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伊達公子の情報 (だてきみこ)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

伊達公子の情報(だてきみこ) テニス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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伊達 公子さんについて調べます

■名前・氏名
伊達 公子
(読み:だて きみこ)
■職業
テニス選手
■伊達公子の誕生日・生年月日
1970年9月28日 (年齢54歳)
戌年(いぬ年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
京都出身

(昭和45年)1970年生まれの人の年齢早見表

伊達公子と同じ1970年生まれの有名人・芸能人

伊達公子と同じ9月28日生まれの有名人・芸能人

伊達公子と同じ出身地京都府生まれの有名人・芸能人


伊達公子と関係のある人

マリア=シャラポワ: 前年優勝者として出場した2010年の大会では主催者推薦出場のクルム伊達公子に 5-7, 6-3, 3-6 で敗れ初戦で敗退している。


広田みのる: エステティックTBC「クルム伊達公子〜CHALLENGE BEAUTY〜」


浅越しのぶ: これは日本人女子として伊達公子以来10年ぶりのグランドスラムシングルスベスト8進出であった。


土川由加: 女子プロテニスプレイヤーの伊達公子とは局アナ時代から親交があり、彼女のマネージメントを担当していたこともある。


辻佳奈美: 杉山愛や伊達公子も所属した荏原SSCに通うため週末に夜行バスで神奈川県まで練習に行っていた。


杉山愛: 先輩の伊達公子が引退した後(2008年から現役復帰)、日本テニス界全体は杉山ひとりの活躍に頼りきりの状態が長期間続いていた。


木戸脇真也: 四ノ宮クラブの1年後輩である伊達公子とダブルスを組み活躍。


錦織圭: また、ATPツアー優勝9回はクルム伊達公子を抜き日本人最多記録。


雉子牟田明子: この時は伊達公子がグランドスラム大会で初めてシード選手に選ばれ(第14シード)、彼女もアランチャ・サンチェス・ビカリオとの4回戦まで進出したため、日本女子選手が2人ベスト16入りするという日本テニス界にとって大きな前進となる大会となった。


沢松奈生子: 2学年上のライバル伊達公子と並んで、日本女子テニス界の黄金時代を築いた名選手のひとりである。


沢松奈生子: この全豪オープンで沢松は4大大会の自己最高成績を記録し、1回戦は杉山愛に勝ち、3回戦でライバルの伊達公子に5年ぶりの勝利を収めた。


杉山愛: スポーツジャーナリストの武田薫は2000年全米オープンダブルスでの優勝に際し「伊達公子のような素質もなければ、沢松奈生子のようなテニス環境を持っていた訳でもないが、杉山はジュニア時代からはっきりプロとして世界ツアーを回ることを目標に努力してきた選手であり、伊達や沢松を遥かに上回るプロ意識を持ち続けてきた選手だった。


神尾米: 伊達公子の刺激で日本女子テニス界が最盛期にあった頃に活躍した選手のひとりである。


膳場貴子: 東日本大震災被災地での取材活動や、駐日アメリカ大使・ジョン・ルースやプロテニスプレーヤー・クルム伊達公子等へのインタビューを行った。


杉山愛: 同月22,23日にドイツ・フライブルクで行われたワールドグループI1回戦、対ドイツ戦のダブルスで伊達公子とのペアで起用され、代表デビュー戦を勝利で飾っている。


岡川恵美子: その過程で、岡川は4回戦で神尾米、準々決勝で伊達公子、準決勝で岡本久美子を破って勝ち進んだ。その後1991年・1993年の2度全日本選手権の決勝に進出したが、1991年は伊達公子、1993年は遠藤愛にストレートで敗れている。


田中御早希: 『伊達公子と テニスであそぼ カモン!キッズテニス』MC


マリー=ピエルス: 1996年のウィンブルドン準々決勝では、センター・コートで日本の伊達公子に 6-3, 3-6, 1-6 の逆転で敗れている。


長塚京子: しかし、長塚の全盛期はあまりにも短く、1996年のウィンブルドンでは1回戦で第12シードの伊達公子と“日本人対決”が決まり、0-6, 3-6 で敗れてしまう。


土居美咲: また2008年からは本格的にシニアITFサーキット大会にも挑戦するようになり、奈良と組み主催者推薦で出場した7月の宮崎国際では2回戦で第1シードの瀬間詠里花/瀬間友里加組を3-6, 6-3, [10-6]の逆転で、決勝戦でクルム伊達公子/米村知子組を6-7(5), 7-6(4), [10-4]の逆転で下し、優勝している。


沢渡朔: 『In & out伊達公子』新潮社 2000


土佐ノ海敏生: 他に女子プロテニス選手のクルム伊達公子とも親交がある。


宮内美澄: 宮内は1996年に伊達公子、同期の神尾米が引退した後も国内の第一線で活動を続けた。


長塚京子: 第2日目のシングルス第1試合で伊達公子がグラフを 7-6, 3-6, 12-10 で破ったことから、会場内の盛り上がりは最高潮に達し、シングルス4試合が終了したところで「2勝2敗」になっていたため、勝敗の行方は最後のダブルス戦までもつれた。


ミハエル=クルム: 『パートナーピラティス』 (クルム伊達公子との共著) 2007年 ISBN 4062140349


平尾誠二: 2008年7月12日には日本サッカー協会理事に、同協会犬飼基昭会長の推薦で伊達公子(プロテニス選手)とともにサッカー界以外から就任したが、1期のみで退任している。


森田あゆみ: 張凱貞と組んだダブルスもクルム伊達公子、タナスガーン組に6-3, 7-6で勝利した。


藤原里華: 2012年のイーボックス・オープンのダブルスでクルム伊達公子と組み決勝に進出し、ソフィア・アルビドソン&カイア・カネピ組に 6–2, 4–6, [10–5] で勝利して、30歳で初のWTA大会のタイトルを獲得した(これまで5回決勝に進出したがいずれも準優勝に終わっていた)。


長塚京子: 1995年の全仏オープンは日本女子テニス界が頂点を極めた大会となり、長塚と杉山愛が4回戦まで進出し、エースの伊達公子が日本人女子選手初の準決勝進出を果たしている。


杉山愛: 続く2回戦では第4シードの伊達公子とに挑戦したが、1-6, 7-5, 3-6のフルセットで敗れた。


伊達公子の情報まとめ

もしもしロボ

伊達 公子(だて きみこ)さんの誕生日は1970年9月28日です。京都出身のテニス選手のようです。

もしもしロボ

卒業、結婚、離婚、父親、テレビ、引退、再婚、ドラマ、映画に関する情報もありますね。今年の情報もありました。伊達公子の現在の年齢は54歳のようです。

伊達公子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

伊達 公子 (だて きみこ、Kimiko Date、1970年9月28日 - ) は、日本の元女子プロテニス選手。京都府京都市上京区出身。WTAランキング自己最高位はシングルス4位、ダブルス28位。WTAツアー通算でシングルス8勝 (日本選手歴代2位記録)、ダブルス6勝を挙げている。

