もしもし情報局 > 1945年 > 9月18日 > 野球選手

三輪悟の情報 (みわさとる)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【9月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

三輪悟の情報(みわさとる) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

三輪 悟さんについて調べます

■名前・氏名
三輪 悟
(読み:みわ さとる)
■職業
野球選手
■三輪悟の誕生日・生年月日
1945年9月18日 (年齢2021年没)
酉年(とり年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
新潟出身

(昭和20年)1945年生まれの人の年齢早見表

三輪悟と同じ1945年生まれの有名人・芸能人

三輪悟と同じ9月18日生まれの有名人・芸能人

三輪悟と同じ出身地新潟県生まれの有名人・芸能人


三輪悟と関係のある人

平野光泰: 初打点:1974年7月3日、対太平洋クラブライオンズ前期12回戦(日生球場)、8回裏に三輪悟から適時打


上水流洋: 初奪三振:同上、9回表に三輪悟から


河村健一郎: 初打点:1972年9月30日、対西鉄ライオンズ23回戦(平和台球場)、8回表に三輪悟から中犠飛


高橋善正: 投球数86、三振は3回の三輪悟から奪った1個だけで、内野ゴロ15、内野フライ7、外野フライ4と打たせて取るピッチングであった。


西沢正次: 1975年に三輪悟・米山哲夫との交換トレードで、松林茂と共に太平洋クラブライオンズへ移籍。


米山哲夫: その後も内野の準レギュラーとして起用されるが、1975年に西沢正次、松林茂とのトレードで三輪悟と共に広島東洋カープへ移籍。


太田真一郎: ママレード・ボーイ(三輪悟史)


高畠導宏: 10月10日の西鉄戦(平和台)では三輪悟に代わった9回の柳田豊の初球を捕らえると、球はライナーとなって右翼席へ飛び込む本塁打となる。


辻恭彦: 同年8月28日の広島戦(川崎)では杉山知隆の代打で三輪悟から逆転サヨナラ2ラン本塁打を放つなど、移籍後初めて安打が30本を超えた。


王貞治: 後楽園球場での広島戦で3打席連続本塁打を放って712号まで到達し(9月30日三輪悟からソロ本塁打2本、10月1日池谷公二郎から2ラン)、その6試合後10月10日の対阪神22回戦(後楽園球場)で古沢憲司から2本塁打(1回の第1打席では一塁に張本勲を置いてカウント1ボールでの2球目外角寄りのシュートを打って「神風が運んだ」46号2ラン、7回の第3打席では初球真ん中高めのスローカーブを打って右翼に運ぶ47号ソロ本塁打)して、現役18年目、通算2317試合目にしてベーブ・ルースの714号に並んだ(ルースは2503試合目、アーロンは2965試合目に記録)。


高月敏文: 初安打:1976年10月21日、対ヤクルトスワローズ26回戦(広島市民球場)、8回裏に三輪悟の代打として出場、渡辺孝博から二塁打


松林茂: 1974年オフに三輪悟、米山哲夫との交換トレードで西沢正次と共に太平洋クラブライオンズへ移籍、ここでも主に中継ぎとして起用される。


羽田耕一: 初安打・初本塁打・初打点:1973年5月20日、対太平洋クラブライオンズ前期10回戦(平和台球場)、7回表に三輪悟からソロ


柏原純一: 初本塁打・初打点:1973年8月11日、対太平洋クラブライオンズ後期6回戦(平和台球場)、9回表に三輪悟からソロ


柴田猛: 10月10日の中日戦(ナゴヤ)に三輪悟の代打で起用されたのが最後の出場となり、1977年からはコーチを兼任。


稲尾和久: しかし、前年度51勝のうちの3/2以上にあたる36勝を挙げた5投手(稲尾自身を含む)を失った投手陣は崩壊状態で、3年目の河原明がエース格で、2年目の東尾修、新人の三輪悟あたりをどんどんつぎ込まないと回っていかない状況であった。


三輪悟の情報まとめ

もしもしロボ

三輪 悟(みわ さとる)さんの誕生日は1945年9月18日です。新潟出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、事件、引退に関する情報もありますね。2021年に亡くなられているようです。

