もしもし情報局 > 1990年 > 8月22日 > 野球選手

上本崇司の情報 (うえもとたかし)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

上本崇司の情報(うえもとたかし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

上本 崇司さんについて調べます

■名前・氏名
上本 崇司
(読み:うえもと たかし)
■職業
野球選手
■上本崇司の誕生日・生年月日
1990年8月22日 (年齢33歳)
午年(うま年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
広島出身

(平成2年)1990年生まれの人の年齢早見表

上本崇司と同じ1990年生まれの有名人・芸能人

上本崇司と同じ8月22日生まれの有名人・芸能人

上本崇司と同じ出身地広島県生まれの有名人・芸能人


上本崇司と関係のある人

天谷宗一郎: 2017年のチーム連覇達成した時、菊池涼介が前年の胴上げ中にカンチョーしたのを聞いて、天谷も上本崇司にカンチョーを実行した。


熊代聖人: 準々決勝では野村祐輔、土生翔平、上本崇司、小林誠司を擁する広陵高等学校に敗れる。


大田泰示: 中学時代の所属クラブである松永ヤンキースでは上本崇司がおり、中学2年の時は三遊間、3年時はバッテリー(大田が投手)を組んでいた。


上本博紀: 広島東洋カープ所属の上本崇司は実弟。


関谷亮太: また、高校時代に続いて山﨑・高山とチームメイトになったほか、1学年先輩に上本崇司や石川駿、同級生に岡大海、2学年後輩に上原健太・坂本誠志郎・菅野剛士がいた。


金山泉: 審判団から降雨ノーゲームを宣告された直後には、広島の上本崇司内野手によるチームメイト・新井貴浩内野手(元阪神)のユニフォーム(背番号25)姿でのベースランニングを実況することで、中継を締めくくっている。


原樹理: 4回に上本崇司に対して頭部死球を与え危険球退場処分となった。


田中健二朗: 静岡県勢としては平成時代初のベスト4入りを果たしたものの、野村祐輔、小林誠司、土生翔平、上本崇司らを擁する広陵高等学校に敗れた。


中井哲之: 上本崇司(広島東洋カープ)


小林誠司: 甲子園ではエースの野村祐輔、土生翔平、上本崇司らと共に春は8強、夏は準優勝。


内川聖一: シーズンオフには「チーム内川」と称される合同自主トレを行っており、上林誠知らホークスの選手のみならず、球団の垣根を越えて白崎浩之や松本啓二朗、鈴木誠也や小窪哲也、上本崇司など内川を慕う他球団の選手が参加している。


石川駿: 大学時代のチームメイトは2学年上に荒木郁也、1学年上に野村祐輔、阿部寿樹、島内宏明、柴田章吾、同学年に上本崇司、1学年下に岡大海、関谷亮太、2学年下に山﨑福也、糸原健斗、福田周平、3学年下に上原健太、坂本誠志郎、髙山俊などがおり、阿部とはプロ入り後再びチームメイトとなっている。


野村祐輔: 高校の2学年先輩には藤川俊介、1学年先輩に吉川光夫、同級生に土生翔平、小林誠司、1学年後輩に中田廉、上本崇司がいた。


土生翔平: 第89回全国高等学校野球選手権大会では準決勝の常葉菊川戦で主戦の田中健二朗から先制のソロホームランを放つなど活躍し、エースの野村祐輔、小林誠司、1学年後輩の上本崇司らと共にチームを準優勝に導いた。


中田廉: 同校の1学年先輩には野村祐輔、小林誠司、土生翔平、同学年には上本崇司がいた。


上本崇司の情報まとめ

もしもしロボ

上本 崇司(うえもと たかし)さんの誕生日は1990年8月22日です。広島出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、人物などについてまとめました。兄弟に関する情報もありますね。去年の情報もありました。上本崇司の現在の年齢は33歳のようです。

上本崇司のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

上本 崇司(うえもと たかし、1990年8月22日 - )は、広島県福山市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。

