堀内誠一の情報(ほりうちせいいち) アートディレクター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
堀内 誠一さんについて調べます
■名前・氏名 |
堀内誠一と関係のある人
内田莉莎子: 『うさぎのなみだ ロシア昔話』(堀内誠一絵、講談社) 1966 永瀬清子: 『ひでちゃんのにっき』堀内誠一絵 福音館書店 こどものとも、1981 瀬川康男: 1965年、松居や友人の堀内誠一の縁で瀬田貞二の知遇を得る。 瀬田貞二: 『お父さんのラッパばなし』(堀内誠一画、福音館書店) 1977 石井桃子: 『いぬとにわとり』(堀内誠一絵、福音館書店) 1960.10.1(初版) 神沢利子: ふらいぱんじいさん 絵:堀内誠一、あかね書房, 1969 ミリオンセラー 瀬川康男: ^ 堀内誠一『ぼくの絵本美術館』189頁 岸田衿子: 『おにまるとももこ うみへ』(堀内誠一絵、文化出版局) 1987年 植田正治: 2005年には植田正治写真美術館にて福山雅治、菊池武夫、堀内誠一とのコラボレーションをテーマにした『〜オマージュ・植田正治に捧ぐ〜』を開催した。 福山雅治: 7月には『HOMAGE ‐オマージュ・植田正治に捧ぐ‐』〈福山雅治・菊池武夫・堀内誠一〉が植田正治写真美術館で開催された。 内田莉莎子: 『パンのかけらとちいさなあくま リトワニア民話』(堀内誠一絵、福音館書店) 1992 神沢利子: 銀のほのおの国 画:堀内誠一、福音館書店, 1972 のち講談社文庫、福音館文庫 内田莉莎子: 妹の堀内(内田)路子は堀内誠一の妻で、同じく早稲田大学第一文学部露文科卒業。 神沢利子: てんのくぎをうちにいったはりっこ 絵:堀内誠一、福音館書店, 2003 (<こどものとも>傑作集) 富盛菊枝: 『ぼくのジャングル』堀内誠一絵 理論社 1965 内田莉莎子: 『太陽の木の枝 ジプシーの昔話』(フィツォフスキ、堀内誠一絵、福音館書店) 1968 内田莉莎子: 『ふしぎなくつ』(J・ポラジンスカ、堀内誠一絵、岩波書店) 1968 松居直: 以後、自らの美術的素養の深さを生かして、当時無名だった赤羽末吉・いわさきちひろ・田島征三・安野光雅・堀内誠一・長新太などの才能を発掘した。 内田莉莎子: 『きりの国の王女 ジプシーの昔話』(フィツォフスキ、堀内誠一絵、福音館書店) 1968 スズキコージ: 「平凡パンチ」の編集者だった叔父のつてで堀内誠一に見込まれ、「平凡パンチ」女性版(「anan」の前身)にてイラストレーターとしてデビューする。 神沢利子: てんのくぎをうちにいったはりっこ 絵:堀内誠一、福音館書店・こどものとも、1985 瀬川康男: ^ 堀内誠一『父の時代私の時代』140頁によれば、堀内と瀬川は1964年、フジアートの展覧会の企画で知り合っている。 出口裕弘: 1977年6月、澁澤夫妻の訪問を受け、堀内誠一夫妻と共に1ヶ月間、澁澤夫妻を観光案内した。 翠川敬基: 音楽だいすき、福音館書店、1987年(月刊たくさんのふしぎ 27号)- 堀内誠一 絵:のち、1992年に「たくさんのふしぎ傑作集」で復刊 岸田衿子: 『ねぼうねこ』(堀内誠一絵、主婦と生活社) 1972年 岸田衿子: 『みんなありがとう』(堀内誠一絵、主婦と生活社) 1972年 |
堀内誠一の情報まとめ
堀内 誠一(ほりうち せいいち)さんの誕生日は1932年12月20日です。東京出身のアートディレクターのようです。
現在、結婚、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。去年の情報もありました。1987年に亡くなられているようです。
堀内誠一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)堀内 誠一(ほりうち せいいち、1932年12月20日 - 1987年8月17日)は、日本のグラフィックデザイナー、エディトリアルデザイナー、絵本作家。 東京府向島(現・墨田区)生まれ。父・堀内治雄も図案家で、近代日本における商業デザイナーの先駆けだった。 小学1年生時にすでに私家版雑誌を作りはじめる。最終学歴は日本大学第一商業学校(現在の日本大学第一高等学校)中退。1947年4月に14歳で伊勢丹百貨店に入社。1948年、現代美術会展激励賞。1955年アド・センター株式会社設立。1958年に内田路子(内田巌の娘)と結婚。1968年から翌1969年にかけて澁澤龍彦とともに季刊誌である『血と薔薇』を編集した。1974年、フランス・パリ郊外のアントニーに移住。パリ在住日本人向けミニコミ誌『イリフネ・デフネ』(現『OVNI』)創刊に参画。1981年まで定住。1987年に下咽頭癌により死去。