板谷四郎の情報(いたやしろう) 将棋 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
板谷 四郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
板谷四郎と関係のある人
石田和雄: 板谷四郎九段門下。 加藤一二三: 加藤によれば升田との出会いはまだ奨励会に入る前、連盟の関西本部で板谷四郎に飛香落ちで指導対局を受けていた折に、偶然通りかかった升田に棋才を見いだされてからだという。 板谷進: 日本将棋連盟東海本部長を長く務めた強豪板谷四郎九段の次男。 杉本昌隆: アマチュア時代には、同じ板谷門下(ただし板谷進の父親・板谷四郎の弟子)である大村和久に世話になっていた。 石田和雄: 板谷四郎に師事して、1962年に関東奨励会に入会し、6級で指し始め、僅か5か月で3級、2年で初段。 山田道美: 名古屋在住の新制中学の3年生の時、本格的に将棋をはじめて、板谷四郎に二枚落ちで対局してやぶれる。 中田章道: 板谷四郎門下。 南口繁一: 偶然にも、中京棋界の中心だった板谷四郎九段が亡くなる1週間前であった。 板谷進: 板谷四郎九段門下。 |
板谷四郎の情報まとめ
板谷 四郎(いたや しろう)さんの誕生日は1913年6月10日です。三重出身の将棋棋士のようです。
引退、父親、卒業、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1995年に亡くなられているようです。
板谷四郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)板谷 四郎(いたや しろう、1913年6月10日 - 1995年9月29日)は、将棋棋士。三重県伊勢市出身。A級在籍3期。木村義雄十四世名人門下。棋士番号29。板谷進(将棋棋士、九段)は次男。 20歳の時に召集され、中国大陸を転戦。3回にわたる召集で軍隊生活は8年以上におよび、1945年、鹿児島で終戦を迎える。 1940年、26歳の時に木村義雄名人(当時)門下で奨励会に入会(二段)。1941年に四段(プロ入り)。 1950年に順位戦でA級に昇級して、3期在籍。1950年度の第1期九段戦で準優勝。1954年に全八段戦優勝。 1959年に引退。名古屋市において日本将棋連盟東海本部長を長く務めたほか、多くの弟子を育成した。 1988年、次男の進八段が父親に先立ち急死。1986年(昭和61年)春、勲五等双光旭日章を受章。 1995年に肺気腫のため82歳で死去。 1959年の引退と同時に名古屋市錦に将棋道場(板谷将棋教室)を開設。高校卒業後、1年ほど板谷の下で内弟子生活を経験した中田章道は、道場を手伝いながら修業に励む日々だったが、板谷はそんな中田にフライドチキンや栄にあった寿司與の寿司折りを差し入れてくれるなど、大変優しかったという。 その板谷将棋教室は、1970年代には板谷が本部長を務めた日本将棋連盟東海本部(現在の日本将棋連盟東海普及連合会)の拠点も兼ねるようになり、板谷の没後も中部地方の普及拠点として長く営業を続けたが、入居していたビルの建て替えに伴い2008年に閉館。栄に移転すると同時に指導棋士の中山則男が経営を引き継ぎ、「栄将棋教室」と名を改め現在も営業を続けている。 1986年、岐阜で行われた十段戦七番勝負第2局の立会人を務めていたときに、打ち上げの席にその頃酒で身を持ち崩し将棋の方も投げやりになっていた芹沢博文九段が現れた。この時板谷は「芹沢、お前の最近の態度は何だ。ほかでチャラチャラ稼ぐから将棋がおろそかになるのだ」と面と向かって叱咤した。当時の芹沢に面と向かってそれを言った棋士は板谷だけだったという。 「中京棋界にタイトルを」は、板谷四郎以来の宿願だったが、2020年の曾孫弟子の藤井聡太の棋聖獲得により、達成された。 1940年00月00日 : 二段 (奨励会に入会) 1941年01月01日 : 四段(プロ入り) 1943年04月01日 : 五段 1948年04月01日 : 七段(順位戦B級昇級) 1950年04月01日 : 八段(順位戦A級昇級) 1959年03月31日 : 引退 1979年11月17日 : 九段(贈九段:将棋の日表彰) 全八段戦 1回(第3回=1954年度) 1986年 勲五等双光旭日章 ^ 『将棋世界』2021年1月号P.211 田丸昇「昭和名棋士・次の一手」 ^ 『平成26年版 将棋年鑑』日本将棋連盟、2014年、614頁。ISBN 978-4-8399-5175-7。 ^ “NHKテキストView 中田章道七段が語る師匠・板谷四郎九段との思い出(2014年3月7日更新)”. NHK出版. 2020年5月31日閲覧。 ^ “栄将棋教室 - 沿革”. 栄将棋教室. 2020年6月2日閲覧。 ^ 『将棋名勝負の全秘話全実話』講談社プラスアルファ文庫、2002年。ISBN 978-4-0625-6643-8。 ^ 板谷一門のタイトル獲得自体は、2018年に孫弟子高見泰地(石田和雄門下、関東所属)の叡王獲得により達成されている。また2024年には板谷一門同士のタイトル戦が実現した(第37期竜王戦) ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。 ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。 ^ [1] ^ [2] ^ [3] ^ [4] ^ [5] ^ [6] ^ [7] ^ [8] ^ [9] ^ [10] ^ [11] ^ [12] ^ [13] 将棋棋士一覧 板谷四郎 - 日本将棋連盟 表 話 編 歴 関根金次郎 (※1938名人退位) 坂田三吉 (※1940引退) 永沢勝雄 (1946引退) 金易二郎 (1947引退) 渡辺東一 (1985引退) 加藤治郎 (1949引退) 奥野基芳 (1949引退) 土居市太郎 (※1949引退) 金子金五郎 (1950引退) 志沢春吉 (1950引退) 北楯修哉 (1951引退) 木村義雄 (1952引退) 中井捨吉 (1952引退) 市川一郎 (1956引退) 吉田六彦 (1956引退) 佐藤豊 (1956引退) 加藤恵三 (1957引退) 畝美与吉 (※1957引退) 増田敏二 (1958引退) 浅沼一 (1958引退) 梶一郎 (1959引退) 荒巻三之 (1959引退) 板谷四郎 (1959引退) 京須行男 (※1960引退) 高島一岐代 (1962引退) 高柳敏夫 (1963引退) 萩原淳 (1964引退) 平野広吉 (1965引退) 山本武雄 (1968引退) 木川貴一 (1968引退) 山川次彦 (1970引退) 津村常吉 (1970引退) 賀集正三 (1970引退) 山田道美 (※1970現役死去) 佐藤庄平 (1971引退) 岡崎史明 (1972引退) 神田鎮雄 (1972引退) 大友昇 (1972引退) 西本馨 (1973引退) 大村和久 (1975引退) 塚田正夫 (1977現役死去) 清野静男 (1977現役死去) 熊谷達人 (1977現役死去) 升田幸三 (1979引退) 大野源一 (1979現役死去) 高田丈資 (1979現役死去) 二見敬三 (1980現役死去) 松下力 (1981引退) 本間爽悦 (1981現役死去) 原田泰夫 (1982引退) 北村秀治郎 (1982現役死去) 灘蓮照 (1984現役死去) 坂口允彦 (1985引退) 角田三男 (1985引退) 松田茂役 (1985引退) 南口繁一 (1985引退) 下平幸男 (1985引退) 橋本三治 (1985引退) 花村元司 (1985現役死去) 山中和正 (1986引退) 星田啓三 (1986引退) 小堀清一 (1987引退) 北村文男 (1987引退) 芹沢博文 (1987現役死去) 廣津久雄 (1988引退) 五十嵐豊一 (1988引退) 板谷進 (1988現役死去) 伊達康夫 (1989引退) 佐瀬勇次 (1990引退) 加藤博二 (1990引退) 二上達也 (1990引退) 大原英二 (1990引退) 木村嘉孝 (1991引退) 木村義徳 (1991引退) 有野芳人 (1991引退) 吉田利勝 (1992引退) 大山康晴 (1992現役死去) 長谷部久雄 (1993引退) 森安秀光 (1993現役死去) 小野敦生 (1993現役死去) 富沢幹雄 (1994引退) 北村昌男 (1994引退) 関屋喜代作 (1994引退) 丸田祐三 (1996引退) 佐藤大五郎 (1996引退) 高島弘光 (1996現役死去) 村山聖 (1998現役死去) 宮坂幸雄 (1999引退) 田辺一郎 (1999引退) 剱持松二 (2000引退) 木下晃 (2000引退) 若松政和 (2000引退) 池田修一 (2000引退) 青木清 (2000引退) 瀬戸博晴 (2000引退) 安恵照剛 (2001引退) 関根茂 (2002引退) 佐伯昌優 (2002引退) 山口英夫 (2002引退) 河口俊彦 (2002引退) 椎橋金司 (2002引退) 山口千嶺 (2003引退) 米長邦雄 (2003引退) 野本虎次 (2003引退) 本間博 (2003引退) 森安正幸 (2004引退) 中田章道 (2004引退) 鈴木輝彦 (2004引退) 西村一義 (2006引退) 酒井順吉 (2006引退) 桜井昇 (2007引退) 桐谷広人 (2007引退) 小野修一 (2007引退) 関浩 (2007引退) 真部一男 (2007現役死去) 達正光 (2007現役死去) 菊地常夫 (2008引退) 加瀬純一 (2008引退) 中原誠 (2009引退) 坪内利幸 (2009引退) 沼春雄 (2009引退) 有吉道夫 (2010引退) 大内延介 (2010引退) 小阪昇 (2010引退) 依田有司 (2010引退) 勝浦修 (2011引退) 飯野健二 (2011引退) 伊藤果 (2011引退) 松浦隆一 (2011引退) 児玉孝一 (2011引退) 神吉宏充 (2011引退) 石田和雄 (2012引退) 櫛田陽一 (2012引退) 滝誠一郎 (2013引退) 武者野勝巳 (2013引退) 植山悦行 (2013引退) 野田敬三 (2013引退) 佐藤義則 (2014引退) 前田祐司 (2014引退) 武市三郎 (2014引退) 大野八一雄 (2014引退) 飯田弘之 (2014引退) 内藤國雄 (2015引退) 田中魁秀 (2015引退) 淡路仁茂 (2015引退) 大島映二 (2015引退) 安西勝一 (2015引退) 熊坂学 (2015引退) 田丸昇 (2016引退) 伊藤能 (2016現役死去) 加藤一二三 (2017引退) 森雞二 (2017引退) 宮田利男 (2017引退) 森信雄 (2017引退) 堀口弘治 (2017引退) 中尾敏之 (2018引退) 高田尚平 (2019引退) 土佐浩司 (2020引退) 伊藤博文 (2020引退) 東和男 (2021引退) 西川慶二 (2021引退) 金沢孝史 (2021引退) 桐山清澄 (2022引退) 小林健二 (2022引退) 田中寅彦 (2022引退) 小林宏 (2022引退) 藤倉勇樹 (2022引退) 石川陽生 (2023引退) 上野裕和 (2023引退) 中田宏樹 (2023現役死去) 青野照市 (2024引退) 室岡克彦 (2024引退) 中座真 (2024引退) 伊奈祐介 (2024引退) 永作芳也 (1988退会) 橋本崇載 (2021引退、2022退会) 将棋棋士 三重県出身の人物 勲五等双光旭日章受章者 1913年生 1995年没 Pages using the JsonConfig extension 名無しリンクを引用している記事/2024年9月 ウィキデータにある棋士番号
2024/11/17 04:21更新
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itaya shirou
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