実兄は元阪神タイガースの上本博紀。

兄である博紀の影響を受け、小学校1年の時から「松永ソフトボールクラブ」にてソフトボールを始める。福山市立大成館中学校時代は地域の軟式野球クラブ・松永ヤンキースに所属し、3年時に西日本大会準優勝。1年秋から遊撃手、2年秋から捕手で大田泰示とバッテリーを組んでいた。

広陵高等学校では1年秋からレギュラー。遊撃手で2年春・夏、3年夏の3度甲子園に出場し2年時に1学年上の野村祐輔・小林誠司・土生翔平らと共に選抜ではベスト8。全国選手権では決勝で敗れ準優勝となった。2番打者を務め、春は3試合で打率.300(10打数3安打)、4盗塁、夏は6試合で打率.308(26打数8安打)、6盗塁。3年夏は1番で起用され、6試合、打率.565、4盗塁と県大会優勝に貢献し、同学年の中田廉らと共に出場した甲子園では1回戦高知高校戦で4安打2打点、2回戦の横浜高校戦でも2安打2打点と貢献するが敗退。初回に土屋健二から左越えソロ本塁打を放ち、兄・博紀とあわせて史上初となる兄弟揃っての甲子園先頭打者本塁打を記録している。

巨人、中日、広島などプロ7球団から注目されたが、志望届は提出せず、兄・博紀と同じ大学で比較されるのが嫌なのと先輩・野村祐輔がいるという理由で 明治大学進学を選択した。

明治大学では守備力を評価され、遊撃手だった荒木郁也のポジションを奪い、1年春から全試合にスタメン出場。2年春から3年秋までは二塁手、4年春からは再び遊撃手となる。打撃面では3年春まで低迷し、打率も3割を超えることがなかったが、選球眼がよく四死球を呼び込み、出塁率は2年春は.400、3年春は.315だった。2年春・早稲田大戦で大石達也の148km/hの直球を捉え、初本塁打となる左越え2ランを放つ。3年生になって1番、2番に打順を上げ、秋に13安打を放ち、打率.283(15位)、12四死球で出塁率.431と好結果を残し、法大3回戦で猛打賞を記録。勝ち点5での完全優勝に貢献した。第42回明治神宮野球大会でも愛知学院大学との決勝戦で三塁打を放つなど、野村祐輔・島内宏明らと優勝に貢献した。4年生になると遊撃手のレギュラーとして活躍。主に1番打者を務め、春は打率.227、出塁率.346。秋はバットを短くもつスタイルに変え、打率を上げ、打率.245、出塁率.323。東京六大学野球連盟リーグ通算98試合、打率.205(292打数60安打)、7二塁打、2本塁打、24打点、20盗塁、56四死球、33犠打を記録した。

2012年10月25日に行われたドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け、契約金7000万円、年俸1000万円(金額は推定)で契約し、入団した。背番号は0。

2013年は、5月7日の横浜DeNAベイスターズ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)での代打で一軍デビューを果たした。9月18日に同球場で開かれた阪神戦では、7回表から崇司が遊撃の守備に就くと、兄・博紀もその裏の守備から二塁手として登場。いずれも守備固めとしての起用ながら、野球人生で初めて同じ試合に兄弟揃って出場した。シーズンを通して一軍公式戦30試合に出場、安打こそ2本に終わったものの、スタメン起用の機会があったほか、2打点を記録した。

2014年は、代走や守備固めとしての起用を中心に18試合に出場したが、2015年は一軍での試合出場がなかった。

2016年は、代走及び守備固めの起用で7試合に出場にとどまった。

2018年は、打席に立つ機会こそ少なかったもののシーズンを通して一軍に帯同、代走守備固め中心で59試合に出場した。

2020年より、右打ちに専念することとなった。同年8月28日にはプロ8年目にして初のサヨナラ打を放ち、2020年シーズンのカープ初のサヨナラ勝ちの立役者となった。

2022年は「8番・中堅手」で自身初の開幕スタメンを勝ち取り、「10年目の大ブレイク」を果たす。9月10日の東京ヤクルトスワローズ戦では、10年目にして公式戦で初の本塁打を放つなどシーズン自己最高94試合に出場。規定打席には及ばなかったものの、80本のヒットを放ち(9年目までの通算ヒットは35)、打席.307、2本塁打、17打点と全てにおいて自己最高のシーズンを送り、12月1日の契約更改では、前年から倍増以上の昇給を勝ち取り、2900万円で契約を更改した。

2023年は4番を務めていた西川龍馬の離脱により7月下旬から8月上旬にかけて代わって4番を務めた。最終的に84試合の出場で打率.259、1本塁打、17打点の成績で、オフに1200万円アップの4100万円で更改した。

選手としての特徴

内・外野の複数ポジションを守れるユーティリティープレイヤー。50メートル走5.9秒の俊足と遠投110メートルの強肩を誇り、華麗なフットワークで高い守備力を誇る。打撃では選球眼の良さと粘り強さが武器。

2014年シーズン終了後の日南秋季キャンプから、緒方孝市監督の助言を受けて左打ちにも取り組み、2015年より正式にスイッチヒッターに転向した。しかし、転向後2年間(2016年まで)は一軍で打席に立つ機会がなく、2017年以降は左打席に立つこともあったが結果を残せず、打撃の向上には至らなかったため、2019年シーズン途中で断念し、右打席に専念することになった。2020年に正式に選手登録を両打ちから右打ちに変更した。

広島スカウト部長の苑田聡彦からは肩と足そしてスローイングの良さを評価されている。一方で打撃が課題と評されているが、2020年頃から向上の兆しを見せている。

人物

仮契約交渉時に印鑑を忘れ、東京都武蔵野市のホテルから調布市の自宅へ取りに戻ったことがある。

試合の際は1打席目は緊張すると語っている。また、春季キャンプ時に一軍の練習に初めて合流した際にも「緊張で疲れた」とコメントした。

明るい性格でムードメーカー役を買って出ることが多く、2014年からマツダスタジアムでヒーローインタビューに上がったチームメイトに水をかけたり、広島主催試合で雨天中止となった際のパフォーマンス(例:選手の物真似をしながら打席に入り、ダイヤモンドを一周してヘッドスライディングをする、など)もお約束となっている。

広島入団後につけた背番号0について「木村(拓也)さんが付けていた『0』に決まった時は、むちゃくちゃ嬉しかった」と語っている。

夫人は広島県を拠点にサッカー・Jリーグサンフレッチェ広島の広報としてサンフレッチェレディースを務めるなど、フリーアナウンサーとして活動していた中原衣美。

2024/06/15 14:13更新

uemoto takashi



TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


上本崇司と近い名前の人

上本 大海(うえもと たいかい)
1982年6月1日生まれの有名人 鹿児島出身

上本 大海(うえもと たいかい、1982年6月1日 - )は、鹿児島県指宿市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。現在はJリーグ・大分トリニータの強化部スカ…

植本 梨沙(うえもと りさ)
1985年6月18日生まれの有名人 大阪出身

6月18日生まれwiki情報なし(2024/06/13 18:08時点)

上本 博紀(うえもと ひろき)
1986年7月4日生まれの有名人 広島出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 上本 博紀(うえもと ひろき、1986年7月4日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 …

上本 達之(うえもと たつゆき)
1980年11月8日生まれの有名人 山口出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 上本 達之(うえもと たつゆき、1980年11月8日 - )は、山口県宇部市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)。右投左打。 宇部…

上本 孝一(うえもと こういち)
1963年4月29日生まれの有名人 京都出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 上本 孝一(うえもと こういち、1963年4月29日 - 2006年5月5日)は、京都府舞鶴市出身のプロ野球選手(捕手)、プロ野球審判…

植本純米(うえもと じゅんまい)
1967年6月27日生まれの有名人 岩手出身

植本 純米(うえもと じゅんまい、1967年6月27日 - )は、日本の男性俳優、声優、司会、インタビュアー。岩手県出身。キューブ所属。本名及び旧芸名は植本 潤(うえもと じゅん)。屋号は白符屋(しら…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
上本崇司
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

やるせなす SixTONES ももクロ Timelesz ベイビーレイズ predia THE ポッシボー TEAM★NACS Kis-My-Ft2 9nine 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「上本崇司」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました