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内田魯庵の情報 (うちだろあん)
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内田 魯庵さんについて調べます

■名前・氏名
内田 魯庵
(読み:うちだ ろあん)
■職業
翻訳家
■内田魯庵の誕生日・生年月日
1868年5月26日 (年齢1929年没)
辰年(たつ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
東京出身

内田魯庵と同じ1868年生まれの有名人・芸能人

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内田魯庵と関係のある人

戸川秋骨: 「ケエベル先生」「知己先輩」「大藤村講演会の一幕」「三十余年前の学校生活」「(高津)柏樹先生」「至純狂熱の人北村透谷君」「ソクラテス」「山室大佐の追憶」「小泉先生の旧居にて」「斎藤緑雨君とチヤアルズ・ラム」「他界の大杉君に送る書」「団十郎の裸体姿」「北村透谷君と私」「与謝野寛氏の追憶」「坪内先生に関する憶出」「内田魯庵君」「漱石先生の憶出」「泡鳴君の墓石」「ユウモアの福沢先生」「杉森先生を憶ふ」「粟野先生の長逝」「岡倉先生の追悼」「女人交遊」「秋の夜の追憶(緑雨君の訪問)」


吉上昭三: 祖父は評論家・内田魯庵)。


矢野龍渓: 南進論の勢いが強くなっていた当時の世情を反映した同作は読者からは好評であったが、内田魯庵、石橋忍月は「人間が描けていない」などとしてこれを批判した。


尾崎紅葉: 紅葉は英語力に優れ、イギリスの百科事典『ブリタニカ』を内田魯庵の丸善が売り出した時に、最初に売れた3部のうちの一つは紅葉が買ったものだったという(ブリタニカが品切れだったのでセンチュリー大字典にした、とも。死期が近かった紅葉にとっては入荷待ちの時間が惜しかったようで、センチュリーの購入は紙幣で即決しており、内田魯庵はそれを評して「自分の死期の迫っているのを十分知りながら余り豊かでない財嚢から高価な辞典を買ふを少しも惜しまなかった紅葉の最後の逸事は、死の瞬間まで知識の要求を決して忘れなかった紅葉の器の大なるを証する事が出来る。


江見水蔭: さらに通俗的な作品も書くようになり、また川上眉山とともに高瀬文淵の影響を受けて社会小説的要素もあって、言文一致体による「女房殺し」(『文芸倶楽部』1895年)は好評を博して悲惨小説の傑作と呼ばれ、内田魯庵に「眉山の『大盃』と共に硯友社諸才子金業の双璧」と賞された。


山田美妙: ^ 内田魯庵の回想『思い出す人々』でも、九華が持ってきたシュークリームが、臨終の枕頭に黴の生えたまま置かれていたとも記されている。


内田莉莎子: 名前はモナリザにちなんで、祖父・内田魯庵が命名。


東久邇宮稔彦王: 陸軍士官学校在校中、1期上である山中峯太郎(のちに作家)の影響で、レフ・トルストイ『復活』(内田魯庵訳)を読んだことが発覚し、物議を醸した。


早矢仕有的: 作家・内田魯庵は、丸善の丁稚時代に、隠居した早矢仕への使いを命じられたときのことを書き残している。


吉屋信子: 1919年、初の長編『地の果まで』が大阪毎日新聞で一等に選ばれた(撰者は幸田露伴・徳田秋声・内田魯庵)。


戸川秋骨: 『内田魯庵君』セルパン (1935.10)


内田莉莎子: 祖父は翻訳家・作家の内田魯庵


堀内誠一: 妻の堀内(内田)路子の父は洋画家・内田巌、祖父は翻訳者・作家の内田魯庵


横山源之助: この時期に二葉亭四迷や内田魯庵、幸田露伴らと知り合う。


内田魯庵の情報まとめ

もしもしロボ

内田 魯庵(うちだ ろあん)さんの誕生日は1868年5月26日です。東京出身の翻訳家のようです。

もしもしロボ

卒業、趣味に関する情報もありますね。1929年に亡くなられているようです。

内田魯庵のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

内田 魯庵(うちだ ろあん、1868年5月26日(慶応4年閏4月5日) - 1929年(昭和4年)6月29日)は、明治期の評論家、翻訳家、小説家。本名貢(みつぎ)。別号不知庵(ふちあん)、三文字屋金平(さんもんじやきんぴら)など。江戸下谷車坂六軒町(現・東京都台東区)生まれ。洋画家内田巌は長男。孫(巌の娘)に翻訳家の内田莉莎子。

旧幕臣の子として生まれる。はじめは政治・実業に関心を持ち、立教学校(現立教大学)や東京専門学校(現早稲田大学)などで英語を学ぶが結局どこも卒業せず、文部省編輯局翻訳係であった叔父・井上勤のもとで下訳や編集の仕事をする。生来の語学好きにより文学作品の愛読者となった。1888年(明治21年)、山田美妙の『夏木立』が刊行されると長文の批評を書き、それが巌本善治の『女学雑誌』に『山田美妙大人(うし)の小説』として掲載され、文壇にデビューした。

翌年、処女小説「藤野一本』を『都の花』に連載。同年ドストエフスキーの『罪と罰』の英訳を読んで衝撃を受け、さらに二葉亭四迷や坪内逍遥と親交を結ぶことによって文学について深く考えるようになり、尾崎紅葉、山田美妙らの硯友社の遊戯文学を批判、1894年(明治27年)に三文字屋金平の名で刊行した『文学者となる法』では当時の文壇の俗物性を皮肉った。また外面的な大文学を唱える矢野竜渓をも功利主義、娯楽主義として批判するなど、文学論争を巻き起こした。

1890年(明治23年)の春頃、森林太郎(森鴎外)の家を訪ねたが、駆出しの書生だった魯庵は夫人に謝絶され、「何の用事もありませんが、そんなら立派な人の紹介状でも貰って上りましょう、」と啖呵を切った。下宿に帰ると直ぐ「鴎外を訪うて会わず」という短文を書き、当時在籍していた国民新聞社へ宛ててポストに入れに行った。30分ほどして戻ると森林太郎の名刺と、「先刻は失礼した、宜しくいってくれ」という言置きがあったという話がある。

1892年(明治25年)、『罪と罰』(前半部分)の翻訳を刊行し翻訳家としてデビュー(英語からの重訳)。以後ヴォルテール、アンデルセン、ディケンズ、デュマ、ゾラ、モーパッサン、シェンキェヴィッチ、ワイルドなどの翻訳を発表した。トルストイ『復活』の翻訳(1905年)も有名。

1894年には三文字屋金平名義で『文学者となる法』を刊行。その一方小説にも力を入れ、知識人の内面の空白や葛藤をリアルに描いた『くれの廿八日』(『新著月刊』1898年3月)や社会各層の矛盾を風刺的に描いた『社会百面相』が刊行され、社会小説の第一人者として評価された、そのため、上層階級の性的放縦を風刺した作品『破垣』(『文芸倶楽部』1901年1月)が、風俗壊乱の口実で発禁処分をうけたこともあった。『大日本』1898年9月に評論「政治小説を作れよ」を発表した。

1901年(明治34年)、書籍部門の顧問として丸善に入社し、翌年ロンドン・タイムズ社と共同で百科事典『ブリタニカ』を販売(百科事典は夏目漱石の『吾輩は猫である』や『三四郎』にも登場する)。丸善のPR誌「学燈」の編集に晩年までたずさわり、匿名で書評や随筆を書いた。1906年(明治39年)に出版されたトルストイの翻訳『馬鹿者イワン(イワンのばか)』も同誌に連載されたものである。

晩年は、文壇の一線を退き、主に江戸文学や風俗についての考証、文壇回顧、人物評伝、随筆などを執筆した。1925年(大正14年)に刊行された『思ひ出す人々』は、政治小説の時代から二葉亭の死までの回想録で、明治文壇史についても史料的価値をもつ傑作である。

