大津守の情報(おおつまもる) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
大津 守さんについて調べます
■名前・氏名 |
大津守と関係のある人
城戸則文: 初本塁打:1959年6月3日、対近鉄バファロー6回戦(平和台野球場)、2回裏に大津守から左越先制場外ソロ 田山涼成: 鹿男あをによし(2008年1月 - 3月、フジテレビ) - 大津守 役 鈴木征夫: 初安打:同上、大津守から単打 中西太: この時葛城に本塁打を打たれたのは、元同僚の大津守投手(当時近鉄)であり、後日試合で対戦の際に中西と顔を合わせ、「すまん」と謝ったとされている。 稲尾和久: しかし、この好投が認められて先発陣に加わり、前年の主戦投手であった大津守(前年21勝)、西村貞朗(前年19勝)、川崎徳次(前年17勝)らの調子が上がらなかったことから登板機会が増え、前半戦を8勝1敗、防御率1.17と飛ばす。 |
大津守の情報まとめ
大津 守(おおつ まもる)さんの誕生日は1931年3月5日です。福岡出身の野球選手のようです。
引退、事件に関する情報もありますね。2007年に亡くなられているようです。
大津守のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 大津 守(おおつ まもる、1931年3月5日 - 2007年10月2日)は、福岡県嘉穂郡桂川町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 明善高校からノンプロ時代の西日本鉄道を経て、1950年にセ・パ両リーグ分立に際して球団結成したばかりの西鉄クリッパースへ入団。 3年目の1952年にリーグ最多となる46試合に登板して、チームでは野口正明の23勝に次ぐ18勝、リーグ3位の防御率2.73を挙げて主戦投手となる。1954年9月22日の南海戦では、大津は完投勝ちして南海の連勝記録を18で止める。同年のシーズンでは18勝、リーグ3位の防御率1.78を記録して、河村久文(25勝)、西村貞朗(22勝)と共に初優勝に貢献。中日との日本シリーズでも第6戦で勝利投手となる。1955年には6月4日の近鉄戦(平和台)でノーヒットノーランを記録するなど、河村と共にチーム最多の21勝を記録したが、1956年から2年連続して0勝に終わるなど大不振に陥る。1957年オフに自由契約となり、1958年に近鉄パールスへ移籍。 近鉄では主戦投手に復活し、チームトップの10勝(22敗)を挙げる。1958年もミケンズと並んで11勝(20敗)とチームの勝ち頭となったが、近鉄では打線の援護がなく、2年連続防御率ベスト10に入ったにもかかわらず両年とも20敗を記録している。1960年は開幕試合に先発して敗れると、11試合に先発するが1勝もできず、11連敗のままシーズンを終え、3シーズンを跨いで15連敗を記録したが、1963年限りで現役を引退。 引退後はRKB毎日放送「エキサイトナイター」解説者(1964年)を経て、1965年には古巣・西鉄の一軍投手コーチに就任。1967年に近鉄戦で主力投手陣の八百長を疑い、独自に内偵を行ったことが問題となり、二軍コーチへ降格される。黒い霧事件で球団が壊滅的ダメージを受けた1969年に球界から離れ、その後は解説者に戻り、少年野球やソフトボールの指導者として「千早地区少年ソフトボール親善リーグ」の名誉会長などを務めていた。 2007年10月2日、心不全のため福岡市内の病院で死去。享年77(76歳没)。死後、福岡市では「大津守杯小学生ソフトボール大会」が行われている。 上手投げから繰り出すスライダー、カーブ、シュートを武器とした。 各年度の太字はリーグ最高 ノーヒットノーラン:1回(1955年6月4日、対近鉄パールス戦、平和台野球場) ※史上22人目 開幕から11連敗:1960年 ※史上3人目 オールスターゲーム出場:1回(1955年) 20(1950年) 16(1951年 - 1957年) 15(1958年 - 1963年) 65(1965年 - 1967年) ^ 『プロ野球記録大鑑』158頁 ^ 「大津守氏死去 元近鉄投手」『共同通信』2007年10月2日。2013年5月26日閲覧。 ^ 「ご挨拶 - 大津守杯小学生ソフトボール大会HP」『sites.google.com』。2020年9月18日閲覧。 宇佐美徹也『プロ野球記録大鑑』講談社、1993年 福岡県出身の人物一覧 埼玉西武ライオンズの選手一覧 大阪近鉄バファローズの選手一覧 ノーヒットノーラン達成者一覧 個人年度別成績 大津守 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE 表 話 編 歴 1950 黒尾重明 1951 関根潤三 1952 沢藤光郎 1953 関根潤三 1954 田中文雄 1955 武智文雄 1956 武智文雄 1957 武智文雄 1958 山下登 1959 大津守 1960 大津守 1961 蔦行雄 1962 板東里視 1963 徳久利明 1964 久保征弘 1965 徳久利明 1966 徳久利明 1967 鈴木啓示 1968 鈴木啓示 1969 鈴木啓示 1970 鈴木啓示 1971 鈴木啓示 1972 鈴木啓示 1973 鈴木啓示 1974 鈴木啓示 1975 神部年男 1976 神部年男 1977 鈴木啓示 1978 鈴木啓示 1979 鈴木啓示 1980 鈴木啓示 1981 柳田豊 1982 柳田豊 1983 谷宏明 1984 鈴木啓示 1985 鈴木啓示 1986 村田辰美 1987 村田辰美 1988 阿波野秀幸 1989 阿波野秀幸 1990 阿波野秀幸 1991 阿波野秀幸 1992 小野和義 1993 野茂英雄 1994 野茂英雄 1995 山崎慎太郎 1996 高村祐 1997 高村祐 1998 高村祐 1999 岡本晃 2000 B.ウォルコット 2001 門倉健 2002 S.バーグマン 2003 J.パウエル 2004 岩隈久志 表 話 編 歴 沢村栄治 V.スタルヒン 石田光彦 中尾輝三 亀田忠 浅野勝三郎 三輪八郎 森弘太郎 西沢道夫 天保義夫 藤本英雄 別所昭 石丸進一 呉昌征 梶岡忠義 真田重男 金田正一 林義一 大友工 山下登 杉下茂 大津守 大脇照夫 大矢根博臣 井上善夫 中山義朗 G.バッキー 外木場義郎 清俊彦 若生忠男 堀内恒夫 城之内邦雄 鈴木啓示 成田文男 渡辺秀武 鬼頭洋 藤本和宏 高橋直樹 江夏豊 神部年男 加藤初 戸田善紀 郭泰源 田中幸雄 近藤真一 柴田保光 湯舟敏郎 西崎幸広 佐藤義則 T.ブロス 渡辺久信 野口茂樹 石井一久 川尻哲郎 佐々岡真司 M.バンチ N.エルビラ 川上憲伸 井川慶 R.ガトームソン 山本昌 前田健太 杉内俊哉 西勇輝 山井大介 岸孝之 山口俊 菅野智之(CS) 千賀滉大 大野雄大 小川泰弘 東浜巨 今永昇太 山本由伸 C.ポンセ 石川柊太 戸郷翔征 大瀬良大地 日本の野球選手 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手 NPBオールスターゲーム選出選手 福岡県立明善高等学校出身の人物 福岡県出身のスポーツ選手 1931年生 2007年没 Pages using the JsonConfig extension 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/19 13:32更新
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ootsu mamoru
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