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有島生馬の情報 (ありしまいくま)
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【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

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有島 生馬さんについて調べます

■名前・氏名
有島 生馬
(読み:ありしま いくま)
■職業
洋画家
■有島生馬の誕生日・生年月日
1882年11月26日 (年齢1974年没)
午年(うま年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

有島生馬と同じ1882年生まれの有名人・芸能人

有島生馬と同じ11月26日生まれの有名人・芸能人

有島生馬と同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


有島生馬と関係のある人

呉茂一: 園子の母は有島武郎・有島生馬の妹かつ里見弴の姉であるため、呉家は高木家を通じ有島家と姻戚関係で結ばれた。


鈴木三重吉: ^ 運動の当初の賛同者には泉鏡花、小山内薫、徳田秋声、高浜虚子、野上豊一郎、野上弥生子、小宮豊隆、有島生馬、芥川龍之介、北原白秋、島崎藤村、森鷗外、森田草平の他数十名、1年後には小川未明、谷崎潤一郎、久米正雄、久保田万太郎、有島武郎、秋田雨雀、西條八十、佐藤春夫、菊池寛、三木露風、山田耕筰、成田為三、近衛秀麿らも加わっている。


小山敬三: 1936年(昭和11年)二科会を脱会して有島生馬、山下新太郎らと一水会を結成。


原田豊吉: 娘の信子は有島生馬の妻。


有島重武: 伯父 有島生馬(画家)


宮原晃一郎: 『南欧北欧短篇集』(有島生馬共訳編、河出書房、世界短篇傑作全集) 1936


安井曾太郎: 翌1936年(昭和11年)、石井柏亭、有島生馬、山下新太郎らと一水会を結成。


東郷青児: 日比谷美術館で初個展、この頃有島生馬を知り、以後師事。


志賀直哉: 1897年(明治30年)頃、直哉は華族女学校の女学生への態度がけしからんという理由で、下級生の滋野清武を有島生馬、松方義輔と一緒に殴ったことがある。


原智恵子: 父の原粂太郎はハーバード大学に学んだ川崎造船所の技師長で、有島武郎・有島生馬兄弟の友人。


志賀直哉: 翌1896年(明治29年)、有島生馬らとともに「倹遊会」(後に「睦友会」に改名)を結成し、その会誌『倹遊会雑誌』を発行する。


武者小路実篤: 1910年(明治43年)には志賀直哉、有島武郎、有島生馬らと文学雑誌『白樺』を創刊。


諏訪根自子: 順次郎は有島武郎、有島生馬など白樺派の作家、芸術家と親しく、クラシック音楽のレコードを購入してきた。


グラツィア=デレッダ: 邪道(有島生馬訳 日本出版社 1942年)


中島葵: 官僚・実業家の有島武と陸軍大将・男爵の神尾光臣が曾祖父、小説家の有島武郎が祖父、画家の有島生馬と小説家の里見弴が大伯父に当たる。


原智恵子: 1928年、13歳の時、フランスのピアニストのアンリ・ジル=マルシェ(Henri Gil-Marchex, 1894-1970)から勧めを受けた父の決断により、有島生馬に随行して渡仏。


里見弴: 西園寺公望の秘書であった原田熊雄は友人で、姻戚(原田の妹が里見の兄である有島生馬の妻)でもあった。


島崎藤村: 1913年(大正2年)5月末、神戸港よりエルネスト・シモン号に乗船し、37日後にフランスマルセイユ着、有島生馬の紹介でパリのポール・ロワイヤル通りに面した下宿で生活を始める。


原智恵子: 有島生馬の仲介で原家を訪れた野村光一・堀内敬三・伊庭孝・津川主一などの音楽評論家が智恵子のピアノの才能に注目。


オーギュスト=ロダン: ロダンの生誕70年を祝うこの特集号を出すにあたって、まず有島生馬がロダンに手紙を書き、正しい誕生日の確認を行なったところ、その返信の中に、自分のデッサンと日本の浮世絵を交換したい旨の内容が書かれていた。