三輪悟のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

三輪 悟(みわ さとる、1945年9月18日 - 2021年8月23日)は、新潟県新潟市(現・同市中央区)出身のプロ野球選手(投手)。

新潟市工では3年次の1963年、エースとして夏の甲子園県予選準決勝に進むが、北越商にコールド負けを喫した。卒業後の1964年に新潟市水道局へ入局し、軟式野球部でプレーを続けた。同年の新潟地震では被災した水道施設の復旧に奔走した経験を持ち、その後は地元金融業の東光商事にスカウトされ、同野球部で硬式に再転向。更にその後は電電信越に移籍し、1969年の都市対抗に三協精機の補強選手として出場。1回戦でエース神部年男を擁する前年の優勝チーム富士製鐵広畑と対戦し、池島和彦をリリーフして登板するが惜敗した。同年のドラフト2位で西鉄ライオンズに指名され、1970年に入団。

1年目の1970年は4月中はビハインド時での登板が主であったが、チームが黒い霧事件の影響で主力級投手を失う事態に陥ったこともあって、5月から先発陣に入る。3敗後の同29日の南海戦(大阪)で初勝利を挙げてから前半戦5勝7敗をマークし、チームでただ一人同年のオールスターゲームに監督推薦で出場。7月21日の第3戦(広島市民)に登板。後半戦は打線の援護と噛み合わず、2勝7敗と黒星が多くなった。結局は開幕から先発・リリーフとフル回転を続けたことで投球回数は200回を超え、45試合に登板して7勝14敗、リーグ7位の防御率2.91を記録。なお、後に通算251勝をマークする東尾修は同年5月16日の東映戦(平和台)でプロ初勝利を挙げたが、この試合にもクローザーとして登板している。チーム別では南海戦で3勝0敗、防御率1.67と相性が良かった。

三輪は以後、西鉄から太平洋クラブへと変わるライオンズの低迷期を屋台骨として支え続けた。オーバースローから球威があるわけではないが、ピッチングはいたって大胆かつ繊細なものであった。内角をえぐった後に外角へ変化球、また、その逆と細かいところを見せ、ストレート、シュート、スライダー、カーブに独特の味を見せる。

1975年に西沢正次、松林茂とのトレードで米山哲夫と共に広島東洋カープへ移籍。同年はビハインド場面での登板が主な役割となり、黙々と投げ続け、終盤には22回2/3イニング連続無失点のピッチングで、球団史上初のリーグ優勝に貢献。移籍後は全てリリーフで登板し、1980年限りで現役を引退

引退後は広島でスコアラー、マネージャー、広報部などを歴任。後年の役職は「広報担当部長兼一軍チーフマネージャー」で、シーズン中はチームに帯同し、試合中にはベンチ裏に待機し取材対応などの仕事を行っていたが、フロント陣の世代交代や、広島県外のマスコミやスポーツライターの一部から取材対応に対する批判が出たことを考慮し、後進に譲る意向を固め、2004年末を以って依願退職。

退団時には東北楽天ゴールデンイーグルスからフロント入りのオファーがあった。同年秋に発足したばかりの楽天はゼネラルマネージャーにマーティ・キーナートを招聘(翌4月、成績不振のため球団アドバイザーに降格)、キーナートと三輪は太平洋時代から約30年近く親交があったことから、広島での経験が豊富な三輪にオファーを掛けたものの、三輪は退職後は故郷にUターンする意思を早い段階で固めていた為この誘いを固辞し、予定通り新潟に帰郷。地元の特定非営利活動法人「新潟野球人」に参加し、少年野球の指導などを行っていた。

また、2009年から2013年まで新潟日報プロ野球アドバイザーを務め、2015年には新潟日報事業社から自叙伝「マウンド人生~絆つむいで」を出版した。

2021年8月23日、白血病により死去。告別式は親近者により行われた。

1975年の終盤、優勝争い真っ只中の9月26日と27日に新潟市営鳥屋野野球場でヤクルト戦が開催され、地元入りしたが、2日間ともに三輪の登板機会は無かった。同球場は設備が不充分で、控室も狭く使い勝手が悪かった。業を煮やした選手達から、三輪は口々に嘆息されたという。引退後にマネージャーとなってからも新潟県内で試合があるたびに、三輪は毎回のように選手・コーチから施設に対する不満をこぼされていたという。

