嶋原清子の情報(しまはらきよこ) 陸上競技/マラソン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
嶋原 清子さんについて調べます
■名前・氏名 |
嶋原清子と関係のある人
周春秀: 12月のドーハアジア競技大会では、レース序盤から飛ばして独走、2位争いを演じていた嶋原清子・小幡佳代子とは3分以上の大差をつける圧勝で金メダルを獲得。 原裕美子: 嶋原清子は6位入賞、小﨑まり14位、橋本康子23位)。 小幡佳代子: 中国)に3分以上離されたが、嶋原清子(資生堂)とゴール直前まで銀メダル争いを演じ、嶋原とは4秒差で敗れたものの、3位に入り銅メダルを獲得した。 森本友: 気温29度という暑さの中、33km過ぎで2位グループについていた嶋原清子・渋井陽子らを振り切ってスパート、40Km手前で最大3分近くの差があった吉田香織をかわして逆転。 千葉真子: 11月、翌年の世界陸上ヘルシンキ大会代表を目指して、東京国際女子マラソンに出場したが、レース終盤で優勝のブルーナ・ジェノベーゼと2位の嶋原清子に抜かれて、結局4位に留まった。 加納由理: この名古屋の優勝が評価され、2010年11月に中華人民共和国・広州市で開催されるアジア競技大会女子マラソン日本代表選手に、同チームメイトの嶋原清子と共に選出された。 加納由理: その後は嶋原清子らにも追い抜かれて7位に留まった。 千葉真子: 8月の北海道マラソンでは、序盤から嶋原清子らを寄せ付けず、2時間25分46秒の大会新記録で2年連続3回目の優勝を果たした。 |
嶋原清子の情報まとめ
嶋原 清子(しまはら きよこ)さんの誕生日は1976年12月22日です。山口出身の陸上競技
マラソンのようです。
卒業、結婚、引退に関する情報もありますね。嶋原清子の現在の年齢は47歳のようです。
嶋原清子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)嶋原 清子(しまはら きよこ、1976年12月22日 - )は、日本の女子陸上競技(長距離走・マラソン)元選手。山口県大島郡周防大島町出身。高水高等学校、国士舘大学卒業。身長154cm、体重43kg。1999年4月、資生堂ランニングクラブに入部し、その後8年間所属していたが、2007年4月1日をもってセカンドウィンドAC(SWAC)に移籍した。 2010年5月、当時陸上競技の現役選手で佐久長聖高等学校・陸上部コーチ(2011年3月より同校陸上部監督就任)の高見澤勝と結婚、その後ミセスランナーとしても活躍した。2012年1月29日の大阪国際女子マラソンで現役引退。2012年12月6日、第一子となる男子を出産した。 現役引退後は主にSWACスタッフを務め、2013年4月よりSWACのリーダーとして活動中(同時にSWAC監督だった川越学はアドバイザーへ転任)。 2003年11月に開催された東京国際女子マラソンでは、気温20度を超える季節外れの高温であった。その影響のせいか同レースに出走の女子選手達は、レース終盤に失速したり途中棄権も多く目立った(アテネオリンピックを目指した高橋尚子も、30Km手前からの大失速でまさかの2位と敗退、それが響きアテネ五輪落選)。そんな中、嶋原は終始安定した走りを見せて、3位でフィニッシュした。 2004年11月開催の東京国際女子マラソンでは、10Km手前で先頭集団から抜け出したエルフェネッシュ・アレム(エチオピア)、千葉真子らにはついていかず、マイペースを維持。嶋原は35Kmを過ぎてから徐々にペースを上げ始め、40Kmを過ぎると先頭を走っていたアレムと千葉を追い越し逆転。しかし優勝したブルーナ・ジェノベーゼ(イタリア)には、わずか9秒差で届かず2位だった。翌2005年8月開催の世界陸上ヘルシンキ大会女子マラソン代表には、補欠に留まる。 2005年8月開催の北海道マラソンでは、当時の大会記録で優勝した千葉真子に惜しくも敗れて2位だったが、自己記録を29秒上回ってのフィニッシュとなった。 2006年12月に開催のドーハアジア競技大会女子マラソンは、号砲直後ハイペースで一人飛び出した周春秀(中国)についていかず、同じ日本代表の小幡佳代子と併走する。レース終盤でペースの落ちた周を追い上げるも届かず、優勝の周とは3分以上の差をつけられた。フィニッシュ直前まで小幡と2位争いのデッドヒートを繰り広げたが、残り1Kmを過ぎて嶋原がスパート、銀メダルを獲得した。なお40Km地点の給水所で、嶋原は自分のスペシャルドリンクを取った後、小幡にもドリンクを手渡す場面があった。この成績が評価され、翌2007年9月開催の世界陸上大阪大会女子マラソン代表に初選出された。 2007年9月の世界陸上選手権女子マラソン本番当日の大阪は、スタート時の朝7時で27.5度、湿度74%という高温多湿の気象条件だった。高温下のスタミナ勝負となれば嶋原にも上位入賞が十分期待されていたが、結果6位入賞の好成績でフィニッシュする。しかし3位入賞し銅メダル獲得、翌2008年8月開催の北京オリンピック代表に即内定となった土佐礼子らには、あと一歩届かなかった。 翌2008年3月開催の名古屋国際女子マラソンに再び北京五輪代表を目指して出場したが、レース中盤の26Km付近で優勝争いの先頭集団から脱落し、結局11位に終わった。 2008年10月開催のシカゴマラソンでは、気温25度を超える高温の気象条件を苦にせず、北京五輪女子マラソン金メダリストのコンスタンティナ・トメスク(ルーマニア・4位)に先着、3位に入った。 2008年12月に開催されたホノルルマラソンでは、海外メジャーマラソンで初優勝を果たす(同マラソンの日本人優勝者は2003年の早川英里以来5年ぶり2人目)。2位には当時SWAC所属だった吉田香織がフィニシュ、ホノルルマラソンでは日本人初となるワンツーフィニッシュを達成した。 2009年8月に開催された北海道マラソンでは、スタートしてから間もなく同SWACの尾崎朱美と先頭争いを繰り広げたが、12Km過ぎに嶋原が抜け出してからは独走となる。気温が25度を下回る涼しい好条件もあって、結果過去に千葉真子の持つ大会記録を36秒更新、自身も4年前の同マラソンで出した自己ベストを、さらに1分以上更新する2時間25分台のタイムで、念願の国内メジャーマラソンで初優勝を飾った。また2位には尾崎朱美が入り、昨年12月のホノルルマラソン同様に、SWAC選手同士でワンツーフィニッシュを果たした。 2009年11月、記念すべき第1回大会の横浜国際女子マラソンに出走。インガ・アビトワ(ロシア)の30Km付近から仕掛けたロングスパートにはついていけず、一時3番手に下がったものの、36.5Kmでキャサリン・ヌデレバ(ケニア)を追い越し逆転、日本人トップの2着(当初)だった(しかし4年後の2013年11月、アビトワのドーピング違反により失格と判定され嶋原が繰り上がって優勝、横浜国際女子マラソンの初代女王となった)。後に同マラソンでの成績が決め手となり、2大会連続のアジア競技大会女子マラソン代表に決定した。 2009年12月、連覇を目指してホノルルマラソンに出場。タイムこそ前年優勝時より2分43秒上回ったが、優勝したスベトラーナ・ザハロフ(ロシア)には1分19秒の差で、惜しくも2位だった。 2010年11月開催の広州アジア競技大会女子マラソンへ、当時チームメートの加納由理と共に出場。しかし、アジア大会2連覇を達成した周春秀らの先頭集団に、序盤の8Km過ぎでついていけず後退。レース後半に追い上げ、途中で加納らをかわしたものの5位に留まり、アジア大会での連続メダル獲得はならなかった。 2011年8月の北海道マラソンは、33Km過ぎで2位集団から抜け出して優勝した森本友のスパートにはついていけなかったが、途中渋井陽子・吉田香織を追い越して2位に食い込んだ。 2011年10月の第1回大阪マラソンでは、女子の部で優勝したリディア・シモン(ルーマニア)には48秒及ばなかったが、日本女子ではトップの2位だった。 2012年1月の大阪国際女子マラソンで、一区切りのレースにする事を発表。その大阪では優勝者の重友梨佐らハイペースの先頭集団についていかず、序盤の2Km辺りからマイペースで追走。その後レース後半に追い上げて(中盤以降失速した福士加代子を追い抜く際「ここからだよ」と福士の肩を叩くパフォーマンスを見せていた)、結果5位(当初、のち2位のタチアナ・ガメラシュミルコのドーピング違反・失格により4位に繰り上げ)という成績で締め括った。さらに、かつて資生堂RCの元チームメートで、奇しくも嶋原の誕生日と一緒だった佐藤由美もラストランで6位(のち5位に繰上)に入り、二人はフィニッシュ後健闘を称えあうシーンがあった。 2013年10月、長男出産後初の「ママさんランナー」で第3回大阪マラソンに出場。