もしもし情報局 > 10月1日 > ジャーナリスト、政治家

小林橘川の情報 (こばやしきっせん)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月24日】今日誕生日の芸能人・有名人

小林橘川の情報(こばやしきっせん) ジャーナリスト、政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

小林 橘川さんについて調べます

■名前・氏名
小林 橘川
(読み:こばやし きっせん)
■職業
ジャーナリスト、政治家
■小林橘川の誕生日・生年月日
1882年10月1日 (年齢1961年没)
午年(うま年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
滋賀出身

小林橘川と同じ1882年生まれの有名人・芸能人

小林橘川と同じ10月1日生まれの有名人・芸能人

小林橘川と同じ出身地滋賀県生まれの有名人・芸能人


小林橘川と関係のある人

市川房枝: 文化人グループで旧知の間柄だった小林橘川の紹介で、同年7月10日に名古屋新聞社(現在の中日新聞社)に入社、記者となった。


辻寛一: 9月 - 名古屋市長選挙に自民党公認で立候補したが、現職の小林橘川に敗れ落選した。


塚本三: 1951年の市長選では、名古屋新聞の先輩にあたる小林橘川を558票の僅差でかわし再選。


塚本三: 小林橘川


杉戸清: 1961年(昭和36年)3月16日、名古屋市長の小林橘川が任期中に死去。


小林橘川の情報まとめ

もしもしロボ

小林 橘川(こばやし きっせん)さんの誕生日は1882年10月1日です。滋賀出身のジャーナリスト、政治家のようです。

もしもしロボ

現在、映画に関する情報もありますね。1961年に亡くなられているようです。

小林橘川のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

小林 橘川(こばやし きっせん、1882年〈明治15年〉10月1日 - 1961年〈昭和36年〉3月16日)は、日本のジャーナリスト、政治家。名古屋市長を3期務めた。

滋賀県野洲郡守山町(現・守山市)にて漢方薬商、山本藤右衛門の三男として生まれた。幼名は音次郎。1884年(明治17年)、滋賀県野洲市北桜の浄土宗多門寺の小林麗海の養子となり海音と改名した。その後、浄土宗高等学院(現大正大学)入学するが中退。小学校教員、京都府内の極楽寺住職を経て、ジャーナリストとしての才覚を発揮し1905年(明治38年)には「近江新報」主筆となり、県政批判の筆を揮った。1911年(明治44年)名古屋新聞に転じ1914年(大正3年)より「名古屋新聞」主筆を経て、1942年(昭和17年)政府の指導で「新愛知新聞」と合併した「中部日本新聞(現中日新聞)」の取締役となった。

当時、「新愛知」は政友会を、「名古屋新聞」は憲政会(のちの民政党)を支持し、あたかも政党新聞のような論戦を展開し発行部数の獲得合戦を行っていた。その中で、橘川は名古屋新聞主筆として、大正デモクラシーの時代に、民本主義を唱えた吉野作造を支持して名古屋の中京教会で吉野の講演会を開催したり、「名古屋新聞」紙上で民本主義理論を積極的に紹介した。

橘川は、電車賃値上げを批判、その後婦人運動、労働運動などに関与し1920年(大正9年)名古屋労働者協会を創立した。1930年(昭和5年)副社長となるが、反戦思想から特別高等警察の監視対象にされた。橘川は一途に理想を主張するのではなく、反軍の論陣を張りながらも現実との折り合いをつけていった。やがて戦争へ進む流に絶望し、「個人としては平和を欲求するが、集団としては戦争に投げ込まれる……それが運命だ」と、「諦めの言論」に転換していった。

1939年(昭和14年)、大政翼賛会中央協力委員に選ばれる。1942年(昭和17年)、中部日本新聞社の創立委員となり、9月に同社取締役に就任。

1947年(昭和22年)7月、公職追放。1950年(昭和27年)10月、追放解除。

1951年(昭和26年)、日本社会党の赤松勇、小山良治、近藤国雄らは小林の自宅を訪ね、名古屋市長選挙への出馬を要請。一度は断るも、赤松は小林をすき焼き屋に招き、重ねて口説いた。「行政をやったことがないから自信がない」と答えると、赤松に「行政は役人に任せておけばよい。あなたは3階の市長室に座り、名古屋の文化を高めるアイデアを出してくれればいい。ほかに何も期待しない」と返され、出馬を決意。同年4月23日に行われた市長選挙に革新系無所属の候補として立候補するも、名古屋新聞の後輩にあたる、現職の塚本三に558票差で敗れ落選。