アジア出身の女子テニス選手として、史上初めてシングルス世界ランキングトップ10入り、日本選手21年ぶりのグランドスラムシングルスベスト4、日本女子選手初の全仏オープンシングルスベスト4・ウィンブルドン選手権シングルスベスト4進出者。

4大大会での女子シングルスベスト8入り6回は日本女子選手歴代最多記録である。また、準決勝進出3回は歴代2位の記録である。すべての4大大会でベスト8入りした最初の日本女子選手でもある。全豪オープン勝利 (オープン化以降)・ウィンブルドン3回戦進出の最年長記録、WTAツアーシングルス優勝・全仏オープン勝利の歴代2位の年長記録を保持している。2010年10月にWTA史上初の40歳以上でトップ10の選手に勝利を記録した。

「ライジング・ショット」の名手として、世界的に有名な選手である。これは、相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後の上がり端を打ち返す、非常に高度な技術である。世界トップ選手へと躍進し始めた頃の伊達は、“ライジング・サン”(日の出)と呼ばれた。

2008年の現役復帰後の所属はエステティックTBC。

本来は左利きであるが、子供の頃に日本の習慣に従って右利きに直された。そのため、テニスの試合でも相手選手がバックサイド(左側)に打ってきたボールを左打ちする場面がしばしば見られた。日常生活でも、サインの時などに左手を用いることがある。

大津市立瀬田南小学校、大津市立瀬田中学校(在校時バレーボール部)、園田学園高等学校卒業

2001年にドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルムと結婚結婚当初はクルム公子としたが、家庭裁判所での姓の変更を経てクルム伊達公子となった(国際結婚であるため夫婦別姓が可能)。2016年9月26日にミハエル・クルムとの離婚を発表した。

2022年1月に5年ほど交際を続けてきた男性と入籍をしたことを自身の52歳の誕生日である同年9月28日にSNSにて公表した。

6歳のとき、京都市北区にあるテニスクラブ「セブンスリー」で、両親が健康管理のために行っていたテニスに初めてふれる。滋賀県大津市に転居後、京都市山科区にてデ杯監督竹内映二の父親である竹内穣治がオーナーを務める「四ノ宮テニスクラブ」でレッスンを積む。中学校時代には「滋賀県テニス選手権」で優勝した。

高校時代には、兵庫県尼崎市にあるテニスの名門校・園田学園高等学校で光国彰監督の指導を受けた。1988年のインターハイでシングルス、ダブルス、団体優勝の3冠獲得を達成する。

高校卒業後の1989年にプロ転向。同年、「サントリー・ジャパン・オープン」でWTAツアーにデビューし、岡本久美子との準々決勝まで進出した。全仏オープンで4大大会にデビュー。予選3試合を勝ち上がり、本戦2回戦に進出した。ウィンブルドンと全米オープンでも本戦へ出場した。女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップ(現フェドカップ)の日本代表選手に初選出され、西ドイツ・チームとの2回戦でダブルス戦に起用された。

1990年、全豪オープンで初の4回戦進出を果たした。3回戦で第11シードのパム・シュライバーを破って注目を集めたが、前年度準優勝者のヘレナ・スコバに 4-6, 3-6 で敗退した。

1991年、8月中旬の「バージニア・スリムズ・オブ・ロサンゼルス」大会で予選から勝ち上がり準優勝した。準決勝で当時世界ランキング3位のガブリエラ・サバティーニを破る大金星を挙げ、決勝では当時の女王モニカ・セレシュに挑戦した。全日本テニス選手権の女子シングルスで初優勝を果たした。

1992年、2月に東京の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」で、当時世界ランキング5位のアランチャ・サンチェス・ビカリオを破った。3月末の「リプトン国際選手権」4回戦でシュテフィ・グラフと初対戦した。全仏オープンで初めて4大大会のシード選手になり、4回戦に進出した。全日本テニス選手権で2連覇した。この年の活躍により、WTAアワードの「最も上達した選手賞」(Most Improved Player of the Year) に選出された。

1993年、全米オープンで初の4大大会ベスト8に進出した。この4回戦で、当年度のウィンブルドン準優勝者ヤナ・ノボトナを破った。

1994年、1月にオーストラリアの「ニュー・サウスウェールズ・オープン」で海外の大会で初優勝した。日本女子選手として史上初の世界ランキングトップ10入りした。直後の全豪オープンで初の4大大会ベスト4進出を果たしたが、準決勝でグラフに 3-6, 3-6 で完敗。全米オープンで2年連続ベスト8入り。日本人選手として初めて女子テニスツアー年間最終戦の「バージニア・スリムズ選手権」の出場権を獲得し、準決勝まで進出した(当時のバージニア・スリムズ選手権は、世界ランキング16位以内の選手のみに出場資格が与えられた)。

1995年、2月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントで初優勝。その決勝戦ではリンゼイ・ダベンポートを圧倒した。リプトン国際選手権で準優勝。この大会では決勝でグラフに完敗したが、準決勝でガブリエラ・サバティーニを 1-6, 1-5 の土壇場から逆転し、1-6, 7-6, 7-6 で逆転勝利を収めた。この年は全仏オープンで日本人初のベスト4進出を達成するが、準決勝でアランチャ・サンチェス・ビカリオに 5-7, 3-6 で敗れた。敗れたものの、この準決勝はテレビ東京系の地上波でゴールデンタイムの午後9時から放映された。11月に自己最高の世界ランキング4位を記録する。年間最終ランキングもシュテフィ・グラフ、コンチタ・マルティネス、アランチャ・サンチェス・ビカリオに次ぐ4位に輝いた。日本プロスポーツ大賞殊勲賞を受賞した。

1996年4月27日 - 28日、東京・有明コロシアムで開かれた女子国別対抗戦・フェドカップの「ワールドグループ」1回戦でドイツと対戦し、28日の試合で女王シュテフィ・グラフを 7-6, 3-6, 12-10 で破る大金星を挙げた。1996年7月4日 - 5日の2日間にわたり、ウィンブルドン準決勝でグラフと最後の対戦をする。第1セットはグラフが 6-2 で先取したが、第2セットを伊達が 6-2 で取り返したときに試合が日没順延となり、翌日に持ち越された第3セットはグラフが 6-3 で取ったため、日本人選手初の4大大会決勝進出はならなかった。アトランタ五輪でも女子シングルスのベスト8に進出し、アランチャ・サンチェス・ビカリオに惜敗した。しかし8月25日、アメリカ・サンディエゴで開かれた「トーシバ・クラシック」決勝戦でサンチェスを 3-6, 6-3, 6-0 で破り、WTAツアー7勝目を挙げた。

同年9月24日に現役引退を宣言した。WTAツアー年間最終戦の「チェイス選手権」2回戦で、当時16歳のマルチナ・ヒンギスに 1-6, 2-6 で敗れた。世界ランキング8位での引退だった。

