林家正楽の情報(はやしやしょうらく) お笑いタレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
林家正楽さんについて調べます
■名前・氏名 |
林家正楽と関係のある人
林家正蔵: 林家正楽 林家正蔵: 弟弟子・林家林蔵門下の林家正三が上方に移り、上方・林家を興す(ただし、6代目林家正楽で途絶える)。 林家楽一: 2001年4月∶三代目林家正楽に入門。 林家二楽: 1989年 - 父二代目林家正楽に入門、「林家二楽」となる。 林家二楽: 父は同じく紙切師の二代目林家正楽、兄は落語家(落語芸術協会所属)の三代目桂小南。 林家ペー: 2021年現在も落語協会の定席で色物(浅草演芸ホールのプログラムなどでは「余談漫談」と記されている)として定期的に上がり続けており、同協会の色物芸人の香盤では三代目林家正楽の次に位置している(2021年10月現在)。 林家二楽: 父 - 紙切師二代目林家正楽 はやし家林蔵: 睦月家林蔵 - 後∶林家正楽 林家楽一: 片山一弘(選)林家楽一(紙切)「川柳うたた寝帳」(2024年2月~、読売新聞)※師匠林家正楽の死去により仕事を受け継いだ。 |
林家正楽の情報まとめ
林家正楽(はやしや しょうらく)さんの誕生日は1948年1月17日です。東京出身のお笑いタレントのようです。
解散、現在、テレビ、ドラマ、父親、卒業、家族に関する情報もありますね。今年の情報もありました。76歳で亡くなられているようです。
林家正楽のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)林家 正楽(はやしや しょうらく)は芸人の名跡。東京(江戸)、上方にそれぞれ存在するが、いずれも空き名跡となっている。 初代林家正楽 - 後∶二代目林家正三 二代目林家正楽 - 後∶三代目林家正三 三代目林家正楽 - 初代林家正三の門下 四代目林家正楽 - 初代林家木鶴の門下 五代目林家正楽 - 後∶五代目林家正三 六代目 林家 正楽(はやしや しょうらく、1858年4月20日<安政5年3月7日> - 1929年<昭和4年>8月31日)は、上方落語の落語家。本名:織田 徳治郎。俳名は日歳庵程来。娘婿は五代目笑福亭松鶴。六代目笑福亭松鶴は孫にあたる。 1883年8月31日に林家宗太郎門下で、林家(または桜川)新三。大阪の新町九軒の末広席で初舞台。1888年ころにしん鏡を経て、1900年頃に六代目正楽を襲名。 師匠の影響で「藤原派」「互楽派」に参加、解散後は「寿々会」「浪花三友」「浪花」「吉原」「反対派」「花月」などを転々、主に神戸を中心に活動する。余芸で俳句も嗜み、弟子を持つほどの腕前であった。1927年ごろまで高座に上がったが、その後は若い噺家の稽古台に専念した。現在でも多くの噺家が演じる「鉄砲勇助」をよく演じていた。 76歳没。法名は釋見徳。 林家正團治 林家右楽 林家正隆 紙切りの正楽が登場する以前に確認されている正楽。 林家正楽 - 後∶四代目林家正蔵 林家正楽 - 後∶橘家林喬 林家正楽 - 後∶初代帰天斎正一 林家正楽 - 初代帰天斎正一の門下。同じ一門の帰天斎小正一の実父。本名∶松岡 宗助。 初代(自称八代目)林家 正楽(はやしや しょうらく、1896年11月18日 - 1966年4月15日)は日本の落語家、紙切り芸人。長野県出身。本名は一柳 金次郎。生前は日本芸術協会所属。 1917年ごろに、四代目五明楼春輔を訪ね、「正福」と名乗ってセミプロとなる。1919年1月、「落語睦会」設立騒動時に、下地があると認められて二ツ目となり「睦」の字にちなんで 紙切りを披露するにいたったのは睦会の忘年会であった。それが好評となり、1923年の関東大震災をきっかけに、専業の紙切り師になるにいたった。1925年に正楽を名乗り真打となった。改名時には上方の六代目正楽が生存していたため、2人の正楽が並立していたことになる。マッカーサーやスカルノ、昭和天皇の前で芸を披露したことがある。 1952年3月22日、東京放送会館で行われたNHKのカラーテレビ公開試験放送で紙切りを披露した。白黒テレビさえ本放送にいたっていない時期に、カラーテレビに出演した日本最初の芸人となった。 69歳没。 『峠の茶屋』 『さんま火事』 『壷』 二代目林家正楽 林家正枝 - 五代目古今亭今輔門下に移籍 二代目 林家 正楽(はやしや しょうらく、1935年9月21日 - 1998年7月2日)は埼玉県出身の紙切り芸人。生前は落語協会所属。本名:山崎 景作。出囃子は『琉球節』。 1954年に八代目林家正蔵に入門、前座名は林家正作。江戸言葉とは異なる埼玉弁特有のアクセントが抜けないため、師匠正蔵は比較的早い段階で噺家を断念させた。初代林家正楽を紹介し、1956年から初代正楽門下として、紙切りに転向する。厳密には預かり弟子と言う形での移籍で、正式な形としては一貫して彦六門下であった。 1957年に林家小正楽、1967年に二代目林家正楽を襲名。1988年に「正蔵師匠と私」を上梓、翌1989年には、この本を原作としたNHKの連続テレビドラマ「晴のちカミナリ」で、自身の父親役で出演した。1998年7月2日、腸閉塞のため死去。62歳没。 1954年 - 八代目林家正蔵に入門、前座名「正作」。 1956年 - 初代林家正楽門下預かりとして、紙切りに転向する。 1957年 - 「林家小正楽」を襲名。 1967年 - 「二代目林家正楽」を襲名。 「紅梅白梅(こうばいはくばい)」という意地悪な題に対し、急な坂を白バイがのぼっているところ(勾配白バイ→こうばいはくばい)を切って喝采を浴びたが、次の「チルチル・ミチル」の題に「どんな漫才ですか」と聞き返し客席を爆笑させた。 時の首相佐藤栄作のお座敷にしばしば呼ばれた。佐藤は柄に似合わず犬やライオンなどと子どもみたいなものしか注文しなかった為、仕方なく「似顔を切りましょう」と鋏を持って近くに寄ったら「総理大臣のそばまで刃物を手にして行ったのはお前くらい」だと言われた。 長男 - 落語家三代目桂小南 次男 - 林家二楽 孫 - 林家八楽(二楽の実子) 三代目林家正楽 林家二楽 『林家正楽切絵傑作集 紙切芸人のうらおもて』明治書院、1976 『正蔵師匠と私』一声社、1988.3 三代目 林家 正楽(はやしや しょうらく、1948年1月17日 - 2024年1月21日)は東京都目黒区出身の紙切りの芸人。本名∶秋元 真。落語協会所属。出囃子は『琉球節』。 東京都立小石川工業高等学校卒業。1966年(昭和41年)、林家小正楽に弟子入りを志願し、紙切りの教えを受けるも、このときは正式な弟子入りは叶わなかった。1967年(昭和42年)に正式に林家小正楽に入門、修業のかたわら早稲田大学生活協同組合書籍部で店長を務めた。 1970年(昭和45年)、師匠正楽のダブルブッキングの代役として林家一楽の名前で越谷市役所イベントで初高座。1972年(昭和47年)にアルバイトを辞め、紙切りで一本立ちする。 1988年(昭和63年)に師匠の前名である林家小正楽を襲名。 2000年(平成12年)9月、三代目林家正楽を襲名。襲名披露興行では紙切りで寄席史上初の主任(トリ)をつとめた。 雑誌「東京かわら版」の表紙紙切りを二代目正楽から受け継ぎ、2000年(平成12年)より務めていた。2014年(平成26年)からは、雑誌の背表紙にその年の干支の紙切りがあしらわれるようになった。 小正楽時代の1993年(平成5年)から2023年(令和5年)まで、池袋演芸場12月下席夜席(原則12月25日)の落語協会特選会枠で、色物独演会「正楽(小正楽)のラストクリスマス」を開催していた。 2024年(令和6年)1月21日早朝、自宅で倒れているところを家族が発見し搬送されたが、搬送先の東京都内の病院で死去した。76歳没。訃報は同月26日落語協会より公表された。最後の寄席出演は同年1月19日の新宿末廣亭で、翌20日は千葉県船橋市の落語会に出演。その後、体調不良を訴えて自宅で休養したため、同日の末廣亭の定席興行(正月二之席楽日・夜の部)も出演予定であったが休席となっていた。 1966年 - 林家小正楽に入門、芸名「一楽」。 1988年 - 「林家小正楽」を襲名 2000年9月 - 「三代目林家正楽」を襲名 1983年 - 第13回国立演芸場花形新人演芸会金賞 1988年2月 - 第3回選抜若手演芸大賞色物部門奨励賞 2020年3月 - 第70回芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門) - 紙切り芸での受賞は史上初 2023年2月 - 第44回松尾芸能賞功労賞 2023年11月 - 第40回浅草芸能大賞 大賞 林家楽一 林家富楽 林家楽三郎 浅草キッド(スカイパーフェクTV・パーフェクト・チョイス・2002年4月26日) - 冒頭でドスの効いた地回りヤクザ役を演じた。 春風亭一之輔youtube生配信(2020年5月21日) 第二回ABEMA寄席(2020年5月24日、ABEMA) ラジオ深夜便(NHKラジオ)-「にっぽんの音(大蔵基誠)」- ゲスト(2023年6月19日) 長井好弘(著)林家正楽(紙切り) 「寄席おもしろ帖」(2003年4月、うなぎ書房)、「寄席おもしろ帖2 おかわりッ」(2004年11月、うなぎ書房) 長井好弘(読み札・解説)、林家正楽(紙切)「正楽寄席かるた」(2002年、奥野かるた店) 長井好弘・片山一弘(選)林家正楽(紙切)「川柳うたた寝帳」(2009年~2023年、読売新聞) 大石稀哉(監修)「落語紙芝居 古今亭志ん生シリーズ(1)~(3)」(2018年、ポニーキャニオン・dZERO) 台東芸能文庫「其の十一 紙切り 林家正楽」(台東区)*台東区中央図書館で貸出。 東京かわら版2024年6月号「追悼 三代目林家正楽」表紙~59p (除5~6p、8~9p) 池袋演芸場 7月下席落語協会特選会「三代目林家正楽追善」(2024年7月27日夜席)出演:林家二楽(トリ)・林家楽一・林家八楽/橘家文蔵(ごあいさつ・紙切り大喜利・座談会司会)/(落語・座談会参加)入船亭扇辰・柳家小せん/(座談会のみ)鏡味仙志郎・入船亭扇遊 「紙切り名人・林家正楽が切った世相 ~「川柳 うたた寝帳」の15年~」(2024年9月3日~29日、読売新聞ビル3F よみうりギャラリー) 林家正楽 - 落語協会 ^ NHK 編『放送の五十年 昭和とともに』日本放送出版協会、1977年3月30日、293頁。NDLJP:12275859/149。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12275859。 ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.556 ^ 一年分の背表紙を横につなげると干支の紙切りが完成する。 ^ 清水篤司 (2008年11月30日). “クリスマス落語会特集”. All About. リクルート. 2024年10月18日閲覧。 ^ 長井好弘 (2001年12月). “東京寄席さんぽ十二月下席”. 寄席さんぽ. 江戸net. 2024年10月18日閲覧。 ^ “林家正楽 訃報”. 落語協会 (2024年1月26日). 2024年1月26日閲覧。 ^ “立川志らくが林家正楽さんを追悼「素晴らしい寄席芸」「紙切を芸術にまで昇華させた」”. 日刊スポーツ (2024年1月26日). 2024年1月26日閲覧。 ^ 「林家正楽さん死去、76歳 寄席紙切り芸の第一人者」『時事ドットコムニュース』2024年1月26日。2024年1月26日閲覧。 ^ 紙切り第一人者、林家正楽さん急死 76歳 ハサミ1本で鮮やか芸…2日前まで寄席に出演 - 日刊スポーツ 2024年1月26日 ^ 寄席紙切り芸の林家正楽さん死去「次の人間国宝」の声もあった名人芸 難題も決して断ることなく - 日刊スポーツ 2024年1月27日 ^ “令和元年度(第70回)芸術選奨文部科学大臣賞及び同新人賞の決定について”. 文化庁 (2020年3月4日). 2020年6月6日閲覧。 ^ “第44回松尾芸能賞の大賞は市村正親、優秀賞に天海祐希・尾上菊之助ら”. ステージナタリー. ナターシャ (2023年2月13日). 2023年2月14日閲覧。 ^ “第44回松尾芸能賞”. 松尾芸能振興財団 (2023年2月13日). 2023年2月14日閲覧。 ^ “第40回浅草芸能大賞受賞者決定のお知らせ!”. 台東区芸術文化財団 (2023年11月9日). 2023年11月9日閲覧。 ^ “柳亭市馬、笑福亭仁智ら総勢12名が出演する夢の寄席が実現!『第二回ABEMA寄席』生放送決定”. ABEMA TIMES (2020年5月20日). 2020年5月23日閲覧。 ^ 台東区文化振興課. “台東芸能文庫(DVD)”. 台東区. 2024年9月15日閲覧。 ^ 追悼と浅草芸能大賞受賞を記念して、2024年3月~9月に台東区公式youtubeで公開された。 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X 新倉典生『正楽三代 寄席紙切り百年』(2015年4月、dZERO) - 筆者は江戸初代正楽菩提寺の善生寺(東京・足立)の当代住職。 人物の画像提供依頼 落語の名跡 落語家 切り絵作家 お笑い芸人 元落語家の人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/20 18:40更新
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hayashiya syouraku
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