有山じゅんじの情報(ありやまじゅんじ) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
有山 じゅんじさんについて調べます
■名前・氏名 |
有山じゅんじと関係のある人
松井朝敬: ギターを有山じゅんじに師事。 坂庭省悟: 高田渡、茶木みやこ、小室等、有山じゅんじ、五十川清、平井宏、中川イサト、青木まり子、大西ユカリ、宮崎勝之、坂庭泰三、河合徹三、安達元彦、松田幸一、こむろゆい、ふたり乗り、代田幸子らがレコーディングに参加。 上田正樹: ぼちぼちいこか '08 フィーチャリング くいだおれ太郎(2008年10月22日、FUCHI-001)※有山じゅんじと上田正樹名義 三宅伸治: ホスト役に当日誕生日の山崎まさよしを迎え、MOJO CLUB(三宅伸治、谷崎浩章、杉山章二丸)、Nice Middle with New Blue Day Horns(三宅伸治、中村きたろー、江川ゲンタ、厚見玲衣、梅津和時、片山広明、渡辺隆雄)、石塚英彦、有山じゅんじ、木村充揮、間寛平、間慎太郎、大西ユカリ、高橋"Jr."知治、ウルフルケイスケ、ズクナシといった『ソングライター』参加アーティストが多数出演した。 中村耕一: その後は、三宅伸治、小坂忠、木村充揮、厚見玲衣、レイニーウッド、有山じゅんじ、松田“ari“幸一、滝ともはる、斉藤哲夫、三好"3吉"功郎、増田俊郎、柳沢二三男、中村義人など数々のアーティストと全国でライブを行い、2018年には108本、2019年は年間116本のライブを行う。 山岸潤史: 2010年、2014年には、サウスの有山じゅんじとアコースティック・ギター・デュオ有山岸として、細野晴臣がゲスト参加し、上田正樹をフィーチャーしたアルバム等を作成した。 木村充揮: 木村充揮&有山じゅんじ名義 森信行: 有山じゅんじ 藤井裕: 有山じゅんじ、高橋ロジャー和久と「TE-CHILI」を結成。 |
有山じゅんじの情報まとめ
有山 じゅんじ(ありやま じゅんじ)さんの誕生日は1953年1月4日です。大阪出身のミュージシャンのようです。
テレビ、脱退、現在、解散、結婚、ドラマ、家族、映画に関する情報もありますね。今年の情報もありました。有山じゅんじの現在の年齢は71歳のようです。
有山じゅんじのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)有山 じゅんじ(ありやま じゅんじ、本名:有山 淳司、1953年1月4日 - )は、日本の歌手、ギタリスト。 大阪府寝屋川市香里園出身。小学生のころから笛が好きで、アマリリスは得意中の得意、鼓笛隊にも参加。洋楽では、姉の影響でドミニクを聞き、「これがおれ(の体の芯(引用者加筆、以下同様))に今もずっと通っているみたい。ずっと、おれ(ギター)弾いてたら『ドミニク、ニク、ニク~』、そんなみたい(な弾き方)になんねん」と。そして、中学の頃、学校の先生に笛以外の楽器もやれっと言われ、「おばあちゃんに買うても」らったカワイのギターを弾きだした、そのきっかけがマイク真木の「バラが咲いた」。 1967年(中二の終わり)頃から近所の西岡たかし宅に出入りするようになり、1968年には「五つの赤い風船」に参加、テレビ番組『ヤング720』に出演するなど、しばらく中川イサトとも活動を共にしていた。しかし、当時はまだ中学生だったため、高校受験を機に脱退。本人によると、「おれのおかんが『(有山が)勉強せんようになったから、バンドやめさせてくれ』言うて、西岡さんに電話してそれで終わり」になったとのこと。 同志社香里高等学校に入学し、1、2年はブラスバンド、3年になり武部行正と「グループぼく」を結成する等、様々な音楽を聴きながら過ごし、心斎橋ヤマハのアマチュアサークル『ダックス・バンド・クラブ』等で上田正樹や石田長生と知り合う。また、現在まで多大な影響を受けているブラインド・ブレイクを知ったのは、この頃の友達に「こんな雑音ばっかりのレコード聴けへんから、やるわ」と言われて貰った戦前ブルースのコンピレーション・アルバムだった。 そうして同志社大学に進学する。1971年、武部行正とのデュオ「ぼく」として第3回全日本フォークジャンボリーに出演。翌年に武部が『ゆふすげびとのうた』を発表したが、そのレコーディングに有山も参加し数曲でギターやフルートを演奏。 当時の周りの状況としては、同志社大学軽音楽同好会には「ウエストロード」のメンバーが居り、龍谷大学に進学した石田長生は同志社の軽音楽部でギターを弾いていた。 有山は、ブルースやラグタイムだけではなく、「フェアポート・コンヴェンション」や「ペンタングル」等のブリティッシュフォークや当時のシンガーソングライターなども好んで聴いていた。大阪市西成区に住んでいた頃、本人曰く「岸里のジェームス・テイラーと呼ばれていた。」 そして、上田正樹に誘われる。当時の状況を上田は、「有山との出会いはね、・・・何かのイベントで一緒になったの。ジェイムス・テイラーみたいな感じでやってた。フォークギターを弾いてる人って、リズムのいいかげんなケースが多いんだけど、有山はリズムがすごく良かった。・・・そのとき有山は、まだ同志社大学の学生で」大阪府の職員になる考えもあったが、「(上田が)口説いていっしょにやることになった。「サウス」が、かたちになるかならないかの時期」であった、という。「最初は俺(有山)と裕ちゃん(藤井裕)と松浦(善博)とキー坊の4人で、ドラムなしでブルースをルーツにしたオリジナルをやってたな。その時は「上田正樹グループ」って言うとったな。」 こうして、1973年頃から新バンド結成に向けて動き出していた上田正樹と、1974年「サウス・トゥ・サウス」結成。当時のライブ・スタイルは、前半が戦前のカントリー・ブルースやジャグバンド・ミュージック、ホウカム・ナンバー、ラグタイム風のアコースティック・セット、後半がバンドによるファンクやリズム・アンド・ブルース、ソウルミュージックに影響を受けたファンキーなセットとして2部構成で行われた。有山によると、ライブは「・・・大阪ミナミにあった『バハマ』っていう店で始めて、京都の『拾得』でやるようになってだんだん(演奏場所が)広がってい」ったという。 結成当時の状況について藤井裕は、「(「MZA」や「バッド・クラブ・バンド」等「サウス」以前のバンドを)解散して僕(藤井)はキーボー(上田)と一緒に居て、キーボーは、有山じゅんじ(ママ)と一緒にやりたがってて、キーボーが『有山と一緒にせえへんか』ってことになって、僕は『ええよ』って。で僕と有山とキーボーでバンドつくったんです。それが「サウス」の始まりなんです。その時はラグタイムブルースってのを中心にやったんです。・・・で、キーボーが『R&Bもしたいな』って言い出してね。自分もそう思ってるところがあって、じゃ、メンバーもうちょっと集めるかって事になって、それからメンバー集め出したの。」と述べている。 また山岸潤史は、「上田正樹となかまたち」が毎日の文化ホールでコンサートを行ったときに、上田から「有山ちゅうヤツが居って、・・・(そいつと)いわゆるカントリー・ブルースで、「ホット・ツナ」みたいな、ライ・クーダーとかな、そういうヤツをやんねん」と聞かされ、有山がギター、「(後の)ツイスト」の松浦がスライドを弾いていたのを見たのが有山との初めての出会いであった、と述べる。「イヤイヤ、ああいうスタイルをやるヤツ(バンド)は見たことなかった、おれ。本格的なさぁラグタイムのスタイルやんのさぁ。「憂歌団」は、そのもっと、シカゴ・ブルースのアコースティック版みたいな感じやったからなぁ。」 関東でのブルースに関して、有山は「やっぱり、かっこよかったやん、なあ。おれなんか、逆に憧れたけどねえ。「夕焼け楽団」のケンちゃんのスタイルもそやし、内海さん、「キャロル」の。内海さんのブルースも好きやし。東京は、ああいうブルース」と話すが、このうち井上ケン一に関しては、「サウス」結成当時「(その)ギターに惚れこんで、彼の実家まで押しかけて泊まり込みの勉強をしてきたのはつい最近」とされる。 1975年6月「上田正樹と有山淳司」名義でアルバム『ぼちぼちいこか』、1976年1月「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」名義でアルバム『この熱い魂を伝えたいんや』発表。前者ではライブにおけるアコースティック・セットをスタジオで再現。同年発表される「憂歌団」の1stアルバム、「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」1stアルバムに先駆けて発表された関西ブルース、ひいてはジャパニーズ・ブルースを代表する作品。後者はバンドスタイルのライブ盤である。当初、メンバーは2枚組での発表を考えていた様だが、レコード会社の意向で半年ずらしての発表となったそうである。 1975年10月12日、NHK教育テレビ『若い広場』「雑居時代のヒーロー ‐泉谷しげる‐」で、「サウス」としてのセッションが放送。 1976年3月17日-1976年9月22日、日本テレビ系列で水曜日20時から放送された『泣かせるあいつ』で主題歌と音楽担当。やせた口笛で(前半)と始発電車(後半)とをカップリングしたシングル盤を発表。BGMとしては、後述三枝バージョンのとったらあかんに似た中西のホンキートンクピアノ風の、またドブロの指弾きCome On おばはん風のものや雨の降る夜に風、その他R&Bやラグのインストが流れていた。 2枚のアルバムと1枚のシングルを残し、1976年7月17日解散。 「サウス」での状況、そして自身の演奏スタイルについて、有山は「「サウス・トゥ・サウス」をやる前は黒人の音楽はブルースしか聞いたことがなかった。だけど、やっぱり裕ちゃんやキー坊とかの影響でソウルばっかり聞き出した。そういう意味では「サウス・トゥ・サウス」に入って良かったと思う。・・・「コモドアーズ」も「アベレージ・ホワイト・バンド」も知らんかった。それで、聞いてて面白いから自分でもやりたなる。で、エレキは気持ちエエしな。音が大きいから。」と、サウスの途中からエレキ・ギターも持ちだしたと話す。「今でも、アコースティックでも音が大きいのは多分キー坊と一緒にやってたからやと思う。・・・キー坊が声をガーと出すと負けそうで腹が立つから、生ギターでも大きな音を出さなあかんのや。」と述べている。 『ぼちぼち』でのギターは、'69年のマーチンO-18にバーカスベリーのピックアップをガムみたいな糊で固定して使っていた。「・・・梅田からナンバまではガットに鉄弦張って・・・。(他は)家内の持ってたギター(O-18)をそのまま借りた。(その)ままね、結婚に至りましたけど。」 1977年、中川イサトの『1310』で、不演唱(ぶるーす)、オレンジを共演。 1978年 初のソロアルバム『ありのままじゅんじ』発表。ブルースやラグタイムに拘らない多彩なスタイルで、自身のアコースティック・ギターの弾き語りを中心に気の置けない友人と一緒に展開。B-1、2のライブ演奏ディディ ワァ ディディ(作: Arthur Blake)、行くあてなし(作: 尾関真)は、1977年5月2日天王寺野外音楽堂、春一番コンサートでのもの。尾関隆(Dobro)、西依一実(Mandolin)とのトリオ編成で行われた。 この頃からはライブ演奏を中心に活動し、『スタジオあひる』での「Accostic(ママ) Guitar School」で講師をつとめていたこともある。また1979年頃からは、内田勘太郎とのユニット「有勘」でも活動している。 1980年10月26日、日比谷野外音楽堂で『SWEET SOUL SHOW』開催。当日の模様はNHK-FMで同年12月30日に、『'80フォーク・ライブ』の一環として放送された。桂文珍が司会「RCサクセション」が対バンを務めた、上田正樹とサウス・トゥ・サウス再結成ライブである。残念ながら「RC」とのセッションは・な・か・っ・た・。1部、2部ときっちり別れた構成ではなく、有山は途中可愛い女と呼ばれたいからドブロを持って登場してサムピックで弾き、そしてジャガーをかき鳴らした。 コンサート直前の10月15日には、恵比寿の『NEVERLAND』において、上田正樹、有山淳司、内田勘太郎、正木五郎、中西康晴の面々でライブが行われ、『ぼちぼちいこか』や「有勘」でのナンバーが演奏されている。 1981年4月封切りの『劇場版 じゃりン子チエ』で星勝が音楽を担当しているが、その劇伴には関西のミュージシャンが多く登用され、有山は、アニメ・ミュージック・カプセル・シリーズ『じゃりン子チエ』のℳ-24「おもしろ遊園地」で聞こえるギター他を弾いている、と思われる。 同年 「憂歌団」の『夢・憂歌』では、「有勘」でのレパートリー、ヘビー・スモーカー(作詞/作曲: 尾関真)、けだるい二人(日本語詞: 有山淳司、作曲: Hoagy Carmichael)、スティーリン(日本語詞: 有山淳司/内田勘太郎、作曲: Gus Cannon)、GOOD NIGHT SWEET HART(作詞: 有山淳司、作曲: 内田勘太郎)に、編曲等として関わっている。 1988年 「中川イサトと有山じゅんじ」としての競演盤『アフター・アワーズ』発表。 1990年 13年ぶりにソロ・アルバム『聞こえる 聞こえる』を発表。 その経緯を、有山は「音楽はやってたんやで。ソロも・・・バンドもやってた。バイトしながらな。9時から5時まで発掘調査のバイトして、7時から『磔磔』でライヴ、みたいな感じ。バイトがない時は地方をツアーしてな。僕はそれでいいと思ってた。・・・でも、家内は苦労したやろうね。口では言わんけど」。「そんな頃、僕が37歳やったと思うけど」、『どん底ハウス』で10年ぶりに会った「「サウス・トゥ・サウス」時代のマネージャーの藤井淳(ジュン)・・・が言うわけや。『なんでバイトなんかしてるんだ。お前は音楽で行けるんだから、バイトなんか辞めてしまえ、俺がCD出すから』ってな。嬉しかったな。」と述べている。 1991年「サウス・トゥ・サウス」再々結成(その後'95にも再々々結成)。 同年7月21日京都大学西部講堂でのライブはWOWOWで、『バビロン オブ ロック - 西部講堂伝説 もっとかー!』と題して生中継された。放送内容は、まず「泉谷しげるとルーザー」の演奏、そして北京一のパフォーマンスで前座が務められ、講堂脇のテント(楽屋)での会話も映し出されている。ライブでのアンコールにより後の番組が中止された。またその後LD、2枚組ライブ盤CDやDVDで『シンパイスナ・アンシンスナ』が発表された。 また、同年ソロアルバム『MAKE A JOYFUL NOISE』を発表。古くからのレパートリー、なんだ坂 こんな坂(作: 有山淳司)も音源化された。 1992年4月10日24時20分から、毎日放送で石田長生プロデュース『放送禁止06ライブ』という、パロディドラマ仕立ての音楽バラエティが放送された。有山も役名をもらい、また石田、木村充揮とともに「平成トリオ」として「あたしは不幸をよぶ女」、けだるい二人を演奏。 また、同年7月6日放送の、関西テレビ『夢の乱入者』第28回に出演し、「What A Wonderful World」「月光値千金」を演奏。同番組には、1996年2月17日の第68回、1997年3月14日の第75回(最終回)にも出演し、前者は『チキンジョージ』でのライブ収録で、ソロでは「Georgia Bound」、渡辺香津美、石田とトリオで「Gee Baby, Ain't I Good To You」、「ティーンエイジャー」、けだるい二人、杉山清貴を加え「The Weight」を演奏した。後者ではNORAと一緒に「You've Got A Friends」等を演奏している。 サルサバンド、「ロス・ルンベロス」との競演盤『Hurry Hurry Hurry』も1992年発表。自身の過去の楽曲を新たな解釈で再演する。 さらに1992年09月、フジテレビ深夜帯の番組『the american guitars』第11回「Martin」が放送され、有山がコメント出演。前年にネックを折って修理したF-50で「およげ!たいやきくん」を爪弾きながら、一服をつける。マーチンの繊細さについて、「・・・(以前O-18の上に坐ってしまい、その時の)響きがねぇ、リバーブが付いて割れますねぇ。」と感心した話をし、RAILROAD JUNJIを演奏する。 1993年 京都『磔磔』で内田勘太郎、ゴンザレス三上をギタリストに迎え、藤井裕らとライブレコーディングされた『レア・ソングス』を発表。 1996年 「加川良 with TE-CHILI」に参加。アルバム『R.O.C.K』発表。ちなみに「TE-CHILI」の名は当時有山も好んで聴いていた「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」の愛称「レッチリ」にちなんだもの。その名のとおり、加川の代表作を爆音のロックサウンドで演奏している。 1998年 『あした元気になれ』発表。続いて1999年には木村充揮とのユニット「木村充揮・有山じゅんじ」として、『木村くんと有山くん』を発表。同時期にデビューした二人だが、内田と違いこれまで余り交流はなかったそうである。 2004年、ソロアルバムとしては6年ぶりとなる『Thinkin' of You』発表。 2008年7月8日、道頓堀の「くいだおれ」閉店。当日シークレット・ライブが開催され、向かって右の上田と左の有山の間に、正木はスネア(小太鼓?)で参加。当時「有山と上田は、前年より東京・下北沢の『風知空知』というお店で、定期的にリユニオン・ライブを始めて」おり、この偶然が『ぼちぼちいこか '08』、『ぼちぼちいこか ザ・ムービー』の制作につながる。 2014年10月16日藤井裕、2015年7月8日石田長生が次のステージへ旅立つ。藤井への弔辞は石田が、石田への弔辞は有山が行った。三人は「サウス」結成前後、近所の「文化」に住み互いに行き来していた。 2019年 木村充揮の『ザ・ライブ!』でキムチはできるだけ辛い方がいい(作詞/作曲: 上田正樹、有山淳司)を共演し、キムチが初めて陽の目を見た。 Various Artists『1971フォーク・ジャンボリーVol.1』(1998年、TOCT-10382-3、東芝EMI。再発: 2003年、IOCI-41018-9、avex-io) 武部行正『ゆふすげびとのうた』(1972年、SF-1029、Victor。再発CD: 1998年、PCD-1590、Pヴァイン。2003年、VICL62204、ビクターエンタテイメント) 『ぼちぼちいこか』(1975年6月、BMC-3003、徳間音楽工業。『ぼちぼちいこか+6Tracks』CDとして再発。2007年、TKCA-73243、徳間ジャパンコミュニケーションズ) 「始発電車/やせた口笛で」(1976年5月、DRQ 1002、Kitty Record) Various Artists『8・8 ROCK DAYの軌跡 ~ソウル・R&B篇~』(1989年、25JC-422、徳間ジャパン。『ベスト オブ 8・8 ROCK DAY ~ソウル・R&B篇~』として再発。2002年、TKCA-72477、徳間ジャパン) 『上田正樹とサウス・トゥ・サウス - 1974ワンステップ・フェスティバル』(2019年、R-18B1086MT、One Step Festival 実行委員会) Various Artists『今よみがえる 郡山 - ワンステップ・フェスティバル 1974』(2005年、JRDF-0012、DEAD FLOWER。DVD) 上田正樹『ライブ帝国 上田正樹』(2005年、JPBP-13041、ドリームタイムエンタテインメント。DVD) Various Artists『日本ロック映像全集 vol.3』(1994年、RMFR-003、リットーミュージック。VHS) Various Artists『夕焼け祭り』(2004年、JRDF-0005、DEAD FLOWER。DVD) 『この熱い魂を伝えたいんや』(1976年1月、BMC-7001、徳間音楽工業。再発CD: 2007年、TKCA-73244、徳間ジャパンコミュニケーションズ) 『シンパイスナ・アンシンスナ - サウス トゥ サウス '91ライブ』(再発版、2015年9月、AZRC-1006/07、amazon records。CD) 『シンパイスナ・アンシンスナ - サウス トゥ サウス '91ライブ』(2015年9月(発売年等記載なし)、AZRD-1004、amazon records。DVD) 有山じゅんじと上田正樹『『ぼちぼちいこか '08』フューチャリング くいだおれ太郎』(2008年10月、FUCHI-001、UK.PROJECT) 有山じゅんじと上田正樹『ライブ アット 道頓堀くいだおれ ぼちぼちいこか ザ・ムービー』(2009年、FUCHI-002DV、UK.PROJECT。DVD) 桂三枝「三枝のムラムラ日記」(1975年12月、BS-1983、キングレコード) 泉谷しげる『家族』(1976年4月、FLL-4003、フォーライフ・レコード。再発CD: 1992年11月、FLCF-22180、FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT) 『ありのままじゅんじ』(1978年3月、MKF-1028、Kitty Record。再発CD: 2005年、UKRR-6027、Rice Records) Various Artists『限りなく透明に近いブルー オリジナルサウンドトラック』(1979年、MKF-1044、Kitty Record。再発CD: 1989年、H25K-20153、Kitty Record) Various Artists『春一番ライブ '79』(再発CD: 2004年、BZCS-9029~30、Bellwood Records) 『聞こえる 聞こえる』(1990年、UK-J001、UK.PROJECT) 『MAKE A JOYFUL NOISE』(1991年、UKRR-6001、UK.PROJECT) 『レア・ソングス』(1993年、UKRR-6009、UK.PROJECT) 『あした元気になれ』(1997年、UKRR-6016、UK.PROJECT) 『Thinkin' of You』(2004年、UKRR-6022、UK.PROJECT) Various Artists『アコギでクラプトン』(2007年、GNCL-1103、ジェネオンエンタテイメント) 『有山じゅんじ ベスト アリ・ヤ・マニア』(2013年、FUCHI-005、006、UK.PROJECT) 『ありやまなチンチン電車の旅! 阪堺電車一周ライブ』(2016年、AND071、アルファノート。DVD) 『1310』(1977年、25AH-186、CBS・ソニー。再発CD: 1991年、SRCL 2048、SONY RECORDS) 中川イサト・有山じゅんじ『AFTER HOURS』(1988年、NR-5、ナニワ・レコード。再発CD: 2000年、SEAL-010、SEALS RECORDS) 『また恋をしてしまったぼく』(1978年、OFL-48、キングレコード。再発CD: 2004年、BZCS-9047、Bellwood Records。2012年、KICS-2591、Bellwood Records) 『根無し草』(1979年、NAO-0001、Nao Records) Various Artists『春一番ライブ '79』(ibid.) 『中村よお』(1988年、HLP-0001、HEFFALUMP RECORDS。再発、2000年、SEAL-013、Seals Records他) 「ほんまやね/抱きしめよう」(1990年、CARC-33、TEICHIKU RECORDS) KYOZO&BUN『トラベリン'・バンド』(1990年、ZO-K 001、ZO RECORD。再発: 2022年、CRCD 5157、CLINCK RECORDS他) 『わたしがなりたかったもの』(1990年、OPR-9001、Opera Club Office。再発1998年、OPR-9001、ZERO COMMUNICATIONS) HAJIME INAMASU『ECHOLARIA』(1991年、H-0001、HAIR BAND) 『ひとひら』(1992年、UKRR-6005、RICE RECORDS。下田通信所再発、廃盤) 『ワルツの時間』(2000年、不明、下田通信所、廃盤) ロス・ルンベロス FEATURING 有山じゅんじ『Hurry Hurry Hurry』(1992年、UKRR-6007、UK.PROJECT) 『SHE'S A MYSTIC』(1993年、ZS-9301、ZOUND SYSTEM。1994年、EDCR-708、江戸屋) 『2 [túː]』(1993年、TKCA-70097、Japan Records。再発: 2011年、GRCL-6011、GREEN WOOD RECORDS) RYO KAGAWA WITH TE-CHILI『R・O・C・K』(1996年、UKRR-6015、UK.PROJECT) 三代目魚武濱田成夫『続・三代目濱田成夫』(1997年、PCCA-0111、PONY CANYON) OKINO, shuntaro『hold still-keep going』(1995年、PSCR-5374、POLYSTAR) 『YOU-TONE』(1995年、TOCT-9107、東芝EMI) 木村充揮・有山じゅんじ『木村くんと有山くん』(1998年、UKDL-001、DANDY LION) CUM' CUM'『CUM' CUM'』(2000年、PSCR-5922、POLYSTAR) 『30th Anniversary 継続は力 ~オ・カ・ゲ・サ・マ・デ~』(2006年、DEJR-0004、JUST LUCK RECORDS。DVD) 『ザ・ライブ!』(2019年、EDCE-1031、江戸屋) 『ブルースを発車させよう』(1997年、TM009-010、友部正人オフィス) 『ブルースを発車させよう 2』(1998年、ジュゴン企画。VHS) Various Artists『KUROちゃんをうたう』(1998年、MDCL-1335、ミディ) 『WILDERNESS』(1999年、BSR-051、BlueSky Records) 『Lost Songs』(2000年、HICK-003、Hickory Wind Records) 『金森幸介』(2002年、MDCL-1428、MIDI INC.) 『ほんまかいな』(2001年、XZCS-2009、X.Y.Z. RECORDS) 『Hobo's Lullaby』(2002年、SYJY-005、PALM STRINGS RECORDS) Various Artists『坂庭省悟トリビュート やくそく』(2006年、SYJY-008、PALM STRINGS RECORDS) 三宅伸治プロジェクト2『Guitars' talk』(2002年、ENCM-2013、mind box) 三宅伸治トリビュートアルバム『ソングライター』(2017年、TKCA-74606、徳間ジャパン) 三宅伸治&Santa Clauses『Rainbow Christmas』(2020年、PCD-18879、Pヴァイン) 三宅伸治&Santa Clauses『Rainbow Christmas LIVE』(2022年、PCD-18896、Pヴァイン) 『ナニワジャングル明日はなし』(2006年、XQBA-1001、SILVER BIRCH RECORDS) Various Artists『ChicagoRock 12th Anniversary The Osaka Blues』(2014年、SENT-0005、シカゴロック。DVD) 『B-ethics』(2006年、IOCD-20192、AVEX) 『金子な理由』(2008年、HW-016、HOME WORK RECORDS) 『MARI KANEKO 60th BIRTHDAY LIVE 金子な理由』(2015年、TBRD-1201、たっぷり金子な実行委員会。DVD) 『One Day, One Month, One Year!』(2007年、HW-013、HOME WORK RECORDS) 『フジーユー』(2007年、JIYU-001、JIYU RECORDS) 『何もない日々』(2008年、CXCA-1226、MIDI Creative) 上田正樹 with Reggae Rhythm『FINAL FRONTIER』(2009年、VICL-63355、Victor Entertainment) 『俺たちの歌』(2011年、DQC-563、スリーエーミュージック) 『遠ざかる日本(ふるさと)の歌』(2012年、UICZ-4260、USM JAPAN) 『Soul to Soul』(2019年、UICZ-4465、UNIVERSAL MUSIC LLC) 『そろそろおこか -CARELESS LOVE-』(2010年6月、DDCB-14012、バウンディ) 『そろそろおこか ~CARELESS LOVE~ TOUR 2010』(2011年、DDBB-14005、バウンディ。DVD) 有山岸 feat.上田正樹『Bitter Sweet Soul』(2014年9月、PECF-3098、SPACE SHOWER NETWORKS) 『ホーボー・コネクション Vol.1』(2012年、HW-024AV、HOME WORK RECORDS。2CD+1DVD) 『ぬかるみ天国』(2016年、SPR-001、Spine Records) Various Artists『SONGS OF Ishiyan』(2019年、EDCE-1035、江戸屋) 『アメリカン・ギターズ vol.11 マーティン』(1993年10月、RMAG-11、Rittor Music) 「季刊アコースティック・ギター・マガジン VOLUME37」(2007年2月、リットーミュージック・ムック第57号) 「季刊アコースティック・ギター・マガジン VOLUME40」(2009年5月、リットーミュージック・ムック第45号) 「ギター・マガジン 第28巻6号」(2007年6月、リットーミュージック) 「ギター・マガジン 第45巻7号」(2024年7月、リットーミュージック) 『有山じゅんじ ラグタイムの流儀 ~弦で紡ぐありやまな音楽~』(2016年、AND066、アルファノート) 憂歌団『憂歌団DELUX』(1988年、白夜書房) 永井隆『ENDLESS BOOGIE』(1991年、少年社) Live Music JIROKICHI 40th アニバーサリー実行委員会 編『ジロキチ・オン・マイ・マインド ライブハウス高円寺JIROKICHIの40年』(2014年、Pヴァイン) 『とめ子の明日なき暴走』(2012年11月公開、ビジュアルアーツ専門学校/ムービーワークショップ) ^ 有山岸『そろそろおこか』DISC-2インタヴュー。 ^ 『ラグタイムの流儀』、「ぶんちゃっ」でのインタヴュー。 ^ 永井隆『ENDLESS BOOGIE』、p. 185。 ^ 『アリ・ヤ・マニア』ライナーノーツ内インタヴューより。 ^ 「EAZY」のインタビュー、p.4。 ^ 「EAZY」ibid.、p.4では、中学二年生の時、最初のステージがサンケイホールで、「Bマイナーも押さえられへんかった」ので「そういう曲が出てきたら何も弾かんと立ってるだけ」なこともあったと記載されている。「イサトちゃんの横で弾いてたからな。」 ^ 永井、ibid.、p. 40。 ^ 後述『ゆふすげびとのうた』のみ残したシンガーソングライター。 ^ のちの中津川でのレコードでは「ぼく」とされている。 ^ 産経新聞2016/06/06より、「ヤマハ心斎橋店は昭和27年にオープンし、53年に建て替えられ、昨年(2015年)3月に閉店。」 ^ 永井、ibid.、p. 40。「その頃、心斎橋のヤマハにアマチュアサークルがあって、おれ(有山)はそこでゴチャゴチャやっとったな。キー坊とか石田(長生)とかもおってな。キー坊は「BST」やってて、おれは「ペンタングル」やって、「アリス」のベーヤン(堀内孝雄)もおってクロスビーのコピーやっとったな。」 ^ 上田正樹『戻りたい過去なんてあらへん』、p.51。「(上田が)石田と出会ったのは、心斎橋のヤマハのスタジオ。石田はまだ高校生で、ヤマハのジャズのギター教室に通ってい」た。 ^ 「EAZY」op.cit.、p.6。「(今、ジャケット見ている)そのレコード聞けへん(か?)。黒人の(曲で、)雨が降ってるの(、)ステレオで聞いてもエエことないから上げる(ママ)わ。」 ^ 「EAZY」ibid.、p.6ではYAZOOの1012番として、ブラインド・ブレイクやタンパ・レッドについて述べられているが、それは品番の表記ミス?。『アリ・ヤ・マニア』ibid.において『Guitar Wizards 1926-1935(YAZOO、L-1016)』と言及されている。「EAZY」p.7では、黒人ギタリストとしてその他ビッグ・ビル・ブルンジィ、スクラッパー・ブラックウェルらからも強い影響を受けているとも話す。 ^ 永井隆『ドッグ・デイ・ブルース』、p.213。「その(軽音楽)同好会へ行く前に、僕(永井)も小堀も「軽音楽部」を訪ねている。「同志社の軽音」と言えば、ちったァ(ジャズで)名の知られたクラブだった。しかし、「軽音」には入らず同好会へ入った・・・。」 ^ 上田、ibid.、p.72。 ^ 「オールマン・ブラザース・バンド」の2ndアルバムタイトルをバンド名とした「アイドルワイルド・サウス」のリーダー、スライド・ギタリスト。後に「ツイスト」にも参加。 ^ 永井、op.cit.、p. 40。 ^ 上田、ibid.、p.77。1974年ワンステップ・フェスティバルに出演するまでは、「上田正樹とそのグループ」(等)と名乗っていた。 ^ 西心斎橋アメリカ村で1963年からジャズ喫茶、1972年ライブハウスとして改装。2006年に閉店した。 ^ 大宮下立売下ルにある京都ライブハウスの老舗。1973年2月オープン。 ^ JIROKICHI アニバーサリー実行委員会編『ジロキチ・オン・マイ・マインド』、p. 66。 ^ ソロコンサートであったのか、「ウエストロード」等とのフェスであったのか、山岸が飛び入りしに行ったのかは定かではない。 ^ その頃の感じは、『Blues 1973-1975』(1978年、Showboat。再発CD: 1999年、SWAX-104、sky station)や『LOST TAPES』(2005年、ABCS-91、Absord Music Japan)、『憂歌団』(1975年、Showboat。再発CD: 1999年、SWAX-102、sky station)のリスペクトもの等。 ^ 井上ケン一、井上憲一、ケニー井上、等々。 ^ 『ぼちぼちいこか』のライナーノーツ(増渕英紀)から。1975年6月の少し前となる。 ^ ジャケット写真は道頓堀「くいだおれ」前で、くいだおれ太郎を挟んで向かって左手に上田、右手に有山が写っている。 ^ 上田、ibid.、pp.71-77。上田は徳間音工のディレクターから『ムゲン』(MUGEN。赤坂のディスコ。日本で初の黒人バンドの生演奏を堪能しながら踊れる店。高級ゴーゴークラブ)でのライブをレコードにしたいと言われたが、ジャスト・コピーなので出したくない、有山とコピーではないものをやりたいと『ぼちぼちいこか』を二週間で作った、と述べている。 ^ 2024年、BFTD-0478、ベストフィールド、DVD5枚組。 ^ 上田、ibid.、pp.144-145。 ^ 「EAZY」ibid.、p.4。 ^ 1イ、3サ、10ト。 ^ 「EAZY」ibid.、p.7によると、「『ありのままじゅんじ』は"月"か"ベイビー"やねん。」 ^ 再発CDでは、6、7曲目。 ^ 1929年、ブラインド・ブレイク。スペルは「Diddie Wa Diddie」で、「Diddy Wah Diddy」とは別の曲。 ^ 尾関隆は、憂歌団に沖てる夫とともに楽曲提供している兄、尾関真と名古屋で「尾関ブラザーズ」を結成し、関西にもよく来ていた。音源はこの有山らとのものと、Weeping Harp Senoh『Messin' around』(1976年、再発CD: 2007年、VICL-62497、Victor)の08「You're The One」でサイドを切っているものが残されている。隆のいない「尾関ブラザーズ」としては、Various Artists『NOT THE LAST - LIVE AT OPENHOUSE』(1991、OHST-001~2、酒富蓄音)CD-2、01「シカゴバウンド」(録音: 15th Feb 1991)がある。西依一実は1980年にニュー・ウェーブバンド「ビジネス」を結成。 ^ 当時大阪では、アコースティック・ギタリストがジャムる「ワークショップ」等銘打ったライブイベントも継続的に開催されていた。 ^ 『ぼちぼち』や『ありのままじゅんじ』の曲のほか、松村正秀の「坂道」を好きで演奏したり、「ウォバッシュ・ラグ」(1927年、ブラインド・ブレイク)や「A列車のラグ」(Kenichi Inoue(a.k.a 井上ケン一)『LAZY BABY KENI』(1975年、3A-2019、Showboat。再発CD: 2007年、RATCD-4310、MUSKRAT)A-1のリスペクトバージョン)もよく弾いていた。 ^ 寺田町にあったライブハウス/レンタルホール。1979年-1984年。 ^ 1929年。1943年、「キング・コール・トリオ」他。 ^ 1929年。ファッツ・ウォーラー他。 ^ 手元にあった「プレイガイドジャーナル」を見ると、二人でのライブが月に複数回行われており、内田は憂歌団としても活動し、有山はソロでも活動。デュオはその後もぼちぼち続けられ、テーマソングとして「第三の男」を編曲し演奏したり、「天使の歌声有山淳司と悪魔のギター内田勘太郎、「アーリーカーンズ・セレナーデ・バンド」」と名乗ったり、黒田征太郎が割り込んで「黒有勘」と冠したこともあった。レパートリーとしては、やはり『ぼちぼち』や『ありのままじゅんじ』、「憂歌団」のナンバーや他の注釈等にあるもの以外では、「ジー・ベイビー」や「エノケンの月光価千金」、「エイント・ミスビヘイヴン」、鯖ジン、時代遅れのバースデイプレゼント等も良く演奏されていた。 ^ 上田、ibid.、pp.152-154。 ^ 1965年、「ローリング・ストーンズ」。 ^ 放送曲目は、オープニング・パート1‐サウス・トゥ・サウス/ステージ・マン/ウ・プ・パ・ドゥ/可愛い女と呼ばれたい/俺の借金全部でなんぼや/みんなの願いはただひとつ/モノローグ(上田正樹)/オープニング・パート2/リッキン・スティック/最終電車/むかでの錦三/お前を離さない-サティスファクション‐お前を離さない/ホールド・オン 抱きしめていよう/大阪へ出て来てから/大阪オン・マイ・マイン(大阪も雨に沈んでいるかい(詩: 金森幸介、曲: 藤井裕))。 ^ その前に、下北沢『スーパーマーケット』(ライブハウス)でもライブがあった。 ^ 恵比寿にあったライブハウス。 ^ 1972年、ボビー・チャールズ。 ^ 1966年、パーシー・スレッジ。 ^ 1949年、アントン・カラス。 ^ 1938年、「ボブ・ハワード・アンド・ヒズ・ボーイズ」他。 ^ 1930年。1960年、レイ・チャールズ他。 ^ 曲目は、[サウス] とったらあかん/[サウス+勘太郎]He's Got All The Whiskey/When A Man Loves A Woman/雨の降る夜に/ホールド・オン 抱きしめていよう((当時の)新曲)/[有勘] テーマ(第三の男)/愛想つきたか、ベイビー/今日もデート/[有勘+中西] If Youre Are Viper(勘太郎Vo.)/ダイナ(井上ケン一、ibid.、 A-2のリスペクト、ディックミネバージョン。)/[サウスへ戻る] 大阪へ出て来てから/あこがれの北新地/梅田からナンバまで/[サウス+勘太郎] Georgia On My Mind/シカゴ・バウンド(「憂歌団」Ver.)/可愛い女と呼ばれたい/俺の借金全部でなんぼや/バッド・ジャンキー・ブルース/なつかしの道頓堀/[アンコール、サウス] Come On おばはん/[再アンコール、サウス+勘太郎] みんなの願いはただひとつ/王・メイコの唄。 さらにその前日は「憂歌団」が2デイズライブ。 ^ 2008年、CDSOL-1269、ウルトラ・ヴァイヴ。 ^ ℳ番号、タイトルはサントラLP『じゃりン子チエ~東宝映画オリジナル・サウンド・トラック~』(1981年、MKF-1068、キティ・レコード)の表記に沿う、とされる。 ^ 1981年、3B-28003、TRIO RECORDS。再発CD: 2023年、CDSOL-2016、SOLID/TRIO/SHOW BOAT他。 ^ 有山バージョン≒有勘バージョンでは「~伊藤つかさよりも~」と歌われていた、こともある。 ^ 1938年、ファッツ・ウォーラー他。 ^ 1929年、「メンフィス・ジャグ・バンド」。 ^ GOOD NIGHT SWEET HARTは編曲: 憂歌団。 ^ 『拾得』と並ぶ、富小路仏光寺下ルにある、京都ライブハウスの老舗。1975年頃からライブ開始。ソロや『有勘』としても、よくライブをしていた。 ^ 京都円町にあったライブハウス。有山のライブは御所の南へ移った時期であったか、と思われる。その後も『アザー・サイド』等名を変え場所を変え、2024年現在一乗寺で『わからん屋』として営業。『アリ・ヤ・マニア』では『どんぞこハウス』と表記されている。 ^ UK.PROJECT創業者。 ^ ここでのバビロンは、ラスタファリズムにおける悪の体制としてのバビロンではなく、メッカの意味でのバビロンである、と思われる。キャプション上は西部講堂のその歴史経過やポジション等について記されているが、映像とはリンクしておらず、一部前日の雨による水たまりの残る、西部講堂でのライブ実況ドキュメンタリーとして鑑賞でき得る。 ^ 講堂前で足場を組みロープを垂らして行われた。 ^ 「サウス」の演奏曲目は、SOUTH TO SOUTH/FUNKY PENGUIN/LOVE ME TENDER/あこがれの北新地/オレの借金全部でなんぼや?(最後、タイミングがズレてしまうが)/とったらあかん/梅田からナンバまで/Come on おばはん/大阪へでてきてから/OSAKA ICHIBAN \EN POWER/WALKIN' THE DOG/Ooo Poo Pah Doo/むかでの錦三/お前を救けにゆく(上田が有山を紹介したところ、まずクンチョーがアップに。有山にパンしたときには有山はお辞儀中)/[アンコール] ルート66/TRY A LITTLE TENDERNESS/[再アンコール] I CAN'T TURN YOU LOOSE。上田はMCとして「Wink」や人生幸朗、美川憲一ネタ、「『死ぬ時は別々や』ど」でウケる。なお、上田は再結成について、上田、ibid.、pp.152-153では1980年の再結成はクンチョーがアメリカで行方不明になったのが発見されたことを喜んで行ったとしているが、その'80年のFM放送(編集されたのは当然としても)ではMCやモノローグでもまったく述べられていない。クンチョーは渡米していた期間を'85-'88としており、'91年再結成時の映像では何回かその発見を喜んで述べている。 ^ 当時のチラシより。 ^ ドラマパートでは石田、有山の他、毎日放送アナウンサーの小池清、佐々木美絵や、木村充揮、ちわきまゆみ、羽野晶紀(声のみ)、清水興、野村義男、忌野清志郎、中島らもらも出演。 ^ 制作局次長: 有山じゅんじ「すでに、これ以上の出世はあきらめ仕事意欲ゼロの男。」 ^ 有山はいう「「平成トリオ」は、平成に変わってすぐ、金森幸介が服部緑地の野外音楽堂でフリー・コンサートをやるいうんで、呼んでくれてね。で。その3人で出たわけや。ギャラなしの手弁当やったけど、今と違って当時は客席が芝生でね、ええ感じやった。僕たちも気分良く演奏できて、それから「平成トリオ」として定期的にやるようになったわけやね。」 ^ 中川イサトの孫弟子、加藤政彦作。同名タイトルの二枚目アルバム『あたしは不幸を呼ぶ女』(2005年、BEER-0002、PASTA-RECORDS)でCD化。 ^ 回数はwww.es-346.com、Ibid.の記録/考察に従って、初回を0回とカウントしている。 ^ 1929年、ブラインド・ブレイク。 ^ 1968年、「ザ・バンド」。 ^ 1971年、キャロル・キング。ジェームス・テイラー。 ^ 「てっちり」にもちなんだもの。 ^ 上田、ibid.、p.92。「有山は、(クンチョーとはタイプが違い)フェンダーのジャガーをギャイーン! みたいな感じで鳴らす。」 ^ 有山じゅんじと上田正樹『ライブアット 道頓堀くいだおれ ぼちぼちいこか ザ・ムービー』番外編。 ^ 当日の様子は「新聞、インターネットでも取り上げられ」、メイン・イベントとして「『ぼちぼちいこか』再開ライブ」が企画されたが、「警察から中止命令が出」て「シークレット・ライブ」となった」。そのシークレットな模様は、あこがれの道頓堀の一部分のみ「かんさい熱視線」で放送された。 ^ 下北沢のライブハウス。 ^ 有山じゅんじと上田正樹、ibid.Disc-1、インタヴューパート。 ^ 有山は、「有山じゅんじ・インタビュー 「音楽の力」を語る!!」のp.4で「1970年代初めですね。「サウストゥサウス」の『ぼちぼち行こか(ママ)』とかの時は、岸里に2年くらいおりました。天下茶屋とかあの辺りには、キー坊も一時おったけど、石田長生君とか、音楽やる人はあの界隈にたくさんいた。加川良さんとか大塚まさじさんとかなんかはちょっと上がった所でね、みんな近いところに住んでいたんです。」と話している。 ^ 中川イサト「・・・あの、僕の前に出た「ぼく」というグループがですね、あそこのリードギターを弾いてはりました彼がですねぇ。実は、あの「五つの赤い風船」の、一番最初のメンバーのうちの一人やったんです。そういうのは、意外と知らん(ママ)人が少ない(ママ)と思うんですけど。へっへっ。そういうことですわ。」 ^ ペダルスチールで多くの人とセッション。 ^ 「しーちゃん・ブラザース」のリーダー。しーちゃん。 ^ 「正確には椅子を叩いていたのだ。」 ^ ライナーでは、上田正樹&金子ユリと誤植。「下北沢のマリちゃん」との表記もある。 ^ 初出: Various Artists『8・8 ROCK DAY ロックの暑い日』(1974年、YC-5001~5002、徳間音楽工業。2枚組LP)。A面: 01-06。またバッド・ジャンキー・ブルースとファンキー・ブロードウェイのみVarious Artists『ALL ABOUT 8・8 ROCK DAY '74-'76』(1977年、BMC-1007~1008、徳間音楽工業。2枚組LP)のC面: 01、02に記録。 ^ 作者佐藤博もメンバーである「ハックルバック」としての演奏が残されており(SHIGERU SUZUKI & HUCKLEBUCK『1975 LIVE』(2015年、FJSP239/240、ディスクユニオン))、また、佐藤自身のセカンドアルバム『Time』(1977年、LX-7009、日本コロムビア。再発CD: 2012年、TWCP-26、タワーレコード他)でも演奏している。 ^ ポリス・ドッグ・ブルース(1929年、ブラインド・ブレイク)なら、オープンD(E)。 ^ 1971年、「アイク&ティナ・ターナー」。 ^ 1968年、ジェームズ・ブラウン。 ^ 1967年、ウィルソン・ピケット。 ^ 上田、ibid.、p.61、83。「ワンステップ・フェスティバルの映像に残っているのは、彼だね。上場は、現在(2007年)大阪でジャズをやっている。」 ^ 1971年、ルーファス・トーマス。 ^ 1970年、ライブアットPJズ、ルーファス・トーマス。 ^ 1970年、ライブアットPJズ、ルーファス・トーマス。 ^ 1965年、オーティス・レディング。 ^ 1966年、オーティス・レディング。 ^ 1967年、オーティス・レディング他。 ^ 上田、op.cit.、p.61、86。「宮内は「サウス」を辞めて、アメリカに行ったんじゃなかったんかな。「ダウン・ホーマーズ」とかやっていたね。宮内は当時からジャズとファンクを意識した音を出していた。」 ^ ヨースケ『父、宮内良和のこと。』 ^ 上田、ibid.で、特典DVDとして提供されている。 ^ パッケージには、TVKのコピーライトとして1974年との記載がある。 ^ 1971年、ルーファス・トーマス。 ^ ギターソロで有山を撮ろうとしたであろうカメラマンは、カズーを吹くクンチョーをアップにする。 ^ 1970年、ライブアットPJズ、ルーファス・トーマス。 ^ 1956年、エルビス・プレスリー。 ^ 政岡としやの漫画『ダボシャツの天』(1973-1975年、「週刊漫画TIMES」、芳文社連載)の登場人物。松田天の兄貴分。 ^ 1965年、オーティス・レディング。 ^ 1968年、オーティス・レディング。 ^ 2004年、MTCC-1003、P.S.C.。 ^ 全12曲のうち、01. 野良犬、07. 彼と彼女、03. 街角、12. 家族は『GOLDEN☆BEST~Early Days Selection』(2002年11月、FLCF-3932、FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT)16-19曲目で聴くことが出来る。 ^ ドロップD。 ^ フィドラー。 ^ ベーシスト。西依と「ビジネス」結成。 ^ 再発CDでは8曲目。1966年、「ラヴィン・スプーンフル」。 ^ ちなみにB面: 03の上田正樹「WHEN A MAN LOVES A WOMAN」は、上田『ゴールデン☆ベスト Kitty Years & More』(op.cit.)、Disc-1: 14. で聴くことが出来る。 ^ 初出: Various Artists『最後の春一番 春一番コンサート '79 vol.1』(1979年、SKD-1046、Bellwood Records)、B面: 01。当該vol.1と2を合わせて再発CD化。またオムニバスCD: Various Artists『帰る道はないだろう 春一番スペシャル・セレクション』(1998年、KICS-2237、Bellwood Records)13にも。 ^ 「EAZY」ibid.、pp.3-4。インタヴュアー「春一番の時に中西康晴とやったの面白かったね。」有山「ほんまに、オレはもっとああいった形のものをやりたいねん。・・・。あいつは元々クラシックやろ。・・・(中西は「サウス」で出会った)初めからずっとああいうのを弾いたし、その辺の「息」みたいなのはつかんでくれてると思う。春一番の時も、あいつはその日に来て・・・練習してへん。それでもできるし、そういう自信はあるわ。」 ^ '90「SAKA-O-BAND」シングルの再演。 ^ 1972年、ジェシ・デイヴィス。 ^ 1975年、井上憲一。 ^ 1929年、ブラインド・ブレイク。 ^ WHY。1940年、「ジェリー・ロール・モートン・セクステット」。 ^ 1933年、作: ハロルド・アーレン。 ^ 1927年、ブラインド・ブレイク。 ^ 1939年、作: ハロルド・アーレン。ジュディ・ガーランド。 ^ 1992年、エリック・クラプトン。 ^ 藤井裕と正木五郎でのベース&ドラムのユニット。 ^ '09「季刊アコースティック・ギター・マガジン VOLUME40」でのおおはた雄一との書き下ろし曲、ソロ・バージョン。 ^ BRUCE06『コピーライターの頭の中』に示唆を得る。 ^ 1972年、J.D.サウザー。 ^ 京都のフォーク・シンガー。 ^ 初出は『最後の春一番 春一番コンサート '79 vol.2』A面: 02。 ^ '91ソロ作『MAKE A JOYFUL TIME』や'15金子マリ『BIRTHDAY LIVE 金子な理由(DVD)』で再演。 ^ ジャズ・シンガー。 ^ 「ハナサカ」のギタリスト。石田の弟子。 ^ ジャズ・ドラマー。 ^ ジャズ・クラリネット奏者。坂田明の師匠筋。 ^ ジャズ・トランペット奏者。 ^ 「ハナサカ」のボーカル。 ^ 「KING SIZE」のドラマー。 ^ 稲増はじめ。奈良のシティロックンローラー。 ^ ジェームズ・ボンとともに、日本人として初めて、1984年レゲエ・サンスプラッシュに参加したレゲエバンド。 ^ ここではコーラスであるが、後の石田追悼盤(2019年)ではメインボーカル・ギターで参加。 ^ その他、石田長生がギター、木村充揮がボーカル、島田和夫がドラムスでそれぞれ参加した曲もある。 ^ たぬきのロクさん: ベース 細野晴臣、スティールギター 村上律。 ^ 忌野清志郎がサックスとフルート、バッキング・ボーカルで参加。 ^ 同年のV.A.『KUROちゃんをうたう』での「ゴンチチ」との共演、の再演。 ^ なぜか表記されていないが、「星に願いを(1940、ネッド・ワシントン、リー・ハーライン)」が演奏されている。 ^ 「KING SIZE」のギタリスト。 ^ ジャズベーシスト。 ^ オリジナルは、憂歌団『Rolling Steady』(1979年、3SB-1013、TRIO RECORDS)。B面: 01。 ^ 1975年、憂歌団。 ^ 1975年、憂歌団。 ^ 同年、木村、有山『木村くんと有山くん』で再演。 ^ 吉野五十一。ドブロのスライドプレイヤー。 ^ 下記CD以外に、CD-R: 有山じゅんじと金森幸介『ふたりは』(2000年、ぽかぽかレコード)や、CD-R: 『ちがう言葉』(2000年、ぽかぽかレコード)が一部で流通。 ^ 元「イタチ」の三井雅弘と、彼の京都産業大学での後輩、大村章(ザビエル大村)とのラグブルースデュオ。 ^ 1961年、ヘディ・ウエスト他。 ^ 1982年、「タッチストーン」等。 ^ そして、おそらく口笛も。 ^ 土居"ベーカー"正和(Dr)プロデュース。南森町の『シカゴロック』(Blues&Soul Bar)に集う面々での、一発録りセッション等インストアルバム ^ '10有山岸『そろそろおこか』で「Sukiyaki Blues」として再演。 ^ 2009年、有山「くそ、Blues!」。 ^ 2009年、有山「50歳」改。1963年、ボブ・ディラン「風に吹かれて。」 ^ '90「SAKA-O-BAND」シングルの再演。 ^ オリジナルのほかには欧州に残る古謡なども歌ったり集めたり、弾き語り。 ^ 1968年、「ドアーズ」 ^ Jamaica Farewell(さらばジャマイカ)。1956年、ハリー・ベラフォンテ。 ^ '06「シカゴロッカーズ」『ナニワジャングル明日はなし』「上を向いて歩こう」の再演。 ^ 1976年、「SOOO BAAD REVUE」。 ^ a.k.a 悲しいヨーロッパ、哀愁の色やね。 ^ オープニング/リハーサル(2010年6月22日、大阪SWEET STRINGS STUDIO)テネシーワルツ#2(2010年6月23日、心斎橋『JANUS』)、しょぼくれあかんたれ(2010年6月24日『磔磔』)。 ^ 1994年、ジョニー・ギター・ワトソンに、日本語詞: 有山。 ^ スワンプ・ロック・シンガー。 ^ Zound System オリジナル(1993年)ではコーラス。 ^ 『アリ・ヤ・マニア』(2013年)でソロ・バージョン演奏。 ^ DVD内容は、有山が逐一細かいフィンガリングを説明するというより、彼の手癖等をインタヴュアーとの対話で、映像で確認しながら解いていく。「ほんまやなぁ。考えたことないワ。おっしゃる通りです。・・・」 ^ 編集されている。 ^ 2024年現在、DVD、BD化や配信等為されていない。 ^ フリーディレクター。専門学校で30年以上、映画の事を教えている。 ^ “TV Bros. WEB「有山じゅんじ PART1「1発でブラインド・ブレイクの虜になってしまった」不定期連載「旅と酒とブルーズと」第一回」無料部分”. 2023年7月30日閲覧。 ^ 『そろそろおこか -CARELESS LOVE-』(2010年、DDCB-14012、バウンディ)DISC-2 DVD「インタヴュー」より。 ^ 『有山じゅんじ ラグタイムの流儀 ~弦で紡ぐありやまな音楽~』(2016年、AND066、アルファノート)有山の発言より。 ^ 永井隆『ENDLESS BOOGIE』(1991年、少年社)。 ^ 『有山じゅんじ ベスト アリ・ヤ・マニア』(2013年、FUCHI-005、006、UK.PROJECT)ライナーノーツでの有山インタヴューより。 ^ 「EAZY」1979 6(1979年、OBCミュージックセンター)pp.3-7、「特集 有山淳司インタヴュー」より。当時のミニコミ誌。なお、編集(切り貼り)のズレが見られる。 ^ “「すりいこおど-1970年代周辺の日本のフォーク&ロック」2009.05.21”. 2023年7月30日閲覧。 ^ “爆買い「超一等地」東急不動産が開発 心斎橋筋・ヤマハ跡に商業施設”. https://www.sankei.com/article/20160606-IBPIGLQVB5PSBJTEO36NG2SRLU/ 2023年7月30日閲覧。 ^ 上田正樹『戻りたい過去なんてあらへん』(2007年、K&Bパブリッシャーズ)。 ^ 永井隆『ドッグ・デイ・ブルース』(1985年、少年社) ^ “アリ・シミ 石田長生を語る(テキスト版)”. 2023年7月22日閲覧。 ^ Live Music JIROKICHI 40th アニバーサリー実行委員会 編『ジロキチ・オン・マイ・マインド』(2014年、Pヴァイン)。 ^ “Fujii You web Site「藤井裕物語」”. 2023年11月3日閲覧。 ^ “NHKアーカイブストップ » NHKクロニクル » 過去の番組表 » 番組詳細 » 番組名若い広場 「雑居時代のヒーロー」-泉谷しげる-”. 2024年6月26日閲覧。 ^ 憂歌団『憂歌団 DELUXE』(1988年、白夜書房)pp.82-83、p.112、pp.212-213。 ^ “内田勘太郎公式ブログ「丘の上勘ちゃん食堂」ギター事始め57”. 2023年7月30日閲覧。 ^ “内田勘太郎公式ブログ「丘の上勘ちゃん食堂」ギター事始め65”. 2023年7月30日閲覧。 ^ “紅花紅子のブログ「Legend of 関西ブルース: その5-憂歌団」”. 2023年7月30日閲覧。 ^ “radiodAze -名古屋ロック年表(1967~1995)-”. 2023年9月16日閲覧。 ^ 「プレイガイドジャーナル 1979年11月号」。 ^ “TV Bros. WEB「有山じゅんじ PART2「次(アルバム)出すんなら半分はフルートやな(笑)」不定期連載「旅と酒とブルーズと」第一回」無料部分”. 2023年11月3日閲覧。 ^ 「ギター・マガジン 第45巻7号」p.81中列(2024年、リットーミュージック)。 ^ “忌野清志郎フリーク 個展 にわかの三四郎の世界 その429 放送禁止06ライブ”. 2024年3月9日閲覧。 ^ “シオミトモヒコ-幻の名ギタリスト、トサカ君は今・・・”. 2023年12月10日閲覧。 ^ “夢の乱入者(Yumeran)#3 放送記録(programs)”. 2023年12月3日閲覧。 ^ 有山じゅんじと上田正樹『ライブアット 道頓堀くいだおれ ぼちぼちいこか ザ・ムービー』(2009年、FUCHI-002DV、UK.PROJECT)。 ^ かんさい熱視線『くいだおれ 最後の日』2008年7月11日放送、NHK大阪。 ^ “ベーシスト藤井裕が食道がんで逝去”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2014年10月16日). 2023年9月26日閲覧。 ^ 石田長生Twitter 2015年7月8日付 ^ 有山じゅんじ (ありやまなファンページ) facebook 2015年7月13日付 ^ 『すみ博ガイド』(2020年、すみよし博覧会実行委員会)pp.2-5。 ^ Various Artists『1971フォーク・ジャンボリーVol.1』(1998年、TOCT-10382-3、東芝EMI)Disc-2: 06. 中川イサト「俺が旅から帰った時は」演奏前のM.C.。 ^ “紅花紅子のブログ「Legend of 関西ブルース7-伝説のドラマー井上茂」”. 2023年7月30日閲覧。 ^ “Y's Factory「伝説の8.8ロックデイ"8.8 Rockday誕生~10年間の軌跡"」”. 2023年9月30日閲覧。 ^ “ヨースケ@HOME Blog「父、宮内良和のこと。」”. 2023年9月3日閲覧。 ^ “Live spot 夕焼け History 「夕焼け」誕生と店名の由来”. 2023年9月30日閲覧。 ^ “BRUCE06『コピーライターの頭の中』有山じゅんじ/レコーディング参加アルバム”. 2023年11月11日閲覧。 ^ “radiodAze -ロックファイル関西二十世紀-”. 2023年12月8日閲覧。 金森幸介 中川イサト 石田長生 上田正樹 藤井裕 クンチョー(a.k.a 堤和美、Quncho) 中西康晴 正木五郎 金子マリ(a.k.a 小田急小梅) 井上ケン一 内田勘太郎 木村充揮(a.k.a 木村秀勝) 尾関ブラザース 松村正秀(a.k.a チチ松村) 山岸潤史 有山じゅんじのありやまなページ!! この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。 ISNI MusicBrainz
日本のフォークシンガー 日本のギタリスト 大阪府出身の人物 1953年生 存命人物 説明が求められている文章がある記事 2024/11/18 13:15更新
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ariyama junji
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