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島秀之助の情報 (しまひでのすけ)
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【11月23日】今日誕生日の芸能人・有名人

島秀之助の情報(しまひでのすけ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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島 秀之助さんについて調べます

■名前・氏名
島 秀之助
(読み:しま ひでのすけ)
■職業
野球選手
■島秀之助の誕生日・生年月日
1908年6月21日 (年齢1995年没)
申年(さる年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

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島秀之助と関係のある人

五味芳夫: 尚、これにより1937年の秋のシーズンに島秀之助が盗塁王を獲得してから、江口行男、佐々木常助、五味芳夫と、4シーズン連続で同一の球団(名古屋金鯱軍)の各選手が盗塁王を獲得するという、珍記録が達成された事になる。


筒井修: 1リーグ時代からの審判では最も長く現役を務めるが(最も長く在籍したのは島秀之助審判だが、専任指導員時代が長いため現役としては長くない)、1977年に引退した。


別所毅彦: 別所は島秀之助の母親に職業野球の内情を聞きに行くと、十分やっていけるとの話だったことから、職業野球入りを決めた。


濃人渉: プレイングマネージャーで中堅手だった島秀之助が肩を痛めたため、島の近くまで行ってトスを獲り、バックホームしてランナーを刺した。


佐々木常助: 島秀之助、江口行男に続いて金鯱軍からは3人目となる盗塁王を獲得した。


青柴憲一: また、島秀之助も戦前で最も印象に残った選手の一人として、青柴憲一の名を挙げている。


宮武三郎: 加えて当時は、三原修(早大)、小川正太郎(早大)、伊達正男(早大)、伊丹安広(早大)、若林忠志(法大)苅田久徳(法大)、島秀之助(法大)、田部武雄(明大)、松木謙治郎(明大)、菊谷正一(立大)ら多くのスター選手が活躍しており、東京六大学リーグ戦はたいへんな人気を博していた。


鬼頭数雄: 春季は当時の最多記録となる52単打を放ち(1939年に千葉茂が更新)、秋季は22盗塁で名古屋金鯱軍の島秀之助と盗塁王のタイトルを分け合った。


別所毅彦: 1933年の小学5年生の時に、新設された名倉尋常小学校に転校すると、法政大学の島秀之助の弟とらと軟式野球チームを作る。盆正月には帰省した島秀之助から野球の基本プレーを教えられた。


島秀之助の情報まとめ

もしもしロボ

島 秀之助(しま ひでのすけ)さんの誕生日は1908年6月21日です。兵庫出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、引退、テレビに関する情報もありますね。1995年に亡くなられているようです。

島秀之助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

島 秀之助(しま ひでのすけ、1908年6月21日 - 1995年12月26日)は、兵庫県神戸市生まれのプロ野球選手・監督・審判員。

神戸市立第一神港商業学校時代外野手として4年連続で甲子園に出場。法政大学時代東京六大学野球リーグ通算97試合出場、341打数74安打、打率.217、0本塁打、47盗塁。盗塁王を2度獲得。若林忠志とは法政大時代同期、苅田久徳は1年後輩にあたる。

卒業後、1933年に逓信省の簡易保険局に入り、3年間その野球チームの選手兼任監督を務め、同時に、東京六大学野球の専属審判も務める。

1936年に、職業野球初の移籍選手として東京ジャイアンツから選手兼任監督として名古屋金鯱軍へ移籍した二出川延明が、神港商業の7年後輩だった島を金鯱軍へ誘い、主将として入団する。

1936年7月に、二出川が退団して審判員(日本職業野球連盟審判部)に転向したため、島は兼任監督となり、1937年には、総監督の岡田源三郎の辞任により指揮を執る。その年秋のシーズンで22盗塁で盗塁王のタイトルを取るが、入団年に痛めた肩が回復せず、その年限りで引退した。

1936年11月、大東京-金鯱戦(洲崎球場)で、三塁コーチとしてホームアウトの判定に抗議し、プロ野球の退場者第2号となる。ルール上退場者はベンチから退かなければならないが、洲崎球場は退場者の居場所がなかった(ベンチ裏はすぐ道路になっていたという)ため、審判から「ベンチの隅に座っていろ」と命じられることとなった。

1938年3月、二出川から誘われて8人目のプロ野球審判員となり、1938年4月29日のイーグルス対東京セネタース戦(後楽園球場)一塁塁審で、公式戦デビュー。

1940年5月末に陸軍に召集され、目黒の近衛輜重兵連隊へ入隊する。前年秋の試合中に左足を骨折し、その後遺症もあったため、入隊翌日から動員事務室配属となり、教練や演習に出ることなく1ヶ月で召集解除となる。

1941年5月20日、後楽園球場での阪神対阪急戦では7回表に阪急の日比野武の二塁盗塁に際し、1度「アウト」とコールした後に阪急の抗議を受けて判定を「セーフ」に変更し、阪神からも抗議を受けて試合を1時間以上も中断させ、結果変則ダブルヘッダーの後続試合の時間確保の為にノーゲームとなるという事態のきっかけを作った。

1942年5月24日に、史上最長の延長28回となった大洋-名古屋戦(後楽園球場、変則トリプルヘッダーの第3試合)で球審を務めた(第1試合は三塁塁審、第2試合は控え審判)。4-2で大洋軍がリードして9回2死になったとき、島は「あと1人で終わりだな…いやいや、球審がこんなことを考えてはいけない」と思い直したことを後年までよく覚えていた。実際にカウント0-2から古川清蔵が、野口二郎から起死回生の同点2ランホームランを放ち、試合は28回(3時間47分)の死闘となった。なお、島は後に「28回の終了時点で(日本野球)連盟から伝令がやってきて『今日は春のリーグ戦の最終日で、表彰式の関係もあるから、ここで(試合を)終わらせてくれ』と言われ、涙を飲んで28回で終了にした。それがなければ、やれるところまでやるつもりだったので、32-33回ぐらいまで行ったのではないか」と語っている。

1944年11月13日に、日本野球報国会が、戦争により活動を休止。休止中は、軍需会社に勤務し、1945年11月の連盟再発足時に審判部に戻り、1946年4月27日から公式戦(東京4球団、大阪4球団による変則ダブルヘッダー)が再開。審判部は、東京に2人、関西に3人が所属した。東京に籍を置いたのは島と、池田豊であった。再開後しばらくは2人審判制のダブルヘッダーが続いた。5月3日に桝嘉一が加入して3人制が取れるようにはなったものの、この後6月13日までは島、池田、桝の3人が出ずっぱりで審判を務めることになった。

1949年、2リーグ制移行によりセントラル・リーグの審判となり同時に初代の審判部長に就任。

1950年、初の日本シリーズの球審を、1951年に、初のオールスターゲームの球審を務める。

1959年6月25日の読売ジャイアンツ-大阪タイガース(後楽園球場)の天覧試合では球審を務めた。この時、島は「試合中は陛下にお尻を向けてしまう形になるので横に立った方がいいのだろうか」と真剣に悩んでいたことを後輩の富澤宏哉が証言している。

1963年からは審判部長のまま、専任指導員となり数々の審判を指導する。1980年のシーズン開幕直前に、審判部長の座を富澤宏哉に禅譲。同時に専任指導員を辞任し引退。1983年12月に退職し、審判員時代に引き続き規則委員として活躍していたが、1995年12月26日に自宅の風呂場で亡くなった。享年87。

審判員としての通算試合出場数は2605試合、オールスターゲームに12回、日本シリーズに10回出場している。

酒もギャンブルもやらない謹厳実直な人物として知られており、「動の二出川、静の島」と言われ、「俺がルール・ブックだ」の台詞で知られる二出川の豪快さとは対照的な人物であった。

各年度の太字はリーグ最高

盗塁王:1回 (1937年秋季)

野球殿堂競技者表彰(1989年)

1 (1936年)

21 (1937年)

岩波新書『プロ野球審判の眼』、岩波書店、1986年、ISBN 9784004203513

『白球とともに生きて-ある審判員の野球昭和史』、ベースボール・マガジン社、1988年、ISBN 9784583027241

^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、269ページ

^ 島秀之助『プロ野球審判の眼』、岩波書店、1986年、ISBN 9784004203513

^ “退場第1号、第2号の奇妙な話”. 日本野球機構. 2012年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月12日閲覧。

^ 当時は7回が完了しないと試合成立とは認められなかった。

^ 1986年3月16日放送の「ドラゴンズ風雪の半世紀 歓喜と涙の日々」(CBCテレビ制作の中日ドラゴンズ創立50周年記念特番)の中で自身が発言。

^ 1939年から1944年までは春・夏・秋それぞれに区切りを設け、それぞれの期間の最高勝率チームを各季の優勝チームとして年度優勝と別に表彰していた。

^ 天覧試合の球審「試合中、陛下に尻を向けてしまう」と悩んだ NEWSポストセブン 2013年9月30日 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)

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法政大学の人物一覧

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プロ野球審判員一覧

個人年度別成績 島秀之助 - NPB.jp 日本野球機構

殿堂者詳細情報(島秀之助)(公益財団法人野球殿堂博物館より)

60 ヴィクトル・スタルヒン

62 池田豊

63 中島治康

64 若林忠志

65 川上哲治、鶴岡一人

69 苅田久徳

70 天知俊一、二出川延明

72 石本秀一

74 藤本定義、藤村富美男

76 中上英雄

77 水原茂、西沢道夫

78 松木謙治郎、浜崎真二

79 別所毅彦

80 大下弘、小鶴誠

81 飯田徳治、岩本義行

83 三原脩

85 杉下茂、白石勝巳、荒巻淳

88 長嶋茂雄、別当薫、西本幸雄、金田正一

89 島秀之助、野村克也、野口二郎

90 真田重蔵、張本勲

91 牧野茂、筒井修、島岡吉郎

92 廣岡達朗、坪内道則、吉田義男

93 稲尾和久、村山実

94 王貞治、与那嶺要

95 杉浦忠、石井藤吉郎

96 藤田元司、衣笠祥雄

97 大杉勝男

99 中西太、広瀬叔功、古葉竹識、近藤貞雄

00 米田哲也

01 根本陸夫、小山正明

02 山内一弘、鈴木啓示、福本豊、田宮謙次郎

03 上田利治、関根潤三

04 仰木彬

05 村田兆治、森祇晶

06 門田博光、高木守道、山田久志

07 梶本隆夫

08 山本浩二、堀内恒夫

09 若松勉

10 東尾修

11 落合博満

12 北別府学、津田恒実

13 大野豊

14 野茂英雄、秋山幸二、佐々木主浩

15 古田敦也

16 斎藤雅樹、工藤公康

17 伊東勤

18 松井秀喜、金本知憲

19 立浪和義

22 髙津臣吾、山本昌

23 アレックス・ラミレス

24 谷繁元信、黒田博樹

09 青田昇

10 江藤慎一

11 皆川睦雄

13 外木場義郎

16 榎本喜八

17 星野仙一、平松政次

18 原辰徳

19 権藤博

20 田淵幸一

23 ランディ・バース

59 正力松太郎、平岡凞、青井鉞男、安部磯雄、橋戸信、押川清、久慈次郎、沢村栄治、小野三千麿

60 飛田忠順、河野安通志、桜井彌一郎

62 市岡忠男

64 宮原清

65 井上登、宮武三郎、景浦將

66 守山恒太郎

67 腰本寿

68 鈴木惣太郎、田邊宗英、小林一三

69 三宅大輔、田部武雄、森岡二朗、島田善介、有馬頼寧

70 田村駒治郎、直木松太郎、中馬庚

71 小西得郎、水野利八

72 中野武二、太田茂

73 内海弘蔵、天野貞祐、広瀬謙三

74 野田誠三

76 小泉信三

77 森茂雄、西村幸生

78 伊丹安広、吉原正喜、岡田源三郎

79 平沼亮三、谷口五郎

80 千葉茂

81 佐伯達夫、小川正太郎

82 鈴木龍二、外岡茂十郎

83 内村祐之

84 桐原眞二

85 田中勝雄、山内以九士

86 中河美芳、松方正雄

87 藤田信男、山下実

88 横沢三郎、芥田武夫、永田雅一

89 池田恒雄、伊達正男

90 佐伯勇

91 中澤良夫

92 吉田正男

94 廣岡知男

95 呉昌征、村上實

96 牧野直隆、保坂誠

97 山本英一郎

98 中尾碩志、井口新次郎

99 吉國一郎

00 福島慎太郎

01 武田孟、長谷川良平

02 中澤不二雄、生原昭宏

03 松田耕平

04 秋山登

05 志村正順

06 川島廣守、豊田泰光

07 松永怜一

08 嶋清一

09 大社義規、君島一郎

10 古田昌幸

12 長船騏郎、大本修

13 福嶋一雄

14 相田暢一

15 林和男、村山龍平

16 松本瀧藏、山中正竹

17 郷司裕、鈴木美嶺

18 瀧正男

19 脇村春夫

20 前田祐吉、石井連藏

21 川島勝司、佐山和夫

22 松前重義

23 古関裕而

24 谷村友一

02 フランク・オドール、正岡子規

03 ホーレス・ウィルソン、鈴鹿栄

1936秋 苅田久徳

1937春 山口政信

1937秋 島秀之助, 鬼頭数雄

1938春 江口行男

1938秋 佐々木常助

1939 山田伝, 五味芳夫

1940 石田政良

1941 坪内道則

1942 坪内道則

1943 山田伝

1944 呉昌征, 呉新亨

1946 河西俊雄

1947 河西俊雄

1948 河西俊雄

1949 木塚忠助

1 島秀之助

2 富澤宏哉

3 山本文男

4 田中俊幸

5 小林毅二

6 井野修

ISNI

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日本

日本の野球選手

神戸市立神港高等学校出身の野球選手

法政大学野球部の選手

名古屋金鯱軍の選手

盗塁王 (NPB)

日本の野球監督

選手兼任監督

日本のプロ野球審判員

日本の野球殿堂表彰者

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1908年生

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2024/11/23 10:16更新

shima hidenosuke


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