2000年2月6日 - 8日にかけて、シュテフィ・グラフの「引退世界ツアー」で日本の対戦相手に指名され、東京体育館、名古屋レインボーホール、大阪城ホールの3会場でエキシビション・マッチを行った。

2001年12月1日、ドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルムと結婚した。結婚当初は「クルム公子」としたが、家庭裁判所に姓の変更を申し出て「クルム伊達公子」となった。国際結婚であるため、夫婦別姓が可能だった。選択的夫婦別姓制度の導入について賛同し、「結婚する2人が考え、同姓にしたければする、別姓を名乗りたければ名乗る。それが理想」と述べている。

2008年3月15日、東京・有明コロシアムにてシュテフィ・グラフ、マルチナ・ナブラチロワとともにエキシビション・マッチを行い、ここでは伊達が2試合とも勝利を収めた(当初はサバティーニが参戦予定だったが欠場。代わりにナブラチロワが参戦し、伊達と初めての対戦となった)。

2008年4月6日、現役復帰を決意したことが報じられた。4月7日に復帰記者会見を行い、12年ぶりにツアープレーヤーとして再びコートに立つことを表明した。37歳にしてプロへ復帰した理由を「世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるため」と語り、当時の本名の「クルム伊達公子」でプロ登録した。

同年4月27日、岐阜市の岐阜メモリアルセンターにある「長良川テニスプラザ」で開催された「カンガルーカップ国際女子オープン」のシングルス予選で現役復帰する。3戦全勝で予選を突破し、本戦1回戦では藤原里華、準々決勝では中村藍子を破り、決勝まで勝ち進んだが、タマリネ・タナスガーン(タイ)に敗れて準優勝に終わった。15歳のジュニア選手・奈良くるみと組んだダブルス決勝では、ニコル・タイセン(オランダ)&メラニー・サウス(イギリス)組を破って優勝した。

同年6月15日、東京有明国際女子オープンシングルス決勝で、主催者推薦で出場の18歳秋田史帆を 6-3, 6-2 で破り、シングルスでのプロ復帰後初優勝を果たした。同年7月12日、日本サッカー協会(JFA)理事に就任した。これはJFAの犬飼基昭会長(当時)の推薦によるもので、平尾誠二(神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャー)とともにサッカー以外のスポーツ界からは初のJFA理事となった(2010年7月退任)。11月には全日本テニス選手権に出場、女子シングルス決勝で瀬間友里加(ピーチ・ジョン)を破って16年ぶり3度目の優勝を飾る。38歳での優勝は、宮城黎子が1963年に41歳で優勝し、大会8連覇を達成した時に次ぐ年長記録である。また藤原里華と臨んだダブルスでも決勝で米村明子&米村知子組を破って17年ぶり2回目(藤原は6年ぶり3度目)の優勝を飾り、吉田友佳以来5年ぶりの単複2冠の達成者となった。

2009年、4大大会にも13年ぶりの再挑戦を始め、全豪オープンで予選会を通過した。本戦1回戦では第25シードのカイア・カネピ(エストニア)に 6-4, 4-6, 6-8 で競り負け、初戦敗退。全仏オープンでは、故障で予選1回戦を途中棄権している。ウィンブルドンにおいて、主催者推薦(ワイルドカード)で13年ぶりの出場を果たしたが、第9シードの18歳、キャロライン・ウォズニアッキ(デンマーク)に 7-5, 3-6, 1-6 で逆転負けし、初戦突破はならなかった。復帰後WTAツアーレベルでは接戦の試合も見せながらも9戦全敗と、ツアー初勝利の壁に弾かれていたが、そんな中出場したハンソル韓国オープン1回戦において地元のYe-Ra Leeを 6-3, 6-4 のスコアで下し復帰後ツアー初勝利を挙げると、2回戦で第5シードのアリサ・クレイバノワ(ロシア)には第2セット第9ゲームでマッチポイントを握られるも 4-6, 7-6, 6-3 の大逆転した。続く準々決勝では第1シードのダニエラ・ハンチュコバ(スロバキア)を 7-6, 4-6, 6-4 で、準決勝では前年大会優勝者のマリア・キリレンコ(ロシア)を 3-6, 6-2, 6-4 でのスコアでそれぞれ下し決勝戦に進出した。決勝ではアナベル・メディナ・ガリゲス(スペイン)6-3, 6-3のストレートで下し、1996年のトーシバ・クラシック以来13年ぶり8度目のWTAツアーシングルス優勝を果たした。38歳11か月30日での優勝は1983年のイギリス・バーミンガム大会でシングルス優勝を果たしたビリー・ジーン・キング(アメリカ)の記録(39歳7か月23日)に次ぐ歴代2位の年長優勝記録となった。

2010年 5月25日、ローランギャロスで行われた全仏オープン本戦1回戦に出場し、2009年世界ランキング1位で同大会2年連続準優勝の第9シードディナラ・サフィナ(ロシア)に 3-6, 6-4, 7-5 で逆転勝ちした。伊達にとって4大大会での勝利は、準決勝に進んだ1996年のウィンブルドン以来14年ぶりの勝ち星であり、また全仏女子オープンにおける39歳7か月での勝利は、1968年以降の同大会で歴代2番目の年長白星となった。

主催者推薦で出場した9月の東レ パン・パシフィック・オープンでは、1回戦で前年優勝のマリア・シャラポワを 7-5, 3-6, 6-3 で破った。10月のHPオープンでは準々決勝でサマンサ・ストーサーを 5-7, 6-3, 7-6 で破り復帰後初のトップ10プレーヤーからの勝利を挙げた。40歳を超えたプレイヤーが、トップ10の選手を破ったのはWTA史上初の快挙であった。決勝ではタマリネ・タナスガーンに 5-7, 7-6, 1-6 で敗れ最年長ツアー優勝はならなかった。11月の広州アジア大会にも出場し、シングルス準決勝で彭帥に 6-7, 6-3, 2-6 で敗れ銅メダルを獲得している。

2011年ウィンブルドン選手権2回戦のビーナス・ウィリアムズとの試合では1996年準決勝のグラフとの試合以来、15年ぶりのセンターコートに立った。過去ウィンブルドンで5度の優勝を誇るビーナス相手に、2時間56分の熱戦の末 7-6, 3-6, 6-8 で惜敗したが、健闘に大きな拍手が送られた。10月のHPオープンでは前年準優勝したシングルスでは1回戦でペトラ・チェトコフスカに 2-6, 6-7 で敗れたが、張帥と組んだダブルスで決勝に進出し、バニア・キング&ヤロスラワ・シュウェドワ組を 7-5, 3-6, [11-9] で破り、1996年4月のジャパンオープン以来のダブルスタイトルを獲得した。

