岩崎弥之助の情報(いわさきやのすけ) 実業家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
岩崎 弥之助さんについて調べます
■名前・氏名 |
岩崎弥之助と関係のある人
坂口康蔵: 三菱財閥の2代目総帥・岩崎弥之助の三男。 荘田平五郎: 」と感じ、岩崎弥之助に「丸の内、買い取らるべし」と打電。岩崎弥之助が松方正義蔵相と合意した買取額は128万円。 岡部長職: 長景は加藤高明(三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の娘婿)の長女・悦子と結婚しており、長章は岩崎輝弥(岩崎弥之助の三男)の長女・妙子と結婚したので、岡部家は三菱の創業者一族・岩崎家と二重の姻戚関係を持っているといえる。 忍成修吾: 青天を衝け(2021年) - 岩崎弥之助 役 井上勝: 1891年(明治24年):小野義眞・岩崎弥之助と共同で火山灰土の原野を開墾して小岩井農場(小岩井農牧株式会社)を創立。 岡村洋一: 破天荒力 A miracle of Hakone - 岩崎弥之助 荘田平五郎: 佐幾は岩崎弥次郎・美和夫妻の次女で三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の妹かつ三菱の2代目総帥・岩崎弥之助の姉。 川田小一郎: 1885年(明治18年)の弥太郎死後は、新たに三菱を率いた岩崎弥之助を助け、鉱山業、造船業など基幹産業への集中投資を推進するなど、今日に至る繁栄の礎を築いた。 重野安繹: 成達書院の門下生に岩崎弥之助がいる。 岩崎弥太郎: 弟の岩崎弥之助とともに岩崎家の中心的人物である。 ささの友間: 大河ドラマ 「龍馬伝」 (2010年、NHK総合) - 岩崎弥之助(青年時代) 役 井上勝: 東北本線の工事を進めながら、明治24年に小野義眞や岩崎弥之助らと共に小岩井農場を設立している。完全に経営に行き詰った勝は藤波言忠と新山荘輔に相談の上、明治31年(1898年)1月30日に牧場を岩崎弥之助の甥久弥に譲ると経営から手を引き、小岩井農場は後進に委ねられることになる。 新島襄: 明治21年(1888年)、徳富蘇峰の協力により井上馨・大隈重信・土倉庄三郎・大倉喜八郎・岩崎弥之助・渋沢栄一・原六郎・益田孝等から寄付金の約束を取付ける。 各務鎌吉: 妻・繁尾の母・藤岡佐幾は岩崎弥次郎・美和夫妻の次女で三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の妹かつ三菱の2代目総帥・岩崎弥之助の姉にあたる。 岩崎久彌: 1891年(明治24年)に帰国後、副社長として三菱社に入り、1894年(明治27年)、三菱社の合資会社転換と共に、叔父・岩崎弥之助に代わって社長に就任。 小野義真: 1891年(明治24年)、三菱社社長の岩崎弥之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり3名の頭文字から「小岩井」農場と名付けられた。 皆川猿時: らんまん(2023年上半期)- 岩崎弥之助 役 |
岩崎弥之助の情報まとめ
岩崎 弥之助(いわさき やのすけ)さんの誕生日は1851年2月8日です。高知出身の実業家のようです。
現在、結婚、兄弟、ドラマ、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。1908年に亡くなられているようです。
岩崎弥之助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)岩崎 弥之助(いわさき やのすけ、1851年2月8日(嘉永4年1月8日) - 1908年(明治41年)3月25日)は、日本の実業家で、三菱財閥の2代目総帥。男爵。三菱の創業者・岩崎弥太郎の弟にあたる。 岩崎弥次郎・美和夫妻の三男として土佐国安芸郡井ノ口村(現在の高知県安芸市)に生まれた。 1867年(慶応3年)、満16歳のときに土佐藩校の致道館に入学。この時、岩崎家は郷士の地位を失って地下浪人に没落しており、武士の教育を受けられる身分ではなかったが、兄の弥太郎が吉田東洋の知遇を受けて下級役人に出世していたため、入学することができた。 1869年(明治2年)には大阪に出て、重野安繹の私塾成達書院に入門し、この時に英語を学んだ。 1872年(明治5年)4月、アメリカに留学。