小橋健太の情報(こばしけんた) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
小橋 健太さんについて調べます
■名前・氏名 |
小橋健太と関係のある人
高木渉: なつきクライシス(小橋健太) 川田利明: 1995年度プロレス大賞 年間最高試合賞(6月9日日本武道館、世界タッグ選手権試合、川田利明&田上明 vs 三沢光晴&小橋健太) 三沢光晴: 1993年、最優秀タッグチーム賞(パートナーは小橋健太) 秋山準: 1992年9月17日、秋山は後楽園ホールのセミファイナル(45分1本勝負)・小橋健太戦でデビューした。 三沢光晴: 三沢は川田利明、小橋健太らと共に超世代軍を結成。 三沢光晴: 1995年、年間最高試合賞(川田利明&田上明 vs 三沢光晴&小橋健太) 三沢光晴: 1994年、最優秀タッグチーム賞(パートナーは小橋健太) 武藤敬司: 小橋健太とタッグを組んで飯塚高史・矢野通組と対戦、小橋と共にムーンサルトプレスを披露した。 ジョニー=エース: アジアタッグ王座:2回(w / 小橋健太) ラッシャー木村: 既に50歳を過ぎていたが、超世代軍の三沢光晴、川田利明、小橋健太と対戦し往年の激しいプロレスを展開した。 ジョニー=エース: 世界タッグ王座:4回(w / 小橋健太×2、マイク・バートン、スティーブ・ウィリアムス) 三沢光晴: 1997年、殊勲賞、年間最高試合賞(三沢光晴 vs 小橋健太)ダブル受賞 スコット=ビガロー: 同年6月には全日本プロレスにも5試合のみ参戦し、デイビーボーイ・スミスと組んでのテリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムスとの対戦や、スタン・ハンセンとのタッグチーム(三沢光晴&小橋健太に勝利)も実現。 三沢光晴: 4月 - 岡山武道館にて小橋健太をパートナーにカンナム・エクスプレスの持つアジアタッグ王座に挑戦し勝利。 宮原健斗: 同年の世界最強タッグでは、再び青柳とのコンビで出場し練習と試合以外では会わない「ビジネスタッグ」を自称しながらも優勝を飾り、1998年・1999年大会を連破した小橋健太&秋山準組以来22年ぶりとなる史上5組目の2連覇を達成した。 新崎人生: 同年9月6日には、ハヤブサとのコンビで、タッグマッチではあるが小橋健太と対戦。 三沢光晴: 1998年、年間最高試合賞(三沢光晴 vs 小橋健太) ジョニー=エース: 以降も全日本の常連外国人レスラーとして、小橋健太、スティーブ・ウィリアムス、マイク・バートン、スタン・ハンセンらとコンビを組んで活躍。 山本純也: 実況を担当した試合の中で特に有名なのが、1997年1月20日に大阪府立体育会館で開催された、三沢光晴対小橋健太(現・小橋建太)の三冠ヘビー級選手権試合である。 |
小橋健太の情報まとめ
小橋 健太(こばし けんた)さんの誕生日は1967年3月27日です。京都出身の格闘家
プロレスのようです。
結婚、引退、テレビ、趣味、兄弟、母親、映画に関する情報もありますね。今年の情報もありました。小橋健太の現在の年齢は57歳のようです。
小橋健太のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)小橋 建太(こばし けんた、1967年〈昭和42年〉3月27日 - )は、日本の元男性プロレスラー。本名及び旧リングネームは:小橋 健太(読み同じ)。京都府福知山市出身。血液型B型。 全日本プロレス及びプロレスリング・ノアに所属。 全日本プロレスの運営会社・全日本プロ・レスリングの取締役、プロレスリング・ノアの運営会社・株式会社プロレスリング・ノアの取締役、取締役副社長を歴任し、2013年に個人事務所「Fortune KK」を設立して代表取締役となった。 1990年代後半から2000年代を代表するプロレスラーの1人で、東京スポーツ主催のプロレス大賞、日刊スポーツMVPなど、多くの受賞経験を持つ。 リングネームは全日本プロレス所属まで本名の「小橋健太」だったが、2000年にノアが創設されたのを機に、新しい自分と新しい団体を建てるという意味を込めて「小橋建太」に改名。 2006年7月18日の高山善廣復帰戦に際し、小橋と高山がタッグを組むことで話題を集めたが、2006年6月29日、精密検査で腎臓癌が見つかり、手術・治療のため長期欠場。7月に腹腔鏡下手術を行い、無事成功。189日後の12月10日の日本武道館大会に姿を見せ近況を報告。2007年10月27日の日本武道館大会に姿を見せて、復帰戦の対戦カードを自ら発表。そして12月2日の日本武道館大会で、546日ぶりとなるリングに復帰した。2008年の上半期は会場限定で出場を行い、2月26日にデビュー20周年記念試合が行われた。その後、海外遠征やイベント、単発興行にも出場。8月シリーズより全戦出場を果たしたが、9月9日に右腕遅発性尺骨神経麻痺、両肘関節遊離体により再び欠場、手術を行った。欠場中も、サイン会、撮影会、トークショーには参加していた。2009年3月1日の日本武道館大会で176日ぶりに復帰し、復帰戦では勝利を収めた。2010年1月5日に肘部管症候群によりシリーズ欠場を発表した。 2010年6月21日、同年秋に演歌歌手のみずき舞と結婚することを発表。同年10月2日に挙式。 2011年6月13日、三沢光晴メモリアルナイトが行われた、大阪府立体育会館第二競技場大会の前半戦終了後リングに姿を現し、翌月7月23日に大阪府立体育会館で行われる「GREAT VOYAGE 2011 in OSAKA」大会での復帰を発表した。 2012年2月19日、仙台サンプラザホールでの東日本大震災復興支援チャリティープロレス「ALL TOGETHER 〜もう一回、ひとつになろうぜ〜」の試合中、左脛骨骨折と右膝内側側副靭帯損傷ならびに右脛骨挫傷を発症し、欠場に入る。 同年12月9日、現役からの引退を表明した。2013年5月11日、日本武道館で開かれた引退興行「FINAL BURNING」にて、引退試合を行った。 2014年6月8日、自身のプロデュース興行「Fortune Dream 1」を開催。12月10日、後楽園ホールで「Fortune Dream 2」を開催した。以降、「Fortune Dream」を定期開催している。 2014年11月1日、現役時代に培ったプロレス流トレーニングを“日本の健康作り”と題して協栄グループと開発。 一般向けにアレンジしたトレーニングメソッドを「小橋建太監修プロレスエクササイズチャレンジ」(略:K-PEC)と題し横浜市緑区、協栄スポーツクラブ十日市場のスタジオにて開講。プロレス流トレーニングにて人々の健康作りを行っている。 2015年5月11日、プロボクサー兼モデルの高野人母美とともに尚美学園大学総合政策学部ライフマネジメント学科の講師に就任し、6月より2016年3月まで月1回の割合で教壇に立つことが発表された。同年8月12日、第1子となる女児が誕生したことを妻の所属事務所を通じて発表した。 2019年より世田谷区等々力で24時間制スポーツジムの経営を始める。 1967年3月27日 - 京都府福知山市で生まれる。本名の由来は「太陽のように健康に」と著書に書かれている。 1982年4月1日 - 京都府立福知山高等学校入学。 1985年4月1日 - 京セラに入社。 1987年2月14日 - プロレスラーになるため京セラを退職。一度書類審査で落ちるも、通っていたジム会長の紹介で6月に全日本プロレスへ入門。
