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中西太の情報 (なかにしふとし)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

中西太の情報(なかにしふとし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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中西 太さんについて調べます

■名前・氏名
中西 太
(読み:なかにし ふとし)
■職業
野球選手
■中西太の誕生日・生年月日
1933年4月11日 (年齢2023年没)
酉年(とり年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
香川出身

(昭和8年)1933年生まれの人の年齢早見表

中西太と同じ1933年生まれの有名人・芸能人

中西太と同じ4月11日生まれの有名人・芸能人

中西太と同じ出身地香川県生まれの有名人・芸能人


中西太と関係のある人

江本孟紀: さらに江本は、ブレイザーの後任となった中西太の選手起用に不満を募らせ、先発登板した1981年8月26日の対ヤクルトスワローズ戦(甲子園球場)の8回表途中に交代を命じられると、ベンチ裏で新聞記者などを前に「ベンチがアホやから野球がでけへん」と発言(後述)した。


岡本伊三美: 1953年には中西太、堀井数男との接戦を制し、打率.318で首位打者を獲得、19本塁打を放ちチームのリーグ3連覇に貢献、同年のリーグMVPにも輝いた。


鬼頭政一: 1968年に西鉄の一軍打撃コーチとしてプロ球界に復帰し、1969年途中からは黒い霧事件の責任を取って引退・辞任した中西太の後を受けて代理監督を務めた(対戦成績14勝7敗)。


河野旭輝: 1回目のヤクルトコーチ就任はヘッドコーチの中西太の推薦で就任した。


ロイド=モスビー: 研究熱心な点と合わせ巨人のコーチだった中西太から打撃を高く評価されている。


村上宗隆: 高卒2年目での36本塁打は中西太と並ぶ歴代1位タイであり、同時期の松井秀喜の本塁打ペースを上回る。


八浪知行: 1962年には、仲の良かった西鉄の中西太監督から2軍監督就任の打診を受けたが、当時は3つの職業を掛け持ちしていたため辞退している。


皆川睦男: 中西太は「苦手な投手は存在したのか?」との問いに「そりゃあ、いましたよ(笑)。


中村剛也: 5年間で4度以上の本塁打王に輝いたのは中西太、野村克也、王貞治以来4人目であるが、27本での本塁打王は1995年の小久保裕紀(28本、当時は130試合制)を下回る低水準であった。


杉山光平: 南海とパ・リーグの覇を争った西鉄ライオンズの中軸で同期入団の中西太は、杉山について、「職人芸のバッター」「勝負師」「しのぎを削ったバッターの中では秀逸な、特異な存在だった」と語っている。


柚木進: ^ 中西太『人を活かす 人を育てる』1991 学習研究社、109頁。


有町昌昭: 2年目の1955年には三塁手で開幕スタメンを獲得し、以降は遊撃手のレギュラーを確保するが、同年の西鉄ライオンズ戦で中西太の打った地を這うようなライナーが有町の左膝を直撃し、その場で一歩も動けず担架で運ばれた。


近藤昭仁: 近所の遊び友達に4学年上の中西太がおり、1953年に中西と同じ高松一高へ進学。


稲尾和久: 1969年の閉幕後、まもなく不成績と黒い霧事件の責任を取って中西太監督が辞任する。


張本勲: そのため、三原社長と娘婿である中西太監督との間の感情はこじれにこじれた。


十時啓視: 西鉄との日本シリーズで、気の弱い堀内庄が投げている時に、ピンチの場面で打者として熊でも腰を抜かしそうな恐ろしい顔をした中西太が登場。


田辺義三: 1960年には主に右翼手として33試合に先発するが、1962年には中西太選手兼任監督の故障悪化もあって、開幕から一塁手として起用される。


松本忍: キャプテン翼 RISE OF NEW CHAMPIONS(2020年 - 2021年、高木利行、中西太一)


豊田泰光: この時の打率はチームメイトの中西太とは僅差(5毛差)であった。


鐘ヶ江管一: 国光屋は西鉄ライオンズ、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ(現在の埼玉西武ライオンズ)の島原キャンプの定宿としても使用されており、仰木彬、稲尾和久、豊田泰光とは晩年まで交流があり、中西太など当時のライオンズの選手との親交は現在に至って続いている。


堀内庄: 第5戦でも先発し8回を好投するが、3度目の先発となる最終第7戦では、中西太に本塁打を喫するなど3失点と打ち込まれ、1回途中で降板を余儀なくされた。


若林忠志: ただし妻の房の意向で妻と当時の西鉄監督だった中西太以外には事実が伏せられたため、「チームの不振の責任を若林1人に負わせた」として西鉄球団や中西が非難される事態となった。


伊勢孝夫: コーチとしては、技術面は中西太、頭脳面は野村克也の教えをもとに指導している。


有町昌昭: “ニッポン新潮流 怪童・中西太の人材育成”. Voice. 2013年6月7日閲覧。


土橋正幸: しかし4月27日に武上四郎監督は開幕から18試合消化した時点で、「8連敗を含む4勝13敗1分けという不成績の責任をとる」と言い休養、翌28日から代理監督となった中西太ヘッドコーチが同じく18試合を戦い終えた時点で、「1分けを挟む8連敗」を記録し「健康上の理由」で姿を消した。


小川博文: 一方、オリックス時代に打撃コーチだった中西太は、シンプルに自分のスイングをすれば良いというスタンスで指導していた。


吉岡悟: なおパ・リーグでは1958年に前身の西鉄中西太が記録した.314を下回る史上最低打率での首位打者タイトル獲得となった上、2023年に頓宮裕真(オリックス・バファローズ)が.307で更新するまでパリーグ首位打者の最低打率記録だった。


高倉照幸: 1957年からは1番打者に定着し、豊田泰光・中西太・大下弘・関口清治らと形成する強力打線は「流線型打線」と呼ばれた。


毒島章一: 1958年にも打率.306で中西太に次ぐベストテン2位に入る。


大下弘: しかし、山内一弘・中西太らの首位打者争いには加われない大下は、自分の打撃に納得ができずスランプだとこぼし続けた。


中西太の情報まとめ

もしもしロボ

中西 太(なかにし ふとし)さんの誕生日は1933年4月11日です。香川出身の野球選手のようです。

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卒業、母親、現在、家族、引退、事件、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。2023年に亡くなられているようです。

中西太のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

中西 太(なかにし ふとし、1933年4月11日 - 2023年5月11日)は、香川県高松市松島町出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。1999年に野球殿堂入り。豪打と俊足で「怪童」と呼ばれ、西鉄ライオンズの黄金期を支えた。指導者としては「ふとっさん」や「名伯楽」と呼ばれ、打撃指導が高く評価されている。西鉄、日本ハム、阪神で監督となり、多くの球団や選手のコーチも務めた。座右の銘は「何事も苦しい時が自分の礎をつくる」という「何苦楚」。高松市市民栄誉賞の初の受賞者。

1933年(昭和8年)生まれ。高松第一高等学校時代は甲子園で夏2回ベスト4、春1回出場。甲子園で二戦連続ランニングホームランも記録した。西鉄では三原脩監督時代の黄金期を支え、本塁打王5回、打点王3回、首位打者2回、ベストナイン(三塁手)7回を記録。1953年には史上最年少でトリプルスリーと二冠(本塁打王・打点王)を、1955年にはパ・リーグ最高殊勲選手を達成。豪打と俊足から「怪童」と呼ばれた。

西鉄では選手兼監督を経て監督となり、1963年にリーグ優勝を達成。日本ハムや阪神でも監督を務める。最終的に5球団で監督や監督代行を務め、ヤクルト、近鉄、巨人、オリックスなどでもコーチや臨時コーチを歴任。若松勉、岡田彰布、掛布雅之、宮本慎也らを育てた。指導者としては「ふとっさん」や「名伯楽」と呼ばれ、その打撃指導は高く評価された。「何事も苦しい時が自分の礎をつくる」という「何苦楚」が座右の銘で、岩村明憲や田口壮に引き継がれた。

妻は三原脩の長女。人生の師でもある三原からは「人を見て法を説け」や「三原イズム」、メモ魔を受け継いだ。中西が持っていた「三原ノート」は栗山英樹に引き継がれている。高松讃紫会では名誉会長に就任。2000年には初の高松市市民栄誉賞を受賞し、2009年1月からは高松市観光大使も務めていた。たかまつミライエには中西の特設コーナーが設けられている。2023年(令和5年)に90歳で死去。翌年には高松市立中央公園にある水原茂・三原脩の銅像の隣に、中西の銅像も建立することが計画されている。

幼少期は野菜の行商をしていた母の手で育てられる。小学6年生だった1945年7月4日、住んでいた高松で高松空襲に遭う。一度は防空壕に逃げ込んだが、周りの大人たちに招かれるように防空壕を出て、間もなくして自分が避難していた防空壕は爆撃された。本人も「あのまま防空壕にいたら命は無かったから、運が良かった」と語っている。1946年、旧制高松一中に入学(高松一中は1948年に学制改革により高松一高となる)。高松一高時代は本塁打を量産し、「怪童」といわれていた。中西が打撃練習を始めると、打球が速すぎて危険なため内野手は外野に移動していたという。甲子園には三塁手として3度出場。1949年春の選抜は準々決勝に進むが、小倉北高のエース福嶋一雄に完封負けを喫する。同年夏の選手権は、準決勝で佐々木信也(高橋)のいた湘南高に延長10回にサヨナラ負けする。

1951年夏の選手権は準決勝に進むが、優勝校となる平安高の清水宏員(毎日)、上市明(大映)のバッテリーに抑えられ3-4で惜敗。この大会では岡山東高の秋山登(大洋)らから2試合連続でランニングホームラン、計6打点を記録した。同年の広島国体では準々決勝(初戦)で都島工と対戦、延長21回の熱戦の末に0-1でサヨナラ負けした。高校の2年上に山下健(阪急)、1年上に玉木春雄(西鉄)、同期には松岡雅俊(東映)、1年下には荒井健(近鉄)、松井清(西鉄)と後にプロ入りするチームメイトが揃っていた。

国体出場後、高校卒業後の進路について飛田穂洲より早稲田大学進学を勧められ、見学のために上京。この時に同郷・香川の先輩で早大OBでもある西鉄ライオンズの三原脩監督と出会った。

三原は貧しかった中西の早大進学の費用を西鉄が出す代わりに、卒業したら入団するように約束をさせた。しかし毎日オリオンズの若林忠志監督が毎日新聞高松支局長を伴って中西の兄を抱き込み、契約寸前までいっているとの連絡が入る。三原はすぐさま中西の家に向かい、西鉄側には高松一高野球部後援会や市会議員までが出てきて入団を後押しした。最終的には「郷里の先輩を信じるのが一番良い」という母親の決断により、西鉄入りが決まった。早大進学の夢が打ち砕かれたのとプロでやっていく自信の無さから、決定の瞬間に中西は大声をあげて泣いた。

1952年に西鉄へ正式入団すると、開幕から七番打者、三塁手に抜擢され活躍。プロ初本塁打はランニングホームランであった(高校時代に甲子園で記録した本塁打も2本ともランニングホームランである)。同年は打率.281(17位)、12本塁打で新人王を獲得。

1953年には7月から四番打者に座り、トリプルスリー(打率.314、36本塁打、36盗塁)を史上最年少で達成。同年から6年連続でベストナインに選出される。また、36本塁打は2024年現在も2019年の村上宗隆と並び高卒2年以内の選手の最多本塁打記録であり、86打点も同年の村上が抜くまで高卒2年目以内の選手の最多記録だった。その後も1958年まで毎年の様に三冠王に近い成績を残し、1956年はパシフィック・リーグMVPを受賞。1953年から1956年にかけては4年連続で本塁打王を獲得。1953年は大映(30本)と近鉄(31本)、1954年は近鉄(27本)のチーム本塁打を個人で上回っていた。他にも、1955年は17敬遠でパ・リーグの初代最多敬遠となり、翌年も山内和弘と並ぶ17敬遠を記録した。

大下弘・豊田泰光・関口清治・高倉照幸・河野昭修らと形成する強力打線は「流線型打線」と呼ばれ、1954年に球団初のリーグ優勝を飾る。同年の中日ドラゴンズとの日本シリーズでも25打数8安打3打点と活躍。稲尾和久が入団した1956年からは水原茂監督率いる巨人を相手に3年連続日本一という黄金時代を築き上げた。この時期に三原の長女・敏子のもとへ婿入りし、三原の義理の息子となっている(戸籍上は「三原太」となっている)。1956年の巨人との日本シリーズでは第2戦に安原達佳、第4戦に中尾碩志から本塁打を放つ。この年は29本塁打・95打点で二冠王に輝くも、打率は豊田泰光と4毛の差で三冠王を逃す。

1957年の日本シリーズは21打数5安打無打点とあまり活躍の場はなかったが、1958年の日本シリーズは第5戦から3試合連続本塁打を放ち本領を発揮した。

1958年は打率.314と23本塁打で二冠王に輝くも、打点王の葛城隆雄(大毎)に1打点差で届かず、三冠王を逃す。なおこの時の打率.314は、1953年の岡本伊三美(南海)の.314を下回り、2リーグ分裂後パ・リーグの首位打者としては最低打率記録で、1976年に西鉄の後進・太平洋クラブの吉岡悟が.309で首位打者となるまて最低打率だった。

1958年までは常にタイトル争いに加わるほどの打棒を誇るが、1959年の6月3日の近鉄戦(平和台)で鈴木武に利き手をスパイクされて6針縫う負傷。さらに1960年には左手首に腱鞘炎を患い満足なスイングができなくなり、常時出場は困難になる。

1961年には回復が見られ、主に一塁手として78試合に先発出場、打率.304、21本塁打を記録。しかしベストナインには9試合のみ起用された三塁手として選出された。

1962年からは西鉄の選手兼任監督に就任。再び怪我が悪化し開幕から欠場、28試合の先発にとどまる。豊田は故障を抱えながら出場を続け「俺は我慢して出ているのになぜ」と反発し、チームは完全に分裂、その年のオフ国鉄スワローズに移籍した。

1963年は開幕から一塁手として出場。チームも好調を維持し、トニー・ロイ、ジム・バーマ、ジョージ・ウィルソンら「三銃士」が活躍。ロイ、バーマ、ウイルソンと気が合った。若生忠男・畑隆幸・田中勉・安部和春・井上善夫ら若手投手の奮闘もあり、南海と熾烈な優勝争いを繰り広げる。最大14.5ゲーム差を追い上げて最後の4試合(2日連続のダブルヘッダー。3勝1分以上もしくは2勝2分で優勝、3勝1敗で南海との同率プレーオフ、それ以外は南海の優勝)に全勝し、劇的なリーグ優勝を決める。同年の日本シリーズでは巨人に3勝4敗で敗退した。

1964年からは代打での出場が主になる。チームは稲尾を故障で欠いたため、5位へ転落。同年オフの退団となった若林忠志ヘッドコーチの処遇を巡りバッシングを受け、「若林に成績不振の責任を取らせた」とマスコミからの非難を浴びた。実はこの時、若林退団の真の理由は末期ガンのためであったが、若林の家族の意向からその事実は本人にも伏せられ、真相は中西と若林夫人しか知らなかった。自らの真の病状を知らない若林は中西が見舞いに来るたびに、「自分はもう大丈夫だから現場に戻してほしい」と語っていたという。それがもはや叶わないことを知っていた中西は「涙が出るほど辛かった」と後年に回想している。若林は1965年、58歳で死去した。

1965年はルーキーの池永正明が20勝で新人王を獲得したほか、稲尾の復活もあり3位でAクラスに返り咲く。

1966年は稲尾がリリーフに転向し、最優秀防御率を獲得。同年9月30日、中西はこのシーズン5本目の代打本塁打を記録するが、これは自身通算10本目の代打本塁打であり、大館勲夫の当時の日本プロ野球記録を二つとも更新している。

1967年は宮寺勝利を正捕手に据えたため、和田博実を外野にコンバート。池永が最多勝を獲得し、2年連続で2位となった。

1968年は「猛打西鉄」復活を狙って、高木喬・広野功を獲得。東田正義・竹之内雅史の台頭もあったが、5位に終わる。

1969年は宮寺に代わって村上公康が正捕手となったが、チーム打率最下位・チーム防御率5位という散々な内容で2年連続で5位となる。広野が20本塁打、村上が14本塁打を放った。同年に中西は現役を引退し、監督も退任。同年10月に発覚し、西鉄の選手も関与していた八百長疑惑事件、いわゆる「黒い霧事件」についての道義的責任を負っての辞任でもあった。

中西が着けた背番号6は、将来有望な選手が出るまでの保留欠番とされ、1973年、西鉄が身売りした際に、監督の稲尾の推薦で菊川昭二郎が33から変更して着けた。

引退後に1年だけTBS解説者(1970年)を務めた後、ヤクルト(1971年 - 1973年ヘッドコーチ, 1983年 - 1984年一軍ヘッド兼打撃コーチ)、日本ハム(1974年 - 1975年監督)、阪神(1979年 - 1980年一軍打撃コーチ, 1980年 - 1981年監督)、近鉄(1985年 - 1988年一軍打撃コーチ, 1989年 - 1990年ヘッドコーチ)、巨人(1992年一軍打撃総合コーチ)、ロッテ(1994年ヘッドコーチ)、オリックス(1995年 - 1997年ヘッドコーチ)で監督・コーチを歴任。指導者生活の合間を縫って、九州朝日放送(1976年 - 1978年)・毎日放送(1982年, 1991年)解説者、日刊スポーツ評論家(1977年 - 1978年、1982年、1991年、1993年)を務めた。

ヤクルトコーチ1期目にはプロ入り前から若松勉の素質を見抜き、体の小ささを理由にプロ入りを拒否していた若松に対して北海道まで出向いて説得を行い、入団後はマンツーマン指導により2年目で首位打者を獲得するまでに育て上げた。後に若松が野球殿堂入りを果たした時は「自分の殿堂入りよりもうれしい、自分に若松を託したお父さんからもお褒めの言葉を授かり、非常に嬉しかった」と述べている。2期目には八重樫幸雄と二人三脚で独特のオープンスタンスの打撃フォームを造り上げ、これにより打力が向上した八重樫は正捕手の座を獲得し、現役晩年は代打の切り札として活躍した。1984年4月には武上四郎辞任に伴い監督代行を務めるも18試合で辞任。一般的には「体調不良と成績不振のため」とされているが、当時1軍打撃コーチだった伊勢孝夫によれば「荒木大輔の処遇で揉めた」のが真の原因で、荒木を2軍でじっくり育てるべきとする中西と、大人気の荒木を1軍に置きたいオーナー(松園尚巳)やフロントが対立し、中西が「言うことを聞いてもらえないなら、代行もやめる」として辞任したという。

日本ハムでは初代監督に就任するも2年連続最下位で解任され、代表取締役社長兼球団代表の三原は、初回に走者が出た場面でバントのサインを多用していた中西の采配を見て、監督の器ではないと思ったという。また、張本勲は一打逆転の場面を直視できずにベンチ裏に下がり、マネージャーを通して状況を確認していた中西の采配について、選手も戦う気になれなかったと振り返っている。

阪神時代はドン・ブレイザーの辞任に伴い、監督へ昇格したが、5位に終わる。1981年は3位になるも同年退任し、在任中はコーチ時代から折り合いの悪かった江本孟紀に「ベンチがアホや」と公言され、確執が修復不能なほど悪化して引退に追い込んでしまう。ただし、引退後しばらくしてからは、会えば会話をし、肩を組んで写真を撮ることもある関係に回復している。一方で、掛布雅之を中心とした猛虎打線の基礎を横溝桂打撃コーチと共に築き上げた。掛布から師と仰がれ「中西さんは選手のいい所をどんどん引き出してくれてね。それで欠点を補っちゃうんだよ」。球を呼び込んで打つよう大きなジェスチャーで求める中西に、掛布は「バットを大きく引いて打つイメージが、より鮮明になった」と振り返る。真弓明信がカーブ打ちに苦しんでいる時その前で打てとアドバイス。

近鉄コーチ時代は盟友の仰木彬監督とタッグを組み、1989年のリーグ優勝に貢献。オリックスコーチ時代には仰木と再びタッグを組み、リーグ2連覇と1996年の日本一に貢献。仰木のコンビは名コンビと言われた。田口壮からも恩師と慕われて、イチローには打撃じゃなくて守備を教えた。特に近鉄コーチ時代は10.19があった1988年と劇的なリーグ優勝を果たした翌1989年における仰木とのコンビで、球団の人気も実力とともに急上昇し、近鉄は常勝チーム西武の最大のライバル球団となった。伊東勤はその西武の選手であったにも関わらず指導を受けた経験があり、中西について、教えるのが好きな人だったと振り返っている。新井宏昌は「打撃の師。中西さんの教えで初の首位打者。打者に会ったスタイルを見つける中西さんの教えを受けたことは、その後指導者人生にもプラスになった。」と述べている。1989年近鉄優勝の立役者となったラルフ・ブライアントは、1988年途中まで中日二軍でプレーしていたが、仰木らと共に二軍戦を視察した中西が「獲れ。ワシが直す」と進言し、金銭トレードでの近鉄移籍が実現。その後はマンツーマンの練習を行い成功に繋げ、後に日本での成功の秘訣を訊かれたブライアントは、中西の口癖である「シンボウ」(辛抱)と答えている。なお、西鉄時代は中西の参謀役を、まだ現役選手だった仰木が務めていた。

ロッテ時代はシーズン途中からは八木沢荘六の後を受けて監督代行を務め、手腕が評価され翌年からの正式就任を打診されるも、年俸などの条件が折り合わず固辞。

オリックス退団後も様々な球団で「特別コーチ」「臨時コーチ」を務めたが、1999年にはヤクルト監督を務めていた若松の依頼により、バッティングアドバイザーに就任。同年には野球殿堂入りを果たし、2001年まで務めた。在任中は宮本慎也を指導し、当時の宮本は守備の人であったが、これにより打力が向上。後にプロ通算2000安打を達成した際に「(中西との出会いがなければ)2000本になんて到底届かなかったと思います」と語っている。並行して2000年からは4度目の日刊スポーツ評論家となり、2002年からは評論活動に専念。

1997年に甲状腺がんを患ったが克服し、経過は良好であり、2007年2月にはメジャーリーグに挑戦する愛弟子・岩村明憲の自主トレを手伝い、中西自らバッティングピッチャーとして登板。岩村も「こんな元気な70代の人はそうはいないですよ」と驚くほどだった。

自身の座右の銘である「何苦楚(なにくそ-何事も苦しむことが楚となる)」は、オリックス・ヤクルト時代の教え子である田口壮や岩村に受け継がれ、その影響は田口の著書「何苦楚日記」や岩村のブログ「AKI何苦楚魂」に見られる。2007年10月には現役時代のユニフォームやトロフィーなどの資料49点を故郷の高松に寄贈し、2008年4月26日より高松市松島町の高松市民文化センターで公開されていたが、2012年3月11日限りで建物が閉館となった。その後は市民文化センターの後継施設として2016年11月23日にオープンした高松市こども未来館(たかまつミライエ)1階の「市民交流ゾーン」に「怪童中西太コーナー」が改めて設置されている。

2008年の第90回全国高等学校野球選手権記念大会開会式前に「甲子園レジェンズ」の一人として登場。

2017年に学生野球の指導資格を回復。2018年3月には高倉照幸前会長の後を受けて「ライオンズOB会」会長に就任。同年夏には第100回全国高等学校野球選手権記念大会香川県大会と本大会(大会14日目)で始球式を行った。2019年4月2日にはライオンズ埼玉移転40周年を記念して、メットライフドームにてパ・リーグ本拠地開幕戦で始球式に招聘された。

2023年5月11日に心不全のため死去、90歳没。墓所は世田谷区の実相寺。

同年11月3日には、高松市内でお別れの会の開催され、金村義明や浜村孝、田中調、島谷金二らが出席した。同会では鴨居真理子が司会を務め、栗山英樹が弔辞を読んだ。その際、栗山は香川県知事の池田豊人や高松市長の大西秀人に中西の銅像建立を要請。翌2024年には、高松市立中央公園にある水原茂・三原脩の銅像の隣に、中西の銅像も建立することが計画されている。

「怪童」と称されるほどのスラッガーであった。中西は、その豪快な打撃で数々の伝説を残している。以下はその一例である。

1953年8月29日、対大映戦(平和台野球場)で林義一投手から放った打球はライナーでバックスクリーンを優々と越え、場外の福岡城址まで届いた。大和球士の「プロ野球三国史第十巻」によると、打球は「バックスクリーンの上空三十フィート、約九メートルのところを越えていった」。その飛距離は「五百三十フィート(一六二メートル)」で、プロ野球最長飛距離の本塁打、また福岡城址は「外野スタンドから更に50m先」にあるため、180〜190m近く飛んだ可能性もあると言われており、まさに球史に残る大ホームランであったとされる。この時も、林義一投手は「(取れるライナーかと思って)ジャンプした。そうしたらグングン伸びて、バックスクリーンのはるか上を越えていった」と千葉茂に後年語っていたと言う。ただ打った中西本人は、あまりにも低い弾道だった為、本塁打になるとは思わず、一塁を回るあたりまでは全力疾走をしていたといい、それほどの飛距離の本塁打になるとも思っていなかったという。また同僚の豊田泰光は「あの一発クラスのホームランを太さんは何本も打っている。左中間場外に飛ばした打球は、当時は照明が暗かったし、どこまで飛んでいったか分からんのだよ。あの一発より大きいものもあったはず」と語っている。

1955年の川崎球場で行われた試合では、中西の放った地面すれすれの強烈なライナーがショートを守っていた有町昌昭の足を直撃した。有町は病院送りとなったが、彼はあまりの打球の速さに一歩も動けずグラブを差し出すことすら出来なかった。この試合を観戦していた記者の大和球士は、報知新聞に「中西が日本で初めてのゴロを打った。二死後、遊撃有町めがけたライナーは有町の左のスパイクか右足首にぶつかり、勢い余って二塁の守備位置付近に転がる痛烈なゴロ。打球の鋭さといい野手を一発し打倒したことといい、跳ね返り具合といい、まさに日本で初めて見るゴロであった」と記している。なお有町は当時まだプロ2年目であったが、この打球による負傷の影響に加えて「俺はあんなの捕る自信ない」と自信喪失してしまったことにより、同年限りで現役を引退した。

1958年のシーズン、南海に7月に11.5ゲーム差をつけられた西鉄は終盤戦に猛追して、9月28日に平和台球場での26回戦(カード最終戦)を勝率6厘差の2位で迎えた。中西は1回の第一打席で先発の杉浦忠からスリーランを放った。打った瞬間、杉浦は「ショートライナーか左前打だ」と思った打球がライナーのままスタンドインし、看板を直撃した。外野手の大沢昌芳(後に啓二)と長谷川繁雄は互いに顔を見合わせて一歩も動けなかった。

南海の捕手の野村克也は中西について、力士のような体で柔らかく、素振りひとつ、フリーバッティング一つとっても絵になる打者だったと語っている。中西がベンチ前で素振りをすると、反対側の南海側ベンチまで「ブンッ」という音が聞こえて南海ベンチで話題となったという。このような体験をしたのは中西ただ一人だけとのこと。バットを持たせてもらったことがあったが振れるような重さではなかったという。

遊撃手がジャンプしてわずかに届かなかったライナー性の打球が、ものすごい勢いでそのままスタンドインした。また、投手の肩口を抜けたライナーが伸びに伸びて平和台のバックスクリーンを超えていった(青田昇の証言より。このとき青田はセンター前ヒットと思って一歩前に出たという)。

ファウルチップで焦げたボールの皮の匂いが、マウンド上の投手まで届いた(中西曰く、当時はバットを動物の脂で磨くことが多く、ボールが焦げたというのは誤りであるものの、ダッグアウトまでその匂いが届いたという)。

中西の打球について三原は「中西君の本領は、しかしこの本塁打ではない。飛距離もそうだが、それにプラス打球の速さがあった。この打球スピードについては、ヒイキ目でなく、中西の前に中西なく中西のあとに中西なし、といってもいい。その秘密は、類まれなリストの強さ、柔軟さにあったと思う」と述べている。

王貞治の育ての親でもある荒川博は、「日本プロ野球で最強のバッターは誰かと聞かれたら次の2人。右の中西、左の王でしょうな。中西はあのデカイ体をものすごい勢いで回転させるから、打球が速いうえによく飛ぶ。文字どおりの大砲でしたよ。まあケタ違いの打球を打っていた。同じ右の強打者といっても、悪いけど長嶋茂雄とじゃ格が違っていたね」と語っている。

メジャーの強チームが頻繁に来日した1955年前後、来日したメジャーリーガーたちは、「中西だけはメジャー級」という言葉を残して帰国した。その打棒は、海の向こうにも鳴り響いていた。

メジャーリーガーもその打撃には一目置いていた。1956年の日米野球ではブルックリン・ドジャースのギル・ホッジスとホームラン競争を行い、13本塁打を放った。1958年11月4日大阪スタヂアムで行われたセントルイス・カージナルスとの日米野球第8戦では満塁の場面で野村克也の代打で登場。左中間に弾丸ライナーで飛び込むホームランを放ちカージナルスナインの度肝を抜いた。試合後カージナルスの選手たちが、わざわざ記念撮影を申し込み、「ビッグ・バッファロー」と呼ばれた。この日米野球で放った3本塁打、11打点は日本勢最多である。

同じリーグで同じ右のスラッガーであった山内一弘とは、互いに認め合うライバル関係であった。二人は当時の球界を代表する強打者であり、かつ打撃のスタイルが全く異なっていたことから、同じプロの右打者たちの間で「中西流」「山内流」という言葉が生まれ、参考にされる存在であった。

「素振りの音が相手ベンチまで聞こえた」という程スイングスピードが速く大きな武器であったのだが、あまりにも速すぎたために体への負担もまた大きく、腱鞘炎を患ったが、現役引退後、実は1959年に小玉明利からスパイクされたことが遠因で利き手の骨が欠けていたことが判明した。これがなければ「率を除く全ての分野において2倍は通算成績を残していた」と言われる。

ずんぐりむっくりな体型に似合わぬ俊足で盗塁数も多かった。1953年には36盗塁を記録し、史上3人目の打率3割・30本塁打・30盗塁(トリプルスリー)を達成している。三塁の守備では柔らかなグラブ捌きを見せ、また目の前にフェンスが迫っていても怪我を恐れずに打球を追ったことから、遊撃手を務めていた豊田泰光とともに「金網デスマッチ」と言われていた。このため前歯を3本折損している。

非常に器用な選手であり、内野のすべてのポジションに加え、外野手も無難にこなしている。

二冠獲得4回、本塁打王5回(4年連続含む)、首位打者2回、打点王3回の打撃タイトルを誇る。特筆すべきは、これらのタイトルを高卒から入団7年目までに獲得していることである。

戦後初の三冠王となるチャンスが何度もあった。特に惜しかったのは1956年と1958年である。前者は首位打者を同僚の豊田泰光と争ったが、最終戦を前に三原監督が両者に休養を命じたため、豊田の首位打者が決まった(ただし、豊田は首位打者、中西は二冠王で構わないと最初から両者で話し合って決めていたとも言われている)。後者は全日程を終了して三冠、ただし打点のみは大毎オリオンズの葛城隆雄と同数という状況で、葛城が最終戦で本塁打を放ったため、打点王を逃したというものである。この時葛城に本塁打を打たれたのは、元同僚の大津守投手(当時近鉄)であり、後日試合で対戦の際に中西と顔を合わせ、「すまん」と謝ったとされている。なお、中西が何度もタイトルに近づいたことで、それまで日本ではあまり知られていなかった「トリプルクラウン」が認識されるようになり、さらに「三冠王」という訳語もマスコミで定着するに至った。

中西は三冠王になったことはないが、打率・本塁打・打点の部門において、「1部門がリーグ2位の二冠王」を1953年・1955年・1956年・1958年の通算4回記録している。これは王貞治の5回、長嶋茂雄の3回に挟まれて歴代2位である。中西は4回すべてが僅差であり、1953年は打率において4厘差で岡本伊三美に、1955年は打点において1打点差で山内和弘に、1956年は打率において.0004差で豊田に(中西は.3247、豊田は.3251)、1958年は打点において1打点差で葛城に、それぞれタイトルを奪われた。

西鉄、日本ハム、阪神で計12シーズンにわたって監督を務め、Aクラス6回(リーグ優勝1回)の実績を持つが、野村克也は著書で監督としては「失敗」という評価をしている。

一方で、コーチとしては数多くの強打者を指導しており、前述の野村もコーチとしての指導実績は高く評価している。吉田義男は「中西さんは教える達人でしたね」と話しており、江夏豊は「名監督は数多くいても、名コーチは少ない」が持論だが、その中で「投げるほうの名コーチは権藤博さん、打つほうの名コーチは中西さん」と語っている。

中西本人も、若手選手と直接向き合える打撃コーチが天職で、監督には向いていないと公言していた。

中西の打撃理論は「ボールを呼び込んで下半身で打つ」こと、「バットを内側から出す」ことを基本としており、練習法ではティー打撃に重点を置いている。中西流の指導法は、教え子の若松や伊勢孝夫、杉村繁らに引き継がれている。

愛称は「太っさん(ふとっさん)」。あるいは「太」。

非常に運動神経に優れていたことで知られ、本人も「私は農耕民族だから」と言う、その足腰の強さは特筆物であった。相撲好きであり、関脇・鶴ヶ嶺(後の井筒親方)と非常に仲が良かったため、よく井筒部屋に出稽古に出かけていたという。しかも三段目ほどの力士であれば軽くあしらって勝ってしまうこともあった程で、鶴ヶ嶺は「中西さんは相撲の世界に入っていても、間違いなく幕内までは軽々行ったと思う」と述べている。

荒くれ者の西鉄野武士軍団の中心打者で豪快な打撃とその風貌から勘違いされやすいが、性格は繊細で真面目で人一倍練習熱心だった。宿舎で同部屋だった稲尾和久は「毎日、夜、寝る前に部屋でビュンビュンとバットを振る。振るたびにすごい風圧で、ガラス窓が割れそうになるので怖かった」と振り返っている。練習のしすぎが腱鞘炎の原因のひとつとも言われる。

やや気が小さい面が見られた。腱鞘炎で試合から遠ざかっていた選手兼任監督時代、試合前にバックネットの前で素振りをしていると、スタンドのファンから大声で「中西、試合に出んか!」と野次を飛ばされた。気の強い選手ならすぐにそちらを向いて睨みつけそうなものだが、中西はそちらを見ることができず、横にいた記者に「どんな奴が怒鳴ってる?」と素振りを続けながら尋ねたという。流線型打線の中核を担ったが、たとえば一番打者の高倉照幸が二塁打を放つと、気が強くチャンスに強い二番の豊田に「トヨ(豊田)、(走者を)返しとけよ・・」と呟く事もあった。豊田が首尾よくタイムリーを放ち先制点を取ると中西も重圧から解放されその後の打席は打棒が爆発し、一番の高倉から三番中西までで試合を早々に決めてしまう事もままあった。

中西は現役時代における最も忘れられない場面として、1958年の日本シリーズ、1勝3敗で迎えた第5戦、2-3と1点ビハインドの9回裏一死三塁という「非常に責任ある打席(中西)」で三塁ゴロに倒れた場面を挙げている。この試合は続く5番の関口清治が起死回生のタイムリーヒットを打って同点に追いつき、延長10回裏稲尾のサヨナラ本塁打で勝利。西鉄は第6戦、第7戦も連勝して奇跡の逆転優勝を果たし、中西もまたこの第5戦に続いて第6戦、第7戦でも本塁打を放つ活躍を見せたが、第5戦9回裏の場面は「もしあのまま試合が終わっていたら…」と思い返すことがたびたびあったという。

三原脩について取材で聞かれることが多く、「三原さんの事についてはもう勘弁してくれというぐらい話してる」と語っている。

阪神監督時代の中西は痛風を患っており、スパイクの足先を切り取って痛さを誤魔化していた。

各年度の太字はリーグ最高

首位打者:2回(1955年、1958年)

本塁打王:5回(1953年 - 1956年、1958年)※1953年は昭和生まれ初、かつ20歳での達成はNPB最年少(2リーグ制以降では唯一、1リーグ制を含むと4人目)。

打点王:3回(1953年、1956年 - 1957年)※1953年は昭和生まれ初

最多出塁数:1回(1958年)

最多安打:2回(1953年、1957年)※当時連盟表彰なし、1953年は昭和生まれ初

最高殊勲選手(MVP):1回(1956年)

新人王(1952年) ※高卒1年目の選手として史上初

ベストナイン:7回(1953年 - 1958年、1961年)

野球殿堂競技者表彰(1999年)

日本シリーズ優秀選手賞:1回(1958年)

オールスターゲームMVP:2回(1954年 第1戦、1958年 第2戦)

初出場・初先発出場 - 1952年3月21日、対近鉄パールス1回戦(春日原球場)、7番・三塁手で先発出場

初安打 - 同上、4回裏に沢藤光郎から右中間へエンタイトル二塁打

初打点 - 1952年3月23日、対近鉄パールス2回戦(豊楽園球場)、9回裏に関根潤三からサヨナラ適時二塁打

初本塁打 - 1952年4月17日、対毎日オリオンズ6回戦(川崎球場)、6回表に上野重雄からランニング本塁打

100本塁打 - 1955年8月4日、対近鉄パールス11回戦(平和台球場)、4回裏に山下登から先制決勝ソロ ※史上15人目

150本塁打 - 1957年6月18日、対近鉄パールス10回戦(大阪スタヂアム)、6回表に蔦行雄から3ラン ※史上10人目

1000安打 - 1959年5月20日、対東映フライヤーズ8回戦(平和台球場)、6回裏に牧野伸から ※史上31人目

200本塁打 - 1961年4月22日、対南海ホークス1回戦(大阪スタヂアム)、5回表に皆川睦雄から右中間へ3ラン ※史上7人目

1000試合出場 - 1961年5月17日、対南海ホークス6回戦(平和台球場)、5回裏に城戸則文の代打で出場 ※史上58人目

最多安打(当時連盟表彰なし) - 2回 (1953年、1957年) ※1994年より表彰

リーグ最多長打 - 3年連続(1953-1955年)※パ・リーグ最長タイ

リーグ最高長打率 - 4年連続5回 ※ともに柳田悠岐と並ぶパ・リーグタイ記録

3割30本30盗塁 - 1953年、20歳での達成は史上最年少。36盗塁はトリプルスリー達成者の中で最多記録

    35本塁打35盗塁 - NPB初の達成、後に秋山幸二が記録

    オールスターゲーム出場 - 7回 (1953年 - 1955年、1957年 - 1958年、1961年、1963年)

    6(1952年 - 1969年)

    60(1971年 - 1973年)

    88(1974年、1995年 - 1997年)

    30(1975年)

    81(1979年 - 1981年)

    80(1983年 - 1984年)

    77(1985年 - 1990年)

    70(1992年)

    89(1994年)

    『人を活かす 人を育てる』学習研究社、1991年5月、ISBN 4051056309。

    『活人術 強い組織をつくるために』小学館、1998年5月、ISBN 4093872511。

    『西鉄ライオンズ最強の哲学』ベースボール・マガジン社、2007年11月、ISBN 4583100639。

    『守備入門』有紀書房〈ぼくたちの野球百科〉、1971年、国立国会図書館書誌ID:000000793134。

    『野球バッティング入門』福田てんこう 漫画、集英社〈まんが版入門百科〉、1972年、国立国会図書館書誌ID:000000800562。

    TBSラジオ エキサイトナイター(TBSラジオ、解説。MBSラジオ時代にも出演中継のネット受け放送あり)

    SAMURAI BASEBALL(TBS系列のプロ野球中継の現行タイトル。TBS時代・毎日放送時代に出演)

    毎日放送ダイナミックナイター(毎日放送ラジオ、解説。ニッポン放送・TBSラジオ・KBCラジオ(九州朝日放送)時代にも出演中継のネット受け放送あり)

    KBCジャンボナイター(KBCラジオ、解説。MBSラジオ時代にも出演中継のネット受け放送あり)

    ニッポン放送ショウアップナイター(ニッポン放送、解説。MBSラジオ・KBCラジオからの出演中継のネット受けの他、自社制作中継への出向出演あり)

    ゴールデンナイター/パワーアップナイター/プロ野球中継(KBCテレビ、解説)

    猛虎紳士録(スカイA Sports+、コメンテーター〔猛虎紳士〕として出演)

    ヤクルト『タフマン』(ヤクルトヘッドコーチ時代に武上四郎監督と共演)

    「【対談】元プロ野球選手・監督、野球評論家 中西 太」『さぬき野』第22号、2008年夏。2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月14日(UTC)閲覧。

    ^ 「高松讃紫会」は高松商業高等学校、高松第一高等学校、高松高等学校の野球部OB連合会。

    ^ パ・リーグ記録としては1959年に豊田泰光が更新。

    ^ なおその後、2012年角中勝也(ロッテ)が.312、2023年頓宮裕真(オリックス)が.307といずれも中西の.314を下回る記録で首位打者となっている。

    ^ これが西鉄最後の優勝となった。2017年現在、最大ゲーム差の逆転優勝である。

    ^ 「新旧怪童インタビュー 浅野翔吾×中西太」『四国新聞』2023年1月1日、第41面。

    ^ 「中西太さん死去 元西鉄「怪童」本塁打王5回 90歳、高松出身」『四国新聞』第46297号、2023年5月19日、第1面。

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    ^ 菅谷斉「評伝 球史残る比類なき豪打」『四国新聞』第46297号、2023年5月19日、第13面(スポーツ)。

    ^ 「「夢と感動与えた」「誇り」―高松市民からも慎む声」『四国新聞』第46297号、2023年5月19日、第21面(社会)。

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    ^ 昔のプロ野球選手は、大相撲の力士と、とても仲が良かった 太っさんの上半身は見事!三段目では相手にならなかったそうな週刊ベースボールオンラインおんりい・いえすたでい2015年8月21日

    ^ 益田啓一郎著「西鉄ライオンズとその時代」144ページ

    ^ [完全保存版] 草創期から支え続けた147人の監督列伝 日本プロ野球昭和の名将、ベースボール・マガジン社、2012年、P23

    ^ やさしき怪童…記者だけが見た、中西太さんの思い出 痛風でスパイクはサンダル状態、新幹線・食堂車の酒も飲み干した|まいどなニュース

    香川県出身の人物一覧

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    個人年度別成績 中西太 - NPB.jp 日本野球機構

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    高松市公式YouTube 『たかまつムービーチャンネル』 (2023年6月14日). たかまつ魅力再発見「怪童中西太コーナー」 - YouTube

    スポニチチャンネル (2023年11月4日). 【ありがとう おやっさん】「怪童」中西太さん お別れの会で栗山英樹さんが弔辞 - YouTube

    60 ヴィクトル・スタルヒン

    62 池田豊

    63 中島治康

    64 若林忠志

    65 川上哲治、鶴岡一人

    69 苅田久徳

    70 天知俊一、二出川延明

    72 石本秀一

    74 藤本定義、藤村富美男

    76 中上英雄

    77 水原茂、西沢道夫

    78 松木謙治郎、浜崎真二

    79 別所毅彦

    80 大下弘、小鶴誠

    81 飯田徳治、岩本義行

    83 三原脩

    85 杉下茂、白石勝巳、荒巻淳

    88 長嶋茂雄、別当薫、西本幸雄、金田正一

    89 島秀之助、野村克也、野口二郎

    90 真田重蔵、張本勲

    91 牧野茂、筒井修、島岡吉郎

    92 廣岡達朗、坪内道則、吉田義男

    93 稲尾和久、村山実

    94 王貞治、与那嶺要

    95 杉浦忠、石井藤吉郎

    96 藤田元司、衣笠祥雄

    97 大杉勝男

    99 中西太、広瀬叔功、古葉竹識、近藤貞雄

    00 米田哲也

    01 根本陸夫、小山正明

    02 山内一弘、鈴木啓示、福本豊、田宮謙次郎

    03 上田利治、関根潤三

    04 仰木彬

    05 村田兆治、森祇晶

    06 門田博光、高木守道、山田久志

    07 梶本隆夫

    08 山本浩二、堀内恒夫

    09 若松勉

    10 東尾修

    11 落合博満

    12 北別府学、津田恒実

    13 大野豊

    14 野茂英雄、秋山幸二、佐々木主浩

    15 古田敦也

    16 斎藤雅樹、工藤公康

    17 伊東勤

    18 松井秀喜、金本知憲

    19 立浪和義

    22 髙津臣吾、山本昌

    23 アレックス・ラミレス

    24 谷繁元信、黒田博樹

    09 青田昇

    10 江藤慎一

    11 皆川睦雄

    13 外木場義郎

    16 榎本喜八

    17 星野仙一、平松政次

    18 原辰徳

    19 権藤博

    20 田淵幸一

    23 ランディ・バース

    59 正力松太郎、平岡凞、青井鉞男、安部磯雄、橋戸信、押川清、久慈次郎、沢村栄治、小野三千麿

    60 飛田忠順、河野安通志、桜井彌一郎

    62 市岡忠男

    64 宮原清

    65 井上登、宮武三郎、景浦將

    66 守山恒太郎

    67 腰本寿

    68 鈴木惣太郎、田邊宗英、小林一三

    69 三宅大輔、田部武雄、森岡二朗、島田善介、有馬頼寧

    70 田村駒治郎、直木松太郎、中馬庚

    71 小西得郎、水野利八

    72 中野武二、太田茂

    73 内海弘蔵、天野貞祐、広瀬謙三

    74 野田誠三

    76 小泉信三

    77 森茂雄、西村幸生

    78 伊丹安広、吉原正喜、岡田源三郎

    79 平沼亮三、谷口五郎

    80 千葉茂

    81 佐伯達夫、小川正太郎

    82 鈴木龍二、外岡茂十郎

    83 内村祐之

    84 桐原眞二

    85 田中勝雄、山内以九士

    86 中河美芳、松方正雄

    87 藤田信男、山下実

    88 横沢三郎、芥田武夫、永田雅一

    89 池田恒雄、伊達正男

    90 佐伯勇

    91 中澤良夫

    92 吉田正男

    94 廣岡知男

    95 呉昌征、村上實

    96 牧野直隆、保坂誠

    97 山本英一郎

    98 中尾碩志、井口新次郎

    99 吉國一郎

    00 福島慎太郎

    01 武田孟、長谷川良平

    02 中澤不二雄、生原昭宏

    03 松田耕平

    04 秋山登

    05 志村正順

    06 川島廣守、豊田泰光

    07 松永怜一

    08 嶋清一

    09 大社義規、君島一郎

    10 古田昌幸

    12 長船騏郎、大本修

    13 福嶋一雄

    14 相田暢一

    15 林和男、村山龍平

    16 松本瀧藏、山中正竹

    17 郷司裕、鈴木美嶺

    18 瀧正男

    19 脇村春夫

    20 前田祐吉、石井連藏

    21 川島勝司、佐山和夫

    22 松前重義

    23 古関裕而

    24 谷村友一

    02 フランク・オドール、正岡子規

    03 ホーレス・ウィルソン、鈴鹿栄

    宮崎要 1950

    三原脩 1951 - 1959

    川崎徳次 1960 - 1961

    中西太 1962 - 1969

    稲尾和久 1970 - 1974

    江藤慎一 1975

    (レオ・ドローチャー 1976当初)

    鬼頭政一 1976 - 1977

    根本陸夫 1978 - 1981

    広岡達朗 1982 - 1985

    森祇晶 1986 - 1994

    東尾修 1995 - 2001

    伊原春樹 2002 - 2003

    伊東勤 2004 - 2007

    渡辺久信 2008 - 2013

    伊原春樹 2014

    田邊徳雄 2015 - 2016

    辻発彦 2017 - 2022

    松井稼頭央 2023 - 2024

    西口文也 2025 - 現在

    横沢三郎 1946

    苅田久徳 1947 - 1948

    井野川利春 1949

    安藤忍 1950 - 1951

    井野川利春 1952 - 1954

    保井浩一 1955

    岩本義行 1956 - 1960

    水原茂 1961 - 1967

    大下弘 1968

    松木謙治郎 1969 - 1970

    田宮謙次郎 1970 - 1973

    土橋正幸 1973

    中西太 1974 - 1975

    大沢啓二 1976 - 1983

    植村義信 1984

    大沢啓二 1984

    高田繁 1985 - 1988

    近藤貞雄 1989 - 1991

    土橋正幸 1992

    大沢啓二 1993 - 1994

    上田利治 1995 - 1999

    大島康徳 2000 - 2002

    トレイ・ヒルマン 2003 - 2007

    梨田昌孝 2008 - 2011

    栗山英樹 2012 - 2021

    BIGBOSS・新庄剛志 2022 - 現在

    森茂雄 1936

    石本秀一 1936 - 1939

    松木謙治郎 1940 - 1941

    若林忠志 1942 - 1944

    藤村富美男 1946

    若林忠志 1947 - 1949

    松木謙治郎 1950 - 1954

    岸一郎 1955

    藤村富美男 1955 - 1957

    田中義雄 1958 - 1959

    金田正泰 1960 - 1961

    藤本定義 1961 - 1965

    杉下茂 1966

    藤本定義 1966 - 1968

    後藤次男 1969

    村山実 1970 - 1972

    金田正泰 1973 - 1974

    吉田義男 1975 - 1977

    後藤次男 1978

    ドン・ブレイザー 1979 - 1980

    中西太 1980 - 1981

    安藤統男(統夫) 1982 - 1984

    吉田義男 1985 - 1987

    村山実 1988 - 1989

    中村勝広 1990 - 1995

    藤田平 1996

    吉田義男 1997 - 1998

    野村克也 1999 - 2001

    星野仙一 2002 - 2003

    岡田彰布 2004 - 2008

    真弓明信 2009 - 2011

    和田豊 2012 - 2015

    金本知憲 2016 - 2018

    矢野燿大 2019 - 2022

    岡田彰布 2023 - 2024

    藤川球児 2025 - 現在

    1950 湯浅禎夫

    1951 山本一人

    1952 山本一人

    1953 山本一人

    1954 三原脩

    1955 山本一人

    1956 三原脩

    1957 三原脩

    1958 三原脩

    1959 鶴岡一人

    1960 西本幸雄

    1961 鶴岡一人

    1962 水原茂

    1963 中西太

    1964 鶴岡一人

    1965 鶴岡一人

    1966 鶴岡一人

    1967 西本幸雄

    1968 西本幸雄

    1969 西本幸雄

    1970 濃人渉

    1971 西本幸雄

    1972 西本幸雄

    1973 野村克也

    1974 金田正一

    1975 上田利治

    1976 上田利治

    1977 上田利治

    1978 上田利治

    1979 西本幸雄

    1980 西本幸雄

    1981 大沢啓二

    1982 広岡達朗

    1983 広岡達朗

    1984 上田利治

    1985 広岡達朗

    1986 森祇晶

    1987 森祇晶

    1988 森祇晶

    1989 仰木彬

    1990 森祇晶

    1991 森祇晶

    1992 森祇晶

    1993 森祇晶

    1994 森祇晶

    1995 仰木彬

    1996 仰木彬

    1997 東尾修

    1998 東尾修

    1999 王貞治

    2000 王貞治

    2001 梨田昌孝

    2002 伊原春樹

    2003 王貞治

    2004 伊東勤

    2005 ボビー・バレンタイン

    2006 トレイ・ヒルマン

    2007 トレイ・ヒルマン

    2008 渡辺久信

    2009 梨田昌孝

    2010 秋山幸二

    2011 秋山幸二

    2012 栗山英樹

    2013 星野仙一

    2014 秋山幸二

    2015 工藤公康

    2016 栗山英樹

    2017 工藤公康

    2018 辻発彦

    2019 辻発彦

    2020 工藤公康

    2021 中嶋聡

    2022 中嶋聡

    2023 中嶋聡

    2024 小久保裕紀

    1957 豊田泰光

    1958 中西太

    1959 杉山光平

    1960 近藤和彦

    1961 塩原明

    1962 岩下光一

    1963 王貞治

    1964 K.ハドリ

    1965 林俊彦

    1966 長嶋茂雄

    1967 D.スペンサー

    1968 柴田勲

    1969 足立光宏

    1970 黒江透修

    1971 黒江透修

    1972 長嶋茂雄

    1973 高田繁

    1974 山崎裕之

    1975 中沢伸二, 外木場義郎

    1976 B.ウイリアムス

    1977 福本豊

    1978 若松勉

    1979 水谷実雄

    1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰

    1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正

    1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義

    1983 田淵幸一, テリー, 中畑清

    1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊

    1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二

    1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実

    1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己

    1988 清原和博, 森山良二, 郭源治

    1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸

    1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤

    1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎

    1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也

    1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也

    1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦

    1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾

    1996 大島公一, 鈴木平, イチロー

    1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛

    1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広

    1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司

    2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成

    2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満

    2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之

    2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎

    2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信

    2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁

    2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲

    2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博

    2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広

    2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一

    2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平

    2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩

    2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー

    2013 田中将大, 銀次, 内海哲也

    2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太

    2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太

    2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔

    2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大

    2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃

    2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩

    2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐

    2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎

    2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆

    2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸

    2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ

    1951 川上哲治, 野口明, 林義一

    1952 飯島滋弥

    1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男

    1954 中西太, 山内和弘

    1955 山内和弘, 西沢道夫

    1956 森下正夫, 吉田義男

    1957 大下弘, 宮本敏雄

    1958 宮本敏雄, 中西太

    1959 山内和弘, 中利夫

    1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲

    1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎

    1962 ブルーム, 張本勲

    1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅

    1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ

    1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一

    1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識

    1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男

    1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司

    1969 土井正博, 船田和英

    1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎

    1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司

    1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩

    1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之

    1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲

    1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博

    1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司

    1977 若松勉, 野村克也, 王貞治

    1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之

    1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二

    1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊

    1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博

    1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之

    1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満

    1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓

    1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美

    1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章

    1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博

    1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三

    1989 村田兆治, 彦野利勝

    1990 R.ブライアント, 清原和博

    1991 古田敦也, 広沢克己

    1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広

    1993 清原和博, T.オマリー

    1994 秋山幸二, G.ブラッグス

    1995 落合博満, 松井秀喜

    1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲

    1997 松井稼頭央, 清原和博

    1998 川上憲伸, 松井秀喜

    1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志

    2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博

    2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋

    2002 G.アリアス, 的山哲也

    2003 高橋由伸, 金本知憲

    2004 松坂大輔, SHINJO

    2005 金城龍彦, 前田智徳

    2006 青木宣親, 藤本敦士

    2007 A.ラミレス, 阿部慎之助

    2008 山﨑武司, 荒木雅博

    2009 青木宣親, 松中信彦

    2010 阿部慎之助, 片岡易之

    2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀

    2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼

    2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一

    2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐

    2015 藤浪晋太郎, 會澤翼

    2016 筒香嘉智, 大谷翔平

    2017 内川聖一, A.デスパイネ

    2018 森友哉, 源田壮亮

    2019 森友哉, 近本光司

    2020 (中止)

    2021 菊池涼介, 島内宏明

    2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐

    2023 柳田悠岐, 万波中正

    2024 牧秀悟,佐藤都志也

    1950 別当薫

    1951 山本一人

    1952 柚木進

    1953 岡本伊三美

    1954 大下弘

    1955 飯田徳治

    1956 中西太

    1957 稲尾和久

    1958 稲尾和久

    1959 杉浦忠

    1960 山内和弘

    1961 野村克也

    1962 張本勲

    1963 野村克也

    1964 J.スタンカ

    1965 野村克也

    1966 野村克也

    1967 足立光宏

    1968 米田哲也

    1969 長池徳二

    1970 木樽正明

    1971 長池徳二

    1972 福本豊

    1973 野村克也

    1974 金田留広

    1975 加藤秀司

    1976 山田久志

    1977 山田久志

    1978 山田久志

    1979 C.マニエル

    1980 木田勇

    1981 江夏豊

    1982 落合博満

    1983 東尾修

    1984 ブーマー

    1985 落合博満

    1986 石毛宏典

    1987 東尾修

    1988 門田博光

    1989 R.ブライアント

    1990 野茂英雄

    1991 郭泰源

    1992 石井丈裕

    1993 工藤公康

    1994 イチロー

    1995 イチロー

    1996 イチロー

    1997 西口文也

    1998 松井稼頭央

    1999 工藤公康

    2000 松中信彦

    2001 T.ローズ

    2002 A.カブレラ

    2003 城島健司

    2004 松中信彦

    2005 杉内俊哉

    2006 小笠原道大

    2007 ダルビッシュ有

    2008 岩隈久志

    2009 ダルビッシュ有

    2010 和田毅

    2011 内川聖一

    2012 吉川光夫

    2013 田中将大

    2014 金子千尋

    2015 柳田悠岐

    2016 大谷翔平

    2017 D.サファテ

    2018 山川穂高

    2019 森友哉

    2020 柳田悠岐

    2021 山本由伸

    2022 山本由伸

    2023 山本由伸

    1950 荒巻淳

    1951 蔭山和夫

    1952 中西太

    1953 豊田泰光

    1954 宅和本司

    1955 榎本喜八

    1956 稲尾和久

    1957 木村保

    1958 杉浦忠

    1959 張本勲

    1961 徳久利明

    1962 尾崎行雄

    1965 池永正明

    1967 高橋善正

    1969 有藤通世

    1970 佐藤道郎

    1971 皆川康夫

    1972 加藤初

    1973 新美敏

    1974 三井雅晴

    1975 山口高志

    1976 藤田学

    1977 佐藤義則

    1978 村上之宏

    1979 松沼博久

    1980 木田勇

    1981 石毛宏典

    1982 大石大二郎

    1983 二村忠美

    1984 藤田浩雅

    1985 熊野輝光

    1986 清原和博

    1987 阿波野秀幸

    1988 森山良二

    1989 酒井勉

    1990 野茂英雄

    1991 長谷川滋利

    1992 高村祐

    1993 杉山賢人

    1994 渡辺秀一

    1995 平井正史

    1996 金子誠

    1997 小坂誠

    1998 小関竜也

    1999 松坂大輔

    2001 大久保勝信

    2002 正田樹

    2003 和田毅

    2004 三瀬幸司

    2005 久保康友

    2006 八木智哉

    2007 田中将大

    2008 小松聖

    2009 攝津正

    2010 榊原諒

    2011 牧田和久

    2012 益田直也

    2013 則本昂大

    2014 石川歩

    2015 有原航平

    2016 高梨裕稔

    2017 源田壮亮

    2018 田中和基

    2019 高橋礼

    2020 平良海馬

    2021 宮城大弥

    2022 水上由伸

    2023 山下舜平大

    1950 大下弘

    1951 大下弘

    1952 飯島滋弥

    1953 岡本伊三美

    1954 L.レインズ

    1955 中西太

    1956 豊田泰光

    1957 山内和弘

    1958 中西太

    1959 杉山光平

    1960 榎本喜八

    1961 張本勲

    1962 ブルーム

    1963 ブルーム

    1964 広瀬叔功

    1965 野村克也

    1966 榎本喜八

    1967 張本勲

    1968 張本勲

    1969 永淵洋三, 張本勲

    1970 張本勲

    1971 江藤慎一

    1972 張本勲

    1973 加藤秀司

    1974 張本勲

    1975 白仁天

    1976 吉岡悟

    1977 有藤道世

    1978 佐々木恭介

    1979 加藤英司

    1980 L.リー

    1981 落合博満

    1982 落合博満

    1983 落合博満

    1984 ブーマー

    1985 落合博満

    1986 落合博満

    1987 新井宏昌

    1988 高沢秀昭

    1989 ブーマー

    1990 西村徳文

    1991 平井光親

    1992 佐々木誠

    1993 辻発彦

    1994 イチロー

    1995 イチロー

    1996 イチロー

    1997 イチロー

    1998 イチロー

    1999 イチロー

    2000 イチロー

    2001 福浦和也

    2002 小笠原道大

    2003 小笠原道大

    2004 松中信彦

    2005 和田一浩

    2006 松中信彦

    2007 稲葉篤紀

    2008 リック

    2009 鉄平

    2010 西岡剛

    2011 内川聖一

    2012 角中勝也

    2013 長谷川勇也

    2014 糸井嘉男

    2015 柳田悠岐

    2016 角中勝也

    2017 秋山翔吾

    2018 柳田悠岐

    2019 森友哉

    2020 吉田正尚

    2021 吉田正尚

    2022 松本剛

    2023 頓宮裕真

    2024 近藤健介

    1950 別当薫

    1951 大下弘

    1952 深見安博

    1953 中西太

    1954 中西太

    1955 中西太

    1956 中西太

    1957 野村克也

    1958 中西太

    1959 山内和弘

    1960 山内和弘

    1961 野村克也, 中田昌宏

    1962 野村克也

    1963 野村克也

    1964 野村克也

    1965 野村克也

    1966 野村克也

    1967 野村克也

    1968 野村克也

    1969 長池徳二

    1970 大杉勝男

    1971 大杉勝男

    1972 長池徳二

    1973 長池徳二

    1974 C.ジョーンズ

    1975 土井正博

    1976 C.ジョーンズ

    1977 L.リー

    1978 B.ミッチェル

    1979 C.マニエル

    1980 C.マニエル

    1981 T.ソレイタ, 門田博光

    1982 落合博満

    1983 門田博光

    1984 ブーマー

    1985 落合博満

    1986 落合博満

    1987 秋山幸二

    1988 門田博光

    1989 R.ブライアント

    1990 O.デストラーデ

    1991 O.デストラーデ

    1992 O.デストラーデ

    1993 R.ブライアント

    1994 R.ブライアント

    1995 小久保裕紀

    1996 T.ニール

    1997 N.ウィルソン

    1998 N.ウィルソン

    1999 T.ローズ

    2000 中村紀洋

    2001 T.ローズ

    2002 A.カブレラ

    2003 T.ローズ

    2004 松中信彦, F.セギノール

    2005 松中信彦

    2006 小笠原道大

    2007 山﨑武司

    2008 中村剛也

    2009 中村剛也

    2010 T-岡田

    2011 中村剛也

    2012 中村剛也

    2013 M.アブレイユ

    2014 E.メヒア, 中村剛也

    2015 中村剛也

    2016 B.レアード

    2017 A.デスパイネ

    2018 山川穂高

    2019 山川穂高

    2020 浅村栄斗

    2021 杉本裕太郎

    2022 山川穂高

    2023 G.ポランコ, 近藤健介, 浅村栄斗

    2024 山川穂高

    1950 別当薫

    1951 飯田徳治

    1952 飯田徳治

    1953 中西太

    1954 山内和弘

    1955 山内和弘

    1956 中西太

    1957 中西太

    1958 葛城隆雄

    1959 葛城隆雄

    1960 山内和弘

    1961 山内和弘

    1962 野村克也

    1963 野村克也

    1964 野村克也

    1965 野村克也

    1966 野村克也

    1967 野村克也

    1968 G.アルトマン

    1969 長池徳二

    1970 大杉勝男

    1971 門田博光

    1972 野村克也, 大杉勝男

    1973 長池徳二

    1974 長池徳二

    1975 加藤秀司

    1976 加藤秀司

    1977 L.リー

    1978 B.マルカーノ

    1979 加藤英司

    1980 C.マニエル

    1981 T.ソレイタ

    1982 落合博満

    1983 水谷実雄

    1984 ブーマー

    1985 落合博満

    1986 落合博満

    1987 ブーマー

    1988 門田博光

    1989 ブーマー

    1990 O.デストラーデ, 石嶺和彦

    1991 O.デストラーデ, J.トレーバー

    1992 ブーマー

    1993 R.ブライアント

    1994 石井浩郎

    1995 イチロー, 初芝清, 田中幸雄

    1996 T.ニール

    1997 小久保裕紀

    1998 N.ウィルソン

    1999 T.ローズ

    2000 中村紀洋

    2001 中村紀洋

    2002 T.ローズ

    2003 松中信彦

    2004 松中信彦

    2005 松中信彦

    2006 小笠原道大, A.カブレラ

    2007 山﨑武司

    2008 T.ローズ

    2009 中村剛也

    2010 小谷野栄一

    2011 中村剛也

    2012 李大浩

    2013 浅村栄斗

    2014 中田翔

    2015 中村剛也

    2016 中田翔

    2017 A.デスパイネ

    2018 浅村栄斗

    2019 中村剛也

    2020 中田翔

    2021 島内宏明

    2022 山川穂高

    2023 近藤健介

    2024 山川穂高

     投  川崎徳次

     捕  松井淳

     一  飯田徳治

     二  岡本伊三美

     三  中西太

     遊  木塚忠助

     外  堀井数男 / 別当薫 / 大下弘

     投  西村貞朗

     捕  C.ルイス

     一  川合幸三

     二  森下正夫

     三  中西太

     遊  L.レインズ

     外  大下弘 / 関口清治 / 山内和弘

     投  中村大成

     捕  C.ルイス

     一  杉山光平

     二  岡本伊三美

     三  中西太

     遊  木塚忠助

     外  山内和弘 / 飯田徳治 / 戸倉勝城

     投  梶本隆夫

     捕  野村克也

     一  榎本喜八

     二  佐々木信也

     三  中西太

     遊  豊田泰光

     外  山内和弘 / 杉山光平 / 戸倉勝城

     投  稲尾和久

     捕  野村克也

     一  岡本健一郎

     二  岡本伊三美

     三  中西太

     遊  豊田泰光

     外  山内和弘 / 大下弘 / 毒島章一

     投  稲尾和久

     捕  野村克也

     一  スタンレー橋本

     二  R.バルボン

     三  中西太

     遊  葛城隆雄

     外  毒島章一 / 杉山光平 / 関口清治

     投  稲尾和久

     捕  野村克也

     一  榎本喜八

     二  森下整鎮

     三  中西太

     遊  豊田泰光

     外  山内和弘 / 田宮謙次郎 / 張本勲

    1950 岩本義行, 別当薫

    1953 中西太

    1983 簑田浩二

    1989 秋山幸二

    1995 野村謙二郎

    2000 金本知憲

    2002 松井稼頭央

    2015 山田哲人, 柳田悠岐

    2016 山田哲人

    2018 山田哲人

    春日由三

    吉本明光

    中山晋平

    春日由三

    吉川義雄

    春日由三

    吉川義雄

    川村専一

    狩野近雄

    河上英一

    笹本恭彦

    明瀬裕

    池田太郎

    牧定忠

    春日由三

    吉川義雄

    渋沢秀雄

    横山隆一

    西崎緑

    貝谷八百子

    田付辰子

    メイ牛山

    春日由三

    吉川義雄

    岩田専太郎

    勅使河原蒼風

    千代の山雅信

    小山いと子

    吉村公三郎

    市川翠穂

    マヤ片岡

    春日由三

    吉川義雄

    三國連太郎

    小西得郎

    栃錦清隆

    青木茂高

    河上牧子

    水木洋子

    坂西志保

    田村佐紀子

    吾妻徳穂

    吉川義雄

    田中角栄

    菊田一夫

    若乃花勝治

    金田正一

    奥むめお

    森田たま

    細川ちか子

    近藤百合子

    吉川義雄

    横山泰三

    水原茂

    稲垣浩

    朝汐太郎

    沢田美喜

    杉村春子

    戸川エマ

    赤堀全子

    吉川義雄

    木下惠介

    大宅壮一

    杉浦幸雄

    若羽黒朋明

    長谷川春子

    大濱英子

    榊淑子

    谷桃子

    吉川義雄

    秋山登

    唐島基智三

    柏戸剛

    松本幸四郎

    中村汀女

    田中絹代

    秋山ちえ子

    江上トミ

    長沢泰治

    土門拳

    高田元三郎

    仲代達矢

    大鵬幸喜

    和田夏十

    勅使河原霞

    村山リウ

    森光子

    長沢泰治

    工藤昭四郎

    東郷青児

    森英恵

    大山康晴

    山内一弘

    佐田の山晋松

    藤間紫

    岡田茉莉子

    十返千鶴子

    浪花千栄子

    長沢泰治

    細川隆元

    丹羽文雄

    實川延若

    中西太

    栃ノ海晃嘉

    飯田蝶子

    貞閑晴

    新珠三千代

    花柳壽輔

    佐久間良子

    長沢泰治

    大林清

    北葉山英俊

    林与一

    古賀忠道

    春風亭柳橋

    岩下志麻

    司葉子

    長谷川町子

    林美智子

    吉屋信子

    坂本朝一

    円地文子

    安達曈子

    入江美樹

    藤村志保

    小絲源太郎

    松下幸之助

    ファイティング原田

    緒形拳

    坂本朝一

    樫山文枝

    五代利矢子

    浜美枝

    山崎豊子

    大佛次郎

    尾上菊之助

    加藤芳郎

    鶴ヶ嶺昭男

    中山卯郎

    福島慎太郎

    木村秀政

    西本幸雄

    石坂浩二

    福原美和

    栗原小巻

    塩月弥栄子

    平岩弓枝

    中山卯郎

    江夏豊

    王馬熙純

    榊原仟

    鈴木俊一

    曽野綾子

    高田敏子

    藤田弓子

    三船敏郎

    中山卯郎

    浅丘ルリ子

    市川海老蔵

    今井通子

    大谷直子

    菅野義丸

    佐藤愛子

    鶴岡一人

    平幹二朗

    中道定雄

    坂東玉三郎

    樋口久子

    小林弘

    三田佳子

    志村喬

    武原はん

    玉の海正洋

    中山律子

    仲代達矢

    小野田勇

    浪花家辰造

    大場政夫

    宇田川竜男

    堀内寿子

    大山英子

    村山加代子

    中山きよ子

    樫山文枝

    山口果林

    高橋信雄

    山下迪子

    館弘子

    石田芳夫

    中山紀子

    井沢つま

    森戸辰男

    溝尾正志

    花本方美

    為久優子

    成田知子

    桑田たつ子

    村上巳里

    山下誠

    小川善三郎

    河野久枝

    桑原永子

    田川由紀子

    佐藤太圭子

    山田三智穂

    大谷豊二

    高橋優子

    貴ノ花利彰

    赤塚洋文

    平内義幸

    富岡雅寛

    平賀輝子

    中川時子

    加藤稔

    池内淳子

    中原誠

    森英恵

    小林桂樹

    中村汀女

    井上ひさし

    中野貴代

    神田好武

    真木洋子

    輪島大士

    高橋洋子

    生沼スミエ

    棟方志功

    村上元三

    京マチ子

    サトウサンペイ

    高田ユリ

    尾上菊五郎

    寺島純子

    北の湖敏満

    根本良夫

    橋本明治

    杉村春子

    尾上松緑

    栗原小巻

    堀江謙一

    檀ふみ

    魁傑將晃

    新垣留美子

    根本良夫

    尾上梅幸

    高橋展子

    吉永小百合

    加藤剛

    三林京子

    大竹しのぶ

    古葉竹識

    三重ノ海五郎

    池田彌三郎

    浅丘ルリ子

    中村梅之助

    小野清子

    村上隆

    堤加蓉子

    カロリーナ・ピレス・ド・リオ

    若三杉壽人

    川上哲治

    川口幹夫

    市川染五郎

    上田利治

    旭國斗雄

    水島新司

    川橋幸子

    橋田壽賀子

    新井春美

    竹下景子

    川口幹夫

    北の湖敏満

    岩下志麻

    植村直己

    八千草薫

    安奈淳

    森和人

    森下洋子

    山本浩二

    加藤好雄

    若山富三郎

    ミヤコ蝶々

    菅原文太

    大原麗子

    松本零士

    重兼芳子

    古葉竹識

    多岐川裕美

    加藤好雄

    松本幸四郎

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    ISNI

    VIAF

    日本

    日本の野球選手

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    首位打者 (NPB)

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    大阪近鉄バファローズ関連人物

    読売ジャイアンツ関連人物

    オリックス・バファローズ関連人物

    日本の野球殿堂表彰者

    野球解説者

    高松第一高等学校出身の野球選手

    香川県出身のスポーツ選手

    1933年生

    2023年

2024/11/17 04:56更新

nakanishi futoshi


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