有田八郎の情報(ありたはちろう) 外交官、政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
有田 八郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
有田八郎と関係のある人
木村俊夫: 有田八郎 広田弘毅: 最終的には元外相・有田八郎を中国に派遣して国民政府との交渉の糸口をつかもうとした。 白鳥敏夫: 特に谷正之亜細亜局長とは考査部設立問題で激しく対立し、1932年に就任した有田八郎外務次官とも対立するようになった。 倉成正: 有田八郎 蒋介石: 日本の外交官の広田弘毅や有田八郎、川越茂からは、日中共同で防共協定の締結を提案されたが蔣介石はこれを受け入れず、日中の防共協定は破綻になった。 木村俊夫: 有田八郎 佐藤尚武: 1938年(昭和13年)9月10日、日中戦争への対処を行うために新設された外交顧問に有田八郎とともに就任するが、対中国機関問題が擱座したため同年9月29日に辞任。 石渡荘太郎: 平沼内閣の大蔵大臣時代、外相有田八郎、海相米内光政とともに日独伊三国同盟に反対を貫いた。 倉成正: 有田八郎 梶山季之: 東京都知事選挙立候補者の有田八郎を落選に追い込んだ怪文書「般若苑マダム物語」の作者を突き止めるスクープなどを書いた。 汪兆銘: 1942年9月22日、平沼騏一郎、有田八郎、永井柳太郎が特使として南京を訪れた。 平沼騏一郎: そのうえ議会が近いという事情から、近衛内閣から塩野季彦法相兼逓相、荒木貞夫文相、木戸幸一内相、有田八郎外相、八田嘉明商工相兼拓務相、米内光政海相、板垣征四郎陸相の七閣僚が留任、あたかも首のすげ替えの様相を呈した。 東龍太郎: 1959年、自由民主党の推薦で東京都知事に立候補し、日本社会党等が推した有田八郎らを破って当選。 有福正志: 落日燃ゆ(2009年、テレビ朝日) - 有田八郎 役 山本悌二郎: 外務大臣の有田八郎は弟。 白鳥敏夫: しかし三国同盟には反対派も多く、「薄墨色の外交」を基本理念としていた有田八郎外相も積極的に推進するつもりはなかった。 樋口季一郎: 1939年当時の有田八郎外務大臣の公式見解では「80人強」と語られている。 |
有田八郎の情報まとめ
有田 八郎(ありた はちろう)さんの誕生日は1884年9月21日です。新潟出身の外交官、政治家のようです。
卒業、事件、引退、再婚、離婚、結婚、解散に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1965年に亡くなられているようです。
有田八郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)有田 八郎(ありた はちろう、1884年〈明治17年〉9月21日 - 1965年〈昭和40年〉3月4日)は、日本の外交官、政治家。貴族院議員(勅選)、衆議院議員(1期)。号は澤農。旧姓山本。新潟県平民。 新潟県佐渡郡真野村(現佐渡市真野)出身。山本家に生まれ、有田家の養子となった。早稲田中学校、第一高等学校を経て、1909年(明治42年)東京帝国大学法科大学独法科卒業、外務省入省。 外務省ではアジア局長、オーストリア公使、外務次官、ベルギー大使、中華民国大使などを務める。1936年(昭和11年)、廣田内閣の外務大臣として初入閣。1938年(昭和13年)2月10日に貴族院議員に勅撰。 同年9月10日、日中戦争への対処を行うために新設された外交顧問に佐藤尚武とともに就任するが、対中国機関問題が擱座したため同年9月29日に辞任。 一方、同年9月に宇垣が辞職以降空席となっていた外相ポストに板垣陸相、米内海相の同意を得て有田が就任(第1次近衛改造内閣)。以降、1939年(昭和14年)の平沼内閣、1940年(昭和15年)の米内内閣でそれぞれ外相を務める。1939年7月から8月にかけて、駐日英国大使ロバート・クレイギーとの間で有田・クレイギー会談があり、天津事件における英仏租界封鎖問題などが討議されたが、イギリス側の妥協によって、イギリスは中国で日本軍を妨害しないという原則的取決めが成立した(有田・クレーギー協定)。 1940年(昭和15年)7月3日、有田はラジオ放送を通じて新外交方針を訴えたが、陸軍側が誤解を招く表現があるとして反発。