水野忠邦の情報(みずのただくに) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
水野 忠邦さんについて調べます
■名前・氏名 |
水野忠邦と関係のある人
有川博: 天晴れ夜十郎(1996 ‐ 1997年) ‐ 水野忠邦 佐藤藤佐: 天保11年(1840年)、老中水野忠邦の画策により庄内藩が絡む三方領知替えが発生し、庄内の人々が激しく反発すると(天保義民事件)、藤佐はこれを撤回させるべく、知己である江戸の南町奉行矢部定謙らを通じて幕府に転封の不可を訴えるが、反対に農民の直訴を教唆した疑いで訟廷に召喚される。 高野真二: 江戸を斬るVIII(1994年) - 水野忠邦 長野里美: 大奥 (2023年のテレビドラマ)(2023年) - 水野忠邦 役 川路聖謨: 水野忠邦が天保の改革で挫折して失脚した後、奈良奉行に左遷されている。 瑳川哲朗: 騎馬奉行がゆく(1995年、日本テレビ) - 水野忠邦 佐藤藤佐: その後、この件で矢部は水野忠邦の恨みを買ったため、冤罪を被せられ失脚したのち、幽閉先で病死した(自らの意思で絶食死したとの説もある)。 石山律雄: また又・三匹が斬る! 第21話「さらば三匹!今宵お命頂戴致す!!」(1991年) - 水野忠邦 高橋由一: 水野忠邦の下で若年寄を務めあげた堀田は、洋画や蘭学に通じた開明的な人物であり、由一の人格形成に多大な影響を与えていたと見られている。 石山輝夫: また又・三匹が斬る! 第21話「さらば三匹!今宵お命頂戴致す!!」(1991年) - 水野忠邦 中村育二: 駆込み女と駆出し男(2015年、原田眞人監督、松竹) - 水野忠邦 役 仲台吉一: ニューギン「CR眠狂四郎」(水野忠邦) 白井滋郎: 小吉の女房(2019年、NHK BSプレミアム / ユニオン映画) - 水野忠邦 御木本伸介: 大奥(1968年) - 水野忠邦 徳川家斉: 天保5年(1834年)に忠成が死去すると、寺社奉行・京都所司代から西丸老中となった水野忠邦がその後任となる。 徳川家斉: 家斉の死後、その側近政治は幕政の実権を握った水野忠邦に否定されて、旗本・若年寄ら数人が罷免・左遷される。 川路聖謨: その後、佐渡奉行を経て、老中・水野忠邦時代の小普請奉行、普請奉行として改革に参与した(このころ、名を萬福から聖謨に改む)。 栗塚旭: 第9話「新入り女中大活躍」・第10話「女と男の決斗」(1970年) - 水野忠邦 / 清七 徳川斉昭: 斉昭の改革は、水野忠邦の天保の改革に示唆を与えたといわれる。 仲谷昇: 天下堂々(1973 - 1974年、NHK) - 水野忠邦 山村聰: 若大将天下ご免!(1987年) - 水野忠邦 徳川家慶: また老中首座・水野忠邦を重用し、家斉派を粛清して天保の改革を行わせた。 内田朝雄: いれずみ判官(1965年、東映) - 水野忠邦 菅原大吉: 名奉行!遠山の金四郎(2017年 - ) - 水野忠邦 役 安井昌二: 眠狂四郎無頼控 第19話「毒牙を隠した花嫁」(1983年、TX / 歌舞伎座テレビ)- 水野忠邦 勝部演之: 土曜時代劇 / オトコマエ!2(2009年、NHK) - 水野忠邦 中村竹弥: 遠山の金さん 杉良太郎版 第57話「ギヤマン飾りの女」(1976年、NET / 東映) - 水野忠邦 後藤光次: そのあとを継いだ十三代三右衛門光亨は水野忠邦の側近となり、天保の改革における改鋳事業に参画した。 渡辺崋山: 江川は老中水野忠邦にかばわれて無事だったが、崋山は家宅捜索の際に発表を控えていた『慎機論』が発見され、陪臣の身で国政に容喙したということで、田原で蟄居することとなった。 |
水野忠邦の情報まとめ
水野 忠邦(みずの ただくに)さんの誕生日は1794年7月19日です。東京出身の政治家のようです。
兄弟、解散、病気、事件、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。1851年に亡くなられているようです。
水野忠邦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)水野 忠邦(みずの ただくに)は、日本の江戸時代後期の大名、江戸幕府老中。肥前国唐津藩主、のち遠江国浜松藩主。天保の改革の指導者。 寛政6年(1794年)6月23日、唐津藩第3代藩主・水野忠光の次男として生まれる。母・恂は風月堂初代喜右衛門の養女で、忠邦を生んだあと風月堂へ戻り二代喜右衛門の妻となったため、忠邦と三代風月堂は異父兄弟となる。長兄の芳丸が早世したため、文化2年(1805年)に唐津藩の世子となり、2年後の同4年(1807年)に第11代将軍・徳川家斉と世子・家慶に御目見する。そして従五位下・式部少輔に叙位・任官した。 文化9年(1812年)に父・忠光が隠居したため、家督を相続する。 忠邦は幕閣として昇進する事を強く望み、多額の費用を使っての猟官運動(俗にいう賄賂)の結果、文化13年(1816年)に奏者番となる。忠邦は奏者番以上の昇格を望んだが、唐津藩が長崎警備の任務を負うことから昇格に障害が生じると知るや、家臣の諫言を押し切って翌文化14年(1817年)9月、実封25万3,000石の唐津から実封15万3,000石の浜松藩への転封を自ら願い出て実現させた。この国替顛末の時、水野家家老・二本松義廉が忠邦に諌死をして果てている。また唐津藩から一部幕府領に召し上げられた地域があり、地元民には国替えの工作のための賄賂として使われたのではないかという疑念と、幕府領の年貢の取立てが厳しかったことから、後年まで恨まれている。 この国替えにより忠邦の名は幕閣に広く知れ渡り、これにより同年に寺社奉行兼任となる。幕府の重臣となったことで、むしろ他者から猟官運動の資金(賄賂)を受け取る立場となり、家臣たちの不満もある程度和らげる事ができた。 その後、将軍・家斉のもとで頭角を現し、文政8年(1825年)に大坂城代となり、従四位下に昇位する。文政9年(1826年)に京都所司代となって侍従・越前守に昇叙し、11年に西の丸老中となって将軍世子・徳川家慶の補佐役を務めた。 天保5年(1834年)に水野忠成が病没したため、代わって本丸老中に任ぜられ、同8年(1837年)に勝手御用掛を兼ねて、同10年(1839年)に老中首座となった。 忠邦は異国船が日本近海に相次いで出没して日本の海防を脅かす一方、年貢米収入が激減しているにもかかわらず、大御所政治のなか、放漫な財政に打つ手を見出せない幕府に強い危機感を抱いていたとされる。しかし、家斉在世中は水野忠篤、林忠英、美濃部茂育(3人を総称して天保の三侫人という)をはじめ家斉側近が権力を握っており、忠邦は改革を開始できなかった。 天保8年(1837年)4月に家慶が第12代将軍に就任し、ついで1841年(天保12年)閏1月に大御所・家斉の薨去を経て、家斉旧側近を罷免し、遠山景元、矢部定謙、岡本正成、鳥居耀蔵、渋川敬直、後藤三右衛門を登用して天保の改革に着手した。天保の改革では「享保・寛政の政治に復帰するように努力せよ」との覚書を申し渡し「法令雨下」と呼ばれるほど多くの法令を定めた。 農村から多数農民が逃散して江戸に流入している状況に鑑み、農村復興のため人返し令を発し、弛緩した大御所時代の風を矯正すべく奢侈禁止・風俗粛正を命じ、また、物価騰貴は株仲間に原因ありとして株仲間の解散を命じる低物価政策を実施したが、その一方で低質な貨幣を濫造して幕府財政の欠損を補う政策をとったため、物価引下げとは相反する結果をもたらした。また、天保14年(1843年)9月に上知令を断行しようとして大名・旗本の反対に遭うなどした上、腹心の鳥居が上知令反対派の老中・土井利位に寝返って機密文書を渡すなどしたため、閏9月13日に老中を罷免されて失脚した。 改革はあまりに過激で庶民の怨みを買ったとされ、寺院にあった木魚を乱打しながら「水野は叩くに(忠邦)もってこいの木魚だ」と歌われたという。失脚した際には、暴徒化した江戸市民から自邸を投石されるなどの襲撃を受け、「ふる石や瓦とびこむ水の(水野)家」と川柳に詠まれている。天保の改革の一環であった印旛沼干拓工事も普請中止となり、こちらは「印旛沼堀田かいなし水野(水の)あわ」と川柳に詠まれた。 弘化元年(1844年)5月、江戸城本丸が火災により焼失した。老中首座・土井利位はその再建費用としての諸大名からの献金を充分には集められなかったことから将軍家慶の不興を買い、6月21日に家慶は外国問題の紛糾などを理由に忠邦を老中首座に再任した。しかし昔日の面影は無く、重要な任務を与えられるわけでもなかったため、御用部屋でもぼんやりとしている日々が多く、目付の久須美祐雋の記録では「木偶人御同様」(木偶の坊のようである)とされていた。同年7月からは頭痛・下痢・腰痛・発熱などの病気を理由としてたびたび欠勤した後、12月からは癪を理由として長期欠勤し、老中を辞職する弘化2年(1845年)2月まで勤めを休んだ。その一方で天保改革時代に自分を裏切った土井や鳥居らに報復をしたりしている。土井は自ら老中を辞任。鳥居は全ての役職を罷免された。 しかし老中・阿部正弘をはじめ、土井らは忠邦の再任に強硬に反対し、忠邦に対しても天保改革時代の鳥居や後藤三右衛門らの疑獄事件への関与を疑われ、弘化2年(1845年)9月、加増のうち1万石・本地のうち1万石、合計2万石を没収されて5万石となり、家督は長男・水野忠精に継ぐことを許された上で強制隠居・謹慎が命じられた上、まもなく出羽国山形藩に懲罰的転封を命じられた。10月末、鳥居と渋川はお預け、後藤は斬首となった。なお、この転封に際して、水野氏は領民にした借金を返さないまま山形へ行こうとしたために領民が怒り、大規模な一揆を起こした。一揆は新領主の井上正春が調停して鎮めた。 嘉永4年(1851年)2月10日、死去。享年58(満56歳没)。死後、5日で謹慎が解かれた。墓所は茨城県結城市の旧万松寺跡。 ※日付は旧暦 享和2年(1802年) - 於菟五郎を称する。 文化2年(1805年)9月 - 諱を忠邦とする。 文化4年(1807年)
11月7日 - 従五位下・式部少輔 文化9年(1812年)8月 - 家督相続。肥前国唐津6万石藩主となり、和泉守に遷任。 文化12年(1815年)11月12日 - 奏者番 文化14年(1817年)
9月10日 - 寺社奉行兼務。左近衛将監に遷任。 文政8年(1825年)5月15日 - 大坂城代。従四位下。 文政9年(1826年)
12月 - 越前守に転任。 文政11年(1828年)11月23日 - 西丸老中 天保5年(1834年)3月1日 - 老中(本丸老中) 天保8年(1837年)3月27日 - 勝手掛兼務 天保10年(1839年)12月2日 - 老中首座 天保14年(1843年)
6月1日 - 上知令発布。 閏9月7日 - 上知令撤回。 閏9月13日 - 老中御役御免。差控。雁之間詰。 弘化元年(1844年)6月21日 - 老中再任。老中首座。 弘化2年(1845年)
9月2日 - 隠居蟄居。1万石没収。 11月30日 - 出羽国山形5万石に転封。 父母 水野忠光(父) 恂 ー 中川氏、側室(母) 正室 嗣 ー 酒井忠進の娘 側室 篠塚氏 子女 水野忠精(長男)生母は篠塚氏(側室) 倉 ー 榊原政愛正室 甫 ー 伊東祐相正室 八重、温玉院 ー 水野忠幹正室 文政元年及び文政12年当時の忠邦の主要家臣は下のとおりである。なお下記の参考文献は、『編年江戸武鑑・文政武鑑1』『編年江戸武鑑・文政武鑑3』(両方とも石井良助 監修。柏書房)。 文政元年
城代 - 二本松七郎(年寄兼務) 年寄 - 山中吉右衛門、大久保孫兵衛、岩崎彦右衛門、拝郷丹氏、拓殖平助、水野小阿三郎、二本松一介 用人 - 津田紋右衛門、岡部四郎三郎 御城使 - 井上八郎右衛門 添役 - 佐藤常蔵 文政12年
年寄 - 岩崎彦右衛門、柘植平助、水野小阿三郎、拝郷内蔵、津田紋右衛門、秋元天兵衛 用人 - 岡部四郎三郎、大久保屯(側用人兼務)、井上作右衛門(公用人兼務)、山中司馬 公用人 - 牧田幾右衛門、佐藤新兵衛 『かげろう絵図』『天保図録』(松本清張) 『嵯峨野花譜』(葉室麟) 『安政維新 阿部正弘の生涯』(穂高健一) 『妻女たちの幕末』―大奥の最高権力者 姉小路の実像―(穂高健一) 『風雲児たち』(みなもと太郎) 『大奥』 (よしながふみ)※男女逆転設定 『ねこねこ日本史』(そにしけんじ):原作漫画第4巻及びEテレテレビアニメ版の二宮尊徳の回と原作第7巻の主役の回で登場している。 『かげろう絵図』(1959年、演:原聖四郎) 『十一人の侍』(1967年、演:佐藤慶) 『駆込み女と駆出し男』(2015年、演:中村育二) 『大奥 season2』(2023年、演:長野里美)※男女逆転設定 ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 42頁。 ^ “源頼光公館土蜘蛛作妖怪図”. ウィーン大学東アジア研究所FWFプロジェクト「錦絵の諷刺画1842-1905」データーベース. 2021年9月14日閲覧。 ^ 藤田覚『大江戸世相夜話』(中央公論新社、2003年) 29-30頁 北島正元『水野忠邦』(吉川弘文館) 1969年 角田音吉『水野越前守』(博文館) 浅野長政(血統的には浅野長政の男系子孫) 跡部良弼(実弟) 堀田正睦 間部詮勝 太田資始 矢部定謙 富籤(1842年に禁止とした) 三方領知替え 天保の改革 風月堂 『水野忠邦』 - コトバンク 表 話 編 歴 寺沢広高1593-1633 寺沢堅高1633-1647 無継嗣、断絶 大久保忠職1649-1670 大久保忠朝1670-1678 下総佐倉藩に転封 松平乗久1678-1686 松平乗春1686-1690 松平乗邑1690-1691 志摩鳥羽藩に転封 土井利益1691-1713 土井利実1713-1736 土井利延1736-1744 土井利里1744-1762 下総古河藩に転封 水野忠任1762-1775 水野忠鼎1775-1805 水野忠光1805-1812 水野忠邦1812-1817 遠江浜松藩に転封 小笠原長昌1817-1823 小笠原長泰1823-1833 小笠原長会1833-1836 小笠原長和1836-1840 小笠原長国1840-1871 (小笠原長行) 廃藩置県 表 話 編 歴 松平忠頼1601-1609 殺害され、養子も認められず改易 水野重央1609-1619 紀伊新宮藩に転封 高力忠房1619-1638 肥前島原藩に転封 松平乗寿1638-1644 上野館林藩に転封 太田資宗1644-1671 太田資次1671-1678 畿内周辺に転封 青山宗俊1678-1679 青山忠雄1679-1685 青山忠重1685-1702 丹波亀山藩に転封 松平資俊1702-1723 松平資訓1723-1729 三河吉田藩に転封 松平信祝1729-1744 松平信復1744-1749 三河吉田藩に転封 松平資訓1749-1752 松平資昌1752-1758 丹後宮津藩に転封 井上正経1758-1766 井上正定1766-1786 井上正甫1786-1817 陸奥棚倉藩に転封 水野忠邦1817-1845 水野忠精1845 出羽山形藩に転封 井上正春1845-1847 井上正直1847-1868 上総鶴舞藩に転封。領地は駿河駿府藩に併合され廃藩 表 話 編 歴 内藤信正1619-1626 阿部正次1626-1647 永井直清1648 稲垣重綱1648-1649 内藤信照1649-1652 水野忠職1652-1654 内藤忠興1654-1656 松平光重1656-1658 水野忠職1658-1659 内藤忠興1659-1660 松平光重1660-1661 水野忠職1661-1662 青山宗俊1662-1678 太田資次1678-1684 水野忠春1684 土屋政直1684-1685 内藤重頼1685-1687 松平信興1687-1690 土岐頼殷1691-1712 内藤弌信1712-1718 安藤信友1718-1722 松平乗邑1722-1723 酒井忠音1723-1728 堀田正虎1728-1729 松平信祝1729-1730 土岐頼稔1730-1734 稲葉正親1734 太田資晴1734-1740 