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吉永小百合の情報 (よしながさゆり)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

吉永小百合の情報(よしながさゆり) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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吉永 小百合さんについて調べます

■名前・氏名
吉永 小百合
(読み:よしなが さゆり)
■職業
女優
■吉永小百合の誕生日・生年月日
1945年3月13日 (年齢79歳)
酉年(とり年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和20年)1945年生まれの人の年齢早見表

吉永小百合と同じ1945年生まれの有名人・芸能人

吉永小百合と同じ3月13日生まれの有名人・芸能人

吉永小百合と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


吉永小百合と関係のある人

熊井啓: なおこの時期、吉永小百合の母・和枝の面前で泥酔して暴れ、和枝の著書『母だから女だから』(立風書房、1976年)において名指しで痛烈に批判された。


吉田正: 雨の中に消えて(1963年/吉永小百合


三木のり平: 1961年の映画『天使が俺を追い駈ける』の撮影の際に当時15歳の吉永小百合とキスシーンを演じたが、これが吉永のファーストキスとなった。


とり・みき: 吉永小百合ファンクラブ会報の投稿常連であり、結婚報道の際は週刊誌から取材依頼があったほど。


西河克己: テレビ界に進出した1970年代前半を経た後、東宝映画にて映画界に戻り(ただし、東宝配給ではあるが実際の製作は日活)、ホリプロ(元会長:堀威夫)に吉永小百合作品を監督した経験から、山口百恵・三浦友和のゴールデンコンビで『伊豆の踊子』をリメイクする事になる。


朝戸鉄也: 前述の経歴から開局当初のTBS作品でキャリアを積み、1956年から半年間放送されたSFテレビドラマ『誰か見ている』で空飛ぶ円盤を操るアンチクトン人のうちの一人を演じたほか、1957年には同局のラジオドラマ『赤胴鈴之助』で子役時代の吉永小百合や藤田弓子とも共演した。


吉田正: 若い歌声(1963年/橋幸夫&吉永小百合


三浦友和: 1984年の東映映画『天国の駅 HEAVEN STATION』では、主役の吉永小百合の運命を狂わせる悪徳警察官を演じ、それまで多かった好青年のイメージから脱却している。


吉田正: 勇気あるもの(1966年/吉永小百合&トニーズ)


京都伸夫: 吉永小百合の映画に原作を数本提供したのも、吉永が『青春のお通り』の桜子をイメージ通りに演じてくれたからである。


和泉雅子: 日活作品でよく共演したのが高橋英樹であり、2人のコンビは「ポスト吉永小百合・浜田光夫」と言われた。


佐伯孝夫: 伊豆の踊り子(作曲:吉田正、歌:吉永小百合、1963年)


川端康成: 5月1日には、大ファンであった吉永小百合主演の『伊豆の踊子』の映画ロケ見学のため伊豆に出かけた。クランクイン前日に川端宅を訪ねていた吉永小百合は、原作の大事な部分(踊子が「いい人ね」と何度も言うところ)が、映画の台本に無いことにショックを受け、それを川端に話そうかと迷ったが言えなかったという。


原由子: 憧れの女優としては吉永小百合を挙げており、『今晩は 吉永小百合です』(TBSラジオ)2010年4月4日・12日放送分にゲスト出演し、共演を果たした。


浦山桐郎: 1962年、早船ちよ原作、吉永小百合主演の『キューポラのある街』で監督デビューする。


佐伯孝夫: 奈良の春日野(作曲:大野正雄、歌:吉永小百合、1965年)


山田修爾: 女優の吉永小百合は小・中・高校の1年先輩。


大内延介: 囲碁を趣味とした大内に、日本棋院から囲碁アマ八段が追贈され、女優の吉永小百合(吉永は、家族ぐるみで、数十年の親交があった)など、関係者と一般の将棋ファンを合わせて約500名が出席した。


