仲木貞一の情報(なかぎていいち) 劇作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
仲木 貞一さんについて調べます
■名前・氏名 |
仲木貞一と関係のある人
沢田正二郎: 『新朝顔日記』『寝台列車』『飛行曲』(仲木貞一作)、京都南座 (1917.6) 沢田正二郎: 『深川音頭』(仲木貞一作)、弁天座 (1917.8) ジョン=ゴールズワージー: 社会劇全集 仲木貞一等訳 天佑社、1921 沢田正二郎: 『家門の犠牲』(仲木貞一作)、『飛行曲』/『ひぐらし物語』(澤田正二郎作)、『寝台列車』大阪角座 (1917.7) ジェームズ=チャーチワード: チャーチワード『南洋諸島の古代文化』仲木貞一訳、岡倉書房、1942年。 伊沢蘭奢: 1928年(昭和3年)1月、仲木貞一が書いた戯曲『マダムX』(帝国ホテル演芸場)に主演し、大当たりする。 沢田正二郎: 『秋の歌』(仲木貞一作)、弁天座 (1917.9) 下中弥三郎: 超古代史観の犬塚惟重が会長・友人のオカルティスト三浦関造が副会長の日猶懇話会の名誉会長を務め、仲木貞一、小笠原孝次、山根キクといった偽史関係者が集った。 秋田雨雀: 須磨子の一生 恋の哀史 仲木貞一共著 日本評論社出版部 1919 沢田正二郎: 『責任者』(中村吉蔵作)、『小梶丸』『社会の礎』(仲木貞一作)/ 『冬木心中』(額田六福作)、『城山の月』(岡本綺堂作)、公園劇場 (1922.11) |
仲木貞一の情報まとめ
仲木 貞一(なかぎ ていいち)さんの誕生日は1886年9月11日です。石川出身の劇作家のようです。
現在、卒業、解散、映画、テレビに関する情報もありますね。1954年に亡くなられているようです。
仲木貞一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)劇作家、編集者 読売新聞社 記者 芸術座 戯作者 新国劇 戯作者 玄文社 編集者 松竹蒲田撮影所 脚本家 日本大学美術科 講師 東京中央放送局 社会教育課長 仲木 貞一(なかぎ ていいち、1886年9月11日 - 1954年4月28日)は、日本の劇作家、編集者である。 1886年(明治19年)9月11日、仲木之稙の子として、石川県に生まれる。山口県に転じ、旧制・山口県立徳山中学校(現在の山口県立徳山高等学校)を卒業後、上京し、早稲田大学英文科を卒業する。 1910年(明治43年)、24歳のころ、新聞『萬朝報』の懸賞戯曲に応募し、『世の終り』が1等当選した。読売新聞社に入社、同新聞の記者をつとめる傍ら、秋田雨雀らと『劇と詩』を創刊している。その後、芸術座に入るが、1919年(大正8年)には同劇団は島村抱月と松井須磨子の死により解散した。のちに新国劇に参加し、座付作家として『飛行曲』、女優・伊沢蘭奢の当たり役『マダムX』などの戯曲を発表、劇場運営にも関わった。さらに、化粧品メーカーの伊東胡蝶園が設立した出版社「玄文社」(1916年 - 1923年)に入社、雑誌や書籍を編集した。 1920年(大正9年)6月に開所した松竹蒲田撮影所に33歳のときに入所、翌1921年(大正10年)、田村宇一郎監督の『悪夢』で映画脚本家としてデビューしている。1923年(大正12年)、日本大学美術科(現在の日本大学芸術学部)講師となり、演劇論・映画論を講義し、文部省社会教育調査委員をつとめた。 1927年(昭和2年)、40歳のころ、東京市芝区芝(現在の東京都港区芝)にあった日本放送協会東京中央放送局に入り、社会教育課長に就任した。 1939年にキリスト来日説をもとに戸来村に取材した映画「日本におけるキリストの遺跡を探る」を制作。出所の怪しいこの説を広める結果となる。 1942年(昭和17年)、ゼ・チャーチワード(ジェームズ・チャーチワード)の著書の翻訳『南洋諸島の古代文化』(岡倉書房)を上梓、ムー大陸説をほぼリアルタイムで日本に紹介している。 1952年、犬塚惟重(会長)、三浦関造(副会長)、下中弥三郎(名誉会長)、山根キクら偽史関係者が集う日猶懇話会を発足。 