もしもし情報局 > 1938年 > 11月29日 > 相撲

柏戸剛の情報 (かしわどつよし)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

柏戸剛の情報(かしわどつよし) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

柏戸 剛さんについて調べます

■名前・氏名
柏戸 剛
(読み:かしわど つよし)
■職業
相撲
■柏戸剛の誕生日・生年月日
1938年11月29日 (年齢1996年没)
寅年(とら年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
山形出身

(昭和13年)1938年生まれの人の年齢早見表

柏戸剛と同じ1938年生まれの有名人・芸能人

柏戸剛と同じ11月29日生まれの有名人・芸能人

柏戸剛と同じ出身地山形県生まれの有名人・芸能人


柏戸剛と関係のある人

若羽黒朋明: 自供から立浪部屋を家宅捜索した結果、拳銃3丁が押収され、現役時代に対戦したことがある柏戸剛・大鵬幸喜までもが書類送検される角界拳銃密輸事件に発展した。


玉ノ海梅吉: 柏戸剛 - 海乃山勇戦では横綱が下位力士と対戦する際の心境を問われ、「そりゃ嫌ですよ。


栃ノ海晃嘉: 9月場所には関脇に昇進して8勝7敗と勝ち越してからは関脇の座を譲らず、1962年5月場所では横綱柏戸剛に敗れたのみの14勝1敗で初の幕内最高優勝を果たした。


鶴竜力三郎: 本来は同部屋もしくは同一門の師匠が指導するのが通例であるが、時津風一門の横綱は柏戸剛引退から鶴竜の昇進までの45年間に渡って不在で、その全員が物故者であるために貴乃花が代わりに指導役を務めている。


出羽錦忠雄: 大鵬からは「関脇は務まらなくても大関なら務まる」と言わしめたほどだが、これは大関を期待されながら関脇在位時に一度も勝ち越しが無いことが関係していると思われ、大鵬のライバルであった柏戸剛とは出羽錦の2勝14敗で、柏戸の大関昇進以後は10連敗して一度も勝てなかった。


大鵬幸喜: ライバルとされた柏戸剛と「柏鵬(はくほう)時代」と呼ばれる相撲黄金時代を築いた。


佐田の山晋松: 同年6月に蔵前国技館で行われた引退相撲では、直近の5月場所で大鵬幸喜・柏戸剛の両横綱が休場したことを受けて、露払いに同部屋の福の花孝一、太刀持ちに海乃山勇を従えて最後の横綱土俵入りを行った。


迫水久常: 1961年には雑誌『相撲』の企画で、当時大関の柏戸剛と対談。


藤ノ川武雄: 以後横綱柏戸剛の弟弟子でもあり「今牛若」「ちびっ子ギャング」などの異名をとった相撲振りや力士にしてはスマートな体型や渋い容姿から人気を博し、三賞も7回受賞する活躍をした。


明武谷力伸: さらに上位力士に強く、1961年9月場所では場所後に横綱へ昇進する大鵬幸喜と柏戸剛との両大関と優勝決定巴戦を行い、幕内最高優勝こそ果たせなかったものの敢闘賞を受賞する活躍を見せた。


栃ノ海晃嘉: 1963年11月場所では大鵬幸喜・柏戸剛をなで斬りにし、14勝1敗で二度目の優勝を成し遂げた。


琴櫻傑將: 1964年1月場所には新三役の場所6日目に、柏戸剛との取組で土俵上で足首を骨折する負傷で途中休場。


玉ノ海梅吉: 1963年9月場所千秋楽に行われた大鵬幸喜 - 柏戸剛の全勝決戦では「柏戸に勝たせたいねぇ」と呟いたが、それが通じたのか柏戸が勝利して全勝優勝を果たした。


久和ひとみ: 大相撲に関する著書に『まわしをはずしたお相撲さん』があるほか、『知ってるつもり?!』(日本テレビ系)で柏戸剛が取り上げられた回にパネリストとして出演している。


千代の山雅信: 1965年5月、柏戸剛・大鵬幸喜・北の富士勝昭と共に拳銃をハワイから密輸入したことによりその証拠隠滅を図ろうと廃棄していたことが発覚し書類送検されたが、日本相撲協会からの処分はなかった。


北葉山英俊: 綱取り場所となった同年9月場所は極度の緊張から初日の廣川泰三戦で敗れたほか、8日目の出羽錦忠雄戦、9日目の柏戸剛戦と連敗したことで綱取りの可能性が完全に消滅した。それでも横綱との対戦では健闘しており、特に大鵬幸喜との通算対戦成績は11勝24敗と、対柏戸剛戦の16勝に次ぐ勝利数を挙げ、「優勝のカギを握る男」と評された。


佐田の山晋松: 幕内最高優勝6回は柏戸剛(5回)より多く、横綱としては悪くない成績であるが、その一方で全勝優勝は一度も無かった。


若羽黒朋明: また、1961年1月場所では後に大鵬と共に「柏鵬時代」という大相撲の黄金時代を築くことになる大関・柏戸剛が13勝2敗で幕内最高優勝を果たすが、若羽黒は柏戸に対しても同じく10日目に土を付けて、さらにこの際に「オレは柏鵬の反逆児」と発言した。


柏戸秀剛: 現役時代よりも、年寄として日本相撲協会の発展に尽力したことで業績を上げたことや、横綱・柏戸剛の師匠として名を知られる。


大鵬幸喜: 12日目には小結柏戸剛が「止め男」として当てられ、早晩角界を背負って立つライバルとなるだろうと目されていた両者の対戦が早くも実現することになった。


柏戸剛の情報まとめ

もしもしロボ

柏戸 剛(かしわど つよし)さんの誕生日は1938年11月29日です。山形出身の相撲のようです。

もしもしロボ

兄弟、現在、引退、病気、テレビに関する情報もありますね。1996年に亡くなられているようです。

柏戸剛のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

柏戸 剛(かしわど つよし、1938年11月29日 - 1996年12月8日)は、山形県東田川郡山添村(現・鶴岡市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した大相撲力士。第47代横綱。本名は富樫 剛(とがし つよし)。位階は従五位。

1938年に山形県で果樹園などを経営する豪農の次男として生まれた。小学生からのちに活躍する相撲を始め、バスケットボールやサッカー、陸上競技などで万能選手として活躍し、中学校に入学した時には既に身長が180cmに達していた。県内でも有数の進学校である山形県立鶴岡南高等学校に進学するが、子供の頃から特に好きだった相撲を続けるうちに東田川郡大会で活躍したところ、噂を聞きつけた伊勢ノ海から熱心にスカウトされた。

しかし実家の跡取りとして育てられていたことから両親に頑なに反対された。そこで伊勢ノ海から「東京見物」の名目で実家から連れ出され、軽い気持ちで伊勢ノ海部屋へ連れて行かれた挙句に幕下力士を相手に相撲を取ったところ、兄弟子に対してかなりの強味を見せたので自信が出て、さらに熱心なスカウトを受けたので入門を決意した。

1954年の蔵前国技館落成の場所に初土俵を踏んだ。戦後直後の復興期に使用していた仮設国技館などの暫定的な国技館と全く異なる、新しい国技館の開館である節目の場所に初土俵を踏んだことで、「こんな素晴らしい場所で相撲が取れると思うと感動した」と語った。

若い頃から大いに期待され、幕下時代では伊勢ノ海から「伊勢ノ海部屋の冨樫を知ってるか?未来の横綱だぞ」と公言されるほどだった。大きな期待を背負いながら1957年11月場所で新十両昇進を果たすと、トントン拍子のまま1958年9月場所で新入幕を果たす。当時19歳での入幕はスピード出世で、若秩父高明・豊ノ海義美と「ハイティーン・トリオ」と呼ばれた。

1959年3月場所から伊勢ノ海部屋で伝統の四股名「(11代)柏戸」を襲名した。この場所は西前頭13枚目で、横綱・大関との対戦こそなかったものの、終盤まで栃錦・若乃花の両横綱と優勝を争い13勝2敗、敢闘賞と技能賞を初受賞する。翌5月場所は東前頭4枚目に進み、上位陣初挑戦の場所となったが、初日大関琴ヶ濱を掬い投げに破ったものの2日目から8連敗、最終的に5勝10敗で幕内で唯一の皆勤しての負け越しになる。9月場所で前頭3枚目まで番付を戻し再び上位挑戦、大関を狙った若羽黒と栃光の関脇ふたりを下すなど12勝3敗で2度目の敢闘賞、翌場所で新三役に昇進する。

1960年1月場所は東小結で迎え、12日目にはこの場所が新入幕で初日から11連勝中の大鵬幸喜との対戦が組まれた。前日の取り組みの後、支度部屋で記者から「明日は全勝の新入幕・大鵬ですが自信は?」と聞かれると、「番付を見ろ、オレは小結だぞ」と一蹴した。当時から強気な性格で有名だった柏戸だったが、本当は負けるのではないかと考えていた。それでも本当に大鵬を下手出し投げで倒すと、9勝6敗と勝ち越して同年3月場所には関脇に昇進した。

柏戸の快進撃は止まらず、同年9月場所で大関に昇進すると、1961年1月場所では13勝2敗で幕内初優勝を遂げた。優勝力士の副賞としてエールフランスからヨーロッパ旅行に招待されたが、テヘラン空港で髷を見た人から同行した春日野の妻と勘違いされた。

同年9月場所では14日目に大鵬、千秋楽に若乃花を連破し12勝3敗で大鵬・明武谷力伸との優勝決定戦に進むが、巴戦の初戦で明武谷を倒したものの大鵬が柏戸・明武谷を連破したため優勝を逃した。場所後に日本相撲協会は横綱審議委員会に大鵬・柏戸の両名を同時に横綱推薦の諮問をし、「両者の力量に差はない」として満場一致でそろって横綱昇進に異議なしとの答申をした。星数は直前3場所で33勝と力不足だったものの、大関昇進後の勝率は大鵬・柏戸とも互角であり、また系統別総当たり制の下では若乃花との対戦がない大鵬に対し柏戸は役力士全員と対戦している事情等が加味されて、昇進見送りとの事前の見込みを覆して満場一致となった。また柏戸が横綱に昇進した背景には若乃花・朝潮の両横綱に衰えが見られたことや、柏鵬ムードで盛り上がった世論の動向があった。歴代の「柏戸」には大関まで昇進した力士がいるものの、横綱に昇進したのは初だった。さらに22歳9ヶ月での昇進で、照國萬藏の持つ最年少記録を大鵬幸喜と共に更新した(現在は歴代5位)。昇進時の口上は「横綱として恥ずかしくない成績を挙げるために頑張ります」であった。

けれん味のない正攻法の相撲ということもあって、平幕時代には横綱戦5戦全敗と通用せず、金星獲得はない。それでも関脇にあがった頃から地力も増し、栃錦には5連敗のまま引退されてしまったものの、若乃花に4連勝、朝潮には5連勝するなど彼らを圧倒しはじめる。通算では朝潮には6勝4敗と勝ち越し、若乃花には6勝6敗と五分の星を残した。

入門当初に伊勢ノ海から「未来の横綱だぞ」と言われた通りに横綱へ昇進し、その後も安定して二桁勝利を挙げていたが、1962年頃から期待されていたほどの相撲ぶりを見せることができなくなり、とりわけ相撲の守りの薄さが指摘されるようになった。神風正一からは「あれだけの体をしているんだから、何も慌てて立つことはないんじゃいんですか。むしろ立ち遅れたときのほうが、いい相撲になっていますよ。立ち合いをもっと研究せんと、いかんじゃないですか」と注文を付けられ、東富士欽壹からも「柏戸の稽古は、ただ攻めるだけのものだったが、やはり、受け身の場合の稽古も必要なんじゃないかと思います」と話した。1963年1月場所で右手首関節捻挫・肝機能障害・蓄膿症により初の休場に追い込まれると、その後はケガや病気によって休場することが相次ぐ。1963年5月から7月まで塩原温泉郷でリハビリしていたころは、毎日午前と午後に1回ずつ通院し、稽古ができない中で現地の中学生たちと球技を行って体を鍛えていた。また、東京の知人と一緒にそこへ訪れたマッサージとヨガを研究する女性から、有色野菜やカルシウムを多く摂取することやよく噛んで食べることを心がけるよう食事指導された。4場所連続休場から再起をかけた1963年9月場所には、玉ノ海梅吉の「柏戸に勝たせたいねぇ」の声が聞こえたかのように、大鵬との千秋楽全勝対決を制して全勝優勝を果たした。柏戸はこの場所を10勝でもできればという心構えで臨んでいたとされており、千秋楽の朝にも優勝できるとは思っていなかった。「一番うれしかったことは?」という記者の質問に対して「何といっても、塩原の生活から解放されて、晴れて巡業に出られるというときは、それこそ十枚目に上がる時とか、大関、横綱になったときよりもうれしく感じられました」とコメント。優勝旗手は豊山勝男が務め、オープンカーで北葉山英俊が賜杯を持った。

これ以上はない復活劇に日本中が感動し、柏戸本人も支度部屋で号泣するほどだったが、この取組を見た石原慎太郎から、9月27日付の日刊スポーツのコラム「私もひとこと」において、「いい加減にしろ」というタイトルで八百長疑惑を投稿された。大鵬自身は、立腹はしたものの、ビデオ映像を見て、「こういう相撲なら誤解されてもしょうがないと思った」、また、「驕りの相撲」だったと感じたという。その後、時津風理事長の問いに対して「絶対に(八百長は)やってない」と答えた。これを受けて協会は、10月1日、石原と同紙幹部を東京地検に告訴した。その後、石原側から謝罪があり、大映の永田雅一の仲介を受けて、11月、告訴は取り下げられた。この騒動を二人で解決に持ち込んだことで、それまで当たり障りない会話しかしない仲だったのが、これを契機に近しくなった。このことから「柏鵬時代」と呼ばれ、高度経済成長期の相撲黄金時代を支えた。

横綱土俵入りは同門の先輩横綱である鏡里の型を継承したが横綱時代初期においては大鵬と同様に柏手を打つ際に首を振る癖があり、1963年3月場所後に二子山の談話でその点を指摘された上に「力を入れようと思うんだろうが、自然のほうがいいですね」と分析された。横綱時代全般において力み故にせり上がりが不安定であり、終盤期にはバランスの悪さが顕著化した。

1964年3月場所では再び大鵬と千秋楽全勝対決が組まれたが、今回は大鵬が勝利した。その後も病魔によって好不調の波が激しく、休場回数も徐々に増えたため優勝回数が伸びず連覇は無かった。しかも同い年(学年は柏戸が1つ下)の栃ノ海晃嘉・佐田の山晋松が先に引退してしまい、自分が引退すれば横綱が大鵬一人になる事情から引退できず、肝臓・腎臓も悪化させて成績不振も多かった。見かねた時津風が「柏戸の身体は瀬戸物で出来ているみたいだ」と嘆いたこともある。

下記に、柏鵬両雄の主な千秋楽対戦を記す。

柏鵬両雄の千秋楽優勝圏内の対戦は、5度実現した(相星決戦は2度で全勝対決)。

上記の場所において、柏戸は1963年9月場所を除いて、全て優勝同点もしくは優勝次点。

優勝回数こそ5回で、大鵬の32回と比べると少ないように見えるが、横綱在位47場所(歴代6位)、優勝に準ずる成績を残すこと15回で勝率も低いとは言えず、大鵬との相性の良さを差し引いても当時を知る人の中では柏戸を「弱い横綱」と評する人は少ない。

大関時代までの大鵬にとっては最強の壁で、大関時代までは柏戸:7勝・大鵬:3勝だった。その後、大鵬が10勝10敗で並んでから16勝16敗までは全く雁行し、真に両雄伯仲の柏鵬時代を顕した。「優勝大鵬、対戦柏戸」と言われたが最後は5連敗し、通算対戦成績は柏戸:16勝、大鵬:21勝。

そのままの16勝21敗(勝率.432)と受け取っても、名立たる先輩の大物力士を相手取ってさえほぼ負け越さなかった大鵬と一定数交えた者の中での勝率は朝潮の4勝4敗(勝率.500)に次ぐもので10戦以上した者に限れば最高。更に大鵬相手の勝ち星の数だけで見れば16勝は紛れもなく最多で、次点・北葉山の11勝(24敗)、次々点・玉の海の7勝(21敗)を大きく引き離している。

一方で大鵬の弟弟子・大麒麟將能を苦手としていて、通算成績でも8勝9敗で負け越している。

柏鵬両雄の対戦は、1960年1月場所 - 1969年5月場所の57場所間に37回実現し、千秋楽結びの一番の対戦は史上3位の21回、千秋楽両者優勝圏内の対戦が5回(うち、相星決戦が2回)あった。千秋楽(太字)は、千秋楽結びの一番を示す。

両者横綱昇進以前の対戦成績(1961年9月場所まで)は、柏戸の7勝3敗。

両者横綱同士の対戦成績(1961年11月場所以降)は、大鵬の18勝9敗だった(優勝回数も1961年11月場所以降で柏戸4回・大鵬29回)。

1964年までは系統別総当たり制で割が組まれたが、同時期の横綱・大関のなかで柏戸だけは孤立無援であり横綱土俵入りも露払い・太刀持ちどちらも他の一門から借りていた。部屋別総当たりになってから弟弟子の藤ノ川武雄が入幕するまでは対戦しない相手が幕内に一人もおらず、横綱以下の三役力士全員と戦わねばならないなどの不利もあったが、これを考えてもやはり立派な成績だといえる。しかし引退会見では「柏鵬時代などと言われたが、むこう(大鵬)は成績も立派で自分はケガも多く優勝回数も少なくて恥ずかしかった」と語った。

大鵬と柏戸の全盛期では、当時の子供が好きだった「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉が有名である。子供以外に若い女性にも人気だった大鵬だが、柏戸は男性ファンからの人気が高かったことから「大洋・柏戸・水割り」という言葉が存在していた。彼自身はエビの天ぷらが大好物で、一度に130匹食べたこともあった。

大人ウケした理由として、立合いから左前褌右おっつけで一気に突進するという取り口で、土俵際でも慎重に腰を落とすという定石も無視して一気に長身を利用し覆い被さるように相手を押し倒す豪快なものだった。相手が横に動くとあっさり負けることもあったが、その破壊力は誰からも恐れられていた。若乃花幹士でさえも横に動いて突進を回避しての投げで決めたことがあったというからその凄さが判る。その若乃花も、柏戸に初めて敗れたことで引退を本格的に考え始めたとされている。豊山は稽古場で柏戸の突進を受け続けているうちに反り腰になって投げる癖がついたと伝わり、これも柏戸の破壊力を示す逸話となっている。

また四つ相撲が全く駄目というわけではなく、得意は速攻だったが組んで動きが止まってもそれなりの力は発揮した。入幕したばかりの頃は右差しの強さにも注目があった。若き日は「角界のサラブレッド」とも呼ばれていたが、体が硬く性格も無器用なことから伊勢ノ海は徹底して速攻を仕込んだといわれ、本人も「マゲを切るまで突っ走る」思いで速攻にこだわった。ただしその取り口ゆえかポカが多く強い時には誰にも止められなかったが、弱い時には思わぬ相手に負けることもあり好不調の波が激しかった。こうした取り口は60年安保闘争が終焉して高度経済成長を迎えた当時の日本の大らかさを象徴するものであるという見方もあり、後年NHK解説委員会でもこの点について話題が挙がっている。

金星配給35個は千代の山の34個を更新する当時の最多記録だった(現在歴代4位)が、これは年6場所制定着後の横綱昇進で、横綱在位場所数が千代の山の32場所に対して47場所と長かったためでもある。逆に、彼より長い横綱在位で彼より金星の少なかったのは、大鵬と千代の富士、白鵬がいるだけとなる。

しかし横綱時代初期の座談会では秀ノ山を始めとして「突っ張り一本で生きるべきだ」という意見が大勢を占めるほど突っ張りが強烈であることで知られていた。これに対してNHKアナウンサーの北出清五郎から「柏戸は太刀山みたいにならなければいけないのか」と注文を付けられ、秀ノ山は初めに「突っ張りきれない際は前褌を取るべきだ」と切り返したがいつの間にか「大鵬の方が体重で柏戸を上回るとしたら、対抗するには前褌を取って相手の左をおっつけていくしかない」と思わず当初の意見を上回る理想の型を口にしていた。結果として柏戸はその理想の型を体得した。

1968年ごろから引退が近づき始めた。同年1月から7月まで大鵬が休場続きでチャンスと言える状況においても糖尿病の影響で満足に稽古ができない状況にあり、当時の雑誌にも「なぜ稽古をしないでタバコを吸っているのか。」と酷評される始末であった。成績も引退まで9勝から10勝程度の勝ち越しが常になり、1968年11月場所に11勝の成績を上げたのが柏戸の最後の活躍となった。

1969年7月場所の初日、柏戸は高見山に押し込まれて土俵際から叩き込みで辛勝したが、2日目には麒麟児に吊り出しで敗れ、3日目には朝登に左喉輪から一気の押し出しで連敗したことで体力の限界を感じ、現役引退を表明した。あと1勝で幕内勝利数が600勝に達するというところであった。引退会見では「昨日、十両時代に稽古をつけ、コロコロ転がしていたアンコ(朝登)に一方的に負けて、こりゃあダメだ、と思った。まあ、こっちの出足がまるでなかったこともあるけど、親方をはじめ、周囲はまだまだやれると言うけど、(こんな相撲を取るようでは)もう限界。これですっきりしたという感じです」と語っていた。

引退後は後援者の薦めで独立して鏡山部屋を創立、スパルタ指導ぶりには定評があった反面、弟子たちには門限も設けないなどの自由な側面もあった。技術指導面では思い切って前に出ることを教え、少なくとも40代前半までは自分も廻しを締めて弟子に胸を貸した。1975年7月場所には部屋最初の関取として小沼が十両に昇進しており、これはライバルであった大鵬部屋が1977年7月場所に嗣子鵬と巨砲を同時に部屋初の関取として新十両に昇進させたのとは、2年先んじた形となる。

自身の現役時代の戦場だった蔵前国技館最後の本場所となる1984年9月場所で優勝した多賀竜などを育てた。多賀竜優勝の表彰式では、審判部長として優勝旗を授与しており、これには「自分が初優勝したときよりうれしくて、涙が出たよ」と瞳を濡らし、優勝した多賀竜本人以上の喜びを見せた。部屋での育成の傍ら、記者クラブ担当を経て審判部長を1982年から1994年まで12年間も勤めたが、「物言いの際に経過を説明しない」「旭富士正也の横綱昇進を中々答申しなかった」「1993年5月場所千秋楽の若ノ花勝 - 小錦八十吉戦での微妙な勝負に物言いをつけない」などと、素人筋からの評判は散々だった。特に旭富士の横綱昇進の答申については自身の綱取り成績を比較対象として扱われ、整合性を欠くとして大いに非難された。ただし副部長在任時の若三杉幹士 - 荒勢永英戦では、双方が待ったを連発した際には再三土俵下から大声で怒鳴りつけ、終いには審判団全員が土俵に上がり両者に注意するなど、待ったや立合いの焦らし、時間前の睨み合いなどには厳しい姿勢を見せた。

晩年の柏戸は深刻な腎臓病の悪化で体調不良が多く、週3回で1回につき5時間の人工透析を受け続けた副作用で骨が弱くなり、好敵手だった大鵬に「おい見てくれよ、脚こんなになっちゃったよ」と言っていたという。これを見た大鵬は「少しでも良くなるように」とカルシウム剤を渡したという。しかしその努力も虚しく、柏戸は1996年12月8日、肝不全のため故郷の母に先立って死去した。58歳だった。従五位・勲四等・旭日小綬章 叙位叙勲、12月17日 特旨を以て位記を追賜、部屋は愛弟子の多賀竜が継承した。戒名は「巌鏡院柏樹剛堅居士」で、墓所は東京都台東区の谷中霊園にある。

2014年3月場所後、井筒部屋の鶴竜が柏戸引退以来52年6ヶ月ぶりとなる時津風一門の横綱に昇進したが、鶴竜の明治神宮及び伊勢神宮奉納土俵入りの際には鏡山部屋の鏡桜が露払い、伊勢ノ海部屋の勢が太刀持ちと柏戸ゆかりの部屋の力士が務めた。しかし、多賀竜が継承した鏡山部屋のほうは衰退し、最後は所属力士数が鏡桜を含めて2人まで減少した末に2021年7月場所後に閉鎖され、柏戸の系譜は途切れてしまった。

柏戸は強面でぶっきらぼうだが、前述の復活優勝の時のように涙もろく優しい一面もあった。テレビ番組で読まれた娘の作文に涙したり、リハビリで立ち寄った塩原温泉郷では、地元の塩原中学校を訪問して子供とバレーボール・テニスなどで交流するなど周囲から大変好かれたという。休場明けは15日間、塩原温泉郷の町中が役所でも商店でも仕事を中断してテレビの前に集まり柏戸の取組を見守っていたといい、まるで鶴岡市出身ではなく塩原郡出身の力士であるかのような扱いであったという。優勝すると塩原に凱旋し、塩原中学校に優勝賜杯を模したカップを贈った。そのカップは40年以上を経た現在でも運動会の応援合戦の優勝チームの表彰に使われている。ただ、1960年代前半の頃の柏戸は寧ろおしゃべりな人物として知られ、同時期の大鵬は対照的に訥弁であったという。

舞の海が受けた1度目の新弟子検査で不合格を言い渡した人物でもある。この時鬢付け油を頭の上に固めて乗せ、髪で隠す不正がばれてしまったのであった。この例のように新弟子検査に関しては厳格であり、目溢しは行わない方針であった。舞の海はその一件以来柏戸を恨んでいたが、1991年11月場所に技能賞を獲得したことが柏戸の推薦のおかげでもあったことを知って見直したという。

相撲で鍛えた足の裏は皮靴のように分厚かったため、タバコの火を素足で踏みつけて消すことができた。

通算成績:715勝295敗140休 勝率.708

幕内成績:599勝240敗140休 勝率.714

大関成績:81勝24敗 勝率.771

横綱成績:407勝147敗140休 勝率.735

現役在位:84場所

幕内在位:66場所

横綱在位:47場所

大関在位:7場所

三役在位:5場所(関脇3場所、小結2場所)

年間最多勝:1966年(71勝19敗)、1967年(70勝20敗・大鵬と勝ち星が同数)

連続6場所勝利:73勝(1966年9月場所~1967年7月場所)

通算幕内連続勝ち越し記録:21場所(1959年7月場所 - 1962年11月場所)

幕内連続2桁勝利記録:16場所(歴代7位、1960年5月場所 - 1962年11月場所)

幕内12勝以上連続勝利記録:3場所(1966年5月場所 - 1966年9月場所)

幕内最高優勝:5回 (全勝1回、同点1回)(1961年1月場所、1963年9月場所、1965年9月場所、1966年1月場所、1967年7月場所)

十両優勝:1回(1958年3月場所)

幕下優勝:1回(1956年5月場所)

三賞:8回

    殊勲賞:2回(1960年3月場所、1960年7月場所)

    敢闘賞:2回(1959年3月場所、1959年9月場所)

    技能賞:4回(1959年3月場所、1960年1月場所、1960年5月場所、1960年7月場所)

    雷電賞:1回(1959年3月場所)

    金星:なし

     

    他に優勝決定戦で佐田の山に1勝、大鵬に2敗、明武谷に2勝がある。

    富樫 剛(とがし つよし):1954年9月場所 - 1959年1月場所

    柏戸 剛(かしわど - ):1959年3月場所 - 1962年3月場所、1964年11月場所 - 1969年7月場所

    柏戸 健志(かしわど - ):1962年5月場所 - 1964年9月場所

    ^ 但し本人は取組直後のインタビューで「参った。"この野郎!"と思って思い切り当りはしたが、ふにゃふにゃしていて押せない。大鵬は攻め続ける、こっちは受ける一方。最後は下手投げを打ったわけではなく、こっちの膝が落ちただけ」と大鵬に勝ったことがまぐれであるという趣旨の発言を口にした。

    ^ 綱取り昇進基準についての書籍の1つである『横綱昇進』(同友館)では著者の日高将がこの昇進を「悪例」と断じて酷評している。

    ^ これには、1960年11月場所から翌年3月場所までの間に11勝-13勝(優勝)-12勝(1差次点)を記録しており、1961年3月場所後に昇進を見送られたもののこの時すでに綱取りに相応しい成績を残していたという反論が為される。

    ^ 吉田司家以外から免許授与の話が出た力士としては柏戸利助がいるが、吉田司家に遠慮して断わったという。

    ^ ただし、高鐵山孝之進は後に自著「八百長」の中で石原発言を支持し、「初めて大掛りな注射相撲をしたのが柏戸さん」と記している。また、大鵬の方に関しても「優勝20回目ぐらいまではガチンコであったが、その後は八百長に染まった」と主張している。

    ^ 大洋は阪神、水割りはからし漬けという説もある。

    ^ 同時昇進の大鵬とともに当時の最長記録、大鵬はその後58場所まで記録をのばす。現在の記録は北の湖の63場所。

    ^ 他に曙が1場所だけ長い48場所在位で金星は同じ35個。

    ^ 小錦の方が先に落ちた取組であったが小錦の勝ちとなり、鏡山は「小錦の方に勢いがあった」という趣旨の弁明をした。これに対して小坂秀二は「勝負判定に勢いがあるかどうかなんて関係ない、先に落ちた方の負けだ」「現役時代の柏戸には素晴らしい勢いがあったが、勢いがあるから勝ちとされたことなどなかったではないか」と厳しく批判した。

    ^ 旭富士が1989年1月場所から同年5月場所までの間に14勝(同点)、13勝(次点)、13勝(同点)と好成績を続けて3場所合計40勝という星取りを達成したことに対し、柏戸の場合は1961年5月場所から9月場所にかけて10勝、11勝、12勝(同点)で合計33勝どまりであった。加えて柏戸の場合は昇進前3場所中直前場所以外は次点にも及ばず、これも批判の対象となった。

    ^ 柏戸の弟子である多賀竜の弟子、つまり柏戸の孫弟子。

    ^ 柏戸の弟弟子である藤ノ川の直弟子(2011年に代替わりし、2014年当時の師匠は北勝鬨)、つまり柏戸の甥弟子。

    ^ 大鵬・明武谷と優勝決定戦

    ^ 右肩関節及び右上膊骨分離骨折・右肘関節挫傷により6日目から途中休場

    ^ 右肩鎖骨骨折により12日目から途中休場

    ^ 左肩関節捻挫・左烏喙突起損傷により6日目から途中休場

    ^ 急性糖尿病・肝機能障害・左肩胛骨脱臼により6日目から途中休場

    ^ 佐田の山・明武谷と優勝決定戦

    ^ 左足首関節捻挫により2日目から途中休場

    ^ 大鵬と優勝決定戦

    ^ 右肩胛骨挫傷により8日目から途中休場

    ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p28

    ^ 朝日新聞1961年9月27日付朝刊社会面

    ^ 朝日新聞1961年9月25日付朝刊

    ^ 雑誌『相撲』別冊菊花号 創業70周年特別企画シリーズ(3)柏鵬時代 柔の大鵬 剛の柏戸――大型横綱たちの君臨(ベースボールマガジン社、2016年) p42-47

    ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p62

    ^ 雑誌『相撲』別冊菊花号 創業70周年特別企画シリーズ(3)柏鵬時代 柔の大鵬 剛の柏戸――大型横綱たちの君臨(ベースボールマガジン社、2016年) p36-37

    ^ 雑誌『相撲』別冊菊花号 創業70周年特別企画シリーズ(3)柏鵬時代 柔の大鵬 剛の柏戸――大型横綱たちの君臨(ベースボールマガジン社、2016年) p38-41

    ^ 大鵬 2001, pp. 128–129.

    ^ 大鵬 2001, p. 129.

    ^ 大鵬 2001, pp. 129–130.

    ^ 大鵬 2001, p. 131.

    ^ 「大相撲」1963年4月号

    ^ 『早わかり!角界戦国時代 大相撲痛快ハンドブック』(KKベストセラーズ:1991年発行)110ページ。

    ^ 視点・論点「大鵬の時代」NHK解説委員会 2013年02月06日(水)東京工業大学名誉教授・芳賀綏の記述

    ^ 『相撲』1962年1月号

    ^ 月刊『相撲』平成23年9月号掲載

    ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p72

    ^ 柏戸剛 (1938-1996) : 有名人の墓巡り~昭和の著名人と出会う旅~

    ^ 「鏡山部屋が閉鎖、所属全員が伊勢ノ海部屋へ転属」『デイリースポーツ』2021年7月21日。2021年7月22日閲覧。

    ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p52

    ^ 講演「可能性への挑戦」2001/10/30 舞の海 秀平(まいのうみ しゅうへい)東海村文化センター

    ^ 芸能界の “最強スー女” が語る「令和の相撲界」談義に友綱親方が参戦!(2/4ページ) 週刊女性PRIME (週刊女性2019年5月21・28日号より)2019/5/11(主婦と生活社、2019年5月12日閲覧)

    大鵬幸喜『巨人、大鵬、卵焼き 私の履歴書』日本経済新聞社、2001年2月19日。ISBN 4-532-16377-3。 

    横綱一覧

    大鵬幸喜 - 揃って横綱に昇進し、柏鵬時代を築いた。

    櫻錦利一 - 岳父

    大相撲優勝力士一覧

    山形県出身の人物一覧

    えびすこ

    横綱柏戸記念館 - 鶴岡市観光連盟

    柏戸剛 - NHK人物録

    柏戸の真実|荘内日報社

    高見山酉之助

    常陸山谷右エ門

    太刀山峯右エ門

    鳳谷五郎

    両國勇治郎

    西ノ海嘉治郎 (2代)

    大錦卯一郎

    栃木山守也

    常ノ花寛市

    鶴ヶ濱増太郎

    西ノ海嘉治郎 (3代)

    大蛇山酉之助

    宮城山福松

    常陸岩英太郎

    能代潟錦作

    玉錦三右エ門

    豊國福馬

    山錦善治郎

    武藏山武

    綾櫻由太郎

    清水川元吉

    沖ツ海福雄

    男女ノ川登三

    双葉山定次

    出羽湊利吉

    安藝ノ海節男

    羽黒山政司

    佐賀ノ花勝巳

    前田山英五郎

    備州山大八郎

    東富士欽壹

    増位山大志郎

    千代の山雅信

    照國萬藏

    栃錦清隆

    鏡里喜代治

    時津山仁一

    吉葉山潤之輔

    三根山隆司

    朝潮太郎 (3代)

    若乃花幹士 (初代)

    安念山治

    玉乃海太三郎

    若羽黒朋明

    若三杉彰晃

    大鵬幸喜

    柏戸剛

    佐田の山晋松

    栃ノ海晃嘉

    北葉山英俊

    富士錦猛光

    北の富士勝昭

    若浪順

    玉の海正洋

    琴櫻傑將

    清國勝雄

    栃東知頼

    長谷川勝敏

    輪島大士

    高見山大五郎

    北の湖敏満

    魁傑將晃

    貴ノ花健士

    金剛正裕

    三重ノ海剛司

    若乃花幹士 (2代)

    千代の富士貢

    琴風豪規

    隆の里俊英

    北天佑勝彦

    若嶋津六夫

    多賀竜昇司

    朝潮太郎 (4代)

    北勝海信芳

    大乃国康

    旭富士正也

    小錦八十吉

    霧島一博

    琴富士孝也

    琴錦功宗

    貴乃花光司

    曙太郎

    水戸泉政人

    若乃花勝

    武蔵丸光洋

    貴ノ浪貞博

    千代大海龍二

    出島武春

    武双山正士

    貴闘力忠茂

    魁皇博之

    琴光喜啓司

    栃東大裕

    朝青龍明徳

    白鵬翔

    琴欧洲勝紀

    日馬富士公平

    把瑠都凱斗

    旭天鵬勝

    鶴竜力三郎

    照ノ富士春雄

    琴奨菊和弘

    豪栄道豪太郎

    稀勢の里寛

    栃ノ心剛史

    御嶽海久司

    貴景勝貴信

    玉鷲一朗

    朝乃山英樹

    德勝龍誠

    正代直也

    大栄翔勇人

    若隆景渥

    逸ノ城駿

    阿炎政虎

    霧島鐵力

    豊昇龍智勝

    尊富士弥輝也

    大の里泰輝

    一覧

    年代は初優勝、しこ名は最後の優勝時。

    1957 栃錦清隆

    1958 若乃花幹士

    1959 栃錦清隆

    1960 大鵬幸喜

    1961 大鵬幸喜

    1962 大鵬幸喜

    1963 大鵬幸喜

    1964 大鵬幸喜

    1965 佐田の山晋松

    1966 柏戸剛

    1967 大鵬幸喜 / 柏戸剛

    1968 玉乃島正夫

    1969 北の富士勝昭

    1970 北の富士勝昭 / 玉の海正洋

    1971 北の富士勝昭

    1972 輪島大士

    1973 輪島大士

    1974 北の湖敏満

    1975 北の湖敏満

    1976 輪島大士

    1977 北の湖敏満

    1978 北の湖敏満

    1979 北の湖敏満

    1980 北の湖敏満

    1981 北の湖敏満

    1982 千代の富士貢

    1983 隆の里俊英

    1984 若嶋津六夫

    1985 千代の富士貢

    1986 千代の富士貢

    1987 北勝海信芳

    1988 旭富士正也

    1989 北勝海信芳

    1990 旭富士正也

    1991 霧島一博

    1992 貴花田光司

    1993 曙太郎

    1994 貴乃花光司

    1995 貴乃花光司

    1996 貴乃花光司

    1997 貴乃花光司

    1998 若乃花勝

    1999 武蔵丸光洋

    2000 曙太郎

    2001 武蔵丸光洋

    2002 朝青龍明徳

    2003 朝青龍明徳

    2004 朝青龍明徳

    2005 朝青龍明徳

    2006 朝青龍明徳

    2007 白鵬翔

    2008 白鵬翔

    2009 白鵬翔

    2010 白鵬翔

    2011 白鵬翔

    2012 白鵬翔

    2013 白鵬翔

    2014 白鵬翔

    2015 白鵬翔

    2016 稀勢の里寛

    2017 白鵬翔

    2018 栃ノ心剛史

    2019 朝乃山英樹

    2020 貴景勝光信

    2021 照ノ富士春雄

    2022 若隆景渥

    2023 霧島鐵力

    初代明石志賀之助

    2代綾川五郎次

    3代丸山権太左衛門

    4代谷風梶之助

    5代小野川喜三郎

    6代阿武松緑之助

    7代稲妻雷五郎

    8代不知火諾右衛門

    9代秀ノ山雷五郎

    10代雲龍久吉

    11代不知火光右衛門

    12代陣幕久五郎

    13代鬼面山谷五郎

    14代境川浪右衛門

    15代梅ヶ谷藤太郎(初代)

    16代西ノ海嘉治郎(初代)

    17代小錦八十吉

    18代大砲万右エ門

    19代常陸山谷右エ門

    20代梅ヶ谷藤太郎(2代)

    21代若嶌權四郎

    22代太刀山峯右エ門

    23代大木戸森右エ門

    24代鳳谷五郎

    25代西ノ海嘉治郎(2代)

    26代大錦卯一郎

    27代栃木山守也

    28代大錦大五郎

    29代宮城山福松

    30代西ノ海嘉治郎(3代)

    31代常ノ花寛市

    32代玉錦三右エ門

    33代武藏山武

    34代男女ノ川登三

    35代双葉山定次

    36代羽黒山政司

    37代安藝ノ海節男

    38代照國萬藏

    39代前田山英五郎

    40代東富士欽壹

    41代千代の山雅信

    42代鏡里喜代治

    43代吉葉山潤之輔

    44代栃錦清隆

    45代若乃花幹士(初代)

    46代朝潮太郎

    47代柏戸剛

    48代大鵬幸喜

    49代栃ノ海晃嘉

    50代佐田の山晋松

    51代玉の海正洋

    52代北の富士勝昭

    53代琴櫻傑將

    54代輪島大士

    55代北の湖敏満

    56代若乃花幹士(2代)

    57代三重ノ海剛司

    58代千代の富士貢

    59代隆の里俊英

    60代双羽黒光司

    61代北勝海信芳

    62代大乃国康

    63代旭富士正也

    64代曙太郎

    65代貴乃花光司

    66代若乃花勝

    67代武蔵丸光洋

    68代朝青龍明徳

    69代白鵬翔

    70代日馬富士公平

    71代鶴竜力三郎

    72代稀勢の里寛

    73代照ノ富士春雄

    雷電爲右エ門

    161代 能代潟錦作

    162代 常陸岩英太郎

    163代 豊國福馬

    164代 玉錦三右エ門

    165代 武藏山武

    166代 清水川元吉

    167代 男女ノ川登三

    168代 双葉山定次

    169代 鏡岩善四郎

    170代 前田山英五郎

    171代 羽黒山政司

    172代 安藝ノ海節男

    173代 五ツ嶋奈良男

    174代 照國万蔵

    175代 名寄岩静男

    176代 佐賀ノ花勝巳

    177代 東冨士謹一

    178代 汐ノ海運右衛門

    179代 増位山大志郎

    180代 千代ノ山雅信

    181代 吉葉山潤之輔

    182代 鏡里喜代治

    183代栃錦清隆

    184代 三根山隆司

    185代 大内山平吉

    186代 松登晟郎

    187代 若乃花勝治

    188代 朝汐太郎

    189代 琴ヶ濱貞雄

    190代 若羽黒朋明

    191代 柏戸剛

    192代 大鵬幸喜

    193代 北葉山英俊

    194代 佐田の山晋松

    195代 栃ノ海晃嘉

    196代 栃光正之

    197代 豊山勝男

    198代 北の富士勝昭

    199代 玉乃島正夫

    200代 琴櫻傑將

    201代 清國勝雄

    202代 前の山太郎

    203代 大麒麟將能

    204代 輪島大士

    205代 貴ノ花利彰

    206代 大受久晃

    207代 北の湖敏満

    208代 魁傑將晃

    209代 三重ノ海剛司

    210代 旭國斗雄

    211代 若三杉壽人

    212代 増位山太志郎

    213代 千代の富士貢

    214代 琴風豪規

    215代 隆の里俊英

    216代 若嶋津六夫

    217代 朝潮太郎

    218代 北天佑勝彦

    219代 大乃国康

    220代 北尾光司

    221代 北勝海信芳

    222代 小錦八十吉

    223代 旭富士正也

    224代 霧島一博

    225代 曙太郎

    226代 貴ノ花光司

    227代 若ノ花勝

    228代 貴ノ浪貞博

    229代 武蔵丸光洋

    230代 千代大海龍二

    231代 出島武春

    232代 武双山正士

    233代 雅山哲士

    234代 魁皇博之

    235代 栃東大裕

    236代 朝青龍明徳

    237代 琴欧洲勝紀

    238代 白鵬翔

    239代 琴光喜啓司

    240代 日馬富士公平

    241代 把瑠都凱斗

    242代 琴奨菊和弘

    243代 稀勢の里寛

    244代 鶴竜力三郎

    245代 豪栄道豪太郎

    246代 照ノ富士春雄

    247代 髙安晃

    248代 栃ノ心剛史

    249代 貴景勝貴信

    250代 朝乃山英樹

    251代 正代直也

    252代 御嶽海久司

    253代 霧島鐵力

    254代 豊昇龍智勝

    255代 琴櫻将傑

    256代 大の里泰輝

    春日由三

    吉本明光

    中山晋平

    春日由三

    吉川義雄

    春日由三

    吉川義雄

    川村専一

    狩野近雄

    河上英一

    笹本恭彦

    明瀬裕

    池田太郎

    牧定忠

    春日由三

    吉川義雄

    渋沢秀雄

    横山隆一

    西崎緑

    貝谷八百子

    田付辰子

    メイ牛山

    春日由三

    吉川義雄

    岩田専太郎

    勅使河原蒼風

    千代の山雅信

    小山いと子

    吉村公三郎

    市川翠穂

    マヤ片岡

    春日由三

    吉川義雄

    三國連太郎

    小西得郎

    栃錦清隆

    青木茂高

    河上牧子

    水木洋子

    坂西志保

    田村佐紀子

    吾妻徳穂

    吉川義雄

    田中角栄

    菊田一夫

    若乃花勝治

    金田正一

    奥むめお

    森田たま

    細川ちか子

    近藤百合子

    吉川義雄

    横山泰三

    水原茂

    稲垣浩

    朝汐太郎

    沢田美喜

    杉村春子

    戸川エマ

    赤堀全子

    吉川義雄

    木下惠介

    大宅壮一

    杉浦幸雄

    若羽黒朋明

    長谷川春子

    大濱英子

    榊淑子

    谷桃子

    吉川義雄

    秋山登

    唐島基智三

    柏戸剛

    松本幸四郎

    中村汀女

    田中絹代

    秋山ちえ子

    江上トミ

    長沢泰治

    土門拳

    高田元三郎

    仲代達矢

    大鵬幸喜

    和田夏十

    勅使河原霞

    村山リウ

    森光子

    長沢泰治

    工藤昭四郎

    東郷青児

    森英恵

    大山康晴

    山内一弘

    佐田の山晋松

    藤間紫

    岡田茉莉子

    十返千鶴子

    浪花千栄子

    長沢泰治

    細川隆元

    丹羽文雄

    實川延若

    中西太

    栃ノ海晃嘉

    飯田蝶子

    貞閑晴

    新珠三千代

    花柳壽輔

    佐久間良子

    長沢泰治

    大林清

    北葉山英俊

    林与一

    古賀忠道

    春風亭柳橋

    岩下志麻

    司葉子

    長谷川町子

    林美智子

    吉屋信子

    坂本朝一

    円地文子

    安達曈子

    入江美樹

    藤村志保

    小絲源太郎

    松下幸之助

    ファイティング原田

    緒形拳

    坂本朝一

    樫山文枝

    五代利矢子

    浜美枝

    山崎豊子

    大佛次郎

    尾上菊之助

    加藤芳郎

    鶴ヶ嶺昭男

    中山卯郎

    福島慎太郎

    木村秀政

    西本幸雄

    石坂浩二

    福原美和

    栗原小巻

    塩月弥栄子

    平岩弓枝

    中山卯郎

    江夏豊

    王馬熙純

    榊原仟

    鈴木俊一

    曽野綾子

    高田敏子

    藤田弓子

    三船敏郎

    中山卯郎

    浅丘ルリ子

    市川海老蔵

    今井通子

    大谷直子

    菅野義丸

    佐藤愛子

    鶴岡一人

    平幹二朗

    中道定雄

    坂東玉三郎

    樋口久子

    小林弘

    三田佳子

    志村喬

    武原はん

    玉の海正洋

    中山律子

    仲代達矢

    小野田勇

    浪花家辰造

    大場政夫

    宇田川竜男

    堀内寿子

    大山英子

    村山加代子

    中山きよ子

    樫山文枝

    山口果林

    高橋信雄

    山下迪子

    館弘子

    石田芳夫

    中山紀子

    井沢つま

    森戸辰男

    溝尾正志

    花本方美

    為久優子

    成田知子

    桑田たつ子

    村上巳里

    山下誠

    小川善三郎

    河野久枝

    桑原永子

    田川由紀子

    佐藤太圭子

    山田三智穂

    大谷豊二

    高橋優子

    貴ノ花利彰

    赤塚洋文

    平内義幸

    富岡雅寛

    平賀輝子

    中川時子

    加藤稔

    池内淳子

    中原誠

    森英恵

    小林桂樹

    中村汀女

    井上ひさし

    中野貴代

    神田好武

    真木洋子

    輪島大士

    高橋洋子

    生沼スミエ

    棟方志功

    村上元三

    京マチ子

    サトウサンペイ

    高田ユリ

    尾上菊五郎

    寺島純子

    北の湖敏満

    根本良夫

    橋本明治

    杉村春子

    尾上松緑

    栗原小巻

    堀江謙一

    檀ふみ

    魁傑將晃

    新垣留美子

    根本良夫

    尾上梅幸

    高橋展子

    吉永小百合

    加藤剛

    三林京子

    大竹しのぶ

    古葉竹識

    三重ノ海五郎

    池田彌三郎

    浅丘ルリ子

    中村梅之助

    小野清子

    村上隆

    堤加蓉子

    カロリーナ・ピレス・ド・リオ

    若三杉壽人

    川上哲治

    川口幹夫

    市川染五郎

    上田利治

    旭國斗雄

    水島新司

    川橋幸子

    橋田壽賀子

    新井春美

    竹下景子

    川口幹夫

    北の湖敏満

    岩下志麻

    植村直己

    八千草薫

    安奈淳

    森和人

    森下洋子

    山本浩二

    加藤好雄

    若山富三郎

    ミヤコ蝶々

    菅原文太

    大原麗子

    松本零士

    重兼芳子

    古葉竹識

    多岐川裕美

    加藤好雄

    松本幸四郎

    陳舜臣

    佐久間良子

    木田勇

    向田邦子

    島田陽子

    鈴木喜久子

    角田好雄

    渡辺一雄

    石毛宏典

    古手川祐子

    緒形拳

    花井幸子

    倉本昌弘

    森光子

    坂田栄男

    高橋洋子

    秋竜山

    澤地久枝

    香川宏

    生沼スミエ

    玉の海梅吉

    森英恵

    山藤章二

    池上季実子

    広岡達朗

    村松友視

    真野響子

    滝田栄

    橋田壽賀子

    前橋汀子

    市川猿之助

    香川宏

    三船敏郎

    松本幸四郎

    大原麗子

    田淵幸一

    樋口久子

    松坂慶子

    田中裕子

    隆の里俊英

    谷川浩司

    林真理子

    胡桃沢耕史

    宮尾登美子

    山口小夜子

    役所広司

    菊池綜一

    江上由美

    釜本邦茂

    名取裕子

    風間杜夫

    石井幹子

    連城三紀彦

    里中満智子

    衣笠祥雄

    松坂慶子

    市川海老蔵

    遠藤利男

    三田佳子

    中村吉右衛門

    高野悦子

    小池一夫

    武原はん

    ジェームス三木

    山口洋子

    吉田義男

    大地真央

    北尾光司

    中野正之

    森光子

    清原和博

    森下洋子

    雁屋哲

    黒柳朝

    加藤芳郎

    山崎洋子

    渡辺謙

    加納みゆき

    千代の富士貢

    吉岡利夫

    若尾文子

    中井貴一

    森瑤子

    江藤俊哉

    俵万智

    逢坂剛

    森口祐子

    近藤真一

    若村麻由美

    北勝海信芳

    今西陽一郎

    三田佳子

    片岡孝夫

    伊藤京子

    森祇晶

    浅野温子

    安野光雅

    伊勢桃代

    新井満

    山口智子

    千代の富士貢

    沖清司

    千代の富士貢

    いしだあゆみ

    ねじめ正一

    小林浩美

    中村勘九郎

    村崎芙蓉子

    西田敏行

    石岡瑛子

    斎藤雅樹

    渡辺梓

    沖清司

    山本陽子

    中村鴈治郎

    諏訪内晶子

    野田秀樹

    コシノジュンコ

    渡辺久信

    森口祐子

    松岡修造

    沢口靖子

    真田広之

    小林由紀子

    増井光子

    山崎豊子

    秋山幸二

    芦原すなお

    荻野アンナ

    若花田勝

    貴花田光司

    緒形直人

    鷲尾いさ子

    田中好子

    内林達夫

    有森裕子

    曙太郎

    古賀稔彦

    富司純子

    中田久美

    野茂英雄

    村上弘明

    伊藤みどり

    森光子

    高橋克彦

    松尾武

    三田佳子

    米長邦雄

    市川團十郎

    細川直美

    筒井道隆

    つみきみほ

    松原敏春

    平瀬真由美

    宮尾登美子

    川淵三郎

    内館牧子

    田村亮子

    植木等

    野村克也

    中丸三千繪

    古田敦也

    ミヤコ蝶々

    曙太郎

    古橋廣之進

    大林素子

    松尾武

    イチロー

    赤井英和

    奥野史子

    岩下志麻

    羽生善治

    南井克巳

    賀来千香子

    川本ゆかり

    市川崑

    森光子

    上田洋一

    古田敦也

    田村亮子

    天海祐希

    竹中直人

    原辰徳

    水谷八重子

    中村紘子

    ジョージ川口

    柳家小さん

    大石芳野

    上田洋一

    有森裕子

    川口能活

    江角マキコ

    仰木彬

    清水市代

    中村橋之助

    森英恵

    桂米朝

    大石静

    周防正行

    大橋晴夫

    井原正巳

    吉永小百合

    片岡仁左衛門

    伊藤みどり

    佐々木主浩

    佐藤夕美子

    本木雅弘

    篠田節子

    谷川浩司

    吉行あぐり

    大橋晴夫

    清水宏保

    藤原紀香

    琴錦功宗

    中村玉緒

    松平健

    俵万智

    ジェームス三木

    服部道子

    熊川哲也

    浅利純子

    伊東律子

    出島武春

    松嶋菜々子

    内館牧子

    野村萬斎

    田村亮子

    津川雅彦

    草笛光子

    阿久悠

    福嶋晃子

    乙武洋匡

    伊東律子

    田村亮子

    長嶋茂雄

    高橋尚子

    渡辺謙

    池内淳子

    佐々木主浩

    岡本綾

    井上康生

    木村佳乃

    内藤國雄

    出田幸彦

    栃東大裕

    川原亜矢子

    室伏広治

    竹田恆和

    松岡佑子

    唐沢寿明

    平良とみ

    天海祐希

    藤田宜永

    森下洋子

    出田幸彦

    朝青龍明徳

    米倉涼子

    市川新之助

    阿川佐和子

    宮本恒靖

    仲間由紀恵

    高橋由伸

    恩田美栄

    岩合光昭

    岸惠子

    中村季恵

    浅野ゆう子

    五木寛之

    優香

    三谷幸喜

    村山由佳

    末續慎吾

    村主章枝

    武田真治

    有馬稲子

    星野仙一

    中村季恵

    野口みずき

    野村忠宏

    橋田壽賀子

    中村勘九郎

    荒川静香

    滝沢秀明

    高島礼子

    和田一浩

    森光子

    日野原重明

    琴欧州勝紀

    薬師丸ひろ子

    野口聡一

    長澤まさみ

    山田洋次

    森光子

    上川隆也

    眞鍋かをり

    林家正蔵

    栗原はるみ

    渡辺謙

    阿木燿子

    リリー・フランキー

    藤山直美

    内野聖陽

    横峯さくら

    田口壮

    吉田都

    鎌田實

    瀬戸内寂聴

    宮﨑あおい

    上田桃子

    岡島秀樹

    青木功

    中村勘三郎

    新垣結衣

    茂木健一郎

    坂東眞理子

    陣内智則

    藤原紀香

    本木雅弘

    吉田沙保里

    太田雄貴

    高橋尚子

    松本幸四郎

    松坂慶子

    姜尚中

    堀北真希

    妻夫木聡

    上野由岐子

    白鵬翔

    草刈民代

    阿部寛

    深田恭子

    原辰徳

    勝間和代

    城田優

    杉山愛

    西田敏行

    森光子

    野口聡一

    湊かなえ

    岩崎夏海

    寺島しのぶ

    髙橋大輔

    上野樹里

    伊勢谷友介

    仲間由紀恵

    北大路欣也

    武良布枝

    大竹しのぶ

    田中将大

    コシノジュンコ

    三谷幸喜

    鈴木京香

    佐々木則夫

    鈴木明子

    松山ケンイチ

    松井冬子

    琴奨菊和弘

    綾瀬はるか

    尾木直樹

    澤穂希

    中村勘九郎

    樹木希林

    桂文枝

    吉田沙保里

    入江陵介

    菅野よう子

    日馬富士公平

    田中将大

    滝川クリステル

    宮藤官九郎

    宮本信子

    杉良太郎

    風吹ジュン

    岡田准一

    片岡愛之助

    阿川佐和子

    中園ミホ

    尾上松也

    蜷川実花

    山中伸弥

    井上真央

    阿部寛

    仲間由紀恵

    タモリ

    黒柳徹子

    羽生結弦

    堺雅人

    長澤まさみ

    大泉洋

    土屋太鳳

    三宅宏実

    上橋菜穂子

    所ジョージ

    有村架純

    又吉直樹

    高畑充希

    辻沙絵

    草刈正雄

    新垣結衣

    大谷翔平

    萩野公介

    伊調馨

    秋本治

    春風亭昇太

    村田沙耶香

    村田諒太

    村上茉愛

    加藤一二三

    吉岡里帆

    高橋一生

    宮本信子

    鈴木亮平

    林真理子

    阿部サダヲ

    安藤サクラ

    池江璃花子

    小平奈緒

    佐藤健

    出川哲朗

    永野芽郁

    中村勘九郎

    夏井いつき

    野村萬斎

    長谷部誠

    井上尚弥

    上沼恵美子

    サンドウィッチマン

    渋野日向子

    瀬戸大也

    田中圭

    戸田恵梨香

    中西麻耶

    長谷川博己

    広瀬すず

    吉野彰

    黒柳徹子

    サンドウィッチマン

    杉咲花

    染谷将太

    チコちゃん

    宮崎美子

    宮本亞門

    室伏広治

    吉沢亮

    石川佳純

    清原果耶

    小池栄子

    坂口健太郎

    谷真海

    三谷幸喜

    芦田愛菜

    黒柳徹子

    西村宏堂

    羽生結弦

    坂東彌十郎

    福原遥

    松本潤

    村上宗隆

    森保一

    吉田都

    北口榛花

    国枝慎吾

    堺雅人

    俵万智

    寺島しのぶ

    寺田宜弘

    バカリズム

    吉高由里子

    ISNI

    VIAF

    日本

    1938年生

    山形県出身の人物

    山形県出身の大相撲力士

    NHK紅白歌合戦審査員

    高校相撲部出身の大相撲力士

    日本相撲協会の役員

    横綱

    伊勢ノ海部屋

    山形県立鶴岡南高等学校出身の人物

    鏡山部屋

    従五位受位者

    勲四等旭日小綬章受章者

    1996年没

    谷中霊園に埋葬されている人物

    ウィキデータと異なるNHK人物録ID

    ISNI識別子が指定されている記事

    VIAF識別子が指定されている記事

    NDL識別子が指定されている記事

2024/11/21 12:24更新

kashiwado tsuyoshi


柏戸剛と同じ誕生日11月29日生まれ、同じ山形出身の人

神保 光太郎(じんぼ こうたろう)
1905年11月29日生まれの有名人 山形出身

神保 光太郎(じんぼ こうたろう、1905年11月29日 - 1990年10月24日)は、昭和期の日本の詩人・ドイツ文学者。本名は光太郎(みつたろう)(姓の読みを「じんぼう」とする文献もある)。 山…

佐藤 誠六(さとう せいろく)
1930年11月29日生まれの有名人 山形出身

佐藤 誠六(さとう せいろく、1930年(昭和5年)11月29日 - 2018年(平成30年)10月27日)は、日本の政治家。元山形県寒河江市長(6期)。 山形県立寒河江高等学校卒業後、山形大学から…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


柏戸剛と近い名前の人

柏戸 秀剛(かしわど ひでたけ)
1918年5月3日生まれの有名人 青森出身

柏戸 秀剛(かしわど ひでたけ、1918年5月3日 - 1982年12月11日)は、岩手県九戸郡種市町(現・洋野町)出身で伊勢ノ海部屋(当初は 春日山部屋、後に錦島部屋)に所属した大相撲力士。本名は佐…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
柏戸剛
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

Da-iCE A.B.C-Z HEADS FLAME GALETTe さんみゅ~ Travis Japan BABYMETAL WEST. 放課後プリンセス 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「柏戸剛」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました