国弘威雄の情報(くにひろたけお) 脚本家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
国弘 威雄さんについて調べます
■名前・氏名 |
国弘威雄と関係のある人
木村威夫: 『暁の挑戦』(1971年、舛田利雄監督、国弘威雄・池田一朗共同脚本、橋本忍原作、坪井誠撮影、渡辺岳夫音楽)フジテレビ=新国劇映画作品。 佐治乾: 大奥(秘)物語大(1967年、東映京都) - 国弘威雄、掛札昌裕、金子武郎と共同 中島丈博: 同時期に国弘威雄も来ていた。 木村威夫: 『夜霧のブルース』(1963年、野村孝監督、国弘威雄脚本、菊田一夫原作、高村倉太郎撮影) 岡本愛彦: 第40回「魔性」(1968年1月15日、脚本:中島丈博・国弘威雄) 木村威夫: 『夕陽の丘』(1964年、松尾昭典監督、山崎厳・国弘威雄共同脚本、菊村到原作) 岡本愛彦: 赤い火を何時か(1963年11月28日、テレビ西日本、脚本:国弘威雄) |
国弘威雄の情報まとめ
国弘 威雄(くにひろ たけお)さんの誕生日は1931年6月8日です。山口出身の脚本家のようです。
映画、テレビ、ドラマ、事件、離婚に関する情報もありますね。2002年に亡くなられているようです。
国弘威雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)國弘 威雄(くにひろ たけお、1931年6月8日 - 2002年10月21日)は、日本の脚本家。中華民国吉林省長春県(現:中華人民共和国吉林省長春市)生れ。出版している本や、脚本家としての映画などでは「国弘」と表記されているが、本名は「國弘」の表記である。 中学途中まで満洲で育ち、戦後父の郷里の山口県に引き揚げる。少年時代から映画好きだったことから、脚本家を志すようになる。山口県立柳井高等学校中退後、公務員となるが後に上京、雑誌社・東芝労組書記局などに勤務しながら投稿を続ける。 1957年に日本シナリオ作家協会主催のコンクールで1位となり、同年同協会主宰のシナリオ研修所に入所。修了後橋本忍門下となり、1959年に橋本との共作『空港の魔女』(東映・佐伯清監督)でデビュー。1964年加藤泰監督『幕末残酷物語』で第15回ブルーリボン賞脚本賞を受賞し、脚本家としての地位を確立する。その後東宝・日活・東映との契約を経て、フリーランスとなる。以後は映画・テレビドラマを中心に活動。映画では稲垣浩監督『風林火山』、村山三男監督『樺太1945年夏 氷雪の門 』などの作品があり、テレビドラマでは『子連れ狼』、『必殺シリーズ』など、主に時代劇の分野で知られる。 また、1956年からシナリオ同人誌「おりじなる」を15年に渡って主宰。1997年には自らが中心となり、「葫蘆島を記録する会」を結成。終戦後、満州からの日本人引き揚げの拠点となった同島の記録映画『葫蘆島大遣返』の制作・脚本・演出を手がけ、翌1998年に完成させた。 空港の魔女(1959年、佐伯清監督、東映) ※橋本忍との共同脚本 ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年、松林宗恵監督、東宝) ※橋本忍との共同脚本 いろはにほへと(1960年、中村登監督、松竹) ※橋本忍との共同脚本 紅の海(1961年、谷口千吉監督、東宝) 地方記者(1962年、丸山誠治監督、東宝) ※関沢新一との共同脚本 夜霧のブルース(1963年、野村孝監督、日活) 林檎の花咲く町(1963年、岩内克己監督、東宝) 夕陽の丘(1964年、松尾昭典監督、日活) ※山崎巌との共同脚本 幕末残酷物語(1964年、加藤泰監督、東映) 愛しながらの別れ(1965年、江崎実生監督、日活) その口紅が憎い(1965年、長谷和夫監督、松竹) ※橋本忍との共同脚本 阿片台地 地獄部隊突撃せよ(1966年、加藤泰監督、松竹) ※加藤泰との共同脚本 神火101 殺しの用心棒(1966年、石井輝男監督、松竹) 大奥(秘)物語(1967年、中島貞夫監督、東映) ※佐治乾・掛札昌裕・金子武郎との共同脚本 続大奥(秘)物語(1967年、中島貞夫監督、東映) ※中島丈博との共同脚本 十一人の侍(1967年、工藤栄一監督、東映) ※田坂啓・鈴木則文との共同脚本 風林火山(1969年、稲垣浩監督、東宝) ※橋本忍との共同脚本 富士山頂(1970年、村野鐵太郎監督、日活) 暁の挑戦(1971年、舛田利雄監督、松竹)※橋本忍・池田一雄との共同脚本 黒の奔流(1972年、渡辺祐介監督、松竹) ※渡辺祐介との共同脚本 樺太1945年夏 氷雪の門(1974年、村山三男監督、東洋映画) 狼よ落日を斬れ 風雲篇・激情篇・怒濤篇(1974年、三隅研次監督、松竹) やさぐれ刑事(1976年、渡辺祐介監督、松竹) ※渡辺祐介との共同脚本 遥かなる甲子園(1990年、大澤豊監督、東宝) 楊貴妃(1992年、陳家林監督、広西映画撮影所) ※中国映画 葫蘆島大遣返(1998年) ※制作・脚本・演出 すりかえ(1961年、TBS) ※芸術祭賞奨励賞・テレビ部門受賞 われら青春 (1962年、フジテレビ) 汚れた海(1963年、日本テレビ) 宮本武蔵 (1965年 - 1966年、日本テレビ) 剣 (1967年 - 1968年、日本テレビ) お庭番 (1968年、日本テレビ) 右門捕物帳 (1970年、日本テレビ) 遠山の金さん捕物帳 (1971年 - 1972年、NET) 愛と死の砂漠 (1971年、関西テレビ) 影の車 (1971年、フジテレビ) 特別機動捜査隊 (1971年、NET) 大岡越前・第二部 (1971年、TBS) 荒野の素浪人・第一シリーズ (1972年、NET) 必殺シリーズ(朝日放送)
必殺仕置人 (1973年) 助け人走る (1973年 - 1974年) 暗闇仕留人 (1974年) 必殺必中仕事屋稼業 (1975年) 必殺仕置屋稼業 (1975年 - 1976年) 必殺仕業人 (1976年) 必殺商売人 第14話、第20話(1978年) 必殺からくり人・富嶽百景殺し旅 (1978年) 必殺仕事人 (1979年 - 1981年) 子連れ狼(1973年 - 1976年、日本テレビ) 非情のライセンス (1973年 - 1980年、NET・テレビ朝日) 妻の秘密 (1976年、日本テレビ) ちちんぷいぷい (1977年、日本テレビ) 江戸の鷹 御用部屋犯科帖 (1978年、テレビ朝日) 悪の紋章(1979年、フジテレビ) 白昼の死角 (1979年、毎日放送) 七人の刑事・第3シーズン (1979年、TBS) 87分署シリーズ・裸の街 (1980年、フジテレビ) 服部半蔵 影の軍団 (1980年、フジテレビ) 江戸の用心棒 (1981年、フジテレビ) 時代劇スペシャル(1981年 - 1984年、フジテレビ)
怪談牡丹燈籠(1982年) お庭番秘聞(1983年) 影狩り(1983年) 子連れ狼(1984年) 松平右近事件帳(1982年、日本テレビ) 海にかける虹〜山本五十六と日本海軍 第三部・第六部(1983年、テレビ東京) 松本清張事件にせまる・焼跡のクリスマス 戦後を駆けぬけた男 (1984年、テレビ朝日) 三匹が斬る! (1987年 - 1995年、テレビ朝日) 名奉行 遠山の金さん (1987 - 1995年、テレビ朝日) (1993年 - 1995年、テレビ朝日) 火曜サスペンス劇場 (日本テレビ)
下弦の月(1990年) ※ギャラクシー賞奨励賞・テレビ部門受賞 九門法律相談所(1)離婚(1993年) 新任判事補 (1994年 - 1996年) 他、単発作品を執筆 木曜ゴールデンドラマ (読売テレビ)
土曜ワイド劇場 (テレビ朝日)
ザ・サスペンス (TBS)
「シナリオの設計」(映人社、1981年) 「私のシナリオ体験」(映人社、1997年) ^ 『日本の映画人』、216ページ ^ 『毎日新聞』、1998年5月11日東京朝刊4面 「[ひと]国弘威雄さん=旧満州からの引き揚げ港「葫蘆島」のドキュメンタリーを製作」 ^ “回遊海路 - ドラマ詳細データ”. テレビドラマデータベース. キューズ・クリエイティブ (1984年3月27日). 2021年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月22日閲覧。 ^ 『毎日新聞』1984年3月12日東京夕刊第3版5頁「54年の事件を題材にTVサスペンス」(毎日新聞東京本社) - 『毎日新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)3月号387頁 佐藤忠男編『日本の映画人 日本映画の創造者たち』(日外アソシエーツ、2007年) 国弘威雄 - テレビドラマデータベース 国弘威雄 - 日本映画データベース 國弘威雄 - 日本映画データベース 国弘威雄 - allcinema 国弘威雄 - KINENOTE Takeo Kunihiro - IMDb(英語) ISNI VIAF スペイン フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ IdRef 日本のテレビの脚本家 日本の映画の脚本家 日本の引揚者 満洲国出身の人物 長春出身の人物 山口県立柳井高等学校出身の人物 1931年生 2002年没 2024/11/14 20:05更新
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kunihiro takeo
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