丸山誠治の情報(まるやませいじ) 映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
丸山 誠治さんについて調べます
■名前・氏名 |
丸山誠治と関係のある人
門脇三郎: 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965年 丸山誠治監督) 恩田清二郎: 『男ありて』:監督丸山誠治、1955年5月10日公開 - 殴られるアンパイア 八田尚之: 坊っちゃん 1953年 監督丸山誠治、原作夏目漱石 高瀬昌弘: 現代紳士野郎 (1964/11/21 有島一郎主演 丸山誠治監督 チーフ) 平田昭彦: 日本海大海戦(1969年、丸山誠治監督) - 津野田参謀 高瀬昌弘: サラリーマンご意見帖 男の一大事 (1960/2/14 小林桂樹主演 丸山誠治監督 チーフ) 門脇三郎: 連合艦隊司令長官 山本五十六(1968年 丸山誠治監督) 久保明: 日本海大海戦(1969年、丸山誠治監督) - 松井大尉 手塚勝巳: 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965年 丸山誠治監督):秋雲艦長 平田昭彦: 伊津子とその母(1954年、丸山誠治監督) - 三好光三 西田健: 北ホテルⅢ(2005年3月8日) - 丸山誠治 平田昭彦: 連合艦隊司令長官 山本五十六(1968年、丸山誠治監督) - 渡辺戦務参謀 青山恭二: 大学を中退して『朝霧』(監督:丸山誠治、1955年)でデビューした後、映画製作を再開した日活に移籍して、『東京の人 前後篇』(監督:西河克己、1956年)に出演した。 関川秀雄: 同期に黒澤明と丸山誠治。 田中澄江: 女ごころ(丸山誠治監督、1959年) 平田昭彦: 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965年、丸山誠治監督) - 工藤軍医長 今福将雄: 連合艦隊司令長官 山本五十六(1968年、丸山誠治監督) - 畑陸軍大臣 高瀬昌弘: 初恋物語 (1957/9/15 山村聡主演 丸山誠治監督 不明? 恩田清二郎: 『君死に給うことなかれ』:監督丸山誠治、1954年8月31日公開 - 医師A 東恵美子: 君に幸福を センチメンタル・ボーイ(1967年) - 監督:丸山誠治 恩田清二郎: 『伊津子とその母』:監督丸山誠治、1954年2月17日公開 - 佐々木勝造 平田昭彦: 大空のサムライ(1976年、丸山誠治監督) - 大薗中佐 田波靖男: 初脚本作品は、1961年の『慕情の人』(丸山誠治監督)で依頼していた脚本家2人が脚本を完成できず、文芸部による後始末として田波が執筆することになったものであった。 高瀬昌弘: その間に黒澤明監督『隠し砦の三悪人』(1958年)の助監督につき、丸山誠治監督『サラリーマン御意見帖 男の一大事』(1960年)でチーフ助監督に昇進。 渡辺浦人: 坊っちゃん(丸山誠治監督) 久保明: 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965年、丸山誠治監督) - 俵少尉 恩田清二郎: 『現代の欲望』:監督丸山誠治、1956年6月22日公開 - 清水 国弘威雄: 地方記者(1962年、丸山誠治監督、東宝) ※関沢新一との共同脚本 実相寺昭雄: 日露戦争を題材とした東宝映画『日本海大海戦』(1969年、丸山誠治監督)では、撮影小道具として祖父長谷川大将の勲章類を提供。 久保明: 連合艦隊司令長官 山本五十六(1968年、丸山誠治監督) - 高野大尉 |
丸山誠治の情報まとめ
丸山 誠治(まるやま せいじ)さんの誕生日は1912年6月15日です。山口出身の映画監督のようです。
映画、卒業、ドラマ、病気、引退、家族、結婚、テレビ、事件に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1989年に亡くなられているようです。
丸山誠治のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)丸山 誠治(まるやま せいじ、1912年(明治45年)6月15日 - 1989年(平成元年)11月22日)は、日本の映画監督。男性映画を得意とする一方、司葉子のデビュー作を撮った監督としても知られる。代表作に『男ありて』『太平洋奇跡の作戦 キスカ』『日本海大海戦』など。77歳にて死去。 山口県山口市道場門前町の出身。1933年、再興官立旧制山口高等学校卒業。京都帝国大学(現・京都大学)法学部在学中に同大学交響楽団の第一バイオリン・メンバーとして、アルバイトで映画音楽演奏の仕事などもこなした。 1936年、大学卒業と同時にPCL(東宝の前身)に入社。同期に黒澤明、関川秀雄らがいる。山本嘉次郎の助監督となるが、1937年と1943年の二度にわたり応召。日中戦争に従軍したために監督昇進が遅れる。 1951年、師・山本嘉次郎脚本の映画『三太物語』で監督デビュー。初期はホームドラマを量産する。 1954年、有馬稲子、池部良主演で『君死に給うことなかれ』の撮影に入るが、有馬が病気により降板。代役としてたまたま当時家庭よみうりのグラビアを飾っていた毎日放送局の社員・司葉子を起用して成功。 司をスターダムに押し上げた。 1955年には、志村喬が引退を控えたプロ野球の監督を演じた『男ありて』を監督。硬派のスポーツ映画を目指し、そこに男性的なホームドラマを絡めたこの作品は、のちに澤地久枝が著した志村喬の評伝にタイトルが使われるなど、志村の代表作の一つとなる。 