山田真二の情報(やまだしんじ) 俳優、歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
山田 真二さんについて調べます
■名前・氏名 |
山田真二と関係のある人
悠木圭子: 最初の夫は俳優の山田真二だったが、のち離婚。 松島アキラ: 湖愁/哀愁の街に霧が降る(山田真二) (1980年 ゴールデンベストシリーズ SV-7507) 根岸明美: 俳優の山田真二とは家族ぐるみで交友があり、山田の姉である舞踏家の山田奈々子は、根岸について自己流で生きている面白い人であったと評している。 吉田正: 哀愁の街に霧が降る(1956年/山田真二) 伊海田弘: 『哀愁の街に霧が降る』 : 監督日高繁明、脚本村田武雄・日高繁明、主演山田真二・青山京子、製作・配給東宝、1956年10月31日公開 - 労働者B役 長良じゅん: 雪村いづみ、浜村美智子、弘田三枝子、山田真二、水原弘といった大物スターのマネージャーを担当した。 佐伯孝夫: 哀愁の街に霧が降る(作曲:吉田正、歌:山田真二、1956年6月) |
山田真二の情報まとめ
山田 真二(やまだ しんじ)さんの誕生日は1937年3月25日です。東京出身の俳優、歌手のようです。
離婚、映画、引退、結婚に関する情報もありますね。2007年に亡くなられているようです。
山田真二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)山田 真二(やまだ しんじ、本名:山田 常高(やまだ つねたか)、1937年3月25日 - 2007年10月15日)は、日本の俳優、歌手。東京市小石川区向ヶ丘弥生町(東京都文京区弥生)出身。東洋音楽学校中退。 父は舞踏家の山田五郎、姉も舞踏家の山田奈々子。妻は大映の女優の藤田佳子だったが、のち離婚。 1954年松竹に入社し、同年公開された映画『黒い罌粟』で俳優デビュー。翌年東宝に移り、エキゾチックな甘いマスクの二枚目俳優として人気を集め、中川信夫監督の『夏目漱石の三四郎』、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの三人娘と共演した『ジャンケン娘』などに出演。また、共演した雪村いづみの勧めで1956年に発売した『哀愁の街に霧が降る』で歌手としても大ヒットを飛ばし、1959年の第10回NHK紅白歌合戦に出場した。 のち芸能界を引退し、六本木で「好きな歌を歌える店」を経営していた。 2007年10月15日、間質性肺炎のため東京都文京区の病院で死去。70歳。 2008年3月28日、雪村いづみらが発起人になって偲ぶ会が行われ、梅宮辰夫や『哀愁の街に霧が降る』をカバーした山川豊らが出席した。 黒い罌粟(1954年) 夏目漱石の三四郎(1955年) ジャンケン娘(1955年) 朝霧(1955年) 若い樹(1956年) 哀愁の街に霧が降る(1956年) ロマンス誕生(1957年) 大当り三色娘(1957年) 大当り狸御殿(1958年) 結婚のすべて(1958年) サザエさんの婚約旅行(1958年) 銀座のお姐ちゃん(1959年) お姐ちゃん罷り通る(1959年) 特別機動捜査隊 第168話「蒼い叫び」(1965年、NET) われら九人の戦鬼(1966年、NET / 東映) - 高明寺源太郎 白い巨塔(1967年、NET) 吉田正:(『哀愁の街に霧が降る』の作曲者) 山田奈々子:(ダンサー。実姉) 椎名誠:自伝小説『哀愁の町に霧が降るのだ』の作者 平尾昌晃:平尾をオートレース好きにさせたきっかけを作ったのが当人。 ^ 姉の奈々子によれば、東宝の準所属であった父から東宝の方が真二にあっていると勧められたからであったという。 ^ 山田真二 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」コトバンク 2018年7月9日閲覧。 ^ 「インタビュー 舞踏家 山田奈々子(聞き手・友井健人)」『別冊映画秘宝 モスラ映画大全』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年8月11日、pp.42-43頁。ISBN 978-4-86248-761-2。 ^ 渡部保子『「映画ファン」スタアの時代』P.261-262 ^ 渡部保子『「映画ファン」スタアの時代』P.262 日本映画データベース 山田 真二 ISNI VIAF WorldCat アメリカ MusicBrainz 日本の男優 日本の男性歌手 NHK紅白歌合戦出演者 松竹の俳優 東宝の俳優 東京都区部出身の人物 1937年生 2007年没 2024/11/19 20:30更新
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yamada shinji
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