小島一慶アナウンサーの情報(こじまいっけい) アナウンサー/TBS→フリー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
小島 一慶さんについて調べます
■名前・氏名 |
小島一慶と関係のある人
水森亜土: よく卓を交えたのはアナウンサーの小島一慶や漫画家の福地泡介であり、福地の著書の中には水森の麻雀の打ち筋を描写した一節もある。 菅原牧子: 1968年4月、TBSにアナウンサー第13期生として入社(同期には小島一慶・松永邦久・池田園子・石井和子・見城美枝子・郷司淑子)。 林美雄: 『夜はともだち』で共演した小島一慶の進行で、お別れ会の模様が紹介された他、本人の録音テープや同期入社アナウンサーの宮内鎮雄、小口勝彦による座談会が放送された。 久米宏: 『ニュースステーション』メインキャスターの印象が強いが、TBSアナウンサー時代は報道番組(『JNNニュース』など)には全く出ていない(生島ヒロシ、小島一慶なども同様)。 松宮一彦: なお、幾度かの『ザ・ベストテン』の歴代司会退任の際、小島一慶と共に後任司会者の候補に再三あがるも、諸事情があって実現しなかった。 林美雄: 深夜放送ブームがあった1970年代には、久米宏、小島一慶、林美雄の三人で「TBS若手三羽ガラス」に数えられていた。 久米宏: アナウンサーの1年後輩の小島一慶は同学年の同僚。 山本文郎: 久米宏・生島ヒロシ・小島一慶・渡辺謙太郎・石川顯・松下賢次・林正浩・中村秀昭などもTBSアナウンサー時代はニュース原稿を読むことはなかった。 川上政行: 小島一慶の言葉「ほのぼのと楽しい」を信条としている。 石川太郎: 尊敬するアナウンサーは、小島一慶(元TBS)と、大橋照子(元ラジオたんぱ)である。 見城美枝子: 1968年4月、TBSへアナウンサー13期生として入社(同期には小島一慶・松永邦久・池田園子・石井和子・郷司淑子・菅原牧子)。 榎田卓央: 新入社員のとき、当時TBSテレビで夜11時過ぎに放送していた、情報番組「情報デスクToday」に出演(在京民放TV5局の新入社員が生出演し、入社しての感想や、抱負などを語る特集が組まれた)、当時彼が、この番組のサブ司会を務めていた小島一慶に対し、「私は、小島さんを尊敬しており、小島さんのようなアナウンサーになりたいんです。 石井和子: 1968年4月、TBSにアナウンサー13期生として入社(同期には小島一慶・松永邦久・池田園子・見城美枝子・郷司淑子・菅原牧子)。 菅原牧子: "1968.4<13期生> 7人入社(男2・女5) 小島一慶 松永邦久 池田園子 石井和子 見城美枝子 郷司淑子 菅原牧子"。 関口伸: 全国大会アナウンス部門6位入賞を機にアナウンサーの道へ(当時憧れていたアナウンサーは小島一慶)。 渡辺宜嗣: 1991年4月1日から1993年4月2日までは30局ネットの『モーニングショー』(小島一慶の女性問題で急きょメイン司会に抜擢)、2002年9月30日から2007年3月30日までは31局ネットの『スーパーモーニング』を担当していた。 |
小島一慶の情報まとめ
小島 一慶(こじま いっけい)さんの誕生日は1944年10月2日です。長崎出身のアナウンサーのようです。
ドラマ、テレビ、卒業、退社、趣味、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2020年に亡くなられているようです。
小島一慶のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小島 一慶(こじま いっけい、1944年〈昭和19年〉10月2日 - 2020年〈令和2年〉4月23日)は、日本のフリーアナウンサー。元TBSアナウンサー、司会者。俳人(「玉藻」同人)。 本名の漢字表記は同じだが、名前の読みは「かずよし」である。長崎県長崎市出身。 母子家庭育ちで、本人曰く「貧しかった」。一家には、旅回りの役者だった祖父、博打打ちで「明烏のおはつ」と呼ばれていた祖母もいた。祖父が時折酒乱で暴れていたことから母は耐えられず別居して、子供のころの小島も身に危険を感じると母の元へ逃げ込んでいたということもあった。 幼稚園時代から演劇に熱中するようになり、また浪曲が好きで、子供の頃は浪曲師か役者になりたいと思っていた。中学入学後はすぐに演劇部に入部、長崎県立長崎東高等学校に在学していた高校生時代も部活は演劇部で、高校で生徒会長になった時には演劇部の予算を4倍にしたことがあった。 しかし高校3年生のある日に東京に出て来た時に、芸術座で菊田一夫の右腕として演出の仕事をしていたある先輩に会った時に「役者になっても、10年は食っていけないぞ」と言われた時に、貧しかった家庭で育った自分の境遇を考えて「これは辛い」と思い方向転換を決意、「サラリーマンになろう。