宮城まり子の情報(みやぎまりこ) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
宮城 まり子さんについて調べます
■名前・氏名 |
宮城まり子と関係のある人
はせさん治: 在学中から、新宿コマ劇場でのエノケン劇団や、宮城まり子ショーにも出演し、貝谷八百子、近藤玲子などの一流のバレリーナのステージにも出演。 中山美保: 千日前にあった大阪劇場の専属女優として活躍の後、千土地興行(のちの日本ドリーム観光)の所属で千日劇場にコメディアンで出演し美貌女優で人気を得る、1967年5月、梅田コマ劇場「宮城まり子自叙伝」で吉本新喜劇にデビュー。 トニー谷: 「さいざんす・マンボ」は宮城まり子とのデュエット。 井田誠一: 『東京やんちゃ娘』(昭和27年12月) 作曲:吉田正、歌:宮城まり子 高橋司: BS朝日「宮城まり子とねむの木学園 密着15年の記録」 吉行淳之介: 後に別居し、結婚後約10年後に知り合った女優の宮城まり子は生涯に渡り同居した事実上の伴侶となったが、妻は終生離婚に応じなかった。 楠トシエ: 宮城まり子の『毒消しゃいらんかね』は、ラジオ放送では楠が歌っていたが、楠が当時レコード会社に所属していなかったので、同じトリローソングの歌い手だった宮城へお鉢が回ったもので、同曲で宮城は楠より早く、1954年(昭和29年)に『第5回NHK紅白歌合戦』に出場した。 荒木道子: アドベンチャーコメディ 夏の家族(1974年、CX) - 五十嵐麗 ※第5話から、宮城まり子の代役 三木鶏郎: 毒消しゃいらんかね(歌:宮城まり子) 滝沢久美子: 女優の宮城まり子が出演した舞台を観劇し、当時小学校低学年だったにもかかわらず、その演技の素晴らしさに感動して泣いた。 西脇久夫: 「手のひらを太陽に」(オリジナルは宮城まり子だがボニージャックスのカバーで評判になった。 利根一郎: 『ガード下の靴みがき』(昭和30年8月)[宮川哲夫作詞、歌:宮城まり子] やなせたかし: やなせの訃報を受けて、『手のひらを太陽に』を歌唱した宮城まり子、アニメの「それいけ!アンパンマン」でアンパンマンの声を演じる戸田恵子をはじめ、主要キャラクターの声を担当する声優達、古川登志夫など、故人と縁が深かった人や敬愛する人々がそれぞれ追悼コメントを発している。 宮川哲夫: 1955年、ガード下の靴みがき(作曲・利根一郎、歌手・宮城まり子) 名古屋章: まんが世界昔ばなし(1976年)※宮城まり子と二人で全配役を演じた 市川武: “墓碑銘2020 宮城まり子さん/有馬朗人さん/吉永修さん”. 静岡新聞. (2020年12月31日). https://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/847109.html 2022年2月3日閲覧。 大町正人: 「手のひらを太陽に」(オリジナルは宮城まり子だがボニージャックスのカバーで評判になった。 ウイリー沖山: B面は宮城まり子「雨のロケ便り」) 横田ひとみ: 尊敬する人物は宮城まり子。 吉行あぐり: そのため、2番目の妻である宮城まり子とは入籍は出来ず「事実婚」の形式を取っていた。 佐伯秀男: 『まり子自叙伝 花咲く星座』 : 監督松林宗恵、原作菊田一夫、脚本関沢新一、主演宮城まり子、製作・配給東宝、1959年4月5日公開(映倫番号 11122) - 「花山行之介」役 金木賢一: おはようパーソナリティ宮城まり子です(毎週土曜日7:15 - 10:00) 宮川哲夫: 宮川哲夫作詞の「ガード下の靴磨き」を歌ったことがきっかけとなり、歌手宮城まり子は、自然と恵まれない子供たちに目が向くようになりねむの木学園の構想へつながった旨、後年述懐している。 中島孝: 荒野のセレナーデ(昭和25年7月)-裏面は宮城まり子の『テキサスのやんちゃ娘』、新映画「紅二挺拳銃」主題歌 玉田元康: 「手のひらを太陽に」(オリジナルは宮城まり子だがボニージャックスのカバーで評判になった。 鹿島武臣: 「手のひらを太陽に」(オリジナルは宮城まり子だがボニージャックスのカバーで評判になった。 日高真弓: 宮城まり子 三上弥: 静岡スペシャル「宮城まり子さんがつないだもの」(総合テレビ) キャスター 2020年3月27日 斎藤十一: 吉行淳之介は宮城まり子との不倫を『週刊新潮』に書き立てられ、しかもその書き方が宮城との仲を性犯罪と併置したものだったために激怒し、円形脱毛症となり、しばらく新潮社と縁を切っていたことがある。 番匠義彰: 「オンボロ人生」 - 1958年、松竹、出演:益田キートン、宮城まり子、佐田啓二 |
宮城まり子の情報まとめ
宮城 まり子(みやぎ まりこ)さんの誕生日は1927年3月21日です。東京出身の女優のようです。
映画、父親、母親、卒業、引退、テレビ、子役に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2020年に亡くなられているようです。
宮城まり子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)宮城 まり子(みやぎ まりこ、1927年〈昭和2年〉3月21日 - 2020年〈令和2年〉3月21日)は、歌手、女優、慈善活動家(福祉事業家)、映画監督。勲等は瑞宝小綬章(旧勲四等)。位階は従五位。本名は本目 眞理子(ほんめ まりこ)。 人気女優であり、NHKの紅白歌合戦に8回も出場した人気歌手でありながら、芸能活動を事実上やめ、日本初の民間社会福祉施設である社会福祉法人ねむの木福祉会の理事長、静岡県掛川市にある学校法人ねむの木学園の理事長、ねむの木養護学校の校長、特別支援学校ねむの木の校長などを歴任した。 上皇明仁・上皇后美智子とは皇太子・皇太子妃時代から40年の親交があり、両者は度々ねむの木学園やねむの木学園の美術展を訪問して宮城まり子と対面し、非常に懇意だった。 東京府東京市蒲田区(現:東京都大田区)に2人姉弟の姉として生まれた。父親は町工場を経営、母親は静岡英和女学院から東京女子大学に進学した女性である。父親の仕事の関係で、小学校3年から大阪で育った。小学校5年の時、父親が事業で失敗し、母親が病死した。そのため小学校卒業と同時に、弟と共に吉本興業に入り、歌謡曲を歌うようになった。戦時中の1944年10月、宮城千鶴子の芸名で17歳で大阪花月劇場(吉本興業直営)にて初舞台を踏んだ。 その後、自らの一座を率いて九州を巡業して終戦を迎えた。戦後の1948年、父親、弟の八郎と上京し、浅草の舞台に立った。翌年、菊田一夫の推薦で日劇の舞台に主役として迎えられた。1950年2月 テイチクから「なやましブギ」でデビューし、ポリドールを経て、ビクター移籍第二弾『あんたほんとに凄いわね』が初ヒットになった。そして、1953年、レコードで歌った『毒消しゃいらんかね』が流行し、一躍歌手としてその名が知れ渡った。1955年には、後のレコード大賞作詞家・宮川哲夫の手による『ガード下の靴みがき』も大ヒットした。その後も『納豆うりの唄』『てんてん娘』『夕刊小僧』などヒットを連発。弟八郎は宮城秀雄の名前で作曲家として活躍した。 1968年、肢体不自由児(身体障害者)・孤児・拒食症(精神疾患者)などの救済・支援を行う日本初の民間(私立)社会福祉施設であるねむの木学園(入所者は10歳~70歳、職員数2人~最大180人)を1人だけで様々な苦労の末に3年かけて設立した。この頃より、タレント活動は事実上引退状態となった。1973年、吉川英治文化賞を受賞した。 1974年には記録映画『ねむの木の詩』を製作・監督し、第6回国際赤十字映画祭で銀メダル賞を受賞した。1976年には、『まんが世界昔ばなし』の声優として名古屋章とともに出演した。1977年には『ねむの木の詩がきこえる』を製作した。1979年、ねむの木養護学校を設立した。1975年と1981年に実施された近畿放送(KBS京都)のテレビ番組『宮城まり子のチャリティーテレソン』を通して身体障害者の社会参加を訴えた。これらが評価され、1979年に総理大臣表彰された。また、身体障害者に対する手描き友禅、合唱の指導なども行っている。なお、ねむの木学園設立時のエピソードは、1981年12月22日にテレビ朝日「ハウスこども劇場」枠において、『小さなラブレター まり子とねむの木の子供たち』としてアニメ化された。 芥川賞作家・吉行淳之介(女優・吉行和子の兄)と交際し、彼の死まで事実婚(内縁の妻、都内の互いの自宅で同居)の関係であった。また、同じく作家室生犀星にも可愛がられていた。 2007年3月、日本経済新聞『私の履歴書』に自伝を執筆した。 2011年1月、自宅で転倒し腰椎を骨折して入院。 2011年2月、ねむの木学園元職員と音楽家の朝比奈圭の2人が宮城まり子の銀行口座から現金約3100万円をだまし取ったとして、詐欺罪で逮捕された。朝比奈らは起訴され、9月、東京地方裁判所からそれぞれ懲役2年、懲役4年6月の有罪判決を受けた。ねむの木学園や宮城まり子の個人口座から計約5億円が引き出されたという。2012年2月16日、東京高裁は一審判決を破棄して罪を軽くし、朝比奈圭に懲役4年の有罪判決を言い渡した(ねむの木学園元職員は実刑確定)。 2012年、瑞宝小綬章を受章した。同年11月、銀座ヤマハホールでシャンソンを歌い、歌手活動を30年ぶりに再開した。 2020年3月21日午前6時55分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去。93歳没。生没同日だった。同月27日、学園長を務める「ねむの木学園」にて子どもたちと教職員のみが参列する学園葬が営まれた。同年5月26日、従五位に叙された。 毒消しゃいらんかね ガード下の靴みがき 夕刊小僧 さいざんす・マンボ (トニー谷とのデュエット) ジャワの焼鳥売り 東京やんちゃ娘 恋は陽気にスイングで 少年ジェット主題歌 ビクター児童合唱団と 手のひらを太陽に(NHK「みんなのうた」) ウバ・ウバ・ウキャキャ 夢をみたの 私を呼ぶのは誰 めもわーる ママ!ひみつだよ 天使がとおる 屑屋の歌 まり太郎の歌 ドレミの唄 大阪の実業家・小林一三が大阪府(梅田)と東京都に造った“2つのコマ劇場”の1つである東京都新宿区歌舞伎町にあった新宿コマ劇場を中心に、舞台女優として活躍した。 てんてん娘・二部作(1956年) - てんてん娘役 チョップ先生(1956年、東映)- キャバレー歌手役 オンボロ人生(1958年) - マリ子役 弥次㐂夛道中記(1958年) - おまり役 太鼓たゝいて笛吹いて(1958年) - おけい役 白蛇伝 (1958年)- 白娘の声役、その他 グラマ島の誘惑(1959年) - 名護あい役 まり子自叙伝 花咲く星座(1959年) - 本田まり子役 黒い十人の女(1961年) - 三岸三輪子役 ちんじゃらじゃら物語(1962年) - 蝶子役 続・拝啓天皇陛下様(1964年)- 恵子役 アンデルセン童話 にんぎょ姫(1975年)- フリッツ役 はだしのゲン 涙の爆発(1977年) - 中岡君江役 世界名作童話 おやゆび姫(1978年) - ブンブー役 ねむの木の詩(1974年) ねむの木の詩がきこえる(1977年) 虹をかける子どもたち(1980年) ハローキッズ!がんばれ子どもたち(1986年) まんが世界昔ばなし(TBS) - 声優とオープニング・エンディングテーマを担当 てんてん娘(KRT) - 主演 まりっぺ先生(日本テレビ) - 主演 剣豪 第1話「武蔵に勝った強い奴」(NET) 繭子ひとり(NHK、連続テレビ小説) - 大西先生 世界わが心の旅(ウィーン)(NHK) NEXT 未来のために 「私の“子どもたち”へ 宮城まり子88歳のメッセージ」(2015年11月25日、NHK総合) 2014年1月:「私の子供たちと共に生きる」(NHK) 2020年12月23日・12月24日: 同年3月に死去した宮城まり子を追悼した、「私の子供たちと共に生きる」(NHK)の再放送 『宮城まり子のスケッチブック』(TBSラジオ) 『宮城まり子の人の暦 風の暦』(TBSラジオ) 『おはようパーソナリティ宮城まり子です』(朝日放送ラジオ 1972年9月 - 1973年8月) - 金木賢一と 新しい人よ眼ざめよ(1985年1月15日、NHK-FM) - 音楽劇の先生 『てんてんのらくがき』明玄書房、1957年7月10日。 『まり子の社会見学』中央公論社、1960年5月25日。 『まり子のテレソン』三笠書房、1975年12月15日。 『戦仕度の日々 : ねむの木の子どもたちと』日本放送出版協会、1981年4月20日。 『なにかが生まれる日 : ねむの木とまり子』日本放送出版協会、1986年8月20日。 ともだち ねむの木 そして私 ねむの木のこどもたち としみつ ねむの木の詩 ねむの木の詩(1974年) ねむの木の詩がきこえる(1977年) HELLO KIDS!がんばれ子どもたち(1986年) このうち、第5回・第6回・第7回・第8回・第9回はラジオ中継による歌声が現存する。 第6回と第9回は宮城の歌唱中の写真も現存する。 第5回での宮城の歌声は、2004年にNHKラジオ第1の番組内で紹介されている。 『手のひらを太陽に』の再放送は全てラジオのみだが、1981年(昭和56年)9月23日に放送された『みんなのうた20年』では、一部ではあるが映像付きで放送された。 1958年:「12月のあいつ」により芸術祭賞 1959年:「まり子自叙伝」により第4回テアトロン賞 1973年:第7回吉川英治文化賞 1977年:第6回日本映画ペンクラブ賞(映画「ねむの木の詩」「ねむの木の詩がきこえる」の制作・監督) 1989年:CD「ねむの木」および劇団「虹」により芸術祭賞 1991年:辻村教育賞、エイボン女性大賞 1992年:第1回ペスタロッチー教育賞(主催:広島大学大学院教育学研究科) 1993年:東京都文化賞 1994年:博報堂教育特別賞・文部大臣奨励賞 1996年:高木賞(主催:日本肢体不自由児協会) 2000年:第5回尾崎行雄咢堂賞、第13回静岡県都市景観賞最優秀賞(静岡県知事賞) 2004年:第13回石井十次賞 2004年:東京都名誉都民 2012年:瑞宝小綬章 以下の施設は、いずれも静岡県掛川市にある。 ねむの木のどかな家 森の喫茶店MARIKO がらすやさん 雑貨屋さん 毛糸やさん 地域交流インフォメーションセンター 吉行淳之介文学館 ねむの木こども美術館 ^ 特別支援学校ねむの木児童・生徒募集のお知らせねむの木学園公式サイト ^ 山崎章成「遠州歴史のとびら<216> 宮城まり子さん」『中日新聞』2023年1月20日、15面。 ^ 佐藤正弥編著 『データ・バンク にっぽん人』 現代書林、1982年、218頁。 ^ 「女立志伝 私はこうして世に出た 流行歌手 宮城まり子さん」『読売新聞』1957年7月30日朝刊5頁。 ^ 香川登志緒著 『大阪の笑芸人』 晶文社、1977年、252頁。 ^ まり子自叙伝 花咲く星座 劇場公開日:1959年4月5日 ^ ねむの木学園詐欺:元職員ら2人に実刑-東京地裁判決 毎日新聞 2011年9月15日 ^ 。ねむの木職員、宮城まり子園長の1500万詐取 読売新聞 2011年2月17日 ^ “音楽家に懲役4年判決 ねむの木学園被害詐欺控訴審”. 静岡新聞. (2012年2月17日). http://www.at-s.com/news/detail/100100371.html 2012年2月17日閲覧。 ^ 宮城まり子さん、30年ぶり歌手復帰 読売新聞 2012年10月23日 ^ "女優、宮城まり子さん死去 93歳 養護施設「ねむの木学園」運営". 毎日新聞. 2020年3月23日. 2020年3月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月1日閲覧。 ^ “掛川で宮城さん学園葬 「おかあさん」忘れない 社会福祉運動に尽力 /静岡”. 毎日新聞. 2022年11月6日閲覧。 ^ “宮城まり子の生涯”. ねむの木学園. 2022年11月6日閲覧。 ^ 『官報』第239号、令和2年4月27日 ^ “世界名作童話 おやゆび姫|キャラクター/キャスト”. 東映アニメーション. 2024年2月24日閲覧。 ^ 第6回の宮城の歌の音声は、2013年発売のCD-BOX『宮城まり子BOX 唄の自叙伝』に収録されている。 ^ 『紅白歌合戦アルバム NHK20回放送のあゆみ』(デイリースポーツ社、1970年) ※第8回のページに宮城の歌唱中の写真が掲載されているが、第6回の歌唱中の写真の誤りと思われる。 ^ “第6回 1977年度”. 日本映画ペンクラブ (2019年4月30日). 2021年8月15日閲覧。 ねむの木学園 宮城まり子 - NHK人物録 FAST ISNI
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2024/11/17 06:04更新
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