中尾佐助の情報(なかおさすけ) 植物学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
中尾 佐助さんについて調べます
■名前・氏名 |
中尾佐助と関係のある人
本多勝一: 中尾佐助「この本はニューギニアというより、新石器時代とはどんな時代であったかを知るために、世界で一番役立つ本」「英語でもこれに匹敵する本の存在を知らない」 水越武: 「水越武写真集 日本の原生林」(文・中尾佐助) 1990年 岩波書店 本多勝一: 講師は今西、中尾佐助、川喜田二郎、桑原武夫、梅棹、藤田和夫であった。 西岡京治: 中尾佐助共著『ブータンの花』朝日新聞社、1984年 のち北海道大学出版会 本多勝一: 桑原武夫「(中尾佐助の『日本こそ、世界の最後の秘境かもしれないね』という言葉とともに)私たちの思想を鍛える鉄床となるはずである」 西岡京治: 大阪府立大学大学院農学研究科に進み、中尾佐助に師事する。 桑原武夫: 実際に京都大学ブータン学術調査隊総裁として松尾稔隊長とともに隊を率いて同国に渡るのは1969年であり、中尾佐助による1958年の植物調査から10年後のことであった。 |
中尾佐助の情報まとめ
中尾 佐助(なかお さすけ)さんの誕生日は1916年8月12日です。愛知出身の植物学者のようです。
卒業に関する情報もありますね。1993年に亡くなられているようです。
中尾佐助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)中尾 佐助(なかお さすけ、1916年8月16日 - 1993年11月20日)は、日本の植物学者。専門は、遺伝育種学・栽培植物学。ヒマラヤ山麓から中国西南部を経て西日本に至る「照葉樹林帯」における文化的共通性に着目した「照葉樹林文化論」を提唱した。大阪府立大学名誉教授。 1916年、愛知県豊川市金屋町で生まれた。1935年、第八高等学校理科甲類に入学。1938年3月に卒業し、翌1939年4月、京都帝国大学農学部に入学。1941年、同大学同学部農林生物学科卒業。 同1943年、同大学理学部の応用植物学講座副手に採用された。応用植物学講座に所属し、研究に従事した。1942年2月、臨時召集を受けて陸軍中部62部隊に所属したが、同年5月に召集解除となり、財団法人木原生物学研究所に嘱託として勤務することとなった。1944年7月、蒙古聯合自治政府領・張家口に西北研究所が設立されると、所員となった。しかしながら時局の悪化に伴い、1945年4月に再び臨時召集。陸軍15604部隊に属し、終戦を迎えた。同年10月に復員。 帰国後の1945年10月、財団法人木原生物学研究所副所員に就いた。1949年5月、京都大学農学部副手を辞職して浪速大学農学部講師に就任。大学では、遺伝育種学講座を担当した。1951年に同助教授、1961年に同教授に昇格。1962年、学位論文「Studies on the taxonomy, origins and transmittance of the crops in the Sino-Himalayan range」を京都大学に提出して農学博士の学位を取得。 1980年に大阪府立大学を定年退職し、名誉教授となった。その後は鹿児島大学教授となり、鹿児島大学南方地域総合研究センター長をつとめた。1982年、鹿児島大学を定年退職。 1993年に死去。墓は京都嵯峨野天龍寺にある。 1960年:第8回日本エッセイストクラブ賞。『秘境ブータン』に対して。 1962年:なにわ賞を受賞。文化振興につくした業績による。 1987年:第41回毎日出版文化賞を受賞。『花と木の文化史』に対して。 1989年:勲三等旭日中綬章 1990年:第26回秩父宮記念学術賞を受賞。「栽培植物と農耕の起源に関する文化複合の民族植物学的研究」の業績により。 京大在学中から、朝鮮北部、モンゴル、ネパール、ブータン、インド北東部、ミクロネシア、サハリンなどを探検し、植物分布などの学術調査を行った。1952年、日本山岳会のマナスル踏査隊に参加し、また1958年には日本人として初めてブータンを訪問し、単身踏査。ネパール・ヒマラヤの照葉樹林帯における植生や生態系を調査する中で、そこに生活する人々の文化要素に日本との共通点が多いことを発見、後に佐々木高明らとともに「照葉樹林文化論」を提唱するに至る。 西岡京治:中尾の大阪府立大学時代の教え子である西岡京治は、コロンボ計画の一環としてブータンの農業技術指導に半生を捧げ、後に国の恩人としてジグミ・シンゲ・ワンチュク国王から最高爵位を受けている。 夫人:稲垣和子 『秘境ブータン』毎日新聞社 1959
岩波現代文庫 2011年 『ヒマラヤの花』毎日新聞社 1964 『栽培植物と農耕の起源』岩波新書 1966 『アジア文化探検』講談社現代新書 1968 『ニジェールからナイルへ 農業起源の旅』講談社 1969
『料理の起源』日本放送出版協会(NHKブックス) 1972
『栽培植物の世界』中央公論社(自然選書) 1976 『現代文明ふたつの源流 照葉樹林文化・硬葉樹林文化』朝日選書 1978 『花と木の文化史』岩波新書、1986 『分類の発想:思考のルールをつくる』朝日選書、1990 『中尾佐助著作集』(全6巻) 北海道大学図書刊行会、2004-2006 1巻『農耕の起源と栽培植物』 2巻『料理の起源と食文化』 3巻『探検博物学』 4巻『景観と花文化』 5巻『分類の発想』 6巻『照葉樹林文化論』 『続・照葉樹林文化 東アジア文化の源流』上山春平・佐々木高明共著、中公新書 1976 『日本文化の系譜 対論3 上山春平』徳間書店 1982 『ブータンの花:FLOWERS OF BHUTAN』西岡京治と共著、朝日新聞社 1984 『照葉樹林文化と日本』佐々木高明と共著、くもん出版 1992 『オーストロネシアの民族生物学 東南アジアから海の世界へ』秋道智彌共編、平凡社 1999 『中尾佐助文献・資料総目:照葉樹林文化論の源流』(大阪府立大学)PDF 中尾佐助先生について・年譜(中尾佐助スライドデータベース) 牧野富太郎と中尾佐助。自然の神秘を心から愛し、探求し続けた植物学者の業績(Brutus) ^ 年譜(中尾佐助先生について) ^ 『京都帝国大学一覧 昭和17年度』京都帝国大学、1943年、p.457 ^ CiNii(学位論文) ^ “書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2018年2月2日閲覧。 ^ 「秋の叙勲 受章者4492人 隠れた功労積み重ねた人にも光」『読売新聞』1989年11月3日朝刊 半栽培 西北研究所 京都学派 西岡京治 宮崎駿 FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー ドイツ アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 人物の画像提供依頼 日本の植物学者 日本の農学者 西北研究所の人物 大阪府立大学の教員 鹿児島大学の教員 京都大学出身の人物 愛知県出身の人物 勲三等旭日中綬章受章者 1916年生 1993年没 日本・ブータン関係 農学博士取得者 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BIBSYS識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/23 15:39更新
|
nakao sasuke
中尾佐助と同じ誕生日8月12日生まれ、同じ愛知出身の人
TOPニュース
中尾佐助と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「中尾佐助」を素材として二次利用しています。