豊田真奈美の情報(とよたまなみ) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
豊田 真奈美さんについて調べます
■名前・氏名 |
豊田真奈美と関係のある人
堀田祐美子: 豊田真奈美と組み、安納サオリ&万喜なつみ組に勝利。 三田英津子: 年に一度のシングル総当りリーグ戦、ジャパン・グランプリではこれまでほとんど勝ったことのない同期、山田敏代、豊田真奈美のふたりにいずれもデスバレーボムで勝利。 藤本つかさ: 挑戦者に豊田真奈美を指名するとともに、IW19王座を封印。 日向あずみ: 2月11日、東京・後楽園ホールで豊田真奈美&伊藤薫のJWP認定タッグ王座に挑戦。 脇澤美穂: 9月22日、豊田真奈美25周年記念興行で豊田とシングル。 島本和彦: 燃える!! 女子プロレス - 豊田真奈美の実録プロレス漫画 植松寿絵: 11月4日、東京・後楽園ホールでのNEO女子プロレス「STAND OUT 07」で、希月あおい・野崎渚のチーム青春緑と組み、豊田真奈美・チェリー・石井美紀組と対戦。 下田美馬: 板橋グリーンホール大会でキアイリュウケンエッちゃん(プロレスリング紫焔)と組んで豊田真奈美&山田太郎(666)と対戦するも、キアイリュウケンが山田にジャックナイフ式エビ固めでフォールを取られて敗れている。 高橋奈苗: エネミーによるJWP無差別王座奪取は豊田真奈美以来、2人目となった。 藤本つかさ: 他団体の大会で豊田真奈美と試合して以降、豊田と絡む機会が多くなった上に、豊田本人からの高い評価を得たことで、「飛翔天女二世」と呼ばれることとなる。 ファング鈴木: 7月30日、愛知県名古屋市・久屋大通公園「第36回CBC NAGOYA夏祭りダイコク電機「ストリートファイト2006」OzアカデミーSUMMER WAR(7月29日・30日開催)」の豊田真奈美対闘牛・空の試合中、空にザ・ブラディーと共に強引に連れ出され豊田への攻撃に参加させられる。 永島千佳世: 同大会、尾崎魔弓、カルロス天野と組んで、豊田真奈美、里村明衣子、高橋奈苗組と対戦。 下田美馬: 1987年8月5日、全日本女子プロレスでの三田英津子戦でデビューし、全日本ジュニア王座を獲得するなどしたが、新人時代は伸び悩み、同期の豊田真奈美とタッグチーム『スイートハーツ』を結成する。 北斗晶: 1990年代に入ると、2年後輩の豊田真奈美から「北斗、お前は1度も私に勝ってないんだからなあ」と言われて激怒。 日向あずみ: 9月18日、東京・後楽園ホールで豊田真奈美を倒し、第12代JWP認定無差別級王者となった。 みなみ鈴香: 当時WWWA世界タッグ選手権保持者の豊田真奈美&山田敏代組をリーグ戦で破っている。 藤本つかさ: 8月25日、アイスリボン後楽園ホール大会「不思議の国のアイス2013」にて豊田真奈美を相手にICE×∞(インフィニティ)王座防衛戦を戦い、豊田の技であるクインビーボムで勝利し、防衛に成功。 ブル中野: 2017年11月3日、エキシビションではあるが「豊田真奈美30周年記念興行~飛翔天女~豊田真奈美引退」1分間51試合興行の38番目として登場。 元川恵美: また、日本人非所属選手による同王座の奪取は豊田真奈美、高橋奈苗に続く史上3人目であり、他団体所属では初となる(前出の2人はいずれも当時フリーランス)。 レジー=ベネット: 2000年、日本人ミュージシャンと結婚(後に離婚)して2001年3月4日の豊田真奈美戦を最後に引退。 倉垣翼: 2月23日、東京・新宿FACE(第2回T-1興行)において、豊田真奈美、堀田祐美子と組んで、尾崎魔弓、アメージング・コング、藪下めぐみ組と対戦。 三田英津子: 1991年、パートナーを同期の豊田真奈美に代え、“ミントシャワーズ”を結成。 