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朝原宣治の情報 (あさはらのぶはる)
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【6月1日】今日誕生日の芸能人・有名人

朝原宣治の情報(あさはらのぶはる) 陸上競技/短距離 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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朝原 宣治さんについて調べます

■名前・氏名
朝原 宣治
(読み:あさはら のぶはる)
■職業
陸上競技
短距離
■朝原宣治の誕生日・生年月日
1972年6月21日 (年齢51歳)
子年(ねずみ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
兵庫出身

朝原宣治と同じ1972年生まれの有名人・芸能人

朝原宣治と同じ6月21日生まれの有名人・芸能人

朝原宣治と同じ出身地兵庫県生まれの有名人・芸能人


朝原宣治と関係のある人

小坂田淳: 大阪ガスの同僚にはアテネオリンピック男子4x100mRで4位入賞の朝原宣治(100m自己記録10秒02=日本歴代2位)、元同僚にはエドモントン世界選手権男子400mH銅メダリストでヘルシンキ世界選手権男子400mH銅メダリストの為末大(400mH自己記録47秒89=日本記録)がいる。


武井壮: 2018年 第21回世界マスターズ陸上競技選手権大会 4×100mリレー(45 - 49歳クラス)43秒77 優勝(武井壮・佐藤政志・譜久里武・朝原宣治


末續慎吾: また肩の動きを抑えていると言われる事もあるが実際には上記の理由により例えば朝原宣治などの走り方と比べれば大きく前後に動くことはないが、逆に上下には大きく動いており、しかも正面から見た場合には頭から足まで波打つように大きく振られている。


伊東浩司: 100mは朝原宣治に並ぶタイ記録)を樹立する。


為末大: 2005年 2月に朝原宣治・伊藤友広らとともにアメリカ合衆国アリゾナ州フラッグスタッフで高地合宿を行う。


柳本晶一: 2010年に朝原宣治らとアスリートネットワークを結成。


塚原直貴: 試合における勝負強さに定評があり、世界大会でのキャリア豊富な朝原宣治や伊東浩司をして「大きな大会で力を発揮できる数少ない選手」と言わしめる程である。


江里口匡史: 指導を仰ぐ朝原宣治コーチによると自己管理 とプラス思考 を長所とする選手であり、織田記念・静岡国際に出場する中で足首のケガを原因とする調整の遅れが伝えられていたが、6月の第95回日本選手権100mでは貫禄を見せて大会3連覇を飾った。


井村久美子: 男子短距離の朝原宣治と共に、日本選手団81人の代表として主将を務める。


川畑伸吾: 同年9月15日に横浜で行われたスーパー陸上の100m+200m+300m+400mリレーで日本選抜Bチーム(川畑-朝原宣治-田端健児-小坂田淳)の第1走を務め、1分48秒27の日本新記録を樹立した。


桐生祥秀: 決勝でもジュニア日本新記録となる6秒59を記録し、日本記録(1997年に朝原宣治が記録した6秒55)と0秒04差のタイムで初優勝した。


中村友梨香: その後一度は陸上競技から離れたが、北京五輪男子4×100mリレー・銀メダリストの朝原宣治の誘いを受け、朝原が主宰する陸上競技クラブ『NOBY T&F CLUB』のコーチとして陸上界に復帰し、ジュニア世代の指導に当たっている。


伊東浩司: また肩の動きを抑えていると言われる事もあるが、実際には上記の理由により例えば朝原宣治などの走り方と比べれば結果的に大きく前後に動かないだけであるが、逆に上下には大きく動いており、しかも正面から見た場合には頭から足まで波打つように大きく揺れている。


塚原直貴: 2回目の出場となった世界選手権は100m2次予選を10秒15(+0.4)で通過し、北京オリンピックに続き世界大会の100mで2大会連続の準決勝進出、世界選手権の同種目では井上悟、朝原宣治に続く日本人史上3人目の準決勝進出者となった。


奥野史子: 1991年4月に奥野が同志社大へ入学して間もない頃、在学中からゼミの同期生でも有った現在の夫・朝原宣治と偶然隣同士で初対面してから、その後長らく交際していた。


川畑伸吾: 100mは2次予選で敗退したが、4×100mリレーでは予選と準決勝で日本チーム(川畑-伊東浩司-末續慎吾-朝原宣治)の第1走を務め、準決勝では38秒31のアジアタイ記録(当時)をマークして決勝に進出した。


奥野史子: 夫は陸上競技・短距離走及び走幅跳の元選手で、北京オリンピック男子4x100mリレーの銀メダリスト の朝原宣治


西村麻子: 実父の彰は、ハードル競技の選手として活躍した後に、同志社大学体育会陸上競技部の監督時代に朝原宣治などを指導。


竹林宏: 北京オリンピックでは、陸上男子4×100mリレーの決勝で、日本チームのアンカー・朝原宣治が3位でゴールした瞬間に「日本は銅!!」と実況。


早狩実紀: 同大会では、大学の同期である朝原宣治も男子4×100mリレーで金メダルを獲得した。


塚原直貴: 結果翌2017年1月26日に、ジャマイカチームが正式に失格判定となり、日本代表は2位・銀メダリストへ変更した事に関し、同北京五輪のアンカーを務めた朝原宣治は「カーター選手に対して憤りを覚える。


朝原宣治の情報まとめ

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朝原 宣治(あさはら のぶはる)さんの誕生日は1972年6月21日です。兵庫出身の陸上競技
短距離のようです。

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その他[ソースを編集]、主な戦績[ソースを編集]などについてまとめました。現在、卒業、引退、テレビに関する情報もありますね。朝原宣治の現在の年齢は51歳のようです。

朝原宣治のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

朝原 宣治(あさはら のぶはる、1972年6月21日 - )は、兵庫県神戸市北区出身の陸上競技元選手で、専門種目は短距離走・走幅跳。2008年北京オリンピック・陸上男子4x100mリレーの銀メダリストである。現在は陸上競技指導者・スポーツ解説者等で活動中。

100メートル競走においては、日本人として初めて10秒1台及び10秒0台を記録し、日本記録を3回更新した。

妻は同志社大学時代の同窓生かつアーティスティックスイミング元選手で、1992年バルセロナオリンピックソロ・デュエット各種目の銅メダリスト・奥野史子。長女・長男・次女の3人の子供がいる。

神戸市立小部東小学校、神戸市立小部中学校、兵庫県立夢野台高等学校、同志社大学商学部卒業後、大阪ガス入社。

小部中時代はハンドボール部レギュラーで全国大会出場果たす。なお、現在同中学校のハンドボール部は廃部となっている。

陸上競技は夢野台高から始め、高校3年時に走幅跳でインターハイ優勝。

元々当初は走幅跳が専門だったが、同志社大学在籍中の1993年10月26日に行われた国体の100mにおいて、当時の日本記録である10秒19をマークして優勝し、以後、スプリンターとしても注目されることになった。当時は和製カール・ルイスと呼ばれた。

アジア人離れした体格と加速力を持ち、リレーのパートナーであった井上悟に「(朝原の加速力はカール・ルイスやリロイ・バレルのそれと同じようなレベルで)あまりにも加速が速過ぎて彼にバトンを渡すのは難しかった」と言わしめた。

100mでの功績は大きく、1993年の10秒19、1996年の10秒14、1997年の10秒08と、日本人として初めて10秒1台、10秒0台を記録し、日本記録を3回更新した。また、オリンピック、世界選手権の100mでは、1996年のアトランタ、1997年のアテネ、2001年のエドモントン、2003年のパリ、2007年の大阪と、5回準決勝に進出している。しかしながら、世界大会での決勝進出は実現することはなかった。

それまで日本記録を更新し合い、リレーメンバーとしても長い付き合いだった伊東浩司とは、お互いの故障が元で直接対決こそ少なかったが、1990年代後半から相次ぐ2人の日本記録更新が、オリンピックや世界選手権におけるリレー種目での入賞というかたちで現れた。それだけでなく末續慎吾ら次の世代の台頭にも繋がった。

2007年世界選手権では日本代表のアンカーとして4x100mリレーに出場。決勝で5位入賞(38秒03 元アジア新記録・元日本新記録)

2008年は年齢をおして(世界陸上大阪大会時で35歳)現役続行を宣言した。記録もさることながら、容姿も若く見られることが多い。また、4月の織田記念陸上では風邪を押して出場したが、10秒17という35歳の年齢では驚異的な記録を樹立した。北京オリンピックの代表入りを目指して6月の日本選手権に出場。決勝は10秒37の記録で2位であったが、6月30日の日本陸連の理事会で代表に選考され、4大会連続の代表となった。

日本の陸上競技選手ではハンマー投の菅原武男に次いで2人目の4大会連続出場となった北京オリンピックの本番は100mでは2次予選で敗退し、アトランタオリンピック以来の準決勝進出はならなかった。

しかし、8月22日の4x100mリレー予選では1組2着に入り決勝進出(なお予選で優勝候補のアメリカやイギリス、ナイジェリアなどがバトンミスで失格となる大波乱があった)。そして翌日、8月22日の4x100mリレー決勝では、最終走者 として登場し、3着でフィニッシュ。だがそれから8年経過後、このレースで当初金メダルを獲得だったジャマイカチームのネスタ・カーターがドーピングの検体の再検査で禁止薬物の陽性反応を示したため、2017年に銅メダルから銀メダルに正式に繰り上げとなっている。日本男子トラック種目のオリンピックでのメダル獲得は史上初(男女通じても1928年アムステルダムオリンピックの女子800m銀メダルの人見絹枝以来80年振り)であった。なおその際朝原は興奮の余りに、競技に使用したリレーバトンを宙に放り投げたために、一時バトンの行方が不明になっていたが、数日後に発見されてリレーバトンは日本側に返還された。

その年齢や、メダルを獲得したことから今後の進退が注目されていたが、2008年9月のスーパー陸上(等々力陸上競技場)を引退レースにすることが発表され、正式な引退会見も行われた。

9月23日、引退レースとなるスーパー陸上では男子100mに出場、銅メダルメンバーの3人を含むレースで3位に入り、ラストランを飾った。競技終了後、朝原の引退セレモニーが挙行され、特別ゲストとして北京オリンピック三冠王のウサイン・ボルトが登場し、朝原にねぎらいの言葉と花束を贈った。この当時まだ22歳のボルトも「36歳までこの世界で現役を続けることは、私にはできないかもしれない」と話し(実際ボルトは31歳で現役を引退している)、改めて朝原の息の長い現役生活に敬意を示すほどだった。朝原は「選手生活の最後にこんな幸せな最後を迎えられることはそういない。本当に感謝でいっぱいです」と会場のファンの前で挨拶した。また、銅メダルメンバーの末續、塚原、高平、そして為末大、福島千里など陸上仲間が朝原を胴上げしてセレモニーの最後を締め括った。

「GQ MEN OF THE YEAR 2008」を受賞。

母校の同志社大大学院に在籍(休学中)していて、2008年4月からは同大学に新設されたスポーツ健康科学部のアドバイザーに就任し、陸上のみならずスポーツ全体の貢献に関わっていく意思を表明した。名言は「100mは人間力」。

2010年には柳本晶一らとアスリートネットワークを結成。4月には自らが主宰するスポーツクラブ『NOBY TRACK and FIELD CLUB』を旗揚げし、ジュニアやユース世代の選手育成を主眼とした陸上競技教室などを開講している。

2018年に行われた世界マスターズ陸上競技選手権大会の4×100mリレー(45 - 49歳クラス)において43秒77で優勝(武井壮・佐藤政志・譜久里武・朝原宣治)。

その他[ソースを編集]

現妻・奥野史子とは同志社大学入学直後のゼミで、偶然隣席に座っていたのを機に交際を開始。朝原が下宿先の電話が入った日、奥野にその電話番号のメモを渡した処、最初に朝原の元へ電話をくれたのが奥野だったという。

大阪ガス所属の看板選手として、同社の「ガスを正しく安全に」と、ガス器具の正しい使い方を啓発するテレビCMに出演している。なお同じCMが、九州の西部ガスでも、社名を差し替えて放映されている。

2013年の第23回参議院議員通常選挙にて、自由民主党大阪府連から大阪選挙区での出馬を打診されたが、所属先である大阪ガスからの強い慰留を受け、出馬を断った。

引退後に朝原の遺伝子を検査した結果、短距離走に最適な筋肉の構成に優れている遺伝子が多く存在する事がわかった。これらの遺伝子はジャマイカをはじめとする、短距離走で活躍する黒人選手達に多く存在する遺伝子であるという。更に朝原にはそれだけでなく、年齢を重ねても筋力が衰えにくい遺伝子も含まれている事が判明した。この結果について朝原は、自分の選んだ道が結果的に自分の才能に適合していたことに安堵したと感想を述べている。

また、スタート時には、自重の2倍以上の力で踏み出すことができるという。瞬間的な踏み出す力に関してはアサファ・パウエルをも凌駕する数字である。

2009年からはTBSテレビの世界陸上中継で短距離走の解説を担当しており100mの決勝などでは伊東浩司とダブル解説で担当する。

2016年4月29日から日本テレビの『news every.』の金曜日第一部(16時台)に不定期出演しており、リオデジャネイロオリンピックに出場する日本代表選手を取材している。

2017年1月26日、2008年北京五輪・陸上男子4x100mリレーで、当初優勝したジャマイカチームの内ネスタ・カーターが、8年が経過した2016年6月に実施されたドーピング再検査で陽性反応が出た為失格・金メダル剥奪が決定、日本代表が銅から銀に正式に繰り上がったとの報道を受け、朝原は「私達の記憶では当時の感動や評価、順位が事実。一つ上がって良いじゃないか、というものでは無い」とコメント。その上朝原は「歴史が変わってしまう」と、現在海外のドーピング違反者が続出する現状に危機感を口にし「2020年の東京オリンピックでは(違反者が)一人も出ないクリーンな大会にして欲しい」と要望した。

2018年9月16日、スペインのマラガで行われた世界マスターズ陸上に武井壮をはじめとする2人と45歳クラス4×100mRに出場し優勝した。記録は43秒77で世界記録に0.35秒足りなかった。

主な戦績[ソースを編集]

備考欄の記録は当時のもの

1990年

    第43回インターハイ 走幅跳 優勝 7m61(+1.1)

    1991年

      第75回日本選手権 走幅跳 予選敗退

      第7回全日本ジュニア選抜 100m 優勝 10秒56(0.0)

      1992年

        第76回日本選手権 走幅跳 予選敗退

        1993年

          第77回日本選手権 走幅跳 9位

          第62回日本インカレ 200m 優勝 20秒81(+0.8)

          第48回国体 100m 優勝 10秒19(+2.0、日本人初の10秒1台)

          1994年

            第78回日本選手権 走幅跳 優勝 8m06(+0.8) / 200m 3位 20秒93(-0.3)

            第63回日本インカレ 100m 優勝 10秒50(-0.8)

            1995年

              第79回日本選手権 走幅跳 優勝 7m94(+2.0)

              1996年

                第80回日本選手権 走幅跳 2位 7m79(-0.2) / 100m 優勝 10秒14(+0.9、元日本記録)

                スーパー陸上 ・100m 4位 10秒19(+1.2)

                第44回全日本実業団 100m 優勝 10秒47(-1.1)

                1997年

                  ドイツの旗 クムニッツの競技会 優勝 10秒19(+1.6)

                  ドイツの旗 イェーナの競技会 2位 10秒19(+1.8)

                  第45回全日本実業団 走幅跳 優勝 7m90(+0.2、大会記録) / 100m 優勝 10秒16(0.0、大会記録)

                  スイスの旗 ジュネーヴの競技会 優勝 10秒19(+1.2)

                  ドイツの旗 シュトゥットガルトの競技会 100m 6位 10秒15(0.0)

                  ドイツの旗 ハンブルクの競技会 100m 優勝 10秒15(+0.6)

                  ドイツの旗 ベルリンの競技会 100m 2組3着 10秒15(+0.7)

                  スイスの旗 アスレティッシマ 100mB 3位 10秒08(+0.8、日本人初の10秒0台)

                  第81回日本選手権 走幅跳 優勝 8m10(+0.9、大会タイ記録) / 100m 優勝 10秒26(-0.8)

                  1999年

                    第33回織田記念 100m 2位 10秒27(+1.6)

                    2000年

                      第84回日本選手権 100m 優勝 10秒35(-0.7)

                      2001年

                        第35回織田記念 100m 5位 10秒31(0.0)

                        ノルウェーの旗 ビスレットゲームズ 100m 4位 10秒02(+2.0、元日本歴代2位)

                        大阪グランプリ 100m 5位 10秒29(-0.1)

                        第45回関西実業団 100m 優勝 10秒45(-1.9)

                        第85回日本選手権 100m 優勝 10秒45(-2.0)

                        ギリシャの旗 テッサロニキの競技会 100m 優勝 10秒19

                        スーパー陸上 100m 2位 10秒18(-0.1) / スウェーデンR 2位 1分48秒27(日本の旗 日本Bチーム2走、日本記録)

                        第49回全日本実業団 100m 優勝 10秒20(+0.8)

                        2002年

                          大阪グランプリ 100m 5位 10秒20(+1.8、同着) 

                          第86回日本選手権 100m 優勝 10秒05(+1.4、大会記録)

                          アスレティッシマ 100mB 優勝 10秒12(+0.1)

                          イタリアの旗 ゴールデンガラ 100m 1組6着 10秒15(+0.9)

                          スイスの旗 チューリヒの競技会 100m 予選2組6着 10秒19(+1.6)

                          スーパー陸上 100m 2位 10秒28(-1.4) / 400mR 優勝 39秒07(日本の旗 日本Aチーム4走)

                          第50回全日本実業団 100m 優勝 10秒12(+0.8、大会記録)

                          2003年

                            第37回織田記念 100m 4位 10秒30(+2.0)

                            大阪グランプリ 100m 6位 10秒38(-0.3) / 400mR 優勝 38秒56(日本の旗 日本Aチーム4走)

                            第87回日本選手権 100m 2位 10秒26(+0.1)

                            ギリシャの旗 SGPチクリティリア 予選2組4着 10秒36(0.0)

                            チェコの旗 GPⅡプラハ 5位 10秒26(-0.1)

                            クロアチアの旗 GPⅡザグレブ 5位 10秒29(0.0)

                            南部記念 100m 優勝 10秒41(-2.0)

                            2004年

                              オーストラリアの旗 アデレードの競技会 100m 優勝 10秒16(+2.6)

                              第38回織田記念 100m 優勝 10秒16(+1.2)

                              大阪グランプリ 100m 5位 10秒17(0.0) / 400mR 優勝 38秒35(日本の旗 日本Aチーム1走)

                              第48回関西日本実業団 200m 優勝 20秒71(+0.1)

                              第88回日本選手権 100m 2位 10秒20(+1.0)

                              南部記念 100m 決勝棄権(予選1組1着 10秒49/-0.6)

                              スプリントチャレンジカップ 200m 優勝 20秒70(+0.8) / 400mR 優勝 39秒07(日本の旗 日本チーム4走)

                              第52回全日本実業団 100m 優勝 10秒23(-0.2)

                              2005年

                                出雲陸上 100m 優勝 10秒34(+2.1) / 100m 優勝 10秒36(+1.9)

                                第39回織田記念 100m 3位 10秒31(+1.5)

                                大阪グランプリ 100m 4位 10秒35(+1.0) / 400mR 3位 40秒24(日本の旗 日本Aチーム2走)

                                第49回関西実業団 200m 優勝 21秒36

                                第89回日本選手権 100m 2位 10秒45

                                第53回全日本実業団 100m 2位 10秒37(0.0)

                                2006年

                                  出雲陸上 100m 優勝 10秒39(+2.4)

                                  大阪グランプリ 100m 5位 10秒47(-0.1)

                                  第50回関西実業団 100m 2位 10秒37(+1.5)

                                  第54回全日本実業団 100m 2位 10秒48(0.0)

                                  2007年

                                    大阪記録会 100m 優勝 10秒31

                                    出雲陸上 100m 決勝棄権(予選10秒84)

                                    第41回織田記念 100m 優勝 10秒18(+2.2)

                                    大阪グランプリ 100m 3位 10秒38(+0.4) / 400mR 優勝 38秒74(日本の旗 日本Aチーム4走)

                                    第51回関西実業団 100m 優勝 10秒38(+0.7)

                                    チャイニーズタイペイの旗 台湾国際 100m 優勝 10秒39

                                    第91回日本選手権 100m 2位 10秒39(-0.3)

                                    南部記念 100m 優勝 10秒17(+2.1)

                                    加古川市ナイター記録会 100m 2組1着 10秒15(+0.6)

                                    第55回全日本実業団 100m 決勝棄権(準決勝1組1着 10秒63/-1.2)

                                    2008年

                                      第42回織田記念 100m 決勝棄権(予選 10秒17/+0.6)

                                      大阪グランプリ 100m 8位 10秒83(+0.8)

                                      第52回関西実業団 200m 2位 21秒36(-0.8)

                                      中華人民共和国の旗 北京オリンピックプレ大会 100m 2次予選2組4着 10秒55(+1.1) / 400mR 2位 39秒46(4走)

                                      第92回日本選手権 100m 2位 10秒37(-0.2)

                                      南部記念 100m 優勝 10秒36(+1.5)

                                      加古川市ナイター記録会 100m 1組1着 10秒19(+2.0)

                                      スーパー陸上 100m 3位 10秒37

2024/06/01 05:48更新

asahara nobuharu


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