工藤紀夫の情報(くどうのりお) 囲碁 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png?)
工藤 紀夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
工藤紀夫と関係のある人
小林覚: 1995年最高棋士決定戦で森田道博七段・工藤紀夫九段・兄弟子の加藤正夫王座、決勝3番勝負で同じく兄弟子である小林光一名人に半目負けの後2連勝して優勝。 前田陳爾: 門下に工藤紀夫、大枝雄介など。 石田芳夫: 王座 1974、1978年(対林海峰、工藤紀夫) 高木祥一: 1969年、首相杯争奪戦決勝で工藤紀夫を破って優勝。 大竹英雄: 工藤紀夫を含めた3名で「三羽烏」ともよばれたこともある。 梶原武雄: この時の副団長は林裕、また団員に工藤紀夫、安倍吉輝がいた。 安倍吉輝: 1965年、梶原武雄を団長、林裕を副団長とする囲碁使節団の一員として工藤紀夫とともに、1ヶ月中国を訪問。 小林光一: 第25期天元戦で工藤紀夫九段を3-0で破り天元防衛同年、阿含・桐山杯優勝。 菊池康郎: 1956年(昭和31年)の『娯楽よみうり』誌でのアマ強豪との勝ち抜き戦では、アマチュア及びプロの大竹英雄初段に勝ち、続いて工藤紀夫二段に敗れるまで27連勝。 前田陳爾: 工藤紀夫「なつかしの前田詰碁」(「棋道」1994年1〜12月号) 苑田勇一: 第14期天元戦で苑田は、1回戦マイケル・レドモンド、2回戦で工藤紀夫に勝ち、準々決勝は対戦相手の依田紀基が病気で不戦勝、準決勝で武宮正樹、決勝で小林覚を破り、3度目の五番勝負出場となった。 林海峰: 工藤紀夫を含めた3名で「三羽烏」ともよばれたこともある。 藤沢秀行: 昭和30年代には、阿佐ヶ谷の自宅で、茅野直彦、当時十代であった林海峰、大竹英雄、工藤紀夫、高木祥一、小島高穂ら十数人による月2回の研究会を行なっていた。 石井邦生: 74歳での達成は工藤紀夫の71歳を上回り史上最年長記録。59年10カ月での達成も工藤紀夫を上回り史上最長記録。 |
工藤紀夫の情報まとめ
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png)
工藤 紀夫(くどう のりお)さんの誕生日は1940年8月2日です。青森出身の囲碁棋士のようです。
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png)
タイトル獲得歴、新手などについてまとめました。現在、家族、卒業に関する情報もありますね。工藤紀夫の現在の年齢は83歳のようです。
工藤紀夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)工藤 紀夫(くどう のりお、昭和15年(1940年)8月2日 - )は、囲碁の棋士。青森県弘前市出身、日本棋院東京本院所属、前田陳爾門下、九段。元日本棋院副理事長。 第25期王座・第23期天元位。第31回棋道賞優秀棋士賞受賞。若い頃は力碁で「眠狂四郎」のニックネームがあったが、後年粘り強く冷静な棋風へと変化した。 現在、存命の七大タイトル獲得経験者では最年長である。 生後すぐ、家族とともに満洲にわたる。日本の敗戦により、苦難の旅で弘前にひきあげる。 小学1年生の時に囲碁をおぼえ、当時、妻の実家があった弘前に疎開していた勝本哲州(元「棋道」編集者)に師事する。1952年に勝本が家族と上京する。小学校卒業の1953年に勝本に誘われて上京し、日本棋院院生となり、1955年入段して前田陳爾門下となる。1976年九段。 1960年、日本大学第二高等学校卒。 大竹英雄・林海峰と並ぶ素材と期待され、若手時代はその3名で「三羽烏」ともよばれた。だが、なかなかタイトル戦線に登場できなかったが、1977年に趙治勲を破って初タイトルとなる王座を獲得。 1997年、柳時熏を降して57歳で天元位を獲得、20年ぶりにタイトルホルダーに返り咲いた。 翌年小林光一に敗れてタイトルを失うが、翌々年再び挑戦権を得てリターンマッチに挑むなど、中高年の星として話題を集めた。 2011年10月6日、公式戦通算1000勝達成(613敗4ジゴ)。史上16人目で、最年長での到達。 1986年、日本棋院棋士会長。 棋士間での人望も厚く、2002年に日本棋院常務理事。2004年同棋院副理事長、2005年~2006年理事長代行。加藤正夫らとともに棋院改革に当たった。理事時代の2002年、コミを5目半から6目半に変えた。2005年、国際囲碁連盟(IGF)会長に就任。 また地元青森県で「工藤紀夫杯争奪囲碁大会」を開催するなど、アマチュアへの普及にも熱心なことで知られる。囲碁の他、将棋はアマチュア五段の腕前を持つ。 タイトル獲得歴王座1期(1977年) 天元1期(1997年) その他の棋歴1970年 新鋭トーナメント戦準優勝 1975年 全日本第一位決定戦挑戦 1985年 碁聖戦挑戦 1999年 天元戦挑戦 新手
「村正の妖刀」に対し、白1へと大々ゲイマに(通常の大ゲイマより一路広く)打つ手を開発している。1977年の本田邦久九段戦で初採用。妖刀定石の有力な変化とされている。初めて対するプロ棋士であると、黒が白の五目を取り、白が外勢をはる変化になりやすい。工藤がアマチュアの弟子に質問されて、そこから発想した手という。 2024/06/14 09:37更新
|
kudou norio
工藤紀夫と同じ誕生日8月2日生まれ、同じ青森出身の人
TOPニュース
Hey! Say! JUMPの有岡大貴と松岡茉優が結婚を発表
NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に
King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表
平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。
元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕
工藤紀夫と近い名前の人
話題のアホネイター
![工藤紀夫](https://if2.info/geinou/logo/工藤紀夫.gif)
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「工藤紀夫」を素材として二次利用しています。