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山中貞則の情報 (やまなかさだのり)
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【11月24日】今日誕生日の芸能人・有名人

山中貞則の情報(やまなかさだのり) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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山中 貞則さんについて調べます

■名前・氏名
山中 貞則
(読み:やまなか さだのり)
■職業
政治家
■山中貞則の誕生日・生年月日
1921年7月9日 (年齢2004年没)
酉年(とり年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
鹿児島出身

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山中貞則と関係のある人

山下元利: 山中貞則


福田篤泰: 山中貞則


江藤隆美: 村上正邦が自民党参議院議員会長に転出し派閥会長を退いたため、亀井が会長として名前挙がるも旧渡辺派から入ってきたメンバーに山中貞則、中山正暉のような頑固者の重鎮が多くとてもじゃないが手に負えないと思った江藤に会長を打診するも「お金がない」と一度断るも亀井がお金を出すことで江藤が1999年7月に第2代会長に就任(亀井は会長代行)、同派は江藤・亀井派となる(2003年江藤引退後は亀井が会長)。


保利茂: 国交のない中共に向けた書簡は国内で波紋を呼び、それまで親台派と目されていた保利は山中貞則に詰め寄られることとなった。


西村英一: 1976年、福田赳夫内閣で行政管理庁長官に就任し福田赳夫首相の意を受けて行政改革を推進し、福田、園田直内閣官房長官、山中貞則自民党行財政調査会長とともに行革反対派から「四人組」と批判された。


虎島和夫: 山中貞則


小里貞利: 小里は郷里鹿児島の大物政治家であり、何かと張り合う関係にあった二階堂進(自由民主党副総裁)と山中貞則(防衛庁長官)との間で緩衝材的役割を担っていた。


大石武一: 環境庁はその4日前の7月1日に新設されたばかりであり、その長官は総理府総務長官山中貞則が兼務していたものの、実質的な初代長官は大石であった。


西岡武夫: 1989年(平成元年)、海部内閣で消費税の見直しが持ち上がった際、辞任した自民党税制調査会長の山中貞則に代わり、後任の税制調査会長に就任。


伊能繁次郎: 山中貞則


栗原祐幸: 山中貞則


杉原荒太: 山中貞則


森喜朗: この時は農水省の他、現地家畜保健衛生所、宮崎県庁、北海道庁、農林水産省畜産局衛生課などに口蹄疫防疫対策本部が設立され、組織検査の結果で陽性と出た日の自民党農林部会には、「畜産三羽ガラス」と呼ばれた江藤隆美(宮崎選出)、堀之内久男(宮崎選出)、山中貞則(鹿児島選出)が出席、江藤は農林省幹部に「口蹄疫は火事みたいなもんなんだから、ぼやのうちに消さないと大変なことになるぞ。


大石武一: 中曽根派内では、桜内義雄、稲葉修、山中貞則とともに「四天王」と呼ばれ、憲法改正の主張など、タカ派とされた河野、中曽根に対して、自然保護、軍縮や平和運動に積極的だった大石はハト派として知られた。


上林山栄吉: 山中貞則


石川要三: 山中貞則


二階堂進: 同選挙区では後に「ミスター税調」と呼ばれた山中貞則などと激しく争った。


中山利生: 山中貞則


久保田円次: 山中貞則


野田毅: これは1985~86年、当時の山中貞則税調会長が進めようとした売上税導入が失敗した時に痛感したことで、それ以来の私の信念でした。


屋良朝苗: 台北第一師範学校時代の教え子には山中貞則がいる。


三木武夫: 三木は山中貞則自民党独禁法問題調査会長らに協力を要請し、更に自ら野党幹部にも連絡を取って独禁法改正案の成立を図った。


宇野宗佑: 6月に山中貞則が病気により通産大臣を辞任すると後任に就任した。


神田厚: 山中貞則


粕谷茂: かつて「東京の知事は東京の人間が決める」と豪語して公然と党本部の意向と違う知事候補を擁立し勝利を収めた粕谷が、党本部から年齢制限により公認しないと言い渡されて出馬断念に追い込まれたことは、中選挙区制から小選挙区制への移行による力関係の変化を象徴する出来事であった(このとき、粕谷のような元職でなく前職であれば山中貞則・相澤英之など80代の候補が公認されていた)。


