田口昌徳の情報(たぐちまさのり) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
田口 昌徳さんについて調べます
■名前・氏名 |
田口昌徳と関係のある人
礒恒之: 初奪三振:同上、1回裏に田口昌徳から 鳥越裕介: チーム一のガッツマンで、引退した田口昌徳らと共にムードメーカーとしても大きく貢献した。 中山光久: 引退後はそのまま日本ハムのブルペン捕手となったが、2002年の日本ハムは田口昌徳の移籍や、当時の正捕手・野口寿浩などの故障によって二軍の捕手が足りなくなったため、中山の現役復帰が検討された。 関川浩一: 駒大では3学年先輩に田村勤、2学年先輩に野村謙二郎、1学年後輩に竹下潤と若田部健一、2学年後輩に鶴田泰と田口昌徳がいた。 相木崇: 初奪三振:同上、3回裏に田口昌徳から 河原純一: 2年次は2学年先輩である田口昌徳とのバッテリーで鶴田泰との両輪で大学選手権優勝、4年次にも同大会を制して全日本アマチュア野球王座決定戦で社会人王者の日本通運を破って最高殊勲選手に選ばれ、日米大学野球でも最優秀投手となった。 嘉弥真新也: 2011年、東日本大震災の影響で多くの公式戦が中止となったが、9月の秋季神奈川県企業大会の東芝戦で1安打完封と快投し、福岡ソフトバンクホークススカウトの田口昌徳が高く評価した。 鶴田泰: 同期の田口昌徳とバッテリーを組んでいた。 立花義家: “ロッテ、来季バッテリーコーチは田口昌徳氏が有力 打撃コーチは内部調整へ”. 本間満: 駒大では同期の高木や河原の他に、3学年先輩に若田部健一と竹下潤、2学年先輩に鶴田泰と田口昌徳、3学年後輩に高橋尚成がいた。 寺原隼人: これまでは城島健司とバッテリーを組んでいたが同試合では田口昌徳が先発マスクを被った。 根本隆輝: 初出場:1995年5月27日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(東京ドーム)、8回裏に田口昌徳の代打として出場 水田章雄: 初奪三振:同上、7回裏に田口昌徳から 城島健司: 城島の故障の穴埋めのため、日本ハムファイターズから移籍してきた田口昌徳が加入。 高木浩之: 駒大では同期の本間や河原の他に、3学年先輩に若田部健一と竹下潤、2学年先輩に鶴田泰と田口昌徳、3学年後輩に高橋尚成がいた(竹下とはプロで再びチームメイトとなった)。 林孝哉: 2002年シーズン途中、田口昌徳との交換トレードで日本ハムファイターズへ移籍。 田村藤夫: 1995年は盗塁阻止率.390とリーグ二位の記録をしたものの打撃成績では自己ワーストとなり田口昌徳の台頭や、近鉄から移籍してきた山下和彦の活躍で9年ぶりに100試合を割る。 若田部健一: 駒大では同期の竹下潤の他に、3学年先輩に野村謙二郎、1学年先輩に関川浩一、1学年後輩に鶴田泰と田口昌徳、3学年後輩に河原純一と高木浩之と本間満がいた(本間とはプロで再びチームメイトとなった)。 高木浩之: 初盗塁:1996年5月2日、対日本ハムファイターズ5回戦(東京ドーム)、4回表に二盗(投手:岩本勉、捕手:田口昌徳) 香田誉士史: 2学年上に若田部健一・竹下潤、1学年上に鶴田泰・田口昌徳、1学年下に河原純一・高木浩之・本間満がいた。 的場直樹: 2004年に開催されたアテネオリンピックで、野球日本代表に城島が選出されると、田口昌徳と共にその穴を埋めた。 山下和彦: 1998年、この年ヤクルトから加入した野口寿浩が正捕手となり正捕手だった田口昌徳が控えに回った関係で出場数が激減、この年で引退となった。 竹下潤: 駒大では同期の若田部の他、3学年先輩に野村謙二郎、1学年先輩に関川浩一、1学年後輩に鶴田泰と田口昌徳、3学年後輩に高木浩之と河原純一と本間満がいた。 井手正太郎: その一方で、7月の二軍打撃練習中には、育成コーチ(当時)として打撃投手を務めていた田口昌徳の投球が顔面を直撃。 野口寿浩: 日本ハムは当時、正捕手の田口昌徳が左膝靭帯を損傷したこともあり、監督の上田利治から高い信頼を受けて5月初旬から正捕手として起用され、監督推薦でオールスターにも初選出された。 |
田口昌徳の情報まとめ
田口 昌徳(たぐち まさのり)さんの誕生日は1970年8月26日です。茨城出身の野球選手のようです。
テレビ、引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。田口昌徳の現在の年齢は54歳のようです。
田口昌徳のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 田口 昌徳(たぐち まさのり、1970年8月26日 - )は、茨城県北相馬郡藤代町出身(生まれは常陸大宮市)の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ。 小学2年生の時にソフトボールを、小学4年生の時に野球を始める。藤代紫水高等学校では1年生からレギュラーとなり、2年秋の県大会で優勝。関東大会に出場したが初戦敗退し甲子園には出場できなかった。高校通算38本塁打。駒澤大学へ進学し、2学年先輩の捕手・関川浩一の後を受けて3年生からは1学年先輩で主将の若田部健一、竹下潤ともバッテリーを組んだ。4年春には同期の鶴田泰や2学年下の河原純一、投手であった高木浩之らの活躍もあって大学選手権で優勝。2学年後輩には本間満もいた。東都大学リーグ通算49試合出場、130打数37安打、打率.285、8本塁打、26打点。ベストナイン2度受賞。 1992年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから4位指名を受け、入団。 3年目の1995年シーズンには監督に就任した上田利治からリード面を評価され抜擢、次第に試合数を伸ばした。95年オフにそれまで不動の正捕手だった田村藤夫が千葉ロッテマリーンズへ移籍したため、1996年シーズンには正捕手として101試合に出場するなどチーム2位の躍進に貢献する。しかし、それまで課題だった打撃と盗塁阻止率が向上しなかった為、1998年シーズンにはヤクルトスワローズから移籍してきた野口寿浩が台頭すると、次第に控えに回ることが多くなった。 2002年シーズン途中、林孝哉との交換トレードで福岡ダイエーホークスへ移籍。正捕手の城島健司がケガで戦線離脱した時とアテネ五輪などで同じく城島が抜ける際には、捕手として活躍。 2003年は城島が捕手として全試合フルイニング出場を果たし、田口はシーズンを通して捕手としての出場はなかった。この年は10試合の出場にとどまり、3試合で一塁の守備に就いた。 また、明るい性格でベンチに控えていることも多いため、同じくベンチにまわることの多くなった鳥越裕介とともに、チームのムードメーカーとなり、地元のテレビ番組にもそのキャラクターを生かして数多く出演した。キャラクター・顔つき・喋り方などがかつてのプロ野球界爆笑男であるギャオス内藤とそっくりである。 一軍捕手としては城島の存在感もあって酷評されることも少なくなかったが、二軍でマスクをかぶった際には、若手投手への硬軟自在な指示を行うことから、若手投手の育成に貢献し、2005年シーズン限りで現役を引退。 2006年からはチームスタッフ(管理部・育成担当)に就任し2009年から2010年までは二軍バッテリーコーチを務め、2011年からはスカウトに就任し、2014年11月10日に2015年シーズンからは東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍バッテリーコーチに就任することが発表された。2015年シーズン限りで退団。 2016年シーズンからは埼玉西武ライオンズの一軍バッテリーコーチに就任。2016年10月1日に退団の申し入れをし了承された。2017年シーズンは千葉ロッテマリーンズの一軍バッテリーコーチに就任。同年10月11日に翌年のコーチ契約を行わないことを通告された。 2019年6月に、西南学院大学野球部バッテリーコーチに就任。 2020年4月からは、岡山県にある環太平洋大学硬式野球部ヘッドコーチに就任。 2023年からはホークスジュニアアカデミーでコーチを務める。 ダイエー移籍後の2002年6月29日の対近鉄戦で、誤ってマウンド上の渡辺正和投手のユニフォームを着て試合に出場してしまう珍プレーを演じる。このプレーで、その年の日本テレビの『勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー』では、珍プレー大賞(MVU)に選ばれる。また、同年の7月9日の西武戦で、ホークス時代最初のヒーローインタビュー(事実上最初で最後のヒーローインタビューである)では、インタビュアーのアナウンサーからマイクを奪って「田口です!」と自己紹介した。 2003年、ダイエーの春季キャンプ恒例の「声出し」で「1試合でも多く捕手で試合に出る」という目標を立てる一方、正捕手の城島は「全試合フルイニング出場」を目標に掲げた。先述の通り、城島が宣言通りに捕手として史上2人目の全試合フルイニング出場を果たし、田口は捕手として試合に出ることはなかった。結果、2003年初マスクは長嶋ジャパンの壮行試合となった日本代表vs日本選抜(監督:王貞治)であった。 2003年の日本一祝勝会で、「よう見とけ!これがホントの顔面シャワーじゃ!」と言いチームメイトにビールを浴びせ、フジテレビの『すぽると!』で生中継中だった三宅正治からツッコまれた。 2003年の日本一記念で『関口宏の東京フレンドパークII』に「お笑い隊長」としてチームメイトとともに出演。しかしアトラクションに精一杯で、司会の渡辺正行に「面白いことをやっていない」と突っ込まれ、さらに番組の最後、ダーツのルーレットにて「たわし」を当ててしまった。 後輩の加藤領健は入団発表時「目標は田口さんのようなムードメーカー」と言っていた。 2006年7月、二軍の打撃練習でバッティングピッチャーを務めた際、投げた球が井手正太郎の顔面に直撃し、鼻を骨折する。大きな責任を感じ、井手が病院から帰ってくるまでユニフォームも着替えずに待ち、さらに数日「大丈夫か?」と声をかけ続けた。井手本人は「そんなに気にしなくても」と恐縮しきりであった。 歌唱力がかなり高い。
2005年11月6日に福岡Yahoo!JAPANドームで開催された「ホークスファン感謝の集い」にて引退セレモニーが行われたが、本人が「福岡に来てから1度しかお立ち台に立っていないのが心残り」と言ったため、球団側が急遽お立ち台を準備し、お立ち台に立った田口は「いざゆけ若鷹軍団」を熱唱し、キャッチャーミットとマイクをホームベースの上に置くという、山口百恵の引退コンサートのパロディーでグラウンドを去った。 各年度の太字はリーグ最高 ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
記録
初安打:1994年6月26日、対オリックス・ブルーウェーブ15回戦(東京ドーム)、7回裏に山中潔の代打として出場、野村貴仁から 初先発出場:1994年7月3日、対千葉ロッテマリーンズ13回戦(東京ドーム)、9番・捕手として先発出場 初打点:1994年9月18日、対近鉄バファローズ25回戦(藤井寺球場)、8回表に酒井弘樹から2点適時打 初本塁打:1995年5月6日、対近鉄バファローズ7回戦(藤井寺球場)、1回表に小池秀郎から2ラン 初盗塁:2001年5月12日、対オリックス・ブルーウェーブ11回戦(東京ドーム)、4回裏に二盗(投手:加藤伸一、捕手:日高剛) プロ初盗塁が出場425試合目 ※パ・リーグ野手最遅記録 31(1993年 - 2002年途中) 57(2002年途中 - 2003年) 22(2004年 - 2005年) 96(2006年 - 2008年) 72(2009年 - 2010年) 88(2015年) 82(2016年) 86(2017年) ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、328ページ ^ '94スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社 ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P19 ^ “新任コーチに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2014年11月10日). 2014年11月10日閲覧。 ^ “来季のコーチ契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス・公式サイト (2015年10月7日). 2015年10月7日閲覧。 ^ “2016年度 コーチングスタッフ発表!”. 埼玉西武ライオンズ公式サイト (2015年10月13日). 2015年10月13日閲覧。 ^ 埼玉西武ライオンズコーチ来季契約について 西武球団公式サイト 2016年10月1日配信 ^ “ロッテ1軍バッテリーコーチに田口昌徳氏が就任”. デイリースポーツ (2016年10月26日). 2015年10月7日閲覧。 ^ “コーチ契約について”. 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト (2017年10月11日). 2021年9月3日閲覧。 ^ “元ソフトバンク捕手・田口昌徳氏の夢 西南大コーチに就任”. 西日本スポーツ (2019年6月18日). 2021年9月3日閲覧。 ^ “【珍記録】中日福田が690試合目で「うれしい」初盗塁 史上2番目の遅さ”. 日刊スポーツ. (2021年5月2日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202105010000755.html 2022年9月22日閲覧。 茨城県出身の人物一覧 駒澤大学の人物一覧 北海道日本ハムファイターズの選手一覧 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧 個人年度別成績 田口昌徳 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 表 話 編 歴 1位:山原和敏 2位:松田慎司 3位:今関勝 4位:田口昌徳 5位:西浦克拓 表 話 編 歴 太田誠 鈴木三好 中尾卓一 原貢 大西敏文 木村龍治 佐々木善丈 鶴田泰 門奈哲寛 関根裕之 河原純一 渡辺秀一 田口昌徳 一鍬田学 柳沢裕一 印出順彦 神野純一 渡辺峰雄 上茂雄 小田裕剛 小久保裕紀 高田義宜 仁志敏久 天野義明 伊礼忠彦 杉村昭 真中満 竹間容祐 今田康博 日本の野球選手 駒澤大学硬式野球部の選手 日米大学野球選手権大会日本代表選手 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 日本の野球指導者 東北楽天ゴールデンイーグルス関連人物 埼玉西武ライオンズ関連人物 千葉ロッテマリーンズ関連人物 大学野球指導者 西南学院大学の人物 環太平洋大学の人物 茨城県立藤代紫水高等学校出身の人物 茨城県出身のスポーツ選手 1970年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 2024/10/25 17:01更新
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taguchi masanori
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