1954年(昭和29年)4月28日、死去した。満67歳没。長男の仲木繁夫は、大映で映画監督になり、その後、東宝(東京映画)で、雪村いずみ主演『あんみつ姫 甘辛城の巻』(1954年)やテレビ映画『怪奇大作戦』の監督として知られる。 世界名著物語 第5編『ハーデイ物語』、実業之日本社、1914年 現代文芸叢書第42編『曉 戯曲』、春陽堂、1914年 新知識叢書 第5編『飛行機の進歩』、実業之世界社、1915年 秋田雨雀共著『須磨子の一生』、日本評論社出版部、1919年 ゴールスワージー『社会劇全集上下巻』、天佑社、1919年 - 翻訳 マクシム・ゴーリキー ゴオルキイ全集 第5巻『浮浪人』、日本評論社出版部、1922年 - 翻訳 マクシム・ゴーリキーゴオルキイ全集 第8巻『同志の者』、日本評論社出版部、1923年 - 翻訳 『映画脚本の作り方』、弘文社、1925年 世界童話叢書 第10編『アメリカ童話集』、金蘭社、1927年 民衆文庫 第4篇『公共劇の理論と実際』、社会教育協会、1927年 小学生全集 77『教育映画物語』、興文社、1928年 雄文閣芸術叢書 第1輯(戯曲篇)『マダムX』、雄文閣、1932年 雄文閣芸術叢書 第2輯(戯曲篇)『飛行曲』、雄文閣、1932年 雄文閣芸術叢書 第3輯(戯曲篇)『蝕める恋』、雄文閣、1932年 吉田正良共著『最新トーキーの製作と映写の実際』、誠光堂、1935年 吉田正良共著『発声映画脚本の作り方』、弘文社、1935年 社会教育パンフレット第211輯『映画と観客心理』、社会教育協会、1935年 『支那を毒するユダヤ系英国人』、東京朝野新聞出版部、1937年 『北支に躍るスパイ戦』、東京朝野新聞出版部、1937年 『恋の銀翼』、東京朝野新聞出版部、1937年 『桜散る夜』、東京朝野新聞出版部、1937年 『蒙古に跳る我義勇軍』、東京朝野新聞出版部、1937年 『キリストは日本人なり?』、銀座書房、1939年 『キリストは何故日本に来たか?』、東亜文化協会、1940年 ゼ・チャーチワード『南洋諸島の古代文化』、岡倉書房、1942年 - 翻訳 『東湖と反射炉』、錦城出版社、1942年 『日蓮』、新生閣、1943年 『林子平』、弘学社、1944年 伝記叢書 318 秋田雨雀共著『恋の哀史 須磨子の一生』、大空社、1999年3月 ISBN 4756808832 『悪夢』 監督田村宇一郎、松竹蒲田撮影所、1921年7月15日 - 脚本 『午前二時半』 監督細山喜代松、富士発声、1933年1月26日 - 原作・脚本 ^ 映画「日本におけるキリストの遺跡を探る」『キリストは何故日本に来たか? : その遺跡を探る』仲木貞一 著 (東亜文化協会, 1940) ^ 『日本の偽書』藤原明、文春新書、2004/05, p65 ^ 吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史(<特集>スピリチュアリティ)」、『日本宗教学会宗教研究』第84巻第2号、日本宗教学会、2010年9月30日、 pp. 388-389. 仲木貞一 - 日本映画データベース 著作集 - 国立国会図書館デジタルコレクション ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 20世紀日本の編集者 20世紀日本の劇作家 日本大学の教員 戦前の読売新聞社の人物 松竹の人物 日本放送協会の人物 東京都出身の人物 山口県立徳山高等学校出身の人物 早稲田大学出身の人物 1886年生 1954年没 大正時代の文化 ISBNマジックリンクを使用しているページ プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/22 03:32更新
|
nakagi teiichi
仲木貞一と同じ誕生日9月11日生まれ、同じ石川出身の人
TOPニュース
仲木貞一と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「仲木貞一」を素材として二次利用しています。