2012年4月のe-Boksオープンで藤原里華と組んだダブルスで、ソフィア・アルビドソン&カイア・カネピ組を6-2, 4-6, [10-5] で破り、ダブルスではツアー通算3勝目を挙げた。 伊達自身、日本人とペアを組んでのダブルス優勝は、1996年4月杉山愛と組んで優勝したジャパン・オープン以来16年ぶりの優勝となった。 ちなみにパートナーの藤原里華は、これがシングル・ダブルス通じて初のツアー優勝となった(それまではダブルスで5度決勝進出し全て準優勝だった)。一方、シングルスでは全仏オープンから10連敗を喫し、ランキングを100位以下に落としたが、2013年も現役続行することを発表した。

2013年全豪オープンシングルス1回戦で第12シードのナディア・ペトロワに 6-2, 6-0 でストレート勝ちし、42歳の伊達は1968年オープン化以降同大会の最年長勝利記録更新した。また次戦の2回戦もシャハー・ピアーに 6-2, 7-5 で勝利し、18年ぶりに3回戦に進出。さらにその記録を更新した。ダブルスでの2回戦は、ロンドン五輪銀メダリストペアで第2シードのアンドレア・フラバーチコバ&ルーシー・ハラデツカ組相手に 7-5, 3-6, 6-3 で勝利する金星を挙げ、シングルスと共にダブルスでも3回戦進出を果たした(どちらも3回戦で敗退)。 全豪オープンの翌週に行われたPTTパタヤ・オープンではケーシー・デラクアと組み、アクグル・アマンムラドワ&アレクサンドラ・パノワ組に 6-3, 6-2 で勝利し、ダブルスでのツアー通算4勝目を手にした。 4月のモンテレイ・オープンはティメア・バボシュと組んで、エバ・ビルネロバ&タマリネ・タナスガーン組を 6-1, 6-4 で破り、ツアー通算5勝目、現役復帰後では4勝目のダブルスタイトルを勝ち得た。 続く5月のストラスブール国際はシャネル・シェパーズとのペアで マリナ・エラコビッチ&カーラ・ブラック組に 6-4, 3-6, [14-12] で競り勝ち、ツアー通算6勝目、2013年のダブルスツアー決勝3連勝を果たす。 一方のシングルスでは全仏オープン1回戦でサマンサ・ストーサーに敗れたが、続く2013年ウィンブルドン選手権では3回戦まで進出。42歳での3回戦進出は同大会史上最年長となった。3回戦はディフェディングチャンピオンで第1シードのセリーナ・ウィリアムズと初対戦。結果は 2-6, 0-6 で完敗したが、スコア以上に彼女らしさを随所に見せ、センターコートの観客を沸かせてみせた。

2014年の4大大会シングルスはすべて1回戦敗退を決したが、その全てが3セットによるものであった。 しかし4大大会最後の2014年全米オープン女子ダブルスで、パートナーのバルボラ・ザフラボバ・ストリコバとともに快進撃を見せ、3回戦では大会第2シードで2014年全仏オープンチャンピオンの謝淑薇と彭帥相手に 7-6, 6-4 で勝利し、最終的にはキャリア初の準決勝へ進出した。準決勝はロシア人ペアのエカテリーナ・マカロワとエレーナ・ベスニナ組に 5-7, 3-6 で敗れ、シングルスも通じての4大大会初の決勝進出とはならなかった。

2015年1月11日~16日にオーストラリアのシドニーで行われたシドニー国際で、チェコのカロリナ・プリスコバと組みダブルスに出場し、準決勝へ進出した。これにより1月12日、19日と2週続けて、1992年8月24日に記録した自己最高であったWTAのダブルスでの世界ランキング33位を23年ぶりに更新した(1月12日は31位、19日は28位)。2015年全仏オープンにてグランドスラムでは2009年全米以来の予選敗退を喫した。

2016年1月14日、全豪オープン女子シングルス予選1回戦で敗れ、シングルスで8年連続の本戦出場はならなかった。2月21日、16日に左膝半月板の内視鏡手術を行ったが、復帰には再手術が必要であることを公式ブログで明らかにした。

2017年8月28日、「『そう遠くない日』と言っていた日がとうとう訪れました。伊達公子、再チャレンジにピリオドを打つ決断をいたしました」と自身のブログに記し、現役を引退することを表明した。最後の大会となったジャパン女子オープンテニスではセルビアのアレクサンドラ・クルニッチに 0–6, 0–6 と1ゲームも奪えず完敗した。

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

※年間最終シングルスランキング

ポッカコーポレーション レモンの雫 コートの隅に置いた缶に載せたレモンを打ち落とすCMが話題になった。

NTT西日本 企業イメージ

キリンビバレッジ アルカリイオンの水

資生堂 プラウディア

興和 バンテリン

TBC

コカ・コーラ 爽健美茶

東京建物・西武不動産 Brillia L-Sio 萩山

東海漬物 きゅうりのキューちゃん

キリンビール キリンフリー

トヨタ自動車 プリウス

日本ヒューレット・パッカード

日産自動車 リーフ

伊予銀行

JXTGエネルギー(2018年)

晴れのちテニス (1993年12月, 日本文化出版)ISBN 978-4890840007

ラストゲーム (1996年11月, 日本文化出版)ISBN 978-4890840175

キッズテニス「好き」を見つける「楽しい」を育む (2004年4月, 岩波書店)ISBN 978-4007001093

いつも笑顔で Always Smile (2006年9月, マガジンハウス)ISBN 978-4838716821

ストレスのないココロとカラダになる! 幸せのワークアウト (2006年9月, 講談社)ISBN 978-4062136129

パートナーピラティス (ミハエル・クルム共著、2007年7月, 講談社)ISBN 978-4062140348

伊達公子のピラティスレッスン (2008年10月, 日本放送出版協会)ISBN 978-4148271676

CHALLENGE!! (2009年7月, 講談社)ISBN 978-4062155243

進化する強さ (2012年3月, ポプラ社)ISBN 978-4591128817

負けない!: 挑戦することは楽しいこと (2012年3月, ポプラ社)ISBN 978-4591128664

NHKアカデミア「伊達公子 生きるヒントが、ここに。」(2023年5月17日、NHK Eテレ)

伊達公子のバーチャルテニス(1994年5月13日にビーアイより発売。スーパーファミコン用ソフト。8M。伊達公子監修)

^ “熱烈応援の倉岡さんのおにぎり 伊達公子さん”. PHP研究所 (2020年6月28日). 2021年2月8日閲覧。

^ 「伊達姓を手放し味わった喪失感 クルム伊達公子さん」、朝日新聞、2015年12月17日

^ クルム伊達公子が離婚発表「2人の人生に変化が」 日刊スポーツ、2016年9月28日閲覧。

^ “伊達公子さん、1月に再婚していた「50代の今、楽しい時間を2人で積み重ねたい」5年交際”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2022年9月28日). https://hochi.news/articles/20220928-OHT1T51021.html?page=1 2022年9月28日閲覧。 

^ nikkansports.com (2007年12月18日). “ナブラチロワさん代役でエキシビションに”. 2008年6月20日閲覧。

^ 時事通信 (2009年9月27日). “伊達が13年ぶりツアー優勝=史上2番目の高齢V-女子テニス”. 2009年9月27日閲覧。

^ 時事通信 (2010年5月26日). “クルム伊達、14年ぶりの勝利=昨年準優勝サフィナを逆転-全仏テニス”. 2010年5月26日閲覧。

^ nikkansports.com (2011年6月24日). “芝に強い伊達に絶賛の嵐”. 2011年7月4日閲覧。

^ スポーツニッポン (2012年11月22日). “クルム伊達、来季も現役 「自分のテニスを追求する」”. 2012年11月26日閲覧。

^ “クルム伊達 8年連続出場ならず”. tennis365.net. (2016年1月14日). http://news.tennis365.net/news/today/201601/107834.html 

^ “クルム伊達 復帰に再手術必須”. デイリースポーツ online. (2016年2月21日). https://www.daily.co.jp/newsflash/general/2016/02/21/0008825133.shtml 

^ “伊達公子、46歳で引退決断「再チャレンジにピリオド打つ」”. スポニチ. (2017年8月29日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/08/29/kiji/20170828s00028000398000c.html 

^ “伊達公子破ったクルニッチ涙「勝ってしまいごめん」”. 日刊スポーツ. (2017年9月12日). https://www.nikkansports.com/sports/news/201709120000717.html 

^ JXTGエネルギー 企業情報 企業広告・スポーツ CMギャラリー 「ENEOSエネルギーソング テニス」編

^ “NHKアカデミア 伊達公子 生きるヒントが、ここに。”. NHK (2023年5月17日). 2024年1月15日閲覧。

^ 『ファミコン通信』 No.284、アスキー、1994年5月27日、42頁。 

^ 「スーパーファミコンソフトオールカタログ 1994年」『スーパーファミコン パーフェクトカタログ』、ジーウォーク、2019年9月28日、122頁、ISBN 9784862979131。 

伊達公子オフィシャルサイト

伊達公子 - Ameba Blog - (2015年1月15日 - )

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伊達公子 - WTAツアーのプロフィール (英語) ウィキデータを編集

伊達公子 - ビリー・ジーン・キング・カップのプロフィール (英語) ウィキデータを編集

伊達公子 - 国際テニス連盟 ウィキデータを編集

伊達公子 - 日本テニス協会のプロフィール

    kimiko-date.com - 伊達公子公式サイト(2001年 - 2007年)

    伊達公子オフィシャルブログ 〜Always Smile〜 - Ameba Blog(2006年5月17日 - 2015年1月15日)

    ウィキメディア・コモンズには、伊達公子に関するカテゴリがあります。

    ウィキニュースに関連記事があります。現役復帰のクルム伊達公子、カンガルーカップ国際女子オープンテニス2008でダブルス優勝、シングルス準優勝

    (1924年・25年)黒井悌子

    (1926年)羽山住江

    (1927年)森分徳子

    (1928年)戸田定代

    (1929年)滝口澪子

    (1930年・31年)小林知子

    (1932年)南一枝

    (1933年・34年)林美喜子

    (1935年)中野徳子

    (1936年)戸田定代

    (1937年)マリー・ホーン

    (1938年)木全豊子

    (1939年)加茂純子

    (1940年)沢田住

    1941年 大会開催なし

    (1942年)山川道子

    1943年-45年 大会開催なし

    (1946年-51年)加茂幸子

    (1952年)宮城黎子

    (1953年)加茂幸子

    (1954年)宮城黎子

    (1955年)加茂幸子

    (1956年-63年)宮城黎子

    (1964年)ヘルガ・シュルツェ

    (1965年)黒松和子

    (1966年)小幡陽子

    (1967年-70年)沢松和子

    (1971年)畠中君代

    (1972年)沢松和子

    (1973年)後藤秀子

    (1974年)左手都志子

    (1975年)楊正順

    (1976年)バーバラ・ジョーダン

    (1977年)松島睦子

    (1978年)米沢そのえ

    (1979年)野村貴洋子

    (1980年)古橋富美子

    (1981年)野村貴洋子

    (1982年)岡川恵美子

    (1983年)雉子牟田明子

    (1984年)柳昌子

    (1985年-87年)井上悦子

    (1988年)沢松奈生子

    (1989年)井上悦子

    (1990年)岡川恵美子

    (1991年・92年)伊達公子

    (1993年)遠藤愛

    (1994年)神尾米

    (1995年・96年)杉山愛

    (1997年)遠藤愛

    (1998年)小畑沙織

    (1999年)浅越しのぶ

    (2000年)井上青香

    (2001年)藤原里華

    (2002年)小畑沙織

    (2003年)吉田友佳

    (2004年)佐伯美穂

    (2005年)森田あゆみ

    (2006年)高雄恵利加

    (2007年)中村藍子

    (2008年)クルム伊達公子

    (2009年)奈良くるみ

    (2010年)土居美咲

    (2011年)藤原里華

    (2012年)高雄恵利加

    (2013年)穂積絵莉

    (2014年)江口実沙

    (2015年)桑田寛子

    (2016年)大前綾希子

    (2017年)今西美晴

    (2018年)清水綾乃

    (2019年)本玉真唯

    (2020年)秋田史帆

    (2021年)川村茉那

    (2022年)坂詰姫野

    2023年)加治遥

    2024年)石井さやか

    (1924年)鴨井一枝&小林春子

    (1925年・26年)羽山住江&安宅登美子

    (1927年・28年)滝口澪子&飯村敏子

    (1929年)朝吹磯子&小林知子

    (1930年)戸田定代&増田登志江

    (1931年)滝口澪子&小林知子

    (1932年)中村千賀&棚橋糸子

    (1933年)立花文子&林美喜子

    (1934年・35年)岡田早苗&山岸久子

    (1936年)佐々倉久美&原田美智子

    (1937年)戸田定代&マリー・ホーン

    (1938年)大浦直子&原久子

    (1939年)木全豊子&沢田佳

    (1940年)加茂幸子&加茂純子

    1941年 大会開催なし

    (1942年)加茂幸子&大浦直子

    1943年-45年 大会開催なし

    (1946年)井上早苗&大浦直子

    (1947年)井上早苗&山川道子

    (1948年・49年)加茂幸子&朝長慶子

    (1950年)加茂幸子&中牟田純子

    (1951年-55年)宮城黎子&朝長慶子

    (1956年)宮城黎子&井上早苗

    (1957年)宮城黎子&中浴靖子

    (1958年)保田多美子&有田雅子

    (1959年)宮城黎子&井上早苗

    (1960年-62年)宮城黎子&福井昭子

    (1963年)小幡陽子&空野桂子

    (1964年)ヘルガ・シュルツェ&マーゴット・シュルツェ

    (1965年)太田智恵子&風呂本操

    (1966年・67年)小幡陽子&後神澄江

    (1968年)畠中君代&飯田藍

    (1969年)畠中君代&村上智佳子

    (1970年)キャスリーン・ハーター&エヴァ・ルンドクイスト

    (1971年・72年)畠中君代&村上智佳子

    (1973年)沢松和子&福岡加余子

    (1974年)飯田藍&野村貴洋子

    (1975年)楊正順&雀景美

    (1976年)佐藤直子&中川清美

    (1977年)塚本国代&中川清美

    (1978年)畠中君代&米沢そのえ

    (1979年)塚本国代&中川清美

    (1980年)畠中君代&米沢そのえ

    (1981年)古橋富美子&柳昌子

    (1982年)古橋富美子&野村貴洋子

    (1983年)塚本国代&中川清美

    (1984年)佐藤直子&柳昌子

    (1985年)井上悦子&柳昌子

    (1986年)佐藤直子&岡本久美子

    (1987年)飯田栄&西谷明美

    (1988年)佐藤直子&木戸脇真也

    (1989年)伊達公子&木戸脇真也

    (1990年・91年)平木理化&遠藤愛

    (1992年・93年)平木理化&宮城ナナ

    (1994年)雉子牟田直子&田中由夏

    (1995年)浅越しのぶ&松田愛子

    (1996年)雉子牟田直子&神尾米

    (1997年)佐伯美穂&吉田友佳

    (1998年)石田恵子&永冨恵子

    (1999年)浅越しのぶ&久松志保

    (2000年)井上青香&井上摩衣子

    (2001年)平木理化&藤原里華

    (2002年)杉山愛&藤原里華

    (2003年)佐伯美穂&吉田友佳

    (2004年)金恵美&田口景子

    (2005年)岡本聖子&高瀬礼美

    (2006年)飯島久美子&波形純理

    (2007年)新井麻葵&米村知子

    (2008年)クルム伊達公子&藤原里華

    (2009年)浜村夏美&米村知子

    (2010年)浜村夏美&藤原里華

    (2011年)青山修子&高畑寿弥

    (2012年・13年)青山修子&波形純理

    (2014年)二宮真琴&田中真梨

    (2015年)久見香奈恵&高畑寿弥

    (2016年)今西美晴&大前綾希子

    90 鈴木亜久里

    91 増沢末夫

    92 三浦知良

    93 武豊, 伊達公子

    94 南井克巳

    95 東聡, 丸山茂樹

    96 なし

    97 平木理化, サッカー日本代表

    98 高橋由伸

    99 石井和義

    00 長嶋茂雄, 王貞治

    01 長嶋茂雄

    02 青木功

    03 星野仙一, 西村了

    04 イチロー

    05 武豊

    06 WBC日本代表

    07 なし

    08 三浦皇成

    09 原辰徳

    10 サッカー日本代表

    11 なでしこジャパン

    12 なし

    13 佐藤真海

    14 錦織圭, 石川佳純

    15 秋山翔吾, ラグビー日本代表チーム

    16 伊調馨, 上地結衣

    17 内山高志, 桐生祥秀

    18 サッカー日本代表, 福原愛

    19 ラグビー日本代表, 阿部慎之助

    20-21 中止、22以降 無し

    1982 広岡達朗

    1983 青木功

    1984 山下泰裕

    1985 吉田義男

    1986 清原和博

    1987 岡本綾子

    1988 千代の富士貢

    1989 ラグビー日本代表

    1990 野茂英雄

    1991 中嶋悟

    1992 亀山努

    1993 三浦知良

    1994 長嶋茂雄

    1995 イチロー

    1996 伊達公子

    1997 中田英寿

    1998 清水宏保

    1999 松坂大輔

    2000 高橋尚子

    2001 イチロー

    2002 稲本潤一

    2003 松井秀喜

    2004 北島康介

    2005 武豊

    2006 WBC野球日本代表

    2007 中村俊輔

    2008 上野由岐子

    2009 原辰徳

    2010 本田圭佑

    2011 澤穂希

    2012 内村航平

    2013 上原浩治

    2014 羽生結弦

    2015 ラグビー日本代表

    2016 大谷翔平

    2017 桐生祥秀

    2018 大坂なおみ

    2019 ラグビー日本代表

    2020 藤井聡太

    2021 大谷翔平

    2022 井上尚弥

    2023 栗山英樹・WBC日本代表

    能瀬さやか(日本スポーツ振興センターハイパフォーマンススポーツセンター・国立スポーツ科学センター産婦人科医)

    石川彩子(株式会社ミツモア 代表取締役 CEO)

    宇井吉美(株式会社aba 代表取締役CEO)

    粉川なつみ(Elles Films株式会社 代表取締役)

    杉本亜美奈(fermata株式会社 CEO)

    徳田和嘉子(ゆこゆこホールディングス株式会社 代表取締役社長)

    堀野智子(株式会社ポーラ ビューティーディレクター)

    長谷川隆代(SWCC株式会社 代表取締役社長・グループCEO)

    佐藤友子(株式会社クラシコム 取締役)

    遠藤舞憂子(花王株式会社化粧品事業部門マステージビジネスグループKATE)

    竹下真由(竹下製菓株式会社 代表取締役社長)

    近本あゆみ(株式会社ICHIGO 代表取締役CEO)

    藤原麻里菜(株式会社無駄 代表取締役)

    山本理恵(株式会社EventHub 代表取締役CEO)

    渡部カンコロンゴ清花(NPO法人WELgee 代表理事)

    中島瑞木(coly 代表取締役社長)中島杏奈(coly 代表取締役副社長)

    岩崎明子(米イェール大学医学部 免疫学教授)

    平澤聡美(東洋合成工業 取締役・感光材事業部長)

    藤﨑忍(ドムドムフードサービス 代表取締役社長)

    北川聡子(社会福祉法人 麦の子会 理事長・総合施設長)

    櫻本真理(cotree/コーチェット 代表取締役)

    田口愛(Mpraeso合同会社 CEO)

    坂野晶(一般社団法人ゼロ・ウェイスト・ジャパン 代表理事)

    端羽英子(ビザスク 代表取締役CEO)

    米良はるか(READYFOR 代表取締役CEO)

    尾形優子(メロディ・インターナショナル CEO)

    村本理恵子(ピーステックラボ 代表取締役社長)

    佐野環(キリンホールディングス執行役員、ヘルスサイエンス事業部長)

    山野千枝(一般社団法人ベンチャー型事業承継 代表理事)

    中村有沙(オアシススタイルウェア 代表取締役)

    小巻亜矢(サンリオエンターテイメント 代表取締役社長)

    長嶋愛(日本放送協会 ディレクター)

    石川賀代(社会医療法人 石川記念会理事長、石川ヘルスケアグループ 総院長)

    片岡真実(森美術館 副館長兼チーフ・キュレーター)

    林有理(大阪府四條畷市 副市長)

    平田麻莉(一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会 代表理事)

    水越由利子(江崎グリコマーケティング本部 ベビー・育児マーケティング部 ブランドマネージャー)

    近藤麻理恵(片づけコンサルタント)

    中村朱美(minitts 代表取締役)

    川口加奈(NPO法人Homedoor 理事長)

    丹後佳代(丹後 取締役)

    村田早耶香(NPO法人かものはしプロジェクト 共同代表)

    貴島彩理(テレビ朝日総合編成局ドラマ制作部 プロデューサー)

    平野未来(シナモン CEO)

    末松弥奈子(ジャパンタイムズ 代表取締役会長)

    高塚清佳(新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター) 黄春梅(新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター)

    小平奈緒(スピードスケート選手)

    末延則子(ポーラ 執行役員)

    若宮正子(アプリ開発者)

    和田幸子(タスカジ 代表取締役)

    矢田明子(Community Nurse Company 代表取締役)

    和気洋子(ヤフー コーポレートコミュニケーション本部 ブランドマネジメント室リーダー)

    伊藤美樹(アストロスケール 代表取締役社長)

    中満泉(国際連合 事務次長・軍縮担当上級代表)伊達公子(元プロテニスプレーヤー)

    弭間友子(東宝 映像本部 映像事業部 アニメ事業グループ 宣伝プロデューサー)

    林千晶(ロフトワーク 代表取締役)

    大西陽子(大林組 海外支店ジャカルタ高架橋工事事務所所長)

    小林せかい(未来食堂 代表)

    小島由香(FOVE CEO)

    馬場加奈子(サンクラッド 代表取締役)

    秋山正子(NPO法人マギーズ東京 共同代表理事・マギーズ東京センター長)鈴木美穂(NPO法人マギーズ東京 共同代表理事)

    須永珠代(トラストバンク 代表取締役社長)

    浅井茉莉子(文藝春秋 『文學界』編集部)

    中澤優子(UPQ CEO 代表取締役)

    藤原かおり(カルビー マーケティング本部 フルグラ事業部 事業部長)

    髙橋政代(理化学研究所 多細胞システム形成研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー・眼科医)

    石坂典子(石坂産業 代表取締役)

    村木真紀(特定非営利活動法人虹色ダイバーシティ 代表)

    小林りん(学校法人ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン代表理事)

    玉城絵美(H2L株式会社 チーフリサーチャー)

    山上遊(LIXIL総合研究所 新事業創造部グローバル環境インフラ研究室 主幹)

    堀田聰子(独立行政法人 労働政策研究・研修機構 研究員)森本咲子(ユー・エス・ジェイ マーケティング部プロダクト担当部長)

    大森智子(Go Go Curry USA, Inc. President & CEO)御手洗瑞子(株式会社気仙沼ニッティング 代表取締役社長)

    川村有里(シャープ 健康・環境システム事業本部 調理システム事業部 商品企画部 係長)小林靖子(脚本家)横手莉加(ライオン株式会社 ヘルス&ホームケア事業本部ビューティケア事業部)

    佐藤真海(サントリーホールディングス CSR推進部 パラリンピアン)

    片田江舞子(株式会社東京大学エッジキャピタル パートナー)

    岩倉暢子(日本放送協会 デザインセンター 映像デザイン部)

    山田由佳(パナソニック 先端技術研究所 エコマテリアル研究グループ グループマネージャー)

    川上登美子(資生堂 国際事業部 アジアパシフィック営業部)藤代智春(ピップ 商品開発事業本部 マーケティング部)

    坪内知佳(萩大島船団丸 代表)田中知美(合同会社エッジ 代表 合同会社ドリームオン 代表)吉田正子(東京海上日動火災保険株式会社 執行役員 旅行業営業部長)

    諏訪貴子(ダイヤ精機 代表取締役)

    白井明子(ローソン 広告販促企画部 兼CRM推進部アシスタントマネジャー)

    坪内南(一般財団法人 教育支援グローバル基金 理事・事務局長)

    阿部玲子(オリエンタルコンサルタンツ GC事業本部軌道交通部 部長)関根近子(資生堂 執行役員 美容統括部長ビューティークリエーション担当、資生堂学園担当)

    稲垣あゆみ(NHN Japan株式会社 ウェブサービス本部 UXデザイン室 UXチーム)久米さやか(サントリー食品インターナショナル 食品事業本部 食品事業部 ブランド戦略部)

    遠藤貴子(株式会社つ・い・つ・い 代表取締役)櫻井千秋(大塚製薬 常務執行役員ニュートラシューティカルズ事業部コスメディクス事業部門担当リーダー)鮫島弘子(andu amet (アンドゥ アメット) 代表取締役)

    石井美恵子(日本看護協会 看護研修学校 認定看護師教育課程 救急看護学科 主任教員)

    森本千絵(goen゜主宰 コミュニケーションディレクター アートディレクター)

    瀬谷ルミ子(特定非営利活動法人 日本紛争予防センター 事務局長)

    野坂千秋(味の素 執行役員 食品事業本部 食品研究所 商品開発センター長)

    服部道江(大林組 新タワー建設工事事務所 副所長)

    東文恵(アテックス 商品開発部 部長)

    橋本芙美(共同テレビジョン 制作センター第1制作部 プロデューサー)

    塚本良江(NTTコミュニケーションズ アプリケーション&コンテンツサービス部 マーケティングソリューション部門 部門長)

    安田玲美(CRC世研有限公司 総経理)

    なでしこジャパン

    福島理恵子(東芝 研究開発センターマルチメディアラボラトリー 主任研究員兼エコテクノロジー推進室参事)

    大石亜紀子(スタートトゥデイ 取締役(想像戦略室・フルフィルメント本部担当))

    清水季子(日本銀行 高松支店長)

    日置真世(北海道大学大学院教育学研究院附属子ども発達臨床研究センター助手/NPO法人地域生活支援ネットワークサロン理事兼事務局顧問)

    屋代浩子(フォルシア 代表取締役社長・最高経営責任者)

    五十嵐麻子(飛鳥新社 出版部 第三編集)

    青木計世(キューデン・エコソル 常務取締役)

    長谷川歩(バンダイ ボーイズトイ事業部 ホビーチーム)

    熨斗麻起子(中国・深圳 可宝得環保技術有限公司 総経理)

    小林麻美(日本コカ・コーラ マーケティング本部 ウォーターカテゴリーウォーターグループマネジャー)

    二宮恭子(ポーラ 商品企画部 課長)仁平知世(東宝 映像本部 映画企画部 プロデューサー)

    白木夏子(株式会社HASUNA 株式会社HASUNA 代表取締役)高橋啓子(米国サンフランシスコのフランス料理店「EL PASEO」エグゼクティブ・シェフ)

    西郷真理子(都市計画プランナー/株式会社まちづくりカンパニー・シープネットワーク代表取締役)

    小竹貴子(クックパッド 執行役)

    清村千鶴(ファイザー 執行役員)

    関西佳子(水間鉄道 代表取締役社長)

    梶原奈美子(キリンビール マーケティング部 商品開発研究所 新商品開発グループ)

    和崎揚子(日本郵船 経営委員)

    渡邊智恵子(株式会社アバンティ 代表取締役)

    呉裕利子(花王 ファブリック&ホームケア事業ユニット ファブリックケア事業グループ シニア開発マネージャー)

    高橋泉(KSGグループ CEO)

    吉本光里(松竹 映画宣伝部 宣伝企画室 宣伝プロデューサー)

    福島みずほ(内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画)湊かなえ(作家)

    白井恵美(ユニクロ 執行役員 商品本部 ウィメンズMD部 部長)

    石黒不二代(ネットイヤーグループ ネットイヤーグループ 代表取締役社長 兼 CEO)

    田渕久美子(脚本家)

    神崎夕紀(キリンビール 栃木工場 醸造担当 部長)

    須田久美子(鹿島建設 東京土木支店裏高尾JV工事事務所 副所長)

    岡田圭子(シナリオライター)

    中橋恵美子(シャープ 健康・環境システム事業本部 調理システム事業部長)

    相幸子(三菱UFJ信託銀行 フロンティア戦略企画部 環境室 室長)

    松浦真弓(宇宙航空研究開発機構 JEM運用プロジェトチーム フライトディレクタ)

    吉本光里(ワニブックス書籍編集部 主任)

    上野由岐子(2008年北京オリンピック ソフトボール日本代表)

    勝間和代(経済評論家)

    野尻知里(テルモ 執行役員 テルモハート社 社長)

    永谷亜矢子(東京ガールズコレクション 実行委員会 チーフプロデューサー)

    松場登美(石見銀山生活文化研究所 取締役所長)

    小島幸子(クメール アンコール フーズ 代表取締役社長)

    海老澤香織(花王 ビューティケア事業ユニット プレミアム・ヘアケアグループ インバスグループ)

    中園ミホ(シナリオライター)

    松村文代(東芝 産業システム社 事業開発推進統括部 課長代理)

    吉高まり(三菱UFJ証券 クリーン・エネルギー・ファイナンス委員会 主任研究員)

    遠藤千咲(タカラトミー マーケティング統括本部 ニュープロダクトチーム)

    橘田佳音利(フラジュテリー 代表取締役社長)

    菊地凛子(女優)

    南場智子(ディー・エヌ・エー 代表取締役社長)

    宮井真千子(松下電器産業 クッキング機器ビジネスユニット長)

    中村利江(夢の街創造委員会 代表取締役社長)

    橋本真由美(ブックオフコーポレーション 代表取締役社長兼COO)

    中川潤子(シャープ 情報通信事業本部 通信融合端末事業部 第1商品企画部部長)

    大石佳能子(株式会社メディヴァ 代表取締役)

    根本かおる(国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) ネパール・ダマク駐在事務所所長)

    清岡久幸(株式会社タケックス・ラボ 代表取締役)

    鈴木里佳(三洋電機 パワーグループ モバイルエナジーカンパニー マーケティング部 マーケティング課 主任)

    横井千香子(クレディセゾン 取締役クレジット本部副本部長)

    荒川静香(プロフィギュアスケーター)

    木山啓子(インテグレックス NPO法人ジェン(JEN)理事・事務局長)

    林文子(ダイエー 代表取締役会長 兼 CEO)

    秋山咲恵(サキコーポレーション 代表取締役社長)

    郡司裕子(新潮社 出版部 文芸第二編集部副編集長)

    鎌田由美子(JR東日本ステーションリテイリング 社長)

    南場智子(ディー・エヌ・エー 代表取締役社長)

    秋池玲子(産業再生機構 マネージングディレクター)

    奥キヌ子( レキオファーマ 代表取締役社長)

    平岡利枝(三菱電機 冷蔵庫製造部冷蔵庫先行開発グループマネージャー)

    高橋美由紀(日産自動車 マーケティング本部マーケティングダイレクターオフィス マーケティング・ダイレクター)

    宮里藍(プロゴルファー)

    中島美嘉(アーティスト)

    秋山をね(インテグレックス 代表取締役)

    丸田智子(国際メディア・コーポレーション 映像事業部 シニアマネージャー)

    水越洋子(ビッグイシュー日本版 編集長)

    岩宮陽子(飾一 代表取締役社長)

    内出幸美(気仙デーサービスセンターグループホーム「ひまわり」総所長)

    関幸子(まちづくり三鷹 事業部企画事業 グループマネジャー)

    坂東敬子(ワコール ワコールブランド事業本部 コンフォートプロデューサー)

    荒金久美(コーセー 商品開発部部長)

    齋藤未来(ナムコ チームナンジャ「自由が丘スイーツフォレスト」ストアディレクター)

    金城祐子(グレイスラム代表取締役社長)

    唐木幸子(オリンパス ライフサイエンスカンパニーゲノム医療事業推進室グループリーダー)

    浅川智恵子(日本IBM 東京基礎研究所 アクセシビリティーリサーチ グループリーダー)

    野田由美子(プライスウオーターハウスクーパース・フィナンシャル・アドバイザー・サービス パートナー)

    本間絹子(電通 コピーライター/CMプランナー)

    岸谷美穂(ピースウィンズ・ジャパン 海外事業部 前クルド人自治区コーディネーター)

    名取美和(タイ・チェンマイHIV感染孤児施設「バーンロムサイ」代表)

    新井順子(資生堂 フランスワイン醸造家)

    星野有香(ギャガ・コミュニケーションズ ギャガ・ディストリビューション・カンパニーバイスプレジデント)

    井上由美子(脚本家)

    杉山愛(プロテニスプレーヤー)

    小川善美(インデックス代表取締役社長)

    惣万佳代子(NPO法人このゆびとーまれ代表)

    堀木エリ子(堀木エリ子&アソシエイツ代表 和紙プロデューサー)

    池田香代子(翻訳家 口承文芸研究家)

    加治木紀子(オフィスノア代表取締役)

    小出寛子(日本リーバ取締役 粧業品マーケティング本部長)

    上原彩子(ピアニスト)

    飯田桂子(シグノシステムジャパン代表取締役社長)

    藤井絢子(菜の花プロジェクトネットワーク代表)

    元ちとせ(歌手)

    高橋尚子(マラソン選手)

    セーラ・マリ・カミングス

    宮田由美子

    木山啓子

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    宮部みゆき

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    平良とみ

    松岡佑子

    大平光代

    宇津木妙子

    池田章子

    浜崎あゆみ

    村本理恵子

    潮谷義子

    北川悦吏子

    小久保徳子

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    松永真理

    筑紫みずえ

    渡辺加奈

    桐野夏生

    斉藤裕美

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            日本の女子テニス選手

            オリンピックテニス日本代表選手

            1992年バルセロナオリンピックテニス出場選手

            1996年アトランタオリンピックテニス出場選手

            アジア競技大会テニス日本代表選手

            日本のアジア競技大会金メダリスト

            日本のアジア競技大会銅メダリスト

            園田学園高等学校出身の人物

            園田学園女子大学の教員

            京都市出身の人物

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2024/11/21 05:44更新

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