西河克己: 「西河克己といえば吉永小百合もの」といわれるくらい、1960年代に入ると『若い人』(主演:石原裕次郎、吉永小百合)、『青い山脈』(主演:吉永小百合)、『伊豆の踊子』(主演:吉永小百合)、『エデンの海』(主演:高橋英樹、和泉雅子)、『帰郷』(主演:吉永小百合)などの作品でその才能を遺憾なく発揮し、日本映画の全盛期を飾った。


井上昭文: 1961年から1965年までは日活と専属契約を結び、名バイプレイヤーとして数多くの作品に出演し、石原裕次郎、小林旭、吉永小百合らのスターを引き立てながら、日活映画の黄金期を支えた。


杉村春子: 吉永小百合は美しい所作の先生は杉村と話している。


岩井小百合: 母も姉も「子」が付く名前であることから、子が付かない名前がいいと考え、母は当時吉永小百合が好きで、吉永のようにユリの花のような優しい感じの子になって欲しいとして、小百合と名付けられた。


男鹿和雄: 1998年 吉永小百合/編 詩画集・小さな祈り 挿絵


栗原小巻: 舞台で鍛えられた口跡明快な演技と現代的美貌から熱狂的な男性ファンが多く、吉永小百合ファンが「サユリスト」と呼ばれたのに対し、栗原小巻ファンは「コマキスト」と呼ばれた(奇しくも吉永とは生年月日が1日違い)。


高橋悦史: 1965年には、吉永小百合主演の日活映画、『私、違っているかしら』に出演し、映画デビューを果たす。


ペギー=マーチ: ※吉永小百合のカヴァー。


三浦洸一: みどりの河(1964年)吉永小百合とのデュエット


田中絹代: 第1回受賞者は吉永小百合


村治佳織: 2014年9月、吉永小百合主演の映画「ふしぎな岬の物語」のイベントに出演し演奏活動を再開。


吉田正: 明日は咲こう花咲こう(1965年/三田明&吉永小百合


吉永小百合の情報まとめ

もしもしロボ

吉永 小百合(よしなが さゆり)さんの誕生日は1945年3月13日です。東京出身の女優のようです。

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人物、特記事項などについてまとめました。映画、テレビ、ドラマ、卒業、結婚、子役、母親、事故、父親、姉妹、趣味、事件、現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。吉永小百合の現在の年齢は79歳のようです。

吉永小百合のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞1985年『おはん』『天国の駅』

吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年〈昭和20年〉3月13日 - )は、日本の俳優・歌手・ナレーター・司会者・タレント。本名:岡田 小百合(おかだ さゆり)。旧姓:吉永。

1960年代を代表する人気映画女優。10年間で、70本以上の映画に出演。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。ファンは「サユリスト」と呼称される。

1957年(昭和32年)、渋谷区立西原小学校6年生の時、ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。同年4月、渋谷区立代々木中学校に入学。同年10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。1959年(昭和34年)に松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。

1960年(昭和35年)3月、渋谷区立代々木中学校卒業。同年4月、東京都立駒場高等学校全日制普通科入学。同時に日活撮影所に入社。駒場高校では一週間のみ卓球部に所属し、素振りしかやらせてもらえない環境に耐えられず放送研究会(偶然にも副部長が一学年先輩の加藤登紀子だった)に転部。1961年(昭和36年)1月、精華学園女子高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)に転入学。

1962年(昭和37年)4月8日、『キューポラのある街』が公開。第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞する。同年4月20日、主演映画『赤い蕾と白い花』の主題歌「寒い朝」をシングルとしてビクターからリリースし、レコードデビュー。50万枚以上のヒットを記録した。同年9月に発表した橋幸夫とのデュエット「いつでも夢を」も300万枚の大ヒットとなった。

「日活の看板女優」として、浜田光夫と1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こす。男性アクション映画路線を主軸としていた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。また、ブロマイドがあまりの売れ行きに店頭から姿を消すなどの現象も起き、松原智恵子と和泉雅子の3人で「日活三人娘」と呼ばれた。また、浅丘ルリ子、芦川いづみ、中原早苗らと合わせて「日活パールライン」とも呼ばれた。