山中貞則の情報まとめ

もしもしロボ

山中 貞則(やまなか さだのり)さんの誕生日は1921年7月9日です。鹿児島出身の政治家のようです。

もしもしロボ

卒業、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2004年に亡くなられているようです。

山中貞則のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

山中 貞則(やまなか さだのり、1921年〈大正10年〉7月9日 - 2004年〈平成16年〉2月20日)は、日本の政治家。鹿児島県囎唹郡末吉村大字深川(現曽於市)出身。位階・勲等は正三位勲一等。称号は沖縄県名誉県民、竹富町名誉町民。

衆議院議員(17期)、沖縄開発庁長官(初代)、防衛庁長官(第31代)、自由民主党政務調査会長(第23代)、通商産業大臣(第41代)などを歴任した。

税制のスペシャリストとして長年にわたり自民党税調に君臨し、「税調のドン」と呼ばれた。ニックネームは「ヤマサダ」、「ヤマテイ」。浜田幸一や一部の官僚達からは「テイソク」と呼ばれた。

旧制都城中学校(現・宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)、台湾・台北第二師範学校を卒業後、高雄州の国民学校で教職を務める。その後出征し、1946年に復員。師範学校時代の教師に屋良朝苗(後の琉球政府行政主席・沖縄県知事)がいた。郷里に戻り南日本新聞記者、鹿児島県議会議員を経て、1953年の第26回衆議院議員総選挙に旧鹿児島3区から自由党公認で出馬して初当選。1955年(昭和30年)、保守合同で自由民主党結党に参加。河野一郎の河野派に入会。1958年(昭和33年)、岸内閣で大蔵政務次官に就任(当時の森永貞一郎大蔵事務次官らがこの人事を覆そうと試みたが失敗に終わった)。感激した山中は財政や税制に関する勉強に励み、当時品目ごとに利害が複雑に絡み合って税率の設定は困難であるといわれた物品税の大改正を成し遂げた。このことが後に官僚以上に税に精通した政策通との異名に繋がる。1961年(昭和36年)、自民党副幹事長に就任。1963年(昭和38年)、衆議院大蔵委員会委員長に就任。1970年(昭和45年)、第3次佐藤内閣で総理府総務長官として初入閣し、アメリカ側との極秘交渉や通貨危機の回避など沖縄返還に尽力した。1971年(昭和46年)、初代環境庁長官を兼任(内閣改造までの4日間のみ)、翌年には沖縄返還にあたって初代の沖縄開発庁長官に就任した。1973年(昭和48年)、第2次田中角栄内閣で防衛庁長官を1年半に亘って務め、たて続けに入閣した。1974年(昭和49年)、政務調査会長に就任するが、就任後1ヶ月で田中内閣が倒れ、無役になる。この処遇で中曽根康弘と不仲となり、中曽根派を脱会。1978年に復帰するまで無派閥を通す。この間に山中派結成を画策したこともあるが実現しなかった。1979年(昭和54年)、税制調査会長に就任。以来、税制のドンとして重きをなし、「税の神様」や「ミスター税調」などと呼ばれた。四十日抗争など一連の派閥抗争では、強硬な反大平派として行動した。1982年(昭和57年)、第1次中曽根内閣誕生により主要閣僚である通商産業大臣として入閣するが、糖尿病のため任期途中で辞任した。1990年(平成2年)、税調の最高幹部として消費税導入を積極的に推し進めたことなどが祟って、第39回衆議院議員総選挙では最下位当選の有川清次(日本社会党)に28票差の落選。この時「山中当選確実」と報じられ、万歳三唱までしてしまった。しかし、当確が取り消された直後の事務所中継があり、現場には支持者が誰も映っていなかった。当確報道の先走りが問題になった。1991年(平成4年)、勲一等旭日大綬章受章。1993年(平成5年)、第40回衆議院議員総選挙で当選し、国政復帰。1998年(平成10年)、山崎拓の後見人として山崎派の結成に参加するが、翌年に山中の意向に反して山崎が自民党総裁選挙に出馬したため、同派を離脱して中曽根の在籍する江藤・亀井派に出戻る形になった。2003年(平成15年)、第43回衆議院議員総選挙でも当選し、最年長、最多当選の国会議員となるが、当選から3ヵ月後の2004年2月20日に肺炎のため死去。82歳没。通算17回当選。山中の死により、保守合同並びに55年体制成立以前に初当選した現職の国会議員は姿を消した。2014年4月、鹿児島県曽於市末吉町の旧山中邸に山中貞則顕彰館が開館。式典には仲井真弘多沖縄県知事も出席した。山中は沖縄名誉県民第一号でもある。

柔道四段

刀剣鑑賞(財団法人日本美術刀剣保存協会会長)

和歌(雅号は隼人) ・・・歌集に『慟哭』、『南回帰線』。鹿児島県の現代歌人の列伝である「現代短歌・かごしま」(春苑堂出版)にも収録。若き日の戦地での総攻撃を前に詠んだ「いささかの愛惜を断ち焚き捨つる万葉代匠記の炎よ赤し」は、「昭和万葉集」(講談社)に収録された。

読書(1962年8月の衆議院大蔵委員会の席上「私は推理小説の鬼と言われるほど乱読する方であります」と発言し、松本清張の長編『黄色い風土』を一読することを当時の警察庁刑事局長に薦めている)

豪快な人柄、特に税制面での政策通ぶり、国士とも評された政治姿勢などから「山中伝説」と呼ばれる数々のエピソードを残した。

県議会議員の選挙では「民族再建」と書かれた幟を掲げ馬に跨って街宣していた。

国会初登院時の服装は、アロハシャツだった。

一年生議員の頃は名を上げるため積極的に先輩議員を殴り、時には本会議場入口で待伏せしていた。当時の吉田茂首相に会釈したが無視された時に、「こら待て吉田、なんだその態度は!」とあわや乱闘になろうかという騒ぎを起こした。

大蔵政務次官就任後の初登庁時に紋付羽織袴で乗込み、職員たちを驚かせた。

大蔵政務次官時代に省議で主税局長と銀行局長が銀行の利子課税を巡って対立して議論が堂々巡りになった際に、佐藤栄作大蔵大臣に向かって「大臣、暫時人事権を委譲してください」と要請し、佐藤大臣が「よく理由はわからないが、人事権を暫く山中次官に委譲します」と言葉を得ると、「それでは発令します。只今から銀行局長は主税局長に、主税局長は銀行局長に発令します。論争を続行するように」と発言し、省議は爆笑に包まれ、その後2人の局長は歩み寄った。

防衛庁長官時代、74式戦車の名前を「山中式戦車」にしてくれと装備局に頼むも却下された。

中曽根派に属し、領袖である中曽根康弘よりも年少、かつ当選回数も少ない後輩であったが、関係は良好とは言えず中曽根のことを死ぬまで「中曽根君」と呼んでいた。晩年には、「中曽根元首相を君付けで呼ぶ唯一の人物」となっていた。中曽根内閣当時、税制改革に関して中曽根をバカ、マヌケ呼ばわりしたこともあった。

