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澤穂希の情報 (さわほまれ)
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【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

澤穂希の情報(さわほまれ) サッカー選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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澤 穂希さんについて調べます

■名前・氏名
澤 穂希
(読み:さわ ほまれ)
■職業
サッカー選手
■澤穂希の誕生日・生年月日
1978年9月6日 (年齢45歳)
午年(うま年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和53年)1978年生まれの人の年齢早見表

澤穂希と同じ1978年生まれの有名人・芸能人

澤穂希と同じ9月6日生まれの有名人・芸能人

澤穂希と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


澤穂希と関係のある人

岩渕真奈: 9月8日に行われた引退記者会見では澤穂希がサプライズで登壇するなどし、SNSでは「引退を発表してから約1週間。


丸山桂里奈: 試合後にキャプテンである澤穂希から「スーパーサブならもっと走りなよ!」と叱咤激励され、奮起したという。


宮間あや: 自分のプレーを分かってくれていることが大きい」 … なでしこジャパンの元主将・澤穂希の言葉。


岩渕真奈: 2023年9月9日、引退会見の翌日、千葉県の高円宮記念JFA夢フィールドで行われた『JFA マジカルフィールド Inspired by Disney ファミリーサッカーフェスティバル”ファーストタッチ”』に岩渕が敬愛している澤穂希と共に参加した。


釜本邦茂: 男女を通じては2011年7月1日に澤穂希が78得点目をあげ記録を塗り替えており、釜本本人は「(自分の記録が)まさか女の子に抜かれるとは」とコメントしている。


みはる: 澤穂希


宮間あや: あの一言で、最後まで諦めない気持ちになれた」 … 2011年W杯で同点打を決めた後、宮間に「澤さん、あと1点で勝てるよ」と声を掛けられた澤穂希の言葉。


丸山桂里奈: 2017年9月10日放送の「しくじり先生(テレビ朝日系)」ではサッカーのルールに関して多くの勘違いをしていたことを明かし、特にオフサイドを知らず敵のゴールポストに隠れて試合終了後に監督から怒られた事、2008年の北京五輪で準備運動を全くしなかった結果試合で走れずドイツに負け、普段温厚な澤穂希から「スーパーサブならもっと走れ!」と激怒されたことを明かした。


高橋陽一: その際、翼と澤穂希をモデルにした応援キャラクターの『楓ちゃん』を書き込んだ日の丸をチームに寄贈した。


岡友美: 麒麟の田村裕や、なでしこジャパンの澤穂希に似ている。


大野忍: 2011年1月、経営難の日テレからプロ契約の打ち切りを宣告され、澤穂希・近賀ゆかり・南山千明とともにINAC神戸レオネッサに移籍した。


まとばゆう: 替え歌ネタでは他に、澤穂希の格好と物真似で『さとうきび畑』のメロディを弾きながら、有名女子アスリートに毒付くというネタを披露している。


桝太一: 澤穂希と相当絡んだだけでなく、澤が桝を送ったり、他にも日テレのアナウンサーの飲み会で、酔っぱらうと先輩の上重聡にキスを迫ってくる等のエピソードがある。


丸山桂里奈: 準々決勝のドイツ戦では、後半開始から永里優季に代わって交代出場、延長後半3分に澤穂希の浮き球のパスを受けてゴールを決めた。


宮間あや: また、小学生の時にはテレビ番組の収録で澤穂希や小野寺志保たちとサッカーをする機会があり、将来の日本代表入りを期待する言葉をかけられるなど、当時から期待を集めていた。


入江慎也: 大の人見知りである矢部とは対照的に、「友達5000人芸人」を自称しており、酒席などを通じて作った人脈は、長友佑都、大久保嘉人、澤穂希、渡辺美樹など多士済々の顔ぶれとなっており、非常に顔が広かった。


京川舞: 現地で行われたFCバルセロナ・フェメニとの親善試合で、後半から澤穂希に代わり出場し、INAC神戸の選手として初出場を果たした。


小林弥生: 翌2003年には当時、澤穂希が在籍するアメリカ女子サッカーリーグ(WUSA)のAtlanta Beatと契約したが外国人枠の関係で保留となり、その後リーグの休止により移籍は実現しなかった。


中倉宏美: 元女子サッカー選手の澤穂希とは、府中市立府中第五中学校時代の同級生である。


小林弥生: 日テレ・ベレーザや日本女子代表での先輩である澤穂希は、都立南野高校の同窓生でもある。


小野寺志保: 現役時代のことを歌った歌であり、コーラスとして同じく女子サッカー選手の荒川恵理子や澤穂希もレコーディングに参加している。


宮間あや: セットプレーでは、自分はボールに体をあてるだけでいい」 と澤穂希が評する、キッカーとしての卓越した能力から、日本女子代表の試合の場合、フリーキックやコーナーキックを任されることが多い。


宮本ともみ: 当時の代表監督だった上田栄治は宮本を「澤穂希よりも重要な選手」と評価していた。


中村憲剛: 少年団の先輩に澤穂希、後輩に保坂一成がいる。


長峯かおり: 代表49得点は2004年に澤穂希に抜かされるまで永らく日本女子の歴代トップの成績であった。


近賀ゆかり: 2011年1月、8年在籍したベレーザから澤穂希、大野忍、南山千明とともにINAC神戸レオネッサに移籍。


宮間あや: 2022年5月14日、WEリーグ初の国立競技場の試合で、澤穂希と共にキックインセレモニーを務めた。


原菜摘子: 2008年までは、同ポジションにベテランの澤穂希や小林弥生などがいたため出場機会は少なかった。


岩清水梓: これにより、ベレーザから澤穂希、大野忍以来のプロ契約選手が誕生した。


阪口夢穂: 2008年の北京オリンピック直前に当時の代表監督であった佐々木則夫により、長年コンビを組むことになる澤穂希と一緒にボランチへとコンバートされた。


澤穂希の情報まとめ

もしもしロボ

澤 穂希(さわ ほまれ)さんの誕生日は1978年9月6日です。東京出身のサッカー選手のようです。

もしもしロボ

競技歴、個人成績などについてまとめました。卒業、現在、結婚、引退、テレビに関する情報もありますね。澤穂希の現在の年齢は45歳のようです。

澤穂希のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

澤 穂希(さわ ほまれ、1978年9月6日 - )は、東京都府中市出身の元女子サッカー選手である。元サッカー女子日本代表。ポジションはミッドフィールダー。 アジア人史上初のFIFA最優秀選手賞受賞者。

6度のW杯と4度の五輪に出場。2011年FIFA女子ワールドカップドイツ大会・得点王、MVP。日本女子代表史上、出場数・ゴール数歴代1位(205試合83得点)。

府中市立若松小学校、府中市立府中第五中学校、東京都立南野高等学校(現・東京都立若葉総合高等学校)卒業。帝京大学文学部教育学科(現・教育学部)中退。

小学2年のとき、東京府中市にある「府ロクサッカークラブ」に兄とともに入団を希望した。女の子ということで入団を渋られるが、母の努力により仮入団となった。その後、地元の「狛江杯」で、コーチの勧めにより試合に出場し、いきなりゴールを決めた。このことは地元紙のニュースに取り上げられ、以後、正式に入団となった。また、チームメイトも澤を女の子として扱わなくなった。このころは練習も遊びも年上の男子ばかりであり、それが女子としては突出したキック力や技術が身に付いた理由だと本人が述べている。

中学に入学すると同時に、当時の日本代表が多く所属する強豪チーム読売サッカークラブ女子・ベレーザの下部組織であるメニーナに入団したが、当時の監督であった竹本一彦の判断で入団後わずか1か月でベレーザに引き上げられた。本人は、「同じようにプレーできなかったことが悔しくて」と述べているが、そのため一人で毎日居残り練習を行い、結果として大きく実力が磨かれる。中学一年の夏、JLSL(現在のなでしこリーグの前身)に出場、3試合目に初ゴールを決めた。このあと日本代表に選出された。

1993年、15歳で日本女子代表に招集され、初出場を果たしデビュー戦で4得点を挙げた。その年のリーグベストイレブンに初めて選ばれその後も度々選出され、リーグを代表する選手となった。

1990年代末は、L・リーグに所属する企業が次々と女子サッカー部の廃部を決めた。澤はサッカーができなくなることを危ぶみ、1999年に大学を中退、米国に渡ることを決意した。1999年にコロラド・デンバー・ダイアモンズに所属。2000年にアトランタ・ビートへ移籍。このとき、米国選手との速さと体格・力の差に驚くが、同時に自分自身の技術で、生きていく道が見えたと述べている。米国でも高い技術で実力を発揮し、「クイック・サワ」との異名を取った。

また、米国滞在中、結婚を考えたが、2003年9月アメリカ女子プロリーグ休止にともない、帰国する道を決断した。

2004年にL・リーグに「ノンアマ (プロ契約) 選手」として復帰。同年4月に国立競技場行われたアテネ五輪アジア最終予選の北朝鮮戦では右ひざ半月板損傷をおして出場し、3-0で勝ち日本に2大会ぶりの五輪切符をもたらした。同年、アジア年間最優秀選手賞を受賞。その後も日本国外のチームからのオファーを受けたが、なでしこジャパンの選手としてベレーザでのプレーを続け、チームの優勝にも貢献した。2006年、2008年にはなでしこリーグMVPにも選ばれた。なお、2004年7月に、サッカー日本女子代表の愛称が「なでしこジャパン」に決定し、記者会見を行った際、発表用に「なでしこジャパン」と毛筆で記したのは澤だった。

主にトップ下で司令塔としての役割を果たしていたが、2007年に女子代表の監督に佐々木則夫が就任して以降は、ボール奪取能力の高さや展開力、予測に長けている事を評価されセンターハーフにコンバートされ、女子代表の攻守の要となった。

2008年オフ、2009年開幕予定であったWPSからドラフト指名を受け、2009年1月にワシントン・フリーダムへ移籍。ワシントンでは20試合に出場し、3得点を挙げた。同年8月、古巣の日テレ・ベレーザに一時的に復帰することになった。

2011年、経営難の日テレからプロ契約の打ち切りを宣告され、1月5日大野忍、近賀ゆかり、南山千明とともにINAC神戸レオネッサへ移籍。

移籍後には「サッカーに専念出来るINACに来てから凄くコンディションがいい」と語るなど、満を持して迎えた2011 FIFA女子ワールドカップではキャプテンとして出場。グループリーグ・メキシコ戦でのハットトリック(1得点目は決勝点)、準々決勝ドイツ戦での決勝点のアシスト、準決勝スウェーデン戦での決勝点、決勝アメリカ戦での延長後半12分の同点ゴールの計5ゴール1アシストを記録し、日本サッカー史上初のW杯優勝に大きく貢献、自身も日本人初となるW杯での得点王とMVPの二冠を達成した。

世界ランク1位のアメリカを決勝で下した試合によって、日本だけでなく,世界中のメディアが、なでしこジャパンを賞賛した。英国のザ・タイムズ紙は、「鉄の意志のチーム」と表現した。ニューヨークタイムズ紙は「復興への希望の上に築かれた勝利で、大震災で打撃を受けた国を盛り上げた」と賞賛している。また、アメリカチームを率いたスンドハーゲ監督は、「私たちは今日、観客にいい試合を見せられた。PKにまで及んだこの決勝戦を、ずっと覚えていただけるのではないか」とコメントした。

なお、メキシコ戦でのハットトリックは自身の国際Aマッチでの記録としては2001年12月4日のシンガポール戦以来およそ10年ぶりのハットトリックであった。

2012年1月9日、2011年度のFIFA年間表彰式にて男女を通じてアジア人では史上初となる「FIFA最優秀選手賞」を受賞した。同月、全国のサッカー担当記者の投票によって選出される日本年間最優秀選手賞を、長友佑都や香川真司らを抑え、女子選手としては初めて受賞した。

3月、ポルトガルで開催されたアルガルヴェ・カップ2012での遠征中に体調不良を訴え、帰国後検査を受け、「良性発作性頭位めまい症」と診断された。以降、日韓女子リーグチャンピオンシップやキリンチャレンジカップを欠場し、4月22日のなでしこリーグ第2節福岡J・アンクラス戦で実戦復帰を果たした。

病のことを聞きつけたアメリカ代表のエース・ストライカーで在米時代の元チームメイト、アビー・ワンバックは、まだウォーキングしかできない澤をキャンプ地の鹿児島まで訪れ、「絶対に克服できる。また五輪で戦おう。でも次はやられないよ」と激励し、感激で号泣した澤は、復活への勇気を得た。

2012年8月のロンドンオリンピックでは、決勝戦でアメリカに敗れるも、自身4度目のオリンピック出場で日本女子代表の史上初のメダル(銀メダル)獲得に貢献した。

2014年11月21日、アジアサッカー連盟(AFC)初代殿堂入りを果たした。

2014年5月に開催されたアジアカップ以後、日本代表から外されていたが2015 FIFA女子ワールドカップ日本代表に選出された。自身6度目のワールドカップであり男女を通して世界史上最多出場選手となる。年齢的なこともあり選ばれない、もしくは選ばれたとしても商業的なことが主たる理由等と言われていたが佐々木監督は選考の理由として「(リーグで)誰よりも体を張って戦っており現在のパフォーマンスは問題ない。澤のプレーは小手先でなく90分集中して戦っている。なでしこの姿勢そのものであり(選手の)模範である」ことをあげた。

2015年8月11日にINAC神戸を通じて、8月8日に入籍した事を発表。その後の各報道機関の取材で、結婚相手が元ベガルタ仙台DFの辻上裕章であることが明らかになり、澤本人もこれを認めた。

同年、「FIFA女子ワールドカップ最多出場(6回)」の記録が、ギネス世界記録に認定され、2016年9月10日発売の「ギネス世界記録2016」に掲載。

2015年12月16日今季限りでの引退を表明し、17日都内で記者会見を開いた 。現役最後の試合となった27日の皇后杯決勝vsアルビレック新潟レディースでは、スコアレスで迎えた後半33分に川澄のCKからヘディングで決勝ゴールを挙げ、有終の美を飾った。

2016年3月、イギリスのサッカー専門サイト「Squawka」により「歴代最高の女子フットボーラー10傑」の1人に選出された。

引退後は辻上のいる仙台へ転居し、同居を開始した。2016年7月19日、所属事務所を通じて第1子妊娠を発表した。2017年1月9日女児が誕生した。

2020年1月、警視庁・捜査一課長 正月スペシャル (テレビ朝日)サッカーコーチ玉賀友代(たまが ともよ)役で女優デビュー 。

競技歴

小学生時に安満サッカークラブに入団。のち府ロクサッカー少年団に所属。なお府ロクサッカー少年団では澤の2年後輩に、中村憲剛(元川崎フロンターレ)がいた。

1991年

    読売クラブ女子・メニーナ入団。1か月後にベレーザへ昇格

    7月7日 フジタ天台SCマーキュリー戦で日本女子サッカーリーグデビュー

    7月28日 新光精工FCクレール戦で初得点

    1993年12月6日 第9回アジア女子選手権(マレーシア)・フィリピン戦で代表デビューし4得点を記録

    1996年 アトランタオリンピック女子サッカー競技に出場

    1999年 帝京大学を中退し、アメリカWリーグのデンバー・ダイアモンズ (Denver Diamonds) へ移籍

    2000年 アメリカ女子サッカーリーグ (WUSA)、アトランタ・ビート (Atlanta Beat) へ移籍

    2004年

      WUSA休止によりアメリカから帰国し日テレ・ベレーザに再入団

      怪我をおしてアテネオリンピック女子サッカー競技の予選に出場、最多得点を記録

      アテネオリンピック本選ではなでしこジャパンの一員として全試合フル出場を果たす

      2005年

        5月21日 キリンチャレンジカップ2005・ニュージーランド戦で女子代表最多となる通算52ゴール目を記録

        7月11日 スペランツァF.C.高槻戦でL・リーグ通算得点ランクトップとなる105ゴール目を記録

        2006年2月18日 キリンチャレンジカップ2006・ロシア戦で国際Aマッチ100試合出場を達成

        2011年7月1日 FIFA女子ワールドカップ・メキシコ戦で通算76ゴール目を記録。釜本邦茂を超え、男女を通じての代表最多得点記録保持者となった。また、この試合では自身としても男女通じてとしても初の「ワールドカップ」でのハットトリックを達成。このハットトリックは1999年にブラジルのシシーがメキシコ戦で達成した女子ワールドカップでの最年長記録である「32歳と17日」を「281日」更新し、「32歳と298日」でのハットトリックとなった。

        2011年7月17日、FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会決勝戦のアメリカ戦にて、延長後半12分にゴールを決め、代表通算80点目を記録。

        個人成績

        クラブ

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        代表
          1993年12月6日 - 日本女子代表初出場 - フィリピンの旗 フィリピン戦(1993 AFC女子選手権)

        1993年12月6日 - 日本女子代表初得点 - フィリピンの旗 フィリピン戦(1993 AFC女子選手権)

        1993年 - 1993 AFC女子選手権 3位

        1994年 - 1994年アジア競技大会 準優勝

        1995年 - 1995 FIFA女子ワールドカップ ベスト8

        1995年 - 1995 AFC女子選手権 準優勝

        1996年 - アトランタオリンピック

        1997年 - 1997 AFC女子選手権 3位

        1998年 - 1998年アジア競技大会 3位

        1999年 - 1999 FIFA女子ワールドカップ

        2001年 - 2001 AFC女子選手権 準優勝

        2002年 - 2002年アジア競技大会 3位

        2003年 - 2003 AFC女子選手権

        2003年 - 2003 FIFA女子ワールドカップ

        2004年 - アテネオリンピック ベスト8

        2006年 - 2006 AFC女子アジアカップ 4位

        2006年 - 2006年アジア競技大会 準優勝

        2007年 - 2007 FIFA女子ワールドカップ

        2008年 - 2008 AFC女子アジアカップ 3位

        2008年 - 北京オリンピック 4位

        2010年 - 2010 AFC女子アジアカップ 3位

        2010年 - 2010年アジア競技大会 優勝

        2011年 - 2011 FIFA女子ワールドカップ 優勝

        2012年 - ロンドンオリンピック 銀メダル

        2014年 - 2014 AFC女子アジアカップ 優勝

        2015年 - 2015 FIFA女子ワールドカップ 準優勝

        国内大会個人成績
        年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
        出場得点 出場得点出場得点 出場得点
        日本 リーグ戦 リーグ杯 皇后杯 期間通算
        1991 読売サッカークラブ女子・ベレーザ 25 JLSL 13 5 -
        1992 読売日本サッカークラブ女子ベレーザ 14 20 3 -
        1993 17 5 -
        1994 読売西友ベレーザ 10 L・リーグ 17 11 -
        1995 18 16 -
        1996 17 14 -
        1997 18 14
        1998 読売ベレーザ 16 11
        1999 NTVベレーザ 0 0 -
        アメリカ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
        1999 コロラド・デンバー・ダイヤモンズ Wリーグ
        2000
        2001 アトランタ・ビート 8 WUSA 19 3 - - 19 3
        2002 21 7 - - 21 7
        2003 15 3 - - 15 3
        日本 リーグ戦 リーグ杯 皇后杯 期間通算
        2004 日テレ・ベレーザ 10 L・リーグ1部(L1) 6 5 -
        2005 21 16 - 5 3 26 19
        2006 なでしこ Div.1 17 13 - 3 2 20 15
        2007 20 6 2 0 4 5 26 11
        2008 21 7 - 4 1 25 8
        アメリカ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
        2009 ワシントン・フリーダム 10 WPS 20 3 - - 20 3
        日本 リーグ戦 リーグ杯 皇后杯 期間通算
        2009 日テレ・ベレーザ 10 なでしこ 4 2 - 4 1 8 3
        アメリカ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
        2010 ワシントン・フリーダム 10 WPS 21 3 - - 21 3
        日本 リーグ戦 リーグ杯 皇后杯 期間通算
        2010 日テレ・ベレーザ 20 なでしこ - - 1 0 1 0
        2011 INAC神戸レオネッサ 8 16 4 - 4 0 20 4
        2012 17 2 4 0 3 0 24 2
        2013 16 2 6 0 4 0 26 2
        2014 26 2 - 2 0 28 2
        2015 なでしこ1部 19 2 - 5 1 24 3
        通算 日本 1部 319 140 12 0 39 13 370 153
        アメリカ 1部 96 19 - - 96 19
        アメリカ 2部
        総通算 415 159 12 0 39 13 370 153

        (2015年7月5日現在

        日本代表国際Aマッチ
        出場得点
        1993 4 4
        1994 6 1
        1995 8 0
        1996 10 3
        1997 7 13
        1998 10 4
        1999 8 0
        2000 1 1
        2001 8 6
        2002 8 5
        2003 12 10
        2004 8 2
        2005 9 3
        2006 17 7
        2007 14 6
        2008 15 7
        2009 1 0
        2010 15 3
        2011 16 5
        2012 10 1
        2013 2 0
        2014 8 1
        2015 8 1
        通算 205 83

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2024/06/24 18:47更新

sawa homare


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1911年9月6日生まれの有名人 東京出身

八杉 龍一(やすぎ りゅういち、1911年〈明治44年〉9月6日 - 1997年〈平成9年〉10月27日)は、日本の生物学史家。東京工業大学教授、早稲田大学を歴任。 1911年、ロシア語学者の八杉…

槇 文彦(まき ふみひこ)
1928年9月6日生まれの有名人 東京出身

槇 文彦(まき ふみひこ、1928年〈昭和3年〉9月6日 - 2024年6月6日)は、日本の建築家(一級建築士)。文化功労者。日本芸術院会員。 1928年(昭和3年)、東京都生まれ。母方の祖父は竹…


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澤穂希と近い名前の人

末澤 誠也(すえざわ せいや)
【Aぇ!group】
1994年8月24日生まれの有名人 兵庫出身

末澤 誠也(すえざわ せいや、1994年〈平成6年〉8月24日 - )は、日本のアイドル、俳優。男性アイドルグループ・Aぇ! groupのメンバー。愛称は、スエ、メンバーからは、誠也くん。 兵庫県出…

柳澤 健_(ノンフィクション作家)(やなぎさわ たけし)
1960年3月25日生まれの有名人 東京出身

柳澤 健(やなぎさわ たけし、1960年3月25日 - )は、日本のライター、ノンフィクション作家。 東京都出身。慶應義塾大学法学部卒。在学中に漫画専門誌「ぱふ」の編集者となる。その後空調機メーカ…

吉澤 閑也(よしざわ しずや)
【Travis Japan】
1995年8月10日生まれの有名人 神奈川出身

吉澤 閑也(よしざわ しずや、1995年8月10日 - )は、日本のアイドル、俳優、歌手、タレント。男性アイドルグループ・Travis Japanのメンバー。 神奈川県出身。STARTO ENTER…

深澤 辰哉(ふかざわ たつや)
【Snow Man】
1992年5月5日生まれの有名人 東京出身

深澤 辰哉(ふかざわ たつや、1992年〈平成4年〉5月5日 - )は、日本のタレント、俳優。男性アイドルグループ・Snow Manのメンバー。愛称はふっか。 東京都出身。STARTO ENTERT…

吉澤 要人(よしざわ かなめ)
【原因は自分にある。】
2003年7月12日生まれの有名人 東京出身

吉澤 要人(よしざわ かなめ、2003年7月12日 - )は、日本の俳優、歌手。ダンスボーカルユニット「原因は自分にある。」のメンバーおよびリーダー。東京都出身。スターダストプロモーション制作3部所属…

小沢 通宏(小澤 通宏)
1932年12月25日生まれの有名人 栃木出身

小沢 通宏(小澤 通宏、おざわ みちひろ、1932年12月25日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー日本代表、サッカー指導者。 1962年第2回日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・…

北澤 豪(きたざわ つよし)
1968年8月10日生まれの有名人 東京出身

北澤 豪(きたざわ つよし、1968年8月10日 - )は、東京都町田市出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。元サッカー日本代表。現在は日本サッカー協会参与、フットサル委員長、日本障がい者サッカ…

澤登 正朗(さわのぼり まさあき)
1970年1月12日生まれの有名人 静岡出身

澤登 正朗(さわのぼり まさあき、1970年1月12日 - )は、静岡県富士宮市出身の元サッカー選手(MF)、元日本代表、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)・解説者。 Jリーグの初代新人王で、…

西澤 明訓(にしざわ あきのり)
1976年6月18日生まれの有名人 静岡出身

西澤 明訓(にしざわ あきのり、1976年6月18日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元サッカー選手。日本サッカー協会登録仲介人。現役時代のポジションはフォワード。 セレッソ大阪にお…

中澤 佑二(なかざわ ゆうじ)
1978年2月25日生まれの有名人 埼玉出身

中澤 佑二(なかざわ ゆうじ、1978年2月25日 - )は、埼玉県吉川市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表。血液型はAB型。 恵まれた体格…

長澤 和輝(ながさわ かずき)
1991年12月16日生まれの有名人 千葉出身

長澤 和輝(ながさわ かずき、1991年12月16日 - )は、千葉県東金市生まれ、市原市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ベガルタ仙台所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード、ディフェンダー…

長澤 和明(ながさわ かずあき)
1958年2月4日生まれの有名人 静岡出身

長澤 和明(ながさわ かずあき、1958年2月4日 - )は、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)出身の元サッカー選手・指導者・解説者。日本代表経験を持ち、Jリーグ所属のジュビロ磐田の初代監督も務めた。…

深澤 弘(ふかさわ ひろし)
1936年1月2日生まれの有名人 神奈川出身

深澤 弘(ふかさわ ひろし、1936年1月2日 - 2021年9月8日)は、日本のフリーアナウンサー、スポーツコメンテーター。 元ニッポン放送アナウンサーで、ディレクTV取締役、新潟県民エフエム放送…

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