俳優業多忙のため精華学園女子高校は中退していたが、1965年(昭和40年)には、大学入学資格検定に全科目合格は出来ていなかったものの早稲田大学より高卒同等以上の学力があると認められ、早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学。

1967年(昭和42年)10月、株式会社吉永事務所を設立。

1969年(昭和44年)、早稲田大学を次席で卒業。同年、年2本以上の日活作品に出演する代わりに他社の作品や自主制作映画は日活側の諒解を得れば自由に出演が出来る条件で日活と契約更新する。しかし当時はヤクザ映画が全盛で、吉永向けの純愛・青春系の作品を制作するのは既に困難であった。1969年に吉永事務所により『あゝ野麦峠』の映画化が計画され、内田吐夢監督、吉永主演(政井みね役)自主制作するも実現しなかった。野麦峠に何回か訪れていた吉永は現地に「政井みねの碑」を寄贈している。なお、『あゝ野麦峠』は10年後の1979年)に山本薩夫監督、大竹しのぶ主演で映画化された。

1973年(昭和48年)岡田太郎と結婚し、京王プラザホテルで披露宴を執り行う。挙式の際吉永の実両親は欠席し、確執が噂された。

1988年(昭和63年)映画『つる -鶴-』に主演し、映画出演は通算100作品となる。

1990年代以降の女優活動は映画のみであるが、CM出演・ラジオパーソナリティ、原爆詩の朗読などの平和への訴えや反原発について意見を述べるなどの活動を続けている。

人物

女優として

デビュー以来、1960年代は「清純なお嬢さん」像を演じ続け、社命による「恋愛禁止令」も守ってきたが、娘役から大人の女性への脱皮に苦戦した。日本映画の衰退期と重なり、演じる役柄がイメージに合わなくなり、テレビドラマにシフトし「東芝日曜劇場」や「NHK大河ドラマ」にも出演した。一時は体調も崩し、岡田との結婚に反対する両親との仲違いも報道されたりもした。1975年(昭和50年)、『青春の門』を皮切りに「清純なお嬢さん」を脱する演技を披露した。1981年(昭和56年)の『夢千代日記』では、大人の女性としての内的情感を豊かに表現し、この時期から、評論家に演技力に難をつけられながらも、好意的な評価を受け始めた。

『男はつらいよ』シリーズでは二度歌子役で出演しており、平成に入り三回目の登場の構想もあったがスケジュールが合わず「それに、同じ役を何度もやると、私自身がマンネリになるんじゃないかと」も理由にあり、渥美清が1996年に死去しシリーズ終了後に「もう一度、出演するべきでした。最後ということが分かっていたらどんな形でも出たかった。後悔しています」と語っている。

『天国の駅 HEAVEN STATION』では自慰行為のシーンに挑み、三浦友和に押し倒され着物の胸に手を差し入れられるシーンでは、吉永の覚悟に三浦が圧倒されるほどだったが、ヌードになることは「胸が小さいから、出してもしょうがない」と発言し拒否した。

舞台劇に出ない女優として知られており、舞台未経験である。2001年に東宝が『長崎ぶらぶら節』を帝国劇場で上演した際、松岡功が岡田茂に「吉永さんを口説いてもらえんかい」と頼んだが「彼女は駄目だよ」と断られたという。

反戦・反原発・政治活動

広島を舞台にした『愛と死の記録』の出演や、『夢千代日記』で原爆症に苦しむ主人公を演じたことをきっかけに、1986年からボランティアで原爆詩の朗読会をスタートさせている。以後女優としての活動のほか、反戦・反核運動をライフワークとして力点を置いている。

1967年4月に行われた東京都知事選挙では、社会・共産両党推薦の美濃部亮吉を積極的に応援した。日本社会党の関連団体の財団法人社会新報は知事選に向けて同年3月、『わが愛する東京―革新都政に期待する』を出版。淡谷のり子、小田実ら著名人27人がそれぞれ都政に対する思いを綴る中で、吉永は「前回の都知事選挙の時、私にはまだ選挙権がなかった。だから新聞を見ては、憤慨したり、驚いたりしたことを覚えている。今度こそは、私も一票を有効に生かしてと、張りきる気持ちが強い」と書いた。

沖縄戦を扱った映画『あゝひめゆりの塔』(1968年)の共演者らと共にもんぺ姿で靖国神社に参拝した。

1983年12月の衆議院議員選挙では、参議院議員を辞職して新潟3区から立候補した野坂昭如のために新潟まで行き、応援演説をした。

1990年に出版された『女優ベスト150 わが青春のアイドル』(文春文庫)の中で、永六輔は、吉永が「原爆は勿論、原発もいりません 吉永小百合」という署名をしていたことに触れ、「ファンでよかったと嬉しく思った」と書いた。

2002年、平和記念資料館に導入された音声ガイドのナレーションをボランティアで担当。

2005年の第56回NHK紅白歌合戦では、山梨県からの中継で原爆詩を朗読した。

2011年7月31日、広島国際会議場の原爆詩朗読会で「世の中から核兵器、原子力発電所がなくなってほしい」と訴えた。朗読会は日本母親大会の特別企画。

2011年3月の福島第一原子力発電所事故後、反原発の姿勢を一層強めている。

2014年2月に行われた東京都知事選挙では、脱原発を掲げた細川護熙の支持を明らかにした。吉永は、細川の公式サイトの「私たち、応援します」のコーナーに顔写真付きで登場し、コメントを寄せた。

2014年5月7日、細川護熙と小泉純一郎は、脱原発を目指す一般社団法人「自然エネルギー推進会議」を設立。吉永は同団体の賛同人に加わった。

2015年、元ちとせがリリースした、平和への祈りが込められた楽曲で構成されたカバーアルバム『平和元年』の題字を書き下ろす。これに関連して元は吉永と話す機会があり、吉永は「私は終戦と“同い年”です。皆さんに戦争から何年経ったかを忘れてほしくないから、年齢を公表しています」と告げられたという。

親族

父の吉永芳之(鹿児島県出身)は、1910年、薩摩士族の末裔として鹿児島県に生まれた。その後、旧制七高から東京大学法学部法律学科卒業、九州耐火煉瓦、外務省嘱託を経て、出版社「シネ・ロマンス社」を経営。飯島正、双葉十三郎らと映画ファン雑誌「シネ・ロマンス」を刊行するも、事業に失敗している。母の和枝は大阪に生まれ、兵庫県宍粟郡(現・宍粟市山崎町)で小学生の頃まで育ち、「潮音」に所属する歌人であった。父は1989年に亡くなり、母は2005年に亡くなった。

少女時代は裕福な環境ではなく、上記の父親の事業の失敗から、家の米びつに1粒の米もない日もあったという。小学校の時は借金取りが押し寄せたこともあった。それに見かねた彼女は「私、新聞配達をする」と言ったが、親に止められたとのこと。その後、ラジオ出演するにしたがって、家の生活も少しずつ楽になっていったという。

外祖父の川田友之は東京府士族川田高之助の次男として生まれ、のち英文出版社の大観社社長を務めた。また叔母に『婦人画報』編集長、「アムネスティ・インターナショナル日本支部」の創設メンバーの川田泰代が名前を連ねるなど、執筆の世界とも所縁が深い。なお伯父の川田俊之(のち友之を襲名)は大観産業取締役、日本水泳連盟常務理事。従兄はゴルフ評論家の川田太三(俊之の次男)である。

遠縁に歌手の佐良直美がいる(佐良直美の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永小百合の母が姉妹同士)。また、山本直純(作曲家、指揮者)の妻の山本正美も遠縁にあたる(山本正美の妹の夫の母が、吉永小百合の母のいとこの妻と姉妹同士)。

1973年(昭和48年)28歳の時に15歳上のテレビプロデューサー・岡田太郎と電撃結婚した。

趣味・好きなもの

お酒好きで、1970年代前半に年末年始の恒例だった雑誌『酒』の編集長・佐々木久子や楠本憲吉らが選ぶ深夜番組『11PM』においての企画「女流酒豪番付」に於いて、小結に選出されたこともある酒豪。1979年9月に北京で開催された「中国・日本映画祭」に日本代表団の一員として訪中した際、熱烈歓迎で連日宴会に招かれたが、岡田茂日本代表団団長を始めとした松岡功、徳間康快、根本悌二ら、酒豪で鳴らす映連首脳さえ、三杯がせいぜいなアルコール度数65%もあるマオタイ酒をぐいぐいと十杯飲み干しても平然とし、並みいる酒豪連を瞠目させた。

長年に渡り健康維持のために水泳を継続している。また、常に水着を持ち歩き、プールがあればどこでも泳いでいる。

西武ライオンズと早稲田大学ラグビー部のファンである。前者については、元々読売ジャイアンツ(特に長嶋茂雄)のファンだったのが、江川事件をきっかけに、また堤義明にスキーを教わったのをきっかけとして転向したものだった。また、西武ではかつて清原和博のファンでもあった。かつては西武球場時代の1994年の開幕戦に始球式を務めたこともあり、1987年の読売ジャイアンツとの日本シリーズ第6戦ではTBSテレビの中継にネット裏からスペシャルゲストとしてイニング限定で出演したこともある。現在も筋金入りの西武ファンである。後者については、試合観戦に通うだけでなく、毎年の夏の合宿に牛一頭分の牛肉の差し入れをしている。これは部員の間で「吉永牛」と呼ばれている。

夫から教わった将棋も趣味の一つとしており、大内延介と交遊があった。また、1976年の「将棋会館」建設にあたって多額の寄付をしている。

ラジオ番組『吉永小百合 街ものがたり』(TBSラジオ)の中で、鉄道ファンであることも告白しており、JR東日本「大人の休日倶楽部」のポスター・CMのイメージキャラクターも務めている。また、一番好きな路線は、五能線であることも、告白している。

特記事項

サユリスト

吉永とともに青春時代を歩んだ世代のファンは特に「サユリスト」(『小百合』に『…主義者』や『人』を意味する英語の接尾辞『-ist』をつけた造語)と呼ばれ、団塊 - 70歳代にかけての世代に多く見られる。「サユリスト」を自認する者は邦画ファンや一般大衆はもとより、芸能人や著名人にも幅広く存在している。内藤陳は、呼び捨てをふくむこと自体が不敬であるとして「サユリサマスト」と呼ぶよう提唱しているが、ほとんど世間には浸透していない。

「サユリスト」を自認するタモリは、同じく「サユリスト」として知られる野坂昭如を指して「あの人は一時、山口百恵に走ったが、俺は小百合サマ一筋」と述べたことがある。タモリと吉永は早稲田大学第二文学部に在学していた時期が重なっており(タモリが同い年の1学年下だが、入学年は同じ1965年。ただしタモリは3年で中退した)、学生食堂で吉永が食事しているのを偶然に発見した際、吉永の食べ残しを食べようか迷った末、思い留まったというエピソードがある。

早稲田大学の後輩である元プロ野球選手の小宮山悟も「サユリスト」の一人である。

漫談家の綾小路きみまろも「サユリスト」を自認する人物の一人。また、吉永も綾小路のファンであり、吉永の主演映画『まぼろしの邪馬台国』では、吉永の希望によって綾小路に出演依頼を行い、綾小路は「サユリストの1人として是非」と快諾。なお、綾小路にとってはこれが実質的な俳優としてのデビュー作である。

ちなみに栗原小巻(誕生日は吉永の翌日である)のファンは、「コマキスト」と呼ばれた。

その他

12~13歳の頃、個人的にボイストレーニングのためにひばり児童合唱団に通っていたことがあり(団員ではなかったが、個人レッスンを受けていた)、その後皆川和子からの紹介で松竹からの映画デビューが実現した。

吉永が歌い上げた『奈良の春日野』(「♪フンフンフーン 黒豆よ♪」の歌詞が特徴的)は、元々1965年(昭和40年)に発売されたシングル『天満橋から』(『第16回NHK紅白歌合戦』出場曲)のB面曲であったが、1987年(昭和62年)に明石家さんまがギャグとして取り上げたことから、レコードも再発売(A面を「奈良の春日野」に変更)されヒットした。

15歳時、映画『天使が俺を追い駈ける』(1961年)出演の際に三木のり平とキスシーンを撮影、これが自身のファーストキスとなった と1999年4月13日放送の『スタジオパークからこんにちは』(NHK総合)にて発言している。

1962年3月31日から「ミラノ国際見本市」の中で、4月15日から4月19日まで開催された『ミラノ日本映画見本市』のため、4月10日、清水雅を団長として、川喜多長政、奥山融、そして、他の映画会社各社代表女優の佐久間良子、星由里子らと共に日活代表女優としてイタリアへ出発。岸惠子が日本からではなく現地参加でミラノで合流している。吉永は星と共に同国のヴェネツィアも訪れている。4月25日、帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なイタリア訪問となった。

1963年にはナイフとピストルを持った男に自宅の自室内で襲撃されている(犯人は吉永の熱狂的なファンだった)。また、同年には合計7通の脅迫状が吉永の自宅に届いている(吉永小百合脅迫事件)。

実現には至らなかったものの、1960年末期から幾度も『NHK紅白歌合戦』の紅組司会の候補に挙がった。

吉永主演映画の原作者でもある川端康成・石坂洋次郎といった作家にも寵愛され、川端は吉永に会いたいために山奥で撮影が行われていた『伊豆の踊子』のロケ現場を突然訪ね、石坂は吉永が演じることを想定して作品を綴り上げた。

三波春夫の曲と思われがちの『世界の国からこんにちは』のレコードを、日本万国博覧会当時に出している(全部で7種類の歌い手による競作であった)。同博覧会開催の数年前に、この歌が初めてマスコミに発表された時も三波春夫ではなく吉永がその場で歌っている。また、松下電器産業が博覧会を記念して制作したタイムカプセルには、吉永が歌い上げたレコードが納められた。

早稲田大学の女子学生をさす、バンカラで、男まさりで、活動的な「早稲女(わせじょ)」の代表的OGとしてしばしば吉永の名があげられる。

早稲田大学第二文学部での卒業論文のテーマは「アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』におけるアテネ(アテナイ)の民主制について」であった。

若本規夫は同時期に法学部に在籍しており、吉永を見に学生食堂へ行ったと回想している。

冨士眞奈美・吉行和子ら女優や文士も参加した句会では、吉永がまだ20代の頃に「今日はバレ句(色っぽい句)を詠みましょう」というテーマが出され、優等生・清純というイメージとは裏腹に「松茸は舐めてくわえてまたしゃぶり」と詠み、秀逸作品(天・地・人、の天)に選出されている。

和田アキ子と旅行した時に互いに写真を写し合いした際、和田の顔を眺めて吉永は「和田さんって、私と似てますね」と言ったという。和田はそのことを他人に自慢しても信じてくれないと自虐ネタにすることがある。

長野県軽井沢町に別荘があり、隣地が細川護煕の別荘であることなどが度々スクープされている。西武鉄道グループの当時のオーナーであり、吉永のファンでもあった堤義明から軽井沢の別荘を格安で買ったと報じられた(週刊文春2005年3月10日号)。吉永は「通常の売買契約に基づき行っております」と弁明している。また、オウチーノが2013年に20歳 - 69歳男女725名を対象として行ったイメージ調査によれば、「軽井沢の別荘に住んでいそうな有名人」として吉永の名が1位に挙がっている。

水島新司の漫画『あぶさん』にも、1993年シーズンの開幕戦に西武球場に観戦に来るなど登場する。

2023年10月25日、大阪市内で行われたスキンケアブランド「五島の椿」の新CM発表会に出席した際、嫌いな食べ物はこんにゃくと答えた。「プルプルして気持ち悪い」とのこと。健康に拘り好き嫌いの無いイメージであったため、報道でも意外の感を持たれた。

2024/06/15 10:09更新

yoshinaga sayuri


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吉永小百合と近い名前の人

吉永 みち(よしなが みち)
1985年11月29日生まれの有名人 東京出身

吉永 みち(よしなが みち、1985年11月29日 - )は、日本の元タレント、元グラビアアイドルである。東京都台東区出身。エムズファクトリーに所属していた。本名、山中 美智子(やまなか みちこ)。 …

吉永 実夏(よしなが みか)
1989年2月12日生まれの有名人 埼玉出身

吉永 実夏(よしなが みか、1989年2月12日 - )は、日本で活動していたタレント。埼玉県出身。活動当時はまくびープロ → Macbee Hollywood Entertainment に所属して…

吉永 千夏(よしなが ちなつ)
1975年8月2日生まれの有名人 出身

吉永 千夏(よしなが ちなつ、1975年8月2日 - )は、日本の元タレント、元レースクイーン。栃木県出身。血液型はA型。2006年、芸能界を引退。最終所属はオスカープロモーション。 出動!ミニス…

吉永 真樹(よしなが まき)
1973年10月18日生まれの有名人 福岡出身

吉永 真樹(よしなが まき、1973年10月18日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 福岡県北九州市出身。福岡県立八幡高等学校、純真女子短期大学英文科卒業。高校在学時には放送部に所属していた。…

吉永 拓斗(よしなが たくと)
1999年9月14日生まれの有名人 埼玉出身

吉永 拓斗(よしなが たくと、1999年9月14日 - )は、日本の声優、俳優、歌手。劇団ひまわり所属。埼玉県出身。 2002年、劇団ひまわりに入団。 2016年、『DAYS』柄本つくし役でアニ…

吉永 加世子(よしなが かよこ)
1975年1月9日生まれの有名人 千葉出身

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吉永 みち子(よしなが みちこ)
1950年3月12日生まれの有名人 埼玉出身

吉永 みち子(よしなが みちこ、1950年3月12日 - )は、日本のノンフィクション作家。テレビコメンテーター。元競馬新聞記者。旧姓は鈴木。CNNj放送番組審議会委員。 埼玉県川口市出身。中学生…

ジョニー吉長(じょにー よしなが)
1949年3月21日生まれの有名人 福岡出身

ジョニー 吉長(ジョニー よしなが、本名:吉長 信喜(よしなが のぶき)、1949年3月21日 - 2012年6月4日)は、日本のドラマー。福岡県小倉市(現北九州市小倉北区または小倉南区)出身。 …

吉永 幸一郎(よしなが こういちろう)
1969年5月1日生まれの有名人 大阪出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 吉永 幸一郎(よしなが こういちろう、1969年5月1日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)。 東海大工高…

吉永 せいな(よしなが せいな)
1997年6月26日生まれの有名人 兵庫出身

吉永 せいな(よしなが せいな、1997年6月26日 - )は、日本のグラビアアイドルである。 兵庫県出身。マーブル所属。 小学生のころから活動し、2009年、DVD『それいけ!! せいなッつ!…

吉永 春子(よしなが はるこ)
1931年5月19日生まれの有名人 広島出身

吉永 春子(よしなが はるこ、1931年(昭和6年)5月19日 - 2016年(平成28年)11月4日)は、日本のジャーナリスト、テレビディレクター。 TBS報道局長。現代センター代表。多くのドキュメ…

関 義長(せき よしなが)
1892年6月20日生まれの有名人 東京出身

関 義長(せき よしなが、1892年(明治25年)6月20日 - 1970年(昭和45年)7月12日)は、日本の技術者、実業家。三菱電機会長を務めた。 徳島県知事、山形県知事等を務めた関義臣男爵の…

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