平松愛理の情報(ひらまつえり) シンガー ソングライター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
平松 愛理さんについて調べます
■名前・氏名 |
平松愛理と関係のある人
八幡愛: 平松愛理 シングル・いいんじゃない?(2012年、テイチクエンタテイメント) 村田和人: Honey & B-Boys(村田和人、山本圭右、平松愛理、西司)『BACK TO FRISCO』(1987年) 高松しげお: ポニーキャニオン 平松愛理アルバム「一夜一代に夢見頃」 岩井俊二: 部屋とYシャツと私 / 平松愛理(1992年3月、監督) 土方隆行: 平松愛理 AL『とっておきの20秒』(1989年)ギター 平賀和人: 平賀はNSPの所属レコード会社であったポニーキャニオンにディレクターとして入社し、平松愛理、GO-BANG'S、瀬戸朝香、Melodyなどの作品を担当した。 古川昌義: 2015年には、平松愛理、Standard Prototype、岩崎宏美、CHAKA、絢香、平原綾香、池田聡のライブサポートを行う。 藤波心: 平松愛理シングル・いいんじゃない?(2012年 テイチクエンタテイメント ) 白船睦洋: 平松愛理 星ひとみ: 平松愛理 古川昌義: 平松愛理、森俊之、山下政人とアマチュアバンド「ERI & WANDERLAST」を結成、活動していた。 岩井俊二: もう 笑うしかない / 平松愛理(1992年9月、監督) 寺田正美: 様々なミュージシャンと交流を持ち、根本は村田和人のほか、KAN、平松愛理、嘉門達夫、相田翔子など、数々のアーティストの作品にもゲスト参加している。逆にスターダストレビューの楽曲にKANや平松愛理、相田翔子、石黒彩、大泉洋、CHAGE and ASKAなどがゲスト参加したり共同プロデュースを担当している。 白船睦洋: 平松愛理 『Usa-Bara』 尾崎亜美: 同年、平松愛理、崎谷健次郎と共に“HIRA^O SAKI”というスペシャルユニットを結成し、シングル・アルバム『My Best Friends』を発表。 上代貴子: 平井堅、安全地帯やアリス、2019年に番組出演した平松愛理の公演にも参加した。 柿沼清史: 様々なミュージシャンと交流を持ち、根本は村田和人のほか、KAN、平松愛理、嘉門達夫、相田翔子など、数々のアーティストの作品にもゲスト参加している。逆にスターダストレビューの楽曲にKANや平松愛理、相田翔子、石黒彩、大泉洋、CHAGE and ASKAなどがゲスト参加したり共同プロデュースを担当している。 岡村孝子: レギュラーラジオ番組『岡村孝子あの頃ミュージック』は岡村の希望により同じくシンガーソングライターの平松愛理がピンチヒッターとして担当していた。 奈良部匠平: 平松愛理(編,K,エ) 松尾清憲: 1983年に藤真利子の「天使と魔法」、1991年には平松愛理の「恋は偉なもの」にてデュエットを歌唱している。 沢田聖子: 同番組にはシンガソングライター仲間である声優のTARAKOも度々ゲスト出演し、二人で漫才張りのやり取りを展開していた(他にも平松愛理等もゲストに登場)。 山下政人: その後、森と平松愛理、古川昌義により「ERI & WANDERLAST」を結成。 内藤朝佳: 平松愛理のいいんじゃない?(ラジオ関西) 清水信之: 元妻は歌手の平松愛理。 崎谷健次郎: 11月には、平松愛理、尾崎亜美とともにスペシャルユニット“HIRA^O SAKI”を名乗り、シングルおよびオムニバスアルバム『My Best Friends』を発表した。 西司: 1986年、村田和人と"村田バンド"のギタリストでPIPERのリーダーを務める山本圭右がMOONレコードのオーディションで選出した西と平松愛理を迎えた4人組バンド・"Honey & B-Boys"を結成して、アルバムをリリース。 藤東勤: 『いいんじゃない?』平松愛理 岩井俊二: Single is Best!? / 平松愛理 (1993年3月、監督) 河野圭: 平松愛理 青柳誠: THE YELLOW MONKEY、谷村新司、谷村有美、平松愛理、南佳孝、吉田拓郎、LUNA SEA、ディック・リーなどとの共演の他、テレビ番組でのアレンジなども担っている。 |
平松愛理の情報まとめ
平松 愛理(ひらまつ えり)さんの誕生日は1964年3月8日です。兵庫出身のシンガー ソングライターのようです。
家族、父親、テレビ、結婚、離婚、現在、病気に関する情報もありますね。今年の情報もありました。平松愛理の現在の年齢は60歳のようです。