グラツィア=デレッダ: 悪の道(有島生馬、岩崎純孝訳 世界文学全集 新潮社 1932年)


石井柏亭: 1913年(大正2年)、「日本水彩画会」を創立、1914年(大正3年)には有島生馬らとともに二科会を結成した。


島崎藤村: 1912年(大正元年) - 有島生馬の装丁で『千曲川のスケッチ』を佐久良書房より出版。


竹久夢二: 墓碑には有島生馬に依る揮毫「竹久夢二を埋む」と刻まれている。


志賀直哉: 同級の徳川慶久や後輩の柳生基夫、また有島生馬、松方正熊などと切磋琢磨し、定期的に高等師範学校の付属との対抗試合が行われ、広田弘毅も旧名・丈太郎時代に試合に参加していたという。


梅原龍三郎: 1910年(明治43年)知人の有島生馬を通して「ルノワールやパリの芸術について」を雑誌『白樺』に寄稿している。


里見弴: 同じく小説家の有島武郎、画家の有島生馬は共に実兄にあたる。


竹久夢二: 友人で画家の有島生馬とともに震災後の東京を歩き、スケッチ21枚を『都新聞』に『東京災難画信』として寄稿連載。


島崎藤村: 1936年(昭和11年) - 第14回国際ペンクラブブエノスアイレス大会出席のため、静子夫人と副会長有島生馬を伴い外遊。


西村伊作: 美術は、石井柏亭、有島生馬、山下新太郎、正宗得三郎、棟方志功、ノエル・ヌエットらが、音楽は、山田耕筰、エドワード・ガントレットなど、ほかにも、北原白秋、有島武郎、芥川龍之介、遠藤周作、吉野作造、高浜虚子、堀口大學、美濃部達吉ら数々の著名人が文化学院で教えた(2018年閉校)。


有島生馬の情報まとめ

もしもしロボ

有島 生馬(ありしま いくま)さんの誕生日は1882年11月26日です。神奈川出身の洋画家のようです。

もしもしロボ

結婚、父親、卒業に関する情報もありますね。1974年に亡くなられているようです。

有島生馬のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

有島 生馬(ありしま いくま、本名・有島壬生馬、1882年〈明治15年〉11月26日 - 1974年〈昭和49年〉9月15日)は、日本の画家。号は雨東生、十月亭。

神奈川県横浜市出身。志賀直哉や児島喜久雄とは少年時代からの友人で、『白樺』創刊に参加し、代表作『蝙蝠の如く』を書いた。長くヨーロッパに留学したが、その際、有島の恋人(女中)を志賀らに託し、帰国後、彼女と結婚の意志がないことを示したため、志賀との間に疎隔が生まれ、敗戦後、志賀は『蝕まれた友情』(1947年(昭和22年))を書いて絶交。

有島武郎の弟、里見弴の兄。妻の信子は原田熊雄の妹でドイツとのクォーター。妹のシマは医学者の高木喜寛に嫁いだ。甥には武郎の長男である俳優の森雅之がおり、1923年(大正12年)に武郎が心中した後は彼の親代わりとなって育てた。姪には高木喜寛・シマ夫妻の長女・園子がおり、西洋古典学者の呉茂一に嫁いだ。一人娘の暁子は東京川崎財閥の3代目当主・川崎守之助に嫁いだ。

大蔵省関税局長兼横浜税関長をしていた有島武とその妻・幸の次男として、横浜月岡町(現・老松町(横浜市))の税関長官舎で生まれる。干支から「壬生馬(みぶま)」と名付けられたが、難読を嫌ってのちに「生馬」に改称。父の職業や横浜という土地柄から外国人との交流も多く、兄姉とともに洋学教育を受ける一方、両親とも武家出身であったことから和洋混載の環境で育つ。父親が由比ヶ浜に別荘を持っていたことから、吉田清成、吉原重俊、山尾庸三、園田孝吉らといった官僚の子供たちと親しく交流した。