江夏豊が広島に在籍していた頃、江夏は三輪を「悟ちゃん」と呼び、兄のように慕っていた。三輪は2009年6月に竣工した新潟県立野球場で7月7日・8日に予定されている阪神2連戦の始球式のオファーを江夏に出した。三輪から直々のオファーを受けると「悟ちゃんが頼むんなら、断るわけにはいかん」と二つ返事で快諾。8日、同11回戦の試合前に広島のユニフォーム姿で始球式に臨み、観客から喝采を浴びた。なお江夏は、現役時代に三輪と初めて顔を合わせた時の印象について、後に「腰が低いので年下かと思っていたら、3つ年上だと聞いてびっくりした」と語っている。

西鉄(西鉄ライオンズ)は、1973年に太平洋(太平洋クラブライオンズ)に球団名を変更

初登板:1970年4月12日、対東映フライヤーズ2回戦(小倉球場)、3回表から2番手で救援登板、3回2失点

初勝利・初先発勝利:1970年5月29日、対南海ホークス2回戦(大阪球場)、8回無失点

オールスターゲーム出場:1回 (1970年)

16 (1970年 - 1980年)

^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

^ 1970年三輪悟、全登板成績【新人ながら200回超え&オールスター選出】 - クラシックSTATS鑑賞

^ 1975・76年三輪悟、全登板成績【太平洋から移籍、リリーフ役を全う】 - クラシックSTATS鑑賞

^ 元広島・三輪悟さん死去新潟日報(2021年11月4日).2021年11月5日閲覧。

^ ただし、広島や阪神が絡む試合での始球式については、これまでにも数回登板したことがあり、阪神絡みでは田淵幸一と一緒に阪神のユニフォーム姿で出たこともあった。

埼玉西武ライオンズの選手一覧

広島東洋カープの選手一覧

新潟県出身の人物一覧

1位:泉沢彰

2位:三輪悟

3位:阪口忠昭

4位:西島正之(入団拒否)

5位:片岡旭

6位:山本秀樹

7位:花田敏郎

8位:柳田豊

9位:上薄淳一

VIAF

MusicBrainz

日本の野球選手

信越硬式野球クラブ及びその前身チームの選手

埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手

広島東洋カープ及び広島カープの選手

NPBオールスターゲーム選出選手

新潟県出身のスポーツ選手

新潟市出身の人物

白血病で亡くなった人物

1945年生

2021年没

野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

VIAF識別子が指定されている記事

MusicBrainz識別子が指定されている記事

2024/09/24 17:32更新

miwa satoru


三輪悟と同じ誕生日9月18日生まれ、同じ新潟出身の人

高橋 まゆこ(たかはし まゆこ)
9月18日生まれの有名人 新潟出身

高橋 まゆこ(たかはし まゆこ、9月18日 - )は、日本の女性声優。ケンユウオフィス所属。新潟県出身。血液型はO型。 アストロボーイ・鉄腕アトム(子供、主婦) 宇宙のステルヴィア(アキコ・ミルズ、…

八代 進一(やしろ しんいち)
1969年9月18日生まれの有名人 新潟出身

八代 進一(やしろ しんいち、1969年9月18日‐)は、日本の男性俳優、声優。花組芝居所属。新潟県出身。 こちら葛飾区亀有公園前派出所(小吉) 遊☆戯☆王デュエルモンスターズ(ビッグ3大岡筑前/ジ…

小和田 恆(おわだ ひさし)
1932年9月18日生まれの有名人 新潟出身

小和田 恆(小和田 恒、おわだ ひさし、1932年〈昭和7年〉9月18日 - )は、日本の外交官、国際法学者。第22代国際司法裁判所(ICJ)所長。 国連大使・外務事務次官などを歴任。皇后雅子の実父…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


三輪悟と近い名前の人

我妻 三輪子(わがつま みわこ)
1991年2月11日生まれの有名人 東京出身

我妻 三輪子(わがつま みわこ、1991年2月11日 - )は、日本の女優、ファッションモデル、歌手、タレント、作詞家。浅井企画所属。 2002年、女子小中学生向けファッション雑誌『ニコラ』(新潮社…

