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矢沢永吉の情報 (やざわえいきち)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

矢沢永吉の情報(やざわえいきち) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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矢沢 永吉さんについて調べます

■名前・氏名
矢沢 永吉
(読み:やざわ えいきち)
■職業
ミュージシャン
■矢沢永吉の誕生日・生年月日
1949年9月14日 (年齢74歳)
丑年(うし年)、乙女座(おとめ座)
■出身地・都道府県
広島出身

(昭和24年)1949年生まれの人の年齢早見表

矢沢永吉と同じ1949年生まれの有名人・芸能人

矢沢永吉と同じ9月14日生まれの有名人・芸能人

矢沢永吉と同じ出身地広島県生まれの有名人・芸能人


矢沢永吉と関係のある人

青森伸: 忍たま乱太郎(矢沢永吉


吉田栄作: ナベプロに入った頃も、先輩の中山秀征とは口も利かなかったが、たまたま飛行機で一緒になり、矢沢永吉が好きという話で意気投合。


山寺宏一: 矢沢永吉


小田和正: 2016年4月20日発売のベストアルバム『あの日 あの時』はオリコンで週間1位となり、「アルバム首位獲得最年長アーティスト(68歳7ヶ月)」として、矢沢永吉の記録(63歳8ヶ月)を更新。


藤本永治: 愛称は「MBSの永ちゃん」(矢沢永吉に対抗して)。


大場久美子: アイドル時代から矢沢永吉の追っかけを行っており、成人後に矢沢永吉の自宅の近所に自宅を建てたが、すぐに矢沢永吉が引っ越したという。


トニーヒロタ: 矢沢永吉


舘ひろし: 1975年、バイクチーム「クールス」からの選抜メンバーで結成されたロックバンド「クールス」のボーカルとして『紫のハイウェイ』(矢沢永吉(五大洋光)作曲)でデビュー。


高橋研: 1981年の「さよならロンリネス」を最後に一時音楽業界から離れるが、1983年、ALFEEの「メリーアン」の作詞を切っ掛けに楽曲提供を開始、おニャン子クラブ、矢沢永吉、中村あゆみ、VOW WOW、川村かおり、加藤いづみなど多くの歌手へ楽曲提供、プロデュースを務める。


幹てつや: 矢沢永吉の熱狂的なファンでもあり、現在は矢沢永吉のモノマネを中心に、妻でもある浜崎あゆみのモノマネ芸人・あゆと漫才コンビ『かりすま〜ず』で活動中。


マキタスポーツ: 矢沢永吉


山川啓介: 「Morning Rain」(作曲:矢沢永吉


ちあき哲也: 矢沢永吉


山川啓介: 「ラストソング」(作曲:矢沢永吉


糸井重里: 他にも、タモリ、萩本欽一、矢沢永吉、松本人志、イチロー、谷川俊太郎、明石家さんまなど、多数の有名人との対談も掲載されている。


きたがわ翔: 2008年 - 『成りあがり〜矢沢永吉物語』の連載が『コミックチャージ』(角川書店)にて開始(上と同時連載)。


那須川天心: 入場曲には矢沢永吉の『止まらないHa〜Ha』を使用している。弘幸が矢沢永吉の大ファンで、那須川も入場曲に使いたかったが、「お前はまだこの曲を使う器じゃない」と止められていたため、弘幸から許可が降りるまで使用しなかった。


陣内大蔵: 陣内の出番では、降雨によりステージの前二列より後部座席が視界が塞がれ、サポートミュージシャン・為山五朗のギターが壊れ、陣内自身ずぶ濡れで矢沢永吉状態(肩にタオルをかけ、髪はオールバック)になりステージ上でヘッド・スライディングした。


なかにし礼: 矢沢永吉


宮本侑芽: 現在も熱心な矢沢ファンであり、2024年2月27日に発売された矢沢永吉をフィーチャーした特別号『矢沢永吉 日本武道館150 回公演記念 Special Collectors Edition』にコメントを寄稿している。いつか矢沢永吉に関わる仕事をするのが夢であるという。


矢沢洋子: 9月19日、矢沢永吉「ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME」公演にてステージでの親子初共演を果たす。


茂木栄五郎: 「止まらないHa〜Ha」矢沢永吉(2016年 - 2017年)


江角マキコ: (1994年には、矢沢永吉のアルバム『the Name Is...』のジャケット写真にも登場。


アイパー滝沢: また、矢沢永吉のものまねをすることがある。


寺島進: 矢沢永吉のファンで、高校時代のバンド活動では彼をマネて白いバギーに裸に革ジャン姿に、頭にはねじり鉢巻きをしていた。


桑名正博: 仕事が一緒になった時、矢沢永吉から「お前は甘い」、酔った勢いで「成り上がりがどうの」と言われたため、「そんな金持ってて使い方がわかんないんだったら、俺が使ってやる!」とケンカになったことがあるという。


河野陽吾: (収録曲 1.OCEAN BEAUTY〜マイ ホーム タウン(浜田省吾)2. なぜか上海(井上陽水)3. 光と影の季節(浜田省吾)4. 月が射す夜(風) 5. Bye Bye(風)6. 愛の唄(オフコース)7. 思いのままに(オフコース)8. 雨のハイウェイ(原田真二&クライシス)9. 夢の彼方(矢沢永吉)10. 僕と彼女と週末に(浜田省吾)


藤井フミヤ: 2008年12月31日、日本武道館で行われたカウントダウン・ライブで、チェッカーズ時代とF-BLOOD名義、そしてソロを含む通算公演回数が、矢沢永吉と歴代1位タイの102回になった。


小野耕世: 1973年、同じくNHKのディレクターだった龍村仁(現ドキュメンタリー監督)と共にATGで矢沢永吉などが所属していたバンドキャロルのドキュメンタリー映画『キャロル』を制作(小野は脚本を担当した)。


丹波博幸: 矢沢永吉


矢沢永吉の情報まとめ

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矢沢 永吉(やざわ えいきち)さんの誕生日は1949年9月14日です。広島出身のミュージシャンのようです。

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家族、経歴などについてまとめました。テレビ、ドラマ、映画、現在、家族、父親、母親、卒業、解散に関する情報もありますね。去年の情報もありました。矢沢永吉の現在の年齢は74歳のようです。

矢沢永吉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年〈昭和24年〉9月14日 - )は、日本のロックミュージシャン、俳優。広島県広島市仁保(現南区)出身。身長180cm、血液型はB型。

愛称は「永ちゃん」「ボス」

矢沢ファンは、ロック界でも屈指の熱狂ぶりで知られるが、他のアーティストのファンとの決定的な違いは“矢沢になろうとする”こと。素肌に白スーツ&リーゼント姿の筋金入りはもちろんのこと、生きざまを人生の針路とする人が多い。2006年には、NHKスペシャルにて矢沢本人ではなくファンにスポットを当てた番組が放映された。キャロルがデビューした1972年から、ソロデビュー以降、今日まで人気を維持し、独特のファン層を形成している。

ほぼ全曲にわたる作曲、および数曲における作詞を手掛ける。クールス「紫のハイウェイ」など他のアーティストには「五大洋光」名義で楽曲を提供したこともある。

1975年のソロデビュー以降、ライブを大事にしたいという考えから、特にテレビ媒体に露出することは少なかった。1978年、資生堂のCMソングに採用された「時間よ止まれ」が大ヒットした際も『ザ・ベストテン』を初め、当時の音楽番組にはほとんど出演せず。ラジオは1970年代に何度か出ている。このため1980年2月10日にNHK教育の『若い広場』に出演した際は大きな反響を呼んだ。同じ1980年に自身がCMソングを手掛けた「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」のCMは出演し、曲もヒットしたが、この時も音楽番組には出演しなかった。ただ、CMソングは1976年9月のSONYラジカセ「リズムカプセル9000」から多数手掛ける。近年のようにテレビ媒体に露出が増えたのは1992年に新発売されたサントリー缶コーヒー「BOSS」の初代CMキャラクターに起用されてからである。1980年代もテレビに出演することは少なかったが、ロックのカリスマのイメージを覆す冴えないサラリーマンを演じて世間を驚かせた。事務所の人間の殆どが「ボスのイメージに合わない」と難色を示したが、矢沢が「面白いじゃない、やろうよ」と鶴の一声で出演が決まったものだが、お茶の間への知名度を拡げた。1994年には『アリよさらば』でテレビドラマの主役を演じその後、ドラマ数本と映画に出演している。

活字メディアにもキャロル時代からしばしば登場した。『週刊プレイボーイ』は、キャロル時代から矢沢を応援しており、誌面への登場はミュージシャンでトップの32回に及ぶ。アルバム『Last Song』が発売された2012年夏には、多くの雑誌で表紙を飾った。

多くのアルバムをセルフ・プロデュース。コンサート興行や演出なども自身の会社が行い、自らがそれら全てを取り仕切る。

自らの奇想天外な人生を基に、数多くの名言を残している。

声以上の楽器はないと話しており、レコーディングの際には、ほとんど1テイクで完成することが多い。

2012年現在、楽曲数約400曲・ライブ総数約1800本・総動員数約600万人を超える。

オリコンアルバムランキングベスト10入り最多記録(51作)を保持。

オリコンDVDミュージック部門で最年長首位記録更新、60歳代での首位獲得は男女・洋楽邦楽含め史上初であった。

1970年代から1990年代までの3つの西暦10年代連続で、スタジオ・アルバム首位を獲得した男性ソロアーティスト。

1977年8月26日、日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館でコンサートを行う。以降2017年まで武道館最多公演記録149回と更新中。日本武道館を"ロックの殿堂"に押し上げる。

1978年、1980年、1982年で長者番付歌手部門第1位。1981年、所得約2億4000万円。

ソロ歌手史上初のインディーズ作品によるオリコンアルバムランキング首位を獲得。

1978年、資生堂のCMソングとしてヒットした「時間よ止まれ」が、2014年再び同社のCM曲として復活した。

ホットドッグ・プレスの1982年5月号の独占インタビューにおいて「日本のミュージシャンはストーンズを観るべき。だが横浜銀蝿のようなガキは観てもダメ。坂本龍一とかは観たほうがいい」と辛口なコメントをしている。同時に紅白歌合戦を「年越しそば歌合戦」と皮肉を込めて述べた(紅白については後の2009年に第60回NHK紅白歌合戦でサプライズゲストとして初出場)。

2015年12月2日にリリースしたライブDVD『ROCK IN DOME』が、同年12月14日付のオリコン週間DVDランキングにおいて総合1位(初登場)初週売上1.7万枚を獲得した(Blu-rayの売上枚数初週売上9805枚と合算した「総合ミュージック映像ランキング」も1位獲得)。

また、前作『TREASURE BOX』で自ら樹立した“DVD首位獲得最年長記録”(2014年5月当時64歳8ヶ月)を66歳3ヶ月に自ら塗り替えた。

2018年7月13日、平成30年7月豪雨の発生を受け、自身のホームページ内の動画にて、同年9月11日に行われる広島グリーンアリーナ公演で得た収益を被災地に寄付することを表明した。

2019年9月、アルバム『いつか、その日が来る日まで...』が、初週11.2万枚を売り上げ、同年9月16日付オリコン週間アルバムランキングで初登場1位を獲得。2016年5月16日付に小田和正が『あの日あの時』で1位を獲得した際の68歳8ヶ月を上回り、最年長1位獲得アーティストとなった(1949年9月14日生まれの矢沢にとっては、今回が70歳での1位獲得(9月16日時点の年齢)。「最年長1位獲得アーティスト」記録は、ソロアーティストおよび作品が対象。年齢の月数は、月の過半日数以上で翌月に繰り上げとなる)。また、自身が歴代1位記録を持つ「アルバムTOP10入り作品数」を本作で54作に更新した。

家族

前妻との間に2男1女、現妻は米国人とのクォーターで、2女2男の父親

次女の矢沢洋子は二番目の妻との娘で歌手である。洋子とはサントリー「ザ・プレミアム・モルツ」のCMで親子共演をしている(2009年、2016年)。2017年、洋子と入籍したベーシストU.G(元ギターウルフ)は義理の息子に当たる。2021年1月22日、洋子が第一子となる女児を出産、2022年10月12日に第二子となる女児を出産。孫娘は矢沢を「じいじ」と呼び、矢沢もまた孫娘を愛でている。

経歴

生い立ち 〜 広島

母親は永吉が3歳の時、夫と息子を捨てて蒸発。広島で被爆した父親とは小学校2年生の時に死別。このため幼少期は親戚中をたらい回しにされ、その後は父方の祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごした。この頃、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの一部を顔に投げつけられるなどのいじめを体験した。このような経験が積み重なり「BIGになる」との思いが芽生えたと語っている。矢沢は「晴れた日に海を見ていると広島を思い出すよ。やたら天気よくてね。広島ってヤクザとか原爆とか色々言われるけど、ボクにとっては一地方都市ね。悲しいことも楽しいこともあるけど、全部含めてね、淋しかーったって記憶しかないね。広島にいた子供の頃って、一人だったなって記憶しかない。かき氷が食いたかったけど、食えなくて、水だけジャブジャブ飲んでた。そんなことしか覚えてないよ」などと述べている。当時のモータリゼーションもあって、将来は板金工になって金を稼いでやろうと考えていたが、中学時代、ラジオから流れるビートルズを聴いてロックに目覚め、さらにザ・ベンチャーズの広島公演に行ったことで感化され、スターになることを夢見るようになる。東京で歌手になる夢を周りに語ったが、日本にロックという文化が根付いていなかった60年代に於いて、ましてや広島の片田舎では「お前、頭、大丈夫か?」という反応しか得られなかった。

横浜へ 〜 キャロル結成

1968年 - 1972年

    広島電機大学付属高校(広島国際学院高校)卒業と同時に卒業証書を破り棄てて、スーパースターになることを夢見て、トランクとギターとオリジナル曲を書いた譜面とアルバイトで貯めた5万円を持って、広島から最終の夜行列車で上京する。広島駅から見送ってくれる者は誰もなかった。しかし、東京駅へ向かうはずだったが、長時間の移動で尻が痛くなったのと、ザ・ビートルズの出身であるリヴァプールと横浜が同じ港町だったことから、反射的に横浜駅で途中下車、洋食レストラン「梅香亭」(伊勢佐木町)や、チャイナタウン、喫茶「タクト」(日ノ出町)などで働きながらバンド活動を始める。タコ部屋の住み込みで、エロ本、シケモクにズリセン掻いたティッシュの山から抜け出そうともがいた。横浜での青春時代を描いた「チャイナタウン」(作詞:山川啓介)や、国道16号を描いた「レイニー・ウェイ」(作詞:相沢行夫)を矢沢は情感を込め歌った。横浜での下積み時代は弘明寺に住んだ。

    自作の曲「アイ・ラヴ・ユー、OK」などのテープを「ビートルズのレコードを出しているから」という理由から東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)に持ち込んだが「いいけど日本じゃウケないみたいよ、これ」「売れない」などと断られ、CBS・ソニーにも持ち込んだが不採用だった。結局、陸送の仕事に戻る。

    血の滲むような生活苦の中で夢を諦めず、「ザ・ベース」「イーセット」を経て、「ヤマト」を結成。「ヤマト」には、後に「矢沢ファミリー」と呼ばれるNOBODYの木原敏雄(ギター)、大森正治(ドラム)がメンバーに名を連ねた。この頃、もう一人のNOBODYメンバーである相沢行夫とも知り合う。「才能の無い奴は去れ」という考えから、無能なメンバーを切り離し、使える者をピックアップすることでバンドの能力向上を図った。「ヤマト」時代に出演した「本牧のライブハウス・ゴールデンカップでメンバーと飲んだ(フレッシュライムではなくシロップを使った)ジン・ライムが忘れられない」とライブのMCで話したため、今もジン・ライムを飲みに矢沢ファンが同店を訪れる。

    蒲田、川崎、横浜、横須賀などのライブハウスやキャバレー、兵隊の集まるゴーゴークラブで歌う。

    「ヤマト」で芸能界デビューを望んでいたものの、様々な事情により横浜市立大学講堂で解散

    1972年

      矢沢が貼紙チラシで募集をかけ、ジョニー大倉・内海利勝・ユウ岡崎(この頃は別のドラム担当でユウ岡崎はデビュー後に参加)らと6月、ロックバンドキャロルを結成。ボーカルおよびベースギターを担当。

      当時は歌謡曲とフォークが中心で、ロックバンドが商業的に受け入られなかった音楽界に突如として現れ人気を博した。活動は短期間であったが、後の日本のロックシーンに大きな影響を与えた。ソロ転身後の矢沢の奮闘がキャロルをのちに“伝説”にした。

      1975年

        解散が決定的になった頃、矢沢はソロ活動を行う際にフォノグラムとの間に起こり得る問題を未然に防ぐため、単身CBS・ソニーに行き、幹部と面会して自らのソロ活動を担保とした金銭面・ビジネス面の話をまとめている。面会後、CBS・ソニーから借金をして多額の現金をフォノグラムに払い、同社のプロジェクトチームが動き始めた。

        所属会社の要請で4月13日、日比谷野外音楽堂において解散ライブを行う。ライブには親衛隊としてクールスのメンバーが参加。演出のために使用した爆竹が雨で湿って、その火花が舞台セットに燃え移りステージが炎上、メンバーは楽器を失うだけではなく、多くの借金を抱えるというアクシデントの中、キャロル解散

        1970年代、ソロデビュー

        1975年

          キャロルの解散が決まるとすぐに次のビジョンを描き、1974年末から渡米の準備を始め、キャロル関係の人間から離れ、一切のスタッフを総入れ替えし、ソロアルバム用のデモテープを完成させ、キャロル解散から20日後の5月3日、初の渡米。キャロル時代の書籍『暴力青春』(1975年、KKベストセラーズ)に書かれた「理屈やゴタクを並べるヤツは、金と暇のあるヤツさ。オレにはそんな時間も余裕もまったくなかった。オレの辞書には"行動"という言葉しかないんだ」を地で行く行動力。53歳時のインタビューでもキャロル解散時は、心に全く余裕が無かったことを回想している。CBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移籍後、キャロル解散5か月後の9月21日、ロサンゼルスレコーディングによるシングル「アイ・ラヴ・ユー、OK」、アルバム『I LOVE YOU, OK』でソロデビューした。制作費はキャロルで得た印税を全て注ぎ込んだ。当時のシラケ世代の中で「ロックの世界から陽水、拓郎に挑戦するんだ」と先行するフォーク勢打倒を打ち出した。当時を振り返って矢沢は「キャロルからソロになった時は燃えました。雷のように熱かった。自分なりに2年半キャロルやって、芸能界の仕組みというのが分かったから、なまじ中途半端に名前があると、かえってそれをぶち抜くくらいのパワーがいる。名前があった方が不利だと思っていたね、あの頃は」などと述べている。ファンにはキャロル時代の『ファンキー・モンキー・ベイビー』のような曲調が求められ、アルバム『I LOVE YOU, OK』は不評。「お前のロックはもう死んだ」「女みたいな歌を歌うな」などと散々叩かれた。

          同年9月27日の京都会館を皮切りにソロ初のツアーを行ったが、半年前まで完売だったチケットが全く売れず。キャロルを否定するような曲構成に評判は散々で、"キャロルの矢沢"を期待するファンが一気に離れた。ある地方公演では楽屋がなく、近くの駄菓子屋の6畳一間を借りて着替えたこともある。1975年10月7日、キャパ1400の長崎県佐世保市民会館の公演では、雨の中、スタッフが総出でタダ券を配りまくって、200~300人余りの観客だったエピソードは、"リメンバー・佐世保"として『若い広場』を初め、矢沢の口からよく語られる。

          1976年

            1976年1月8日に中野サンプラザで行われたツアーラストの東京公演では、全身ラメの入った衣装を身に纏ってバラード「アイ・ラヴ・ユー、OK」を歌ったため、観客は口あんぐりでブーイングを浴びせられる屈辱。キャロルの"ノリ"のままでいけば、チケットが売れることは最初から分かっていたが。それならキャロルを解散した意味はないと考えていた。メロディメーカーとしての絶対の自負から、クオリティーの高い楽曲のリリースを続ければ、ファンは必ず戻って来てくれるはずだという勝算を持っていた。

            矢継ぎ早にライブツアーを重ねることで、ソロデビューから1年ほどで"元キャロルの矢沢"でなく"ソロシンガー矢沢"として急速に認知を広めていく。作品も1作ごとに新たな挑戦を試み、ライブの動員も着実に増えていった。キャロル解散ライブの舞台であった日比谷野外音楽堂での1976年7月24日のステージ「ザ・スター・イン・ヒビヤ」は、サディスティックスをバックに迎え、最大収容3100人の会場に7000人近くが詰めかけ、ソロアーティストとしての"スーパースター・矢沢永吉"を強く印象づけた。

            1977年

              10代の不良少年層を中心に熱狂的なファンを集め始める。当時のファンは9割以上が男。女性はその熱い男に無理やり連れて来られた人だけで、男子トイレだけぎゅうぎゅう詰め状態。男たちはいわゆる不良少年、無頼者の印象の人間が多く、ヒートアップした観客が暴走し、警備員とケンカになるなど熱狂的な状況に「矢沢のライブは危ない」と使用拒否する会場も出てくるなど、矢沢の名前は全国に轟いていった。数々の難題があった中で日本のロック・ソロアーティストとしては初の日本武道館単独公演を敢行した。

              EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1977「TRAVELING BUS Part1」を1月4日からスタート(8月26日までの日本武道館まで)。

              EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1977「TRAVELING BUS Part2」を9月15日からスタート。

              1978年

                CMソング「時間よ止まれ」が大ヒット、累計売上はミリオンセラーを記録した。同曲には、バックバンドの一員として坂本龍一や高橋幸宏、後藤次利らが参加している。

                EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1978「GOLD RUSH '78 PART-1」を3月20日からスタート。

                会場周辺を機動隊が取り囲む厳戒態勢の下、8月28日に東京ドームの前身となる後楽園球場で空前の単独公演を敢行。

                5月長者番付歌手部門(1977年度)で、ロックミュージシャンとして初の第1位を獲得。

                7月、自著伝第1弾「成りあがり」を出版。100万部を超えるベストセラーとなり、社会現象となる。ライターを担当したのは糸井重里である。

                新聞世論調査におけるこの年の「ヒーローと呼べる人物」として第1位王貞治に次ぎ、第2位に選ばれた。

                1980年代

                1980年代に入ると黄金期を迎え、売り上げ・動員数、共にロックスターとしての地位を磐石にする。海外市場に活路を求め、アメリカ西海岸に活動の拠点を移し、現地のプロデューサーやドゥービー・ブラザーズなどのミュージシャンを起用したアルバムを何作か世界・全米で発売する。

                この頃より、積極的に交友を広げ、自身が有能と判断した人物に関しては、躊躇なく関わりを持つようになる。古くからの友人であった大野真澄はフォークシンガーであり、ソロになった当初より大野と共に相談相手となっていた吉田拓郎も同様である。以降もフォークの西岡恭蔵、また歌謡曲の分野で活躍していた大津あきらや山川啓介を作詞に起用している。近年でもブリティシュなモッドスタイルのバンド、ザ・コレクターズの加藤ひさしに作詞を依頼している。

                1980年

                  第1弾ドキュメンタリー映画『RUN&RUN』公開。

                  アメリカでの活動を視野に入れ、ワーナーパイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)に移籍。移籍金2億円。

                  長者番付歌手部門で1978年に続き首位獲得。

                  1981年

                    単身渡米し、アサイラム・レコードと契約。

                    9月25日、第1弾海外版アルバム『YAZAWA』全世界発売。全米での売上げ枚数は約2,000枚だった。以後主なる活動拠点をロサンゼルスに定める。

                    1982年

                      2月10日 第2弾海外版アルバム『YAZAWA It's Just Rock'n Roll』全米発売。

                      ビルボードの推薦曲として、シングル『ROCKIN' MY HEART』がジョージ・ハリスン、バリー・マニロウと共に掲載される。

                      ドゥービー・ブラザーズのメンバーと共にE.YAZAWA として“来日”し、凱旋武道館ライブ「MILES AND MILES」を敢行。このコンサートの模様はNHKで放送される。

                      長者番付歌手部門で1980年に続き首位獲得。

                      1983年

                        「I am a Model EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1983」をスタート。過激なファンによるコンサート中のトラブルを根絶するために観客席での喫煙行為、場内での酒、カメラやテープレコーダーでの盗聴・盗撮の一斉取り締まりを実施。さらに悪質な偽物のグッズ販売を抑制するために、オリジナル・グッズの通信販売をスタートさせる。

                        1984年

                          「E' I'll BACK SOON EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '84」をスタート。

                          1985年

                            ライブエイドに出演。

                            「TAKE IT TIME EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '85」をスタート。

                            1986年

                              「FEELIN' COME HA-HA EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '86」をスタート。

                              1987年

                                「ROCK'N ROLL KNIGHT EIKICHI YAZAWA CONCONCERT TOUR '87」を5/22からスタート。

                                「ROCK'N ROLL KNIGHT 2 EIKICHI YAZAWA CONCONCERT TOUR '87」を11/30からスタート

                                第3弾海外版アルバム『FLASH IN JAPAN』全米発売。全米での売上げ枚数5万枚。MTVスタッフによるPV製作。後に自伝で「FLASH IN JAPAN」の印税が800万円だったと回顧。「FLASH IN JAPAN」のミュージック・ビデオの撮影は、上京以降、ずっと背を向け続けていた広島市の原爆ドームで行われた。

                                日・米・伊合作映画『グッバイ・ヒーロー』の音楽を担当。サントラが発売される。

                                1988年

                                  アルバム『共犯者』ロンドンレコーディング。

                                  東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)に移籍。日本国内を重視した活動になる。それまで一貫してプロモーション活動を積極的に行うことはせずにレコーディングとライヴ活動に専念していたが、大小関わらず様々な雑誌インタビューから全国のテレビ・ラジオ局までプロモーションに回る。

                                  地方の放送局やラジオ局からすると「来るはずのない人が来た!」と大騒ぎになった。 こうして“よろしくお願いします”と挨拶しながらこまめにを回ることで、再び日本にミュージシャン“矢沢永吉”という芽がしっかり出始める。この試みは大成功であった。

                                      前述のアルバム世界発売であるが、ワーナーブラザーズはほぼ関与しておらずその実態は日本のワーナーパイオニア(当時)との契約であり、エレクトラ、アサイラム・レコードは配給だけを行う契約であった。このことからアメリカでのプロモーションは不十分な物であり、惨憺たる結果となる。第3弾『FLASH IN JAPAN』だけはワーナーブラザーズが全面バックアップを行ったものの、同様の結果に終わった。この一件により、矢沢はワーナーへの不信感を募らせ、同時期、石坂敬一の誘いもあって東芝EMIに移籍することとなる。

                                      「It's Only YAZAWA EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '88」をスタート。

                                      1989年

                                        「STAND UP'89 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を9/1からスタート

                                        「STAND UP '89 Special2 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を12/6からスタート

                                        1990年代

                                        1990年

                                          EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1990「Rock'n'Roll Army'90」をスタート。

                                          1991年

                                            EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1991「Big Beat」をスタート。

                                            1992年

                                              アルバム『Anytime Woman』ではビートルズの元ドラマーリンゴ・スターの長男、ザック・スターキーが「Anytime Woman」と「銀のネックレス」を担当した。レコーディングはロンドンのアビーロード・スタジオ。

                                              EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1992「Anytime Woman」をスタート。

                                              1993年

                                                EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1993「Come On!」をスタート。

                                                1994年

                                                  EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1994「The name is YAZAWA」をスタート。

                                                  TBS系列のテレビドラマ、アリよさらばで自身初となる、主演(「安部良太」役)と音楽監督を担当。

                                                  1995年

                                                    ベストアルバム『BIG BEAT』香港発売。

                                                    EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1995「JUST TONIGHT」をスタート。

                                                    1996年

                                                      インターネット「E.YAZAWA ONLINE SHOW」スタート

                                                      EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1996「WILD HEART」をスタート。

                                                      原宿にてゲリラライブ敢行。

                                                      1997年

                                                        EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1997「YES,E」をスタート。

                                                        ウェンブリー・スタジアム(英国ロンドン)で、エルヴィス・プレスリー没後20年を記念して行われたロックフェスティバル「songs and visions」にアジア代表として選ばれ、ロッド・スチュワート、ジョン・ボン・ジョヴィ、ロバート・パーマー、チャカ・カーン等と競演。世界60か国に放映されるが、ロッドから最初「矢沢? 知らないね」とコメントされる。しかしゲスト紹介とともに現れたYAZAWAのパフォーマンスを8万人の観衆は快く受け入れ、ロッド自身もエンディングでYAZAWAをステージ中央に呼ぶなどし、最後には楽屋裏で「君、うまいね。エルヴィスのナンバー最高だったよ。今度いっしょにツアーやろうぜ!」とまで言わしめたが、両者によるツアーは行われていない。この模様をNHKがドキュメント番組"Do You Know YAZAWA?"として制作、放送した。

                                                        ヘヴィメタルバンド、BOW WOWのギタリスト、山本恭司がツアーに参加。以後矢沢のツアーに参加する機会が増える。

                                                        ウィーンにてゲリラライブ敢行。

                                                        1998年

                                                          EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1998「SUBWAY EXPRESS」をスタート。

                                                          1999年

                                                            映画「お受験」で映画初主演。

                                                            9月15日、横浜国際総合競技場にて50歳バースデーライブ「TONIGHT THE NIGHT! ありがとうが爆発する夜」開催。

                                                            10月、世界最大のヨットレース「アメリカスカップ」のテーマソング(「ヘブンリー・クルーズ」)を担当。

                                                            初のアメリカでのツアー「Millennium America Tour」敢行(ホノルル、ロサンゼルス、サンフランシスコ)。

                                                            EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1999「LOTTA GOOD TIME」をスタート。

                                                            2000年代

                                                            2000年

                                                              EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2000「STOP YOUR STEP」をスタート。

                                                              ナラダ・マイケルウォールデンプロデュースのチャリティ・クリスマスアルバム『music of love〜for tomorrow's children〜』にスティーヴィー・ワンダー、スティング、エンヤなどと参加。

                                                              前年同様アメリカツアーを行う(サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク)。

                                                              2001年

                                                                「E.YAZAWA ONLINE SHOW」終了。これを発展させる形で総合公式サイト「YAZAWA'S DOOR」をスタート。有料会員制度やグッズ、チケットの販売を開始。

                                                                EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2001「Z (zi)」をスタート。

                                                                FMフェスティバル'01テーマソング『この道の向こうに』を担当。

                                                                自著伝第2弾「アー・ユー・ハッピー?」を出版。

                                                                2002年

                                                                  EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2002「ONE MAN」をスタート。

                                                                  初のアコースティックコンサートツアー「VOICE」、デビュー30周年記念イベント「THE DAY」を敢行。

                                                                  2003年

                                                                    EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2003「Rock Opera」をスタート。

                                                                    ディズニーアニメ『ピノキオ』の主題歌『星に願いを』を担当し、東京ディズニーシーにてゲリラライブを行う。ディズニー社より表彰を受ける。

                                                                    7月27日、大阪の万博記念公園で開催されたFM802主催の野外ロックフェス「MEET THE WORLD BEAT 2003」にシークレットゲストとして出演。披露したのは「ラブ・ファイター」1曲だけではあったが、突然の登場であったため観客を驚かせた。

                                                                    2004年

                                                                      EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR「YAZAWA CLASSIC II」,「FIFTY FIVE WAY」をスタート。

                                                                      7月24日、25日のPOCARI SWEAT BLUE WAVE THE ROCK ODYSSEY 2004で、エアロスミス、ザ・フー、ブラック・アイド・ピーズ、レニー・クラヴィッツ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズと共に参加。大トリを務める。

                                                                      2005年

                                                                        ソロデビュー30周年を迎え、原点回帰すべく毎年恒例の武道館公演を封印しEIKICHI YAZAWA LIVE HOUSE TOUR 2005「ROOTS」をスタート。

                                                                        2006年

                                                                          10月20日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2006「NEW STANDARD 〜Rock Opera2〜」をスタート。

                                                                          8月6日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL出演。矢沢を見たことのなかった若い層からの反響が大きく、以降、新しいファン層が広がった。

                                                                          12月2日、ブルーノート東京にてライヴ。

                                                                          2007年

                                                                            8月18日、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZOに出演。

                                                                            10月12日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2007「THE REAL」をスタート。12月16日には、前人未到の日本武道館100回公演を達成した。当日の公演は最初の武道館公演と同じ服装で登場した。

                                                                            郵便局会社民営化企画協力第一弾として、日本武道館公演100回記念「You Say YAZAWA矢沢永吉 フレーム切手」販売。

                                                                            2008年

                                                                              デビュー以来、欠かさずライブツアーを行ってきたが、37年目で初めてステージに立たないことを決意。“少しじっくり距離を置いて考える”というコメントを発表。20年在籍したEMIミュージック・ジャパンの契約を終了し、自らのインディーズ・レーベル「GARURU RECORDS」を立ち上げる。

                                                                              2009年

                                                                                7月20日、ap bank fesにサプライズ出演。スポーツクラブで偶然小林武史と遭遇し、その場で小林から出演のオファーを受けたことがきっかけとなり出演に至った。

                                                                                7月26日、HIGHER GROUND 2009出演予定だったが、大雨の影響により中止。

                                                                                8月2日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL出演。

                                                                                8月19日、新宿のタワーレコード新宿フラッグスビル店屋上で、ソロデビュー初のインストアライブ。

                                                                                9月19日、東京ドームにて60歳バースデーライブ「ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME」開催。サプライズゲストとして、氷室京介、甲本ヒロト、真島昌利、長女の矢沢洋子が出演。

                                                                                9月26日、Think the water,Feel the music. LIVE for LOVE we support WaterAid出演。

                                                                                10月30日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2009「ROCK'N'ROLL」をスタート。

                                                                                11月21日より第2弾ドキュメンタリー映画『E.YAZAWA ROCK』公開。

                                                                                12月31日、「第60回NHK紅白歌合戦」に白組サプライズゲストとして出演。大物歌手揃いの紅白で、一人の歌手が持ち歌を2曲歌うという特例を許され「時間よ止まれ」「コバルトの空」を熱唱。シークレット扱いで、リハーサルもおおっぴらに出来ずで。「時間よ止まれ」の歌詞を間違え、NHK側の配慮で字幕テロップを消された。

                                                                                2010年代

                                                                                2010年

                                                                                  5月30日、「東京大学 五月祭」にて、初の学園祭ライヴにサプライズ出演。

                                                                                  7月24日、HIGHER GROUND 2010に出演。

                                                                                  8月7日、8日のSUMMER SONIC 2010に出演。

                                                                                  8月14日、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZOに出演。

                                                                                  8月28日、音楽と髭達2010 "GENERATION"にサプライズ出演。

                                                                                  10月28日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2010「TWIST」をスタート。

                                                                                  2011年

                                                                                    11月17日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2011「STILL ROCKIN' 〜走り抜けて…〜」をスタート。

                                                                                    2012年

                                                                                      5月12日、開業前の東京スカイツリー350m天望デッキにてスペシャルライブを行う。

                                                                                      8月20日よりEIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE in LIVE HOUSEを開催。

                                                                                      9月1日、日産スタジアム(横浜国際総合競技場)にてEIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE「BLUE SKY」を開催。

                                                                                      11月7日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2012「JAMMIN' ALL NIGHT」をスタート。

                                                                                      12月31日、第63回NHK紅白歌合戦に白組特別出演歌手としてサプライズ出演。「IT'S UP TO YOU」を熱唱。

                                                                                      2013年

                                                                                        11月16日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2013「ALL TIME HISTORY -A DAY-」をスタート。

                                                                                        12月24日・25日に初のディナーショー、EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT「Dreamer」in GRAND HYATT TOKYOを開催。

                                                                                        2014年

                                                                                          2月24日、自身のバンド「Z's(ゼッツ)」を結成。

                                                                                          5月8日より「Z's START ON TOUR」をスタート。

                                                                                          8月9日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014に出演。

                                                                                          8月16日、SUMMER SONIC 2014に出演。

                                                                                          8月29日、SWEET LOVE SHOWER 2014に出演。

                                                                                          9月6日、第19回東京ガールズコレクションにサプライズ出演。

                                                                                          11月16日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2014「VERY ROCKS 〜ROAD TO THE LEGEND〜」をスタート。

                                                                                          12月20日・21日にディナーショー、EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT 2014「Dreamer」in GRAND HYATT TOKYOを開催。

                                                                                          2015年

                                                                                            4月12日、インターネットライブ「EIKICHI YAZAWA『MANIAC NIGHT』」を配信(4月24日から27日までの4日間、YAZAWA CLUB会員限定で再配信された)。

                                                                                            9月5日、東京ドームにてソロデビュー40周年を記念したライブ「EIKICHI YAZAWA ROCK IN DOME 2015」開催。その模様はWOWOWプライムにて生中継された。また、本ライブに先駆けて、ファンクラブ・YAZAWA CLUB会員限定のライブ「EIKICHI YAZAWA OPEN REHEARSAL GIG」を行った(8月28日・Zepp Sapporo、8月31日・Zepp Namba(OSAKA)、9月1日・Zepp Nagoya)。本公演の模様は同年12月2日にBlu-ray&DVDで同時リリース。

                                                                                            2016年

                                                                                              2月28日、「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS」で「BEST RESPECT ARTIST(音楽シーンに貢献し、多大な影響を与えているアーティストに授与される賞)」を受賞。

                                                                                              2017年

                                                                                                10月22日、実に7年ぶりとなる25本以上のツアー、「EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR「TRAVELING BUS 2017」」開始。

                                                                                                2018年

                                                                                                  満69歳(「ロック」)を迎えるに当たり全国5都市のドームツアー「EIKICHI YAZAWA 69TH ANNIVERSARY TOUR 2018 - STAY ROCK -」を9月1日よりスタート。9月4日の名古屋公演が台風21号の影響により翌日にずれ込むなどしたが、9月15日東京ドームで完走し、この模様はWOWOWで生中継された。

                                                                                                  2019年

                                                                                                    2月10日、インターネットライブ「EIKICHI YAZAWA『MANIAC NIGHT 2』」を配信。同ライブはYAZAWA CLUB会員で、申し込みのあった中から抽選で選ばれた50名が招待され、前日9日に行われたライブを収録したものである(10日・11日にはオフィシャルショップ「DIAMOND MOON」にて各一回ずつ特別上映)。

                                                                                                    7月6日、自身初のロックフェス「E.YAZAWA SPECIAL EVENT "ONE NIGHT SHOW 2019"」を幕張メッセで開催。出演は矢沢の他、氣志團、KREVA、東京スカパラダイスオーケストラ(Guest・奥田民生)、MIYAVI。ライブの模様は動画配信サービス・Huluを通じて生配信された(なお、同年7月25日より1ヶ月限定で、矢沢のライブのみを独占配信。同フェスを開催するにあたっての意気込みやリハーサル風景などに独占密着した映像を、同年7月10日に日本テレビのワイドショー・情報番組「スッキリ」にて放映。翌週17日には独占インタビューが放送された)。ライブ中盤、日本テレビ系列で生放送された音楽番組「THE MUSIC DAY 2019 時代」の中継に出演した。

                                                                                                    10月10日、台風19号の接近による公共交通機関の混乱及びそれらに伴う来場者の安全を第一に考慮し、10月12日に日比谷野外大音楽堂で開催予定だったワンマンライブ「EIKICHI YAZAWA SPECIAL LIVE『THE STAR IN HIBIYA 2019』」の中止を発表した。矢沢にとって70歳の誕生日を迎えて初のライブだったこともあり思い入れも深く、また、43年ぶりの日比谷野外音楽堂での公演を楽しみにしていたファンの気持ちを汲み、10月19日夜にチケット当選者に向けてリハーサル風景などを編集した映像をインターネットを通じて限定配信。

                                                                                                    11月24日、同年11月16日より行われているライブツアー「EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2019『ROCK MUST GO ON』」マリンメッセ福岡での公演を体調不良(喉)により急遽中止を発表した。札幌公演より喉の調子が思わしくなく、できる限りの対策や治療を施したが回復が見られなかったため。自身の体調不良を理由に公演を取り止めたのは歌手生活47年にして初めてである。27日の浜松アリーナ公演もドクターストップがかかり、中止を余儀なくされた。

                                                                                                    2020年代

                                                                                                    5月2日、公式YouTubeチャンネルにて、ファンクラブ会員限定で『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 1』(2015年)、同月3日に『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 2』(2019年)を再配信。また同月5日・6日の2日間、<YAZAWAとSTAY HOME,STAY ROCK!>『EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 1、2スペシャルプログラム』と題し、選りすぐりの8曲を一般にも配信した。これは上記「日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」に基づく「いのちを守る STAY HOME週間」で外出を自粛しているすべての人へ矢沢からの心意気である(配信動画冒頭に矢沢からのスペシャルメッセージが添えられた)。後日、緊急事態宣言が延長されたことを憂慮、また、配信が好評だったこともあり5月9日から24日まで再配信することを発表した。

                                                                                                    6月17日、2020年6月現在までに商品化されていない過去のライブ映像の中から厳選した3本を有料配信すると発表した。プロジェクトの名称は代表作のひとつである「SOMEBODY'S NIGHT」に因み『3 BODY'S NIGHT(サンバディーズナイト)』とした。第1弾は6月27日に、2017年の『EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR「TRAVELING BUS 2017」』武道館公演の模様をフルバージョンで配信。第2弾は7月に、2019年の『ROCK MUST GO ON』横浜アリーナ公演、第3弾は8月に、1999年の『LOTTA GOOD TIME』日本武道館公演の模様を配信。なお、本配信にあたって、矢沢本人が音源のミックスダウンを行い、少しでも臨場感を伝えられるよう努めた。また、ライブ本編以外にも撮影していたリハーサル風景などを含むメイキング映像も併せて配信した。

                                                                                                    9月12日、日本テレビ系列で放送された大型音楽番組「THE MUSIC DAY」にて、矢沢のロングインタビューをもとに『時間よ止まれ』に纏わる逸話をドラマ化した特別企画『矢沢永吉 特別ドラマ』が放送された。矢沢を演じたのは俳優の神尾楓珠。

                                                                                                    2021年

                                                                                                      7月7日、「矢沢です。今秋ツアーやります。」という告知メッセージが公式サイトに掲載された。7月11日、10月5日より石川県・金沢歌劇座を皮切りに、全国ツアー『I’m back!! 〜ROCKは止まらない〜』を開催することを正式に発表。10月1日、12月25日に横浜アリーナにおいて追加公演が決定したことを発表した。 ライブツアーは2019年に実施した『ROCK MUST GO ON』 以来、1年10ヶ月ぶりである。

                                                                                                      12月15日・18日・19日・21日の4日間は東京・日本武道館で行われた。19日の公演は、WOWOWプライムにて生中継された。最終日21日の公演を終え、同会場の単独アーティスト公演回数最多記録(146回)を更新した。12月25日、横浜アリーナで千秋楽を迎え、23会場31公演を完逐した。また、ツアー終了時に72歳3カ月である矢沢は、全国アリーナツアー(ホールを含む31公演)を行った国内男性ソロアーティスト最年長記録を塗り替えた(それまでは2019年に当時71歳10カ月で小田和正が行ったアリーナツアー(64公演)が最年長記録であった)。

                                                                                                      2022年

                                                                                                        4月4日、デビュー50周年を記念し国立競技場2DAYSを含むスタジアム&ドームツアーを8月から開催する予定であると発表した。

                                                                                                        7月2日・3日、ロック・フェスティバル「E.YAZAWA SPECIAL EVENT ONE NIGHT SHOW 2022」を幕張メッセで開催した。

                                                                                                        8月27日、『EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY TOUR「MY WAY」』初日。27日・28日は国立競技場で開催され、2日間で延べ12万人のファンを魅了した。27日はスペシャルゲストに歌手のMISIA、28日にはB'zがサプライズゲストとして出演した。本ライブは新しくなった国立競技場で行われた初の有観客音楽ライブである。また、2019年12月以降、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため禁止していた"タオル投げ"が解禁された。9月18日に福岡PayPayドーム、9月25日に京セラドーム大阪でライブを行い、3都市4公演を完遂した。なお、国立競技場公演2日目(8月28日)の模様を収めたBlu-ray&DVDを2022年12月21日にリリースすることが発表された。

                                                                                                        9月14日、秋のホール&アリーナツアー『EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2022 〜ONE FIFTY〜』(11都市17公演)を開催すると発表した。ツアー最終公演は日本武道館での4DAYSを予定しており、最終日の12月20日には矢沢が日本武道館で行ったライブ通算150回を達成するはずであったが、3日目(12月18日)の公演から喉に不調を感じ、最終日当日となる12月20日まで回復に努めたが好転しなかった。観客に対し真摯に向き合い、最高のパフォーマンスを魅せる姿勢を常としている矢沢は現状ではステージに立つことは出来ないと苦渋の決断を下し、最終日公演中止の告知を公式サイト及びSNSを通じて発表した。これにより150回の記録更新は持ち越しとなった。12月23日、「NHK MUSIC SPECIAL 矢沢永吉 激白!超えられなかったあと1本」に出演。記録達成を目前に断念した武道館公演への思いを語った。また、今夏に行った国立競技場ライブへの道のりを記録したドキュメンタリー映像やキャロル時代からの秘蔵映像も併せて放送された。

                                                                                                        2023年

                                                                                                          7月28日、FUJI ROCK FESTIVAL'23に初出演。“GREEN STAGE”にて8曲を披露した。

                                                                                                          12月14日、全国アリーナツアー『EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2023「Welcome to Rock’n’Roll」』東京4Days初日公演を日本武道館にて開催。前年2022年に喉の不調で断念した日本武道館公演通算150回を、本公演を以って達成した。

2024/06/13 08:07更新

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金児 憲史(かねこ のりひと)
1978年9月14日生まれの有名人 広島出身

金児 憲史(かねこ のりひと、1978年9月14日 - )は、日本の俳優、歌手。広島県福山市出身。 広島修道大学在学中 であった2000年に、石原プロモーション主催の「オロナミンC 1億人の心をつ…

田口 麗斗(たぐち かずと)
1995年9月14日生まれの有名人 広島出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 田口 麗斗(たぐち かずと、1995年9月14日 - )は、広島県広島市佐伯区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワロ…

髙柳 一誠(たかやなぎ いっせい)
1986年9月14日生まれの有名人 広島出身

髙柳 一誠(たかやなぎ いっせい、1986年9月14日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。広島県立吉田高等学校卒業。 基本ポジション…


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矢沢永吉と近い名前の人

宮澤 エマ(みやざわ えま)
1988年11月23日生まれの有名人 東京出身

宮澤 エマ(みやざわ エマ、1988年11月23日 - )は、日本のタレント、女優。東京都出身。旧芸名:ラフルアー宮澤エマ (Emma Miyazawa La Fleur)。 母方の祖父は第78代…

矢沢 心(やざわ しん)
1981年3月16日生まれの有名人 東京出身

矢沢 心(やざわ しん、1981年3月16日 - )は、日本の女優、タレント。本名、小林 心(こばやし しん)。旧姓、矢沢(矢澤)。東京都西東京市(旧・田無市)出身。ジャパン・ミュージックエンターテイ…

矢沢 のん(やざわ のん)
1986年9月19日生まれの有名人 兵庫出身

矢沢 のん(やざわ のん、1986年9月19日 - )は、日本の元グラビアアイドル、元タレント、元AV女優。 兵庫県神戸市出身。血液型 A型。身長 145cm。スリーサイズ B88(F)・W54・H…

矢沢 華奈子(やざわ かなこ)
1993年1月12日生まれの有名人 神奈川出身

矢沢 華奈子(やざわ かなこ、1993年1月12日 - )は、日本の女優。神奈川県出身。スターダストプロモーションに所属していた。旧芸名は片岡 華奈子(かたおか かなこ)。 2012年穴吹ハウジン…

エッグ矢沢(えっぐやざわ)
1986年2月17日生まれの有名人 埼玉出身

エッグ矢沢(エッグやざわ、Egg Yazawa、1986年2月17日 - )は、日本の元ピン芸人であり、現在はYouTubeで雑談動画(本人曰く、日記)を投稿している。本名、矢沢 誠仁(やざわ まさひ…

矢沢 透(やざわ とおる)
1949年2月6日生まれの有名人 神奈川出身

矢沢 透(やざわ とおる、1949年2月6日 - )は、神奈川県横須賀市生まれの音楽家・実業家。フォークグループ・アリスのドラマー。柳家金語楼に似ていたことから「キンちゃん」の愛称で親しまれている。所…

矢沢 あい(やざわ あい)
1967年3月7日生まれの有名人 兵庫出身

矢沢 あい(やざわ あい、1967年〈昭和42年〉3月7日 - )は、日本の女性漫画家。兵庫県尼崎市出身。大阪モード学園中退。血液型B型。独身。身長168cm。代表作に『天使なんかじゃない』、『NAN…

矢沢 大二(やざわ たいじ)
1913年5月1日生まれの有名人 長野出身

矢沢 大二(やざわ だいじ、1913年5月1日 - 1994年5月29日)は、日本の地理学者である。(旧)東京都立大学教授、日本地理学会会長。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受章。 長野県諏訪郡上諏訪町…

ファンキー矢沢(ふぁんきー やざわ)
1964年7月31日生まれの有名人 大阪出身

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矢沢 洋子(やざわ ようこ)
1985年11月12日生まれの有名人 東京出身

矢沢 洋子(やざわ ようこ、1985年11月12日 - )は、日本の女性歌手、モデル。東京都出身。血液型はO型。身長167cm。既婚。 12歳から18歳までをロサンゼルスで過ごす。Ojai Val…

矢沢 恒雄(やざわ つねお)
1911年11月29日生まれの有名人 埼玉出身

矢沢 恒雄(やざわ つねお、1911年〈明治44年〉11月29日 - 1994年〈平成6年〉5月17日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県加須市長。加須市名誉市民。 埼玉県北埼玉郡加須町(現…

矢沢 泰代(やざわ やすよ)
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『アパッチ』は、かつて日本で活動した3人組のアイドルグループ。メンバーはアコ、ミッチー、ヤッチン。1976年にデビュー、1981年に解散した。グループとしての正式デビュー曲は「恋のブロックサイン」(映…

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矢沢永吉
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