なるにしても、面白いことが出来るサラリーマンになる」と思うようになる。ラジオドラマの『鞍馬天狗』で芥川隆行のナレーションに魅了されたことがあったことからナレーターになることを考え付いたが、ナレーターがサラリーマンの何物かその時はわからず、更に考えて思い付いたのが、舞台中継もナレーションも出来るだろうとしたアナウンサーだった。アナウンサーを目指すようになったのは、少年時代よく聴いていた『コーセー 今週のベストテン』や『ラ・セーヌ ヒットソングアワー』(ニッポン放送)のことも頭にあったという。 日本大学芸術学部入学後はアナウンス研究会に入会。就職活動ではTBSの他NHK、日本テレビ、フジテレビ、ニッポン放送など総なめにするつもりで受験するも全て不合格、卒業論文の単位だけ残して留年することにし、留年中はTBSでアシスタントディレクターのアルバイトをしていた。そして次の年はTBSだけを受験、合格して入社に至る。 1968年(昭和43年)4月、TBSにアナウンサー13期生として入社(同期には松永邦久・池田園子・石井和子・見城美枝子・郷司淑子・菅原牧子)。深夜放送『パックインミュージック』の火曜日を担当したほか、『一慶・美雄の夜はともだち』のパーソナリティを先輩アナの林美雄と交替で務めたりと、ラジオにおいて精力的に活躍していた。先輩アナの久米宏が『ぴったし カン・カン』を降板した際には小島が引き継いだ。 上司から営業部門への異動が打診されたが、1990年3月にTBSを退社。 TBS退社後はテレビ朝日と専属契約を結び、テレビ朝日専属キャスターとして『ホットライン110番』の司会を務める。しかし1991年、不倫騒動で全番組を降板し、長期休養する。 その後はTBSを中心に他局の情報番組・ニュース番組・テレビショッピング番組などにも出演。また、TBSテレビの『どうぶつ奇想天外!』のナレーション、TBSラジオの『明日も元気!』にも出演していたが、婦女暴行容疑で刑事告訴されたことを受け、2008年12月31日で両番組の出演を降板、所属事務所の佐藤企画からも契約満了と同時に退職した。本件は示談が成立し告訴は取り下げられている。 2014年に復帰。3月には赤坂BLITZで『パックインミュージック』のイベントを白石冬美と行った。その後も、古巣のTBSラジオを中心に活動していた。 2020年4月23日午後5時55分、肺がんのため、東京都内の病院で死去。75歳没。 妻はTBSアナウンサー同期の池田園子。 趣味は麻雀で、大学生の時にアルバイト先で麻雀を覚えて以来病み付きのようになったとのこと。若手の頃は、ディレクターやスタッフ、TBSの在る赤坂の町内会の人達ともよく雀卓を囲んでいたという。また、パチンコ好きなところもある。 俳句も趣味で、俳句結社「玉藻」の星野高士に師事、カルチャー教室で講師もしている。 テレビでの出演番組 ラジオでの出演番組 ヤングポップス1010(1969年) 日産ミュージックナイター(1969年) ヤングサウンズ・フェスティバル(1970年) ヤングタウンTOKYO(1970年) パックインミュージック(1970年) 深夜版ラジオマンガ『走れダンテス』 TBS今週のベスト10(1973年)ポップス担当 永六輔の土曜ワイドラジオTokyo『人間ばんざい』(1973年) 一慶のヤングポップス(1973年) りりィ一慶サタデーフォーク 東京赤坂歌謡曲(1974年) TBS今週のポップスベスト10(1975年) 歌謡新人戦(1975年) 一慶・美雄の夜はともだち(1976年 - 1978年) 三枝・一慶の二人旅(1977年) 森田公一の青春ベストテン(1977年) 小島一慶の耳コミランチタイムぴぃぷる(1979年) グランドポップショウ(1979年) JAL・ミュージック・ツアー(1980年) とっておき90分〜ポップスベストテン〜(1981年) サウンド・ストームDjango(1982年) アスカ・ラジオマップ(1983年) ラジオマクロス みんなデカルチャー(1984年)※提供ナレーション 一慶の歌謡大放送(1986年) 夜はこれから(1989年) 麻梨子産業株式会社 ザ・ヒットパレード ベストソングブック 報道・情報番組 バラエティ・紀行関連・ラジオ番組・その他 おまたせ一慶まっぴるま!(1992年4月 - 1996年3月、TBSラジオ) 自然がいちばん!地球塾(1993年4月 - 9月、TBSテレビ)ナレーション 週刊有線カウントダウン(1994年4月 - 2000年9月、TBSラジオ) ザ・ワイドショー(1994年1月 - 3月、日本テレビ)※ドラマ内のワイドショー司会者役 おもしろ倶楽部(テレビ岩手) どうぶつ奇想天外!(1993年4月 - 2008年12月、2016年9月、2017年7月、TBSテレビ)ナレーション バリキン7 賢者の戦略(1997年、TBSテレビ)ナレーション アステラス製薬 明日も元気!(1996年4月 - 2008年12月、TBSラジオ) 日本有線大賞ラジオ実況(TBSラジオ) 日本レコード大賞ラジオ実況(1999年 - 2007年、TBSラジオ) はぴねすくらぶテレビショッピング(長時間バージョン) 動物オリンピック(NHK Eテレ) オジサンズ11 (日本テレビ) ※準レギュラー 北京原人 Who are you?(1997年)江戸良一 役 EKOEKO AZARAK エコエコアザラク(2001年)司会者 役 一慶のなーんちゃってオジサン(作詞:黒鉄ヒロシ、作曲・編曲:すぎやまこういち、1977年) 一慶・泰葉のTHE VHD WORLD(制作協力:パック・イン・ビデオ、制作・著作:日本ビクター。1986年にVHDで発表。非売品) 僕も人前ではしゃべれなかった : 口のきき方、つき合い人間学(1988年、文化創作出版〈マイブック〉) 結婚ショートスピーチ集 : 心にのこる!すぐに使える実例110 90秒・120秒(1991年、徳間書店〈トクマのP&Pブックス〉) 小西克哉 林美雄 松宮一彦 生島ヒロシ 浦口直樹 九州鉄道記念館 - 本館1Fジオラマ「九州の鉄道大パノラマ」演出時のナレーションを担当。 ^ 『新訂現代日本人名録2002 2巻』p.806 ^ “小島, 一慶, 1944- - Web NDL Authorities(国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)”. 国立国会図書館. 2014年12月15日閲覧。 ^ 週刊現代 1985年3月23日号 p.54 - 58「人間解剖 - 小島一慶の誌上DJ」 ^ “小島 一慶”. 佐藤企画. 2008年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月9日閲覧。 ^ “小島一慶アナに婦女暴行疑惑”. スポーツ報知 (報知新聞社). 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(2014年2月14日). オリジナルの2024年8月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20240824083943/https://www.sankei.com/article/20140214-B6RYKOQCO5ONRGWCBFVCWL7XZA/ 2024年8月24日閲覧。 ^ フリーアナウンサーの小島一慶さん 肺がんで死去 75歳「ぴったし カン・カン」2代目司会などで人気 - Sponichi Annex 2020年4月26日 ^ 週刊現代 1994年7月11日号 p.46 - 49 ^ レジェンドアナウンサー対談 第3弾ひでたけのやじうま好奇心(ニッポン放送)2017年10月17日更新、2017年12月6日閲覧。 ^ 同じ長崎県長崎市出身の小島の後輩アナウンサーであった 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。 『TBS「報道テロ」全記録』晋遊舎〈晋遊舎ムック〉、2007年2月1日。ISBN 4-88380-591-3。 “小島 一慶”. 2008年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年11月10日閲覧。 小島一慶 - allcinema 小島一慶 - MOVIE WALKER PRESS 小島一慶 - テレビドラマデータベース VIAF 日本 日本の司会者 日本のナレーター 日本の鉄道に関係する人物 日本のラジオパーソナリティ TBSテレビのアナウンサー テレビ朝日のアナウンサー フリーアナウンサー 日本大学出身の人物 長崎県立長崎東高等学校出身の人物 長崎県出身の人物 肺癌で亡くなった人物 1944年生 2020年没 ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ウィキデータにあるMovie Walker人物識別子 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/21 04:00更新
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