1952年(昭和27年)8月25日、名古屋市長の塚本三が任期中に死去。これに伴って9月28日に行われた市長選に立候補し、初当選。名古屋市初の革新系市長が誕生する。

1959年(昭和34年)の伊勢湾台風では超大型台風の襲来に備えて名古屋市内の守山駐屯地に集結して出動準備を整えていた陸上自衛隊に対して災害派遣の拒否を通知して初動対処を阻害して犠牲を拡大したが、その事実が発覚したのは本人没後で、名古屋市民には被害復旧を陣頭指揮する姿だけが目に映っていた。

1960年(昭和35年)9月18日に行われた市長選で自民党前衆議院議員の辻寛一らを破り3期目の当選を果たすが、10月13日に名古屋市立大学病院に入院。1961年(昭和36年)3月16日、公務に復帰することなく同病院で動脈硬化症により死去。78歳没。同日付で勲三等瑞宝章を受章した。

1951年(昭和26年)4月23日執行。現職の塚本三に558票差で敗れる。

※当日有権者数:559,412人 最終投票率:78.08%(前回比:+14.04pts)

1952年(昭和27年)9月28日執行。前助役の手島博章らを破り初当選。

※当日有権者数:629,103人 最終投票率:61.10%(前回比:−16.98pts)

1956年(昭和31年)9月26日執行。尾張徳川家の徳川義親らを破り再選。

※当日有権者数:773,031人 最終投票率:59.64%(前回比:−1.46pts)

1960年(昭和35年)9月18日執行。自民党は前衆議院議員の辻寛一を候補者に立て、池田勇人首相が応援演説に入った。社会党委員長の浅沼稲次郎と民社党初代委員長の西尾末広は一旦手を結び、小林を支援するため名古屋入りした。第29回衆議院議員総選挙の前哨戦と言われたこの年の市長選で小林は辻に3万9千票の差を付け、3選を果たした。

※当日有権者数:889,547人 最終投票率:59.89%(前回比:+0.25pts)

小林は、戦災で焼け野原となった都心部に、世界に例のない巨大道路群を建設し、一時橘川道路と呼ばれた。手始めに名古屋城南側、官庁街に沿い片側50m(当初片側6車線)の道久屋大通(100m道路)を築き、これを基準に若宮大通、伏見通、桜通、錦通広小路通なども拡張され、世界有数の道路優先都市ができた「名古屋都市計画史 上巻」(名古屋市建設局編 名古屋市建設局 1957年)。名古屋の道路面積割合は札幌市と並んで全国トップクラス。

1957年(昭和32年)11月15日、名古屋市営地下鉄東山線名古屋駅 - 栄町駅(現在の栄駅)間 (2.4km)で開業した(小林在職中池下駅まで延伸)。

名古屋城天守閣を再建した。燃えない城を築いて郷土の博物館としたらよいのではという再建賛成論を踏まえ、1955年(昭和30年)に名古屋城再建準備委員会を設置。復興名古屋城は1959年(昭和34年)10月に完成した。

小林は初当選した直後から市長室を開放した。秘書室を通さず市民を市長室に入れた名古屋市長は後にも先にも例がない。当時、年末になると臨時労働者がよく市役所に押しかけたが、小林は「市長室と廊下に座れるだけ入れたれ」と命じ、一人ひとりの頭をなでて歩き、ポケットマネーを与えたりした。

「教育勅語郷土のほまれ」(藤綱藤太郎共著 星野文星堂 1913年)NDLJP:911136

「農人生活」(成美堂他 1915年)

「教育勅語郷土の精華」(藤綱藤太郎共著 星野文星堂 1915年)

「唯物史観の崩壊」(極光社 1925年)NDLJP:1021312

「柳田茂十郎」(名古屋新聞社 1929年)

「橘川文集」(名古屋新聞社 1934年)NDLJP:1232574

「南朝落花の賦」(教育思潮研究会 1935年)NDLJP:1225275

「豊太閤 随筆」(春秋社 1935年)NDLJP:1179112

「鄭浜子」(愛国婦人会愛知県支部 1937年)

「成人教育叢書 第2輯」(香川書店 1937年)

「興隆日本への教育」(香川書店 1937年)

「支那 随筆」(教育思潮研究会 1943年)NDLJP:1270092

「藍川清成」(1953年)

「新三階の窓」(旬刊評論社 1961年)