平松愛理のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)平松 愛理(ひらまつ えり、1964年〈昭和39年〉3月8日 - )は日本の女性歌手、シンガーソングライター、作詞家・作曲家。 本名:平松 絵里(読み方同じ)。ソロ歌手として活動する一方、他の歌手に楽曲提供も行っている。兵庫県神戸市須磨区出身。 所属事務所はひらまつ堂。 1964年、兵庫県神戸市に生まれる。父、母、兄の4人家族で育った。 父親は平松医院院長。兄は大阪ろうさい病院院長。 音楽と出合ったのは3歳の時。実家の隣に住む7歳上の女の子が持つ電子オルガンを見たのがきっかけ。すぐに自分も同じオルガン教室に通うようになり、4歳からはオルガンとともにピアノも習い始める。 10歳の頃、洋楽好きでカーペンターズファンの4歳上の兄の影響で、歌に興味を持ち始める。兄のギターの弾き語りに合わせピアノを弾きながらカーペンターズをハモっていた。 親和中学校・親和女子高等学校に進学。中学ではコーラス部に入る。その傍ら、ピアノでオリジナル曲を作り始める。高校では軽音楽部に入部、ボーカルとしてガールズバンド「ワイプアウト」に加わる。そのバンドで出演した学園祭でオリジナル曲を披露、自分で作詞・作曲した歌を歌って観客に拍手をもらったことでプロを意識するようになった。 17歳の時に関西ローカルのオーディション番組「ヤングプラザ」に出演。それまでバンド活動に反対していた両親がテレビに出たことで反対しなくなり、さまざまなコンテストに挑戦するようになった。 1982年、18歳の頃に古川昌義 (G) 、森俊之 (Key) 、山下政人 (Dr) と共に「ERI & WANDERLAST」を結成、神戸海星女子学院大学進学後も関西を拠点にアマチュアとして活動。 1986年、22歳の時に東京での再会を約束して「ERI & WANDERLAST」のメンバーと別れ、単身上京。アルバイトをしながら曲を作り、週2回はレコード会社に売り込みをかける生活を送る。 1987年、村田和人率いる4人組のユニット「Honey & B-Boys」のアルバム『Back to Frisco』でレコード・デビュー。「My Wish」などの曲でボーカルを執っている。ただし名前の表記は本名の「平松絵里」だった。他の2人は、のちにソロデビューする西司と、パイパーのリーダーである山本圭右。 上京して3年ほど経った頃、レコード会社のディレクターがデイヴ・スチュワート & バーバラ・ガスキンを好きだと知り、最初に持ち込んだ曲を彼ら風のアレンジにやり直して再び持ち込んだ。するとそれが気に入られ、デビュー曲に採用された。 1989年2月21日、シングル「青春のアルバム」とアルバム『TREASURE』でポニーキャニオンよりソロ・デビュー。 1992年3月、アルバム『MY DEAR』からシングルカットした「部屋とYシャツと私」が100万枚近いセールスを記録するヒットとなり、ブレイクを果たす。同年11月、ユニットHIRA^O SAKIとして尾崎亜美、崎谷健次郎と共同でシングル・アルバム『My Best Friends』をリリースする。 1994年1月29日、ともに楽曲制作をしていた編曲家の清水信之と結婚。結婚式場は東京・代沢の東京聖三一教会で行われた。 1995年1月17日、神戸の実家が阪神・淡路大震災で倒壊。同年4月21日、震災チャリティソング「美し都〜がんばろやWe love KOBE〜」(作詞:阿久悠、作曲:平松)をリリースする。 1996年に女児を出産。しかしデビュー当時から患い、以後毎日のように痛みに煩わされ続けた子宮内膜症のせいで母子共に危険な状態であった。出産後は「両親ふたりとも家を遅くまで留守にするのは育児に差し障る」という配慮から、平松と清水が組んで仕事をするのは差し控えるようになった。 1997年1月17日、阪神淡路大震災復興支援ライブ「KOBE MEETING」を開催。その後、1月17日に毎年神戸市内で開催し続けた。 1999年、レコード会社をユニバーサルミュージックに移籍。 2001年、子宮内膜症が悪化し子宮を摘出。その半年後の2002年には乳癌が見つかり、音楽活動の休止を余儀なくされる。休止中は各地での講演活動に参加した。 2004年4月21日、新曲「YOU ARE MINE/部屋とYシャツと私2004」をリリースし、歌手活動を再開。また、併せて闘病手記「部屋とYシャツと『私の真実』」も上梓した。これ以外にも雑誌、新聞にエッセーを執筆。 2005年8月、子育てと仕事とですれ違いが生じ、代理人を通して離婚届を提出した。報道によると、憎み合っての離婚ではなく慰謝料等も生じず、娘(親権は平松が得た)の学校行事には父母揃って参加している。同年「KOBE MEETING」の活動などが認められ、神戸大使を委嘱される。 2008年、新しい形のライブ「SLOW ROOM」を始める。 2010年5月、神戸への社会貢献が認められ、第64回神戸新聞文化賞を受賞。5月30日、「がんばろうKOBEデー」と題してスカイマークスタジアムで行われたオリックス・バファローズ対東京ヤクルトスワローズ戦にて「美し都〜がんばろやWe love KOBE~」と国歌独唱を行った。 2011年、テイチクエンタテインメントのコンチネンタル・スターレーベルへ移籍。同年第1弾シングル「いいんじゃない?」、2012年に第1弾アルバム『花と太陽』をそれぞれ発売。 2016年10月、FM大阪「Nestle presents CHEER UP! MORNING」パーソナリティを務める。2017年4月よりTOKYO FMでも放送開始。 2019年、「部屋とYシャツと私」のその後を描いた新曲「部屋とYシャツと私 〜あれから〜」を8月28日にソロ・デビュー30周年シングルとして発売。大晦日のももいろ歌合戦(BS日テレ・ニッポン放送・AbemaTVなど)へ初出場し、同曲を歌唱した。 2020年1月17日、25年続けてきた阪神淡路大震災・東日本大震災の復興支援ライブ「KOBE MEETING」の最終公演を行う。1月21日、これまでの功績を受け、神戸市から感謝状が贈呈された。同年5月19日、自身のYouTubeチャンネル「平松愛理 Channel *SLOWROOM*」で100日配信を開始する。 2021年、6月「BLUE MOON」→7月「白夜」→8月「ピラフになりたい」と、3ヶ月連続配信シングルリリースを行う。同年8月12日、新型コロナウイルス感染を公表。同月29日に予定されていたライブ「SLOW ROOM〜今届けたいうた〜」は開催が延期された。8月27日、回復を報告。 2022年4月よりNHKラジオ第1(R-1)にて「Discover Carpenters」がスタート。音楽的に影響を受けたCarpentersについて、アマチュアの頃からの音楽仲間であり作編曲家・キーボーディストの森俊之氏等と、Carpenters愛溢れる平松の深掘り解釈、時にキーボードを用いての森氏の音楽的分析や時代背景から紐解く解説が人気のトーク番組。また、クリスマスの企画コーナー内でCarpentersの楽曲ライブを行い大好評を得る。また同年10月 パシフィコ横浜国立大ホールにてPATi-PATixGB『THE GREATEST HITS』に出演。11月 日本テレビ『しゃべくり007』にて歌唱。 2023年7月、幕張メッセにて、日本テレビ系『THE MUSIC DAY』に出演。また同年8月7日、ライブ SLOW ROOM ~ Door to Next Roadを開催。 2024年2月、平松愛理活動35周年を迎える。35周年イベントとして、5月『平松愛理 35th Anniversary Project Live 〜めっちゃありがとう!〜「新緑のうた」』、11月『平松愛理 35th Anniversary Project Live 〜めっちゃありがとう!〜「晩秋のうた」』を開催。 デビュー当初は西平彰の編曲であったが、3枚目のアルバム『MY DEAR』、シングルでは「月のランプ」以降、編曲家が清水信之に代わる(なお『MY DEAR』の「悲しくて悲しすぎて」と「ファーストクリスマスイヴ」は萩田光雄の編曲)。清水による平松作品は数多いが、「戻れない道」の編曲は、打ち込み主体の通常の電子音スタイルとは異なり、アコースティックなハープとフルートをメインに使うといった、かつての松任谷正隆的な手法を用いている。 「部屋とYシャツと私」に関連してのインタビューにおいて、選択的夫婦別姓に関して、「結婚には覚悟がいる。名字が変わることは、新たな家庭をスタートするに当たっての『けじめ』みたいな部分はあるが、離婚の際の子供のこと、喪失感なども考えれば、別姓の選択は自然なこと」と賛同している。 岡村孝子との交友は「美し都〜がんばろやWe love KOBE〜」のバックコーラスのひとりを岡村が務めていたことや、岡村の楽曲を元夫である清水が編曲家として関わっていたということもあり、以後現在まで長く続いている。2019年に岡村が急性白血病に罹患した折に、岡村が当時ラジオパーソナリティを務めていた番組「あの頃ミュージック」の代打として真っ先に平松が指名されたほか、平松も岡村の病気快癒を祈った千羽鶴募集を行っている。 絵本アニメクリエイター twotwotwo が、平松愛理のMV制作をしたくてクラファンにチャレンジ。クラファン目標達成後 MV「ピラフになりたい」を制作した。 ゲキツー!!―子宮内膜症との闘いの日々(2001年8月23日) 部屋とYシャツと「私の真実」(2004年2月25日) しあわせになろうよ(2005年9月30日) 太字は平松が後にセルフカバーしている楽曲である。 浅香唯
YeLLOW Generation
市川実和子
加藤紀子
Clair
佐々木ゆう子
沢田知可子
島倉千代子
鈴木康博
高橋由美子
田村英里子
長女隊
鶴久政治
搭堂なつ
西田ひかる、久保田利伸
細川直美
真璃子
三浦理恵子
村井麻里子
森口博子
薬師丸ひろ子
山口由子
LILY
ribbon
黒川芽以
Tiara
ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!(フジテレビ) - 毎週生放送の中、ピアノ演奏によるエンディングテーマの弾き語りを担当していた。台風の中でも歌ったことがある。 クイズテレビずき!(TBSテレビ) - 解答者として出演。 しゃべくりDJ 平松愛理のミュージックアワー!!(2018年10月 - 、歌謡ポップスチャンネル)
わたしはあきらめない(2003年9月10日、NHK総合) 歌謡チャリティーコンサート(2004年・2009年・2011年、NHK総合) 金曜バラエティー 「アラフォー世代に贈る!輝きつづける青春ソング」(2009年8月7日、NHK総合) ノンストップ!(2019年9月19日、フジテレビ) アウト×デラックス(2019年12月5日、フジテレビ) ももいろ歌合戦(2019年12月31日、BS日テレ・ニッポン放送・AbemaTVなど) 歌える!J-POP 黄金のヒットパレード決定版!(3) (2021年5月8日、NHK BSプレミアム) うたコン「昭和・平成・令和の定番結婚ソングとは」(2024年6月11日、NHK総合) HIT RADIO '99(1989年4月 - 1990年2月、FM大阪) 795レポート(1989年4月 - 1989年7月、NACK5) 平松愛理のTREASURE NIGHT(1989年4月 - 1990年3月、FM新潟・FM仙台) 平松愛理のWARM IN THE MOON(1990年4月 - 1991年3月、FM新潟) Kiss POP SQUARE MOONLIGHT WALK(1990年10月 - 1993年4月、Kiss FM) 平松愛理のオールナイトニッポン(1991年4月 - 1991年10月4日、ニッポン放送) - 金曜2部 4ウェイミュージックストリート(1991年6月 - 1994年8月、FM仙台・FM群馬・FM静岡・FM長崎・ラジオ福島) MELODY FARM(1991年10月 - 1992年3月、NACK5) 平松愛理 SILKY DREAM(1992年10月 - 1993年4月・1993年10月 - 1994年4月・1994年10月 - 1995年4月、文化放送・東海ラジオ・ラジオ大阪) ヨコハマラジオナイト My Pop Sketch(1992年10月 - 1994年4月、FM横浜) Radio Pop Sketch(1994年4月 - 1997年3月、FMヨコハマ) TO BE YOUR STYLE(1994年7月 - 2002年4月、bayfm) 79.5FM『JYOSHI BEYA』(2004年4月 - 2004年12月、RADIO-i) 愛イ理アンSpace(2007年10月 - 2007年12月、FM COCOLO) Nestlé presents CHEER UP! MORNING(2016年10月 - 2020年6月、FM大阪・TOKYO FM) ラジオ深夜便・ミッドナイトトーク(2019年4月 - 、NHKラジオ第1) - 偶数月第1週土曜日担当 あの頃ミュージック(2019年5月 - 2019年6月 、かしわプロダクション制作) - 岡村孝子の病気療養に伴う代理 ディスカバー・カーペンターズ(2022年4月 - 2023年4月、NHKラジオ第1) 1992年:第34回日本レコード大賞 作詩賞(ポップス・ロック部門) 1993年:日本歌謡大賞放送音楽プロデューサー連盟賞 2010年:第64回神戸新聞文化賞 「KOBE MEETING」は、平松の故郷・神戸を襲い、実家も被災した、1995年1月17日の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の記憶を風化させまいとの主旨で、出産翌年の1997年から、毎年1月17日に神戸市内で平松自らが企画の上、行っていたチャリティーライブ&トークショー。 1997年から1999年までは、サンテレビジョンの番組と連動し、毎年会場を変えつつ、平松は“神戸にゆかりのあるミュージシャンの一人”としての参加だったが、2000年以降、平松の単独ライブという形式に変わる。 2002年4月、平松は上述の通り活動休止を余儀なくされ、このライブの開催も危ぶまれたが、当時('00~'05年)の会場であったライブハウス・チキンジョージ(神戸市中央区)側の懸命なスケジュール調整や、何より震災に拘り続ける平松本人の強い意向もあり、休業期間中もKOBE MEETING当日だけは姿を見せライブを敢行。以降、会場やステージング(ソロライブから、神戸を活動の拠点とする複数アーティスト出演による、いわゆる“対バン形式”へ)の変更が施されるも、“音楽を通しての被災者への鎮魂と被災地の復興”という当初のコンセプトは変えずに続けられた。 回を重ねるごとにNHK神戸放送局、サンテレビジョン、ラジオ関西、神戸新聞といった地元はもとより、兵庫県外のメディアからも取材を受けるようになり、この長期にわたるチャリティー活動が高く評価され、活動再開からまる1年後の2005年4月21日、平松は神戸市より「神戸大使」の委嘱を受けている。 ライブおよびグッズの収益等から、諸経費を差し引いた金額、さらに当日の会場内での募金等を併せ、毎年同市東灘区にある「あしなが育英会・レインボーハウス」へ寄付(2012年以降は前年の東日本大震災発生を受け、東北レインボーハウスの設立基金にも充当)。ライブ当日に代表者への目録贈呈が行われていた。 2015年までは阪神・淡路大震災の発生した1月17日当日に開催してきたが、2016年以後はその日にこだわらずに、震災から直近の週末を中心に公演が行われてきた。 2019年12月4日、阪神・淡路大震災から満25周年を迎えるにあたり行われる2020年1月17日の第25回記念公演(於・神戸情報文化ビル・神戸新聞松方ホール大ホール)を最後として、開催を終了すると発表した。その理由として、近年の自然災害の多発を上げており、「神戸で学んだ助け合いの精神を、東北など、新たな被災地に伝えることが使命であると考えた」としている。 2020年5月19日から100日配信「平松愛理に聞きたい100のこと」を開始。 2020年6月30日までは毎日配信を行い、7月以降金曜21時からの配信となる。 FM大阪「Nestle presents CHEER UP! MORNING」スタッフ - 2020年6月10日・12月13日 Heine(娘) - 2020年6月17日 Chibi(ボイストレーナー) - 2020年6月30日 紺野相龍(ステージカフェ下北沢亭・オーナー) - 2020年7月18日 ^ 大学時報 2007年11月号 pp.120-127「クローズアップ・インタビュー シンガーソングライター 平松愛理さんに聞く」 ^ 平松愛理『ゲキツー!!』講談社、2001年8月。ISBN 978-4062108744。 ^ “FM大阪「Nestlé presents CHEER UP! MORNING」”. 2019年11月1日閲覧。 ^ “平松愛理さん「今年で最後」 復興支援ライブ”. 神戸新聞NEXT. (2020年1月10日). https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202001/0013022944.shtml 2020年7月22日閲覧。 ^ “神戸市:神戸大使平松愛理氏への感謝状贈呈について”. 神戶市 (2020年1月14日). 2020年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月22日閲覧。 ^ “平松愛理が新型コロナ感染 ライブ延期も発表「苦渋の決断となりました」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2021年8月12日). https://www.oricon.co.jp/news/2203294/full/ 2021年8月12日閲覧。 ^ “平松愛理コロナ感染「細心の注意も不覚」29日予定のライブも見合わせ”. 日刊スポーツ (2021年8月12日). 2021年8月12日閲覧。 ^ “コロナ感染の平松愛理 回復を報告「お陰様で無事回復し、今はゆっくり」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2021年8月27日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/27/kiji/20210827s00041000345000c.html 2021年8月27日閲覧。 ^ “平松愛理 Eri's Web Room - NEWS”. www.hiramatsueri.com. 2024年11月20日閲覧。 ^ 「『部屋とYシャツと私』と夫婦別姓 平松愛理さんは今」、朝日新聞、2015年12月13日 ^ “岡村孝子番組「岡村さんの希望で」平松愛理の代打を発表”. デイリースポーツ online. (2019年4月22日). https://www.daily.co.jp/gossip/2019/04/22/0012265404.shtml 2020年7月21日閲覧。 ^ “活動報告一覧 - 平松愛理さんの未発表曲のアニメMVを作りたい!!”. camp-fire.jp. 2024年5月16日閲覧。 ^ 『朝日新聞』2013年1月12日付beうたの旅人 ^ 『産経新聞』1995年8月30日付東京朝刊 ^ 平松愛理が毎年恒例ミーティングで何度も涙した理由(2018年1月13日 日刊スポーツ) ^ 平松愛理さん 神戸での復興支援ライブ「最後に」(2019年12月4日 神戸新聞) 公式ウェブサイト Eri's Room - 旧オフィシャルブログ( - 2011年10月31日) SLOW ROOM - オフィシャルブログ(2011年11月1日 - ) 平松愛理 (@hiramatsueri) - X(旧Twitter) 平松愛理 (@hiramatsu_eri) - Instagram 平松愛理 Channel *SLOWROOM* - YouTubeチャンネル Nestlé presents CHEER UP! MORNING ヒラマツ応援団 スペシャルエディション 神戸大使:平松愛理氏 - 神戸市 表 話 編 歴 1.青春のアルバム - 2.太陽のストライキ - 3.駅のない遮断機 - 4.月のランプ - 5.素敵なルネッサンス - 6.虹がきらい - 7.思い出の坂道 - 8.部屋とYシャツと私 - 9.マイ セレナーデ - 10.もう 笑うしかない - 11.Single is Best!? - 12.戻れない道 - 13.一夜一代に夢見頃 - 14.女の生命は短くて - 15.あなたのいない休日 - 16.美し都〜がんばろやWe love KOBE〜 - 17.おしえて神様 - 18.Midnight Sun - 19.ビビッとドキッとGood Day/Dear My Baby - 20.宇宙でたったひとつの今日 - 21.この街のどこかで - 22.Endless Moment - 23.ウサバラ・DE・東京 - 24.愛情レストラン - 25.YOU ARE MINE/部屋とYシャツと私2004 - 26.蒼い芝生 - 27.いいんじゃない? - 28.部屋とYシャツと私 〜あれから〜 1.TREASURE - 2.とっておきの20秒 - 3.MY DEAR - 4.redeem - 5.Erhythm - 6.一夜一代に夢見頃 - 7.7 DAYS GIRL - 8.Reborn - 9.fine day - 10.Usa-Bara - 11.秋の虹 - 12.花と太陽 - 13.La La,Smile 1.Single is Best - 2.バラードベストコレクション 可憐〜Karen〜 - 3.ベストセレクション〜青春のアルバム〜 - 4.Anthology 平松愛理BEST - 5.平松愛理 THE SINGLE BEST - 6.平松愛理 GOLDEN☆BEST - 7.プラチナムベスト 平松愛理 シングル&バラード コレクション Eri’s“B”Good - 自分次第。 - Voice Colors〜あなたといたころ〜 ポニーキャニオン - ビクターエンタテインメント - テイチクエンタテインメント - 清水信之 - 岩井俊二 - 岡村孝子 ISNI VIAF 日本 MusicBrainz 日本の女性シンガーソングライター 日本の女性ポップ歌手 日本のラジオパーソナリティ 過去のプロダクション尾木所属者 神戸海星女子学院大学出身の人物 神戸市出身の人物 1964年生 存命人物 ウィキペディアとウィキデータで異なる公式ウェブサイト ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2024/11/20 20:06更新
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