女子優勝のモニカ・ジェプコエチ(ケニア)には約5分届かなかったものの、日本女子では2番手(日本女子トップは2位の吉住友里)の3位でフィニッシュした。 1997年3月2日 篠山ABCマラソン大会(日本学生選手権) 2時間58分39秒 14位 2003年2月11日 勝田全国マラソン 2時間28分17秒 優勝 2003年11月16日 東京国際女子マラソン 2時間31分10秒 3位 2004年11月21日 東京国際女子マラソン 2時間26分43秒 2位 2005年8月28日 北海道マラソン 2時間26分14秒 2位 2006年1月29日 大阪国際女子マラソン 2時間26分47秒 3位 2006年4月17日 ボストンマラソン 2時間26分52秒 5位 2006年12月9日 ドーハアジア競技大会女子マラソン 2時間30分34秒 2位(銀メダル獲得) 2007年4月22日 ロンドンマラソン 途中棄権(25Km過ぎの地点、過呼吸の発作により) 2007年9月2日 世界陸上大阪大会女子マラソン 2時間31分40秒 6位入賞 2007年11月25日 東レ上海マラソン 2時間35分41秒 2位 2008年3月9日 名古屋国際女子マラソン 2時間30分30秒 11位 2008年10月12日 シカゴマラソン 2時間30分19秒 3位 2008年12月14日 ホノルルマラソン 2時間32分36秒 優勝 2009年3月22日 東京マラソン2009 2時間31分57秒 6位 2009年8月30日 北海道マラソン 2時間25分10秒 優勝(大会新記録・自己ベスト更新) 2009年11月15日 横浜国際女子マラソン 2時間28分51秒 優勝(当初1着だったアビトワがドーピング違反で失格により繰り上げ) 2009年12月13日 ホノルルマラソン 2時間29分53秒 2位 2010年4月18日 長野オリンピック記念長野マラソン 2時間34分46秒 4位 2010年11月27日 広州アジア競技大会女子マラソン 2時間32分11秒 5位 2011年2月27日 東京マラソン2011 2時間42分19秒 16位 2011年8月28日 北海道マラソン 2時間34分26秒 2位 2011年10月30日 大阪マラソン 2時間33分36秒 2位 2012年1月29日 大阪国際女子マラソン 2時間29分51秒 4位(当初2着だったガメラシュミルコがドーピング違反で失格により繰り上げ) 2013年10月27日 大阪マラソン 2時間44分37秒 3位(ママさんランナーとして初出走) 2014年3月2日 萬金石マラソン(台湾) 2時間46分59秒 8位 2014年4月20日 長野オリンピック記念 長野マラソン 2時間42分50秒 7位 2014年10月26日 大阪マラソン 途中棄権 2014年11月16日 横浜国際女子マラソン 2時間51分18秒 17位 現役選手として過去20回以上フルマラソンに出走した嶋原は、序盤及び前半からの速いペースにはついていかず、自重気味にレースを進めて余力を残し、マラソンの後半及び終盤に追い上げペースの落ちた選手をかわしていく、というレースのパターンが多かった。逆にレース前半から先頭集団がスローペースの場合は、終始集団についていき後半粘って勝負というケースも見られた。なお寒い冬場のスピードレースには対応出来ず、マラソン自己記録は2時間25分台に留まったが、フルマラソンの自己ベストでは珍しく、2009年8月に開催された夏場の北海道マラソンなど、特に暑い時期でのマラソン大会で好成績を残している。 ^ “マラソンの嶋原、大阪国際で引退 出産準備などを理由に”. 47NEWS (2011年12月16日). 2012年2月11日閲覧。 ^ “応援してくださる皆様へ” (2011年12月16日). 2012年2月11日閲覧。 ^ SWAC選手・嶋原清子 第1子出産のお知らせSWAC選手BLOG ^ “高橋、後半遅れ2位 代表争いは波乱含み”. 47NEWS (2003年11月16日). 2012年2月11日閲覧。 ^ “嶋原が2位、千葉は4位 東京国際女子マラソン”. 47NEWS (2004年11月21日). 2012年2月11日閲覧。 ^ “男女マラソン代表を発表 世界選手権、9人が初代表”. 47NEWS (2005年3月14日). 2012年2月11日閲覧。 ^ “千葉が大会新で3度目V 男子は渡辺が初優勝”. 47NEWS (2005年8月28日). 2012年2月11日閲覧。 ^ “嶋原2位、小幡3位 マラソン”. 47NEWS (2006年12月9日). 2012年2月11日閲覧。 ^ “土佐、粘りの銅で五輪切符 世界陸上女子マラソン”. 47NEWS (2007年9月2日). 2012年2月11日閲覧。 ^ “嶋原が女子3位 シカゴ・マラソン”. 47NEWS (2008年10月13日). 2012年2月11日閲覧。 ^ “女子で嶋原が初優勝、吉田が2位 ホノルル・マラソン”. 47NEWS (2008年12月15日). 2012年2月11日閲覧。 ^ “第1回大会の優勝者が嶋原に 横浜国際女子マラソン”. 47NEWS (2013年11月16日). 2014年3月31日閲覧。 ^ “女子マラソン嶋原5位、加納7位 周春秀が2連覇”. 47NEWS (2010年11月27日). 2012年2月11日閲覧。 ^ “引退レースで「感無量」会心の5位 福士にエールも 嶋原清子選手”. msn 産経ニュースwest (2012年1月29日). 2012年2月11日閲覧。 嶋原清子 - 日本陸上競技連盟の選手名鑑 セカンドウィンドAC 公式ホームページ内 嶋原清子 TBS「世界陸上大阪」ミス・オールウェザー 嶋原清子 表 話 編 歴 79 ジョイス・スミス 80 ジョイス・スミス 81 リンダ・スタウト 82 ゾーヤ・イワノワ 83 佐々木七恵 84 カトリン・ドーレ 85 カトリン・ドーレ 86 ロザ・モタ 87 カトリン・ドーレ 88 アウロラ・クーニャ 89 リュボフ・クロチコ 90 謝麗華 91 谷川真理 92 リズ・マッコルガン 93 ワレンティナ・エゴロワ 94 ワレンティナ・エゴロワ 95 浅利純子 96 藤村信子 97 伊藤真貴子 98 浅利純子 99 山口衛里 00 ジョイス・チェプチュンバ 01 デラルツ・ツル 02 バヌーエリア・ムラシャニ 03 エルフィネッシュ・アレム 04 ブルーナ・ジェノベーゼ 05 高橋尚子 06 土佐礼子 07 野口みずき 08 尾崎好美 09 嶋原清子 11.2 尾崎好美 11.11 木崎良子 12 リディア・チェロメイ(英語版) 13 アルビナ・マヨロワ(ロシア語版) 14 田中智美 15 アツェデ・バイサ 16 チェイエチ・ダニエル 17 チェイエチ・ダニエル 18 ダリラ・ゴサ 19 ペレス・ジェプチルチル 20 表 話 編 歴 塚原直貴 小島茂之 末續慎吾 高平慎士 金丸祐三 山口有希 小林史和 前田和浩 大森輝和 内藤真人 田野中輔 成迫健児 河北尚広 大前祐介 堀籠佳宏 向井裕紀弘 醍醐直幸 土屋光 澤野大地 藤川健司 仲元紀清 畑瀬聡 土井宏昭 村上幸史 田中宏昌 大崎悟史 入船敏 森岡紘一朗 山﨑勇喜 高橋萌木子 北風沙織 中村宝子 信岡沙希重 丹野麻美 木田真有 杉森美保 小林祐梨子 吉川美香 杉原加代 福士加代子 大南博美 久保倉里美 吉田真希子 石田智子 竹内昌子 青山幸 錦織育子 池田久美子 花岡麻帆 室伏由佳 綾真澄 海老原有希 中田有紀 嶋原清子 小幡佳代子 坂倉良子 表 話 編 歴 朝原宣治 塚原直貴 末續慎吾 高平慎士 神山知也 山口有希 金丸祐三 横田真人 小林史和 三津谷祐 松宮隆行 竹澤健介 前田和浩 内藤真人 田野中輔 八幡賢司 成迫健児 為末大 吉形政衡 岩水嘉孝 石塚祐輔 佐藤光浩 醍醐直幸 澤野大地 荒川大輔 杉林孝法 畑瀬聡 畑山茂雄 室伏広治 土井宏昭 村上幸史 田中宏昌 尾方剛 大崎悟史 諏訪利成 佐藤智之 久保田満 森岡紘一朗 杉本明洋 谷井孝行 明石顕 谷内雄亮 山﨑勇喜 副島正純 洞ノ上浩太 廣道純 高橋萌木子 信岡沙希重 丹野麻美 陣内綾子 吉川美香 福士加代子 杉原加代 絹川愛 脇田茜 石野真美 久保倉里美 早狩実紀 辰巳悦加 北風沙織 渡辺真弓 青木沙弥佳 木田真有 青山幸 近藤高代 池田久美子 吉田文代 豊永陽子 室伏由佳 綾真澄 吉田恵美可 中田有紀 土佐礼子 嶋原清子 小崎まり 原裕美子 橋本康子 川崎真裕美 渕瀬真寿美 坂倉良子 土田和歌子 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2024/11/23 09:42更新
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