「多門寺」:滋賀県野洲市北桜

「伊勢湾台風殉難者追悼之碑」(名古屋市長小林橘川謹書 昭和35年9月26日建):名古屋市南区天白町大泉寺

「小林橘川胸像 平和公園の千手観音堂」:名古屋市千種区

^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、238頁。

^ 滋賀県百科事典刊行会『滋賀県百科事典』大和書房、1984年1月。ISBN 978-4479900122。 

^ 「国文学(43) 1968年3月」 P49「葉山嘉樹と名古屋労働者協会-資料紹介「街路に立ちて」「神戸労働争議エビソート」」(関西大学国文学会)

^ 「総合ジャーナリズム研究18(4) 1981年10月」 P114「小林橘川と「名古屋新聞」-戦時下、ある自由主義ジャーナリストの敗北 門奈直樹」(総合ジャーナリズム研究所編 東京社)

^ 池田辰二編 『静黙の人 小林橘川を偲ぶ』財界名古屋出版部、1963年1月8日、578-583頁。

^ 中日新聞社会部編『あいちの政治史』中日新聞本社、1981年10月29日、135-136頁。 

^ 桑原幹根 『桑原幹根回顧録 知事二十五年』毎日新聞社、1979年2月1日、105頁。

^ 『中部日本新聞』1960年9月20日付朝刊、1面、「小林新市長にきく 織田本社編集局長 名古屋市政への抱負」。

^ 「広報なごや」1961年4月5日号。

^ 『名古屋の選挙40年の記録』名古屋市選挙管理委員会、1988年3月25日、576-577頁。

^ “中日ニュース No.349_3「名古屋市長に小林氏」(昭和35年9月)”. 中日映画社. 2019年9月27日閲覧。

^ 現代 | 名古屋城の歴史 | 知る | 名古屋城公式ウェブサイト

^ 年表 | 名古屋城の歴史 | 知る | 名古屋城公式ウェブサイト

^ 中日新聞社会部編『あいちの政治史』中日新聞本社、1981年10月29日、140頁。 

池田辰二編 『静黙の人 小林橘川を偲ぶ』財界名古屋出版部、1963年1月8日。

「実業の世界 50(14) 1953年」 P34「名古屋市長小林橘川君の左傾思想を駁す 野依秀市」(実業之世界社)

「月刊フォーラム9(7) 1997年7月」 P86「名古屋の言論人・小林橘川のこと 鈴木正」(フォーラム90s編 社会評論社)

「総合ジャーナリズム研究18(4) 1981年10月」 P114「小林橘川と「名古屋新聞」-戦時下、ある自由主義ジャーナリストの敗北 門奈直樹」(総合ジャーナリズム研究所編 東京社)

加藤千一1954.6.1-1955.2

黒田毅1955.2-1963.2.14

吉田禄在1878.12.20-1888.11

服部直衡1888.11-1889

中村修1889.12.17-1890.9.11

志水忠平1890.11.6-1894.2.12

柳本直太郎1894.2.28-1897.6.26

志水直1897.7.19-1901.12.2

青山朗1901.12.27-1906.4.12

加藤重三郎1906.6.27-1911.7.3

阪本釤之助1911.7.4-1917.1.23

佐藤孝三郎1917.7.3-1921.7.2

大喜多寅之助1921.7.2-1922.2.2

川崎卓吉1922.4.1-1924.6.11

田阪千助1924.9.25-1927.8.1

大岩勇夫1927.8.1-1938.12.5

縣忍1939.1.10-1942.1.6

佐藤正俊1942.2.21-1946.11.1

塚本三1947.2.21-1952.8.25

小林橘川1952.9.28-1961.3.16

杉戸清1961.4.28-1973.4.27

本山政雄1973.4.28-1985.4.27

西尾武喜1985.4.28-1997.4.27

松原武久1997.4.28-2009.4.27

河村たかし2009.4.28-2024.10.15

VIAF

日本

名古屋市長

在任中に死去した市町村長

20世紀日本のジャーナリスト

日本の男性ジャーナリスト

浄土宗の僧

滋賀県出身の人物

名古屋新聞社の人物

中日新聞社の人物

公職追放者

勲三等瑞宝章受章者

1882年生

1961年没

プロジェクト人物伝項目

2024/11/21 16:28更新

kobayashi kissen


小林橘川と同じ誕生日10月1日生まれ、同じ滋賀出身の人

田島 俊雄(たじま としお)
1965年10月1日生まれの有名人 滋賀出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 田島 俊雄(たじま としお、本名:田島 敏雄(読み同じ)、1965年10月1日 - )は、日本の滋賀県長浜市出身の元プロ野球選手(投手…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


小林橘川と近い名前の人

小林 美樹_(ヴァイオリニスト)(こばやし みき)
1990年7月21日生まれの有名人 出身

小林 美樹(こばやし みき、1990年7月21日 - )は、日本のヴァイオリニスト。 アメリカ合衆国テキサス州サンアントニオ生まれ。4歳のときに石塚千恵に師事し、ヴァイオリンをはじめる。2000年に…

小林 美樹_(アナウンサー)(こばやし みき)
1958年3月25日生まれの有名人 山形出身

小林 美樹(こばやし みき、1958年3月25日 - )は、山形県新庄市出身の歌手、フリーアナウンサー。 1973年 - 9月2日放送の『スター誕生!』で合格、12月30日放送の第9回決戦大会でも合…

小林 経旺(こばやし つねお)
1926年1月1日生まれの有名人 長野出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 小林 経旺 (こばやし つねお、1926年1月1日 - 生死不明 )は、長野県出身の元プロ野球選手(投手)。 1948年の登録名は小…

小林 泉美_(歌手)(こばやし いずみ)
1957年3月25日生まれの有名人 千葉出身

小林 泉美(こばやし いずみ、1957年3月25日 - )は、日本のシンガーソングライター、キーボーディスト、音楽プロデューサー、実業家。千葉県船橋市出身、東京音楽大学ピアノ科卒業。MIMI名義でも活…


小林 泉美_(棋士)(こばやし いずみ)
1977年6月20日生まれの有名人 東京出身

小林 泉美(こばやし いづみ、1977年(昭和52年)6月20日 - )は、日本棋院所属の囲碁の女流棋士。小林光一名誉三冠門下。東京都出身。タイトル10期。 女流棋士初の女流タイトルグランドスラム達…

小林 弘明_(アナウンサー)(こばやし ひろあき)
1933年6月20日生まれの有名人 東京出身

6月20日生まれwiki情報なし(2024/11/23 12:08時点)

小林 弘明_(実業家)(こばやし ひろあき)
1968年8月5日生まれの有名人 愛知出身

小林 弘明(こばやし ひろあき、1968年8月5日 - )は、日本の経営者。パロマ社長、会長を務めた。愛知県名古屋市出身。 1992年に青山学院大学経営学部を卒業し、同年にパロマに入社した。1999…

小林 孝至_(ミュージシャン)(こばやし たかし)
1965年12月26日生まれの有名人 山梨出身

小林 孝至(こばやし たかし、1965年12月26日 - )は、日本のギタリスト、ミュージシャン、作曲家、作詞家、編曲家、音楽プロデューサー。 1986年、宮沢和史、山川浩正、栃木孝夫らと共にTHE…

小林 哲也_(帝国ホテル)(こばやし てつや)
1945年6月23日生まれの有名人 新潟出身

小林 哲也(こばやし てつや、1945年6月23日 - )は、日本の経営者。帝国ホテル社長、会長を務めた。 新潟県出身。1969年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年3月に帝国ホテルに入社した。199…


小林 哲也_(近畿日本鉄道)(こばやし てつや)
1943年11月27日生まれの有名人 大阪出身

小林 哲也(こばやし てつや、1943年〈昭和18年〉11月27日 - )は実業家。近鉄グループホールディングスの取締役相談役および近畿日本鉄道取締役(近鉄社長としては大阪電気軌道創立から15代目)。…

小林 史明_(陸上選手)(こばやし ふみあき)
1974年12月10日生まれの有名人 三重出身

小林 史明(こばやし ふみあき、1974年12月10日 - )は、日本の陸上競技選手。男子棒高跳の前日本記録保持者である。ベスト記録は5m71。 三重県出身。鈴鹿市立白子中学校時代に全日本中学校陸上…

小林 千恵_(女優)(こばやし ちえ)
1977年3月26日生まれの有名人 千葉出身

小林 千恵(こばやし ちえ、本名:左東 千恵、1977年3月26日 - )は、日本の舞台女優。演劇集団キャラメルボックス所属。千葉県出身。身長148.6cm。血液型はA型。 千葉県立船橋二和高等学校…

小林 豊_(実業家)(こばやし ゆたか)
1951年3月2日生まれの有名人 静岡出身

小林 豊(こばやし ゆたか、1951年(昭和26年)3月2日 - )は、日本のテレビディレクター、テレビプロデューサー、実業家。フジテレビジョン、フジ・メディア・ホールディングス取締役、テレビ静岡社長…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
小林橘川
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

XOX SUPER★DRAGON キャンディzoo MAGiC BOYZ amorecarina Chelip DISH// Splash! OCTPATH なにわ男子 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「小林橘川」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました