坂井義則の情報(さかいよしのり) 陸上競技/中距離 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
坂井 義則さんについて調べます
■名前・氏名 |
坂井義則と関係のある人
坂井義則の情報まとめ
坂井 義則(さかい よしのり)さんの誕生日は1945年8月6日です。広島出身の陸上競技
中距離のようです。
テレビ、現在、事件、ドラマに関する情報もありますね。2014年に亡くなられているようです。
坂井義則のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)坂井 義則(さかい よしのり、1945年(昭和20年)8月6日 - 2014年(平成26年)9月10日)は、日本の元陸上競技選手。元フジテレビ社員。1964年東京オリンピックの開会式で聖火リレーの最終ランナーを務めた。 坂井は広島市に原子爆弾が投下された1時間半後に、現在の広島県三次市(当時は双三郡三次町)にて出生した。坂井自身は被爆者ではないが、電力会社に勤務していた父は被爆者健康手帳の保有者である。 広島県立三次高等学校在学中の1963年(昭和38年)、第19回国民体育大会400mで優勝、東京オリンピックへの出場を目指し、1964年(昭和39年)早稲田大学に入学した。当初、関西学院大学を目指していたが、同じ広島県出身で早稲田OBの小掛照二の勧誘により、進路を変更したという。大学では競走部に所属、監督の中村清の指導を受ける。 東京オリンピックの400mと1600mリレーで強化選手に指名されたが代表選考会で敗退、失意の底にあった。その矢先、組織委員会は聖火最終ランナーの地位を「広島への原爆投下の日」という象徴的な日に生まれた坂井に託した。開会式当日、国立霞ヶ丘競技場の千駄ヶ谷門で前の区間を走った鈴木久美江(当時中学3年生)から聖火を受け取り、トラックを半周したあと聖火台までの階段を昇った。10万713人目 のランナーであった。 この聖火リレーでトラックを走る坂井の姿がアメリカ最大のスポーツ雑誌スポーツ・イラストレイテッド誌の1964年10月19日号の表紙に使用された。これにより坂井は初めて同誌の表紙を飾った日本人となった。 坂井はその後、400mと1600mリレーで活躍し、1966年(昭和41年)のバンコクアジア大会では1600mリレーで優勝、400mでも銀メダルを獲得した。オリンピックへの出場歴はない。 1968年(昭和43年)にフジテレビに入社し(アナウンサーで入社した逸見政孝や山川建夫、松倉悦郎は同期にあたる。特に逸見・松倉とは早稲田大学の同期でもあった。)、主にスポーツと報道分野を担当。就職先にマスメディアを選んだのは、自らが東京オリンピック聖火最終ランナーに決定した際のマスメディアの過熱報道に接して「マスメディアは面白い商売だな」と思ったからだったことを語っている。 1972年ミュンヘンオリンピックと1996年アトランタオリンピックでオリンピック報道を手がけた。ミュンヘン大会ではパレスチナのゲリラによる選手村襲撃事件が起こり、坂井は日本選手団のユニホームを借りて選手村に潜入し、現地から電話で事件を報告した。アトランタ大会でも爆弾テロ事件があった。坂井はミュンヘンの事件について「何でこんなところで選手を殺すなんてばかなことを」と怒りを抱いたと後年語り、現在のオリンピックについて「平和の祭典などという美しい言葉は捨てた方がいい。五輪はアマチュアの祭典でも平和の祭典でもなくなった。金もうけのための祭典じゃないですか」と述べている。 東京国際マラソンの実施なども手がけ、海外有力選手の代理人と出場の交渉も担当していた。「アマチュアリズムが生きていた」として東京大会を「理想の五輪」という坂井は、マラソン選手の出場料やボーナスの折衝を「仕事だからと自分に言い聞かせた」という。 2005年(平成17年)にフジテレビを定年退職した。以後はフジテレビの関連番組制作会社に再就職してエグゼクティブプロデューサーとして活動した。子息の厚弘はTBSで勤務、2007年世界陸上選手権では国際映像のチーフディレクターを担当している。 2020年東京オリンピック開催地決定を見届け、2014年9月10日午前3時1分、脳内出血により東京都文京区の病院で死去した。69歳没。 