栃ノ海晃嘉の情報(とちのうみてるよし) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
栃ノ海 晃嘉さんについて調べます
■名前・氏名 |
栃ノ海晃嘉と関係のある人
柏戸剛: しかも同い年(学年は柏戸が1つ下)の栃ノ海晃嘉・佐田の山晋松が先に引退してしまい、自分が引退すれば横綱が大鵬一人になる事情から引退できず、肝臓・腎臓も悪化させて成績不振も多かった。 鏡里喜代治: 史上第2位は2021年1月に死去した栃ノ海晃嘉の82歳10ヶ月、第3位は2010年9月に死去した若乃花幹士 (初代)の82歳5ヶ月、なお、初代若乃花、栃ノ海は鏡里同様に青森県出身である。 玉の海正洋: また、大関昇進までに栃ノ海晃嘉・佐田の山晋松から2個ずつ金星を獲得し、1966年9月場所に関脇で11勝4敗の成績を上げ、ライバルの大関北の冨士勝明(当時)より1場所遅れて大関へ昇進した。 常ノ花寛市: 出羽錦忠雄などの弟子も大半が千代の山と同様に先代からの弟子で、特に理事長時代は部屋の指導にも殆ど当たっておらず、部屋の指導に本腰を入れたのは相談役に退いてからのために、直弟子の栃錦清隆を横綱に育て、自身の没後に横綱となった栃ノ海晃嘉と大関となった栃光正之も入門時に育成した弟弟子の栃木山守也や理事長を務めながら1横綱3大関を育てた自身の後任理事長の双葉山定次と比べると部屋の師匠としての評価はあまり高くない。 栃錦清隆: 引退後は二枚鑑札(1958年に廃止されていたが特例で認められていた)で襲名していた年寄・春日野として、先代から引き継いだ栃ノ海晃嘉を横綱へ、栃光正之を大関まで育て、それ以外にも直弟子最初の関取だった栃東知頼を栃ノ海に続く自身が師匠となってからの2人目の優勝力士に導き、他にも舛田山靖仁、栃赤城雅男、栃司哲史、現春日野である栃乃和歌清隆等数多くの関取を育てた。 栃錦清隆: 弟子の栃ノ海晃嘉が横綱に昇進した時にも「もう、後は引退だけだよ。 栃錦清隆: 栃錦が死去した時の喪主は夫人に先立たれており、また実子もいなかった為、春日野部屋を継承した栃ノ海晃嘉が喪主を務めた。 栃木山守也: この他、後に幕内を代表する力士へ成長する栃ノ海晃嘉・栃光正之も栃木山存命時の入門である。 出羽錦忠雄: 出羽海一門の大鵬攻略の参謀役を担い、同部屋の佐田の山晋松、一門の栃ノ海晃嘉、栃光正之ら後輩たちにアドバイスを送っていた。 北葉山英俊: また、栃ノ海晃嘉にも12勝13敗とほぼ互角と健闘しているが、大関昇進前の琴櫻傑將には通算2勝8敗と苦手にしていた。 北の富士勝昭: かつては同じ出羽海一門で鎬を削っていた先輩の栃ノ海晃嘉(春日野部屋)が2021年1月29日に死去したため、横綱経験者としては最高齢となった。 |
栃ノ海晃嘉の情報まとめ
栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし)さんの誕生日は1938年3月13日です。青森出身の相撲のようです。
引退、父親、母親、兄弟、家族、卒業、現在、映画、結婚、離婚、再婚に関する情報もありますね。2021年に亡くなられているようです。
栃ノ海晃嘉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし、1938年(昭和13年)3月13日 - 2021年(令和3年)1月29日)は、青森県南津軽郡光田寺村(現:青森県南津軽郡田舎館村)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。第49代横綱。本名は花田 茂廣(はなだ しげひろ)。 名字が「花田」で同じ青森県出身ではあるが、若乃花幹士・貴ノ花利彰との血縁は無い。また、現役引退後に年寄・春日野を襲名した際に姓を「宮古」としたが、停年(定年。以下同)退職後は再び「花田」に戻っている。 1938年3月13日に青森県南津軽郡にてリンゴ園の一家の子として生まれた。6歳の時に父親を亡くしていたために父親の記憶は姿かたちを除いてほとんど残っていないという。中学校進学後は母親とも死別したが、兄弟が多かったことで面倒を見てもらうことができ、高校進学も果たせた。1955年(昭和30年)8月に千代ノ山雅信・栃錦清隆らの一行が青森県大鰐町を巡業で訪れた際に、既に春日野部屋へ入門していた中学時代の同級生・須藤良一に出会い、力士へ憧れる。直ちに若者頭の津軽海伝蔵と栃錦を通して春日野部屋を紹介してもらい、弘前商業高校を3年生の夏で中退して入門、同年9月場所に本名の「花田」で初土俵を踏んだ。