佐々木久子の情報(ささきひさこ) 編集者、エッセイスト 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
佐々木 久子さんについて調べます
■名前・氏名 |
佐々木久子と関係のある人
吉永小百合: お酒好きで、1970年代前半に年末年始の恒例だった雑誌『酒』の編集長・佐々木久子や楠本憲吉らが選ぶ深夜番組『11PM』においての企画「女流酒豪番付」に於いて、小結に選出されたこともある酒豪。 加藤治子: 古畑任三郎 2nd season第18回「偽善の報酬」(1996年) - 佐々木高代(佐々木久子) 桝本壮志: 2012年3月に100回連載記念として出版した『変愛野球論~9年間タダで書き続けたあるTV作家のCARPコラム!~』のあとがきで「佐々木久子さんの雑誌が廃刊に追い込まれかけたとき、タダで寄稿を続けた作家・火野葦平イズムをタダ真似したかった腹もある」と、9年間ノーギャラで連載していたことを明らかにした。 坂口三千代: 1957年、『酒』誌編集長の佐々木久子の勧めで、『クラクラ日記』のもとになるエッセイをつづり始める。 佐々木健介: 妻は全日本女子プロレス出身の元プロレスラーで健介オフィス代表取締役の北斗晶(佐々木久子)。 梶山季之: 同じ広島出身で同年生れの、雑誌『酒』編集者佐々木久子は公私ともに親しく、また毎年同誌の恒例企画だった正月号での「文壇酒徒番附」では西の横綱を張り続けた。 藤岡重慶: 若林・藤村・別当・土井垣・本堂・白坂の時代からの阪神ファンだったが、田淵が入った頃から嫌いになり、1966年の『ある勇気の記録』に出演して広島に縁ができ、同じ年に佐々木久子が「カープを優勝させる会」を作ったため仲間入りし、広島カープファンになった。 田辺茂一: 1966年、随筆家の佐々木久子や石本美由起、杉村春子、灰田勝彦ら広島出身者や縁のある文化・芸能人が結成した「広島カープを優勝させる会」に、梶山季之の飲み友達だった関係で東京出身ながら参加した。 中村メイコ: 佐々木久子が主宰する雑誌『酒』で、1969年から毎年女流芸能人の酒豪番付が掲載され、例年新春最初の『11PM』(日本テレビ系列)でも発表していた。 富永一朗: 熱狂的な広島東洋カープファンとして知られ、万年Bクラスだった1966年、佐々木久子や梶山季之、藤原弘達、石本美由起、木村功、杉村春子、森下洋子、灰田勝彦、大宅壮一、田辺茂一らと結成した「カープを優勝させる会」のメンバーだった。 梶山季之: また成瀬数富と相談し、1965年に大宅壮一と梶山が発起人代表となって「広島カープを優勝させる会」を結成し(中心になって動いたのは前出の佐々木久子)、毎年激励会を開いた。 |
佐々木久子の情報まとめ
佐々木 久子(ささき ひさこ)さんの誕生日は1927年2月10日です。広島出身の編集者、エッセイストのようです。
母親、父親、卒業、結婚、テレビ、ドラマ、解散に関する情報もありますね。2008年に亡くなられているようです。
佐々木久子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 2008年6月28日)は、日本の編集者、評論家、随筆家である。雑誌『酒』(1955年 - 1997年)編集長。「カープを優勝させる会」を旗揚げし奔走したことで知られる。 広島県広島市出身。3歳から酒をたしなむ。広島女子商業学校(現広島翔洋高等学校)を経て広島大学に進学。1945年には広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.9km離れた自宅で被爆。自身は母親と共に救出されたが、5年後には父親を原爆症により亡くした。第二次世界大戦後は広島で青年運動・平和運動・新劇などの活動もしていた。 大学卒業後、単身で上京。1955年4月、雑誌『酒』を創刊。以来1997年までの42年間にわたり、編集長を務めた。また1960年代半ばには新潟県の地酒「越乃寒梅」にいち早く着目し、その後興った“地酒ブーム”の火付け役にもなっている。1985年、厚生省(現厚生労働省)の諮問機関「おいしい水研究会」委員に就任した。 1990年代後半から仕事のペースを落とし、1997年には創刊以来編集長を務めた『酒』を501号をもって休刊したが、21世紀になってからも地元の中国放送(RCC)などで社会評論を続け、2003年には自身最後となる著書を出版した。その後、2005年に脳梗塞のため療養生活に入り、2008年、多臓器不全のため81歳で死去。結婚はせず、生涯独身だった。 1956年早々、創刊から1年で赤字のため廃刊に追い込まれかけた『酒』を小説家の火野葦平が救った。火野は、命ある限り無償で執筆する旨の証文を書き、同誌に原稿とトビラを約束どおり1960年のその死まで書き続けた。また多くの文人を紹介した。 またおなじころ、前年1955年2月に小説家であり夫の坂口安吾を亡くし、1956年早々に東京・銀座で文壇バー「クラクラ」を開いたばかりの坂口三千代に、『クラクラ日記』の執筆を勧めたのも佐々木であった。『クラクラ日記』は1957年から11年間同誌で連載され、1967年に文藝春秋から単行本として出版、翌1968年には若尾文子主演でテレビドラマにもなった。 1966年、佐々木とは公私ともに親交の深かった梶山季之をはじめ、藤原弘達、石本美由起、木村功、杉村春子、森下洋子、灰田勝彦ら、広島出身者や縁のある文化・芸能人にアンチ巨人の大宅壮一、梶山の飲み友達だった田辺茂一を加えて「カープを優勝させる会」を結成。故郷・広島にあり、プロ野球・セントラル・リーグの弱小球団として辛酸をなめてきた広島東洋カープを支援するため、代表世話人となって奔走した。応援の甲斐あって10年後の1975年10月にカープはセントラルリーグで初優勝し、これを機に解散。しかしカープの成績は再び下降したため、佐々木は1978年に「再びカープを優勝させる会」を結成し、翌年から2年連続の日本選手権シリーズ優勝(カープ初の日本一)を見届けた。その後もカープへの応援や激励のために度々マスメディアに登場し、カープを応援する知識人として認知されていた。 週刊文春1981年6月18日号の記事に「講演者ワースト3」として竹村健一、石原慎太郎とともに名前を挙げられ理由は、竹村(傲岸不遜)、石原(土壇場で断る)、そして佐々木はカープの応援に行って講演をスッポかす、と書かれている。 『浮気笑論 - 男がサカナにされる本』、日本文芸社、1966年 『酒と旅と』、白馬出版、1972年 『酒縁歳時記』、鎌倉書房、1977年 『男百人男だけの肴』、田中小実昌、やなせたかし、加藤和彦らと共著・編著、鎌倉書房、1978年 『酒恋うる話』、鎌倉書房、1979年 『酒 - はる・なつ・あき・ふゆ』、集英社文庫、1982年 『地酒と肴'83 - 四季の味特選』、鎌倉書房、1983年 『佐々木久子のお酒とつきあう法』、東電文庫、1983年 『酒と旅と人生と』、集英社文庫、1983年 ISBN 4087507025 『あまからぴん』、ミリオン書房、1985年 ISBN 4943948170 『酒に生きるおやっさん』、鎌倉書房、1989年 ISBN 4308004586 『おいしいもの見つけた』、ミリオン書房、1990年 ISBN 4943948421 『続・酒に生きるおやっさん』、鎌倉書房、1990年 ISBN 4308004985 『酒の旅人 - 佐々木久子の全国酒蔵あるき』、実業之日本社、1994年 ISBN 4408210293 『覚むれば独り』、短歌研究社、1994年 ISBN 4885511410 『わたしの放浪記』、法藏館、1995年 ISBN 4831880647 『今宵も美酒を』、有楽出版社、2003年 ISBN 4408591823 ライオンのいただきます 一枚の写真 ^ 佐々木はずっと「1930年生まれ」を自称していたため、死去時には「78歳」とも報じられていた。実際はそれより3歳上だった事が死去後に判明した。 ZAKZAK2008年7月3日付 「良い酒を飲むこと…追悼佐々木久子さん美酒一貫の人生」 ^ 長崎新聞2008年8月6日付論説「佐々木久子さんの“遺言”」 [1] ^ 梶山は1930年生まれで、戦後の引き揚げで広島に移住したため、佐々木とは「同郷・同年齢」の仲間だった(実際には既述の通り佐々木が3歳年上)。 ^ 同年にはこの会が目標に掲げていた「読売ジャイアンツの最下位」も実現した。また、カープ初優勝の5ヵ月前、5月には梶山が急逝していた ^ 週刊文春1981年6月18日号33頁 われらカープ人 - ウェイバックマシン(1999年10月3日アーカイブ分) FAST ISNI VIAF WorldCat イスラエル アメリカ 日本 韓国 日本の雑誌編集者 20世紀日本の編集者 日本の女性編集者 女性の雑誌編集者 20世紀日本の評論家 日本の女性評論家 20世紀日本の女性随筆家 広島大学出身の人物 広島東洋カープ関連人物 広島原爆の被爆者 広島市出身の人物 飲酒文化 1927年生 2008年没 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/17 18:11更新
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