフルーツ缶】
1997年7月19日生まれの有名人 出身

菊原 結里(きくはら ゆり、1997年7月19日 - )は、日本の女優、タレント。愛媛県出身。(株)TOKYO ARTISTS AGENCY所属。 愛媛県のご当地アイドルひめキュンフルーツ缶の元メン…

河野穂乃花(かわの ほのか)
【ひめキュンフルーツ缶】
1995年2月3日生まれの有名人 出身

2月3日生まれwiki情報なし(2024/06/17 10:46時点)

奥村真友里(おくむら まゆり)
【ひめキュンフルーツ缶】
1996年2月5日生まれの有名人 出身

2月5日生まれwiki情報なし(2024/06/17 08:50時点)

岡本真依(おかもと まい)
【ひめキュンフルーツ缶】
1997年6月11日生まれの有名人 出身

6月11日生まれwiki情報なし(2024/06/17 10:49時点)

オーランド=ブルーム(Orlando Bloom)
1977年1月13日生まれの有名人 出身

オーランド・ジョナサン・ブランチャード・ブルーム(英: Orlando Jonathan Blanchard Bloom, 1977年1月13日 - )は、イギリスの俳優。 イギリスのイン…

セルジ=ブルゲラ(Sergi Bruguera)
1971年1月16日生まれの有名人 出身

セルジ・ブルゲラ・イ・トルネール(Sergi Bruguera i Torner, 1971年1月16日 - )は、スペイン・カタルーニャ州バルセロナ出身の元男子プロテニス選手。1993年・1994年…

ブルース=マルムース(Bruce Malmuth)
1934年2月4日生まれの有名人 出身

ブルース・マルムース(Bruce Malmuth、1934年2月4日 - 2005年6月29日)は、アメリカ合衆国の俳優、映画監督。 アメリカ合衆国陸軍にいたころからドキュメンタリー映画を作ってき…

ナタリー=インブルーリア(Natalie Imbruglia)
1975年2月4日生まれの有名人 出身

ナタリー・インブルーリア(Natalie Imbruglia、1975年2月4日 - )は、オーストラリア出身の歌手、モデル及び女優である。代表作は、「トーン」「ザット・デイ」「ロング・インプレッショ…

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