笹本信二の情報(ささもとしんじ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
笹本 信二さんについて調べます
■名前・氏名 |
笹本信二と関係のある人
才田修: 準々決勝では岐阜短大付の湯口敏彦投手を打ち崩し、準決勝では笹本信二のいた鳴門高を降す。 笠間雄二: 1980年1月には柳田真宏と共に永本裕章との交換トレードでかつて入団拒否をした阪急ブレーブスへ移籍するが、移籍先でも中沢伸二・笹本信二に次ぐ3番手の起用にとどまり、打率も1割に満たなかった。 竹村一義: その後は1977年のシーズン開幕直前に笹本信二との交換トレードで新井良夫と共に阪神タイガースへ移籍するも、右肘の故障で十分な活躍ができず自由契約になると前述の因縁があった日本ハムのキャンプに参加して入団テストを受けたが採用にはならずに引退した。 門前真佐人: 1951年8月23日の対名古屋戦で1試合最多盗塁阻止(捕手補殺)5のプロ野球記録(過去3人、笹本信二1977年4月24日の対ロッテ戦、谷繁元信1991年8月27日の対広島戦)。 迫丸金次郎: 初盗塁:1983年7月1日、対読売ジャイアンツ14回戦(後楽園球場)、9回表に二盗(投手:堀内恒夫、捕手:笹本信二) 田尾安志: 1年上の笹本信二とバッテリーを組み活躍。 中西弘明: 三田学園高では2年次の1970年に春の選抜へ出場し、同期のエース甲斐富士男の好投もあって準々決勝に進出するが、笹本信二のいた鳴門高に敗れる。 森脇浩司: 初盗塁:1981年10月4日、対阪急ブレーブス前期13回戦(日生球場)、8回裏に二盗(投手:関口朋幸、捕手:笹本信二) 淡口憲治: 1970年の選抜にも1年下の遊撃手、羽田耕一とクリーンナップを組んで連続出場するが、前年と同じく準々決勝で、笹本信二のいた鳴門高に敗れる。 新井良夫: その後、1977年のシーズン開幕前に竹村一義と共に笹本信二との交換トレードで阪神タイガースに移籍したが、タイガースでは不本意な成績に終わった。 門前眞佐人: 1951年8月23日の対名古屋戦で1試合最多盗塁阻止(捕手補殺)5のプロ野球記録(過去3人、笹本信二1977年4月24日の対ロッテ戦、谷繁元信1991年8月27日の対広島戦)。 山本幸二: 初出場:1984年7月10日、対広島東洋カープ12回戦(札幌市円山球場)、9回裏に笹本信二の代打として出場 松浦正: 初奪三振:同上、8回表に笹本信二から 藤城和明: 1982年の開幕直後に、笹本信二との交換トレードで阪急ブレーブスへ移籍。 石嶺和彦: これを契機に同年から監督に就任した上田利治にパンチ力を評価され、中沢伸二や笹本信二、片岡新之介、河村健一郎に次ぐ異例の五番手捕手として開幕一軍入りを果たしている。 渡辺博之: 教え子に久野剛司・笹本信二・田尾安志・島田芳明・中本茂樹などがおり、田尾には中日入団前の際に「ただ飯、ただ飲みはするな。 |
笹本信二の情報まとめ
笹本 信二(ささもと しんじ)さんの誕生日は1952年4月18日です。徳島出身の野球選手のようです。
卒業、引退に関する情報もありますね。笹本信二の現在の年齢は72歳のようです。
笹本信二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 笹本 信二(ささもと しんじ、1952年4月18日 - )は、徳島県板野郡松茂町出身の元プロ野球選手(捕手)。 鳴門高校では2年次の1969年、四番打者、捕手、主将として秋季四国大会決勝に進出。大北敏博・細川安雄のバッテリーを擁する高松商を降して優勝し、1970年春の選抜への出場を決める。大会では下手投げエース落合登を擁して勝ち進み、準々決勝は淡口憲治・羽田耕一のいた三田学園に1-0で完封勝利、しかし準決勝では北陽高に2-6で敗れる。同年夏は南四国大会準決勝で高知商の中沢一彦(法大-三菱自動車川崎)に抑えられ敗退、甲子園には届かなかった。高校卒業後は1971年に同志社大学に進学し、渡辺博之監督の指導を受け、1年下のエース田尾安志とバッテリーを組み活躍。関西六大学野球リーグでは1年次の同年春季から全試合に出場し優勝4回、ベストナインに4回選出される。リーグ戦通算95試合出場、346打数86安打、打率.249、8本塁打を記録。3年次の1973年には第4回明治神宮野球大会で決勝に進出するが、栗橋茂を打の主軸とする駒大に敗れ準優勝にとどまる。 1974年のドラフト3位で阪神タイガースに入団。当時の正捕手は田淵幸一であったが、1年目の1975年から6試合に先発出場を果たす。同年にはジュニアオールスターゲームにも出場してMVPを獲得しているが、一軍では出場機会がなかなか得られず、1977年のシーズン前に竹村一義・新井良夫との交換トレードで阪急ブレーブスへ移籍。ここでも中沢伸二の控え捕手となり、4月24日のロッテ戦(西宮)で5度の盗塁阻止を記録したが、これは1試合に於ける盗塁阻止数の日本プロ野球タイ記録である。1978年のヤクルトとの日本シリーズでは2試合に代走、代打として出場した。1979年は打撃が好調を維持し、先発は22試合にとどまるものの、代打の切り札としても起用される。自己最高の打率.327を残し、1981年には中沢がシーズン中盤に欠場したため、36試合に先発マスクを被った。1982年4月に藤城和明との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。ここでは山倉和博の控え捕手を務め、代打としても起用された。1983年には10試合に先発し、西武との日本シリーズでは、10月29日の第1戦(西武)で9回表に加藤初の代打として起用され、東尾修から安打を放つ。1984年には11試合に先発するが、1985年には控え捕手としての起用も減少し、1986年限りで現役引退。 引退後はスコアラーを務め、2015年から2017年までジャイアンツアカデミー校長を務めた。 プロ選手時代のポジションは主に捕手であったが、阪急では5試合に外野手として守備に就いた。 初出場:1975年4月22日、対ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、8回表に田淵幸一の代走として出場 初先発出場:1975年5月31日、対大洋ホエールズ5回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手として先発出場 初安打・初打点:1975年8月26日、対大洋ホエールズ21回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に間柴茂有から 初本塁打:1977年9月30日、対クラウンライターライオンズ後期13回戦(平和台球場)、7回表に大橋穣の代打として出場、倉持明から3ラン ジュニアオールスターゲームMVP:1回(1975年) 20 (1975年 - 1976年) 28 (1977年 - 1982年途中) 22 (1982年途中 - 1986年) ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、250ページ ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年 ^ 【田所龍一 虎番疾風録 Vol.73】「右翼は難しい…」岡田の拙守かばった田淵幸一の思い (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト ^ 他に1951年8月23日の名古屋戦(大阪)にて門前眞佐人、1991年8月27日の広島戦(広島市民)にて谷繁元信が記録 徳島県出身の人物一覧 阪神タイガースの選手一覧 オリックス・バファローズの選手一覧 読売ジャイアンツの選手一覧 個人年度別成績 笹本信二 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 1位:古賀正明(入団拒否) 2位:工藤一彦 3位:笹本信二 4位:榊原良行 5位:町田公雄 6位:松下立美 日本の野球選手 徳島県立鳴門高等学校出身の野球選手 同志社大学体育会硬式野球部の選手 阪神タイガース及びその前身球団の選手 オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 徳島県出身の人物 1952年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/20 13:51更新
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