なお、花田の高校時代は2年生まで野球部で4番を打ち、3年生から相撲部に転部したといい、本人曰く活躍していたというレベルではなかったとのこと。 新弟子検査時点では身長176cm・体重72.3kgしかなく、しかも体重測定に関しては担当の親方から「もうちょっとだけ足りないからお前、もう一回水を飲んで来い」と再計量を命じられ、これに応じてやっと通過した。このようにあまりにも身体が小さいことから入門そのものを家族から反対され、事後承諾を当てにして須藤に帯同する形で家族や高校に無断で入門を画策した。高校の関係者は突然登校しなくなった花田を心配し、花田が角界入りして前相撲で一番出世を果たしたことを知って驚くが、快く送り出されたという。また、この時代は就職難があり、後年になって本人は「私が通っている高校は商業高校で、進学校でも無かったし、高校を卒業して就職しても、今みたいに大きな会社も少なかったものですから、卒業生のほとんどは個人の小っちゃなお店に就職して、帳面を付けるとかがせいぜいでした。(中略)力士になって東京へ行けば、力士がダメでもまた何か仕事があるだろうって、当時はその程度の考えですよ」と述懐していた。当初から相撲に自信は無かった一方で「少しくらいは通用するんじゃないか?」という気持ちで角界入りしたものの、いざ稽古を行うと実力差を思い知らされて気落ちしたという。また、当時は洗濯が手洗いで、巡業に行ったら寝る間もなく、昼間立ったまま寝る力士が出るほど、生活は過酷だったという。 それでも、1958年1月場所で負け越した以外は十両昇進まで全て勝ち越しており、1959年1月場所で新十両昇進を果たした。同年10月に春日野が亡くなると、部屋は二枚鑑札で栃錦清隆が継承した。栃錦の現役時代は、雪や北風が吹き荒れる露天興行の土俵でも休まず稽古を続ける姿を見たことで責任感の強さを感じ、本人曰く「よい教育になった」という。また、序ノ口時代は同部屋の力士が50~60人ほど在籍していたことから、稽古土俵を取られないように午前4時半には起床していたという。しかし、声を出して四股を踏んでは近所迷惑になるため、それには困ったと苦笑しつつ述懐していたという。 1960年3月場所で新入幕を果たすが、まだこの当時は身長177cm・体重88kg程度で、2場所で陥落。しかし、十両に陥落した同年7月場所は14勝1敗で十両優勝を果たし、9月場所に四股名を「栃ノ海」と改めて再度入幕すると、10勝5敗の好成績を挙げた。1961年5月場所は2日目に横綱朝潮太郎から金星を挙げるなど10勝5敗、新三役(小結)に昇進した同年7月場所では11勝4敗と先場所に続いて二桁勝利を挙げた。9月場所には関脇に昇進して8勝7敗と勝ち越してからは関脇の座を譲らず、1962年5月場所では横綱柏戸剛に敗れたのみの14勝1敗で初の幕内最高優勝を果たした。この場所は新大関として佐田の山晋松がいたが、新大関の在籍場所で関脇以下の優勝は、戦後の15日制下では史上2例目だった。 場所終了後、13勝2敗だった兄弟子・栃光正之と共に大関へ昇進した。同じ部屋から2人同時の大関昇進はこの組み合わせを最後に約60年間出ていないが、同部屋であるためか昇進伝達式はまとめて行われた。 1963年11月場所では大鵬幸喜・柏戸剛をなで斬りにし、14勝1敗で二度目の優勝を成し遂げた。この場所14日目の大鵬戦では低く当たって左差し、右から絞ってもろ差しを果たすと、両差し手を返して大きくなり、がぶって一気に寄り立てた。両上手を取れない大鵬は剣ヶ峰で右小手投げを打つと、栃ノ海が右ハズ、左を返して体ごとぶつけるようにして寄り切った。 1964年1月場所は13勝2敗の好成績を挙げ、横綱昇進先陣争いと言われた佐田の山、豊山勝男に先行して場所後の横綱昇進を果たした。しかし、この場所は優勝した大鵬が15戦全勝、次点に東前頭13枚目の清國勝雄が14勝1敗で続いており、昇進直前場所が優勝次点ですらない成績での昇進は疑問の声もあった。理事会や横綱審議委員会においても「小兵が横綱を務めるのは困難」との意見が多数出たものの、春日野が栃ノ海を強く推薦したことで昇進に繋がった。しかし、その外部の声は春日野にも届いており、「もう、あとは『引退』だけだよ。ダメならすぐ辞めなきゃいけないんだよ」と言い渡し、栃ノ海は昇進を決めた直後だったにもかかわらず、引導を渡されたように感じたという。これには、春日野が横綱に昇進した当日も、先代・春日野から「今日からは毎日、辞める時の事を考えて過ごすように。『横綱』とは桜の花の散る如く引退するものの、追い詰められて引退するものでは無い」と言われて浮ついた気持ちが一気に引き締まったと語っている。昇進時の口上は「謹んでお受けいたします」のみで、横綱2場所目の1964年5月場所では、千秋楽に大鵬との対戦を制して13勝2敗で3度目の優勝を果たしたが、同場所が栃ノ海にとって最後の優勝となった。 その後の栃ノ海は椎間板ヘルニアを発症して坐骨神経痛となって著しい不調に陥り、3場所連続で8勝7敗に終わったことから「ハチナナ横綱」と揶揄されるなど苦渋を味わった。その後は回復して10勝5敗の成績を挙げるが、今度は右上腕の筋肉を断裂するアクシデントにも見舞われた。これは患部が見た目でもわかり(断裂部分がへこんでいる)、押せば肌が直接骨にあたるほどの重傷だった。これは力士として致命傷となり、出場する場所で毎回金星を献上するなど厳しい土俵が続き、1966年11月場所を最後に現役引退を表明した。昇進当初は「私はあまり(身体が)大きくない。だからせめて、30歳までは現役を務めたい」と目標を立てていたが、引退時の年齢は28歳8ヶ月で、当時の横綱最年少引退記録を作る結果となった。全休場所を除いた全ての場所で金星を配給するという、歴代横綱で唯一の不名誉な記録も作ったが、大鵬にとってはかなりの難敵で、幕内での対戦成績は大鵬16勝に対して栃ノ海7勝と健闘したほか、自身が横綱在位中に3場所連続で8勝7敗の不名誉な成績だった間にも大鵬を撃破したことがある。また、幕下から十両にかけて栃ノ海は大鵬(当時の四股名は「納谷」)にとってどうしても勝てない強敵で、幕下時代に初めて対戦してから大鵬が新十両の場所まで4連勝していた(翌場所、大鵬は初めて花田に勝った)。また、栃ノ海の横綱土俵入りはキビキビとしていて、相撲ぶりがよく表れており評価は高かった。 現役引退後、大鵬や柏戸らかつてのライバルが揃って部屋持ち親方となる中で、栃ノ海は年寄・中立として春日野部屋の部屋付き親方となり、春日野を支えた。協会の職務としては主に審判部と巡業部を担当し、自身が幕内時代に1日50番の申し合いをこなしていたこともあって、日頃から「稽古しない力士には勝ってほしくない」と発言するなど、稽古態度によって力士の好き嫌いがはっきりと分かれる性分だった。春日野が停年退職後は部屋を継承することも内定していたが、春日野が停年目前に急逝した1990年(平成2年)1月に春日野部屋を継承した。この時、栃錦の直弟子の筆頭弟子である玉ノ井との間に確執が生じたとも言われる。1998年には自身の還暦を無事迎えたが、現役時代の負傷による後遺症によって還暦土俵入りは行わず、作成された赤い綱を受け取るだけだった。横綱昇進後に発生した傷病に苦しみ不成績場所が多かったことで評価を落としたが、相撲の技能に関しては栃錦以上、と再評価を望む声は現在も多く、引退後の審判委員としての説明も明快であった。解説者としても解説が一級品で、受け答えを一度も外す事がなかった。 2017年4月27日に出羽海一門で鎬を削った佐田の山晋松(出羽海)が79歳で死去したことで横綱経験者の中では最年長者・最古参となり、戦前・戦中生まれでの横綱経験者の存命は栃ノ海と北の富士勝昭の2人だけとなった。 2020年8月29日には若乃花幹士の年齢を抜いて歴代2位の長寿横綱となった。 2021年1月29日、誤嚥性肺炎のため死去した。82歳没。 存命者・物故者を通して歴代横綱経験者を含めても梅ヶ谷藤太郎 (初代)に次ぐ2番目の長寿で、年6場所制に移行した後で入幕を果たした横綱経験者としては最高齢である。 前捌きが巧く、両前褌を取って拝むように寄り進む型や左差し右おっつけの型の鋭さ、変化や出し投げや切り返しなどの技の切れ味、いずれも超一級品の技能だった。自ら「入るときは小さく、入ったら大きく」と解説するような、もろ差しになるときの鮮やかさも素晴らしかった。 激しい廻し争いを物語るように両手の指先はたこでカチカチになっていたという。しかし新弟子の頃は春日野から一切廻しを取らずにひたすら押す稽古を仕込まれ、「お前は身体が小さいんだから、相手に廻しがあると思って相撲を取ってはダメだよ」「左差し手も深く差してはいけない。相手に上手を取られたら、小さいんだから勝てないよ」と指導された。稽古前の準備運動も入念にやらされ、四股と鉄砲の量がものすごく、とりわけ四股は立てなくなるぐらいやらされたという。稽古は厳しかったが栃ノ海は春日野に対して「感謝しかない」「栃錦関の時代は、師匠もまだ若かったですし、もっと厳しい指導をされていたんじゃないかなと思いますよ」と話した。 関取に昇進してからしばらくは、右上手を深く取りに行ったところをがら空きの脇に差されて腕を返され体が浮くことがあったため、脇を締めて前ミツを取りに行って出し投げで崩したり親指を相手の脇の下につっ込んで持ち上げる左ハズを徹底したりした。栃錦が師匠となってからは、栃錦は先代師匠の栃木山から栃ノ海を強くするコツを教わっていたそうで、それをベースにして栃錦は栃ノ海を指導していた。 入門を決めたきっかけとなった巡業で見かけた千代ノ山雅信に関しては、入門前に故郷で映画「三太と千代の山」を見て知り、実際に出会った際は映画スターと接するような気分だったという。稽古で胸を出してもらった際の思い出として、「私も千代(ノ山)関の胸にぶつかったことが2~3回ありましたよ。ガツンと硬い壁にぶつかる感じで、あっという間に吹き飛ばされたと思いますが、あの筋骨隆々の体に触れられただけでも光栄でした」と後に述懐していた。 入門の時期については最良だったと判断しており、後のインタビューでは「もし、私が須藤君のように中学を卒業してすぐに入門していたら、大関になれたかというと、たぶん無理だったでしょう。身体の出来ていない私が15歳で入門したら、あちこちケガをして、大関どころか十両にも上がれなかったと思います。高校に入って、ある程度体の基礎ができて相撲の経験も多少あったからこそ、順調な出世ができたのだと思っています。私は入門の時期というものも、相撲人生を左右することがあると思います」とコメントしていた。 1963年3月場所中、同じ小兵同士という縁で吉田義男(阪神タイガース)と対談を行い、栃ノ海は若手時代にキャッチボールをやっては何度も部屋近くの民家のガラスを割り、春日野に怒られたことなどを話した。 2人目の師匠・栃錦のライバルであった若乃花幹士とは同郷で偶然にも名字が一致していることから巡業で目を付けられることが多く、これは初めての上位総当たり戦を目前とした時期から始まった。本人は、土俵に上がると若乃花の顔を直視できないほどの恐怖心を刷り込まれた一方、「横綱が威厳を示すにはあれくらいしなければならない」とも受け止めていた。このかわいがりが功を奏したのか、若乃花が引退した1962年5月場所に幕内最高優勝を果たして大関昇進を決めたが、本人はこれについて「人生とは何が起こるかわからないものです。大関に上がった時でさえ102キロ。こんな小兵な私が大関に昇進できたのです。」と振り返っていた。 横綱時代には相当なプレッシャーを感じており、本場所が近づくにつれて体重が減少、夜はアルコールを飲まないと眠れない、というなどの苦労を覚えていた。現役時代はただ苦しいとばかり感じていたそうであり、現役時代に「ああ、よかったなあ」と思ったのは3回優勝したその晩のみだったと答えている。横綱時代はプレッシャーでまともに睡眠を取ることができなかった。1966年11月場所7日目の引退発表後、横綱の地位から解放されたこともあって2日間眠り続けたという。 三賞獲得歴は敢闘賞1回、技能賞6回だったが、殊勲賞は獲得できなかった。ライバルだった大鵬幸喜も同様だったが、栃ノ海以降の横綱は第73代・照ノ富士春雄まで全員が殊勲賞を獲得している。 若乃花勝と同年齢の長男・康行も春日野部屋へ1986年(昭和61年)3月に入門し、「日の出海」という四股名で「栃ノ海2世」を目指したが、序二段4枚目が最高位で関取になれずに廃業した。力士生活は5年ほどで101勝105敗11休であった。なお、若乃花は当初、日の出海の入門に触発され、中学卒業後に角界入りを志したが「他人のマネはダメだ」と言う親方の一言で高校に進学、2年後に弟・貴花田の中学卒業と同時に、高校を中退して入門した。日の出海が廃業する頃には既に幕内上位に定着していた。 停年退職後、横綱・白鵬翔の独走が続いている状況を見て「元気な横綱が2、3人おって、競い合うようになれば一番理想的ですよね。そうは言っても昇進の基準を甘くして、私みたいな横綱ができたらまたそれはかわいそうだし、やっぱりいいものを作ろうと思えば、吟味しないといけないわけですから」と複雑そうに話していたことがある。 鶏モモのローストが大好物で、一度に23本食べたこともあったという。 国鉄スワローズで活躍した渋谷誠司は高校の野球部の2学年後輩にあたるが、花田が3年次に相撲部に転部したため、同時に在籍した期間はほぼなかったという。 私生活では歌手の高橋七重と結婚したが、後に離婚。元宝塚歌劇団団員と再婚した。 2018年5月場所後に栃ノ心剛が大関昇進を決めた際には、春日野のお願いによって春日野部屋へと出向き、1962年5月場所後の自身と栃光正之の同時昇進以来、56年ぶりとなる春日野部屋での大関昇進伝達式を見守った。その際には横綱昇進への期待を示し、実現した暁には自身が横綱在位中に使用していた三つ揃いの化粧まわし等の譲渡(使用)を認める意思を示した。 通算成績:478勝261敗104休 勝率.647 幕内成績:315勝181敗104休 勝率.635 大関成績:101勝44敗5休 勝率.697 横綱成績:102勝69敗84休 勝率.596 現役在位:64場所 幕内在位:40場所 横綱在位:17場所 大関在位:10場所 三役在位:6場所(関脇5場所、小結1場所) 連続6場所勝利:72勝(1963年9月場所~1964年7月場所) 通算(幕内)連続勝ち越し記録:22場所(1961年3月場所~1964年9月場所) 幕内連続2桁勝利記録:6場所(1963年9月場所~1964年7月場所) 幕内最高優勝:3回(1962年5月場所、1963年11月場所、1964年5月場所) 十両優勝:1回(1960年7月場所) 幕下優勝:1回(1958年7月場所) 三賞:7回
技能賞:6回(1960年11月場所、1961年5月場所、1961年7月場所、1961年11月場所、1962年1月場所、1962年5月場所) 雷電賞:2回(1961年7月場所、1962年5月場所) 金星:1個(朝潮1個) 花田 茂廣(はなだ しげひろ)1955年9月場所 - 1956年9月場所 花田 茂宏( - しげひろ)1957年1月場所 花田 茂廣( - しげひろ)1957年3月場所 花田 茂広( - しげひろ)1957年5月場所 - 1958年1月場所 花田 茂宏( - しげひろ)1958年3月場所 花田 茂広( - しげひろ)1958年5月場所 - 1959年9月場所 花田 茂廣( - しげひろ)1959年11月場所 - 1960年7月場所 栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし)1960年9月場所 - 1966年11月場所 栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし)1966年11月 - 1967年2月(一代年寄) 中立 晃嘉(なかだち - )1967年2月 - 1967年3月 中立 大嗣( - ひろつぐ)1967年3月 - 1990年1月 春日野 大嗣(かすがの - )1990年1月 - 1990年3月 春日野 晃将( - てるまさ)1990年3月 - 2003年2月 竹縄 晃将(たけなわ - )2003年2月 - 2003年3月 第49代横綱 栃ノ海晃嘉 光文社のインタビュー 『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p82-83 ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK) ^ 栃錦自身も、ライバル・若乃花幹士との千秋楽全勝対決に敗れた翌場所に初日から連敗すると即刻引退を表明したほか、栃木山も3場所連続優勝を果たした翌場所にあっさり引退を表明するなど、いずれも「桜の花の散る如く」引退している。 ^ 自身は年寄・中立時代に「腰はまだいい時もあったから何とかなったけど、右腕の筋肉が切れて離れたのはどうにもならなかった」と証言した。 ^ 巡業でもほとんど稽古しない金城興福・板井圭介などには手を焼いたとされる。 ^ 栃錦は夫人に先立たれ、子供もいなかったため、栃錦の葬儀では栃ノ海が喪主を務めた。 ^ のちに日の出海は東京・神田で「相撲茶屋 栃ノ海」を経営した。 ^ 2019年1月場所限りで稀勢の里が引退するまでは、年6場所制定着(1958年)以降昇進した横綱の中で唯一の勝率5割台であり、なおかつ年6場所制定着以降の横綱最低勝率であった。 ^ 左足首関節捻挫により初日から全休 ^ 左腰部打により10日目から途中休場 ^ 右鎖骨骨折・椎間板ヘルニアに伴う坐骨神経痛により3日目から途中休場 ^ 右大腿部挫傷により11日目から途中休場 ^ 椎間板ヘルニアにより11日目から途中休場 ^ 椎間板ヘルニアにより初日から全休 ^ 右上腕二頭筋ヘルニアにより4日目から途中休場 ^ 右上腕二頭筋ヘルニアにより初日から全休 ^ 光文社 ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p45-47 ^ 『相撲』2018年10月号99頁から107頁 ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p29 ^ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p43-44 ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p63 ^ 大相撲:第49代横綱・栃ノ海の花田茂広さんに聞く 毎日新聞 2013年03月30日 11時02分 ^ “元横綱・栃ノ海が死去 82歳 誤嚥性肺炎で”. スポニチアネックス. スポーツニッポン. (2021年1月29日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/01/29/kiji/20210129s00005000225000c.html 2021年1月29日閲覧。 ^ Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p77 ^ 雑誌『相撲』別冊菊花号 創業70周年特別企画シリーズ(3)柏鵬時代 柔の大鵬 剛の柏戸――大型横綱たちの君臨(ベースボールマガジン社、2016年) p78-83 ^ “口上に入れたかった「親方」栃ノ心会見詳報”. 時事ドットコム. ス時事通信社. (2018年5月30日). https://web.archive.org/web/20180530075649/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018053000653&g=spo 2018年5月31日閲覧。 ^ “元横綱栃ノ海も感無量 自身以来56年ぶり大関誕生「いいね」”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2018年5月31日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/05/31/kiji/20180530s00005000394000c.html 2018年5月31日閲覧。 ^ “Tochinoumi Teruyoshi Rikishi Information” (English). Sumo Reference. 2007年7月24日閲覧。 横綱一覧 大相撲優勝力士一覧 青森県の高校相撲部出身の一覧 えびすこ 栃ノ海 - 歴代横綱 - 日本相撲協会公式サイト 栃ノ海 晃嘉 - 相撲レファレンス 表 話 編 歴 高見山酉之助 常陸山谷右エ門 太刀山峯右エ門 鳳谷五郎 両國勇治郎 西ノ海嘉治郎 (2代) 大錦卯一郎 栃木山守也 常ノ花寛市 鶴ヶ濱増太郎 西ノ海嘉治郎 (3代) 大蛇山酉之助 宮城山福松 常陸岩英太郎 能代潟錦作 玉錦三右エ門 豊國福馬 山錦善治郎 武藏山武 綾櫻由太郎 清水川元吉 沖ツ海福雄 男女ノ川登三 双葉山定次 出羽湊利吉 安藝ノ海節男 羽黒山政司 佐賀ノ花勝巳 前田山英五郎 備州山大八郎 東富士欽壹 増位山大志郎 千代の山雅信 照國萬藏 栃錦清隆 鏡里喜代治 時津山仁一 吉葉山潤之輔 三根山隆司 朝潮太郎 (3代) 若乃花幹士 (初代) 安念山治 玉乃海太三郎 若羽黒朋明 若三杉彰晃 大鵬幸喜 柏戸剛 佐田の山晋松 栃ノ海晃嘉 北葉山英俊 富士錦猛光 北の富士勝昭 若浪順 玉の海正洋 琴櫻傑將 清國勝雄 栃東知頼 長谷川勝敏 輪島大士 高見山大五郎 北の湖敏満 魁傑將晃 貴ノ花健士 金剛正裕 三重ノ海剛司 若乃花幹士 (2代) 千代の富士貢 琴風豪規 隆の里俊英 北天佑勝彦 若嶋津六夫 多賀竜昇司 朝潮太郎 (4代) 北勝海信芳 大乃国康 旭富士正也 小錦八十吉 霧島一博 琴富士孝也 琴錦功宗 貴乃花光司 曙太郎 水戸泉政人 若乃花勝 武蔵丸光洋 貴ノ浪貞博 千代大海龍二 出島武春 武双山正士 貴闘力忠茂 魁皇博之 琴光喜啓司 栃東大裕 朝青龍明徳 白鵬翔 琴欧洲勝紀 日馬富士公平 把瑠都凱斗 旭天鵬勝 鶴竜力三郎 照ノ富士春雄 琴奨菊和弘 豪栄道豪太郎 稀勢の里寛 栃ノ心剛史 御嶽海久司 貴景勝貴信 玉鷲一朗 朝乃山英樹 德勝龍誠 正代直也 大栄翔勇人 若隆景渥 逸ノ城駿 阿炎政虎 霧島鐵力 豊昇龍智勝 尊富士弥輝也 大の里泰輝 一覧 年代は初優勝、しこ名は最後の優勝時。 表 話 編 歴 初代明石志賀之助 2代綾川五郎次 3代丸山権太左衛門 4代谷風梶之助 5代小野川喜三郎 6代阿武松緑之助 7代稲妻雷五郎 8代不知火諾右衛門 9代秀ノ山雷五郎 10代雲龍久吉 11代不知火光右衛門 12代陣幕久五郎 13代鬼面山谷五郎 14代境川浪右衛門 15代梅ヶ谷藤太郎(初代) 16代西ノ海嘉治郎(初代) 17代小錦八十吉 18代大砲万右エ門 19代常陸山谷右エ門 20代梅ヶ谷藤太郎(2代) 21代若嶌權四郎 22代太刀山峯右エ門 23代大木戸森右エ門 24代鳳谷五郎 25代西ノ海嘉治郎(2代) 26代大錦卯一郎 27代栃木山守也 28代大錦大五郎 29代宮城山福松 30代西ノ海嘉治郎(3代) 31代常ノ花寛市 32代玉錦三右エ門 33代武藏山武 34代男女ノ川登三 35代双葉山定次 36代羽黒山政司 37代安藝ノ海節男 38代照國萬藏 39代前田山英五郎 40代東富士欽壹 41代千代の山雅信 42代鏡里喜代治 43代吉葉山潤之輔 44代栃錦清隆 45代若乃花幹士(初代) 46代朝潮太郎 47代柏戸剛 48代大鵬幸喜 49代栃ノ海晃嘉 50代佐田の山晋松 51代玉の海正洋 52代北の富士勝昭 53代琴櫻傑將 54代輪島大士 55代北の湖敏満 56代若乃花幹士(2代) 57代三重ノ海剛司 58代千代の富士貢 59代隆の里俊英 60代双羽黒光司 61代北勝海信芳 62代大乃国康 63代旭富士正也 64代曙太郎 65代貴乃花光司 66代若乃花勝 67代武蔵丸光洋 68代朝青龍明徳 69代白鵬翔 70代日馬富士公平 71代鶴竜力三郎 72代稀勢の里寛 73代照ノ富士春雄 雷電爲右エ門 表 話 編 歴 161代 能代潟錦作 162代 常陸岩英太郎 163代 豊國福馬 164代 玉錦三右エ門 165代 武藏山武 166代 清水川元吉 167代 男女ノ川登三 168代 双葉山定次 169代 鏡岩善四郎 170代 前田山英五郎 171代 羽黒山政司 172代 安藝ノ海節男 173代 五ツ嶋奈良男 174代 照國万蔵 175代 名寄岩静男 176代 佐賀ノ花勝巳 177代 東冨士謹一 178代 汐ノ海運右衛門 179代 増位山大志郎 180代 千代ノ山雅信 181代 吉葉山潤之輔 182代 鏡里喜代治 183代栃錦清隆 184代 三根山隆司 185代 大内山平吉 186代 松登晟郎 187代 若乃花勝治 188代 朝汐太郎 189代 琴ヶ濱貞雄 190代 若羽黒朋明 191代 柏戸剛 192代 大鵬幸喜 193代 北葉山英俊 194代 佐田の山晋松 195代 栃ノ海晃嘉 196代 栃光正之 197代 豊山勝男 198代 北の富士勝昭 199代 玉乃島正夫 200代 琴櫻傑將 201代 清國勝雄 202代 前の山太郎 203代 大麒麟將能 204代 輪島大士 205代 貴ノ花利彰 206代 大受久晃 207代 北の湖敏満 208代 魁傑將晃 209代 三重ノ海剛司 210代 旭國斗雄 211代 若三杉壽人 212代 増位山太志郎 213代 千代の富士貢 214代 琴風豪規 215代 隆の里俊英 216代 若嶋津六夫 217代 朝潮太郎 218代 北天佑勝彦 219代 大乃国康 220代 北尾光司 221代 北勝海信芳 222代 小錦八十吉 223代 旭富士正也 224代 霧島一博 225代 曙太郎 226代 貴ノ花光司 227代 若ノ花勝 228代 貴ノ浪貞博 229代 武蔵丸光洋 230代 千代大海龍二 231代 出島武春 232代 武双山正士 233代 雅山哲士 234代 魁皇博之 235代 栃東大裕 236代 朝青龍明徳 237代 琴欧洲勝紀 238代 白鵬翔 239代 琴光喜啓司 240代 日馬富士公平 241代 把瑠都凱斗 242代 琴奨菊和弘 243代 稀勢の里寛 244代 鶴竜力三郎 245代 豪栄道豪太郎 246代 照ノ富士春雄 247代 髙安晃 248代 栃ノ心剛史 249代 貴景勝貴信 250代 朝乃山英樹 251代 正代直也 252代 御嶽海久司 253代 霧島鐵力 254代 豊昇龍智勝 255代 琴櫻将傑 256代 大の里泰輝 表 話 編 歴 春日由三 吉本明光 中山晋平 春日由三 吉川義雄 春日由三 吉川義雄 川村専一 狩野近雄 河上英一 笹本恭彦 明瀬裕 池田太郎 牧定忠 春日由三 吉川義雄 渋沢秀雄 横山隆一 西崎緑 貝谷八百子 田付辰子 メイ牛山 春日由三 吉川義雄 岩田専太郎 勅使河原蒼風 千代の山雅信 小山いと子 吉村公三郎 市川翠穂 マヤ片岡 春日由三 吉川義雄 三國連太郎 小西得郎 栃錦清隆 青木茂高 河上牧子 水木洋子 坂西志保 田村佐紀子 吾妻徳穂 吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 浜美枝 山崎豊子 大佛次郎 尾上菊之助 加藤芳郎 鶴ヶ嶺昭男 中山卯郎 福島慎太郎 木村秀政 西本幸雄 石坂浩二 福原美和 栗原小巻 塩月弥栄子 平岩弓枝 中山卯郎 江夏豊 王馬熙純 榊原仟 鈴木俊一 曽野綾子 高田敏子 藤田弓子 三船敏郎 中山卯郎 浅丘ルリ子 市川海老蔵 今井通子 大谷直子 菅野義丸 佐藤愛子 鶴岡一人 平幹二朗 中道定雄 坂東玉三郎 樋口久子 小林弘 三田佳子 志村喬 武原はん 玉の海正洋 中山律子 仲代達矢 小野田勇 浪花家辰造 大場政夫 宇田川竜男 堀内寿子 大山英子 村山加代子 中山きよ子 樫山文枝 山口果林 高橋信雄 山下迪子 館弘子 石田芳夫 中山紀子 井沢つま 森戸辰男 溝尾正志 花本方美 為久優子 成田知子 桑田たつ子 村上巳里 山下誠 小川善三郎 河野久枝 桑原永子 田川由紀子 佐藤太圭子 山田三智穂 大谷豊二 高橋優子 貴ノ花利彰 赤塚洋文 平内義幸 富岡雅寛 平賀輝子 中川時子 加藤稔 池内淳子 中原誠 森英恵 小林桂樹 中村汀女 井上ひさし 中野貴代 神田好武 真木洋子 輪島大士 高橋洋子 生沼スミエ 棟方志功 村上元三 京マチ子 サトウサンペイ 高田ユリ 尾上菊五郎 寺島純子 北の湖敏満 根本良夫 橋本明治 杉村春子 尾上松緑 栗原小巻 堀江謙一 檀ふみ 魁傑將晃 新垣留美子 根本良夫 尾上梅幸 高橋展子 吉永小百合 加藤剛 三林京子 大竹しのぶ 古葉竹識 三重ノ海五郎 池田彌三郎 浅丘ルリ子 中村梅之助 小野清子 村上隆 堤加蓉子 カロリーナ・ピレス・ド・リオ 若三杉壽人 川上哲治 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古橋廣之進 大林素子 松尾武 イチロー 赤井英和 奥野史子 岩下志麻 羽生善治 南井克巳 賀来千香子 川本ゆかり 市川崑 森光子 上田洋一 古田敦也 田村亮子 天海祐希 竹中直人 原辰徳 水谷八重子 中村紘子 ジョージ川口 柳家小さん 大石芳野 上田洋一 有森裕子 川口能活 江角マキコ 仰木彬 清水市代 中村橋之助 森英恵 桂米朝 大石静 周防正行 大橋晴夫 井原正巳 吉永小百合 片岡仁左衛門 伊藤みどり 佐々木主浩 佐藤夕美子 本木雅弘 篠田節子 谷川浩司 吉行あぐり 大橋晴夫 清水宏保 藤原紀香 琴錦功宗 中村玉緒 松平健 俵万智 ジェームス三木 服部道子 熊川哲也 浅利純子 伊東律子 出島武春 松嶋菜々子 内館牧子 野村萬斎 田村亮子 津川雅彦 草笛光子 阿久悠 福嶋晃子 乙武洋匡 伊東律子 田村亮子 長嶋茂雄 高橋尚子 渡辺謙 池内淳子 佐々木主浩 岡本綾 井上康生 木村佳乃 内藤國雄 出田幸彦 栃東大裕 川原亜矢子 室伏広治 竹田恆和 松岡佑子 唐沢寿明 平良とみ 天海祐希 藤田宜永 森下洋子 出田幸彦 朝青龍明徳 米倉涼子 市川新之助 阿川佐和子 宮本恒靖 仲間由紀恵 高橋由伸 恩田美栄 岩合光昭 岸惠子 中村季恵 浅野ゆう子 五木寛之 優香 三谷幸喜 村山由佳 末續慎吾 村主章枝 武田真治 有馬稲子 星野仙一 中村季恵 野口みずき 野村忠宏 橋田壽賀子 中村勘九郎 荒川静香 滝沢秀明 高島礼子 和田一浩 森光子 日野原重明 琴欧州勝紀 薬師丸ひろ子 野口聡一 長澤まさみ 山田洋次 森光子 上川隆也 眞鍋かをり 林家正蔵 栗原はるみ 渡辺謙 阿木燿子 リリー・フランキー 藤山直美 内野聖陽 横峯さくら 田口壮 吉田都 鎌田實 瀬戸内寂聴 宮﨑あおい 上田桃子 岡島秀樹 青木功 中村勘三郎 新垣結衣 茂木健一郎 坂東眞理子 陣内智則 藤原紀香 本木雅弘 吉田沙保里 太田雄貴 高橋尚子 松本幸四郎 松坂慶子 姜尚中 堀北真希 妻夫木聡 上野由岐子 白鵬翔 草刈民代 阿部寛 深田恭子 原辰徳 勝間和代 城田優 杉山愛 西田敏行 森光子 野口聡一 湊かなえ 岩崎夏海 寺島しのぶ 髙橋大輔 上野樹里 伊勢谷友介 仲間由紀恵 北大路欣也 武良布枝 大竹しのぶ 田中将大 コシノジュンコ 三谷幸喜 鈴木京香 佐々木則夫 鈴木明子 松山ケンイチ 松井冬子 琴奨菊和弘 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2024/11/21 12:24更新
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tochinoumi teruyoshi
栃ノ海晃嘉と同じ誕生日3月13日生まれ、同じ青森出身の人
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