享年54。 堀内がデザインした平凡出版(現マガジンハウス)の雑誌『an・an』『POPEYE』『BRUTUS』『Olive』は現在もなお、そのロゴが使用されている。 父の堀内治雄は多田北烏に師事した図案家で、戦前は北烏の下で働き、戦後は交通博物館に籍を置いてレタリングやポスターデザインを手掛け、北烏のサン・スタジオをまねて向島にレインボー・スタジオを設立した。 母の咲子は石川県羽咋の地主の娘で、治雄が体を壊して以降は一家の働き手として洋裁の内職で家計を支えた。 妻の堀内(内田)路子の父は洋画家・内田巌、祖父は翻訳者・作家の内田魯庵。妻・路子が翻訳し、誠一が絵を担当した共著の児童書がある。 二人の子供も共に翻訳者の道に進み、長女の堀内花子はロベール・ドアノーほか写真集・美術書、次女の堀内紅子は児童書を訳している。 前述の、結婚した年に初の絵本『くろうまブランキー』を出版したが、後期には絵本作家としても多数の作品を残した。主に福音館書店のこどものとものシリーズとして出版された。 「くろうまブランキー」 福音館書店(1958年) 伊東三郎著 「ぐるんぱのようちえん」福音館書店(1966年) 西内ミナミ著
「たろうのおでかけ」 福音館書店(1966年) 村山桂子著 「おやゆびちーちゃん」 福音館書店(1967年) 木島始訳 「ふらいぱんじいさん」あかね書房(1969年)神沢利子著 「ちのはなし」 福音館書店(1972年) 「銀のほのおの国」福音館書店(1972年)神沢利子著 「ぴよ ぴよ」「かっきくけっこ」「あっはっは」ひかりのくに(1972年) 詩人・谷川俊太郎と作った「ことばのえほん」シリーズ(全3巻)。2009年夏、復刊(くもん出版)。 「マザー・グースのうた (草思社)|マザー・グースのうた」(全5集) 草思社(1975年) - (1976年) 谷川俊太郎訳 「めのはなし」 福音館書店(1977年) 「お父さんのラッパばなし」 福音館書店(1977年) 「こすずめのぼうけん」 福音館書店(1977年)ルース・エインズワース著 石井桃子訳 「パンのかけらとちいさなあくま」福音館書店(1979年) リトアニア民話・内田莉莎子再話。1992年復刊 「秘密の花園」 福音館書店(1979年) 「絵本の世界(110人のイラストレーター)」 福音館書店(1984年) 「てんのくぎをうちにいった はりっこ」福音館書店こどものとも(1985年)神沢利子著 「父の時代・私の時代」 日本エディタースクール出版部(1979年)、増訂版・マガジンハウス、2007年。新版・ちくま文庫、2023年 「堀内誠一の空とぶ絨緞」平凡出版(1989年) 「パリからの旅―パリとフランスの町々」マガジンハウス(1990年) 「ぼくの絵本美術館」マガジンハウス(1998年) 「堀内誠一 絵の世界」平凡社(2022年) 2009年世田谷文学館・伊丹市立美術館にて「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」展開催。その後2011年のうらわ美術館まで日本各地を巡回した。 「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」コロナブックス編集部編 コロナブックス編集部(2009年) ^ フランスに渡った堀内の後任として、新谷雅弘が『ポパイ』『ブルータス』『オリーブ』を引き継いだ。 ^ 堀内誠一 娘たちの思い出太陽web, 2022.4.6 ^ 堀内誠一 父の時代・私の時代 日本エディタースクール出版部 1979松岡正剛の千夜千冊102夜、2000年7月31日 ほぼ日刊イトイ新聞 堀内さん。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 韓国 オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research 日本のグラフィックデザイナー 伊勢丹の人物 在フランス日本人 東京都出身の人物 1932年生 1987年没 プロジェクト人物伝項目 すべてのスタブ記事 人物関連のスタブ項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 PLWABN識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2024/12/01 07:22更新
|
horiuchi seiichi
堀内誠一と同じ誕生日12月20日生まれ、同じ東京出身の人
TOPニュース
堀内誠一と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「堀内誠一」を素材として二次利用しています。