1988年2月26日 - 滋賀・栗東町(現・栗東市)の栗東町民体育館大会にて、大熊元司戦で本デビュー。 1989年3月27日 - ジャイアント馬場と組んで、フットルース(川田利明、サムソン冬木)の持つアジアタッグ王座に挑戦。デビューから1年でのタイトル初挑戦、またそのパートナーがジャイアント馬場であることが話題となった。 1990年4月9日 - 二代目タイガーマスク(三沢光晴)と組んで、初のベルトであるアジアタッグ王座を獲得。 1993年12月3日 - 三沢と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦初優勝、第24代世界タッグ王者に就く(初戴冠)。 1994年12月10日 - 三沢と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦連覇、第25代世界タッグ王者に就く。 1995年12月9日 - 三沢と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦史上初の3連覇。 1996年7月24日 - 田上明を破って第16代三冠ヘビー級王者に就く(初戴冠)。 1997年5月 - ジョニー・エース、パトリオットとユニットGETを結成。 1997年9月28日 - FMWの川崎球場大会に出場。マウナケア・モスマンと組んでハヤブサ、新崎人生組に勝利。初の他団体参戦となる。 1998年6月12日 - 川田利明を破って第19代三冠ヘビー級王王座戴冠、勝利インタビューで「新時代宣言」を提唱。
1999年5月2日 - ジャイアント馬場死去後の全日本プロレス新役員体制が発表され、小橋は取締役に就任。 2000年2月27日 - ベイダーを破り第25代三冠ヘビー級王者に就く。勝利インタビューで再び「新時代宣言」を行う。
6月15日 - 取締役を辞任し全日本を退団し、三冠ヘビー級王座を返上。翌日に新団体「プロレスリング・ノア」へ移籍を発表し、取締役に就任。同時に膝の手術で入院。 8月5日 - ノア旗揚げ戦。オレンジに紺の模様が入ったタイツ、シューズで登場。翌日、秋山にシングルで初めて敗れる。 10月7日 - この日からコスチュームを黒にグレーの模様を入れたタイツ、フード付きガウンで登場するようになる。 12月23日 - ノア初のビッグマッチとなる有明コロシアム大会にて、秋山とメインイベントでシングルマッチを行う。 2001年1月18日 - この日を最後に膝の手術とリハビリのため欠場。
2002年2月17日 - 日本武道館大会にて、秋山、永田裕志組戦(パートナーは三沢)で395日ぶりにリング復帰。タイツの模様を紫色に変更した。しかし、試合で左膝前十字靱帯不完全断裂を負い、全治4か月と診断。再び欠場。
7月26日 - 浅子覚の引退試合(代々木第二体育館大会)。一夜限りの超世代軍復活でオレンジタイツを使用。 2003年3月1日 - 三沢の保持するGHCヘビー級王座に挑戦。タイトルマッチにおける対三沢戦初勝利を達成し、第6代GHCヘビー級王者に就く。以後、2年間王座を保持し13度の防衛に成功。
6月6日 - 本田多聞と組み第6代GHCタッグ王者に就く(初戴冠)。 7月10日 - ノア初の東京ドーム大会となる東京ドーム大会にて、メインイベントで秋山とGHCヘビー級タイトルマッチ(防衛)。 2005年7月18日 - ノア二度目の東京ドーム大会にて、佐々木健介とシングルマッチで対戦。壮絶な「剛腕対決」を制す。
2006年6月4日 - 本田と組み第12代GHCタッグ王者に就く(2度目の戴冠)。
7月6日 - 5時間半に渡る腹腔鏡による右腎臓摘出手術を行い、無事成功。 7月27日 - 退院。病院には10万羽の千羽鶴と1000通の激励メールが届く。 2007年1月20日 - 両膝の手術を行う。
12月2日 - 日本武道館大会にて、三沢、秋山組戦(パートナーは高山善廣)で546日ぶりのリング復帰を果たした。 2008年2月26日 - 京王プラザホテル八王子5階ホール大会にて、デビュー20周年記念特別試合が行われた。
2009年3月1日 - 井上雅央戦で176日ぶりの復帰戦を第1試合で行う。これに勝利。
7月6日 - 田上明を社長とする新役員体制が発表され、取締役副社長に昇任。 8月30日 - 小島聡の呼びかけにより9年ぶりに全日本に参戦。 9月27日 - 三沢光晴追悼興行(日本武道館)にて、武藤敬司とタッグで初対決を行い、勝利。 10月12日 - 蝶野のデビュー25周年記念試合で、蝶野、武藤とトリオを結成して勝利を飾った。 2010年1月5日 - 肘部管症候群によりシリーズ欠場。
2011年6月13日 - 三沢光晴メモリアルナイトの前半戦終了後リングで復帰を発表。
8月26日 - 東北大震災チャリティー興行「ALL TOGETHER」で、武藤敬司とタッグを結成する。 9月29日 - 任期満了につき取締役副社長を退任。 2012年2月19日 - 東日本大震災復興支援チャリティープロレス「ALL TOGETHER 〜もう一回、ひとつになろうぜ〜」で再び武藤とタッグを組み勝利するも、試合中に左脛骨骨折と右膝内側側副靭帯損傷ならびに右脛骨挫傷を発症、再び長期欠場に入る。
2013年3月17日 - 全日本両国大会に来場。この時、PWF会長だった馳浩が、会長の退任を告げるとともに後任として小橋を第4代会長に任命する。この時点では前向きではあったが、引退後に回答するとして承諾は保留。結局、体制の混乱も影響して就任せず(小橋本人曰く「正式なオファーは頂いてなかった」)、ドリー・ファンク・ジュニアが就任。
