草川信の情報(くさかわしん) 作曲家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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中村雨紅: 1956年(昭和31年)に雨紅の還暦を祝して恩方村の有志が生家の宮尾神社境内に『夕焼小焼』の歌碑を建立、それを機に興慶寺をはじめ、恩方村内の寺院でゆかりの鐘(歌詞に由来)や歌碑の設置が進み、作曲者・草川信の故郷の長野県内でも歌碑が建立された。 山上武夫: この地に、童謡唱歌関係だけでも山上のほかに、草川信、海沼實、坂口淳、近くに中山晋平、高野辰之、浅原鏡村などが輩出したのである。山上は故郷松代の先輩草川信の活躍や海沼實の動向に触発され、詩作を志し上京する。 三宅榛名: 『日本のうた(三宅榛名編曲):成田為三、山田耕筰、本居長世、草川信、滝廉太郎』Casa de la Guitarra、1967年 島木赤彦: 曲が付けられた童謡としては「からす」(本居長世作曲)や、「月夜」「つらら」「山の家」「夜汽車」(いずれも草川信作曲)がある。 小沢和義: 第22話「ああ!怪力サキの花の応援団長」(1986年4月10日放送) - 草川信吾 真由子: 汽車(作詞不詳・作曲大和田愛羅)→汽車ポッポ(作詞曲本居長世)→線路はつづくよどこまでも(アメリカ民謡)→汽車(作詞宮原薫・作曲草川信) 井上武士: 東京音楽学校では1年次にオルガンを楠美恩三郎、ヴァイオリンを大塚淳、音楽通論を信時潔、写譜を青木友忠(草川信の兄)・舟橋栄吉、国語と修身を吉丸一昌、音楽史を乙骨三郎、英語を富尾木知佳、心理を船越文教、唱歌を岡野貞一、ダンスを坪井玄道から教わったと書いている。 百田宗治: 童謡『どこかで春が』(草川信作曲)の作詞で知られる。 富原薫: 汽車ポッポ (作曲:草川信) 中村雨紅: 『夕焼小焼』作曲:草川信 中村雨紅: 1919年(大正8年)に作詞し、1923年(大正12年)に草川信が曲をつけた。 山上武夫: 『この道ほそ道』が草川信の作曲によりラジオ放送される。 松鶴家千とせ: 原詩:中村雨紅、挿入詩:元木すみお、進しげお、作曲:草川信、編曲:竹村次郎。 鈴木三重吉: この間、坪田譲治、新美南吉 ら童話作家、巽聖歌ら童謡作家、成田為三、草川信ら童謡作曲家、清水良雄らの童画家も世に出した。 |
草川信の情報まとめ
草川 信(くさかわ しん)さんの誕生日は1893年2月14日です。長野出身の作曲家のようです。
卒業に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1948年に亡くなられているようです。
草川信のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)草川 信(くさかわ しん、1893年2月14日 - 1948年9月20日)は、日本の作曲家。 長野県上水内郡長野町(現長野市)に旧松代藩士で銀行員の草川一成の四男として生まれる。長野師範学校附属小学校(信州大学教育学部附属長野小学校)で福井直秋に薫陶を受け、旧制長野中学(長野県長野高等学校の前身)を経て、東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部の前身)に進むとヴァイオリンを安藤幸と多久寅に、ピアノを弘田龍太郎に師事する。 1917年卒業後、渋谷区立小学校訓導、東京府立第三高等女学校(東京都立駒場高等学校と東京都立芸術高等学校の前身)教諭、東京市杉並高等家政女学校(東京都立荻窪高等学校の前身)、東京音楽学校教務嘱託など教職の傍ら、東京音楽学校管弦楽団などで演奏家として活動。その後、雑誌『赤い鳥』に参加し童謡の作曲を手がける。子の草川宏、実兄の草川宣雄(1880年9月9日 - 1963年)と青木友忠(1887年 - 1921年6月28日)、甥(宣雄の子)の草川啓も同校卒業生で、宣雄は東京の富士見町教会オルガニストであった。 同郷に河野通勢がいる(同じ小学校に在籍していた)。故郷の長野市往生寺境内に「夕焼けの鐘」「夕焼小焼」の歌碑がある。 ゆりかごの唄(北原白秋作詞) 離れ小島の(北原白秋作詞) ふぶきの晩(北原白秋作詞) 南の風(北原白秋作詞) 夕焼小焼(中村雨紅作詞) 兵隊さんの汽車(富原薫作詞・戦後GHQの指令で歌詞を『汽車ポッポ』に変更) 緑のそよ風(清水かつら作詞) 春のうた(野口雨情作詞) どこかで春が(百田宗治作詞) ふうりん(川路柳虹作詞) 父母の声(与田準一作詞) ままごと(浜田広介作詞) 風(クリスティーナ・ロセッティ作詞、西条八十訳詞) さいたま市立木崎小学校(下山懋作詞) 宮城県仙台二華中学校・高等学校(渡辺義丸作詞) 長野県屋代高等学校・附属中学校(佐竹盛富作詞・折口信夫校閲) 馬の鈴(川路柳虹作詞) 秋の声(額賀誠志作詞) いたちっこ(額賀誠志作詞) お月さんのうた(額賀誠志作詞) 閑古鳥(額賀誠志作詞) たにし(額賀誠志作詞) どんと波こい(額賀誠志作詞) 虹の橋(額賀誠志作詞) ねんねんころりん(額賀誠志作詞) 浜防風(額賀誠志作詞) 春風(額賀誠志作詞) 筆の花(額賀誠志作詞) やまのお医者さま(額賀誠志作詞) My baby イ長調(ヴァイオリンとピアノのための) ガヴォット イ長調(ヴァイオリンとピアノのための) 奇想曲集(ヴァイオリンとピアノのための) ^ kotobank-草川 信. ^ 南部 2013. ^ 東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻 2003, pp. 1556, 1601, 1629, 1637 - 草川信。1929年6月から1932年10月まで東京音楽学校教務嘱託。 ^ “草川宏”. 戦時音楽学生Webアーカイブズ 声聴館. 東京藝術大学音楽学部 大学史史料室. 2020年1月2日閲覧。 ^ 東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻 2003, pp. 1556, 1600, 1627 - 草川宣雄。1915年4月から1919年6月まで東京音楽学校音楽教授法教務嘱託、1919年7月から1940年3月まで同校講師。 ^ 東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻 2003, pp. 1545, 1595 - 青木友忠。1914年7月から1917年4月まで東京音楽学校オルガン教務嘱託。 ^ “校歌 | 屋代高校 屋代高校附属中”. www.nagano-c.ed.jp. 2023年4月2日閲覧。 ^ 大日本作曲家協会 編 編「馬の鈴」『日本作曲年鑑 1936年』共益商社書店、1940年、16-17頁。 ^ “子どもの目をもったお医者さま 額賀誠志|広野町公式ウェブサイト”. 広野町公式ウェブサイト. 2024年9月21日閲覧。 ^ 大日本作曲家協会 編 編「My baby」『日本作曲年鑑 1934年』共益商社書店、1935年、127-129頁。 ^ 大日本作曲家協会 編 編「Gavotte」『日本作曲年鑑 1935年』共益商社書店、1935年、110-111頁。 ^ 大日本作曲家協会 編 編「Capriccis」『日本作曲年鑑 昭和13年度』共益商社書店、1940年、166-173頁。 ^ 大日本作曲家協会 編 編「Capriccio」『日本作曲年鑑 昭和16年度』共益商社書店、1943年、80-84頁。 宝月圭吾編 『長野県風土記』 旺文社、1986年 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年 東京芸術大学百年史編集委員会 編 編『東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻』音楽之友社、2003年。ISBN 978-4-2760-0615-7。 南部好江「草川 信」『童謡唱歌名曲全集 別冊』名著出版、大阪府門真市、2013年、100頁。ISBN 978-4-626-01746-8。 “草川 信(クサカワ シン)”. コトバンク. 新撰 芸能人物事典 明治 - 平成. 2020年1月2日閲覧。 草川信研究(富山大学人間発達科学部) 池田小百合 なっとく童謡・唱歌 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 ISNI VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research MusicBrainz RISM 19世紀日本の音楽教育者 20世紀日本の音楽教育者 日本の男性作曲家 日本のヴァイオリニスト 東京芸術大学の教員 (音楽) 日本の初等教育の教員 東京芸術大学出身の人物 長野県長野高等学校出身の人物 長野県出身の人物 1893年生 1948年没 すべてのスタブ記事 音楽家関連のスタブ ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 RISM識別子が指定されている記事
2024/11/20 22:17更新
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