横浜で貿易商をしていたウォルシュ・ホール社(Walsh, Hall and Co.)のウォルシュ家に寄宿し、フランシス・ホール(同社の社員だが創立者のホールとは別人)の兄エドワードが開校し校長をしていたニューヨーク近郊のコネチカット州エリントンにある男子校(Edward Hall's Family School for Boys)に通った。1873年(明治6年)11月に父の弥次郎が急逝し、兄の懇願もあって1年で留学を中断して帰国。三菱商会に入社。翌年の1874年(明治7年)の秋、弥太郎夫婦の仲人で後藤象二郎の長女・早苗子と結婚した。 敬愛する弥太郎の事業を助け、米国の太平海郵便汽船や英国のP&O汽船会社との競合に手腕を振るう、1885年(明治18年)2月に弥太郎が死亡してからは2代目総帥として三菱の多角化に尽力。ライバルの共同運輸会社との合併により日本郵船を誕生させ、海運部門を切り離すことで、鉱山開発や造船建造、地所、金融、倉庫などの事業を興した。 1890年(明治23年)、政府から丸の内の土地購入の打診があり、荘田平五郎や末延道成に相談したうえで120万円で購入。後の『三菱の三大買い物』の1つに挙げられている。 1893年(明治26年)に三菱合資会社を設立。三菱の総帥の座を甥の久弥(弥太郎の長男)に譲り、監務(今の相談役)の役職に就く。 1896年(明治29年)には川田小一郎の後任として第4代日本銀行総裁となるも、当時の大蔵大臣と折り合いが悪く、2年ほどで退職した。 1889年(明治22年)の東京市会議員選挙に神田区から立候補したが落選した。 1890年(明治23年)の帝国議会の創立時に、勅任されて貴族院議員となったが、1891年(明治24年)9月30日に辞職した。墓所は世田谷区岩崎家廟所。 1885年(明治18年)10月31日 - 従五位 1887年(明治20年)9月21日 - 正四位 1885年(明治18年)10月31日 - 勲四等旭日小綬章 1887年(明治20年)9月29日 - 金製黄綬褒章 1898年(明治31年)10月20日 - 勲三等旭日中綬章 1906年(明治39年)4月1日 - 勲二等旭日重光章 弥之助と早苗子の縁談は後藤象二郎と弥太郎が勝手に取り決めたもので、米国留学中の弥之助には寝耳に水だったが、家柄を優先する当時の世相から、弥之助自身も異存はなかったようである。結婚後は早苗子と共に、元は後藤の家であり、東京湾が見渡せる駿河台東紅梅町の高台の洋館(現在の御茶ノ水駅付近、日立製作所旧本社の辺り)に住み、長女・繁子、長男・小弥太、次男・俊弥、三男・輝弥の3男1女をもうけた。 3男1女はこの洋館で生まれ育ち、このうち息子は3人とも、私邸からお茶の水橋(聖橋は未完成)で神田川を渡った向かい側の湯島の丘(現在の東京医科歯科大学湯島キャンパス)にあった、官立の東京高等師範学校附属小・中学校(現在の筑波大学附属小学校、筑波大学附属中学校・高等学校)に通った。 長男・小弥太は三菱の4代目総帥で、次男・俊弥は旭硝子の創業者。三男・輝弥は分家して子安農園の経営に当たるとともに膨大な鉄道写真を残す。また、長女・繁子は、松方正義の次男で外交官の松方正作と結婚した。なお輝弥の次男・英二郎(弥之助の孫でドイツ語学者)は北原白秋の長女と結婚している。また、ベンチャーキャピタルの分野で活動しているキャピタリスト・岩崎俊男とブラジル東山農事社長の岩崎透は弥之助の曾孫にあたる。 学問を好み、蔵書家・美術収集家としても知られた。重野安繹を師として漢学を学び、重野の研究を助けるために始めた古典籍収集は、宋・元の刊本をはじめとする貴重書の宝庫となっており、これを収蔵するために弥之助が自邸内に設けたのが重野を文庫長とする「静嘉堂文庫」である。 古典籍に加えて書画・茶道具・刀剣などの古美術を多数収集した。これらの収集は長男・小弥太に引き継がれ、昭和15年(1940年)に小弥太が創設した財団法人静嘉堂文庫(東京都世田谷区岡本)に寄付された 。国宝・重要文化財を含む数多くの古典籍と古美術品からなる文庫の所蔵品は、昭和52年(1977年)より一般公開されており、現在では静嘉堂文庫美術館として常設の美術館になっている。 米国留学中、教育機関に通わない、現地の邦人と極力交際しない、など、独自の理論に基づいて英語力を上達させたという。 激しく豪快な気性だった兄・弥太郎と異なり、弥之助は温厚で奥ゆかしい性格だったと言われている。渋沢栄一は、「弥之助氏は弥太郎氏とその性行を異にし、きわめて公平に、きわめて温厚親切の士君子なりき。弥之助氏は実に非凡なる守成の人なり」と書き残している。岩崎家の歴史をまとめた『岩崎家譜』を自ら編纂した際も、弥之助は自身にまつわる逸話を一切残さなかった。 ^ 後の2つは兄の岩崎弥太郎による外国人からの上海航路(84万円)と後藤象二郎からの高島炭鉱(100万円)の購入である。 ^ 勅任議員は終身となるが、弥之助が登院したのは第1回帝国議会のみである。 ^ 岩崎俊男の母は俊弥の三女すなわち弥之助の孫娘で、俊男の父・寿男は俊弥未亡人・八穂の婿養子。また岩崎透は英二郎の長男すなわち輝弥の孫。 ^ 「静嘉堂文庫」で蒐集の図録が出されている。 ^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。 ^ "Ellington" p21Lynn Kloter Fahy, Arcadia Publishing, Oct 12, 2005 ^ 『岩崎彌之助傳 (上下)』、上巻p.10 、岩崎家傳記刊行会編纂会刊、1971年/復刊東京大学出版会。1986年。但し次男は夭折しており、三男の弥之助が戸籍上は次男となっている。 ^ "Japan's Early Experience of Contract Management in the Treaty Ports" Yuki Allyson Honjo, Routledge, Dec 19, 2013 ^ 三菱人物伝「三菱の人ゆかりの人」vol.06 ウォルシュ兄弟三菱グループ公式サイト ^ "Ellington" p90 Lynn Kloter Fahy, Arcadia Publishing, Oct 12, 2005 ^ 『岩崎俊彌傳』 故岩崎俊弥氏伝記編纂会、1932年、第二篇 小傳、家系 P177。 ^ 制限選挙期における東京市会議員総選挙の結果について(櫻井良樹) ^ 『官報』第2479号、明治24年10月2日。 ^ 『官報』第703号「叙任」1885年11月2日。 ^ 『官報』第1278号「叙任及辞令」1887年9月30日。 ^ 『官報』第1278号「彙報 - 褒章」1887年9月30日。 ^ 『官報』第4594号「叙任及辞令」1898年10月21日。 ^ 『官報』第7275号「叙任及辞令」1907年9月27日。 ^ “もとをたどれば:旭硝子 日本近代化へガラス国産挑戦”. 毎日新聞. (2018年4月8日). https://mainichi.jp/articles/20180408/ddm/008/020/083000c 2020年3月8日閲覧。 ^ “2. 岩崎弥太郎と渋沢栄一 / 渋沢雅英”. 公益財団法人渋沢栄一記念財団. (2010年6月14日). https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/himago/himago02.html 2024年9月25日閲覧。 ^ 『もう一人の「三菱」創業者、岩崎弥之助 企業の真価は二代目で決まる!』、P16 、河合敦、2012年/ソフトバンク新書。 麒麟麦酒 - 再建に関わった。 小岩井農場 - 共同創始者の一人。 清澄庭園 興亜会 龍馬伝(NHK大河ドラマ、2010年)演:須田直樹→ささの友間→今井隆文 八重の桜(NHK大河ドラマ、2013年)演:一岡裕人 青天を衝け(NHK大河ドラマ、2021年)演:忍成修吾 らんまん(NHK連続テレビ小説、2023年)演:皆川猿時 第4代総裁:岩崎彌之助 - 日本銀行 ホール記念図書館 - 彌之助のアメリカ時代の恩師を記念した図書館。1903年の建物が保存されている。 表 話 編 歴 岩崎弥太郎(1873年) 岩崎弥之助(1885年) 岩崎久弥(1893年) 岩崎小弥太(1916年) 田中完三(1943年) 服部一郎(1945年) 高垣勝次郎(1947年) 高垣勝次郎(1954年) 荘清彦(1960年) 藤野忠次郎(1966年) 田部文一郎(1974年) 三村庸平(1980年) 近藤健男(1986年6月) 諸橋晋六(1986年11月) 槙原稔(1992年6月) 佐々木幹夫(1998年) 小島順彦(2004年) 小林健(2010年6月) 垣内威彦(2016年4月) 中西勝也(2022年4月) 表 話 編 歴 岩崎弥太郎(1884年)・山脇正勝(1884年) 岩崎弥之助(1885年)・荘田平五郎(1886年) 岩崎久弥(1893年) 岩崎小弥太(1916年) 浜田彪(1917年12月 - 1932年)・武田秀雄(1918年5月) 斯波孝四郎(1920年2月 - 1942年2月) 取締役社長制・郷古潔(1941年2月 – 1945年10月) 取締役会長制復活・元良信太郎 (1943年4月 - 1945年10月) 玉井喬介 (1945年10月 - 1955年5月) 岡野保次郎 (1946年12月) 桜井俊記 李家孝(1950年1月) 桜井俊記(1952年5月) 河野文彦(1961年5月) - 藤井深造(1950年1月) 吉田義人(1959年5月) 藤井深造(1962年3月) - 丹羽周夫(1950年1月) 佐藤尚(1959年5月) - 藤井深造(1964年6月) 河野文彦(1965年5月) 牧田与一郎(1969年5月) 古賀繁一(1971年12月) 守屋学治(1973年5月) 金森政雄(1977年6月) 末永聡一郎(1981年6月) 飯田庸太郎(1985年6月) 相川賢太郎(1989年6月) 増田信行(1995年6月) 西岡喬(1999年6月) 佃和夫(2003年6月) 大宮英明(2008年4月) 宮永俊一(2013年4月) 泉澤清次(2019年4月) ^ 岩井良太郎『日本コンツェルン全書3:三菱コンツェルン読本』(1937年、春秋社、国立国会図書館)、渋沢栄一記念財団『渋沢社史データベース』、野村インベスター・リレーションズ『三菱重工業の歴史』、他。 ^ 1950年までで社長が明らかでないか不在の場合は、三菱財閥総帥もしくは三菱重工業会長、もしくは長崎造船所所長または支配人を含むか、或いは併記する。 表 話 編 歴 吉原重俊 富田鐵之助 川田小一郎 岩崎弥之助 山本達雄 松尾臣善 高橋是清 三島彌太郎 井上準之助 市来乙彦 井上準之助 土方久徴 深井英五 池田成彬 結城豊太郎 渋沢敬三 新木榮吉 一万田尚登 新木榮吉 山際正道 宇佐美洵 佐々木直 森永貞一郎 前川春雄 澄田智 三重野康 松下康雄 速水優 福井俊彦 白川方明 黒田東彦 植田和男 表 話 編 歴 キリンホールディングス 三菱製紙 三菱ケミカルグループ 三菱ガス化学 三菱ケミカル(注4) 大日本塗料 AGC UBE三菱セメント(注2) ENEOSホールディングス(注1) 三菱製鋼 三菱マテリアル 三菱化工機 三菱重工業 三菱自動車工業 三菱ふそうトラック・バス 三菱電機 ニコン 三菱プレシジョン 三菱商事 三菱食品 アストモスエネルギー ローソン 三菱UFJ銀行(注2) 三菱UFJ証券ホールディングス 三菱UFJ信託銀行(注2) 三菱オートリース 三菱UFJニコス(注2) 三菱HCキャピタル(注2) 東京海上日動火災保険(注3) 明治安田生命保険(注3) 三菱地所 三菱倉庫 日本郵船 三菱鉱石輸送 三菱総合研究所 日本タタ・コンサルタンシー・サービシズ 三菱財閥 歴代総帥
2代:岩崎弥之助 3代:岩崎久弥 4代:岩崎小弥太 岩崎家 旧岩崎邸庭園 スリーダイヤ 丸の内 ダイヤモンドカップゴルフ 三菱未来館 三菱グループのポータルサイト 三菱金曜会 三菱広報委員会 (注1)日産・日立グループ(春光会・春光懇話会)メンバーでもある。 (注2)三和グループ(三水会・みどり会)メンバーでもある。 (注3)芙蓉グループ(芙蓉会・芙蓉懇談会)メンバーでもある。 (注4)三菱金曜会のメンバーであるが、三菱広報委員会のメンバーではない。 FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research 岩崎家 日本の男爵 貴族院勅選議員 明治時代の貴族院議員 日本の地方議会議員選挙の立候補経験者 日本銀行総裁 19世紀日本の実業家 20世紀日本の実業家 日本の海事実業家 日本の美術品収集家 日本の蔵書家 興亜会の人物 東邦協会の人物 勲二等旭日重光章受章者 金製黄綬褒章受章者 土佐国の人物 高知県出身の人物 1851年生 1908年没 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2024/11/15 01:12更新
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iwasaki yanosuke
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