三輪 晴香(みわ はるか)
1996年1月4日生まれの有名人 滋賀出身

三輪 晴香(みわ はるか、1996年1月4日 - )は、日本の女優。元アイドル。滋賀県出身。 ミスFLASH2014ファイナリスト。ミスヤングチャンピオン2014グランプリ。ヤンチャン学園2期生。お…

三輪 記子(みわ ふさこ)
1976年10月24日生まれの有名人 京都出身

三輪 記子(みわ ふさこ、1976年10月24日 - )は、日本の弁護士、タレント。松竹芸能所属。 京都府出身、東京都在住。 京都府京都市出身。実家は浄土宗の寺だが、父はサラリーマンだった。 同志…

三輪 ひとみ(みわ ひとみ)
1978年12月18日生まれの有名人 神奈川出身

三輪 ひとみ(みわ ひとみ、1978年12月18日 - )は、日本の女優。所属事務所は、ヒロオフィスカンパニーから三輪ミュージックオフィス(三輪三姉妹の個人事務所)に移籍し、現在はアンテーヌ所属。 …

三輪 明日美(みわ あすみ)
1982年3月12日生まれの有名人 神奈川出身

三輪 明日美(みわ あすみ、1982年3月12日 - )は、日本の女優。有限会社Breath所属。女優の三輪ひとみは実姉であり、元女優の三輪恵未は実妹である。神奈川県横浜市出身。神奈川県立東金沢高校(…

三輪 麻未(みわ あさみ)
1988年11月29日生まれの有名人 東京出身

三輪 麻未(みわ あさみ、1988年11月29日 - )は、日本のファッションモデル、タレント。 東京都出身。オスカープロモーション所属 2011年3月に大妻女子大学を卒業。3歳下の弟がいる。 …

三輪 士郎(みわ しろう)
1978年11月9日生まれの有名人 出身

三輪 士郎(みわ しろう、1978年11月9日 - )は、日本の男性漫画家・イラストレーター。現在『狗-DOGS-』(以下DOGS)の続編『DOGS/BULLETS&CARNAGE』を『ウルト…

三輪 勝恵(みわ かつえ)
1943年10月12日生まれの有名人 大阪出身

三輪 勝恵(みわ かつえ、1943年10月12日 - 2024年6月19日)は、日本の女性声優、ナレーター。大阪府出身。青二プロダクション最終所属。 大阪府に生まれ、4歳の頃引越して東京都港区で育つ…

三輪 隆博(みわ たかひろ)
1990年2月7日生まれの有名人 岐阜出身

三輪 隆博(みわ たかひろ、1990年2月7日 - )は、日本の男性声優。岐阜県出身。マウスプロモーション所属。 専門学校東京ビジュアルアーツ卒。 マウスプロモーション附属俳優養成所入所を経て、マ…

三輪 嘉六(みわ かろく)
1938年2月17日生まれの有名人 岐阜出身

三輪 嘉六(みわ かろく、1938年(昭和13年)2月17日 - )は、日本の考古学者。独立行政法人国立文化財機構九州国立博物館元館長。専門は考古学、文化財学。 岐阜県瑞浪市出身。日本大学文学部(現…

三輪 秀香(みわ ひでか)
1985年3月18日生まれの有名人 三重出身

三輪 秀香(みわ ひでか、1985年3月18日 - )は、NHKの元アナウンサー。 三重県津市出身。高田高等学校を経て、早稲田大学教育学部を卒業後、2008年に入局。 大学における卒業論文のテーマ…

三輪 里香(みわ りか)
1966年10月11日生まれの有名人 東京出身

三輪 里香(みわ りか、1966年10月11日 - )は、日本の元女優。 東京都出身。千葉県八千代市育ち。三人兄妹の末っ子 で、愛称は「リーちゃん」。 1978年、角川映画『野性の証明』の長井頼子…

三輪 和雄(みわ かずお)
1927年8月1日生まれの有名人 愛知出身

8月1日生まれwiki情報なし(2024/09/27 18:42時点)

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
三輪悟
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人 暇空茜 りんごちゃん_(ものまねタレント)

グループ

Prizmmy☆ ライムベリー でんぱ組.inc LinQ 乙女新党 CoverGirls Silent Siren 愛乙女★DOLL ひめキュンフルーツ缶 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「三輪悟」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました