富澤宏哉の情報(とみざわひろや) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


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富澤宏哉の情報まとめ

富澤 宏哉(とみざわ ひろや)さんの誕生日は1931年7月25日です。東京出身の野球選手のようです。

現在、卒業、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。
富澤宏哉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)富澤 宏哉(とみざわ ひろや、1931年7月25日 - )は、プロ野球審判員。現在は野球解説者、全日本軟式野球連盟顧問(審判技術担当)。東京都出身。東京都立小金井工業高等学校卒業。 社会人野球の審判を経て、1955年にセ・リーグ審判部へ入局。1980年から1989年まで審判部長、1990年1月引退。セ・リーグ審判袖番号は10(1988年採用から1990年キャンプイン直前引退まで、10は1998年以降名幸一明がつけている)。引退するまでの通算出場試合数は3775試合。オールスターゲーム出場9回、日本シリーズ出場9回。引退後は日本野球機構規則委員や、米国のジム・エバンス審判学校講師を務めた。同年齢の岡田功審判が1991年に3776試合出場を達成するまで、通算試合出場数の日本記録保持者であった。 読売ジャイアンツの王貞治がメジャーリーグ記録を超える通算756号本塁打を達成した1977年9月3日の対ヤクルトスワローズ戦(後楽園球場)で球審を務め、1959年6月25日、後楽園球場で行われた天覧試合巨人‐阪神戦でレフト側外審をそれぞれ務めた。また、20代での日本シリーズ出場(1960年、29歳)は現在に至るまで両リーグ通じ唯一の記録である。 選手としての野球経験がほとんどなく(選手経験のないプロ野球審判員第1号である)、ファウルボールの後マウンドの投手へボールを投げることが出来ないほど技術的には野球音痴だったため、捕手へ直接手渡しをしていた。また1972年には自費で米国のアル・ソマーズ審判学校に留学しており、日本人による審判学校留学生第1号でもあった(そのため晩年審判名鑑には経歴欄に唯一審判学校留学(=アル・ソマーズ審判学校)と記載してあった。現在はセ・パ共に審判学校留学が義務付けられているから必ず審判学校名が記載されている)。引退の前年にインサイドプロテクターに変更している。 グラウンド外のエピソードとしては、1980年に名古屋遠征中、焼身自殺を図った男性を救助し、中村署から表彰を受けている。 2025年1月16日、公益財団法人野球殿堂博物館は富澤の野球殿堂入りを発表した。 1978年の日本シリーズ・ヤクルト対阪急第7戦(後楽園球場)、6回裏ヤクルトの攻撃。4番打者・大杉勝男一塁手が阪急・足立光宏投手の投じた内角シュートをすくい上げレフトポール際へ。打球はポールの数メートル下を通過したが、レフト側外審だった富澤はポールの上を通過したように見て本塁打と判定。これに対し、阪急・上田利治監督はレフトポール下の富澤の元まで行き猛抗議し、全選手をベンチへ引き上げさせた。その後全審判と阪急首脳陣、簑田浩二など一部の選手達も交えて協議を続けるが結論に達しない。上田は「レフト外審を交代すれば試合再開に応じる」と一向に引かず、見かねた当時のNPBコミッショナー・金子鋭がグラウンドへ来て、再開するよう上田へ頭を下げた。しかし、上田はこれにも応じず、金子は激怒。ついには当時の阪急球団代表・渓間秀典が「(審判の交代はルール上認められていないので)あかん。コミッショナーの言う事だけは聞いて(試合を再開して)くれ」と懇願するようにまでなった。結局上田は抗議を取り下げて試合再開に同意。試合はその後、大杉が阪急・山田久志投手から文句なしの本塁打を放つなど、4対0でヤクルトが勝利し初の日本一に輝き、大杉は日本シリーズMVPに輝いた。 この試合の中断時間は1時間19分となり、シリーズ史上最長中断時間として今も残っている。 また、数々の実績を残した富沢にとっても、この年が最後の日本シリーズ出場となった。 ^ プロ野球在籍審判員名簿 - 日本野球機構 ^ 野球殿堂にイチロー氏 岩瀬仁紀氏 掛布雅之氏など4人【詳報】 - NHK NEWS WEB 2025年1月16日 22時03分 ^ 2025年野球殿堂入り発表 ~イチロー氏、岩瀬仁紀氏、掛布雅之氏、富澤宏哉氏が殿堂入り~ | NPB.jp 日本野球機構 東京都出身の人物一覧 プロ野球審判員一覧 NPB審判員 富澤宏哉 - NPB.jp 日本野球機構 富澤 宏哉 - 野球殿堂博物館 表 話 編 歴 60 ヴィクトル・スタルヒン 62 池田豊 63 中島治康 64 若林忠志 65 川上哲治, 鶴岡一人 69 苅田久徳 70 天知俊一, 二出川延明 72 石本秀一 74 藤本定義, 藤村富美男 76 中上英雄 77 水原茂, 西沢道夫 78 松木謙治郎, 浜崎真二 79 別所毅彦 80 大下弘, 小鶴誠 81 飯田徳治, 岩本義行 83 三原脩 85 杉下茂, 白石勝巳, 荒巻淳 88 長嶋茂雄, 別当薫, 西本幸雄, 金田正一 89 島秀之助, 野村克也, 野口二郎 90 真田重蔵, 張本勲 91 牧野茂, 筒井修, 島岡吉郎 92 廣岡達朗, 坪内道則, 吉田義男 93 稲尾和久, 村山実 94 王貞治, 与那嶺要 95 杉浦忠, 石井藤吉郎 96 藤田元司, 衣笠祥雄 97 大杉勝男 99 中西太, 広瀬叔功, 古葉竹識, 近藤貞雄 00 米田哲也 01 根本陸夫, 小山正明 02 山内一弘, 鈴木啓示, 福本豊, 田宮謙次郎 03 上田利治, 関根潤三 04 仰木彬 05 村田兆治, 森祇晶 06 門田博光, 高木守道, 山田久志 07 梶本隆夫 08 山本浩二, 堀内恒夫 09 若松勉 10 東尾修 11 落合博満 12 北別府学, 津田恒実 13 大野豊 14 野茂英雄, 秋山幸二, 佐々木主浩 15 古田敦也 16 斎藤雅樹, 工藤公康 17 伊東勤 18 松井秀喜, 金本知憲 19 立浪和義 22 髙津臣吾, 山本昌 23 アレックス・ラミレス 24 谷繁元信, 黒田博樹 25 イチロー, 岩瀬仁紀 09 青田昇 10 江藤慎一 11 皆川睦雄 13 外木場義郎 16 榎本喜八 17 星野仙一, 平松政次 18 原辰徳 19 権藤博 20 田淵幸一 23 ランディ・バース 25 掛布雅之 59 正力松太郎, 平岡凞, 青井鉞男, 安部磯雄, 橋戸信, 押川清, 久慈次郎, 沢村栄治, 小野三千麿 60 飛田忠順, 河野安通志, 桜井彌一郎 62 市岡忠男 64 宮原清 65 井上登, 宮武三郎, 景浦將 66 守山恒太郎 67 腰本寿 68 鈴木惣太郎, 田邊宗英, 小林一三 69 三宅大輔, 田部武雄, 森岡二朗, 島田善介, 有馬頼寧 70 田村駒治郎, 直木松太郎, 中馬庚 71 小西得郎, 水野利八 72 中野武二, 太田茂 73 内海弘蔵, 天野貞祐, 広瀬謙三 74 野田誠三 76 小泉信三 77 森茂雄, 西村幸生 78 伊丹安広, 吉原正喜, 岡田源三郎 79 平沼亮三, 谷口五郎 80 千葉茂 81 佐伯達夫, 小川正太郎 82 鈴木龍二, 外岡茂十郎 83 内村祐之 84 桐原眞二 85 田中勝雄, 山内以九士 86 中河美芳, 松方正雄 87 藤田信男, 山下実 88 横沢三郎, 芥田武夫, 永田雅一 89 池田恒雄, 伊達正男 90 佐伯勇 91 中澤良夫 92 吉田正男 94 廣岡知男 95 呉昌征, 村上實 96 牧野直隆, 保坂誠 97 山本英一郎 98 中尾碩志, 井口新次郎 99 吉國一郎 00 福島慎太郎 01 武田孟, 長谷川良平 02 中澤不二雄, 生原昭宏 03 松田耕平 04 秋山登 05 志村正順 06 川島廣守, 豊田泰光 07 松永怜一 08 嶋清一 09 大社義規, 君島一郎 10 古田昌幸 12 長船騏郎, 大本修 13 福嶋一雄 14 相田暢一 15 林和男, 村山龍平 16 松本瀧藏, 山中正竹 17 郷司裕, 鈴木美嶺 18 瀧正男 19 脇村春夫 20 前田祐吉, 石井連藏 21 川島勝司, 佐山和夫 22 松前重義 23 古関裕而 24 谷村友一 25 富澤宏哉 02 フランク・オドール, 正岡子規 03 ホーレス・ウィルソン, 鈴鹿栄 表 話 編 歴 1 島秀之助 2 富澤宏哉 3 山本文男 4 田中俊幸 5 小林毅二 6 井野修 ISNI VIAF 日本 野球解説者 日本のプロ野球審判員 日本のアマチュア野球審判員 日本の野球殿堂表彰者 東京都出身の人物 1931年生 存命人物 単一の出典 プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 野球に関する記事
2025/03/29 11:44更新
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tomizawa hiroya
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