永島千佳世: 8月6日、東京・新宿FACE「豊田真奈美自主興行」において、カルロス天野、倉垣翼、日向あずみと組んで、伊藤薫、渡辺智子、吉田万里子、豊田真奈美と対戦。 シャーク土屋: しばらくして土屋は、前泊とともに全日本女子プロレスの山田敏代&豊田真奈美組(当時WWWA世界タッグチャンピオン)との抗争を開始、全団体を巻き込んだ対抗戦時代の火蓋を切った。 工藤めぐみ: 1988年3月24日の豊田真奈美戦を最後に、同年4月9日に全女を退団した。 脇澤美穂: 12月23日、後楽園ホールで引退試合を行い豊田真奈美とDRAGON GATEの堀口元気H.A.Gee.Mee!!とタッグを結成。 福岡晶: 団体対抗戦が始まる頃のある日、JWPの興業を豊田真奈美、山田敏代、堀田祐美子などが観戦しており、彼女らが思い切りふんぞり返っていたことからJWPが見下されていると感じた。 山田敏代: 復帰後は井上京子とともにメキシコ遠征を行い、その後、豊田真奈美との「昭和62年組最強タッグ」としてWWWA世界タッグ王座を獲得するなど活躍、1997年にGAEA JAPANに移籍したが、古傷の頸椎を痛め2004年12月に現役から引退。 福岡晶: 若手時代は全日本女子プロレスの豊田真奈美を目標としていたため、豊田の得意技の幾つかを自身の得意技にしていた。 堀田祐美子: 1990年代中盤からは主力選手としてのポジションを確立するが、基礎的な実力に疑いはなかったものの、試合構成力や観客へのアピール力といったプロレスラーとしての必須能力に難があり、WWWA世界シングル王座戦線では後輩のアジャ・コング、豊田真奈美などの後塵を拝する。 |
豊田真奈美の情報まとめ
豊田 真奈美(とよた まなみ)さんの誕生日は1971年3月2日です。島根出身の格闘家
プロレスのようです。
来歴、タイトル歴などについてまとめました。脱退、引退、現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。豊田真奈美の現在の年齢は53歳のようです。
豊田真奈美のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)豊田 真奈美(とよた まなみ、1971年3月2日 - )は、日本の元女子プロレスラー。一時期、豊田 魔波(読み方同じ)を名乗っていたこともあった。島根県益田市出身。華やかなルックスでも人気を集めていた。 全日本女子プロレス(1987年 - 2002年) フリーランス(2002年 - 2017年) 来歴8月5日 後楽園ホール大会の中村幸子戦でプロレスデビュー。 10月 レスリング全日本選手権女子65kg級優勝。 12月頃、日本青年会でファンの集いのようなイベントがあり、同期の三田英津子、下田美馬、山田敏代はソロで1曲ずつ歌っているが、その時豊田は売店の手伝いをしていた。この頃全く期待されていなかった豊田であったが、その悔しさから絶対に出世しようと誓った。 5月6日 横浜アリーナの大舞台で、スイート・ハーツのパートナーである下田と組んで三田・山田の「ドリーム・オルカ」組と対戦。同期の4人がそろい踏みで、第1試合のタッグマッチに出場した。通常は大技が見られない第一試合であるにもかかわらず、豊田は美しいジャーマン・スープレックス・ホールドを山田に決めてフォール勝ち。ビデオ解説陣を驚かせた。 12月9日 後楽園ホールでの全日本選手権試合で、王者として山田の挑戦を受ける。豊田はジャーマン・スープレックス・ホールド、タイガー・スープレックス・ホールドで攻め込み、山田もドラゴン・スープレックス・ホールドで応戦するなど大熱戦となるが、30分時間切れ引き分け。この試合は1989年度女子プロレス大賞ベストバウト賞に選ばれた。 6月17日 ジャパン・グランプリ'90に出場。1回戦は豊田の2年先輩の北斗晶に攻め込まれながら、北斗が場外へのプランチャを自爆した際に右膝をフェンスにぶつけ、中の骨が見えるほどの裂傷のためドクターストップ勝ちし準決勝不戦勝のあと、決勝で堀田祐美子を破って初優勝し、一躍スターダムにのし上がる。豊田は2017年の座談会でこの試合を一番覚えている試合と答えている。 7月21日 ジャパン・グランプリ優勝者として、大田区体育館のメインイベントでブル中野の保持するWWWA世界シングル王座に挑戦。圧倒的不利と言われる中、デビュー3年に満たないキャリアで当時絶対的な王者に君臨していたブルに正面から挑んだが、10分と持たず敗れる。 10月7日、王座決定戦でバイソン木村を日本海式原爆固めで破り、オールパシフィック王座を獲得。 1月11日、川崎市体育館大会のオールパシフィック選手権で北斗の挑戦を受けるも、右肘を痛めて片腕で臨んだ北斗を容赦なく攻め込みTKO(タオル投入)で退け初防衛。試合後、海狼組のパートナーであるみなみ鈴香がマイク・アピールし、挑戦を表明。 3月17日 後楽園ホール大会でのみなみ相手の2度目の防衛戦はスピード、テクニックが拮抗した好試合となったが、みなみが先輩の意地を見せだるま式ジャーマン・スープレックス・ホールドに敗れて王座陥落。 5月26日 後楽園ホールで、アジャ・コングとセミファイナルでシングル対決。2人のシングルは1989年3月のルーキー時代以来で、メイン・イベンターとなってからは初の対戦となった。アジャ有利とみられていたが豊田が最後まで食い下がり、30分フルタイム引き分けの激闘となった。 9月7日 大宮スケートセンターで宿命の同期ライバル、山田との2度目の大場所でのシングルマッチ。トップロープから場外へのラ・ケブラーダを見せるなど攻め込んだが山田も粘り抜き、30分時間切れ引き分け。 IWA世界女子シングル王座を獲得、さらに同期の山田とのタッグでのUWAタッグ王座およびWWWA世界タッグ王座獲得。そして昨年に引き続き、山田とのシングル対決がテーマとなった。 1月4日 後楽園ホールで山田と3度目の対決。お互い全く譲らず、5分延長が認められたがそこでも決まらず、再度の5分延長。それでも勝負が決まらず、合計40分間フルタイムの引き分け。これで3試合連続時間切れ引き分け。 6月21日 後楽園ホールでのメインイベント、時間無制限一本勝負で山田との4度目の対決。過去3度、ビッグマッチでの引き分け(89.12.9、91.9.7、92.1.4。この他地方でも対戦はあったが全女では通常、いわゆる「大場所」と呼ばれる大会場での対戦回数でカウントする。)を経て完全決着戦に臨んだ。ノンストップの熱戦の末26分20秒、山田が日本海式竜巻原爆固めに対抗するための切り返し技である、初公開となるリバース・ゴリー・スペシャル・ボムで山田が勝利した。敗れた豊田は、IWAベルトと髪の毛を賭けての再戦をマイク・アピール。山田も快く受けて、前代未聞のベビーフェイス同士の髪切りマッチが実現することとなった。 7月5日 後楽園ホールでのメインイベントで、ジャパン・グランプリ公式戦、メインイベントでアジャと対戦。場内・場外を縦横に駆使し、後楽園ホールのバルコニーからアジャに投げ落とされそうになるなど激しい攻防が続いたが、最後はトップロープからの前方回転エビ固めでアジャから初フォールを奪取。 ジャパン・グランプリ'92では決勝に進出するものの、アジャに敗れ準優勝に終わる。 8月15日 後楽園ホールのメインイベントで、山田とのIWA選手権および敗者髪切りマッチ。山田はこの日2試合目であり、不利が予想されていたが山田も意地を見せた。最後は2人の対決の定番であるリバース・ゴリー・スペシャル・ボムとジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス(日本海式竜巻原爆固め)の打ち合い・切り返し合いの末、19分44秒、日本海式竜巻原爆固めで豊田が勝利した。勝ったものの、豊田は山田の髪を切ることを拒み自分の髪にハサミを入れ、泣き崩れ、山田の髪切りを体を張って食い止めようとまでした。いっぽう、山田は堂々と髪切りに応じ、結果として2人の友情はさらに深まることとなった。 11月26日 川崎市体育館でのJWPとの団体対抗戦第一弾として、メインイベントで山田敏代と組み、王者として尾崎魔弓・ダイナマイト関西とのWWWA世界タッグ王座の防衛戦を行い、60分3本勝負で激戦の末2-1で王座防衛に成功する。ベスト・バウトを獲得し、対抗戦時代の幕開けを象徴する一戦となった。 対抗戦時代に入ると、尾崎・関西組とのWWWA世界タッグ王座をめぐる攻防、豊田を目標とする若手の福岡晶、テクニシャンのプラム麻里子とのシングルなどが注目された。 4月2日 横浜アリーナでの夢のオールスター戦ではメインイベントで山田と組んでFMWの工藤めぐみ・コンバット豊田組と60分1本勝負で対戦した。セミファイナルでの北斗対神取忍戦が伝説的な死闘となったこと、試合途中で午前0時を回り席を立つ観客も多かったこと、初対決となったFMW勢の老獪なファイトと手が合わず、スイングしきれなかったことなどが重なって内容的には不満が残った。最終的には合体のシャトルループ・バスター→驚異的なブリッジでのジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールドという必殺フルコースで勝利したものの2人は記者会見を拒否し、豊田だけは控室のドアに顔を伏せて号泣していた。 4月11日 大阪府立体育会館のセミファイナルで尾崎・関西組の再度の挑戦を受けて1-2で敗れ、王座を失う。1本目はわずか12秒で山田が関西にフォールされ、3本目は豊田が合体技で尾崎にフォールを喫した。全日本女子プロレスの王座が史上初めて他団体へ流出した歴史的な瞬間であった。 6月3日 札幌中島体育センターで、豊田を目標とするJWPの福岡と対戦。ともに長髪、黒いコスチューム、白とシルバーを基調としたリングシューズの美形レスラー同士の対戦だった。ムーンサルトプレス(この試合で、豊田は立っている状態の福岡にも敢行)、ローリング・クレイドル、ぐるぐるパンチ(福岡の得意のムーブ)などを出し合ったが豊田が終始余裕を見せて、ジャパニーズ・オーシャン・スープレックスで勝利を収めた。 9月29日 愛知県体育館でLLPWとの対抗戦に参加、山田敏代と組んでハーレー斉藤・半田美希組と対戦し勝利。この時の序盤で半田に見舞ったドロップキックの映像は、角度や照明の関係からか、半田にヒットする際の足の伸び具合やヒットする瞬間の鈍い衝撃音などをよく見聞きすることが出来る。 10月9日 東京ベイNKホールでJWPの尾崎とシングル・マッチを行った。パートナーの山田はダイナマイト・関西とシングル・マッチが組まれており、WWWA王座を奪われた2人がシングルでリベンジをはかる機会となった。山田が関西に敗れたが、豊田は尾崎に場外でのジャーマン、ラ・ケブラーダ(なお、この時の飛距離と高さは特筆ものであった)を放つなど気合い十分のファイトを見せた。尾崎も切り返しと一瞬のラッシュで反撃したが、最後はスタミナの切れかけた尾崎を肩に載せ、カメラマンの正面へと180度振り向いて歩いて見せ、ジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールドで豊田が勝利。 11月28日 大阪城ホールのセミファイナルで山田とのオールパシフィック選手権王座決定戦。4月以降タッグを一時凍結していた2人が翌月のリターン・マッチを控えての対決となった。ライバル対決の集大成となったが最後は山田が30分40秒、リバース・ゴリー・スペシャル・ボムで勝利を収めて王座奪取。負けた瞬間、豊田はマットを叩き、突っ伏したまま悔し涙を流していた。表彰式の後に2人は正座して礼をし、抱き合って健闘をたたえ合った。 12月6日 両国国技館のセミファイナルで尾崎・関西組とのリターン・マッチに挑む。この試合は通常と同タイトル戦と異なり、60分1本勝負で行われた。25分33秒、豊田が尾崎をリバースのジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスの姿勢からマットに叩きつけて王座奪回。 山田とのライバル関係、タッグが解消に向かう。シングル・プレイヤーとしての成長が著しく、山田に代わって新たなライバルとなった井上京子、WWWA王座をめぐるアジャ・コング、ダイナマイト関西との戦いが中心となっていく。 8月24日 日本武道館のセミファイナルで、IWA王者としてオールパシフィック王者である京子とダブル・タイトルマッチ。ジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスを返されるなど後一歩のところまで追い詰められるが、京子の三角跳びからの雪崩式フロント・スープレックス、ナイアガラ・ドライバーをしのぎ切る。両者フィニッシュ・ホールドを出し尽くした死闘となったが、カウンターでのロープの反動を利用しての飛び付き式高角度回転固めで23分31秒、勝利をもぎ取りシングル二冠王となった。 10月9日 川崎市体育館のメインイベントで、京子・井上貴子を相手にしたWWWA世界タッグ王座防衛戦を行い、1-2で敗れ王座から陥落してしまう。 11月20日 東京ドーム、憧夢超女大戦でのV☆TOP WOMAN日本選手権トーナメントでは1回戦でアジャと対戦、放送席の机を持ち出し、場外でアジャを机の上に載せてトップロープからボディ・プレスを放ち机を割った。白熱した好勝負となったが最後は17分17秒、アジャの意表を突いたスタイナー・スクリュードライバーに沈む。WWWA王者であり、負けるわけにいかなかったアジャの執念が勝った結果となった。なお、同興行での隠れベストバウトという評価もあった。 12月10日 タッグリーグ・ザ・ベスト'94では井上貴子と組んで巴戦の末に優勝。 吉田万里子、伊藤薫、長谷川咲恵と「フリーダム・フォース」を結成。ブリザードYuki(長谷川)とのタッグでWWWA世界タッグ王座にも挑戦した。 3月26日 横浜アリーナで、アジャからWWWA世界シングル王座を奪取。アジャに場外の机の上で、机が真っ二つに割れるパイル・ドライバーを食うなど激しく攻め込まれるが耐え抜き、28分10秒、雪崩式→通常型のジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールドの連発で王座初戴冠。92年11月から続いたアジャの2年4か月にわたる長期政権を遂に終わらせた。 5月7日 後楽園ホールのメインイベントで京子を迎えたWWWA世界シングル防衛戦。全女では10年ぶりとなる60分フルタイムの名勝負を展開する。 6月27日 札幌中島体育センターで、アジャに20分越えの死闘の末、アジャのカウンター気味の裏拳でWWWA世界シングル王座を奪回されてしまった。 9月2日 日本武道館のメインイベントで、北斗とシングルマッチ。ドームでのアジャ戦と同じ、机割りの場外ボディ・プレスを見せたが北斗も執念を見せて白熱の好試合となった。