1965年、『太平洋奇跡の作戦 キスカ』で初の戦争映画に挑戦。関係者に綿密な取材を行い、キスカ島守備隊の生存者をアドバイザーとして撮影に立ち会わせるなどして、太平洋戦争中の知られざる無血撤退作戦の映画化に臨んだ。 これで戦争映画の力量を認められ、1967年以降東宝が年1本ペースで大作戦争映画を製作するようになると、三船敏郎を主演に迎えて『連合艦隊司令長官 山本五十六』と『日本海大海戦』を監督する。この2本は、東宝特撮とのコラボレーションであり、特に後者は円谷英二の遺作として特撮が最大の見せ場になっているが、世界レベルで舞台が移動する壮大なドラマを手際良く処理する丸山の演出も、映画の完成度をより高めることとなった。一方、山本五十六や東郷平八郎とその家族を頂点として、さまざまな登場人物の家族ドラマや青春ドラマが交錯する群像劇に、東宝の普通級作品(プログラムピクチャー)で数々のホームドラマや青春映画を監督してきた丸山の力量が存分に活かされた。 1979年にフリーとなり、念願だった日豪合作の戦争映画『南十字星』を最後に第一線を退いた。 三太物語(1951年) 思春期(1952年) 息子の花嫁(1952年) 母と娘(1953年) 坊っちゃん(1953年) 伊津子とその母(1954年) 君死に給うことなかれ(1954年) 兄さんの愛情(1954年) 男ありて(1955年) 朝霧(1955年) 現代の欲望(1956年) 山と川のある町(1957年) 山鳩(1957年) 憎いもの(1957年) 初恋物語(1957年) 二人だけの橋(1958年) 女ごころ(1959年) 悪魔の接吻(1959年) サラリーマン御意見帖 男の一大事(1960年) 姉さん女房(1960年) 続・姉さん女房 駄々っ子亭主(1960年) 慕情の人(1961年) B・G物語 二十才の設計(1961年) 地方記者(1962年) われらサラリーマン(1963年) 現代紳士野郎(1964年) 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965年) 石中先生行状記(1966年) 父子草(1967年) 君に幸福を センチメンタル・ボーイ(1967年) 連合艦隊司令長官 山本五十六(1968年)※脚本も担当 日本海大海戦(1969年) 商魂一代 天下の暴れん坊(1970年) 若い生命がここにある(1972年、三越創業三百年記念映画) 大空のサムライ(1976年) 朝やけの海(1976年) 南十字星(1982年)※ピーター・マックスウェルと共同監督 新婚さん(1966年、TBS)
結婚ぎらい(1969年、フジテレビ) 夫よ男よ強くなれ(1969年~1970年、NET)
第24回『今晩おひま…?』(1970年) 鬼平犯科帳(2)(1971年、NET)
マドモアゼル通り(1972年、よみうりテレビ)
第12回『デザイナーへの別れ道』 第16回『はるかに遠い星』 第17回『富士に誓う』 第18回『あの星に挑戦!』 子連れ狼(1973年~1976年、日本テレビ)
第25回『柳生封回状』(1973年) ライオン奥様劇場『愛あればこそ』(1973年、フジテレビ) 幡随院長兵衛お待ちなせえ(1974年、毎日放送)
第5回『吠えろ唐犬』 長崎犯科帳(1975年、日本テレビ)
第21回『辻斬り犯人を追え』 土曜ワイド劇場『目撃者なし』(1978年、テレビ朝日) 土曜ワイド劇場『翔んでる女が消えた!善福寺池バラバラ殺人事件』(1979年、テレビ朝日) ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 540, 「特撮映画スタッフ名鑑」 ^ 志村三代子・弓桁あや編『映画俳優 池部良』(ワイズ出版)259p、325p。なお、本書では家庭よみうりで司を発見したのはプロデューサーとされているが、2007年に本書の出版を記念して池袋・新文芸坐で開催された上映会『二枚目スター“池部良”の魅力のすべて』のうち、3月3日『早春』終了後のトークショーにおいて、池部自身が「司葉子を家庭よみうりで発見したのは丸山誠治監督」という要旨の発言をしていることから、当項目はその発言に倣うものとする。 ^ DVD『太平洋奇跡の作戦 キスカ』映像特典より。 ^ 吉永小百合版大空のサムライ(丸山誠治1976)映画に使われた賛美歌・国歌・伝承曲・大衆楽曲 映画全史1983">『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。 『山本薩夫演出の周辺』(シネフロント社・1984年12月) 『日本映画・テレビ監督全集』(キネマ旬報社・1988年12月) 川本三郎・筒井清忠『日本映画 隠れた名作 昭和30年代前後』(中公選書2014年)pp.253-258 日本の映画監督一覧 ISNI VIAF WorldCat スペイン ドイツ アメリカ 日本の映画監督 特撮スタッフ 日本のテレビディレクター 東宝の人物 京都大学出身の人物 旧制山口高等学校出身の人物 山口県出身の人物 1912年生 1989年没 外部リンクがリンク切れになっている記事/2023年2月 プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNE識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事
2024/11/04 12:53更新
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