稲田悦子の情報(いなだえつこ) フィギュアスケート 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
稲田 悦子さんについて調べます
■名前・氏名 |
稲田悦子と関係のある人
伊藤みどり: 次いで12月の全日本選手権で3位入賞し、これは稲田悦子以来45年ぶりの小学5年生(11歳)での入賞で、このことから「天才少女スケーター」と呼ばれるようになった。 皇太子徳仁親王: この頃から稲田悦子参与の指導でフィギュアスケートを始める(大学生の時にスピードスケートに転向)。 米田やすみ: 稲田悦子から指導を受け、国体に出場した。 広野功: ^ 梅田香子 🇺🇸新刊「ヒトラーと握手した日本の少女 稲田悦子伝」 渡部絵美: 10歳のときに稲田悦子コーチの提案でアメリカ合衆国ミネアポリスにスケート留学をする。 福原美和: 稲田悦子に師事し、全日本フィギュアスケート選手権で6回優勝、第37回から第41回まで5連覇を達成。 佐藤信夫: 1954年から大阪・朝日アリーナのクラブに入り片山敏一と稲田悦子の指導を受けた。 伊藤みどり: 3回転アクセルを決めたことについて稲田悦子は「最後に決めたトリプルアクセルには、自分のスケート人生をかけたんだという気迫が感じられました」と、感想を述べた。 |
稲田悦子の情報まとめ
稲田 悦子(いなだ えつこ)さんの誕生日は1924年2月8日です。大阪出身のフィギュアスケート選手のようです。
卒業、現在、結婚、離婚、引退、テレビ、家族に関する情報もありますね。2003年に亡くなられているようです。
稲田悦子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)稲田 悦子(いなだ えつこ、1924年2月8日 - 2003年7月8日)は、日本の女性フィギュアスケート選手、コーチ。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックのフィギュアスケート競技女子シングル日本代表。戦前、戦後合わせて全日本選手権7回優勝。日本の女子フィギュアスケートの先駆者でもあった。大阪府大阪市出身。梅花高等女学校卒業。 1924年(大正13年)、大阪の稲田時計店の末娘として生まれた。1932年(昭和7年)、8歳のときから永井康三にスケートの指導を受け、才能を開花させた。1933=1934年、全日本ジュニア選手権優勝。1934~1935年、全日本選手権優勝した。1935年11月の日本代表選考会で、総得点1745.3点で2位の東郷球子を300ポイント以上引き離して優勝した。これはスクールフィギュア、フリー共に男子シングルを遥かに凌ぐ高得点だった。新聞の選評では「スクールに於けるフイギユアの大きさに於てもあの小さな身体であれだけこなしてゐれば十分でターンの正確は男子も及ばない状態である」と絶賛された。代表決定の報を受けて「うちなア、ソニア・ヘニーの姉ちやんだけがこはいんや」と発言した。 1936年(昭和11年)1月にドイツのベルリンで開催されたヨーロッパフィギュアスケート選手権に出場し、その際にはドイツの総統であるアドルフ・ヒトラーと握手している。 同年2月、稲田はドイツで行われたガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックに12歳で出場した。これは、2020年現在におけるオリンピック日本人最年少出場記録(夏・冬を通して)であるのみならず、第二次世界大戦前の冬季オリンピックに参加した唯一の日本人女子選手であるなど歴史的な出場であった。そのためか、稲田は日本の女子フィギュアスケートの先駆けの選手としても有名である。稲田はこの大会で白い服に赤いカーネーションを付けた衣装を着て、ドイツのミリタリーマーチで演技し人気を呼んだ。秩父宮記念スポーツ博物館に展示されていた衣装は、同館開館時に寄贈されたものに、稲田の晩年、本人の希望により胸の日の丸のアップリケとカーネーションを当時とほぼ同じように復元・追加したものである。成績は26人中10位であったが、この大会で優勝し3連覇を飾ったノルウェーのソニア・ヘニーが「近い将来必ず稲田の時代が来る」と断言した。稲田は練習するヘニーの姿を見て憧れ、晩年にオスロのヘニーの自宅を訪ねたことがある。なお、このガルミッシュパルテンキルヘンオリンピック出場時にもスピードスケート代表の南洞邦夫と共に観覧に来ていたヒトラーと握手をしている。身長127センチの稲田を見て開会式でヒトラーが「あの小さな少女は何をしに来ているのか」と側近に訪ねたという。 オリンピック後の3月にフランス・パリで行われた世界フィギュアスケート選手権では10位となった。 稲田は翌1937年から1941年まで全日本選手権女子シングルで5連覇を達成し、1938年には橋本國彦が稲田の活躍を讃え、行進曲「楽しきスケーター」を作曲、ワルター・ペータースのワルツ「昇る太陽」と共に録音しビクターからレコードが発売された。 1940年(昭和15年)の札幌オリンピックの有力な選手として期待された。しかし、日中戦争の長期化などによる国際情勢の悪化で、1938年に日本が札幌オリンピックを返上したため、2度目のオリンピック出場の機会は失われた。 梅花高等女学校を卒業後は専門学校で英文を学んだ。第二次世界大戦中は満州に慰問に行き、凍った川でスケートを滑ったことがあるという。1945年(昭和20年)の終戦は奈良県で迎え、終戦の翌年に結婚した。 戦後の1949年に復帰を果たしたが、私生活では離婚を経験した。1951年には7度目の全日本選手権女子シングル優勝を飾り、イタリアで開催された世界フィギュアスケート選手権に有坂隆祐と共に日本人選手として15年ぶりに出場した。しかし、タイツを男性用のももひきで代用するなどの苦労を経験し、また楽曲の選択でも世界の潮流に後れ、23人中21位と良い結果は得られなかった。 1952年に現役を引退してコーチに転身した。指導者としては上野純子、石田治子、福原美和などの選手を育成し、皇族へのフィギュアスケートの指導も行った。東京・青山でブティックも開いていた。 「五輪は参加することに意義があるなんてうそ。本番のたった一回のチャンスに成功し、一位にならなくちゃ」との言葉を残し、生涯の信念は「世界一になるには努力、努力、努力。」であったという。 2003年7月8日、稲田は胃がんのため千葉市内の病院で死去した。79歳没。築地本願寺で行われた葬儀には稲田が皇族にスケートを指導した縁もあり、天皇皇后を始めとして多くの皇族からの献花がされた。 なかにし礼の小説『てるてる坊主の照子さん』(新潮社)に登場するフィギュアスケートのコーチは稲田がモデルとされている。2003年度後期のNHK連続テレビ小説「てるてる家族」では「稲本栄子」としていしのようこが演じた。 ^ “人物ファイル横断”. 日外アソシエーツ. 2010年3月9日閲覧。 ^ “稲田悦子姉(昭16年高女卒)ご逝去”. 梅花学園同窓会 (2003年7月). 2010年3月9日閲覧。 ^ “世界をわかせた人と記録”. 日本オリンピック委員会. 2011年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月9日閲覧。 ^ 1983年3月7日 朝日新聞 (17)(18) ^ 稲田悦子 いなだえつこ のコスチューム(フィギュアスケート) ^ 2003年7月22日夕刊 朝日新聞 ^ WORLD FIGURE SKATING CHAMPIONSHIPS 1930-1939 SKATE Database ^ これは、1977年に渡部絵美に破られるまでの最高記録だった。 ^ 1997年8月15日 朝日新聞 ^ 1936年の冬季オリンピックで12歳のフィギュアスケート選手、稲田悦子が着用したコスチューム 日本オリンピック委員会 ^ フィギュア界の草分け稲田悦子さんが死去 日刊スポーツ新聞社 ^ てるてる坊主の照子さん〔中〕新潮社 開心那 - 夏季五輪における日本人最年少出場者 第7回 稲田悦子のコスチューム ~12歳のフィギュアスケーター - オリンピック・メモリアルグッズ - JOC 訃報ドットコム 名選手続々……冬季五輪物語 フィギュアスケート・稲田悦子 一般社団法人 日本トップリーグ連携機構(JTL)2012年1月20日 稲田悦子 - Olympedia (英語) 稲田悦子 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語) 表 話 編 歴 1934: 稲田悦子 1935: 東郷球子 1936-1940: 稲田悦子 1946: 月岡芳子 1947: 丹羽芳子 1950: 稲田悦子 1952: 月岡芳子 1953-1954: 山下艶子 1955-1958: 上野純子 1959: 福原美和 1960: 上野純子 1961-1965: 福原美和 1966-1967: 大川久美子 1968-1971: 山下一美 1972-1979: 渡部絵美 1980: 小林れい子 1981: 吉田万里子 1982: 小沢樹里 1983: 加藤雅子 1984-1991: 伊藤みどり 1992-1993: 佐藤有香 1994: 横谷花絵 1995: 伊藤みどり 1996: 村主章枝 1997-1998: 荒川静香 1999: 椎名千里 2000-2002: 村主章枝 2003-2004: 安藤美姫 2005: 村主章枝 2006-2009: 浅田真央 2010: 安藤美姫 2011-2012: 浅田真央 2013: 鈴木明子 2014-2017: 宮原知子 2018: 坂本花織 2019-2020: 紀平梨花 2021-2023: 坂本花織 ※ 開催年は年度 1934-65年度は翌年1-4月、1966-81年度は同年11-12月、1982-96年度は翌年1月、1997年度以降は同年12月に開催された。 男子シングル 女子シングル ペア アイスダンス ジュニア男子シングル ジュニア女子シングル 表 話 編 歴 32: 平岡露子 33: 稲田悦子 34: 中村衣子 35: 依岡礼子 36: 鯱美佐子 37-38: 生田艶子 39: 佐藤登美代 40-46: 中止 47: 饗場奈々 48: 中止 49: 加藤好子 50-51: 饗場奈々 52: 本多久子 1953: 美土路耀子 1954: 工藤久子 55: 虫明百合 56: 金子恵以子 57: 吉原とき子 58: 大岩洋子 59: 村上由希子 60: 田村直子 61-62: 中島典子 63: 峰松早苗 64: 石川洋子 65: 北野真知子 66: 藤本歌子 67: 酒井正子 68: 小林幸子 69: 清瀬邦子 70: 大橋美和子 71: 渡部絵美 72: 藤木久代 73: 足土英子 74: 井口えり 75: 金妙実 76: 伊藤順子 77: 飛松郁子 78: 水原宏美 79: 伊藤みどり 80: 川上智子 81: 浅沼まり 82: 堀林久乃 83: 伊藤みどり 84: 青谷いずみ 85: 浅沼まり 86: 伊奈恭子 87: 柏原由起子 88-89: 佐藤有香 90: 井上怜奈 91: 小岩井久美子 92: 井上怜奈 93: 横谷花絵 94-96: 荒川静香 97: 金沢由香 98-99: 椎名千里 00: 中野友加里 01-03: 安藤美姫 04: 浅田真央 05: 澤田亜紀 06: 武田奈也 07: 水津瑠美 08: 今井遥 09: 村上佳菜子 10: 庄司理紗 11-12: 宮原知子 13: 本郷理華 14-15: 樋口新葉 16: 坂本花織 17: 紀平梨花 18: 横井ゆは菜 19: 河辺愛菜 20: 松生理乃 21-23: 島田麻央 開催年は年度 男子シングル 女子シングル ペア アイスダンス ジュニア男子シングル ジュニア女子シングル 日本の女子シングルスケーティング選手 オリンピックフィギュアスケート日本代表選手 世界フィギュアスケート選手権日本代表選手 日本のフィギュアスケートコーチ 大阪市出身の人物 20世紀日本の女性実業家 胃癌で亡くなった人物 1924年生 2003年没 ウィキデータのスポーツ識別子を使用している記事
2024/11/17 02:00更新
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inada etsuko
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