1929年(昭和4年)2月7日、『下谷広小路』の執筆中に脳溢血で倒れ失語症となり、6月29日、大腸カタルによる衰弱のため豊多摩郡代々幡町の自宅で死去。61歳没。 7月3日、青山斎場で葬儀が営まれたが、生前の希望により特定の宗教によらず友人葬として行われた。

従来、小説家としての評価は低かったが、第二次世界大戦以後はその社会小説の意味が再評価されるようになった。

画家の淡島椿岳とその養子・淡島寒月との交友により玩具・民芸品・納札・ポスターという視聴覚文化や蒐集品に目が開かれ、丸善の顧問を務めるうちに蔵書や書誌・図書館・出版事情といった文壇以外の世界に関心を拡げることになった。若い頃から知人を訪問し長話する習慣を持ち、多くの趣味の会を主催したため、人脈は多岐にわたり(林若樹・西澤仙湖・三村竹清など)博識に磨きがかけられた。本格的な芭蕉研究から、他愛もない玩具の話にいたる多彩なテーマを取り上げている。

『明治文學全集24 内田魯庵集』 稲垣達郎解説、筑摩書房、1978年、復刊2013年 ISBN 4480103244 

『内田魯庵全集』 ゆまに書房(全17巻)、1983-1987年

『新編 思い出す人々』 紅野敏郎編、岩波文庫、1994年 ISBN 4003108647

『読書放浪 魯庵随筆』 斎藤昌三・柳田泉編、紅野敏郎解説

平凡社東洋文庫、1996年 ISBN 4582806031。ワイド版2009年

『明治の文学 第11巻 内田魯庵』 鹿島茂編、筑摩書房、2001年 ISBN 4480101519

『内田魯庵 貘の舌』 ウェッジ文庫、2009年

『魯庵の明治』 山口昌男・坪内祐三編、講談社文芸文庫、1997年

『魯庵日記』 山口昌男・坪内祐三編、講談社文芸文庫、1998年

『紙魚繁昌記 魯庵随筆』(正・続)、斎藤昌三編、沖積舎、2001年 - 復刻版

八木佐吉 編『内田魯庵書物関係著作集 第1巻』(八木佐吉、朝倉治彦、吉田悦志 解説)青裳堂書店〈日本書誌学大系5〉、1979年。https://dl.ndl.go.jp/pid/12235953/1/3。 

八木佐吉 編『内田魯庵書物関係著作集 第2巻』(八木佐吉、朝倉治彦、吉田悦志 解説)青裳堂書店〈日本書誌学大系5〉、1979年。https://dl.ndl.go.jp/pid/12234966/1/3。 

八木佐吉 編『内田魯庵書物関係著作集 第3巻』(八木佐吉、朝倉治彦、吉田悦志 解説)青裳堂書店〈日本書誌学大系5〉、1979年。https://dl.ndl.go.jp/pid/12235642/1/3。 

山口昌男 『内田魯庵山脈』 晶文社、2001年 ISBN 4794964633

    『内田魯庵山脈 〈失われた日本人〉発掘』 岩波現代文庫(上下)、2010年

    野村喬 『内田魯庵伝』 リブロポート、1994年5月 -「著述集 第3巻」版も同時刊

    木村有美子 『内田魯庵研究 明治文学史の一側面』 和泉書院「和泉選書」、2001年

    伊藤整・瀬沼茂樹 『日本文壇史』 講談社(新版刊)/講談社文芸文庫 - 全24巻・別巻(総索引)

    木村毅『丸善外史』丸善、1969年。https://dl.ndl.go.jp/pid/12276825/1/3。 

    ^ 歴史が眠る多磨霊園 内田魯庵

    ^ 内田魯庵『鴎外博士の追憶』(青空文庫)https://www.aozora.gr.jp/cards/000165/files/49566_43494.html

    ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)49頁

    ^ 文壇の長老、死去『中外商業新報』昭和5年6月30日夕刊(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p18 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

    内田 魯庵:作家別作品リスト - 青空文庫

    銀座繁盛記

    文学者となる法三文字屋金平、1894年、国立国会図書館デジタルコレクション

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2024/11/20 01:21更新

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