谷口吉郎の情報(たにぐちよしろう) 建築家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
谷口 吉郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
谷口吉郎と関係のある人
土川元夫: 特筆するべき点としては文化的事業の創出に力を注ぎ、京都大学に土地と資金を提供して開設した京都大学霊長類研究所(日本モンキーパークに併設)、四高時代の級友であった建築家谷口吉郎と発案した博物館明治村など、沿線観光資源(旅客)の創出と文化事業を両立させる積極的な試みとして大きな功績を残した。 栗原勝: 東京工業大学(旧制)建築学科では谷口吉郎に師事し、谷口が馬籠に藤村記念館を建築した際には栗原も協力している。 永谷嘉男: 妻の利美は千宗室 (14代)二男・納屋嘉治(淡交社社長)と真美子(谷口吉郎長女)夫妻の娘。 日夏耿之介: 1962年に飯田市りんご並木に、谷口吉郎設計、齋藤磯雄撰による詩碑建立、「咒文の周圍」最終聯が刻まれた。 杉山寧: 妻の真紀子は谷口吉郎の二女。 谷口吉生: 1979年 谷口吉郎建築設計研究所所長 服部良一: 政治家の森清、洋画家の脇田和、猪熊弦一郎、実業家の橋本兵蔵(月光荘画材店創業者)、小林利雄、御木本美隆、建築家の谷口吉郎などとは家族ぐるみの付き合いで(絵画好きの共通点から)、1955年には彼らで長野県軽井沢町に長屋形式の別荘「画架の森」を建てている(谷口の設計)。 谷口吉生: 父は建築家の谷口吉郎。 谷口吉生: 1979年には自身の名を冠した谷口吉郎建築設計研究所の所長に就任。 児島喜久雄: 児島の墓地は、東京都港区南青山2丁目の梅窓院で、傍らにはレオナルド・ダ・ヴィンチに因んだ文言を刻んだ碑が建っていたが、2022年3月親族による墓仕舞いにより、遺骨は東京都港区赤坂の赤坂不動尊威徳寺永代供養塔に改葬され、児島喜久雄・千代の墓石及びレオナルドの石碑(谷口吉郎の設計による)は、山梨県北杜市の清春白樺美術館に移設された。 渡辺力: 第一生命技術顧問を務めた建築家の松本与作や、東宮御所や帝国劇場を設計した建築家の谷口吉郎、1964年東京オリンピックのデザインを監修した美術評論家の勝見勝らから称賛され、渡辺自身も「私の会心作」と称するなど、自他ともに認める代表作とされる。 前川國男: 1928年 (昭和3年) - 東京帝国大学工学部建築学科卒業(谷口吉郎と同年)、渡仏して首都パリへ行き、ル・コルビュジエのセーヴル通りの事務所に入所。 永井荷風: 宮尾しげをと住職とが発議し、森於菟・野田宇太郎・小田嶽夫らが実行委員となり、計42人の発起人によって、1963年(昭和38年)5月18日、遊女らの「新吉原総霊塔」と向かい合わせに、谷口吉郎設計の詩碑と筆塚が建立された。 谷口吉生: 丹下健三都市・建築研究所での勤務を経て、計画・設計工房を設立し、谷口吉郎建築設計研究所所長、谷口建築設計研究所所長などを歴任した。 イサム・ノグチ: 1950年に再来日し銀座三越で個展を開き、その時に日本では著名な建築家である丹下健三、谷口吉郎、アントニン・レーモンドらと知己になる。 忍成修吾: W県警の悲劇 第1話(2019年7月27日) - 谷口吉郎 役 |
谷口吉郎の情報まとめ
谷口 吉郎(たにぐち よしろう)さんの誕生日は1904年6月24日です。石川出身の建築家のようです。
家族、主な作品などについてまとめました。卒業、家族に関する情報もありますね。74歳で亡くなられているようです。
谷口吉郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)谷口 吉郎(たにぐち よしろう、1904年(明治37年)6月24日 - 1979年(昭和54年)2月2日)は、昭和期の建築家である。 石川県金沢市出身。東宮御所、帝国劇場の設計者、庭園研究者、東京工業大学名誉教授。子の谷口吉生も建築家である。女婿に納屋嘉治(宗淡)・淡交社社長。金沢市名誉市民第1号。 1904年(明治37年)金沢市片町の九谷焼窯元「谷口金陽堂」の子として生まれる 石川県師範学校附属小学校、石川県立第二中学校、第四高等学校を経て 1928年(昭和3年)東京帝国大学工学部建築学科卒業 1929年(昭和4年)恩師・佐野利器の勧めで東京工業大学講師となる 1930年(昭和5年)助教授 1932年(昭和7年)「東工大水力実験室」設計 1938年〜1939年(昭和13年〜14年)駐独日本大使館新築の一環として日本庭園造園のためベルリン出張 1935年(昭和10年)洗足に自邸建設 1942年(昭和17年)「建造物に作用する風圧の研究」により日本建築学会賞学術賞受賞 1943年(昭和18年)工学博士 学位論文「建築物の風圧に関する研究」(東京工業大学)、東京工業大学教授となる 1949年(昭和24年)藤村記念堂、慶應義塾大学4号館・学生ホールの設計により日本建築学会賞作品賞を受賞 1956年(昭和31年)秩父セメント第2工場の設計により日本建築学会賞作品賞を受賞 1957年(昭和32年)著書「修学院離宮」により毎日出版文化賞受賞 1961年(昭和36年)「東宮御所」設計その他の業績により日本芸術院賞受賞。 1965年(昭和40年)東京工業大学を定年退官、名誉教授 1973年(昭和48年)文化功労者顕彰、文化勲章受章 1978年(昭和53年)金沢市名誉市民 1979年(昭和54年)死去。74歳没。従三位勲一等瑞宝章を追贈される。墓所は金沢市野田山墓地。 家族父・谷口吉次郎 - 江戸時代に先代が興した九谷焼窯元「金陽堂」の主人。二度の渡欧歴があり、九谷焼を各地の万博に出品して受賞を重ね、日本の陶磁界の代表としてロンドンにも赴いた。「翠園」の雅号を持ち、絵や能、句作、囲碁などに親しみ、画家や工芸家の支援もした。 妻・絹子(1911年生) - 建築家・松井清足(1877-1948)二女。父の清足は名古屋出身で、1903年に東京帝国大学工科大学建築学科(現・東京大学工学部建築学科)を卒業後、辰野葛西事務所の辰野金吾の下で東京駅の設計主任となったが、工法を巡って辰野と対立し、中途で海軍技師に転じ、晩年は大林組東京支店長や日本建築学会副会長を歴任した。母のヒサは鉱山技術者・吉原政道の娘。兄の松井汲夫はグラフィックデザイナー。 長女・真美子(1933年生) - 千宗室 (14代)二男・納屋嘉治(淡交社社長)の妻。女子美術大学卒。娘・利美の夫は永谷園創業者永谷嘉男の長男で同社元社長、永谷園ホールディングス元会長の永谷栄一郎(1954年生)。 長男・谷口吉生(1937年生) - 建築家 二女・真紀子(1943年生) - 杉山寧二男・晋(ユニメックス社長)の妻。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史専攻卒業、東京芸術大学大学院美術学部博士課程修了。 弟・吉二 - 東京帝国大学で経済を学んだが病没。 義弟・五井孝夫 - 妹の夫。建築家。吉郎や前川国男とともに帝大建築学科に学び、大蔵省入省、インドネシアのスマトラに出征後、金沢で建築構造事務所を創設。 主な作品
東京国立近代美術館本館
東京国立博物館東洋館
新萬來舎慶應義塾大学三田キャンパス
八王子乗泉寺霊園
慶應義塾大学日吉寄宿舎
日本学士院会館
2024/06/27 18:17更新
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taniguchi yoshirou
谷口吉郎と同じ誕生日6月24日生まれ、同じ石川出身の人
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