掟破りの逆ノーザンライト・ボム2連発で北斗からフォールを奪う。 9月3日 ジャパン・グランプリ95で、5年ぶり2度目の優勝を果たす。 12月4日 両国国技館のメインイベントで、ダイナマイト関西からWWWA世界シングル王座を奪取。2度目の王座に就いた。 12月25日 後楽園ホールのメインイベントで、「豊田真奈美クイーンズロード トライアル30」と題して、豊田も30人掛けを敢行し戦い切る。1人1分1本勝負で、アジャらのエース級から最上眞理、納見佳容など当時の前座まで20人が入れ替わり立ち替わり相手となった。戦績は9勝3敗18引き分け。この様子はビデオ『飛翔天女』で見ることができる。 3月31日 横浜アリーナのメインイベントで京子の挑戦を受けたWWWAシングル選手権試合。怪我を抱えており体調は万全ではなかった京子に対して、あえて痛めている右肩を攻めないクリーンな試合を貫いた。94.8.24、95.5.7のタイトル戦同様、お互いに持ち技を出し切る熱戦となったが最後は21分29秒、ジャパニーズ・オーシャン・ボムで京子を沈めた。試合終了後のマイクアピール、表彰式後のインタビューでは京子の健闘を素直に称えた。 1月4日 後楽園ホール大会で堀田を破り、第50代WWWA世界シングル王者となる(3度目の王座獲得)。 9月17日 ディファ有明大会で伊藤を挑戦者に迎えたWWWA世界シングル王座防衛戦に敗れる。 2月24日 横浜文化体育館大会で伊藤を破り、第52代WWWA世界シングル王者に返り咲く(4度目の王座獲得)。 7月6日 大田区体育館大会で伊藤を挑戦者に迎えてWWWAシングル王座防衛戦に臨むが、敗れて王座転落。豊田は試合後に「ここに私の求める全女イズムはない!」とマイクアピールし、全女を退団することを表明した。 7月7日 GAEA JAPANの大阪ドーム・スカイホール大会のメインイベント終了後にアジャの呼びかけで登場し参戦表明をする。 10月20日 GAEA JAPANの横浜文化体育館大会で永島千佳世の持つAAAWシングル王座に挑戦し、王座奪取に成功。 1月12日 デビュー同期の山田を挑戦者に迎えてAAAWシングル王座の防衛戦を行い、王座防衛。 4月6日 GAEA JAPANの横浜文化体育館大会で里村明衣子を相手にAAAWシングル王座の防衛戦を行い、王座防衛。 11月30日 ダイナマイト関西とAAAWシングル王座の防衛戦を行うも敗れ、王座から転落。 4月 ZERO1-MAXのS-ARENA大会に於いて、男女混成出身地別都市対抗戦が行われ、益田市出身同士というよしみで日高郁人とのタッグを結成した。 5月28日 JWP認定無差別級王座をエネミーとして初獲得。 8月6日 20周年記念興行開催。第1試合からメインイベントまで全5試合に出場した。自主興行とはいえ異例である。 8月10日 OZアカデミー興行でアジャとのリングネーム改名シングルマッチに敗れ、リングネーム改名を余儀なくされたが「自分のことは自分でやる」と新リングネームを「豊田魔波」(魔は尾崎魔弓から取った)と発表し、尾崎軍団入りを表明した。 9月 OZアカデミー興行でアジャの持つOZアカデミー認定無差別級王座に挑戦し、勝利。豊田は「昨年8月にアジャ・コングにリングネーム(豊田真奈美)を剥奪されたものの、9月21日札幌にて、そのアジャを倒し『OZアカデミー認定無差別級』のベルトを巻いたことにより屈辱は果たした」というマイクアピールを行い、10月11日付けでリングネームを本名に戻し、尾崎軍を脱退した。 9月 北米のインディ団体「チカラ」に遠征。アメリカ初勝利を挙げる。この遠征は現地に住む師匠・山崎五紀の尽力で実現した。 3月20日 アイスリボン後楽園ホール大会で、同団体から選抜された豊田より30歳年下のくるみ(当時小学6年生)とのタッグで藤本つかさ&つくし組の持つインターナショナル・リボンタッグ王座に挑戦するが、敗れる。豊田は王者組のタッグチーム結成のきっかけを作った人物であり、試合後には自ら王者の腰にチャンピオンベルトを巻き健闘をたたえた。 9月22日 25周年記念興行を開催。20周年興行同様全5試合に出場。山崎五紀の一夜限りの現役復帰も実現した他、脇澤美穂との対戦後に翌年4月29日のスターダム両国大会で再戦が決まった。 4月13日 我闘雲舞初参戦。山田太郎(666)と対戦してジャパニーズオーシャン・クインビーボム→片エビ固めで勝利し、試合後、山田と意気投合して5月4日の板橋大会で行われた1DAYミックスドタッグトーナメント『ゴーゴー!グリーンカレーコップンカップ』に「POWER ON THE DREAM 2013」として出場。1回戦でよねやまどか(米山香織&円華)と対戦するも、山田が円華の回転エビ固めと米-ZOUの合体→エビ固めで米山からフォールを取られて敗れた。以降、板橋大会のみであるが不定期参戦している。 4月29日 スターダム初参戦。両国大会で「全女黄金伝説両国降臨2013」と冠して脇澤美穂と対戦し、バックスライド・フロム・ベノムでフォールを取られて敗れた。なお、この試合はスペシャルリングアナウンサーとして今井良晴(大日本プロレス・元全日本女子リングアナ)が務めた。 8月25日 アイスリボン後楽園ホール大会で王者・藤本の指名を受け、ICE×∞王座に挑戦するが終盤の藤本の掟破りとも言えるクインビーボム2連発で敗れた。 乱丸フェスタに参戦。9月21日、志田光&山下りな&豊田真奈美 VS 救世忍者乱丸&浜田文子&山縣優 乱丸フェスタに参戦。3月21日、男盛 VS 桜花由美&豊田真奈美。5月4日、VS 太陽塔仮面 3月17日、首と肩の状況が思わしくないということから11月3日の横浜大さん橋ホール大会の30周年興行をもって引退することを発表。5月4日、堀田祐美子自主興行に参戦し、安納サオリ&万喜なつみ組と対戦(豊田のパートナーは堀田祐美子)。全女魂を伝承した。 11月3日、横浜市中区の大さん橋ホールで開催された引退興行「プロレス・豊田真奈美30周年記念興行~飛翔天女引退~」を以って現役を引退した。 3月13日、かねてより状態が悪かった右肩を人工関節に置換する手術を行った。 8月26日、アイスリボンスーパーバイザー就任を発表。 ブル中野のYouTubeチャンネルぶるチャンネルに3回に渡り出演し、全女時代、現在について語った。 豊田が週刊プロレスの表紙になっている画像がプリントされているアサヒ「ワンダ モーニングショット」のファミリーマートのプロレス缶が発売。 2023年時点では糖質OFFアドバイザーとして活動。 タイトル歴第39代、42代、50代、52代WWWA世界シングル王座 第96代、98代、103代WWWA世界タッグ王座 第18代、27代オールパシフィック王座 第12代全日本シングル王座 第7代IWA世界女子王座 初代UWA世界女子タッグ王座 ジャパングランプリ - 優勝4回(第6回、11回、14回、15回。歴代最多) タッグリーグ・ザ・ベスト - 優勝5回(第8回、9回、11回、14回、16回。個人では歴代最多) 第11代JWP認定無差別級王座 第10代JWP認定タッグ王座 第9代AAAWシングル王座 第15代AAAWタッグ王座 第6代OZアカデミー認定無差別級王座 第8代、13代OZアカデミー認定タッグ王座 第3代WWWD世界シングル王座 第24代トライアングルリボン王座 2024/06/14 00:47更新
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