9月8日 - WRESTLE-1旗揚げ戦にてGAORAの解説者Xとして登場。引退後初のプロレス解説となった。 12月20日 - この日収録が行われたFIGHTING TV サムライ「VERSUS」にて武藤敬司からW-1スカウト部長に指名され、前向きな回答を出した。 2014年2月14日 - 自身がプロデュースする興行「Fortune Dream1」を6月8日に後楽園ホールで開催すると発表。 「Big Match Version」…「GRAND SWORD」のスローバージョンを合体。全日本時代に使われた。 「Version III」…「バーニング」のテーマ曲を合体。ノア旗揚げ翌日の秋山戦でも使われた。 「NOAH Version」…「Big Match Version」に効果音を加えたもの。ノア旗揚げ戦から、長期欠場する2001年まで使われた。 「Full Size Version」…2002年2月17日に復帰してから、2003年3月1日のGHC選手権三沢戦まで使われた。その後、GHCヘビー級王座喪失後の2005年7月18日の佐々木健介戦(東京ドーム)から、また一から出直すという意味を込めてこの曲に戻し、引退まで使用した。 小細工を使わずにひたすら相手の技を受けてチョップ、ラリアット、スープレックスで試合を作る。数ある技の中で、フィニッシュ・ホールドとして使用されたことが多かったものはラリアットである。大一番に限りバーニング・ハンマーがフィニッシュとなることも多かった。 癌闘病からの復帰後はフットワークの衰えが顕著となり、よりチョップを主体とした動きの少ないファイトスタイルとなった。 第16代・第19代・第25代三冠ヘビー級王座 第24代・第25代・第32代・第34代・第36代・第40代世界タッグ王座(パートナーは三沢光晴→ジョニー・エース→秋山準で各2回ずつ)。 第51代・第53代・第59代アジアタッグ王座(パートナーはタイガーマスク→ジョニー・エース→菊地毅) 新春ヘビー級バトルロイヤル(優勝1回/1993年) チャンピオン・カーニバル(優勝1回/2000年) 世界最強タッグ決定リーグ戦(優勝5回/1993年・1994年・1995年・1998年・1999年) 第6代GHCヘビー級王座 第9代GHC無差別級王座 第6代・第12代GHCタッグ王座(パートナーは2回とも本田多聞) 1989年 新人賞 1993年 殊勲賞、最優秀タッグチーム賞(&三沢光晴)…ダブル受賞 1994年 技能賞、最優秀タッグチーム賞(&三沢光晴)…ダブル受賞 1995年 年間最高試合賞(6/9日本武道館、世界タッグ選手権、三沢光晴&小橋健太VS川田利明&田上明) 1996年 最優秀選手賞 1997年 年間最高試合賞(10/21日本武道館、三冠ヘビー級選手権、三沢光晴VS小橋健太) 1998年 最優秀選手賞、年間最高試合賞(10/31日本武道館、三冠ヘビー級選手権、小橋健太VS三沢光晴)…ダブル受賞 1999年 最優秀タッグチーム賞(&秋山準) 2003年 殊勲賞、年間最高試合賞(3/1日本武道館、GHCヘビー級選手権、三沢光晴VS小橋建太)…ダブル受賞 2004年 年間最高試合賞(7/10東京ドーム、GHCヘビー級選手権、小橋建太VS秋山準) 2005年 年間最高試合賞(7/18東京ドーム、小橋建太VS佐々木健介) 2007年 カムバック賞、年間最高試合賞(12/2日本武道館、三沢光晴&秋山準VS小橋建太&高山善廣)…ダブル受賞 2011年 年間最高試合賞(8/27日本武道館、小橋建太&武藤敬司VS矢野通&飯塚高史) 2013年 特別功労賞
練習内容、試合態度
全日本時代、小橋の試合を解説していた川田が「あいつを殺すには刃物は要らない。ダンベルを取り上げればいい」と発言したことがあり、彼の練習好きを端的に表す名言として知られている。全日本での若手時代に、異常とも思える小橋の練習熱心さを見て「馬鹿じゃないのか」と嘲笑した中堅選手たちに対し、当時既にトップレスラーだった天龍源一郎が「おまえら笑ってるけどな、今にこいつに食わせてもらう日が必ず来るぞ」と言ったことも有名である。 1997年1月20日、大阪府立体育会館での三沢を挑戦者として迎える三冠戦前日、小橋は母親に電話をかけ「俺が死んでも三沢さんを恨まないでくれ」と伝えた。試合後はスポーツ番組へ2人とも生出演する予定だったが、小橋は病院へ直行したため、結局番組は三沢のみの出演となった。 観客やマスコミの前で弱みを見せることが殆ど無い。唯一長期離脱に入る直前の2001年1月18日を除いては、テーピングした膝を絶対にマスコミに撮らせなかった。2006年2月11日の「佐々木健介デビュー20周年記念試合」(後楽園ホール)にて、天龍の椅子攻撃により唇から歯が突き抜け大量の血が流れたが、試合途中に焦って駆けつけ治療しようとするトレーナーの浅子覚を笑顔で制し、触らせなかった。試合後も用具を持ってリング上までやって来た浅子を止め、勝ち名乗りとほぼ全選手による記念撮影まで参加し、最後まで観客の見える所では治療を受けなかった。 2004年、2005年の東京ドーム大会ではどちらも壮絶な試合を繰り広げたものの、翌日から元気にトレーニングを開始している。2004年から2005年にかけて東京スポーツ新聞の一面企画として特訓シリーズを開始。ゲーセン特訓、北海道蟹特訓など常軌を逸したトレーニングを行った、2005年の東京ドーム大会で佐々木健介とのシングルマッチを行った翌日には、「肉体的にはやっぱりキツイけど、翌日にフリーの佐々木選手は試合があるとレフェリーの西永秀一に聞いたので、負けられないと思って道場に来た。でも、練習を始めた頃に西永が走ってきて『佐々木選手は試合がありませんでした』と言うもんだから、仕方がないから練習して帰った」そうである。一方の佐々木健介は小橋との試合で興奮したためか、試合後の控え室で早速チューブトレーニングや腕立てに励んでいた。 若手時代に全日本のお家騒動で海外修行へ行けなかったため、海外での試合に強く憧れていた。2005年、GHCを失ったことから身軽になった小橋は海外での試合を訴えるようになる。同年9月20日、遂にアメリカに渡った。アトランタからセントルイスに向かう飛行機内では(許可を得た後)上半身裸でトレーニングを開始し女性乗務員に「グレートマッスル!!」と驚かれていたが、同性愛者と思われる男に股間を触られ、流石の小橋もこれには堪えかねたか「アメリカは怖いね…」と呟いた。しかし、目的地につくと午後11時にもかかわらず、開口一番「ジム開いてないの?」と言ってのけた。 2006年、腹腔鏡下手術からしばらくした後、8月に医師から許可が出てリハビリを開始したが、そのリハビリとはウエイトトレーニングのことであった。一般にウエイトトレーニングはプロレスの練習の一つとして捉えられているが、小橋本人にとっては、受身やスパーリングができるようになった段階でプロレスの練習を再開できたという認識のようである。手術後100kg近くまで落ちた体重は、リハビリと術後経過による食事制限の緩和によって徐々に元の体重(115kg前後)に戻っていた。 入院した際に、三沢は「病室にダンベルを持ち込ませるなよ」と全選手に命令を下していたと言われている。 2009年6月14日、対戦相手に合計126発のチョップを披露。三沢光晴への追悼とした。 負け惜しみや悪口、大口を叩くなどということは一切無縁である。小橋と対戦経験のある鈴木みのるは、「俺に挑発されたレスラーは大抵ムキになって言い返すけど、そうすると向こうの印象が悪くなるだけだし、大体口で俺に勝てるわけがねぇ。でも小橋はそういうことが無い。あいつこそ真のベビーフェイスだ」と、小橋を評価している。 GHC王者だった時には、ベルトを綺麗に磨き、ベルトと会話するのが日課であり、ベルトを持参したファンとの撮影会の翌日にもかかわらず、ピカピカに磨かれたベルトを見て付き人だったKENTAや潮崎豪は大変驚いていた。 ファンサービスが丁寧であることも知られている。どんな状況でも必ず笑顔でサインをし、断ることはほとんど無い。小橋自身が幼少期、新日本プロレスを観戦に行き、スター選手だった藤波辰巳にサインを求め、快くサインをしてもらったという思い出があり、デビュー時からファンを非常に大切にしている。また中学生時代、全日本の試合会場でダイナマイト・キッドへサインを求めるも、キッドに色紙を投げ捨てられたことがあり、これが反面教師となった。倉持明日香は小橋の大ファンであり、2009年5月27日・6月10日・8月5日放送分の『AKBINGO!』で小橋に関する逸話を直筆の紙芝居で熱弁する「小橋の小話」を披露したのを知ると、8月5日放送で小橋自らVTRで出演し、倉持に「今度試合に招待します」とメッセージを送った。後日、小橋は約束通り倉持を試合に招待し、さらに「明日香ちゃんへ」と書いた小橋のサイン入りTシャツを贈った。 2006年6月24日に小橋は右腎臓に腫瘍があると告知をされていたが、翌日福島で行われたファンクラブイベントのバーニング杯ボウリング大会に参加した。いつもと変わらぬ様子で、後に欠場が発表される7月の高山復帰戦への応援に対しても「おう、ありがとう!」と応えていたというが、担当医師からは試合への出場は絶対不可、一日でも早い入院を、と厳しく言われていた。後に同じくイベントに出ていた菊地毅は、心中の動揺を全く感じさせなかった小橋の様子を振り返り「小橋選手の生き様ってものを見せられた」と語っている。 かなりの汗っかきであり、バラエティ番組等に出演した際、周りは汗一つかいてないにもかかわらず小橋だけが滝のような汗を流していることが多い。トークショー等では黒い扇子を持参し、汗をかき始めるとその扇子で自分の顔を扇いでいる。また、全日本時代のファンクラブ主催のハワイ旅行では、当時、入門二年目だった秋山準とホテルで同室になり、小橋が一晩中14度に設定したクーラーを入れっ放しにしていたため、秋山は「先輩だから文句は言えないし、毛布をかぶっていても耐えきれなかった。冷凍庫の地獄のようだった」と証言している。 プロレスリング・ノア中継で番組最後に行われたDVDのプレゼント告知を担当した際、数秒の告知でNGを10回以上も出したほどのアガリ性であり、結局オンエアされたものも棒読みであった。全日本時代はファッションに無頓着であり、Tシャツにダボダボのスウェット姿やジャージ姿でいることが殆どであった。ノアに移籍して以降はテレビへの露出が増加したこともあり服装にも気を使っているようであるが、その殆どがグレーのポロシャツもしくはTシャツである。「他に洋服を持っているのか?」との疑問も聞かれる。なお、全ての全日本所属選手がTシャツを必ずズボンに入れていたのは馬場の教えである。 2003年に「プロレス大賞でMVPをとった時のために」と白い和服を仕立ててもらっているが、結局MVPは取れておらず試着以降袖を通していない。 全日本時代の1996年よりみずき舞と交際していた。しかし、長らく結婚をせず、2006年の誕生日では「ベルトが恋人だから結婚の予定はない。今後するつもりもない」と生涯独身を断言したが、同年5月にKENTAが入籍を発表してから、「最近のKENTAの調子のよさは内助の功もあるのかな」と、結婚に対しての興味を見せていた。雑誌等で必ず小橋をネタにする秋山は、小橋の妻になる条件として「小橋さんが4時半に起きると言うことは、カミさんは3時半に起きて飯の準備しなくちゃいけない。また、エアコンの温度は16度」と語っている。みずきに腎臓がんを伝えた際に彼女からプロポーズされたが、その時は「自分の事だけでもどうなるかわからないのに、全てを背負う事はできない」として断っている。しかし、2007年にリング復帰を果たしてがんを克服したのを機に心境が変化し、改めてみずきにプロポーズ、ついに2010年に結婚した。 田上明とは仲が良く、公の場では彼のことを「AT」と呼ぶ(5つ年上のため、プライベートでは「田上さん」と呼んでいる)。大舞台で田上とタッグを組むことになる度に小橋は数日間通しての泊りこみ特訓を提案するが、田上の趣味である釣りで海上に逃げられたりしている。 全日本時代は整髪料で固めた髪形がトレードマークで、田上に「棒で叩いたら棒の方が割れるほど固い」と言われた際には、スポーツ刈りが伸びかかった田上の頭を指差し「田上さんだって美川憲一みたいな髪型してるじゃないですか」と返している。 無類の競馬好きであり、中央競馬に限らず地方競馬にも積極的に投資している。2004年のJBC競走(大井競馬場で開催)では同レースを制したアドマイヤドン鞍上の安藤勝己騎手へのプレゼンターを務めた後、最終レースまで観戦し、最終レース終了後に今までの的中馬券を大量に換金している。2013年8月4日に小倉競馬場で開催された小倉記念では同レースを制したメイショウナルト鞍上の武豊騎手へのプレゼンターを務めた。 愛読誌は「週刊漫画TIMES」(芳文社)。 なぜか動物や子供に敬遠される人間のようで、2005年に秋山と共にイギリスへ渡った際は、本来人間慣れしている公園のリスに逃げられ、ファンイベントで母親から赤ちゃんを手渡された途端泣き出されてしまっている。2006年の「北海道馬特訓」では馬が近づいてきたことへ大いに感動していた。 カラオケの十八番は、CHAGE and ASKAのモーニングムーン。秋山によると、機嫌が良かったり酔っ払った時には必ず選曲するらしい。全日本プロレス中継のエンディングテーマでも一度だけ流れたこともある。 左目の下に泣きぼくろがある。 CHARCOAL FILTERのベストアルバム『C☆BEST+Flying Hi-High』のCMに出演しており、真っ暗なトレーニング場でダンベル片手に「だーめーなじぶんをーあいせはしないー」と歌うという非常にシュールな姿を見せてくれている(特設ページ。CM映像あり)。また、プロレス好きを公言しているSEX MACHINEGUNSのライブアルバムは『Burning Hammer』と名づけられており、そのジャケットはイニシャル「K.K」と記された人物の剛腕となっている。 『ひらめ筋GOLD』の「ハイパー騎馬戦チャンピオンズカップ」の出場要求を受けた時、秋山が出ないと聴くと、秋山の控え室に来て「準! お前出ろよ!」と言った。「その日は予定があるから」と秋山が断ると「準が出ないなら俺も出ないから!」と言い出した(秋山談)という。結局秋山も出ることになり、小橋、秋山、力皇、ムシキング・テリーというノア最強の布陣を組む。一試合目の新日本プロレス(天山広吉、タイガーマスク、棚橋弘至、中邑真輔)には勝利したが、次戦のWRESTLE-1(曙、プレデター、WRESTLEマスク1号、2号)には、曙の圧倒的な体格の前に押し切られ敗北した。この敗北に対し小橋は、「思った以上に悔しい」と語っている。 地元の福知山市動物園のシロテナガザルの「健六」は、彼の名前の一部からもらったものである。 1993年のスティーブ・ウィリアムスとの三冠挑戦者決定戦で殺人バックドロップを食らい敗れる。奇しくもスティーブ・ウィリアムスから食らったこの殺人バックドロップがきっかけで、全日マットでは脳天から叩き落とす危険な技の応酬のスタートとなった。 1990年代前半、毎日放送の浜村淳解説の深夜の映画番組『映画へようこそ』に、小橋はオープニングでヘラクレス役で出演していた。 海外のプロレスファンの間でも絶大な人気を誇っている。サモア・ジョーがスティーブ・オースチンのポッドキャストで語ったところ、ROHに参戦した際、小橋は「アメリカ人は俺がだれかなんて知らないだろう」と考えており、ミスター・フジのような古典的なジャパニーズヒールとして迎えられると予想していたが、日本のプロレス事情に明るく、日本人レスラーの技を好んで使用するジョーは「ROHに来るような連中はみんな知ってますよ。そういう連中はあなたの試合の海賊版を買って見ているんですから」とベビーフェイスとして迎えられるだろうと小橋に伝えている。実際、小橋は観客にベビーフェイスとして熱狂的に迎えられ、その歓迎ぶりを察した小橋はベビーフェイスとして観客の手に触れながら入場し、ジョーは試合開始から一貫して正統派ヒールとしての試合をこなした。 ノア移籍以降のコスチュームのデザインは親交のある俳優・デザイナーの井浦新(ARATA)が担当。井浦はFortune KKの企業ロゴのデザインも手がけている。 小橋には昔から数々の通り名があり、小橋の成長・立ち位置の変化に伴って変わっていっている。以下、歴史順に記していく。 ノア以降、ハロウィン興行やクリスマス興行等で普段のハードな試合展開とはかけ離れた楽しく夢のある興行を打つようになる。それに伴い小橋もいくつかのキャラクターをその場限定で演じることがあった。以下それらを記していく。 秋山準は全日本入門より小橋の下でトレーニングを積んでいたが、付き人にはなっていない。 初代 - 金丸義信 2代 - KENTA 3代 - 潮崎豪 4代 - 谷口周平 5代 - 伊藤旭彦 『森村誠一サスペンス「魔性の群像 刑事・森崎慎平5」』(2019年1月28日、TBS) - 真島正義 役 日本コロムビア「CHARCOAL FILTERのベストアルバム『C☆BEST+Flying Hi-High』」(2003年) EMIミュージック・ジャパン「今井美樹ベストアルバム『Premium Ivory -The Best Songs Of All Time-』」(2015年) AKB48「恋するフォーチュンクッキー」 みずき舞「知床恋文」 戦国大戦(SS秋山信友) Changeの瞬間 〜がんサバイバーストーリー〜(2022年6月12日・19日、朝日放送ラジオ) 大会名 : 『FINAL BURNING in Budokan』小橋建太引退記念試合 日時 : 2013年5月11日(土) 場所 : 日本武道館 観衆 : 17,000人(超満員) がんと生きる(2018年3月26日、ワニブックス、ISBN 978-4847096501) 小橋健太、熱狂の四天王プロレス(2016年1月30日、ワニブックス、ISBN 978-4847094255) 今日より強い自分になる(2014年4月25日、ワニブックス、ISBN 978-4847092398) 自伝小橋建太 悔いは、ない(2013年5月14日、ベースボールマガジン社、ISBN 978-4583105680) 生きる。―がんと向きあう7人のストーリー (共著、2009年8月19日、幻冬舎、ISBN 978-4344017184) 覚悟を決めると楽になる(北井孝英著、2020年8月13日、知道出版、ISBN 978-4-88664-330-8 C0037)秋山準、北井孝英、友野英俊との座談会に参加 ^ 「京都府生まれ初のプロレスラー」と言われることがあるが、実際には小橋より3年早く1985年に第1次UWFでデビューし、その後新日本プロレスや大日本プロレスに参戦した岡本剛(ブルーザー岡本)がおり、女子プロレスラーには1969年デビューの星野美代子がいる。 ^ ジムで小橋をパーソナル・トレーナーとして指導していたのは、アスレティックトレーナー時代の現・プロレスラーミステル・カカオであった。 ^ “小橋建太が車いすテニス・国枝選手の全米OP優勝に興奮「彼こそ鉄人だ!」”. 東スポWeb (2020年9月14日). 2020年9月22日閲覧。 ^ 「ご当所レスラーのいない県は12で現役最多は神奈川県」『週刊プロレス』第36巻第785号、ベースボール・マガジン社、46頁、2017年1月4日閲覧。 ^ “小橋建太が感動の挙式!新妻は演歌歌手”. 日刊スポーツ (2010年10月2日). 2024年8月29日閲覧。 ^ 小橋建太選手欠場のお知らせ PRO-WRESTLING NOAH 2012年3月7日閲覧 ^ 小橋 引退発表 戦力外は否定「もう1度だけ完全燃焼して区切りつける」 スポーツニッポン 2012年12月9日閲覧 ^ 「試合リポート 小橋興業12・10後楽園」、『週刊プロレス』No.1771、ベースボール・マガジン社、平成26年12月31日号(12月17日発行)、21-25頁、2014年。 ^ 『5月11日(月) 小橋建太・高野人母美講師就任発表会見報告』(プレスリリース)尚美学園大学、2015年5月11日。http://www.shobi-u.ac.jp/news/topics/2015/0511_1411/。 ^ “【BOX】モデルボクサー高野、小橋さんと大学講師就任”. スポーツ報知. 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(2014年2月14日). http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/fight/all/2014/columndtl/201402140011-spnavi ^ “小橋建太・みずき舞はやっぱり最強夫婦!? 全身麻酔も「そういうものかと思ってた」【Premium Playlist】”. mysound.マガジン (2017年10月26日). 2021年12月18日閲覧。 ^ 「全日本プロレス特集恒例!常連外国人レスラー回想録第4弾 小橋建太」(『G SPIRITS vol.33』辰巳出版、2014年、ISBN 9784777813278)P29 ^ 東京スポーツ『小橋建太引退特別号』(2013年、東京スポーツ新聞社) ^ 東京スポーツ『天龍源一郎引退特別号』(2015年、東京スポーツ新聞社) ^ “小橋建太氏がパパに 妻みずき舞が長女を出産”. 日刊スポーツ (2015年8月17日). 2021年12月18日閲覧。 ^ [2] ^ 福澤のキャッチフレーズでもあるが、小橋戦ではムーンサルトプレスが決まったときに使用。 ^ “元プロレスラー・小橋建太が俳優初挑戦 格闘シーンで本領発揮”. ORICON NEWS (ORICON). (2019年1月25日). https://www.oricon.co.jp/news/2128114/full/ 2019年3月3日閲覧。 ^ “今井美樹ベスト盤CMに元アスリート再登場”. ORICON (2015年9月18日). 2015年9月18日閲覧。 ^ “ラジオ「Changeの瞬間~がんサバイバーストーリー」好評放送中 【随時更新】”. 日本対がん協会. 2023年5月6日閲覧。 小橋健太 『小橋健太[青春自伝]熱き握り拳』 ぶんか社、1990年。 週刊プロレス編著 『スポーツアルバムNo.8 小橋建太』 ベースボール・マガジン社、2003年。 アライテツヤ/撮影 赤木太陽/文 『Document小橋健太』 角川書店、2006年。 プロレスラー一覧 全日本プロレス プロレスリング・ノア 三冠ヘビー級王座 GHCヘビー級王座 GHC無差別級王座 GET バーニング 超世代軍 矢島学 (日本テレビアナウンサー) 福知山市 - 出身地で、教育大使・ドッコイセ大使を務める 西口エンタテインメント - 業務提携 小橋建太オフィシャルブログ「青春の握りこぶし」 - Ameba Blog 小橋建太 (@FortuneKK0327) - X(旧Twitter) 小橋建太 (kabashi.kenta.official) - Facebook kenta kobashi(@kenta.Kobashi)-instagram Fortune KK 小橋建太|リクエンターテイメント(提携) 小橋建太|リクエージェンシー(提携) J-Athleteplus マネジメント選手 小橋建太 - ウェイバックマシン(2017年2月14日アーカイブ分) 表 話 編 歴 稲葉大樹 稲村愛輝 大和田侑 小澤大嗣 清宮海斗 拳王 佐々木憂流迦 潮崎豪 杉浦貴 征矢学 谷口周平 藤田和之 マサ北宮 丸藤正道 モハメド ヨネ AMAKUSA アレハンドロ Eita 大原はじめ 小田嶋大樹 小峠篤司 タダスケ HAYATA Hi69 宮脇純太 YO-HEY 石川修司 近藤修司 カイ・フジムラ 菊池悠斗 アンソニー・グリーン イホ・デ・ドクトル・ワグナーJr. ガレノ・デル・マル ジャック・モリス アルファ・ウルフ LJ・クリアリー ダガ(英語版) スペル・クレイジー ドラゴン・ベイン タイタス・アレクサンダー 潮崎豪 モハメド・ヨネ 小峠篤司 Hi69 大原はじめ 清宮海斗 拳王 アレハンドロ カイ・フジムラ(フリー) HAYATA タダスケ YO-HEY 菊池悠斗(道頓堀プロレス) ジャック・モリス(フリー) ダガ(英語版)(フリー) 小澤大嗣 ヨシタツ(フリー) 岡本保朗(代表取締役社長) 高木規(高木三四郎)(取締役副社長) 丸藤正道(取締役副社長) 西垣彰人(取締役) 武田有弘(取締役) 鈴木裕之(代表取締役/リデットエンターテインメント代表取締役社長) 新原孝一(取締役会長COO) 内田雅之(元取締役会長・リデット社顧問) 不破洋介(元代表取締役社長) 西永秀一(チーフ) 中山真一 塚越佳祐 G-Man 奥田亮(フリー) ケビン・フォン・エリック 力皇猛 浅子覚(メディカルトレーナー) 大川正也(リングアナ) 難波信二(異動、リングアナ) マイティ井上(引退、レフェリー) 味方冬樹(リングアナ) 山本義浩(レフェリー) 松丸元気(フリーリングアナ) 福田明彦(チーフレフェリー) GHCヘビー級 GHCナショナル GHCタッグ GHCジュニアヘビー級 GHCジュニアヘビー級タッグ GHCハードコア王座 GHC女子 N-1 VICTORY グローバル・タッグ・リーグ戦 グローバル・ジュニア・ヘビー級リーグ戦 グローバル・ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦(日テレG+杯) モーリシャス杯争奪リーグ戦 プロレスリング・セム 東京ドーム大会 GREAT VOYAGE'09 CyberFight Festival MONDAY MAGIC LIMIT BREAK 浅子覚 太田一平 伊藤旭彦 力皇猛 小橋建太 田上明 森嶋猛 平柳玄藩 友寄志郎 NOSAWA論外 武藤敬司 原田大輔 小川良成 齋藤彰俊 百田義浩(取締役) 三沢光晴(創設者・初代代表取締役) ラッシャー木村(終身名誉選手会長) ジョー樋口(初代監査役・初代GHC管理委員長) バイソン・スミス 仲田龍(元取締役・リングアナウンサー) 永源遙(元常務取締役) ハーリー・レイス(2代GHC管理委員長) TNAレスリング MLW AAA IWRG 新日本プロレス KAIENTAI DOJO ROH WLW CyberFight(運営会社) ノア・グローバルエンタテインメント(旧運営会社) サイバーエージェント(親会社) ピーアールエヌ(旧:株式会社プロレスリング・ノア) GPWA プロレスリング・ノア中継(日本テレビ) ディファ有明 力道山杯 ディファカップ ALL TOGETHER NOAH “NEW HOPE”(ABEMA) NOAH ABEMA中継 WRESTLE UNIVERSE 表 話 編 歴 1 ジャンボ鶴田 2 天龍源一郎 3 ジャンボ鶴田 4 テリー・ゴディ 5 スタン・ハンセン 6 テリー・ゴディ 7 スタン・ハンセン 8 ジャンボ鶴田 9 スタン・ハンセン 10 三沢光晴 11 スティーブ・ウィリアムス 12 川田利明 13 スタン・ハンセン 14 三沢光晴 15 田上明 16 小橋健太 17 三沢光晴 18 川田利明 19 小橋健太 20 三沢光晴 21 川田利明 22 ベイダー 23 三沢光晴 24 ベイダー 25 小橋健太 26 天龍源一郎 27 武藤敬司 28 川田利明 29 天龍源一郎 30 グレート・ムタ 31 橋本真也 32 川田利明 33 小島聡 34 太陽ケア 35 鈴木みのる 36 佐々木健介 37 諏訪魔 38 グレート・ムタ 39 高山善廣 40 小島聡 41 浜亮太 42 鈴木みのる 43 諏訪魔 44 秋山準 45 船木誠勝 46 諏訪魔 47 曙 48 大森隆男 49 諏訪魔 50 ジョー・ドーリング 51 潮崎豪 52 曙 53 秋山準 54 諏訪魔 55 宮原健斗 56 石川修司 57 宮原健斗 58 諏訪魔 59 ジョー・ドーリング 60 宮原健斗 61 ゼウス 62 宮原健斗 63 諏訪魔 64 ジェイク・リー 65 宮原健斗 66 ジェイク・リー 67 諏訪魔 68 宮原健斗 69 永田裕志 70 青柳優馬 71 中嶋勝彦 72 安齊勇馬 73 青柳優馬 74 デイビーボーイ・スミスJr. 表 話 編 歴 1 ジャンボ鶴田&谷津嘉章 2 スタン・ハンセン&テリー・ゴディ 3 ジャンボ鶴田&谷津嘉章 4 天龍源一郎&阿修羅・原 5 ジャンボ鶴田&谷津嘉章 6 スタン・ハンセン&テリー・ゴディ 7 ジャンボ鶴田&谷津嘉章 8 天龍源一郎&スタン・ハンセン 9 ジャンボ鶴田&谷津嘉章 10 天龍源一郎&スタン・ハンセン 11 天龍源一郎&スタン・ハンセン 12 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス 13 ジャンボ鶴田&ザ・グレート・カブキ 14 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス 15 スタン・ハンセン&ダニー・スパイビー 16 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス 17 三沢光晴&川田利明 18 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス 19 ジャンボ鶴田&田上明 20 三沢光晴&川田利明 21 テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス 22 川田利明&田上明 23 スタン・ハンセン&テッド・デビアス 24 三沢光晴&小橋健太 25 三沢光晴&小橋健太 26 川田利明&田上明 27 スタン・ハンセン&ゲーリー・オブライト 28 川田利明&田上明 29 三沢光晴&秋山準 30 スティーブ・ウィリアムス&ジョニー・エース 31 川田利明&田上明 32 小橋健太&ジョニー・エース 33 スティーブ・ウィリアムス&ゲーリー・オブライト 34 小橋健太&ジョニー・エース 35 川田利明&田上明 36 小橋健太&秋山準 37 ジョニー・エース&バート・ガン 38 大森隆男&高山善廣 39 三沢光晴&小川良成 40 小橋健太&秋山準 41 ベイダー&スティーブ・ウィリアムス 42 川田利明&田上明 43 太陽ケア&ジョニー・スミス 44 天龍源一郎&安生洋二 45 武藤敬司&太陽ケア 46 ブライアン・アダムス&ブライアン・クラーク 47 小島聡&太陽ケア 48 武藤敬司&嵐 49 小島聡&カズ・ハヤシ 50 永田裕志&ケンドー・カシン 51 太陽ケア&ジャマール 52 川田利明&太陽ケア 53 小島聡&TARU 54 武藤敬司&ジョー・ドーリング 55 太陽ケア&鈴木みのる 56 武藤敬司&船木誠勝 57 太陽ケア&曙 58 KONO&ジョー・ドーリング 59 グレート・ムタ&KENSO 60 ダーク・オズ&ダーク・クエルボ 61 大森隆男&征矢学 62 真田聖也&ジョー・ドーリング 63 大森隆男&征矢学 64 大森隆男&征矢学 65 秋山準&潮﨑豪 66 諏訪魔&ジョー・ドーリング 67 秋山準&大森隆男 68 秋山準&大森隆男 69 曙&吉江豊 70 潮﨑豪&宮原健斗 71 ゼウス&ボディガー 72 関本大介&岡林裕二 73 ゼウス&ボディガー 74 真霜拳號&KAI 75 ゼウス&ボディガー 76 ジェイク・リー&野村直矢 77 関本大介&岡林裕二 78 秋山準&大森隆男 79 諏訪魔&石川修司 80 宮原健斗&ヨシタツ 81 ゼウス&ボディガー 82 崔領二&ディラン・ジェイムス 83 諏訪魔&石川修司 84 関本大介&岡林裕二 85 諏訪魔&石川修司 86 ゼウス&崔領二 87 諏訪魔&石川修司 88 宮原健斗&青柳優馬 89 諏訪魔&芦野祥太郎 90 石川修司&佐藤耕平 91 芦野祥太郎&本田竜輝 92 諏訪魔&KONO 93 宮原健斗&野村卓矢 94 青柳優馬&野村直矢 95 拳王&征矢学 96 宮原健斗&青柳優馬 97 斉藤ジュン&斉藤レイ 98 諏訪魔&鈴木秀樹 99 斉藤ジュン&斉藤レイ 表 話 編 歴 1 キング・コング&タイガー・ジョキンダー 2 フランク・バロア&ダン・ミラー 3 力道山&豊登 4 ルター・レンジ&リッキー・ワルドー 5 力道山&豊登 6 バディ・オースチン&マイク・シャープ 7 力道山&豊登 8 力道山&豊登 9 豊登&吉村道明 10 ジン・キニスキー&カリプス・ハリケーン 11 豊登&ジャイアント馬場 12 ザ・デストロイヤー&ビリー・レッド・ライオン 13 豊登&ジャイアント馬場 14 キラー・カール・コックス&ジョー・カロロ 15 吉村道明&ヒロ・マツダ 16 キラー・カール・コックス&エディ・グラハム 17 吉村道明&ジャイアント馬場 18 吉村道明&大木金太郎 19 吉村道明&アントニオ猪木 20 吉村道明&大木金太郎 21 スカル・マーフィー&クロンダイク・ビル 22 吉村道明&大木金太郎 23 大木金太郎&アントニオ猪木 24 吉村道明&アントニオ猪木 25 吉村道明&アントニオ猪木 26 吉村道明&坂口征二 27 グレート小鹿&松岡巌鉄 28 グレート小鹿&大熊元司 29 ジェリー・オーツ&テッド・オーツ 30 高千穂明久&サムソン・クツワダ 31 グレート小鹿&大熊元司 32 マイティ井上&アニマル浜口 33 グレート小鹿&大熊元司 34 グレート小鹿&大熊元司 35 ケビン・フォン・エリック&デビッド・フォン・エリック 36 佐藤昭雄&石川隆士 37 マイティ井上&阿修羅・原 38 阿修羅・原&石川隆士 39 佐藤昭雄&石川隆士 40 アニマル浜口&寺西勇 41 寺西勇&保永昇男 42 マイティ井上&石川隆士 43 阿修羅・原&スーパー・ストロング・マシーン 44 マイティ井上&石川隆士 45 サムソン冬木&川田利明 46 仲野信市&高野俊二 47 サムソン冬木&川田利明 48 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 49 サムソン冬木&川田利明 50 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 51 タイガーマスク(三沢光晴)&小橋健太 52 仲野信市&田上明 53 小橋健太&ジョニー・エース 54 ダイナマイト・キッド&ジョニー・スミス 55 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 56 小橋健太&ジョニー・エース 57 ジョー・ディートン&ビリー・ブラック 58 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 59 小橋健太&菊地毅 60 パトリオット&ジ・イーグル 61 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 62 秋山準&大森隆男 63 ウルフ・ホークフィールド&ジョニー・スミス 64 本田多聞&泉田純 65 ハヤブサ&新崎人生 66 大森隆男&高山善廣 67 三沢光晴&小川良成 68 本田多聞&井上雅央 69 垣原賢人&長井満也 70 嵐&北原光騎 71 嵐&荒谷信孝 72 佐藤耕平&横井宏考 73 金村キンタロー&黒田哲広 74 ミスター雁之助&黒田哲広 75 グレート・コスケ&獅龍 76 天龍源一郎&渕正信 77 長井満也&成瀬昌由 78 ブキャナン&リコ 79 近藤修司&"brother"YASSHI 80 佐々木健介&中嶋勝彦 81 鈴木みのる&NOSAWA論外 82 曙&浜亮太 83 TARU&ビッグ・ダディ・ブードゥー 84 真田聖也&征矢学 85 関本大介&岡林裕二 86 真田聖也&征矢学 87 関本大介&岡林裕二 88 曙&浜亮太 89 金本浩二&田中稔 90 大和ヒロシ&佐藤光留 91 金本浩二&田中稔 92 鈴木鼓太郎&青木篤志 93 秋山準&金丸義信 94 入江茂弘&石井慧介 95 宮原健斗&鈴木鼓太郎 96 長井満也&南野タケシ 97 金丸義信&ウルティモ・ドラゴン 98 木髙イサミ&宮本裕向 99 青木篤志&佐藤光留 100 渕正信&大仁田厚 101 青木篤志&佐藤光留 102 ブラック・タイガーⅦ&TAKAみちのく 103 野村直矢&青柳優馬 104 秋山準&永田裕志 105 野村直矢&青柳優馬 106 ジェイク・リー&岩本煌史 107 河上隆一&菊田一美 108 ジェイク・リー&岩本煌史 109 木髙イサミ&宮本裕向 110 ゼウス&イザナギ 111 T-Hawk&エル・リンダマン 112 大森北斗&児玉裕輔 113 稔&歳三 114 佐藤光留&田村男児 115 ヨシタツ&TAJIRI 116 児玉裕輔&花畑正男 117 大森隆男&井上雅央 118 NOSAWA論外&ケンドー・カシン 119 大仁田厚&ヨシタツ 120 秋山準&鈴木鼓太郎 121 坂口征夫&岡谷英樹 122 大仁田厚&To-y 123 佐藤光留&田村男児 124 吉岡世起&MUSASHI 125 安齊勇馬&ライジングHAYATO 1 坂口征二&ストロング小林 2 タイガー・ジェット・シン&上田馬之助 表 話 編 歴 1 三沢光晴 2 秋山準 3 小川良成 4 高山善廣 5 三沢光晴 6 小橋建太 7 力皇猛 8 田上明 9 秋山準 10 丸藤正道 11 三沢光晴 12 森嶋猛 13 佐々木健介 14 秋山準 15 潮崎豪 16 杉浦貴 17 潮崎豪 18 森嶋猛 19 KENTA 20 森嶋猛 21 永田裕志 22 丸藤正道 23 鈴木みのる 24 丸藤正道 25 杉浦貴 26 潮崎豪 27 杉浦貴 28 中嶋勝彦 29 エディ・エドワーズ 30 拳王 31 杉浦貴 32 清宮海斗 33 潮崎豪 34 武藤敬司 35 丸藤正道 36 中嶋勝彦 37 藤田和之 38 潮崎豪 39 小島聡 40 拳王 41 清宮海斗 42 ジェイク・リー 43 拳王 44 イホ・デ・ドクトル・ワグナー・Jr. 45 清宮海斗 表 話 編 歴 1 ベイダー&スコーピオ 2 三沢光晴&小川良成 3 大森隆男&高山善廣 4 森嶋猛&力皇猛 5 秋山準&齋藤彰俊 6 小橋建太&本田多聞 7 棚橋弘至&永田裕志 8 三沢光晴&小川良成 9 ダグ・ウイリアムス&スコーピオ 10 鈴木みのる&丸藤正道 11 森嶋猛&モハメド・ヨネ 12 小橋建太&本田多聞 13 森嶋猛&モハメド・ヨネ 14 秋山準&力皇猛 15 ディーロ・ブラウン&ブキャナン 16 丸藤正道&杉浦貴 17 バイソン・スミス&齋藤彰俊 18 佐々木健介&森嶋猛 19 力皇猛&モハメド・ヨネ 20 バイソン・スミス&キース・ウォーカー 21 高山善廣&佐野巧真 22 ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン 23 秋山準&齋藤彰俊 24 サモア・ジョー&マグナス 25 KENTA&マイバッハ谷口 26 潮﨑豪&齋藤彰俊 27 丸藤正道&杉浦貴 28 矢野通&飯塚高史 29 マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト 30 森嶋猛&マイバッハ谷口 31 杉浦貴&田中将斗 32 マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト 33 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. 34 丸藤正道&矢野通 35 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. 36 潮﨑豪&マイバッハ谷口 37 拳王&マサ北宮 38 杉浦貴&拳王 39 丸藤正道&マイバッハ谷口 40 潮崎豪&小峠篤司 41 モハメド・ヨネ&クワイエット・ストーム 42 中嶋勝彦&マサ北宮 43 潮崎豪&清宮海斗 44 中嶋勝彦&マサ北宮 45 丸藤正道&齋藤彰俊 46 中嶋勝彦&潮崎豪 47 マイバッハ谷口&火野裕士 48 モハメド・ヨネ&クワイエット・ストーム 49 中嶋勝彦&潮崎豪 50 杉浦貴&KAZMA SAKAMOTO 51 中嶋勝彦&潮崎豪 52 丸藤正道&望月成晃 53 イホ・デ・ドクトル・ワグナー・ジュニア&レネ・デュプリ 54 杉浦貴&桜庭和志 55 中嶋勝彦&マサ北宮 56 マサ北宮&清宮海斗 57 丸藤正道&武藤敬司 58 杉浦貴&鈴木秀樹 59 イホ・デ・ドクトル・ワグナー・ジュニア&レネ・デュプリ 60 マイケル・エルガン&マサ北宮 61 ティモシー・サッチャー&鈴木秀樹 62 杉浦貴&小島聡 63 マサ北宮&稲葉大樹 64 杉浦貴&谷口周平 65 ティモシー・サッチャー&サクソン・ハックスリー(英語版) 66 ジャック・モリス&アンソニー・グリーン 67 丸藤正道&杉浦貴 表 話 編 歴 1974 アントニオ猪木 1975 ジャイアント馬場 1976 アントニオ猪木 1977 アントニオ猪木 1978 アントニオ猪木 1979 ジャイアント馬場 1980 アントニオ猪木 1981 アントニオ猪木 1982 タイガーマスク 1983 ジャンボ鶴田 1984 ジャンボ鶴田 1985 藤波辰巳 1986 天龍源一郎 1987 天龍源一郎 1988 天龍源一郎 1989 前田日明 1990 大仁田厚 1991 ジャンボ鶴田 1992 高田延彦 1993 天龍源一郎 1994 橋本真也 1995 武藤敬司 1996 小橋健太 1997 蝶野正洋 1998 小橋健太 1999 武藤敬司 2000 桜庭和志 2001 武藤敬司 2002 ボブ・サップ 2003 高山善廣 2004 佐々木健介 2005 小島聡 2006 鈴木みのる 2007 三沢光晴 2008 武藤敬司 2009 棚橋弘至 2010 杉浦貴 2011 棚橋弘至 2012 オカダ・カズチカ 2013 オカダ・カズチカ 2014 棚橋弘至 2015 オカダ・カズチカ 2016 内藤哲也 2017 内藤哲也 2018 棚橋弘至 2019 オカダ・カズチカ 2020 内藤哲也 2021 鷹木信悟 2022 オカダ・カズチカ 2023 内藤哲也 ISNI VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research 小橋建太 日本のプロレスラー プロレスリング・ノアに所属したプロレスラー 全日本プロレスに所属したプロレスラー ROHに参戦したプロレスラー プロレス・トレーナー プロレス・エグゼクティブ プロレス解説者 WRESTLE-1の関係者 日本の男優 尚美学園大学の教員 京セラの人物 京都府出身のスポーツ選手 1967年生 存命人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ 雑多な内容を箇条書きした節のある記事 - 2009年以前 2024/11/20 21:31更新
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kobashi kenta
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