酒井忠恭1740-1744 堀田正亮1744-1745 阿部正福1745-1747 酒井忠用1747-1752 松平輝高1752-1756 井上正経1756-1758 青山忠朝1758-1760 松平康福1760-1762 阿部正允1762-1764 松平乗祐1764-1769 久世広明1769-1777 牧野貞長1777-1781 土岐定経1781-1782 戸田忠寛1782-1784 阿部正敏1784-1787 堀田正順1787-1792 牧野忠精1792-1798 松平輝和1798-1800 青山忠裕1800-1802 稲葉正謁1802-1804 阿部正由1804-1806 松平乗保1806-1810 大久保忠真1810-1815 松平輝延1815-1822 松平康任1822-1825 水野忠邦1825-1826 松平宗発1826-1828 太田資始1828-1831 松平信順1831-1834 土井利位1834-1837 堀田正篤1837 間部詮勝1837-1838 井上正春1838-1840 青山忠良1840-1844 松平乗全1844-1845 松平忠優1845-1848 内藤信親1848-1850 土屋寅直1850-1858 松平信篤1858-1860 松平宗秀1860-1862 松平信古1862-1865 牧野貞明1864-1868 表 話 編 歴 奥平信昌1600-1601 板倉勝重1601-1619 板倉重宗1619-1654 牧野親成1654-1668 板倉重矩1668-1670 永井尚庸1670-1676 戸田忠昌1676-1681 稲葉正往1681-1685 土屋政直1685-1687 内藤重頼1687-1690 松平信興1690-1691 小笠原長重1691-1697 松平信庸1697-1714 水野忠之1714-1717 松平忠周1717-1724 牧野英成1724-1734 土岐頼稔1734-1742 牧野貞通1742-1749 松平資訓1749-1752 酒井忠用1752-1756 松平輝高1756-1758 井上正経1758-1760 阿部正右1760-1764 阿部正允1764-1768 土井利里1769-1777 久世広明1777-1781 牧野貞長1781-1784 戸田忠寛1784-1789 太田資愛1789-1792 堀田正順1792-1798 牧野忠精1798-1801 土井利厚1801-1802 青山忠裕1802-1804 稲葉正謖1804-1806 阿部正由1806-1808 酒井忠進1808-1815 大久保忠真1815-1818 松平乗寛1818-1822 内藤信敦1823-1825 松平康任1825-1826 水野忠邦1826-1828 松平宗発1828-1832 太田資始1832-1834 松平信順1834-1837 土井利位1837-1838 間部詮勝1838-1840 牧野忠雅1840-1843 酒井忠義1843-1850 内藤信親1850-1851 脇坂安宅1851-1857 本多忠民1857-1858 酒井忠義1858-1862 松平宗秀1862 牧野忠恭1862-1863 稲葉正邦1863-1864 松平定敬1864-1867 表 話 編 歴 堀田正俊1680-1681 戸田忠昌1684-1699 秋元喬知1699-1708 大久保忠増1708-1712 無任用1712-1717 井上正岑1717-1722 水野忠之1722-1730 無任用1730-1737 松平乗邑1737-1745 無任用1745-1750 堀田正亮1750-1761 無任用1761-1762 松平武元1762-1779 松平輝高1779-1781 水野忠友1781-1787 牧野貞長1787-1789 松平定信1789-1793 本多忠籌1790-1793 松平信明1792-1803 戸田氏教1793-1797、1803-1806 牧野忠精1806-1816 土井利厚1816-1817 青山忠裕1816-1819 水野忠成1818-1834 松平康任1834-1835 大久保忠真1834-1837 水野忠邦1837-1843 土井利位1843-1844 真田幸貫1843 阿部正弘1844-1857 堀親寚1844-1845 堀田正睦1855-1858 久世広周1857-1858 松平忠固1857-1858 太田資始1858-1859 間部詮勝1858-1859 松平乗全1859-1860 内藤信親1859-1862 久世広周(再任)1860-1862 安藤信正1860-1862 水野忠精1862-1866 板倉勝静1862-1864 脇坂安宅1862 松平信義1862-1863 太田資始(再任)1863 酒井忠績1863-1864 牧野忠恭1864-1865 松平宗秀1865-1866 板倉勝静(再任)1865-1866 松平康英1866-1868 井上正直1866-1867 小笠原長行1866-1867 (幕府廃止により廃職) 表 話 編 歴 本多正信(1603 - 1616) 本多正信(1603 - 1616) 酒井忠世(1616 - 1634) 酒井忠世(1616 - 1634) 土井利勝(1634 - 1638) 松平信綱(1638 - 1653) 松平信綱(1638 - 1653) 酒井忠清(1653 - 1666) 阿部忠秋(1666 - 1671) 稲葉正則(1671 - 1681) 稲葉正則(1671 - 1681) 大久保忠朝(1681 - 1698) 阿部正武(1698 - 1704) 土屋政直(1704 - 1718) 土屋政直(1704 - 1718) 土屋政直(1704 - 1718) 井上正岑(1718 - 1722) 戸田忠真(1722 - 1729) 水野忠之(1729 - 1730) 松平乗邑(1730 - 1745) 酒井忠恭(1745 - 1749) 酒井忠恭(1745 - 1749) 堀田正亮(1749 - 1761) 堀田正亮(1749 - 1761) 酒井忠寄(1761 - 1764) 松平武元(1764 - 1779) 松平輝高(1779 - 1781) 松平康福(1781 - 1787) 松平定信(1787 - 1793) 松平信明(1793 - 1803) 戸田氏教(1803 - 1806) 牧野忠精(1806) 松平信明(1806 - 1817) 土井利厚(1817 - 1822) 青山忠裕(1822 - 1835) 大久保忠真(1835 - 1837) 松平乗寛(1837 - 1839) 水野忠邦(1839 - 1843) 土井利位(1843 - 1844) 水野忠邦(1844 - 1845) 阿部正弘(1845 - 1855) 阿部正弘(1845 - 1855) 堀田正睦(1855 - 1858) 太田資始(1858 - 1859) 太田資始(1858 - 1859) 間部詮勝(1859) 松平乗全(1859 - 1860) 久世広周(1860 - 1862) 脇坂安宅(1862) 松平信義(1862 - 1863) 太田資始(1863) 松平信義(1863) 酒井忠績(1863 - 1864) 水野忠精(1864) 本多忠民(1864 - 1865) 水野忠精(1865 - 1866) 板倉勝静(1866 - 1867) 板倉勝静(1866 - 1867) 松平定昭(1867) 板倉勝静(1867) 酒井忠惇(1867 - 1868) FAST ISNI VIAF WorldCat イスラエル アメリカ 日本 水野忠邦 水野監物家 浜松藩主 唐津藩主 江戸幕府老中 江戸幕府寺社奉行 大坂城代 京都所司代 19世紀日本の政治家 1794年生 1851年没 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/24 07:35更新
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mizuno tadakuni
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