百田宗治の情報(ももたそうじ) 児童文学者、詩人 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
百田 宗治さんについて調べます
■名前・氏名 |
百田宗治と関係のある人
西脇順三郎: 1933年(昭和8年)百田宗治編の『尺牘』創刊号に「ギリシア的抒情詩」四篇を発表。1935年(昭和10年)に『曲水』を脱退した西村月杖らが新興俳句運動に参加し、俳句と詩の統合を指標とした俳誌『句帖』が主宰されると、俳句会に室生犀星、萩原朔太郎、百田宗治の4名で月交代で選者を務める。 草川信: どこかで春が(百田宗治作詞) 室生犀星: また、佐藤惣之助、百田宗治ら多数の詩人と知り合う。 梶井基次郎: 7月、『新文學研究』第3集で伊藤整が「三つの著書」として百田宗治の『パイプの中の家族』、横光利一の『機械』と共に『檸檬』を好評した。 渡辺浦人: 渋谷区中幡小学校 百田宗治作詞 佐藤惣之助: 1922年(大正11年)3月千家元麿、室生犀星、尾崎喜八、百田宗治らと詩誌『嵐』を創刊。 三好達治: 同じ三高から同学部に進んだ淀野隆三から梶井基次郎(文学部英文科)を紹介され、梶井と中谷孝雄、外村茂の創刊した同人誌『青空』に16号から参加、百田宗治らの激賞を受ける。 伊藤整: 1926年に百田宗治主宰の『椎の木』に手紙を出して同人となり、自費出版した抒情詩詩集『雪明りの路』で百田宗治、三好達治に高く評価された。 |
百田宗治の情報まとめ
百田 宗治(ももた そうじ)さんの誕生日は1893年1月25日です。大阪出身の児童文学者、詩人のようです。
現在、卒業、家族に関する情報もありますね。1955年に亡くなられているようです。
百田宗治のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)百田 宗治(ももた そうじ、1893年1月25日 - 1955年12月12日)は大正・昭和期の詩人、児童文学者、作詞家。本名は百田宗次。少年時代の号は楓花。現在の大阪府大阪市西区新町出身。童謡『どこかで春が』(草川信作曲)の作詞で知られる。 高等小学校卒業後、フランス語を独学する。1911年ごろより詩を書き始め、1915年に個人雑誌『表現』を発行。翌1916年に詩集『一人と全体』を発表。詩の傾向としてはホイットマンやロマン・ロランの影響を受けた人道主義的・民主主義的傾向で、1918年に創刊された『民衆』を契機として、富田砕花や白鳥省吾とともに民衆詩派の一員として数えられるようになる。 新潮社が創刊した「日本詩人」の編集にあたり、1926年に発刊した『椎の木』では三好達治、丸山薫、伊藤整、春山行夫、阪本越郎など若手詩人を起用し、一時代を築いた。その頃から、モダニズムを取り入れた俳句系の詩風へ変化。1932年ごろより児童詩・作文教育に携わるようになり、波多野完治、滑川道夫、巽聖歌ら作文教育の指導者を育てた。戦中期には報道部員として大陸に渡った。東京大空襲で家を焼かれ、戦後間もない時期は3年ほど北海道に転住。1953年からは千葉県に住み、終の棲家とした。墓所は、千葉県南房総市(旧・安房郡富山町)高崎の寿楽寺。 東京大空襲により家を焼かれた百田は北海道で疎開生活を送ったが、その間、上川郡愛別町安足間にある万葉寺の住職・白川了照と親しかったことから、同地を何度も訪問した。一時期は同地への永住を考えていたようで、安足間への思いを寄せた詩を残している。万葉寺には百田直筆の「どこかで春が」の書など多数の遺品が保管されている。 また、旭川・紋別自動車道の愛山上川IC~上川層雲峡IC間にある橋梁「百田橋」「宗治橋」からも、この地と百田の関係をうかがい知ることが出来る。 愛の鳥 百田楓花 田中書店 明44.1 夜 短檠社 明45.7 最初の一人 詩集 短檠社 1915 『表現』(1915年) 一人と全体 詩集 表現発行所 1916 ぬかるみの街道 詩集 大鐙閣 1918 百田宗治詩集 現代詩選 第1 新潮社 1920 新月 玄文社詩歌部 1921 風車 新潮社 1922 (現代詩人叢書) 青い翼 大鐙閣 1922 静かなる時 詩集 新潮社 1925 北風と薔薇 金星堂 1926 (金星堂刊行抒情詩集叢書) 『椎の木』(1926年) 詩の鑑賞 附・西欧近代詩の知識 厚生閣書店 1927 児童自由詩の鑑賞 厚生閣書店 1927 詩の本 金星堂 1927 詩論集 随筆 椎の木社 1928 (椎之木叢書) 冬花帖 陋巷風物詩 厚生閣書店 1928 鑑賞藤村詩帖 厚生閣書店 1928 新しい詩の解釈とつくり方 厚生閣 1929 鑑賞暮鳥詩選 金星堂 1929 鑑賞独歩詩選 金星堂 1929 鑑賞透谷詩選 金星堂 1929 鑑賞啄木詩選 金星堂 1929 児童をうたへる詩歌 万葉より現代まで 厚生閣書店 1931 ぱいぷの中の家族 金星堂 1931 詩抄 椎の木社 1933 詩作法 椎の木社 1934 小学児童の詩 批評と添削 厚生閣書店 1934 路次ぐらし 随筆 厚生閣書店 1934 跳橋 版画荘 1936 自由詩以後 現代詩の批判と展望 版画荘 1937 全日本子供の文章 厚生閣 1937 子供のための教師のための綴方読本 第一書房 1938 綴方の世界 新潮社 1939 僕等の文章・私達の詩 新潮社 1940 (新日本少年少女文庫) 子供の世界 児童文化の諸問題 有光社 1941 オヤマノカキノキ 帝國教育會出版部 1941.7 (新日本幼年文庫) 私の綴方帖 大和出版社 1942 歴史 詩集 小國民のために 有光社 1942.1 蓬莱 有光社 1943 日本のあしおと 詩集 湯川弘文社 1943 青年詩とその批評 厚生閣 1943 砂糖の木 子どもの詩 光風館 1943 (女性新書) ニッポンノアシオト 二葉書房 1943.12 山川草木 白都書房 1946 閲歴 自選詩集 目黒書店 1946 子供の世界と大人の世界 小峰書店 1947 南京のうちわ 真野出版 1948 渡り鳥 大興社 1948 辺疆人 日本未来派発行所 1948 楡の木物語 国民図書刊行会 1948 (新日本少国民文庫) 現代詩 臼井書房 1948 小学生詩の話 第二書房 1951 綴方の中の子ども 金子書房 1952 中学生詩の本 明治図書 1954 ※作中の「にれの町」を百田の没後に小野州一が絵本化 百田宗治詩集 伊藤整編、1961 (新潮文庫) 小曲新辞典(編)資文堂書店 1927 現代詩講座 全10巻(編)金星堂 1929-30 ハイネ青春の書(編)人生叢書 金星堂 1936 児童詩読本 椎の木社 1936 綴方教程(編)厚生閣 1938 鉛筆部隊 少国民の愛国詩と愛国綴り方(編)アルス 1942 (新日本児童文庫) 小学生えんぴつ詩集 編 第二書房 1952 日本児童詩集成 編 河出書房 1956 百田は北海道を中心に全国35校の校歌を残しており、今なお唄い継がれている。 北海道 北見市立中央小学校(昭和27年10月制定) 北海道 美幌町立美幌中学校(昭和23年6月5日制定) 北海道 美幌町立美幌高等学校(昭和23年制定・昭和25年統合により廃校) 北海道 雄武村立雄武中学校(昭和22年制定) 北海道 雄武村立雄武小学校(昭和22年制定) 北海道 阿寒町立阿寒小学校(昭和22年3月制定) 北海道 標茶町立標茶中学校(不明) 北海道 釧路市立日進小学校(昭和28年3月8日制定) 北海道 釧路市立桜ヶ丘小学校(昭和26年10月8日制定・現釧路市立桜が丘小学校) 東京都 渋谷区立中幡小学校(昭和27年制定) 和歌山県 海草郡紀美野町立野上小学校(昭和30年制定) 日本の歌百選 阿部保 みんなの童謡 ^ 百田宗治文学碑 - 大阪市 ^ 万葉寺 - 安足間観光協会 百田宗治文学碑 - 大阪市 百田宗治:作家別作品リスト - 青空文庫 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 ISNI VIAF WorldCat イスラエル アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 20世紀日本の詩人 日本の作詞家 太平洋戦争のジャーナリスト 大阪市出身の人物 1893年生 1955年没 2024/11/23 21:36更新
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momota souji
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