いだてん〜東京オリムピック噺〜(NHK大河ドラマ) - 2019年(令和元年)12月8日と12月15日に放送された第46回と最終回に、1964年東京オリンピック聖火リレー最終走者として登場。井之脇海が演じた。 ^ 候補10人(男子8・女子)の中から選ばれた。 ^ 河野一郎オリンピック担当国務大臣(早大競走部OB)の意向もあったといわれる。 ^ 鈴木によると、坂井の顔色が青かったため「緊張していないですか」と聞いたところ「階段を踏み外さないように頑張るよ」と表情をゆるめて答えたという。 ^ 段数については文献により163段、182段など諸説ある。坂井自身は167段と聞かされていた。 ^ “東京五輪最終聖火ランナーの坂井義則氏が死去 69歳 「原爆の子」平和の象徴として大役担う”. 産経ニュース. (2014年9月10日). https://www.sankei.com/sports/news/140910/spo1409100017-n1.html 2020年2月28日閲覧。 ^ 小沢剛「心の聖地 スポーツ、あの日から」四国新聞2010年5月11日20頁。 ^ “【甘口辛口】5月11日”. サンケイスポーツ. (2010年5月11日). http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/other/389405/ ^ “【甘口辛口】「幻の聖火ランナー」落合さん、補欠から正走者への夢はかなうか”. 産経ニュース. (2014年10月10日). https://web.archive.org/web/20160311235052/http://www.sankei.com/column/print/141010/clm1410100009-c.html ^ 聖火ランナー坂井義則、力尽きる - 思聞のひとりごと(松倉悦郎)2014年9月10日 ^ 毎日新聞2015年3月19日23頁 ^ 『第18回オリンピック競技大会公式報告書(上)』 ^ “64年東京五輪聖火リレー最終走者・坂井さん、56年ぶりの聖火を「今度は客席で」”. スポーツ報知. オリジナルの2013年9月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130907235502/http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20130906-OHT1T00193.htm ^ “東京五輪聖火走者の坂井さん死去”. デイリースポーツ. http://daily.co.jp/newsflash/general/2014/09/10/0007316774.shtml 2014年9月10日閲覧。 ^ “井之脇海 「いだてん」最終聖火ランナー・坂井義則役 “集大成”担い重圧? 走ることに「苦手意識」も…”. (2019年12月8日). オリジナルの2019年12月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191220140945/https://mainichi.jp/articles/20191207/dyo/00m/200/019000c 東京国際マラソン 表 話 編 歴 ベルリン1936 - フリッツ・シルゲン ロンドン1948 - ジョン・マーク ヘルシンキ1952 - パーヴォ・ヌルミ メルボルン1956 - ロン・クラーク ローマ1960 - ジャンカルロ・ペリス 東京1964 - 坂井義則 メキシコ1968 - エンリケタ・バシリオ ミュンヘン1972 - ギュンター・ツァーン モントリオール1976 - ステファン・プレフォンテーヌ、サンドラ・ヘンダーソン モスクワ1980 - セルゲイ・ベロフ ロサンゼルス1984 - レイファー・ジョンソン ソウル1988 - 孫基禎 バルセロナ1992 - アントニオ・レボジョ アトランタ1996 - モハメド・アリ シドニー2000 - キャシー・フリーマン アテネ2004 - ニコラオス・カクラマナキス 北京2008 - 李寧 ロンドン2012 - キャメロン・マクリッチー、デジレー・ヘンリー他7人 リオ2016 - バンデルレイ・デ・リマ 東京2020 - 大坂なおみ パリ2024 - テディ・リネール、マリー=ジョゼ・ペレク オスロ1952 - エイイル・ナンセン コルチナ・ダンペッツオ1956 - グイド・カロリ スコーバレー1960 - ケン・ヘンリー インスブルック1964 - ヨーゼフ・リーダー グルノーブル1968 - アラン・カルマ 札幌1972 - 高田英基 インスブルック1976 - クリストゥル・ハース、ヨーゼフ・ファイストマントル レークプラシッド1980 - チャールズ・カー サラエボ1984 - サンダ・ドゥブラヴチッチ カルガリー1988 - ロビン・ペリー アルベールビル1992 - ミシェル・プラティニ リレハンメル1994 - ホーコン・マグヌス皇太子 長野1998 - 伊藤みどり ソルトレーク2002 - レークプラシッド金メダルのアメリカ・アイスホッケーチーム トリノ2006 - ステファーニア・ベルモンド バンクーバー2010 - ウェイン・グレツキー ソチ2014 - イリーナ・ロドニナ、ウラディスラフ・トレチャク 平昌2018 - 金妍兒 北京2022 - 趙嘉文、ジニゲル・イラムジャン 一覧 カテゴリ 表 話 編 歴 13 小島勇之助 14 津村清次 15 沢田一郎 16 山岡慎一 17 山内晋作 18 佐伯巖 19 佐伯巖 20 島村鉄也 21 島村鉄也 22 納戸徳重 23 納戸徳重 25 納戸徳重 26 松居久 27 松重秀男 28 松重秀男 29 西貞一 30 箱島武男 31 西貞一 32 増田礒 33 西貞一 34 今井慶二 35 今井慶二 36 森町三之助 37 相原豊次 38 佐藤勝三 39 三木重雄 40 船田幸一 42 吉田正平 46 吉田正平 47 首藤慎二 48 坂根懋 49 坂根懋 50 岡野栄太郎 51 高橋桂 52 ハーブ・マッキンリー 53 赤木完次 54 赤木完次 55 赤木完次 56 赤木完次 57 赤木完次 58 早瀬公忠 59 大串啓二 60 早瀬公忠 61 大串啓二 62 早瀬公忠 63 ハンス・ヨアヒム・レスケ(英語版) 64 早瀬公忠 65 吉田正美 66 坂井義則 67 大沢克之 68 天野義裕 69 友永義治 70 友永義治 71 友永義治 72 友永義治 73 友永義治 74 友永義治 75 水野利夫 76 松本彰 77 原田康弘 78 原田康弘 79 名取英二 80 名取英二 81 名取英二 82 高野進 83 川角博美 84 川角博美 85 高野進 86 高野進 87 高野進 88 高野進 89 小中冨公一 90 渡辺高博 91 高野進(44.78)* 92 高野進 93 苅部俊二 94 大森盛一 95 簡優好 96 大森盛一 97 山村貴彦 98 田端健児 99 小坂田淳 00 山村貴彦 01 小坂田淳 02 田端健児 03 佐藤光浩 04 佐藤光浩 05 金丸祐三 06 金丸祐三 07 金丸祐三 08 金丸祐三 09 金丸祐三 10 金丸祐三 11 金丸祐三 12 金丸祐三 13 金丸祐三 14 金丸祐三 15 金丸祐三 16 ウォルシュ・ジュリアン 17 北川貴理 18 ウォルシュ・ジュリアン 19 ウォルシュ・ジュリアン 20 伊東利来也 21 川端魁人 22 佐藤風雅 23 中島佑気ジョセフ 24 中島佑気ジョセフ *は大会記録 100m 200m 400m 800m 1500m 5000m 10000m 3000mSC 110mH 400mH この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。 日本の男子短距離走の選手 日本のアジア競技大会金メダリスト 日本のアジア競技大会銀メダリスト アジア競技大会陸上競技メダリスト 1964年東京オリンピックの関係者 オリンピック聖火点火者 20世紀のスポーツ選手 フジテレビの人物 広島県出身のスポーツ選手 早稲田大学出身の人物 広島県立三次高等学校出身の人物 20世紀日本の人物 21世紀日本の人物 1945年生 2014年没 すべてのスタブ記事 陸上競技選手関連のスタブ項目
2025/01/25 18:27更新
|
sakai yoshinori
坂井義則と同じ誕生日8月6日生まれ、同じ広島出身の人
TOPニュース
坂井義則と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「坂井義則」を素材として二次利用しています。