有田は畑陸相を訪問して遺憾の意を伝え、一度は外務省と陸軍との間で問題解決が図られたが、7月16日に畑陸相が辞表を提出。米内内閣が総辞職に追い込まれた。 1946年(昭和21年)に公職追放。追放解除後の1953年(昭和28年)、第26回衆議院議員総選挙に際し故郷の旧新潟1区から革新系無所属として立候補し当選。のち、会派「小会派クラブ」に所属した。 1955年(昭和30年)、東京都知事選挙に革新統一候補(日本社会党推薦)として立候補したが落選。1959年(昭和34年)、都知事選に再び革新統一候補として挑戦するが落選。これを機に政界を引退した。 戦前は「欧米協調派」に対する「アジア派」の外交官として知られ、1936年(昭和11年)の廣田内閣時代に何度も蔣介石の国民政府との防共協定を提案しており、近衛内閣時代に「東亜新秩序建設」を推進した。日独防共協定を締結したが、日独伊三国同盟の締結には最後まで反対した。 追放解除後は革新陣営に属し、日本の再軍備に反対した。 1953年(昭和28年)、有田は東京・白金台の料亭「般若苑」の経営者・畔上輝井(あぜがみ てるい、1906年 – 1989年)と再婚。1959年(昭和34年)に有田が都知事選に出馬すると、畔上は料亭を閉めて有田を支援。料亭を担保に選挙資金を得ようと五島慶太との間で話がまとまりそうになったが、岸信介首相の圧力で白紙になった。落選後、選挙運動のために莫大な借金ができ、有田は椎名町の広大な土地と自宅を売却した。一方畔上が料亭再開のための資金援助を吉田茂に頼んだことで、夫婦は揉め、1955年(昭和30年)に離婚した。 1925年(大正14年)6月15日 - 正五位 1933年(昭和8年)5月22日 - 正四位 1940年(昭和15年)6月1日 - 正三位 1920年(大正9年)9月7日 - 勲四等旭日小綬章 1926年(大正15年)2月10日 - 旭日中綬章 1936年(昭和11年)5月11日 - 勲一等瑞宝章 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章 1936年(昭和11年)2月10日 - ベルギー王国:レオポルド勲章グランクロア、ルクセンブルク大公国:オーククラウン勲章グランクロア 1937年(昭和12年)11月22日 - ドイツ国:ドイツ鷲大十字勲章 1940年(昭和15年)9月6日 - ハンガリー王国:メリット・オングロアーズ勲章プルミエール 1943年(昭和18年)8月11日 - 中華民国政府:特級同光勲章 新潟県佐渡郡真野村 父・山本桂 ‐ 漢方医 兄・悌二郎
東京都新宿区下落合 養父・有田真平 ‐ 新潟日日新聞に寄稿した「皇室の繁栄と人民の幸福とは両立せしめざるべからず」が官憲により不敬思想と告発され、新潟監獄で27歳で病死。同情した八郎の父が有田家に八郎を養子に出した。 前妻・ヤス(安子)(新潟県、佐藤嘉十郎養妹)
長女・道(新潟県、佐藤嘉一郎に嫁す) 二女・萬里子(山室宗文長男宗忠に嫁す) 四男・有田浩吉(1915-1979)。医師 五男・有田圭輔(外務事務次官、国際協力事業団総裁) 後妻・畔上輝井(あぜがみ てるい、1906年 – 1989年) ‐ 般若苑経営者。1953年有田と結婚、1955年離婚(前妻の没後1944年より内妻となり、離婚後も関係は続き、1965年に有田の最期を看取った)。長野県中野市の貧農の生まれ。長野師範学校卒。三度の離婚を経て赤坂で割烹旅館「三河屋」を創業、1946年より三田で料亭「桂」を経営し、1948年に料亭「般若苑」を買い取り、社長となる。「桂」は昭和電工疑獄の舞台となり、畔上は証人として1949年の参議院法務委員会に喚問された。有田の選挙資金のため「桂」を売却、「般若苑」も抵当に入れ休業、夫婦で約1億円の借金を作り、般若苑を再開したい畔上と売却して借金清算にあてたい有田と揉めて離婚、吉田茂、佐藤栄作、平林たい子、井深大らの援助を受けて般若苑を再開。日本初のプライバシー侵害訴訟として知られる三島由紀夫の小説『宴のあと』の登場人物・福沢かづのモデル。大宅壮一は「強女山脈の三奇峰」として平林たい子、婦人経済連盟理事長の竹内寿恵と並んで畔上を挙げている。 『第六十九回帝国議会ニ於ケル有田外務大臣演説(昭和十一年五月六日)』[外務省]、1936年。 NCID BA30626252。全国書誌番号:46062839。 『第七十回帝国議会ニ於ケル有田外務大臣演説(昭和十二年一月二十一日)』[外務省]、1937年。 NCID BA43995116。全国書誌番号:46061842。 The address of Mr. Hachiro Arita, Minister for Foreign Affairs, at the 70th Session of the Imperial Diet, January 21, 1937. Ministry of Foreign Affairs. (1937). NCID BA76503432. 全国書誌番号:22029500 『上奏』[出版者不明]、1945年7月。 NCID BB28484742。 『人の目の塵を見る 外交問題回顧録』大日本雄弁会講談社、1948年10月。 NCID BN0822985X。全国書誌番号:46009248 全国書誌番号:48008703 全国書誌番号:61002455。 『私の見る再軍備』朝日新聞社、1952年4月。 NCID BA36033912。全国書誌番号:52004506。
『どうする? 日本の再軍備』憲法擁護国民連合、1954年2月。 NCID BN14052132。全国書誌番号:54002504。 石見栄吉 編『終戦建白書』大学書房、1957年11月。 NCID BC02440818。 『これからの東京 都政改革への私見』日本社会党出版部、1958年3月。全国書誌番号:77100995。 『馬鹿八と人はいう 一外交官の回想』光和堂、1959年12月。 NCID BN05466189。全国書誌番号:60002486。
『日本外交史人物叢書』 第16巻、吉村道男監修、ゆまに書房、2002年12月。ISBN 9784843306826。 NCID BA60514870。全国書誌番号:20395609。
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日外アソシエーツ)30頁 平沼騏一郎 内閣 第74回帝国議会(通常会)における国務大臣の演説 有田八郎 有田八郎 - 歴史が眠る多磨霊園 [1] 無料公開マンガふるさとの偉人「何より平和を願った政治家 有田八郎」 発行 新潟県佐渡市 佐渡市教育委員会 2022年3月 表 話 編 歴 小笠原長行 山口直毅 仁和寺宮嘉彰親王 山階宮晃親王 三条実美 伊達宗城 東久世通禧 澤宣嘉 山階宮晃親王 伊達宗城 澤宣嘉 澤宣嘉 岩倉具視 副島種臣 (副島種臣(外務事務総裁)) 寺島宗則 井上馨 井上馨 伊藤博文 大隈重信 青木周藏 榎本武揚 陸奥宗光 西園寺公望 大隈重信 西徳二郎 大隈重信 青木周蔵 加藤高明 曾禰荒助 小村壽太郎 林董 寺内正毅 小村壽太郎 内田康哉 桂太郎 牧野伸顯 石井菊次郎 本野一郎 後藤新平 山本權兵衞 伊集院彦吉 松井慶四郎 幣原喜重郎 田中義一 幣原喜重郎 犬養毅 芳澤謙吉 齋藤實 廣田弘毅 有田八郎 林銑十郎 佐藤尚武 宇垣一成 近衛文麿 有田八郎 阿部信行 野村吉三郎 松岡洋右 豊田貞次郎 東郷茂徳 東條英機 谷正之 重光葵 鈴木貫太郎 吉田茂 芦田均 岡崎勝男 岸信介 藤山愛一郎 小坂善太郎 大平正芳 椎名悦三郎 三木武夫 愛知揆一 福田赳夫 木村俊夫 宮澤喜一 鳩山威一郎 園田直 大来佐武郎 伊東正義 櫻内義雄 安倍晋太郎 倉成正 宇野宗佑 三塚博 中山太郎 渡辺美智雄 武藤嘉文 羽田孜 柿澤弘治 河野洋平 池田行彦 小渕恵三 高村正彦 田中眞紀子 小泉純一郎 川口順子 町村信孝 麻生太郎 高村正彦 中曽根弘文 岡田克也 前原誠司 松本剛明 玄葉光一郎 岸田文雄 河野太郎 茂木敏充 林芳正 上川陽子 岩屋毅 表 話 編 歴 北昤吉↓ 笠原貞造 石山賢吉↓ 松木弘↑ 舟崎由之↑ 風間啓吉 松木弘 上村進 大島秀一 吉川大介 北昤吉 有田八郎 桜井奎夫 北昤吉 大島秀一 桜井奎夫 北昤吉 桜井奎夫 大島秀一 高橋清一郎 高橋清一郎 小沢辰男 松井誠 小沢辰男 高橋清一郎 松井誠 小沢辰男 高橋清一郎 米田東吾 小沢辰男 米田東吾 高橋清一郎 小沢辰男 高橋千寿 米田東吾 小沢辰男 山本悌二郎 米田東吾 小沢辰男 近藤元次 米田東吾 小沢辰男 近藤元次 米田東吾 小沢辰男 近藤元次 関山信之 小沢辰男 近藤元次 関山信之 関山信之 近藤元次 小沢辰男 近藤元次 小沢辰男 関山信之 表 話 編 歴 山田顕義1873-1874未赴任 柳原前光1874代理公使1874-1875 森有礼1875-1878 宍戸璣1879-1882 榎本武揚1882-1885 塩田三郎1885-1889 大鳥圭介1889-1894 林董1895-1897 矢野文雄1897-1899 西徳二郎1899-1901 小村壽太郎1900-1901 内田康哉1901-1906 林権助1906-1908 伊集院彦吉1908-1913 山座円次郎1913-1914 日置益1914-1916 林権助1916-1918 小幡酉吉1918-1923 芳澤謙吉1923-1929 佐分利貞男1929 重光葵1931-1932 有吉明1932-1935 大使館昇格1935 有吉明1935 有田八郎1936 川越茂1936-1938 阿部信行1940 本多熊太郎1940年-1941年 重光葵1942 谷正之1943-1945 南京政府解散 芳澤謙吉1952-1955 堀内謙介1955-1959 井口貞夫1959-1963 木村四郎七1963-1966 島津久大1966-1969 板垣修1969-1972 宇山厚1972 中華民国と断交、中華人民共和国と国交樹立 小川平四郎1973-1977 佐藤正二1977-1979 吉田健三1979-1981 鹿取泰衛1981-1984 中江要介1984-1987 中島敏次郎1987-1989 橋本恕1989-1992 國廣道彦1992-1995 佐藤嘉恭1995-1998 谷野作太郎1998-2001 阿南惟茂2001-2006 宮本雄二2006-2010 丹羽宇一郎2010-2012 西宮伸一2012未赴任 木寺昌人2012-2016年 横井裕2016-2020 垂秀夫2020-2023 金杉憲治2023- 表 話 編 歴 柳原前光1873 代理公使(未赴任) 鮫島尚信1878-1880 長岡護美1880-1882 蜂須賀茂韶1883-1887 西園寺公望1887-1891 青木周蔵1892-1898 井上勝之助1898 本野一郎1898-1901 加藤恒忠1902-1906 秋月左都夫1907-1909 鍋島桂次郎1910-1913 阿部守太郎1913 (未赴任) 陸奥広吉1914 (未赴任) 安達峰一郎1917-1921 大使館昇格1921 安達峰一郎1921-1928 永井松三1928-1930 佐藤尚武1931-1933 有田八郎1934-1935 来栖三郎1936-1939 栗山茂1939-1940 大使交換中断 与謝野秀1951-1952 在外事務所長 荒川昌二1952-1955 武内竜次1955-1957 倭島英二1957-1960 下田武三1961-1963 湯川盛夫1963-1968 小田部謙一1968-1971 安倍勲1971-1976 西堀正弘1976-1979 徳久茂1979-1983 山本鎮彦1983-1987 加藤吉彌1987-1990 矢田部厚彦1990-1992 加藤淳平1992-1994 中村順一1994-1997 兵藤長雄1997-2000 佐藤俊一2000-2003 内藤昌平2003-2006 林梓2006-2009 横田淳2009-2012 坂場三男2012-2014 石井正文2014-2017 林肇2017-2019 下川眞樹太2019-2022 三上正裕2022- 表 話 編 歴 佐野常民1873 弁理公使 / 1873-1874 河瀬真孝1873 弁理公使 青木周蔵1875-1880 井田譲1880-1882 上野景範1882-1884 西園寺公望1885-1887 戸田氏共1887-1890 渡辺洪基1890-1892 大山綱介1892-1895 臨時代理公使 高平小五郎1896-1899 牧野伸顕1899-1906 大使館昇格1907 内田康哉1907-1909 秋月左都夫1910-1913 佐藤愛麿1914 第一次大戦中引揚 公使館開設 本多熊太郎1921-1924 赤塚正助1924-1926 大野守衛1927-1930 有田八郎1931-1932 松永直吉1933-1935 谷正之1936-1937 独墺合邦により総領事館に格下げ1938 山路章1938-1941 N/A 合邦解消、総領事館閉鎖1945 公使館開設 大野勝巳1955-1956 古内広雄1957 大使館昇格1957 古内広雄1957-1961 内田藤雄1961-1964 法眼晋作1965-1968 新関欽哉1968-1971 藤山楢一1971-1975 鹿取泰衛1975-1979 山戸徹1980-1983 宮沢泰1983-1985 村田良平1985-1987 矢田部厚彦1987-1989 長谷川和年1989-1992 小野寺龍二1992-1993 黒川剛1993-1996 高島有終1996-1999 伊集院明夫1999-2003 橋本宏2003-2006 梅津至2006-2007 田中映男2007-2010 岩谷滋雄2010-2013 竹歳誠2013-2016 小井沼紀芳2016-2019 水谷章2019-2022 水内龍太2022- 表 話 編 歴 佐野常民1873 弁理公使 1873-1874 河瀬真孝1873 弁理公使 青木周蔵1875-1880 井田譲1880-1882 上野景範1882-1884 西園寺公望1885-1887 戸田氏共1887-1890 渡辺洪基1890-1892 大山綱介1892-1895 臨時代理公使 高平小五郎1896-1899 牧野伸顕1899-1906 大使館昇格1907 内田康哉1907-1909 秋月左都夫1910-1913 佐藤愛麿1914 引揚 オーストリア=ハンガリー帝国解体1918 在オーストリア公使が兼轄1921-1937 本多熊太郎1921-1924 赤塚正助1924-1926 大野守衛1927-1930 有田八郎1931-1932 松永直吉1933-1935 谷正之1936-1937 独墺合邦により公使館消滅1938 公使館開設 松宮順1938-1939 井上庚二郎1939-1940 大久保利隆1941-1943 森喬未赴任 引揚1944 再開1960 小川清四郎1960-1962 吉田健一郎1962-1964 大使館昇格1964 吉田健一郎1964-1966 八木正男1966-1968 卜部敏男1968-1969 上田常光1970-1973 都倉栄二1973-1975 齋木千九郎1957-1978 杉原真一1978-1981 角谷清1981-1983 和智一夫1983-1986 茂木良三1986-1989 関榮次1989-1992 堤功一1992-1995 田中義具1995-1997 久米邦貞1997-1998 糠沢和夫1998-2001 松本和朗2001-2003 稲川照芳2003-2006 鍋倉眞一2006-2009 伊藤哲雄2009-2012 山本忠通2012-2014 小菅淳一2014-2017 佐藤地2017-2020 大鷹正人2020-2024 小野日子2024- FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ アメリカ 日本 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 新潟県出身の人物 昭和時代戦前の閣僚 日本の外務大臣 貴族院勅選議員 昭和時代の貴族院議員 日本の外交官 第二次世界大戦期の政治家 戦前日本の在中華民国大使 在ベルギー日本大使 昭和日本の公使 新潟県選出の衆議院議員 昭和時代戦後の衆議院議員 昭和研究会の人物 公職追放者 東京都知事選挙の立候補経験者 早稲田高等学校出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 東京大学出身の人物 正三位受位者 勲一等瑞宝章受章者 勲三等旭日中綬章受章者 勲四等旭日小綬章受章者 ドイツ鷲勲章受章者 1884年生 1965年没 多磨霊園に埋葬されている人物 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/24 17:10更新
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arita hachirou
有田八郎と同じ誕生日9月21日生まれ、同じ新潟出身の人
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