津村秀夫の情報(つむらひでお) 映画評論家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
津村 秀夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
津村秀夫と関係のある人
小林桂樹: 大学時代にアルバイトで伯父の勤めていた朝日新聞社校閲部の給仕を勤め、津村秀夫や飯沢匡などの映画評論家や映画記者と接するうちに映画の世界に憧れを持つようになる。 土井茂: ^ 『映画手帖』(京都大学映画部編、清水光監修、津村秀夫序、大阪 創元社刊 昭和25/1950年)奥付より 黛敏郎: 1956年、4月、クラヴィオリンやミュージカル・ソウを大胆に使用した映画『赤線地帯』(監督溝口健二)について、映画評論家津村秀夫に『週刊朝日』誌上で「音楽の失敗がひびく」と酷評され反論し、論争になる(赤線地帯論争)。 松尾昭典: ^ 『映画手帖』(京都大学映画部編、清水光監修、津村秀夫序、大阪 創元社刊 昭和25/1950年)奥付より 津村鷹志: 父親は元朝日新聞記者で映画評論家の津村秀夫。 津村節子: 映画評論家の津村秀夫、詩人の津村信夫兄弟が由来。 杉村春子: 津村秀夫は「杉村春子は日本の新劇役者がはたして映画演技の勘と神経を體得できるかどうか、といふ懸案を最初に解決した女優である。 三木淳: 付き合いのあった『アサヒカメラ』の編集長、津村秀夫から『キネマ旬報』の白井佳夫を紹介された。 |
津村秀夫の情報まとめ
津村 秀夫(つむら ひでお)さんの誕生日は1907年8月15日です。兵庫出身の映画評論家のようです。
映画、卒業に関する情報もありますね。1985年に亡くなられているようです。
津村秀夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)津村 秀夫(つむら ひでお、1907年8月15日 - 1985年8月12日)は、日本の映画評論家。父は法学博士津村秀松、弟は詩人の津村信夫、長男は俳優の津村鷹志。 兵庫県神戸市出身、第七高等学校卒業。1931年東北帝国大学独文科卒。 朝日新聞社に入社し、同紙の映画批評欄を担当、「Q」の名で映画評を書く。芸術としての映画を論じたさきがけである。1937年上期の池谷信三郎賞を受賞。『文学界』1942年10月号に掲載された座談会「近代の超克」の出席者の一人としても知られる。 戦後は1949年10月号からの復刊『アサヒカメラ』編集長に(7年間)。同誌の顧問に伊奈信男、金丸重嶺、木村伊兵衛、渡辺義雄を迎える。 退職後は映画評論家として「週刊朝日」などで執筆する傍ら、毎日映画コンクールの選定委員、財団法人都民劇場理事などを務めた。1962年慶応義塾大学、共立女子大学講師。1973年、紫綬褒章。 映画と批評 正続 小山書店 1939-40 のち角川文庫 映画政策論 中央公論社 1943 映画と鑑賞 創元社 1941-1943 映画戦 朝日新聞社 1944 青春の回想 文明社 1946 新しい映画美 正続 創元社 1949-51 今日の映画 要書房 1950 映画美の味はひ方 大泉書店 1951 映画と人生 創元社 1953 私の映画遍歴 角川書店 1954 映画と人間像 三笠書房 1955 溝口健二というおのこ 実業之日本社 1958 映画美を求めて 勁草書房 1966 世界映画の作家と作風 1-2 勁草書房 1969-74 不滅の映画美を今日にさぐる 勁草書房 1977 遠くの島から来た手紙 勁草書房 1984 ^ 『日本映画人名事典 男優編<下巻>』キネマ旬報社、1996年、189頁。ISBN 978-4873761893。 ^ 日外アソシエーツ現代人物情報 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research 日本の映画評論家 戦前の朝日新聞社の人物 朝日新聞社の人物 写真に関する人物 東北大学出身の人物 旧制第七高等学校造士館出身の人物 神戸市出身の人物 紫綬褒章受章者 1907年生 1985年没 2024/11/19 13:30更新
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