1891年(明治24年)に父親が大蔵省国債局長となり東京の麹町区永田町の官邸に転居し、麹町小学校に転校したが、1893年(明治26年)に父親が退官した後、1895年(明治28年)に学習院初等科に転校。中等科に進む1896年(明治29年)に麹町区下六番町10(現・六番町(千代田区))の旧旗本屋敷に一家で転居し、学校では志賀直哉、田村寛貞、黒木三次、三条公輝らと文芸サークル「睦友会」を結成して会報誌で文芸評論などを発表。1900年(明治33年)中等科4年のときに肋膜炎を患い、学習院を中退して父の郷里である鹿児島県平佐村(現・薩摩川内市)で転地療養する。このとき近所の書店で見つけた『近松研究』を読んだことから近松門左衛門など日本の古典文学に夢中になり、また、当地で出会った日本人神父から見せられたローマの宗教美術からイタリアで絵を学びたいと思うようになる。

一年の療養を終えて、1901年(明治34年)に東京外国語学校(現・東京外国語大学)イタリア語科に入学。1903年(明治36年)には小山内薫の紹介で、かねてより傾倒していた島崎藤村を小諸に訪ねた際、ピサロの絵を初めて見せられ衝撃を受ける(藤村との交流は生涯続き、のちに藤村の『千曲川のスケッチ』の装丁も手掛け、藤村が没した際は生馬が葬儀委員長を務めた)。岩元禎に紹介を頼み、大学の卒業式が終了したその足で洋画家藤島武二のもとを訪ね、住み込みの生徒となるが、しばらくして駒込円通寺に転居し、日露戦争終戦後の時期である1906年(明治39年)5月、イタリアに向かう。元電話交換手から絵画モデルになり生馬と知り合って有島家の女中となった恋人・関安子の世話を友人らに頼む。

薩摩出身のイタリア公使・大山綱介の紹介で6月にローマに居を構え、古典美術を学びはじめるが、同年9月に訪ねてきた兄・有島武郎とともにヨーロッパ各地を巡る旅行に出かけ、同年12月末からパリに留まるも、ロンドン滞在中の武郎を訪ねて過ごし、翌1907年(明治40年)2月末からパリの美術学校グラン・ショミエールに通いはじめる。6月にはラファエル・コランの画室を訪ね、夏にはヨーロッパに留学中の旧友らと交流を楽しみ、同年秋にセザンヌ回顧展を見て感銘を受ける。パリでは荻原守衛、高村光太郎、南薫造、梅原龍三郎、藤田嗣治らとも交流した。

1910年(明治43年)2月に帰国し、武郎、弟・里見弴とともに『白樺』同人となり、セザンヌをいち早く紹介する。 同年、女中の関安子を捨て、里見弴の学友だった原田熊雄の妹・原田信子( - 1978年)と結婚。1911年(明治44年) 文展に入選。娘・暁子(1911 - 1982)が生まれる。

1914年(大正3年)文展からの独立を志向する二科会結成(創立会員)。1914年(大正3年)妻・信子が家を出る。1920年(大正9年)志賀直哉が生馬の生活を批判的に描いた小説『或る一夜』を発表。1921年(大正10年)画家西村伊作や歌人与謝野晶子、画家石井柏亭らによって当時の学校令に縛られない自由でより創造的な学校、文化学院が創立される。生馬も講師として教壇に立った(教え子に村井正誠がいる)。1928年(昭和3年)娘・暁子、原智恵子らと渡欧し、フランスでレジオンドヌール勲章授与。

1935年(昭和10年)、帝国美術院の大改革が行われ、官選の形で美術院の会員に選出される。このことで二科会を脱会。 同年、日本ペンクラブ(会長・島崎藤村)の副会長になる。 1936年(昭和11年)7月、島崎藤村らとともにペン・クラブ国際大会に出席するためアルゼンチンを訪問。 帰国後の同年12月、安井曽太郎らとともに一水会設立に参画。 1937年(昭和12年) 帝国芸術院会員となる。 1958年(昭和33年) 日展常務理事に就任。1964年(昭和39年) 文化功労者となる。1971年(昭和46年)娘・暁子、昭和天皇皇后ヨーロッパ歴訪に同行し通訳を務める。1974年(昭和49年)91歳で死去。

1982年(昭和57年)、有島生馬の鎌倉の家(通称「松の屋敷」)が長野市信州新町上条に移築され、「有島生馬記念館」として開館された。

蝙蝠の如く (洛陽堂 1913年 白樺叢書)

獸人 (東京堂 1915年)

南歐の日 (新潮社 1916年)

暴君へ (新潮社 1917年)

葡萄圃の中 (春陽堂 1918年)

鏡中影 (春陽堂 1919年)

死ぬほど (春陽堂 1920年)

美術の秋 (叢文閣 1920年)

回想のセザンヌ (エミル・ベルナールの訳書)、叢文閣 1920年/岩波文庫、1953年ほか

嘘の果 常子の手紙 (新潮社 1921年)

片方の心 (プラトン社 1924年)

セザンヌ (アルス 1925年)

海村 (改造社 1927年)

現代日本文學全集 第27篇 有島武郎集・有島生馬集 (改造社 1927年)

有島生馬全集 (全3巻 改造社 1932年-1933年)/日本図書センター(復刻版)、1997年

有島生馬畫集 人物肖像篇 (アトリヱ社 1932年)

東方への港 (岡倉書房 1936年)

邪道 (グラツィア・デレッダ(訳)日本出版社 1942年)

青春回想 (随筆集 信濃青年社 1947年)

思い出の我 (中央公論美術出版 1976年)

一つの予言 有島生馬芸術論集 (形象社 1979年)

『人事興信録 第8版』 人事興信所、1928年(昭和3年)7月10日

『人事興信録 第14版 上』 人事興信所、1943年(昭和18年)10月1日

小谷野敦 著 『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』幻冬舎〈幻冬舎新書〉、2007年(平成19年)9月30日第1刷発行、ISBN 978-4-3449-8055-6

^ 『日本の有名一族』、99-101頁。

^ 『人事興信録 第8版』、タ95頁。

^ 『人事興信録 第14版 上』、カ171頁。

^ 『新薩摩学風土と人間』鹿児島純心女子大学国際文化研究センター、図書出版 南方新社, 2003

^ 稲垣達郎作有島武郎年譜『有島武郎・里見弴 現代日本文学館15』所収 文藝春秋,1968

^ 宮越勉「初期「白樺」の有島生馬と里見弴」『明治大学人文科学研究所紀要』第59巻、明治大学人文科学研究所、2006年3月、181-214頁、ISSN 05433894、NAID 120001440265。 

^ "里見弴・詳細年譜". 小谷野敦HP. 2017年5月18日. 2017年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月18日閲覧。

^ 『東京外国語学校一覧 従明治37年至明治38年』東京外国語学校、1905年、p.95

^ 1904年7月6日(『官報』第6307号、明治37年7月9日、p.220)

^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 62頁。

^ 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868-1925』河出書房新社、2000年、399頁。ISBN 4-309-22361-3。 

^ 帝国美術院の改組を閣議承認『大阪毎日新聞』昭和10年5月29日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p410 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

^ 島崎藤村、有馬生馬の両代表が出席『大阪毎日新聞』昭和11年7月14日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p26 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

^ 二科脱会の四人、石井白亭らと結成『東京朝日新聞』昭和11年12月23日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p26)

有島武郎(元札幌農学校教授、生馬の実兄)

里見弴(小説家、生馬の実弟)

森雅之(俳優、生馬の甥、兄・武郎の実子)

藤島武二(画家)

有島生馬記念館

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有島生馬 - 東京文化財研究所

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有島家

東京外国語大学出身の人物

横浜市出身の人物

1882年生

1974年没

2024/11/21 17:45更新

arishima ikuma


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