佐野眞一のルポルタージュ集 『畸人巡礼怪人礼讃 新忘れられた日本人2』(毎日新聞社、2010年7月)に沖縄と山中の関係を取り上げた文章がある。ニクソンショック直後に沖縄だけ1ドル360円で交換、首里城の復元工事を推進し、選挙区でもない沖縄のために683本の特例法を通した背景には、鹿児島県出身者として薩摩藩の琉球支配への贖罪意識があったという。また「米軍が沖縄に上陸していなければ、志布志湾に上陸し、鹿児島がひどい目に遭っていた」と、沖縄戦の犠牲に報いる意味もあった。

消費税導入の議論を党税制調査会でする際には冒頭で「今日から消費税の議論をする。全員落選の覚悟で議論しろ」と述べた。党税調正副会長会議での消費税議論において党税調副会長の武藤嘉文が「消費税は広く国民に理解してもらうためにも急がずにせめて1年間はPR期間を置くべきで、施行するにしても、1年後の1990年の1月又は4月に考えた方がいいのではないか」と問題提起をした時は、山中は「おまえ、いつから新しい税は1年のPR期間をおくとどこで決めたんだ? 俺は1989年4月1日と決めてるんだ」と述べ、消費税導入は1989年4月施行が事実上決まった。消費税導入の際の税率について大蔵省では5%を主張する中で、自民税調において低所得者への配慮を考慮した山中の鶴の一声で3%になることが決定したが、5%を当然視していた吉野良彦大蔵事務次官は自民税調の3%という決定を聞いた時に椅子から転がり落ちたと言われる。

1990年の総選挙では、消費税問題の逆風、同じ選挙区の二階堂進が政治力を大きく低下させていたことによる「自民党で落ちるのは二階堂」というムードの影響で、県連が山中より二階堂にてこ入れしたため、最下位当選の有川清次に28票差で落選。しかし、「消費税を通す犠牲になった」ということになり、1993年の総選挙では山中は72歳の高齢ながら返り咲きに成功し、発言力はむしろ増大した。

親台派議員として、日華議員懇談会会長も務めた。1971年には、美濃部亮吉東京都知事に託した周恩来宛の書簡について当時の保利茂自民党幹事長に抗議するも、「山中君、君の中華民国を思う信念は尊いし、今後も実行し続けてほしい。この一振りは私の心だと思って受け取ってほしい」と日本刀を差し出されて退散した。

1979年の税調会長就任以降は、信条として税制に関する限り一切の陳情及び取材を受け付けなかった。そのせいか、山中の影響力が絶大だった時期にも、選挙区の主要産業である葉タバコや焼酎の増税案が通過している。ただし、肉用牛に関する所得税の時限の免税特例措置は1967年に山中の尽力で導入され、山中の税調会長就任後も何度か延長されて事実上の恒久措置となった。

政府税調と方針が対立して「政府税調を軽視しているのではないか」と聞かれた際に、「軽視ではない。無視しておる」と発言した。

税制調査会では会長退任後も最高顧問として事実上の最高実力者であった。税のプロを自認し、「党三役ごときに相談しない」「首相の裁断を仰ぐような無様なことはしない」と発言したこともある。森内閣の頃には、自公保3党と関係閣僚が合意した経済対策が、税制の部分に山中が同意しないことを理由にストップしたことすらあったという。

2001年に小泉純一郎が「聖域なき構造改革」を掲げて総理大臣に就任すると、道路特定財源など税制のあり方も改革の俎上に上がった。小泉は税制について山中の事務所をたびたび訪れ協力を要請、総理も無視できない税制分野における山中の権勢に注目が集まった。山中は報道陣に対し、「税のことは50年しかやっていないのでよくわかりません」と煙に巻いた。

晩年は糖尿病の悪化もあって杖をついて歩いていたが、決して杖をついている姿を撮らせなかった。

自民党総務を晩年に至るまで務め、自民党総務会の重鎮として重きをなした。

例外的に夫婦の別姓を実現させる会最高顧問。2002年に家裁の許可を要件とする例外的夫婦別姓制度を議員立法で試みた。

遺言で「後継は山中家から出してはいかん」と世襲を否定し、身内からの後継出馬を当然視していた自民党鹿児島県連が大騒ぎになった(山中死去に伴う補選では自民党は森山裕を擁立し当選した)。

鹿屋市の発展に対してライバル視しており、本来必要ではない報告であるが、地元及び国政の有力者である山中へ東九州自動車道の計画路線について、当初垂水市から鹿屋市経由の経路を担当者が報告した際に「こげな経路にすっちはないごっか!こげんなおさんか!(このような経路にするとは何事か!このように直せ!)」と手が付けられないほどに激怒し、現在の岩川経由の線形が悪い経路に変更させた。

大蔵官僚および自民党税調会メンバーとして長年付き合いのあった津島雄二は、「ちょっと神格化されすぎている」と評している。

議員バッジを自前で作成しており、裏に山中貞則と刻印がされたものを着けていたということが衆議院議員の河野太郎により明かされている。

『顧みて悔いなし─私の履歴書』(日経事業出版、2002年)

^ “山中元通産相が死去/ミスター消費税の異名も”. 四国新聞ニュース. 株式会社四國新聞社 (2004年2月20日). 2024年11月3日閲覧。

^ “秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、在日外国人、外国人の受章者”. 読売新聞. (1991年11月3日) 

^ 三宅久之「三宅久之の書けなかった特ダネ」青春出版社、P170、2010年

^ 岩見隆夫「佐藤栄作に学ぶべきだ」『岩見隆夫の近聞遠見』(毎日新聞2010年5月14日付朝刊)

^ 毎日新聞 2008年6月2日東京朝刊

^ 真鍋繁樹「大蔵省 懲りない権力」P56-57、二期出版、1992年

^ “日中関係打開めざした「保利書簡」 「いぶし銀の調整役」保利茂(7)”. 日本経済新聞. (2011年10月30日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2401G_V21C11A0000000/ 2017年5月3日閲覧。 

^ “[一筆経上]ミスター税調の本音 編集委員・大橋善光”. 読売新聞. (2004年2月22日) 

^ 千葉商科大学経済研究所-機関紙

^ 民主党の税調改革で「法人税減税」「社会保障と税の一体化」は実現するか ダイヤモンド・オンライン 政局LIVEアナリティクス第61回 2010年11月2日

^ “津島雄二元厚相「山中貞則さん神格化されすぎた」”. 日本経済新聞 (2015年1月11日). 2021年8月12日閲覧。

^ “Facebookにログイン”. Facebook. 2022年4月7日閲覧。

自由民主党税制調査会

山中貞則顕彰館

『山中貞則』 - コトバンク

新設

島村一郎

川野芳滿

夏堀源三郎

佐藤重遠

奥村又十郎

千葉三郎

井上良二

松原喜之次

山本幸一

足鹿覚

早川崇

植木庚子郎

山本勝市

足立篤郎

小川平二

臼井荘一

山中貞則

吉田重延

三池信

内田常雄

田村元

田中正巳

毛利松平

斎藤邦吉

金子一平

鴨田宗一

安倍晋太郎

上村千一郎

田中六助

小渕恵三

大村襄治

加藤六月

増岡博之

綿貫民輔

森喜朗

森美秀

瓦力

越智伊平

小泉純一郎

池田行彦

越智通雄

中村正三郎

中西啓介

衛藤征士郎

平沼赳夫

太田誠一

藤井裕久

宮地正介

尾身幸次

久間章生

額賀福志郎

村上誠一郎

村井仁

衛藤征士郎(代理)

金子一義

萩山教嚴

廃止

稲垣平太郎

池田勇人

高瀬荘太郎

横尾龍

高橋龍太郎

小笠原三九郎

岡野清豪

愛知揆一

石橋湛山

水田三喜男

前尾繁三郎

高碕達之助

池田勇人

石井光次郎

椎名悦三郎

佐藤栄作

福田一

櫻内義雄

三木武夫

菅野和太郎

椎名悦三郎

大平正芳

宮澤喜一

田中角栄

中曽根康弘

河本敏夫

田中龍夫

江﨑真澄

佐々木義武

田中六助

安倍晋太郎

山中貞則

宇野宗佑

小此木彦三郎

村田敬次郎

渡辺美智雄

田村元

三塚博

梶山静六

松永光

武藤嘉文

中尾栄一

渡部恒三

森喜朗

熊谷弘

畑英次郎

橋本龍太郎

塚原俊平

佐藤信二

堀内光雄

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深谷隆司

平沼赳夫

平沼赳夫

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二階俊博

甘利明

二階俊博

直嶋正行

大畠章宏

海江田万里

鉢呂吉雄

枝野幸男

茂木敏充

小渕優子

宮澤洋一

林幹雄

世耕弘成

菅原一秀

梶山弘志

萩生田光一

西村康稔

齋藤健

武藤容治

增原惠吉

大橋武夫

柳沢米吉

木村篤太郎

木村篤太郎

大村清一

杉原荒太

砂田重政

船田中

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左藤義詮

伊能繁次郎

赤城宗徳

江﨑真澄

西村直己

藤枝泉介

志賀健次郎

福田篤泰

小泉純也

松野頼三

上林山栄吉

増田甲子七

有田喜一

中曽根康弘

增原惠吉

西村直己

江﨑真澄

增原惠吉

山中貞則

宇野宗佑

坂田道太

三原朝雄

金丸信

山下元利

久保田円次

細田吉蔵

大村襄治

伊藤宗一郎

谷川和穂

栗原祐幸

加藤紘一

栗原祐幸

瓦力

田沢吉郎

山崎拓

松本十郎

石川要三

池田行彦

宮下創平

中山利生

中西啓介

愛知和男

神田厚

玉澤徳一郎

衛藤征士郎

臼井日出男

久間章生

額賀福志郎

野呂田芳成

瓦力

虎島和夫

斉藤斗志二

中谷元

石破茂

大野功統

額賀福志郎

久間章生

久間章生

小池百合子

高村正彦

石破茂

林芳正

浜田靖一

北澤俊美

一川保夫

田中直紀

森本敏

小野寺五典

江渡聡徳

中谷元

稲田朋美

岸田文雄

小野寺五典

岩屋毅

河野太郎

岸信夫

浜田靖一

木原稔

中谷元

山中貞則

本名武

坪川信三

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植木光教

西村尚治

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三原朝雄

小渕恵三

中山太郎

田邊圀男

丹羽兵助

中西一郎

河本敏夫

藤本孝雄

古賀雷四郎

綿貫民輔

粕谷茂

坂元親男

井上吉夫

阿部文男

砂田重民

木部佳昭

谷洋一

伊江朝雄

北修二

上原康助

佐藤守良

小里貞利

小沢潔

高木正明

岡部三郎

稲垣実男

鈴木宗男

井上吉夫

野中広務

青木幹雄

中川秀直

福田康夫

橋本龍太郎

橋本龍太郎

尾身幸次

細田博之

茂木敏充

小池百合子

高市早苗

岸田文雄

林幹雄

佐藤勉

林幹雄

前原誠司

馬淵澄夫

枝野幸男

川端達夫

樽床伸二

山本一太

山口俊一

島尻安伊子

鶴保庸介

江﨑鐵磨

福井照

宮腰光寛

衛藤晟一

河野太郎

西銘恒三郎

岡田直樹

自見英子

伊東良孝

山中貞則

大石武一

小山長規

三木武夫

毛利松平

小沢辰男

丸茂重貞

石原慎太郎

山田久就

上村千一郎

土屋義彦

鯨岡兵輔

原文兵衛

梶木又三

上田稔

石本茂

森美秀

稲村利幸

堀内俊夫

青木正久

山崎竜男

森山眞弓

志賀節

北川石松

愛知和男

中村正三郎

林大幹

広中和歌子

浜四津敏子

桜井新

宮下創平

大島理森

岩垂寿喜男

石井道子

大木浩

真鍋賢二

清水嘉与子

川口順子

川口順子

大木浩

鈴木俊一

小池百合子

若林正俊

鴨下一郎

斉藤鉄夫

小沢鋭仁

松本龍

江田五月

細野豪志

長浜博行

石原伸晃

望月義夫

丸川珠代

山本公一

中川雅治

原田義昭

小泉進次郎

山口壯

西村明宏

伊藤信太郎

浅尾慶一郎

今松治郎

松野頼三

福田篤泰

藤枝泉介

小平久雄

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野田武夫

臼井荘一

安井謙

森清

塚原俊郎

田中龍夫

床次徳二

山中貞則

本名武

坪川信三

小坂徳三郎

植木光教

西村尚治

藤田正明

稲村佐近四郎

三原朝雄

小渕恵三

中山太郎

田邊圀男

丹羽兵助

中西一郎

廃止

水田三喜男

塚田十一郎

三木武夫

福田赳夫

中村梅吉

船田中

椎名悦三郎

福田赳夫

田中角栄

賀屋興宣

三木武夫

周東英雄

赤城宗徳

水田三喜男

西村直己

大平正芳

根本龍太郎

水田三喜男

小坂善太郎

櫻内義雄

倉石忠雄

水田三喜男

山中貞則

松野頼三

櫻内義雄

河本敏夫

江﨑真澄

河本敏夫

安倍晋太郎

田中六助

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伊東正義

渡辺美智雄

村田敬次郎

三塚博

加藤六月

森喜朗

三塚博

橋本龍太郎

加藤紘一

山崎拓

池田行彦

亀井静香

麻生太郎

額賀福志郎

与謝野馨

中川秀直

中川昭一

石原伸晃

谷垣禎一

保利耕輔

石破茂

茂木敏充

甘利明

高市早苗

稲田朋美

茂木敏充

岸田文雄

下村博文

高市早苗

萩生田光一

渡海紀三朗

小野寺五典

太田正孝

植木庚子郎

前尾繁三郎

愛知揆一

坊秀男

小山長規

坊秀男

小山長規

内田常雄

桜内義雄

黒金泰美

坊秀男

小山長規

内田常雄

植木庚子郎

小川平二

金子一平

倉成正

山中貞則

村山達雄

加藤六月

山中貞則

三塚博

西岡武夫

塩川正十郎

武藤嘉文

村山達雄

林義郎

武藤嘉文

相澤英之

津島雄二

柳澤伯夫

与謝野馨

津島雄二

野田毅

宮澤洋一

甘利明

宮澤洋一

遠藤温1890-1891

安東九華1891-1894

寺田彦太郎1894-1902

富永発叔1902

豊永長吉1903

岩本晴之1904-1912

中島行孝1912-1914

佐竹作太郎1914

大村和吉郎1915

市原又次郎1915-1917

斎藤寿雄1917-1924

竹原樸一1924-1928

犬養毅1928-1931

篠崎豊彦1931-1932

犬養毅1932

高木正年1932-1934

本多貞次郎1934-1937

尾崎行雄1937-1947

尾崎行雄1947-1953

安藤正純1953-1955

吉田茂1955-1963

松村謙三1963-1969

益谷秀次1969-1972

千葉三郎1972-1976

船田中1976-1979

西村英一1979-1980

灘尾弘吉1980-1983

三池信1983-1986

福田一1986-1990

原健三郎1990-2000

奥野誠亮2000-2003

山中貞則2003-2004

中山太郎2004-2009

沓掛哲男2009-2012

石原慎太郎2012-2014

亀井静香2014-2017

伊吹文明2017-2021

二階俊博2021-2024

麻生太郎2024-

前田郁

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永田良吉

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岩川与助

永田良吉

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2024/11/22 05:40更新

yamanaka sadanori


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